小説『ゼロの使い魔 〜虹の貴公子〜』
作者:荒唐井蛙()

しおりをはさむ/はずす ここまでで読み終える << 前のページへ 次のページへ >>

 騒動も一段落した劇場の前で、アレクは石段に座り込み、ただただ俯いていた。
 再び降り始めた雨によって、髪も服もぐっしょりと濡れてしまっているが、そんなことなど毛ほどにも気にしていない。
 彼の中では、どうしようもない後悔と自責の念が、嵐のように渦を巻いているのだ。


 「…いい加減に元気出せよ。
  とりあえずはお前のおかげで、なんとか片付いたんだからさ」


 頭をガシガシと掻きながら、サイトが後ろから、バツが悪そうに語りかける。
 あれから、リッシュモンは生きたまま御用となった。一時は瀕死の状態にまで追い込まれていたが、アレクが水の魔法で治療を施し、一命を取り留めたのだ。
 とはいえ、断続的に激痛を味わわされた精神的なダメージは大きく、もはや廃人になりかかっていたのだが。
 ちなみに、彼と密会していた口髭の男は、混乱に乗じて逃げようとしていたところをジュリオが捕まえたらしい。なお、男はアルビオンのスパイであることが、その時に判明した。たまには役に立つイケメンである。
 何はともあれ、めでたしめでたし、のはずなのだが、1番の功労者は先ほどからずっとこの状態。理由が理由だけに、仕方ないと言えばそれまでだが、サイトはどうにも、この少年が放っておけなかったのだ。


 「……ダメですね…ボクって……」


 ポツリと、アレクが小さく呟く。蚊の鳴くようなその声は、ともすれば雨音に掻き消えてしまいそうだ。


 「結局は…自分が納得したいだけだったのかもしれない……」


 『想い人の復讐』というオブラートに包みこんで、生きたまま死の地獄を永遠に与え続けるという、殺人すらかすんでしまうような悪魔の所業を、正当化しようとしていた。
 『マリィのため』と言っておきながら、その実態は彼女への愛ではなく、仇への復讐心に駆られての行動だった。
 彼女は最期の最期まで、自分のことを愛し、自分のことを想って死んでいったというのに。アレクは自分を恥じた。穴があったら入りたいくらいだ。


 「彼女は、よく言ってくれました……。
  『平民・貴族に分け隔てなく、慈愛をもって接するボクが好きなんだ』、って……」


 口元に悲しげな苦笑を浮かべて、屈託のない少女の笑顔と、先ほど鏡に映った自分の形相を思い出す。
 お笑いである。彼女の愛した慈愛溢れる貴公子が、いったいどこにいたというのだろうか。そこにいたのは、紛れもない修羅。
 今も、目に映るこの両手が、血でべっとりと汚れているような錯覚すら覚える。


 「…もしかしたら最初から…ボクは彼女を愛する資格も、愛される資格もなかったのかもしれない……」


 グッと両の拳を固く握りしめ、目を強くつぶりながら絞り出すかのように呟くアレク。
 自分は彼女が愛した、慈愛の心を持った聖人君子などではなかった。むしろ、憎悪と怨嗟にまみれて薄汚れた、醜い復讐者だったのだ。
 そんな自分が、清らかで優しかったあの少女を愛していいわけがない。愛されていいわけがない。


 「…そうだ……ボクなんかが愛したから……だから彼女は……」


 コレは、不釣合いな恋をした自分への、神からの罰なのだ。そうに違いない。
 なんということだ。彼女は、そんな自分のとばっちりを受けたのだ。自分さえいなければ、自分が愛しさえしなければ、彼女は死なずに済んだ。自分が殺したも同然だ。
 頭を抱えて、アレクは荒い息遣いでぶつぶつと呟く。
 もはや、彼のネガティブ思考は留まるところを見せない。
 しかし、


 ゴッ!


 「いーかげんにしろ」


永遠に続くかと思われた破滅へのループは、そんな鈍い音と、呆れたと言わんばかりのサイトの声によって、アッサリと断ち切られた。







〜第45話 『雨のち曇り』〜







 周りにいた衛兵達は、あんぐりと口を開けている。何しろ今この少年は、事もあろうに一国の女王の側近頭の後頭部を拳で打ち据えたのだから。というか、先ほどなどはドサクサに紛れて『バカ』とまで言ってのけたのだ。
 平民に許された許容範囲を明らかに逸脱したその言動に、幾人かの兵がサイトを取り押さえようと動こうとしたのだが、アンリエッタの手に止められた。


 「言ったろ?
  オレだってルイズが殺されたら、仇を取ってやりてぇって思うかもしれない、って」


 後頭部を押さえながら目を丸くして見つめるアレクを尻目に、サイトはため息交じりに語りかける。
 たとえ、それを少女が望まないとしても、仇に復讐するかもしれない。少なくとも、ただ冷静ではいられないだろう。
 だが、


 「それってさ、やっぱり好きだからじゃねぇのかな……?
  好きで好きで、しょうがねぇからじゃねぇのかな?」


その時、心を突き動かすのは、本当に仇への憎悪だけなのだろうか。それは想い人への、愛ゆえではないのだろうか。そうでもなければ、そこまで憎しみを抱くことはないだろう。


 「少なくとも、お前はそのマリィってコが好きだったんだろ?
  んで、そのコもお前が好きだった……」


 瞬間、アレクの顔面が、ボンッと音を立ててユデダコのように赤く染まった。
 そうだ。自分は彼女を愛していた。一緒にいると楽しくて、つい時間を忘れてしまうほどに。その顔を見るだけで、その声を聴くだけで、胸が高鳴り、あわや気絶するのではと思えるほどに。
 それほどまでに、自分は彼女を愛していた。それは、変えようのない事実だ。


 「それを好きになっちゃいけなかっただのなんだの…その子が聞いたら泣くぞ!?」

 「!!」


 正直、恋愛経験も人生経験も少ないサイトは、この手の説教が得意ではない。だが、その一点だけは胸を張って言えた。
 アレクがマリィを愛したことを、そしてマリィがアレクを愛したことを彼が後悔すれば、彼女はきっと悲しむ。
 親の反対を押し切ってまで無理やりに婚約を交わした相手が、自分との愛を否定するなど、これほど悲しいことがあるだろうか。それこそ、場合や人によっては死よりも残酷である。


 「いいじゃねぇか。
  お前は結局、あのオッサンを殺さなかった」


 厳密に言えば、アレクの手はまだ、汚れてはいない。憎しみという名の泥沼にはまりかけたが、目の前の友人が引っ張り上げてくれたから。


 「その子が死んだのだって、全面的にあのオッサンのせいだ。
  お前が好きになったからじゃない」


 人を愛して、そのせいで人が死ぬなんて、そんな救われない事実があってたまるものかと、サイトは苦笑する。


 「お前はただ、好きだった女の子のために、ひたすら生きてきただけだ。
  まあ…ちょっと、やりすぎたかもしれねぇけどさ……」


 形と手段はどうであれ、アレクは愛のために5年の歳月を費やしてきたのだ。それを責められる者など、誰もいない。否定できる理由など、何もない。


 「今は、それでいいんじゃねぇかな……」

 「〜ッ!!」


 もはやアレクは、涙をこらえることなどできなかった。
 声にならない泣き声を上げ、その場に崩れ落ちる。その身体を、無二の親友が優しく抱き留めた。
 彼は、自分の汚れた生き様を否定しなかった。それどころか、大いに賛同できると、肯定までしてくれた。


 「ごめっ…なさい……!」


 でも、やはりそれは間違っていたのだと思う。
 あんな男を苦しめたところで、マリィの苦しみがなかったことになるわけではない。あんな愚物を殺したところで、優しかった彼女が生き返るわけでもない。
 生きている人間が死んでしまった人間にできること、それは力の限りに泣くことと、その人の分まで幸せを手に入れること。それしか、ないのだ。


 「ごめん、なさぃッ……! ごめんなさいっ……!」


 壊れた人形のように、誰にでもなく謝罪の言葉をかすれた声で叫び続ける。
 『どうか、お幸せに』。彼女からの最後の手紙に記されていた、最後の1行だ。彼女もまた、復讐ではなく残された自分の幸福を願っていたのだ。
 5年間も気が付かなかった。バカとしか言いようがない。自分は、どうしようもない大バカ者だった。
 少年の泣き声を掻き消さんばかりに、雨音がさらに激しさを増していく。まるで、彼の悲しみと絶望を、洗い流していくかのように。







 「おはよう」


 少女の第一声は、そんな朝の挨拶だった。


 「おはようございます。ミス・タバサ」


 いつものように書物庫で顔を合わせた小さな少女に、アレクはにこやかに返す。


 「今日はどのような本を……?」


 見たところ、本を持っている様子はない。これから探しに行くところなのだろうか。
 そうであるならば、挨拶のためにわざわざ話しかけてくるあたり、自分の認識以上に律儀な少女である。失礼ながら彼女は、あまり人と話したがらない性格だと思い込んでいた。


 「…今日は、あなたと話しに来た」

 「ボクと……?」


 そんなタバサの返答に、アレクは小首をかしげる。
 はてさて、いったい何用だろうか。


 「アルビオンに行くって、本当?」

 「…耳が早いですね」


 少女の問いかけの内容に、驚きを隠せないアレク。
 確かに彼女の言う通りだ。
 リッシュモンの件から数日、アルビオンとの戦が最近本格的になり、トリステインと同盟国・ゲルマニアの連合艦隊が大陸の港へと侵攻を始めたのである。


 (…正直、あまりいい気分ではありませんがね……)


 声に出すことなく、少年は愚痴を漏らす。
 一時期、アンリエッタとウェールズの関係が漏れたことで、土壇場で撤回された同盟ではあるが、数ヶ月前に話が再び浮上したのだ。
 どうやら向こう側としては、2人の関係はさほど問題ではなく、『弱小国(トリステイン)強国(アルビオン)に目をつけられた』、という事実の方が重要だったらしい。要するに、同盟を結んだ小国の巻き添えで強国に睨まれてはかなわんと、こういうことだ。
 だが、フタを開けてみれば、待っていたのは予想外の展開。『神童』と『奇跡の力』を有した小国は、タルブに降り立ったアルビオンの艦隊を見事に撃退した。そこで、掌を返したかのように再び同盟を持ちかけてきたのである。


 (まったく…これだから貴族の社会は……)


 調子のいい話だが、外交とは元来そういうモノ。所詮は利害関係と懐の探り合いの場だ。大国と剣を交えようという時期に湧いたこの話は、トリステイン側としてもマイナスではない。国を束ねる立場にいる以上、個人の意見よりも大衆の利益を優先しなければいけないことも確か。結果、アレクとしては若干納得できないまま、両国は改めて手を結んだのである。
 なお、今回の同盟は以前とは違い、純粋に軍事的な代物。トリステイン女王とゲルマニア皇帝の縁談話は、完全にお蔵入りとなった。その辺り、ゲルマニア側も気まずいモノは感じているようだ。そのことに胸をなでおろした幼馴染2人と、その使い魔及び親友がいたことは、また別の話。
 話を戻すが、上陸した暁にはアンリエッタも自らアルビオンへ赴こうと用意をしているらしい。彼女のことだ。数万の兵に命がけの戦いを命じる以上、自分だけが安全圏でのほほんとしているわけにはいかないとか、そんな理由だろう。
 そして戦時におけるエルバート家の役目は、トリステイン王家の盾となり剣となること。当然、アレクも彼女の右腕として随伴することになる。まあ、家のしきたりだとかそんなことは関係なしに、彼はアンリエッタを守ろうと、ついて行くのだろうが。
 しかし、そんな情報をなぜ彼女が入手できたのか。


 「銃士隊の、話を聞いた」

 「ああ、なるほど」


 答えは、至極簡単だった。
 女王の近衛隊である彼女達も、アンリエッタに同行する。訓練の合間の雑談でも聞いたのだろう。
 基本的にいつも本にかじりついている少女だが、周りに目が向いていないわけではない。むしろ、普通の人間よりも気を配っているほどだ。器用なモノである。


 「大丈夫?」


 珍しく心配そうな顔で問いかけてくるタバサ。
 なかなか見せないその表情の理由に、少年はしばし考えをめぐらせ、そしてふと思い至った。頭上でピコンと豆電球が点灯する。


 「ええ。もう2度と、彼らにトリステインの土は踏ませません。タルブのようなことは起こらないと約束します。ご安心ください」

 「…そうじゃ、ない」

 「?」


 タバサとしては精一杯の背伸びだったのだが、そこでお約束のボケをかますアレク。いつもはその手の話題に敏感な彼だが、変なところで鈍感だった。


 「失礼」


 と、そこに新たな来客が訪れる。
 金色のショートカットが印象的な銃士隊の隊長、アニエスだ。


 「先日は、お騒がせしました」

 「いえ、こちらとしても助かりました」


 顔を見合わせ、定型文の挨拶を交わすアレクとアニエス。リッシュモン捕縛の夜から、さして日もあいていない。色々と気まずい対面である。


 「リッシュモンの供述によると、『あの事件』を記録した書類は2つ存在するようです」

 「…『あの事件』……?」


 あの夜以降、件の反逆者は取り調べに対して素直に返答しており、かなりの短期間で多くの不正についての裏を取ることができた。なんでも、すっかり老け込んで終始おびえたようであり、まるっきり別人のようにおとなしくなっているのだとか。彼を知る人物などは、あまりの豹変ぶりにそろって首をかしげたという。
 とまあ、そんな話題はさておき、日常の会話もそこそこに、早速本題を切り出してくるアニエス。彼女のまじめな性格がうかがえる。いや、もしくは、ただ焦っているだけなのか。


 「『ダングルテールの虐殺』です」


 瞬間、その場になんとも言えない空気が漂い始めた。


 「そして、その内1つの書類は、あなた様…エルバート家の地下書物庫に保管されているとか……」


 元来、エルバート家は王家を陰から支えるその性質上、多くの秘密文書の類いも保管している。
 彼がリッシュモンの悪事を暴くことができたのも、幼少の頃から屋敷中のそんな書物を読み漁っていたことが、1つの要因なのだ。


 「…あなたはそれを見て、何をするおつもりなのですか?」

 「それは他ならぬエルバート公が、1番に分かっておられるかと思いますが」


 漂う緊張感。普段冷静なタバサですら、頬を汗で濡らしている。


 「……お引き取り下さい」


 息を1つ吐き、アレクはそう返す。


 「仮にも機密書類です。
  いかなる理由があろうとも、一族以外の者においそれと見せてよいモノではありません」

 「…承知いたしました」


 アレクの言葉に、アニエスはアッサリと引き下がった。
 エルバート家に保管されている書類を閲覧するためには、女王の認可状の他に、エルバート家当主である彼の認可状も必要なのだ。分家とはいえ王家に盾突くほど、アニエスも不義理ではない。


 「では、わたくしはこれで」


 そして、選択肢ならば、他にも1つ残っている。
 銃士隊長はアレクに深く頭を下げて、踵を返した。


 「アニエスさん! ボクが言うのは、筋違いかもしれませんが……!」

 「先ほど!」


 そんなアニエスを呼び止めようと投げかけた少年の言葉は、彼女の声によってさえぎられてしまう。


 「リッシュモンの裁判の日取りが決まりました。
  あれだけの罪状です。確実に、死刑が言い渡されるでしょう」

 「!」


 その内容に、少年の中の何かが、ドクンと強く脈打った。
 心のどこかに、安心しているような、喜んでいるような自分がいる。あれから数度日が昇っても、自分は未だ薄汚い感情を宿している。その事実に、アレクは表情を複雑に歪めた。


 「ヤツはあなたの仇でもあった……。その件はあなたに譲りましょう」


 あの男は、アレクによって死にも勝る苦痛を味わったのだ。この手で殺せなくなったのは残念だが、同じくリッシュモンを恨んでいた彼にならば、譲れないこともない。そう、アニエスは小さく呟く。


 「しかし、今回だけは何を言われようとも、譲る気はありません」


 そう言い残し、アニエスは再び歩き始める。
 書物庫の重い扉が開閉する音を、アレクはただ立ち尽くしたまま聞いていた。







 タバサは学院の廊下を、実に軽い足取りで歩いていた。


 「少し…進展……」


 近い内に、アレクはマリィの墓参りに行くらしい。戦地に赴く前に、行っておきたいのだそうだ。
 そこで、自分も同行できぬものかとダメ元で相談してみたところ、なんと快く了承してくれた。1人で行くよりも賑やかだろうし、友達を連れて行けば、土の下で眠る少女も喜ぶだろうから、と。
 彼の妹が来て以来、なんとなくガードが厳しくなって近づきがたくなっていたが、これは久々の好機である。


 「…友達……」


 その一言が、なんとなく嬉しかった。
 どうやら彼の中での自分の地位は、ゆっくりと確実に固まってきているらしい。怪しまれないように、コツコツと努力してきたかいもあるというものだ。


 「このままいけば……」


 自分の望みが叶うその時まで、そう遠くないかもしれない。
 口元を微妙にほころばせながら、少女は廊下の向こうへと消えていった。

-45-
<< 前のページへ 次のページへ >> ここまでで読み終える




ゼロの使い魔 三美姫の輪舞 ルイズ ゴスパンクVer.
新品 \7600
中古 \6435
(参考価格:\7140)