冷たく晴れた冬の空。日の光が降り注ぐ森の中に、ひときわ目立つそれは、静かにたたずんでいる。
「…久しぶりだね、マリィ」
手向けにと用意した花束を供えつつ、巨大な石碑の下に眠る想い人に、少年は静かに語りかけた。
「ごめん……。仇…取れなかった……」
まずは、報告だ。あの日、ここで宣言した誓い。その結果を。
情けないことだが、必ず果たすと誓った復讐は、実行直前に友人によって阻まれてしまった。自然と、謝罪の言葉が口からこぼれる。
「でも…どうしてかな……。今は、これでいいと思えるんだ……」
だが、自分でも不思議なことに、少年の表情はこの空のように晴れ渡っていた。
誓いを破り、想い人の仇に情けを掛けておいて、何を言っているんだと、自分で自分に呆れ返る。しかし、それでも、
「あそこでリッシュモンを殺していたら、ボクはきっと…君に会えなくなっていただろうから……」
そう、思うから。
全てに納得したというわけでは、もちろんない。サイトの言い分も、聖人が語る綺麗ごとだと思っている自分が、心の片隅にいるのも確かだ。
だが、憎しみのままに彼を殺し、仇を討ち果たしたとして、果たして自分は今のように穏やかな心で、マリィの墓前に来ることができたのだろうか。彼女の婚約者であり、彼女が唯一愛した男だと、胸を張って言えただろうか。
答えは、否だ。
「こんなことに、今さら気づかされるなんて……この5年間、ボクは本当に何をやっていたんだろうね……」
冷静に考えれば思い至りそうなこの事実に、5年もの間気づかなかった。いや、かの少年がいなければ、仇を殺し、ここに足を運ぶその瞬間まで、気づかなかったに違いない。どれだけ感謝しようとも、足りることなどないだろう。
思えば、今まで押し寄せてきた幾多の危機や試練の傍らに、あの少年がいた。タルブに彼が駆けつけてくれなければ、今頃自分はここにはいない。アンリエッタが誘拐されたあの時も、サイトがいなければ、はたして女王を連れ戻せたかどうか。
今さらになって、自分の中で、かの少年の存在がどれだけ大きく、そして重要なモノになっていたかを思い知る。
「本当に、ダメだなぁ…ボクって……」
『神童』、『奇跡の子』、幼い頃から周りは自分をそう呼んだ。『4つの系統魔法を扱える』、たった、それだけで。
周囲からの多大な期待に応えるべく、少年は日々研鑽を積んだ。人の倍訓練に打ち込み、人の倍書物を読み漁る毎日。
絶対なる力と技術と知識を手に入れ、それを持って国王を支え、民を守り、国を興す。それこそがエルバート家次期当主であり、『天才』とたたえられる自分の義務だと思ったから。
結果として、齢も10になる頃には幾多の伝説を打ち立てていた。村を襲った野生のドラゴンの群れの駆除。国内を騒がせていた盗賊団の討伐。不正を働く貴族の捕縛。枚挙にはいとまがない
「本当に…ダメだ……」
しかし、そんな彼にも絶望のとばりが降りる。
どれだけ才に恵まれようとも、どれほど努力を積もうとも、越えられない一線。その存在を、垣間見てしまったのだ。
きっかけは、想い人の死。心の中でくすぶっていたそれは、親友の死によって確かなモノとなった。
自分は、周りがはやし立てるような大それた存在ではない。人間なのだ。人並みに弱く、人並みに迷い、人並みに過ちを犯す、ただの人間だ。
こちらを羨望と尊敬の眼差しで見てくる幼馴染の少女とその使い魔の方が、よほど輝いて見える。
「…でも、だからこそ」
こんな自分にも、できることがある。
「近い内に、ボクはアルビオンに行くよ」
悲しげな笑顔で、少年は告白する。
艦隊は未だに、かの大陸への上陸を果たしてはいない。しかし、近々、大規模な上陸作戦が決行される予定だ。そこで、この膠着状態も決着がつくだろう。その時を見計らい、アンリエッタがかの地へ降り立つ予定になっている。当然、自分も。
もちろん、罪なき人々を殺めることに、抵抗がないわけではない。それでも、これ以上大切なモノを失うよりは、ずっといい。
想い人を守れなかった。親友すら救えなかった。それでも、いや、だからこそ、やらなくてはならないのだ。『エルバート家当主』としてではなく、『アレクサンドラ・ソロ』という、1人の人間として。
「…………」
そんな少年の背中を、1人の少女がメガネ越しに見つめていた。悲しそうな、不安そうな、色々な感情がない交ぜになったような、そんな眼差しで。
〜第48話 『よろしく』〜
ドゴゴゴゴゴゴゴゴン!!
日も高く昇った魔法学院の女子寮。その一角に、ドアを叩き割らんばかりに連打する音が、けたたましく鳴り響く。
「開けやがれ! いるのは分かってんだ!
今ならまだ情状酌量で半殺しに負けてやるから、そのマチガイちょっと待ったぁあぁあぁぁぁあぁあっ!!」
可愛らしい声質にひどくドスを利かせて、とんでもなく物騒な交渉を大音量でする少女。その姿を見かけた者は、すべからくこう尋ねるだろう。
「…アリス、エレオノール姉さまの部屋の前で何やってるのよ……」
と。
いい加減、この少女の奇怪な言動にも慣れてはきた。が、真っ昼間から、あの恐ろしいヴァリエール家長女の部屋に文字通り殴り込むなど、声の主である桃色ブロンドの少女はもちろん、その隣に控える使い魔の少年ですら、さすがに若干あきれ顔だ。
「どうもこうもねぇ!! あの女、とうとうやらかしやがった!!」
一応、こちらの質問に答えるくらいの理性は残っているようだが、それももはやわずかばかりのようだ。言葉づかいに、まったくの遠慮がない。
「やらかした……?」
今度はサイトがアリスの発言に疑問符を浮かべる。
エレオノールは、妹であるルイズ以上に激しい気性と、少しばかり過激なお仕置きに定評がある、ここトリステイン魔法学校の特別教師である。が、ある程度の常識をわきまえた女性であると彼は認識している。少なくとも、魔法の使い方云々で末妹に説教をくれる程度には。
そんな彼女が、いったい何をやらかしたというのだろうか。
「朝から兄様の姿が見えねぇんだ! あンの27歳独身がさらったに決まってる!!」
彼女の兄であるアレクは基本、授業のない日の午前中は優雅なティータイムとしゃれ込んでいる。しかしながら今日は、中庭にも、自室にも、学院のどこを探しても見つからない。
彼女はこう結論付けた。この学院にいる女の誰かが、彼を誘惑すべくいずこへとさらったのだ、と。
こうなると、後は消去法である。
アレクに好意を持っていると思われる女生徒達には、すべからくトラウマレベルの調教を施しているため、このような大それたことをしでかすとは考えにくい。
生徒以外で若い女性といえばヴァリエール家の姉2人であるが、次女の方は性格から考えてまず違う。
となれば、残る容疑者は長女のみ。爆弾な言動を日常的に繰り返している婚期に焦った色ボケ発情女ならば、既成事実をこしらえようとコトに及んでも不思議はない。
「って! のんきにくっちゃべってる場合じゃねぇ!!」
こうしている間にも、18歳未満お断りなアレコレが扉の向こうで展開されていると思うと、いても立ってもいられない。
少女の手にはどこから取り出したのか、長さにして2メイルはありそうな極太い棍棒が、いつの間にか握られていた。
「な、何する気よアンタ!?」
「見ての通りだ! 扉をぶち抜く!!」
もはや、少女の目には欠片の正気も残っていない。重さにして100キロはあるであろう棍棒を軽々と振りかぶり、突撃準備は万端だ。
「やっやめろ! それはさすがに……!」
「人の部屋の前で何をやってるのかしら?」
「マズイ」。そう叫ぼうとしたサイトの言葉を、南極のブリザードもかくやという絶対零度の声が遮った。
サイトとルイズが壊れた人形よろしくぎこちない動きで首を背後に回すと、そこにあったのは腰に両手を当てて仁王のごとく直立不動の長女の姿。角ばったメガネが光を反射し、正直言ってかなり怖い。
彼女が部屋の外に、しかも手ぶらでいる時点で、アリスの想像は全くの間違いであることは言うまでもないのだが。
「死ぃねぇええぇええぇぇえぇええぇえッ!!」
「って、ぅをぉぉおぉおぉおぉおおおい!?」
すでに理性がぶっ飛んでいる彼女に、それに気づけというのはいささか無理な注文で、コンマ1秒後には棍棒を振りかぶってエレオノールに飛びかかっていた。
サイトがツッコミ交じりに、半ば反射的に少女の両脇に両腕を引っかけて取り押さえるが、あと一瞬でも反応が遅かったらどうなっていたか。間違いなく、猟奇殺人現場顔負けのスプラッタな惨状が出来上がっていたに違いない。
「ぐるるるるるるるるる……!」
「……何この子? 頭をどうかしたの?」
「いや…なんと言いますかそのぉ……」
猛獣よろしく敵意むき出しで唸るアリスと、無意識に挑発まがいのセリフを吐くエレオノール。どうやって事態を収拾しようかと、少年がない頭をフル回転させていると、
「何々どうしたの?」
「うるさいわね」と、文句を垂れながら、赤毛の褐色美女があくび交じりにやって来た。
次から次へと、呼んでもいないのに厄介ごとが舞い込んでくる。今日は厄日かと、サイトは割と本気で胃が痛くなるのを感じた。
「何? 今頃起きたの?」
「昼寝よ昼寝。タバサが出かけてるから、今日は暇でね」
あきれ顔で言ってくれる悪友に、キュルケは心外だとばかりに長い前髪を書き上げながらそう語る。
「珍しいわね。タバサが1人でどこかに出かけるなんて」
ただ、それにはルイズが意外そうに目を開いた。基本的に読書至上主義の彼女は、強引な親友に引っ張られでもしない限り、外出することなど今までめったになかったからだ。
しかし、ルイズ自身気が付いていないのだが、実はこの発言、地雷への第1歩だったりする。
「1人じゃないわよ。アレクと一緒に、墓参りですって」
「「ぬわんですってぇえぇぇぇえええぇぇえ!?」」
案の定キュルケのこの一言に、火花を散らす金と紫がコンマ1秒で反応した。
余計なことを言ってくれたとばかりに、サイトが顔面を手で覆いながら思いっきり肩を落とす。
『墓参り』とはおそらく、タルブの村にあるマリィの墓だろう。アレクがあそこに人を連れていくこと自体驚きだが、今はそれどころではない。アリスとエレオノールに、その場所が知れたらどうなるか。
「…もしかして、余計なこと言った?」
「もしかしなくても、余計なこと言ったわ」
ポリポリと頬を掻きながらのキュルケの問いに、ルイズが深いため息と共にジト目で答える。
どうにもこの女、ことごとくアレクの秘密を他人にバラす運命にあるらしい。はた迷惑な話だ。
「『墓参り』って…まさかマリィ・アンの墓!?」
「だ、誰よそれ!?」
「噂に聞いたことがあるわ……!
お兄様はあの女の遺体を、どこか人目のつかない場所に埋葬したって……!」
「だから! その『マリィ・アン』って誰なのよ!?」
ごまかそうにも、当の2人はすでに軽くヒートアップしてしまっている。加えて、どうやらアリスはアレクとマリィの関係を知っているらしい。興奮しているのか、ベラベラと饒舌だ。めまぐるしい速度で、エレレオノールが知る人ぞ知るアレクの過去と秘密を認識していく。
「どこ!? その墓とやらの場所を教えなさい!!」
「いや〜…オレ、物覚えが悪くて……。よく覚えてないんスよ」
が、さすがにアリスも墓のある場所までは知らないようで、一通りの知識を共有したエレオノールが、少年の胸倉をつかんで迫る。
対して、目をそらしながらしらばくれるサイト。自分達さえ白状しなければ、アレクとマリィの憩いの場が荒らされる心配はなさそうだ。めでたしめでたし。
「素直に白状した方が身のためだぜ? さもなくばデッドorダイ!!」
「死ぬ以外の選択肢がねぇ!?」
とはいかなそうである。
小柄な少女の背後にいつの間にか並んでいる、かなり使い古された拷問器具の数々を前に、割とリアルに命の危険を感じるサイトであった。
「ッ!?」
ゾクリと、背中に言い知れぬ悪寒を感じ、アレクは咄嗟に後ろを振り向く。
「? どうか、した?」
「…いえ。なんでもありません」
しかし、そこにいたのは青いショートの髪にメガネをかけた少女のみ。周りにも、特に危険な気配はない。どうやら気のせいだと、少年は結論付けた。
「…彼女には、なんて……?」
少し呼吸を置いての、そんな問い。
別に彼女も、彼の懺悔にも似た呟きが聞こえていなかったわけではない。ただ、他に贈る言葉が思いつかなかっただけなのだ。自分のコミュニケーション能力の低さを恨めしく思い、少女は小さく歯噛みする。
すると、アレクの顔に苦笑が浮かんだ。変な女だと思われたのかと若干焦ったが、
「…そういえば、彼女にはずっと、謝ってばかりなんですよね……」
そうではなかったようなので、とりあえず胸をなでおろす。
「ホントにダメだなぁ」と笑いながら、少女に手を差し出す少年。
「すっかり忘れるところでした。ありがとうございます」
「…え?」
感謝される理由が分からず、タバサは思わず疑問符を浮かべた。
わけが分からないといった様子の少女を墓石の前へとエスコートし、少年は再び口を開く。
「マリィ、君に、紹介したい人がいるんだ」
木々が風にざわめき、枝葉の影から漏れた陽光が揺れる。
「こちらは、ミス・タバサ。魔法学院で1番初めにできた、ボクの友達だよ」
瞬間、突然の追い風に、タバサの青い髪がふわりと舞い上がった。
「…………」
なるほど。前回来たときは、『竜の羽衣』云々でゴタゴタしていたため、正式な自己紹介をしていなかった。今日はその、仕切り直しというわけだ。つくづく、律儀でマジメな少年である。
少女の口元に、わずかな笑みがこぼれる。
それは、想い人にわざわざ面と向かって『友達』として誰よりも先に紹介されたことへの喜びか。はたまた、敬称に敬語という未だに縮まらない彼との距離感への自嘲か。
いずれにしても、これは期せずして自分に用意された、スタートラインに違いない。
「…よろしく」
呼吸を整え、あらゆる意味を込めたその言葉を、余裕たっぷりに構える墓標へと贈るのだった。