小説『ゼロの使い魔 〜虹の貴公子〜』
作者:荒唐井蛙()

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 「メンヌヴィルですって!?」


 背後から聞こえたその声に驚き、タバサは思わず振り返った。
 そこでは、不死鳥をその手に乗せた貴公子が、風に銀髪をたなびかせながら、使い魔からの報告を受けている。その表情は、一目で分かるほど動揺していた。


 「…誰……?」


 おそらくは、その名前に関係があるのだろう。そう思い、タバサは肩越しに問いかける。


 「早く…早く行かなければ……。彼の口から、真実が紡がれるその前に……!」


 しかし、その声は届いていないのか、彼は何やらブツブツと青い顔で呟くだけで、なんの反応も示さない。
 その表情はもはや、動揺から焦燥へと色を変えていた。


 「ミス・タバサ、可能な限り急いでください!」

 「…分かった」


 タバサは、その言葉の意味するところも、それを聞き出す術も知らない。そんなことができるほど、深い付き合いをしていなかったから。
 彼との間にある深い溝を改めて確認し、胸に突き刺さる痛みをこらえながら、彼女は自らの使い魔へと飛行速度の上昇を命じる。
 2人を乗せた青い巨体は、風を切り裂き、夜の空を疾走していった







〜第50話 『炎の蛇と呼ばれた男』〜







 多くの生徒と職員を人質に取られ、学院の警備に当たっていた銃士隊は、かろうじて難を逃れた少数の生徒や教員と共に、人質達の救出作戦を決行していた。
 すでに王宮には援軍の要請をしたが、首都・トリスタニアから学院まではかなりの距離があり、正直待っているほどの余裕はない。事実、襲撃者の頭目たる男は、見せしめとして人質の1人か2人を殺そうとまでしていたのだから。そこで、銃士隊が大食堂に突入して時間を稼ぎ、その間に準備を整えた別働隊が隙を突くことになったのである。
 そんな戦闘のさ中、アニエスと対峙しているメンヌヴィルと名乗ったその男は、同時に驚くべき事実を彼女に暴露した。すなわち、自分はかつて、ダングルテールを焼き払った部隊に所属していた、と。


 「お前が……お前が、あの時の隊長か……!」


 重度の火傷と大きな右眼帯に覆われたいかつい顔。浅黒い肉体を極限まで鍛え上げた筋骨隆々の身体。眼前に立つその男に、アニエスは吠えた。
 今現在、傭兵達の頭目を務めている彼こそが、当時の隊長であったと予想するのは、当然のことだろう。
 しかし、


 「…違うな」

 「何……!?」


メンヌヴィルは、静かにそれを否定した。


 「残念ながら違うんだよ……。当時の私は、副官にすぎなかった……」


 過ぎ去りし日を思い出すかのように大食堂の天井を見上げ、彼は言葉を紡いでいく。


 「指揮官は炎の蛇……『炎蛇』と呼ばれた男だ……!」


 口角を不気味に吊り上げ、メンヌヴィルはそう語る。
 その者は、冷酷にただ淡々と、目に映るモノすべてを焼き尽くす、強大な炎を持っていた。それは人を、獣を、町を飲み込み、後には何も残らない。その様は、地獄の業火とも、血に飢えた蛇とも形容され、故に『炎蛇』の名がついた。


 「私こそ、その男を探し続けているのだ! 私にこの傷を負わせた、『炎の蛇』を……!!」


 顔に深々と刻まれた火傷の痕を撫でつつ、彼は叫ぶ。脳裏に描くのは、あまりに強大だった、その後ろ姿。


 「今思い出しても身震いがする……。ダングルテールを焼いた、あの日の光景は……」


 その凄まじさは、筆舌に尽くしがたい。興奮でもしているのか、メンヌヴィルは饒舌にそう語り続ける。


 「顔色1つ変えることなく、ヤツはあっという間に村を炎で飲み込んでいった……」


 そして、彼はその理不尽なまでの強さに興味をひかれ、若気の至りから、『炎蛇』の背後から不意打ちを試みた。『炎の蛇たるその男が、どれほどの力を持っているのか』、『その強さは本物なのか』。その時心にあったのは、そんな疑問だけだったという。
 そして結果は、


 「アイツは本物だった……! 難なくオレをあしらいやがった……!!」


メンヌヴィルの、惨敗に終わった。任務を終え、油断しているところへの、背後からの完全な奇襲を完璧に防ぎ、炎の蛇は反撃までしてきたのだ。


 「あの日以来、オレは夢に見るのさ……! あの男を焼き尽くす、その瞬間をなぁ!!」


 その日以来、メンヌヴィルは小隊を脱走し、傭兵を生業としつつ、魔法の腕を鍛えてきた。すべてはただ、あの背中に追いつき、追い越し、復讐の炎で焼き尽くすために。
 しかし、小隊長自身も時を同じくして行方をくらましたため、各地を転々としながら、その行方を捜しているのだという。
 両の手を広げ、声も高々に宣言するその様は、まさしく狂人と形容するにふさわしかった。







 巨大な風穴の空いた大食堂の壁。その外側から、中の様子をうかがう3人の少女達がいた。かろうじて人質となることなく難を逃れた、ルイズ、アリス、キュルケである。


 「…もうッ……! 先生もサイトも、何やってるのよ……!」


 組んだ二の腕を、人差し指でトントンと落ち着きなく連打している褐色美女が、いら立ちを隠そうともせずにそう呟く。
 何しろ、状況はあまり芳しくない。アニエスも他の銃士隊メンバーも、傭兵達に苦戦しており、このままではジリ貧だからだ。
 にもかかわらず、救出作戦の準備をするとどこかに行った教師と少年は、いつまで経っても帰ってこない。焦れるのも当然である。


 「いっそのこと、私達だけであの無法者どもを血祭りにあげてしまいましょうか」


 そんな中、アリスが無数の武器・凶器をジャキンと取り出し、世間話でもするかのように真顔でそんなことを言ってのけた。今さらながら、暗殺者のような貴族令嬢だ。傭兵部隊などよりも、彼女の能力と思考の方がよっぽど異質で危険である。


 「…どこにそんなの持ってたのよ。どう考えても持ち歩けるような大きさじゃない物まで混ざってるじゃない……」


 可愛らしい少女の手の中や周囲に並べられた禍々しい武器の数々を眺めつつ、ルイズはそう呟いた。何しろ、おそらくアリスが服の中から取り出したと思われるそれらの中には、ナイフや鎌といった暗器だけではなく、両刃剣や棍棒といったモノまで含まれているのだ。どう考えても、年相応の小さな身体に隠しておけるものではない。


 「気合と根性と、お兄様への愛のなせる業です」

 「…そう……」


 しかし、ブラコン少女は年不相応に成長した豊満な胸を一杯に張り、やり遂げた感がにじみ出る表情で言い切ってしまった。これはもう、閉口するより他はあるまい。
 物理法則も世の理も、彼女にとって最愛の兄の前では紙切れも同然なのだろう。考えても理解できないと悟ったのか、ピンクブロンドの少女はそれ以上の詮索をしなかった。良くも悪くも、エルバートの兄妹に常識は通用しないのだ。


 「すまない。遅くなった」


 そんなやり取りをしている内に、木箱を抱えたコルベールとサイトが、駆け足で戻ってきた。


 「では、段取りは先ほど話したように」


 未だ銃士隊と剣を交えている敵に気づかれないよう、小声で作戦の最終確認をし、5人は小さく頷き合う。


 「それから、人質や君達の命が最優先だ。無理に敵を打倒しようなど、考えてはいけない」


 最後に、コルベールはそう付け足した。人数的には、敵の方が有利だ。作戦を成功させるためには、下手に打倒・捕縛を考えない方がよい、と。


 「何をのんきなことを言ってるのよ。私達の学び舎でここまで好きにされて、黙ってろって言うの?」

 「その通りですハゲベール先生。お兄様の通うこの学院に攻め込んだ輩には、それ相応の恐怖と絶望を与えるべきです。
  平和に浸りすぎて、脳ミソまでハゲてしまいましたか?」


 しかし、その指示にはキュルケとアリスが黙っていなかった。学生を人質に取るなどという卑劣な輩にそれ相応の報復をしなければ、腹の虫がおさまらない、と。
 キュルケはともかくアリスの痛烈な毒舌で、コルベールの心に巨大なヒビが入った。元々よくなかった顔色が、さらに悪くなっている。


 「だ、ダメだ。殿下がご不在の今、軽はずみな行動は危険極まる。
  せめて、王宮からの援軍が到着するまでは、我慢してくれ」


 砕け散りそうな精神を繋ぎ止めながら、禿頭の教師は2人の少女にそう語りかけた。
 偶然か、それとも敵の策かは知らないが、最大戦力である『七色』がいない今、たった1つの判断ミスは命取りだ。そうなってからでは、取り返しがつかないのだ、と。


 「…いいじゃねぇか。アイツらをぶん殴るのは、人質を助けてからでも遅くねぇだろ?」


 なおも不満そうにコルベールを睨んでいる2人に、サイトがため息交じりにそう言った。
 人質がいなければ、自分達も派手に動き回れる。敵に天誅を下すのは、それからでも遅くない、と。
 その言葉に、キュルケやアリスは煮え切らない様子だったが、数秒の思考の後に仕方がないと折れた。


 「…よし。では行こう」


 皆の目的が、『人質の救出』ただ1つに定まったのを確認し、法衣を纏った教師はその一言を発する。
 それを合図に、5人は各々の役割をこなすために行動を開始した。







 フクロウの足に括り付けられた手紙を広げ、彼女はその内容に素早く目を通す。


 「…………」


 そこに記されていたのは、魔法学院が襲撃され、多くの生徒や教師が人質として囚われてしまったこと。そして、銃士隊と難を逃れた少数の者達で、救出作戦を決行する、というモノだった。
 もちろん、それは人質の安全を考慮した措置であり、文末にはしっかりと、早急に救援を求むと記されている。
 なお、難を逃れた5名とは別に、アレクとタバサが偶然にも外出していたために無事である旨も記されていた。


 「…ふっ……」


 読み終え、数瞬の思考の後、彼女は口元をほころばせ、その手紙をなんの躊躇もなく破り捨てた。
 白い紙吹雪が風にさらわれ、流れるようなプラチナブロンドの長髪も相まって、なんとも幻想的な美を醸し出す。


 「アレク様がご無事で、なおかつ『彼』がいるのならば、なんの問題もないな。
  むしろ、ぞろぞろと兵を引き連れていく方が、後々問題になるだろう……」


 襲撃者の名がメンヌヴィルであること、そして難を逃れた面子を踏まえて、女性はそのような結論を下した。おそらくは、敬愛する主も、それを望むだろうと。


 「だがまぁ…念には念だ……」


 万が一の事態に備え、彼女は軽やかな足取りで王宮を後にする。音もなく、他の誰にも、悟られることなく。







 コルベール達の考えた策は、フタを開けてみれば単純なモノだった。
 アニエス達が時間を稼いでいる間に、特殊な薬品を調合した代物を仕込んだ紙風船を大量に生産し、戦闘の混乱に乗じて気づかれないように食堂内に持ち込む。後は、『浮遊』の魔法で食堂中にまんべんなく配置し、タイミングを見計らって風船内の薬品に着火するだけだ。
 100に届くほどの風船が破裂音と共に閃光を発し、その場が喧騒に包まれる。その隙に、人質達を救出して、全ては丸く収まるはずだった。
 しかし、


 「…惜しかったな」


ただ1人、メンヌヴィルだけは平然と立っていた。
 それどころか、キュルケとアリスを杖の一振りで弾き飛ばすほどの戦闘力まで保っている。キュルケはかろうじて意識を保っているが、アリスは気を失っているのか、ぐったりとしたまま動かない。
 あり得ない。どれほどの訓練を受けていたとしても、彼が人間である以上、突然に強光を浴びれば、一時的にしろ視力がなくなるはずなのだ。事実、彼の部下達はまさにその通りだった。
 なのに、なぜ。少年達の脳内を、疑問が駆け巡る


 「も、もしかして…その目……」


 と、その時、火傷に包まれた左目に異常な光を見たキュルケが、まさかと予想を口にした。


 「その通り。オレは20年前(あのとき)に目を焼かれて以来、光が分からん」


 かくして、それは当たっていた。
 メンヌヴィルは自らの左目をえぐり出し、それを愕然とする少女達に見せつける。それは、生身に非ず、紛れもない義眼だったのだ。


 「な…なんで見えるのよ……」


 信じられないといった顔で、キュルケは目の前に立つ盲目の男を、恐怖に染まった瞳で見つめる。
 それも当然だろう。今まで彼は、まるで物が見えているかのように行動し、剣の達人であるアニエスとも対等以上にわたりあっていた。本来ならばそんな真似が、光の見えない者にできるわけがないのだ。


 「…蛇は『温度』で獲物を見つけ、捕食すると言われている。
  オレも炎を使う内に、ずいぶんと敏感になってなぁ……」


 しかし、義眼を再び埋め込みながらのメンヌヴィルの言葉に、一同は押し黙った。
 『炎蛇』との再戦を望み、炎の能力を鍛える内に、彼はいつの間にか熱を感知する能力を身に着けたのである。
 失明と引き換えに得たその能力により、生体が発する熱を探って居場所を即座に、そして正確に把握することができるのだ。しかも、熱感知の恩恵はそれだけにとどまらず、温度の違いから個人を識別することや、微妙な熱量の変化を観察することによって、相手の感情すらも知ることができるらしい。


 「ンくくくくく……。見えるぞ…お前の恐怖が……」


 血の通わぬ眼をギョロリと動かし、メンヌヴィルはキュルケへゆっくりと歩み寄った。
 彼女は恐怖で腰を抜かしているのか、その場から動くことができない。


 「お前を焼けば、どんな匂いがするのだろうなぁ……」

 「ひっ……!?」


 邪悪な笑み顔面に貼り付け、焼殺マニアが炎を纏った杖を振りかぶる。
 その姿に、その言葉に、キュルケは言い表しようのない恐怖に襲われた。奥歯はかみ合わず、手足は異常なほどに振るえている。
 狂気のままに彼女を焼き尽くさんと放たれた業火はしかし、


 キュゴォオォオォォオォオオオォオ!!


まったく異質な、青白い豪炎によってかき消された。


 「コルベール先生……!」


 その名を最初に呼んだのは、ヴァリエール家三女の使い魔たる少年だ。
 法衣を纏った禿頭の教師が、狂気の殺戮者へと歩を進める。


 「…私の教え子から離れろ……!」


 瞬間、魔法を掻き消され、あまつさえそんな言葉を投げかけられた男の顔色が、不快から喜びへと変わっていく。


 「おぉっ……! お前は……! お前はお前はお前はぁっ!!」


 自らの感情を表すかのように、もろ手を挙げて歓喜の叫びを上げるメンヌヴィル。
 あいさつ代わりにと、赤い火球を撃ち出すが、それは青い炎によってアッサリと相殺されてしまった。


 「ふはははははは! これぞまさしく、ずっと探し求めていた温度だ!」


 しかし、そんな彼に焦燥の色は見えない。むしろ、光を失ったその目は、歓喜に打ち震えていた。


 「やっと見つけたぞ! なんと懐かしい! 隊長殿(・・・)!!」

 「何……!?」


 盛大に喜びを吐き出しながら紡がれたその単語に反応したアニエスの視線が、コルベールへと注がれる。


 「…まさか、視力を失っていたとはな……」

 「そうさ。隊長殿のおかげでなぁ……」


 粗方の人質が救出され、静まり返った食堂内で対峙する、教師と傭兵。


 「道理で戦場を探しても見つからなかったわけだ!
  まさか教師になっていたとはな! 『炎蛇』と呼ばれ、女・子供の区別なく燃やし尽くした貴様が!!」


 メンヌヴィルのその言葉で、アニエスは確信した。
 すなわち、目の前に立つこの男こそ、この学院で平和に教鞭を執っていたこの男こそが、彼女の故郷を焼き払い、家族友人全てを奪った張本人なのだ、と。


 「…アイツが、私の仇……」


 その瞳が驚愕に見開かれ、ようやく見つけた仇への憎しみに染まっていく。


 「ハハハッ! かの『七色』と殺し合えるかもしれないと引き受けたこの仕事だが、まさかこんな形で『本命』に出会えるとは!
  コレも始祖の導きというヤツか!?」


 どうやらこの男、あわよくばアレクと戦い、殺そうとしていたらしい。
 傭兵ごときがかの『神童』を相手取ろうなど、あまりにも分不相応で、無礼極まる言動だが、アニエスがそのことに物申すことはなかった。彼女の頭の中は、彼への忠誠心など及びもつかないような、どうしようもない憎悪と殺意に支配されてしまっていたのだ。


 「サイト君、ミス・ヴァリエール。みんなを安全な場所に!」

 「は、はい!」


 コルベールの指示を受けたサイト達が、動けないキュルケや気絶しているアリスを運びだし、未だ救出できていない人質達を解放していく。
 しかしその間も、銃士隊長の胸中には20年前の故郷の惨状がありありと蘇っていた。


 「父を…母を……私の全てを奪った男ッ……!!」


 色彩の異なる炎を交えて激突し始めた、男2人の姿を瞳に映し、彼女はついに己の愛剣を抜き放つ。


 「死ねぇえぇえぇええぇええぇえッ!!」


 20年間蓄積した憎しみを込めて、仇敵・コルベールへと刃を振り下ろした。
 が、怒りで鈍ったその剣は、歴戦の男に難なく躱されてしまう。


 「アニエス君、ここは危険だ! 私から離れろ!!」

 「ふざけるな! お前は私が殺す!!」


 高レベルの魔法使い同士の戦いに魔法を持たぬ者が割り込めば、命に係わる。コルベールの必死の説得にも、アニエスは効く耳を持たない。もはやその瞳には、仇への復讐しか見えていないのだ。
 かつて神童が恐れた最悪の展開が、ここに幕を開けるのだった。

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ゼロの使い魔 (MF文庫J)
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