〜第5話 『わずかな1歩』〜
サイトとギーシュの決闘から3日。アレクはホークスを肩に乗せ、講義の開かれる教室に向かうべく、朝の中庭を歩いていた。周りにはちらほらと、同じように使い魔を連れた者達もいる。
そんな中、衣類を山と詰め込んだカゴを抱える見知った少年が、中庭の一角に設けられた水場にたたずんでいるのが見えた。
「……オレも、爬虫類と同類…なんだよな……」
などとぶつぶつ呟き、それはもう盛大に肩を落としている。
「おはようございます、サイトさん」
「ん? ああ、アレクか」
アレクは教室へと向かう足を止め、彼に歩み寄ると、にこやかに声をかけた。サイトもまた、そんな彼の存在に気付くと、笑顔で返してくる。
「少々心配していたのですが……元気そうでよかった。」
目の前の少年の思いのほか元気そうな様子を眺め、柔らかい笑みを浮かべる、銀髪三つ編みの美少年。
3日前、ギーシュとの決闘で見事な逆転勝利を飾ったサイトだが、それまでに受けた傷はあまりに多すぎた。あの後すぐに気を失い、それから今日まで3日間、彼は死んだように眠り続け、全く起きなかったのである。
「おかげさんで。
この前はありがとな。お前のおかげで、負けずにすんだよ」
「いえいえ。ボクは武器を貸すように提案しただけで、あとは何もしていませんから。
それに先日の一件は、二股をかけていたミスタ・グラモンにも非はありますし」
そんな定型句のような、感謝の言葉に対する控えめな応対。しかし、サイトはそんなアレクの言葉に、たちまち反応を示した。
「そうだよな? そう思うよな!?」
「は、はい。それはもちろん」
思わぬ味方の出現に、目の前の三つ編み少年の両肩を掴み、身分の差を忘れたかのようにガクガク揺らしながら、無邪気な子供の様に瞳を輝かせる使い魔少年。思いもよらない状況に目を丸くしつつ、アレクはそう答える。
貴族である彼の目から見ても、先日のあの結果はギーシュの身から出たサビだった。にもかかわらず、本人は名誉を傷つけられたとして逆切れするわ、周りの人間はそれを指摘しないわ。そんなこの国の貴族の意識は、遠方より召喚されたこの少年にはいささか非常識に映ったのだろう。
なるほど。ほんの少ししか会話は交わしていないが、ひどくまっすぐで、誠実な人柄であることがうかがえる。まあ、召喚初日に浮遊体験を強制された仕返しも、多分に含まれていたとは思うが。
しかし、だからと言って彼の行動すべてが正当化されるわけではない。
「ただ、あなたの思考や行動に、浅薄な点がまったくなかったというわけではありませんよ?
不純な行為を良しとしないその気持ちはよく分かるので、ボクにはあなたを非難する資格がないというだけです」
確かにアレク自身、ギーシュの浮気癖は前々から悩みの種だったし、貴族相手に1歩も引くことなく、悪行に対してハッキリと悪であると言うその心構えは立派だ。しかし、その性格は、彼がルイズの使い魔としてこの国で生きるにあたって、大きな障害となる。
彼の故郷がどのようなところなのかは分からないが、彼のこれまでの言動から推察するに、貴族と平民の身分格差が限りなく少ない、または貴族側が平民に対して寛大で聞く耳を持っている国であるのだろう。そんな土地の考え方を、貴族至上主義のトリステインにそのまま持ち込めば、ハッキリ言って異端者もいいところだ。
宮廷の石頭な連中に目をつけられる前に、上辺だけでも貴族に敬意を表すようアドバイスしたいところだが、自分自身も常々変わり者扱いされている上、ギーシュの件には同意せざるを得ないので、強く言えないのが辛いところである。
「…分かってるよ。まんま中世ヨーロッパ並みの風習なんだろ?
オレも、さすがに問答無用で首ちょんぱは嫌だしな。
ただ、なんかこう…こっちで話の分かるヤツに会えたのがうれしくてさ……」
そんなサイトの返答に、アレクは胸をなでおろした。意味不明な単語も交じってはいたが、どうやらバカではないらしく、理屈では貴族に対してどのような言動が好ましいのかは理解しているようだ。まあ、その通りに行動できるかは分からないが。
「はぁ……どーせなるんだったら、お前の使い魔になりたかったよ……」
思わず漏れ出たのであろう、少年のそんな言葉。好感をもたれていることを素直にうれしく思うと同時に、銀髪の貴公子は少々焦りを覚えた。
彼はあくまでも、『ルイズの使い魔』である。そんな彼が漏らした今の言葉は、彼女の使い魔として召喚されたことを悔いている証明に他ならない。
「おや? それはなぜですか?
ミス・ヴァリエール、可愛らしいお嬢さんじゃありませんか」
召喚から日も浅いとはいえ、ここまで使い魔の主人に対する不信感が募っているのは問題である。幼馴染とその使い魔の関係が険悪なのは、見るに忍びない。これは早々になんとかしなければと、アレクは口を開いた。
「どこがっ!
やれ洗濯しろだの、やれ着替えさせろだの、人を犬扱いするし……!
挙句に、看病してくれたからお礼言ったら、使い魔の自覚がないだの説教垂れるし…ふざけんなってんだ!」
サイトのマシンガントーク気味の文句を聞き、銀髪少年は思わずため息と同時に肩を落とした。
なるほど。またいつものいちいち素直でない言動をやってしまったらしい。
「……サイトさん、このトリステインは、歴史を何よりも重んじる気位の高い国です。
彼女はそんな国の有力貴族のご息女であり、幼い頃からそのように育てられてきました。
あなたが故郷での生き方を変えられないように、彼女もまた、あなたに考え方を合わせるのは難しいのです」
どこまでフォローできるかどうかは分からないが、できるだけのことはしよう。そう思い、アレクは言葉を紡ぐ。
「あなたは素晴らしい人です。
貴族に対して一歩たりともひかないその勇気、自分なりの信念を貫くその胆力…鍛えれば、優秀な剣士にもなりましょう。
しかしだからこそ、あなたには本当の彼女を見てほしいのです」
「本当の……?」
ふと耳をついた気になる単語に、使い魔少年が怪訝な顔で聞き返した。まるで自分の知るルイズが、本当の彼女の姿ではないと言われたような気がしたのだろう。まあ、事実その通りなのだが
「……もしや、シエスタさんから聞いていないのですか?
あなたはミスタ・グラモンから受けた傷が思ったよりも酷く、この3日間危篤の状態だったんですよ?」
そんな彼が奇跡的に一命を取り留めたのは、ルイズが大金をはたいて手に入れた治療薬を使ったからに他ならない。
最初はアレクが魔法による治療を申し出たのだが、自分の使い魔なのだから、自分で面倒を見ると言って聞かなかったのだ。泣き腫らした真っ赤な顔で意地を張りながら看病する姿が、今でも脳裏に焼き付いている。
「そ…そう、だったのか……」
ルイズはもちろん、3日前から看病の手伝いをしていた メイドの少女からも聞かされていなかったようで、サイトは目を丸くして固まっている。召喚されてからこの方、犬よ下僕よとなじられた経験しかなかったため、ギャップがひどかったのだろう。
「他の貴族への劣等感もあり、彼女も素直に感情を表に出せないのです。
どうか、悪く思わないであげてください」
「いやまぁ…言いたいことは分かったけどさ……劣等感って……」
もうひと押しだ。そう思った銀髪少年は、サイトの言葉を終わりまで待たず、さらなる行動に移した。
「無理に今すぐ、理解してほしいなどとは言いません!
少しずつでもいい、どうか…彼女の支えになってあげてください!」
腰を90度に曲げての、最敬礼。それはもう、ビシッという効果音が聞こえてきそうなほど見事な。
愛すべき幼馴染の未来のためだ。頭を下げることに、アレクは微塵のためらいも戸惑いもなかった。
「わ、分かったよ……! 努力するから、やめてくれ!
なんかこれじゃあ、オレがお前をいじめてるみたいじゃねぇか!」
仮にも貴族の予想外の行動に、さすがに驚いたのだろう。サイトは慌ててわたわたと両手を動かし、頭を上げるように目の前の少年を急かす。
まあ確かに、今のこの状況だけを切り取って見れば、彼がアレクを無理やりに謝らせていると見る人間も少なくないだろう。悪くすれば、貴族ならば誰彼かまわずケンカを吹っ掛ける危険人物、というレッテルすら貼られかねない。
しかし、
「…何やってんのよ、アンタ……」
時は、すでに遅かった。
背後から殺気にも似た何かを感じ、咄嗟に背筋を伸ばしたサイトが、壊れた人形のような不自然な動きで首を回して後ろを見やると、
「教室までのお供もせずに、洗濯にいつまで時間かけてるのかと思えば……!」
「ミ、ミス・ヴァリエール!? いつの間にここへ!?」
そこには、腕を組んで仁王立ちしている、小さな修羅が負のオーラをまき散らしていた。
桃色の長髪を逆立てているその姿を一瞬遅れで確認した彼女の幼馴染も、驚きの声を上げる。
「ち、違うんです! これはですねミス・ヴァリエール……」
「大丈夫。隠さなくても分かってるわ、アレク。
こんの礼儀知らずな駄犬に、また何かされたんでしょ」
咄嗟のアレクも弁明も、まるで効果がない様子。こうなってはもう、誰も彼女の暴走を止められない。
「い、いや待て! ルイズ! 違うんだ! 話せば分かっ……!!」
「問・答・無用!!」
「ヒィィイイイィィイイィィイ!?」
かくして、朝の青空に、哀れな仔羊の断末魔がこだまする。
この2人の先行きを不安に思うとある幼馴染の口から、深い深いため息が、盛大に漏れ出たとかそうでなかったとか。
「火・水・土・風の魔法は、複数組み合わせることでさらに強力になり、別な効果を生み出します」
教壇に立つ小太りの女性、『赤土』の名を持つミセス・シュヴルーズが教鞭をとり、授業は進んでいく。魔法やら何やらと全く関係のないサイトは、暇つぶしがてら気軽にその内容を聞いていた。
話をかいつまんで整理すれば、魔法には、四代元素に相当するそれぞれ4つの系統が存在するようだ。それらの系統を複数組み合わせることで、例えば同じ系統同士ならば1段階上のレベルの、または違う系統ならばまったく違う魔法を発動させることができる、とのこと。
そして、魔法を扱うメイジは、系統をいくつ組み合わせることができるかで、そのレベルが決まるらしい。1つしか扱えなければ『ドット』、2つ組み合わせることができれば『ライン』、3つならば『トライアングル』、最高位の4つならば『スクエア』、といった具合である。
「皆さんは、まだ1系統しか使えない人がほとんどだと思いますが……」
「ミセス・シュヴルーズ」
シュヴルーズの講義をいったんさえぎり、キュルケが笑みを浮かべて立ち上がった。
「お言葉ですが、まだ1系統も使えない、魔法成功率ゼロという、
まさにミスタ・エルバートの爪のアカでも煎じて飲ませたい生徒もおりますので……」
意地悪く口元をほころばせながら語られるその言葉に、周囲の生徒の視線がただ1人へと注がれる。
サイトの隣に座る少女、ルイズへと。
「お、おほん! と、とりあえず、より高いクラスを目指すように」
咳払いをして話題をそらす教師の態度もあり、サイトは理解した。先ほどのアレクの言葉の真意を、そして、以前から感じていたこの少女を取り巻く周囲の空気の正体を。
授業が終わって間もなく、アレクは渡り廊下の柱の陰から、気配を殺してある一点を覗き見ていた。もちろんその傍らには、使い魔たる不死鳥の姿もある。
いったい何を見ているのかといえば、
「なーんで他のみんなが『ゼロのルイズ』って呼ぶか、よーやく納得しましたです」
言わずもがな。貴族なのに魔法が使えない幼馴染と、平民なのにその使い魔になってしまった少年。この2人の後姿である。
彼は、授業終了と同時に使い魔を連れてそそくさと退室した幼馴染を心配して、こうして追いかけてきたのだ。いくら日常茶飯事とはいえ、授業中のキュルケの発言は、さすがに傷ついただろう。幼馴染としてフォローしようと思って教室を出たのだが、よく考えると、常に彼女の比較対象として挙げられる自分が何を言っても、ハッキリ言って嫌味以外の何物でもない。
追いかけ、呼びとめて、しかし何を言えばいいのか。そんなふうに悩みながらも早足で歩いているとあっさり2人に追いついてしまい、後ろめたさから咄嗟に適当な場所に隠れてしまった、というわけだ。
サイトが両手を後頭部で組みながらおどけたような声で呟いたのは、ちょうどその時だった。
「なるほど、言い得て妙ですねぇ。
属性ゼロ、魔法の成功の確率ゼロ、そんでも貴族。あぁ〜、すんばらしぃ〜」
ふざけているような、またはからかっているような彼の口調に、ルイズの額に不機嫌だと言わんばかりの青筋が浮き上がる。
プライドの高い彼女のことだ。使い魔にまで『ゼロのルイズ』とバカにされることに、そして何よりバカにされてしまう自分自身に腹が立つのだろう。
アレクは、そんな2人の様子をオロオロしながら見つめることしかできない。
おそらくはこの後、サイトがルイズを今までの仕返しとばかりにからかい抜き、最終的に激怒した彼女にお仕置きという名の拷問を受けるのだろう。
あまりにも分かり易い行動パターンに何も言えないのは置いておいて、自分が割り込んだら余計に変な事態に発展する可能性がある。ここは見守り、後々フォローするのが最善だ。
せめて、今朝の濡れ衣の一件がなければと、後悔せずにはいられない。アレは完全に、不用意に頭を下げた自分の責任だから。アレさえなければ、サイトのルイズに対する印象も、多少なりともよくなっていたはずだから。
「んでさ、魔法使えるってのが、そんなに偉いのかよ?」
しかし、次いで紡がれた使い魔の言葉は、ルイズ、そしてアレクですら予想だにしないモノだった。
不意打ち気味のその一言に、少女は思わず振り返り、陰に隠れている少年は唖然と言った様子で彼を見つめる。
「魔法が使えるって、ただそれだけで、人をバカにしたり、見下したりする権利があるってのか?
オレはそんなのごめんだね!」
そこにあったのは、先ほどまでのおどけた声など想像できないような、真面目な顔と口調。サイトは眉間にシワを寄せ、忌々しいとばかりにそう吐き捨てる。
「たとえ魔法の才能がゼロでも、自分は自分だろうが。
貴族だなんだって威張ってるくせに、周りからの評価気にして、いじけてんじゃねぇよ!」
この時、アレクの口元には、まったく隠すことのない微笑みが浮かんでいた。
なんのことはない。自分の心労など、初めから杞憂だったのだ。彼はルイズの事情を知り、無能な主だとバカにするでもなく、なじるでもなく、彼女を励ました。ひどく乱暴な言葉づかい、さらにはこの国の常識に風穴を開けるような無茶苦茶な理論ではあるが、確かに励ましたのだ。
曰く、自分は自分。他人になんと言われようとも、胸を張れ、と。贈ったのだ。アレクが彼女に長年言いたかった、しかし言えなかったその言葉を。
「ちょっと探せば、アンタのことを、ホントに気遣ってくれてる人もいるんだからさ」
さらには、こちらのフォローまでしてくれた。幼い頃から、友人として手を伸ばすだけで何もできず、幼馴染の傷ついた心1つ救えなかった、こんな愚物のフォローまで。
アレクの心は、サイトに対する感謝の気持ちで満たされていた。
「…………」
かくいう意地っ張りな高飛車お嬢様にも、彼の真意は伝わっているのだろう。無言ではあるが、その口元は微妙に笑っている。
非常識で乱雑な物言いが目立つとはいえ、まったく気取らないサイトの言葉と行動は、常に自分に正直だった。少なくとも、心にもないウソやお世辞を、口から出まかせで言えるような人間ではないと分かっているのだろう。
もしかしたらこれは、本音を隠すことなく相手の悪口を言い合い、一方的ながらもボディランゲージで対話してきた成果と言えるのかもしれない。
「…『ゼロ』って言った回数だけご飯抜き」
とはいっても、序盤に『ゼロ』と連呼されたことについては、若干ながらもカンに障ったらしい。
「って、ちょっと!? 待って待って! それだけはご勘弁!!」
「ダメ。これ絶対。例外なし」
死活問題級の罰則を言い渡し、ルイズはスタスタと歩き始めた。その後ろからは泣きっ面の使い魔が、なんとかご慈悲をと、必要以上にへりくだって続いていく。
「1歩前進、と言ったところでしょうか」
しかし、そんな少女の後姿は、怒ったような命令や態度に反して、とても嬉しそうだ。少なくとも、長年の付き合いであるアレクには、そのように映った。
まだまだ昔の様にとはいかないが、彼女も素直な面を見せつつある。このまま信頼を深めてくれれば、自分としても安心だ。
春風が銀の三つ編みをさらう中、幼馴染とその使い魔の微笑ましいやり取りを、少年は慈愛の眼差しで見つめていた。