小説『ゼロの使い魔 〜虹の貴公子〜』
作者:荒唐井蛙()

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 ラドグリアンの水面に、2つの影が映り込む。


 「本当に、いいのかな? マリィ……」

 「どうかしたのですか? 殿下」


 互いに手を取り合い、見つめ合う少年少女。その様は、幼い年齢を差し引いても、仲睦まじい恋人にしか見えない。


 「君の婚約者が、ボクなんかで……」

 「何をおっしゃるのですか」


 そんな少年の問いに、少女は苦笑交じりにそう返した。


 「たとえ、まだ許されない恋であろうとも……わたくしは、殿下を心からお慕い申しております」


 うっとりと、少年の顔を見つめ、少女は語りかける。今知り得る限りの、愛の言葉を。


 「だって……」







〜第44話 『そこに映るモノ』〜







 静まり返った劇場の舞台で、2人は対峙している。


 「抜け穴とは……なかなかに姑息な手を使いますね、リッシュモン」


 1人は、腰まで届く銀の三つ編みを流し、嫌悪感をにじませた言葉を相対する相手へと投げかける、言わずと知れた若き天才メイジ。


 「ふん……! やはり貴様も一枚かんでいたか……」


 もう1人は、国家に反旗を翻した、反逆の徒。杖を握るその手と瞳には力が宿り、抵抗する気満々のようである。


 「アレク!」


 サイトが、笑顔で少年の名を叫ぶ。
 彼が来たのならば鬼に金棒。リッシュモンは彼に任せ、自分はアンリエッタの護衛に集中することができる。そう思ったのだ。
 だが、


 「サイトさん! 早く、お兄様の元へ!」


当の女王は、必死の形相でサイトにそう言った。自分にかまわず、アレクのところに行ってほしい、と。


 「だ、大丈夫ですよ、姫様。アイツなら、あんなオッサン……」


 不思議に思いつつも、サイトはそう語りかける。
 おそらくは、万が一にもアレクの身に危険が及ぶことを危惧しているのだろう。心優しいこの姫君ならば、あり得ないことではない。


 「そうではありません! 危険なのです! 今のお兄様は……!」


 だが、アンリエッタはなおもそう叫ぶ。今にも泣きそうな、そんな表情で。
 そんな若き女王の言葉の意味を理解できず、少年は戸惑うばかりである。


 「……マリィ・アン・ド・ワネット・ド・ルーヴェルディという名を、覚えていますか?」


 サイトが混乱の表情を見せる中、まるで地の底から響くかのようなアレクの声が、大して大きくもないというのに、劇場に響き渡った。
 白銀の前髪が垂れ、少年の表情をうかがうことはできない。


 「…なんの話だ……?」


 問いかけられたリッシュモンは、疑問符を浮かべている。が、実際には、アレクの言葉など、半分も耳に入っていない。
 頭の中では、どうやってこの状況から逃げおおせるかを、必死に考えていた。
 相手は若造とはいえ、ハルケギニア最強とも目されている魔法の使い手だ。経験ではこちらに分があるが、勝てるかどうかは五分と五分。ここは、下手に相手をせずに隙を見つけて逃走に専念した方が得策だろう、と。


 「……?」


 舞台に緊張感が漂う中、サイトはふと自身の目をこする。腰まであるアレクの銀髪が、風など吹いていないというのに、一瞬ふわりと逆立ったように見えたからだ。


 「…そうかですか……」


 結論から言って、それは見間違いなどではなかった。しかしこの時、彼はまだ気づくことができないでいたのだ。三つ編みが立ち上ったその瞬間、銀糸の奥に隠された少年の瞳が、どす黒い憎悪と憤怒に塗りつぶされていたことに。


 「…覚えていないというのなら……今ここで! 思い出させてくれるッ!!」


 そして、その心情を表すかのように、それまで穏やかだった少年の口調と雰囲気が、突如として一変した。


 「ぐあぁああぁああぁああッ!?」


 突然の事態に頭がついていかずに一瞬怯んだリッシュモンが右足に激痛を覚え、醜い絶叫を上げながら舞台の上でのた打ち回る。
 彼の右の太ももには、人の腕ほどの太さはあろうかという氷の槍が、深々と突き刺さっていた。


 「聞くに堪えない醜い悲鳴だ……。貴様の本性が透けて見えるようだぞ。
  なあ? リッシュモン……!」


 淡々と、まるで汚物でも見るかの如くに冷たい視線で、反逆者を文字通りに見下ろすアレク。
 どうやら、氷の槍は彼が魔法で作り出したモノであるらしい。いつ杖を振るったのか、腕の振りすら速すぎて、誰にも認識できなかった。


 「お…おのれぇえぇええええ!!」


 足を襲う激痛から油汗を額ににじませながらも、リッシュモンは怒りの形相で杖を振るう。
 せめて一太刀、この若造に浴びせなければ。その一心で作り出した炎は渦を成し、少年の細身を瞬く間に包み込んだ。


 「きゃあああぁああぁあ!?」

 「アレク!!」


 その様子を見た誰もが、少年の死を予想した。
 近くにいたルイズは悲鳴を上げ、サイトも目を見開いて名前を叫ぶ。
 だが、


 「……この程度か……」

 「バ…バカなっ!?」


彼は、生きていた。
 それどころか、その身はおろか纏う衣装すら焼け焦げている様子がない。


 「この程度の輩が……彼女を…マリィをっ……!」

 「ほ、炎に焼かれ……なぜそんな平然と……」


 燃え盛る炎に全身を包まれているにもかかわらず、神童は平然と立っている。
 リッシュモンが、顔を青く染めてヨロヨロと後ずさった。足を襲う痛みとは別の意味で、背中を冷たい汗が伝う。


 「あぁあぁぁあぁぁああああぁぁああッ!!」


 少年は、のどが張り裂けんばかりに叫んだ。
 憎悪、憤怒、様々な負の感情がない交ぜになったようなオーラが彼の身体から立ち昇り、リッシュモンの放った炎を巻き上げる。
 それは、暴れ狂う三つ編みの上で、巨大な火球へと変貌を遂げていった。


 「バカな……バカな……!」


 もはや、足を襲う激痛など感じない。
 恐怖。圧倒的なまでの恐怖。反逆者の瞳には、それしか映っていなかった。


 「バカなぁああぁあああぁあ!!」


 少年が杖を振るい、赤から青へと変色した燃え盛る火球がリッシュモンを襲う。
 年老い、深手を負った反逆者に逃れる術など無く、彼は断末魔の絶叫と共に炎の中へと飲み込まれていった。


 「す、すげぇ……」


 サイトは、いや、その場にいるすべての人間が、その光景に息をのんだ。
 壇上には、ブスブスと黒煙を上げているリッシュモンと、服にススすらついていないアレクのみ。かろうじて生きているのか、老体は手足を痙攣させている。
 勝敗は、火を見るより明らかだ。


 「……水の精霊よ……」


 アレクが再び杖を振るい、リッシュモンの身体が光に包まれた。焼け焦げた身体や、槍に貫かれて血を流していた足が、見る間に回復していく。
 どうやら、治癒の魔法をかけたらしい。明らかに致命傷であったのに、凄まじい回復力だ。
 先ほどの口調や容赦ない攻撃が気にかかったが、罪人に対してもこうして慈悲を忘れない辺り、やはりアレクはアレクなのだろう。
 と、サイトが半ば納得していたその時、


 「エアカッター」

 「ギャァアァァアァァアアァアッ!!」

 「なっ……!?」


治療が終わったリッシュモンに対し、アレクは再度杖を振るったのである。
 空気の刃が奔った次の瞬間、リッシュモンの体から大量の鮮血がほとばしった。全身を幾重にも切り裂かれ、反逆者は悲鳴と共に壇上に崩れ落ちる。
 大量の血しぶきが舞台に飛び散り、場は騒然となった。事実サイトも、あまりの事態に目を見開いている。


 「な、何やってんだお前!?」


 コレは、あまりにもやり過ぎである。
 サイトは咄嗟にアレクの下へ駆け寄ろうとするが、


 「来ないでください!!」


少年のその言葉に、思わず足を止めてしまった。


 「これは、ボクの問題です! あなたには、関係のないことだ!!」

 「な、何言ってんだよ! お前、なんかおかしいぞ!?」


 少年2人の叫び声が、劇場にこだまする。


 「この男は、ボク達(・・・)の人生を無茶苦茶にした! これは、当然の報いだ!!」


 周りの人間は、わけが分からないと言った様子で、ただ呆然と立ち尽くすことしかできない。
 ただ1人、アンリエッタだけが、苦痛に耐えるかのように表情を歪めていた。


 「初めから、信じてなんかいなかったさ!
  あの聡明なルーヴェルディ伯爵が、謀反を企てたなんて!
  誰よりも優しかった彼女が…マリィがそれに加担しただなんて!!」

 「ぐわぁああぁぁぁぁあぁああっ!!」


 怒りに燃えるエメラルドの瞳が、憎悪の光を宿して見開かれる。
 同時に杖が横薙ぎに振るわれ、赤く染まったリッシュモンの身体が再び炎に包まれた。


 「ま、まさか…5年前の反逆って……」


 瞬間、ルイズは直感で理解した。彼の言葉の真意を。そして、彼の行動の理由を。


 「……そうです。
  5年前の、ルーヴェルディ伯爵親子の謀反は、全てリッシュモンがでっち上げた、偽りの罪状でした」

 「なっ……!?」


 アンリエッタが、親友の予想を肯定し、その言葉にサイトは目を見開く。
 5年前、アレクの婚約者であったマリィという少女と、その父であるルーヴェルディ伯爵は、国家に反逆を企てたとして処刑されたと聞いている。その処刑が、なんと目の前でのた打ち回っている裏切り者の陰謀だったのだ。
 故に、アレクの取る行動はただ1つ。
 すなわち、


 「こんなモノで終わったと思うなよ! この下衆がぁああッ!!」

 「ごはぁあぁああっ!!」


憎い仇への、復讐である。
 壇上からせり上がった石と氷の槍が、想像を絶する激痛に転げまわっている黒焦げの反逆者の腹を貫いた。腹から、口から、大量の鮮血が噴水のごとくに辺りに飛び散る。


 「……なぜだ……」


 いったん、少年の口調がわずかながらに落ち着きを取り戻した。
 言葉と同時に杖を振るい、瀕死の老体がまたしても見る間に癒えていく。


 「なぜ、彼女を殺した……」


 しかし、それは所詮、嵐の前の静けさにすぎない。いや、すでに荒ぶる嵐がこの場に訪れている以上、それは局地的な空白地帯。いわゆる、台風の目のようなモノなのだろう。


 「…野に咲く花が大好きで、春の風のように優しかった彼女を、なぜ殺したのかと訊いているッ!!」

 「ぎぃあぁあぁぁああぁあぁあぁああっ!!」


 その証拠に、彼の口調は再び憎悪にまみれ、杖を振るうと同時に、リッシュモンは上空より降り注ぐ無数の剣によってその身を貫かれた。
 すでに戦意を失った老人が相手だ。一撃で殺すこともできるだろう。しかし、彼はあえてそれをしない。恐怖と激痛を味わわせつつ、決して死なず、気絶もできない、そんな微妙な力加減で嬲り続ける。


 「答えろ! なぜ彼女なんだ! なんで彼女が死ななければならなかった!!」


 アレクは吠える。本能のままに、荒野を駆ける獣のように。5年もの間溜めこんでいた感情を、一気に吐き出さんとばかりに。
 憤怒と憎悪と怨嗟と悲哀。ありとあらゆる負の感情をまき散らしながら、際限なく殺害と蘇生を繰り返す。その回数はすでに、100にまで届いているかもしれない。その様に、その場の誰もが恐怖を抱かずにはいられなかった。


 「も、もうおやめくださいお兄様!」


 その時、悲痛に顔を歪めながら、アンリエッタが叫んだ。
 分かっていたのだ。こうなることは、ずっと前から。
 この少年は5年前からずっと、婚約者とその父親の無実を信じ、真実を探し求めていた。自分の屋敷に蓄えられた書物を読み漁り、直にルーヴェルディ領に足を運んで調査を行った。それこそ、夜も満足に眠らず。
 カトレアの治療とスケジュールを合わせながらの無茶に耐えきれず、過労から倒れたこともあったが、それでも彼は止まらなかった。
 そのかいもあって、ほんの1年前、真相と黒幕の正体を突き止めたのだが、時すでに遅し。かき集めた証拠の数々は4年という歳月の中で風化し、まったく意味をなさないモノになってしまっていたのだ。
 さぞや地獄の心地だっただろう。想い人にありもしない罪を着せ、死に至らしめた仇敵がすぐそばにいるのに、手をこまねくしかない毎日は。
 その地獄から逃れるかのように、彼はなおも奔走した。サイトとルイズの微妙な関係を楽しげに見守る間も、ただひたすらに。ただただ、想い人の復讐のために。


 「充分です!」


 そんなアレクを見かね、アンリエッタも数年前から独自に調査を始めた。復讐に駆られる兄の代わりに、自分が断罪するために。兄の手を、血で汚さないために。幸いにも、リッシュモンに恨みを抱くという女性が、自分の腹心の部下にいたので、人手には困らなかった。
 しかし、そんな努力も、今となっては無駄になってしまった。最初から、無理だったのかもしれない。『国王の快刀』とたたえられ、『博学』とまで謳われたアルバート・ラグの忘れ形見を相手に、出し抜こうなどと。
 その証拠に、地獄絵図は今もその絵柄を変え続けている。


 「これ以上は、もう……!」


 リッシュモンが死んでしまう。若き女王は必死にそう叫んだ。
 いくら罪人とはいえ、いくら仇とはいえ、裁判にもかけずに虐殺するのは、たとえ王族といえども許されることではない。
 そして何より、愛する兄の手がこれ以上血に塗れるのを、見ていられなかったのだ。


 「かまうものか! こんなクズの命の1つや2つ……!
  彼女が…マリィが味わった苦痛と絶望は、こんなモノではない!!」


 しかして、そんなアンリエッタの訴えにも、アレクは意を介さない。もはや彼の瞳には、法律も、道徳も映っていないのだ。
 闇の中を奔走し続けてきた少年にとって、この状況はまさに棚からボタモチなのだろう。今ならば、5年前の所業の証拠がなくとも、『反逆者』としてリッシュモンを葬ることができる。
 凄まじい形相で杖を振るう銀色の鬼と、彼の掌の上でただただ弄ばれる、哀れな反逆者。まるで悪夢である。
 リッシュモンの部下も、銃士隊のメンバーも、壇上で繰り広げられるあまりにも凄惨な光景に、誰もが思わず目を背けた。
 だが、次の瞬間、


 「もうやめろ!」


再度振るわれようとしていたアレクの右腕は、いつの間にか彼の背後まで駆け寄っていたサイトの左手によって、がっちりと止められていた。


 「お願い、杖を収めて……!」


 視線をわずかに映してみれば、死に体の反逆者の向こう側にいるルイズも、気丈に杖を構えている。
 表情が硬く、カタカタと手や足を震わせているのは、仕方のないことだろう。銀髪を逆立て、激情をまき散らす今のアレクを見れば、たとえ歴戦の戦士であろうとも恐怖を抱く。それが貴族の令嬢ともなれば、なおさらだ。


 「……なんのおつもりですか……?」


 常に優しげな光を放っていた目を刃のように鋭く細め、アレクは背後の少年を睨みつける。


 「それはこっちのセリフだバカ! いくらなんでも、やりすぎだっての!!」


 しかし、そんな敵を見るかのような視線にも怯むことなく、サイトはなおも叫んだ。2人の間に、なんともいえない緊張感が走る。


 「やりすぎなどでは断じてありません! これは、当然の報いです!!」

 「またそれかよ! いー加減に目ぇ覚ませ!!」


 サイトとアレク、2人の少年が唾をまき散らさんばかりに怒鳴り合う。
 こんな光景を、いったい今まで誰が見ただろうか。これが、出会ったその瞬間から意気投合していた2人の、事実上、初めてとなる口論だった。


 「とっくに覚めています! 間違いだったのです!
  身分、立場…そんなくだらないモノに囚われ、ボクは彼女を、大手を振って愛することができなかった!!」


 婚約を秘密にし、彼女との関係は表向きには一切ないと装った。それが、王家の者として、その跡取りとして正しい、ギリギリの判断だと両親から教えられたから。
 だが、それは間違いだった。彼女は姦計によって反逆罪に問われて処刑され、自分は何もなかったかのようにのうのうと生きている。
 もしかしたら、婚約を公にしていれば違っていたのかもしれない。彼女がつまらない謀略の餌食になることも、死ぬこともなかったのかもしれない。少なくとも、自分は彼女と共に死ぬことができた。
 結果論だと、言ってしまえばそれまでだが、そう考えずにはいられないのである。


 「ボクは彼女の墓前に誓った! 自分に正直に生きると! 必ず、彼女の仇を取ると!!」


 もう、同じ過ちは起こさない。自分を信じ、彼女を信じ、少年はひたすら歩み続けた。あれから5年、地道に情報を集め、そして、やっとここまでたどり着いたのだ。


 「あなたが同じ立場ならどうだ!
  ある日突然! 愛する人が汚名を着せられ、殺されて! 黙っていられるのか!!」


 マリィは民衆の前で、まるで見世物のように殺された。そんなことを、許容できるわけがない。5年も昔の過ぎたことだと、水に流せるわけがない。もしもそんなことができるなら、それは愛などではない。
 果てしない怨嗟と、とどまることを知らない殺意をまき散らしながら、少年は叫ぶ。


 「…確かに、ルイズがそんな目にあったら、オレだって黙っちゃいられねぇ……」


 そんなアレクの心中に感化されたのだろうか。サイトは俯き、細々と言葉を紡ぐ。


 「それこそ、やったヤツをぶっ殺してやりてぇって、思うのかもしれねぇ……」


 確かに、復讐を選んだ彼のその感情は当然だろう。自分にとって大切な人をそのような目にあわされて、黙っていられる方がどうかしている。誰にも、アレクの選択を否定することなどできない。
 しかし、


 「だけどな! 今の自分の顔を、よく見てみやがれ!!」


少年は、そう言って右手にある舞台のセットをビシリと指差した。
 そこにあったのは、劇で使われていた大きな鏡。


 「お前はその顔を、そのマリィってコに見せられるのか!?」

 「……ッ!?」


 瞬間、アレクは息をのんだ。曇りなく光を反射する鏡面(そこ)に映っていたのは、悪魔のような形相の、変わり果てた自分の姿だったのだ。
 深くクマの刻まれた瞳に宿っているのは、想い人への愛情ではなく、仇敵への憎悪。その手に握っているのは、思い出の詰まった指輪のペンダントではなく、返り血に濡れた杖。
 リッシュモンを憎むあまり、彼は気づかぬ内に婚約者への愛情というよりも、仇への復讐心で行動していたのである。


 「そのコがお前との関係を黙ったまま死んでいったのは、お前にそんな顔をしてほしかったからなのか!?」


 親友の言葉が、深々と心に突き刺さる。


 「お前に、このオッサンと同じ、『人殺し』になってほしかったからなのか!?」


 瞬間、あの日の少女の笑顔と言葉が、少年の脳裏にフラッシュバックした。


 「ぅ……ぅうわぁあぁあぁあぁああぁああっ!!」


 サイトの腕を振り払い、アレクは杖を横薙ぎに振り抜く。まるで、何かから逃げるかのように。


 ドオォオオォォオォオオオン!!


 耳をつんざく轟音と、思わず目を覆ってしまうほどの閃光。直撃を受ければ、人の形など、欠片も残らないだろう。
 しかして、粉々に吹き飛んだのは反逆の徒ではなく、修羅をその身に映していた、舞台のセットであった。周りにあった背景の壁も、激しく燃え盛っている。


 「…分かっていたんだ……復讐(こんなコト)に、意味がないってことくらい……。
  こんなことを…彼女は望まないってことくらい……」


 力の抜けた手から、杖がするりと抜け落ち、床を跳ねた。


 「でも……それでもっ……!」


 耐え切れなかった。
 彼女を失ったことへの、どうしようもない悲しみに。一番大事な時に、そばにいることすらできなかった後悔に。
 許せなかった。
 自身の出世のために、彼女を奪ったリッシュモンが。そして何より、彼女を守れず、亡骸を抱くことしかできなかった自分の無力が。


 「うっ……ぐぅ……っ」


 糸の切れた操り人形のようにその場にへたり込み、少年は嗚咽交じりに涙を流す。
 サイトとルイズはその姿を、ただただ見つめることしかできない。常に笑顔を絶やさない天才少年が初めて見せた負の一面を前に、かける言葉など、2人は持ち合わせていなかったのだ。







 湖畔の水面に、2人の姿が映り込む。


 「だって……
  貴族・平民の区別なく、慈愛に満ちたお心を向けられるあなた様だからこそ、
  わたくしは伯爵家の娘などではなく、1人の女になれるのですから」


 互いに抱き合い、湖に映った2つの影は、やがて1つに重なっていく。
 波1つない穏やかな水面が、仲睦まじい恋人達を、どこまでも優しく見守っていた。

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