突き飛ばされ、床に倒れ込んだ体を起こしつつ、アニエスはその光景を見た。メンヌヴィルの放った炎が、本来の標的ではなかったはずのコルベールを包み込んでいるその様を。
「は…ハハハハハハハ! どうだ隊長殿! 炎に焼かれる気分は!!」
本人も予想していなかった展開であったはずだが、炎を放った張本人は勝ち誇ったかのように笑い声を上げる。
「オレはもはや、あの頃の若造ではない! オレはついに、隊長殿を超えたのだ!!」
まったくの偶然。それも、戦意を失った女性を焼こうとしたところに、コルベールが割り込んだに過ぎない。そんな状況にもかかわらず、メンヌヴィルは誇らしげに叫ぶ。
結局彼は、どういう形であれ、自分を倒した元上官に勝てればそれでよかったのだろう。
「くはははははは! 次は『七色』だ! 『最強』と謳われる存在と、ギリギリの一線で殺し合う! 考えただけでもゾクゾクするぞ!!」
ついには、返す刀で『最強』をも斬り捨てんとする勢いだ。長年の目標であった元・上司との戦闘に勝利し、気が大きくなっているのであろう。
だが、
「……あの頃のままだな……」
「何ッ……!?」
炎に包まれながらも、禿頭の教師は立っていた。
「慢心は……」
メンヌヴィルの瞳が驚愕に揺れる中、紅蓮の炎はその色を青へと変えて、逆巻く風を伴いながらコルベールの頭上へと収束していく。
彼の纏っていた法衣は、炎と吹き荒れる上昇気流によって焼け焦げ擦り切れ、胸から上はほとんど残されていない。
「あの頃のままだな!!」
気合の一喝と共に、高温高密度の炎の砲弾が撃ち出された。
それは球体から大きな蛇へとその姿を変え、大理石の床を焼き焦がしながら、戦いの亡者へと襲い掛かっていく。
「ぬぐぉっ……!?」
とはいえ、敵は仮にも高位の魔法使い。杖に魔力を込め、大蛇の突撃を辛くも防いだ。
「ッ!?」
しかし、次の瞬間、炎の蛇は予想だにしなかった行動に移る。メンヌヴィルを包み込むかのように、とぐろを巻き始めたのだ。
「なんのつもりだ隊長殿! こんなことで、オレの障壁を破ろうとでも――――――!」
周囲を完全に炎に包まれはしたが、防げないほどではない。コルベールの魔力が切れ、炎が収まるまで持ちこたえればいいだけの話だ。
もしや自分をナメているのかと、焼殺マニアが元上官に怒声を発したその時、
「ガッ……!?」
突然襲ってきた苦痛に、彼は思わず己ののど元を押さえた。
「な…んだ…コレは……。呼吸が……!」
できない。なんの脈絡もなく襲われた呼吸困難に、メンヌヴィルは苦痛と困惑で表情を歪める。
「…炎は周囲の酸素を吸って燃え上がる。酸素が使い果たされれば、呼吸ができなくなるのは物の道理。
それすら分からぬ貴様が殿下と渡り合おうなど、100年経っても無理な話だ」
炎の繭の中から聞こえる苦悶の断末魔を聞きながら、コルベールがそう締めくくった。
「…………」
炎が収まり、後に残ったのは、焼け焦げ引きちぎれた法衣を纏ってたたずむコルベールと、窒息により事切れているメンヌヴィルの亡骸。そして、
「どういうことだ!!」
混乱のあまりに目を見開いて叫ぶ、アニエスだけだった。
「…………」
背後から投げかけられた叫びに、コルベールが返したのは沈黙。
「答えろ!!」
しかし、それでは納得がいかないと、復讐に生きた女性は叫ぶ。
別に、なぜ彼が炎に包まれながらも無事だったのかとか、なぜあれほどの火炎を放つことができたのかとか、そんなくだらないことを聞いているのではない。そんなものは、ある程度熟練した炎の使い手であれば、充分実現可能な現象だ。
彼女の瞳に映っているのは、もっと切実で、否定したい事実だった。
「その火傷の痕はなんだ! コルベール!!」
破れた法衣の下から覗く、古い大きな火傷の痕。中年教師の背中にあるそれは、20年前に彼女を炎の海から救い出した男のソレと、でき過ぎるほどに酷似していたのだから。
〜第52話 『20年前の真実』〜
「なんだと!?」
目の前で跪く親友からの報告に、アルバートは驚愕の声を上げた。
「それは本当か、ジャン!!」
「はい……。村には、疫病の痕跡が一切ありませんでした」
2度目となるその言葉に、『国王の快刀』と謳われた男の顔が青ざめる。
それもそうだろう。村1つを焼き滅ぼすという苦渋の決断を下したその原因が、どこにも見当たらなかったと、目の前で片膝をつく青年は言っているのだから。
「ど、どういうことだ……。私は確かに、『疫病の拡大を阻止するための殲滅任務』だと……」
そう聞いていた。事実、殲滅の許可を願う報告書にもそのように記されている。ご丁寧に、疫病が蔓延しているという状況証拠の数々が羅列されて。
だからこそ、痛む胸を押さえて、親友率いる小隊へと殲滅の命を下したのだ。だというのに、これはいったいどういうことなのか。
思考が混乱の最中にあったその時、部屋の扉を叩く音が聞こえた。1つ息を吐き、アルバートは入室を許可する。
「失礼いたします」
そう言って入ってきたのは、この館の執事長を務める男だった。
「…どうかしたのか? セルバート」
そう問うたが、彼がこの場に来た理由は、その手に持った盆の上に乗る書状を見れば、大体察しが付く。おそらくは、どこからか報告書なり手紙なりが届いたのだろう。
「はい。リッシュモン殿より、先日報告した件に訂正する部分がある、と」
「!?」
しかし、次いでセルバートの口から出た言葉は、アルバートの予想の斜め上を跳び越えていた。それは、『ダングルテールに疫病あり』と報告し、殲滅の許可を乞うた男からの手紙。それも、今回の一件に深く関わる内容だったのだ。
思わず盆の上の紙切れをわしづかみ、乱暴に広げる。
「……ッ! これは……!」
文章に目を通し、国王側近の顔色が、青から赤へと変色していく。
「閣下、それにはなんと……?」
親友の急変ぶりに、コルベールはたまらず問いかけた。そこに、いったい何が記されているのか、と。
「……見てみよ」
差し出された白い紙面には、黒いインクで事の次第がつらつらと書き連ねられていた。
かの村の住人達が、国家への反逆を企てていたこと。それをそのまま報告したのでは、情に厚いアルバートは事実の裏付けにこだわり、対処が遅れる可能性があったこと。故に、『疫病の蔓延』という緊急事態を偽り、事態を火急に処理したこと。
見る者が見れば、気を利かせて先手を打ったと捉えるだろう。しかし、
「謀られたわ……」
アルバートは、まったく違う見解を見せた。
「先日届いた疫病の証拠の数々は、実によく作られていた。この私が、何の違和感も抱かぬほどにな……」
それはすなわち、それほどまでに綿密に情報を整理し、周到に準備がなされていたことを意味する。そうでもなければ、『トリステイン一の博学』が、一瞬でも疫病蔓延の事実を疑わないわけがない。
「あそこまで精密な証拠をでっち上げるなど、どれほど優秀な人間であっても、2日3日ではまず不可能だ」
それこそ、反逆の疑いをそのまま素直に報告し、その裏付けを取る方が、時間的にも労力的にも少なくてすむだろう。
にもかかわらず、リッシュモンはあえて虚偽の報告をすることを選んだ。となれば、考えられることは1つ。
「…おそらくは、こやつの言う反逆とやらも、眉唾なのだろうな……」
「なっ……!?」
すなわち、今回の一件の大元となっている『村人の反逆』そのものも、虚偽であるということだ。
親友が下した結論に、コルベールは目をむいた。
「…あの娘以外……生き残りはいないと言ったな……?」
「も、申し訳ありません! 気が付いた時には、すでに……!」
そう、彼の率いていた小隊のメンバーの1人が疫病の痕跡がないことに気付いた時には、すでに任務は滞りなく終了していたのだ。つまりは、皆殺しである。証人はいない。
残されたのは、年端もいかないたった1人の幼子と、反逆の証拠が羅列された書類だけ。ようやく言葉を話せる齢になった少女の証言だけでは、証拠は不十分。王宮は、書類の方を信じるだろう。
事実上、この一件をリッシュモンの陰謀であると立証することは、現時点では不可能だった。
「…自分を責めるな、ジャン。すべての責任は、ヤツの言葉をうのみにした私にある」
「いえ……直接手を下したのは私です……。彼女に、なんと言って詫びればよいのか……」
広い室内に、重く暗い空気が垂れ込める。己が犯した過ちを痛感し、2人は打ちひしがれていた。
「…あの娘、私に引き取らせてはくれないか……」
長い沈黙の後、ポツリとアルバートが呟く。
「偽善と言われればそれまでだが…せめて、あの子にはこれからの自分の道を、思うように進んでほしいのだ……」
それは、ただの自己満足なのかもしれない。将来ある少女の未来を踏みにじった罪からの、逃避行動なのかもしれない。それでも、情に厚い国王の側近は、荒野に1人焼け出された少女を、放っておくことができなかった。
「何、この屋敷には優秀な人材が多くいる。学ぶことに、不自由はしないだろう」
それは、学問しかり、剣術しかりである。
故郷と恨みを忘れ、後の人生を平穏に送るというのならば、それもよい。最高の教育を施し、力の限り、彼女の幸福をサポートしよう。自分には、それを成す使命があるから。
しかし、たとえ復讐に走り、こちらに牙をむいたとしても、止めはしない。咎めもしない。そのための技術を授けよう。自分には、それを受け入れる義務があるから。
「…して、お前はこれからどうする?」
懐から1通の封筒を取出し、アルバートは親友に問うた。表には短く、『除隊願い』とだけ記されている。
「…分かりません……。しかし、今回の一件で痛感しました。自分が、間違っていたのだと……」
それは、出すにはあまりにも遅すぎた結論。
「探すつもりです。何が正しいのか……どうすることが、私が犯した罪への償いになるのか……」
もしかしたら、贖罪の方法など存在しないのかもしれない。しかし、それでも、立ち止まることなど許されない。
こうして、2人は別れた。そして、アルバートが病に倒れ、突然の死を迎えるまでの18年間、彼らが再び顔を合わせることはなかったという。
「…それから、私は各地を転々とし、魔法学院にたどり着いた……」
結局のところ、自らが犯した罪は、何をしようと償えないし、消えることもない。それが、長い放浪生活の末に導き出した答え。
ならば、これから生まれる罪を、未然に防ごう。教師となり、若い世代を教え、導き、平和な魔法の使い方を諭そう。彼は、そのように結論付けたのだ。
「そんな…そんなことが……!」
あってたまるモノか。コルベールの話を聞いたアニエスは、動揺を隠しきれていない表情で呟く。
当然だ。何しろ目の前にいる故郷の仇は、同時に自分の命を救った恩人でもあったのだから。憎悪や憤怒だけでは説明がつかないごちゃ混ぜの感情が渦巻き、彼女の脳髄を焼き焦がしていく。
「…アニエス君……」
「ッ……!!」
そんな仇敵兼恩人の呼びかけを合図に、アニエスは取り落としていた剣を拾い、構えた。その表情には、憎悪のみに思考を支配されていた先ほどまでとは違う意味で、余裕がまったくない。
コルベールは故郷を焼いた仇だ。それは間違いない。しかし同時に、リッシュモンの姦計にはまった被害者の1人でもあるのだ。そして、危険を顧みず、自分を炎の中から救い出してくれた恩人でもある。
殺してやりたい。だが、なぜか踏み切れない。こんなことなら、余計なことなど聞かずにさっさと殺していればと、彼女は渦巻く思考の中で後悔していた。
「私を殺しなさい」
「!?」
しかし、泥沼にどっぷりとつかっていたその思考は、予想だにしない言葉によってすくい上げられた。
「…主君と配下となる以前、私とバート…先代エルバート公は、生徒と教師であり、同時に無二の親友だった……」
高い天井を見上げ、コルベールは在りし日を懐かしむように言葉を紡いでいく。
先々代のエルバート公が亡くなる以前、アルバートはトリステイン魔法学院で教鞭を執っていた。その頃の教え子の1人が、今は禿げ上がった頭に豊かな黒髪を蓄えた、若かりし頃の彼だったのだという。
「ちょうど、アレク殿下とサイト君のような関係だったなぁ……。
身分も立場も性格も、さらには年齢もかけ離れていたのに…不思議と気が合った……」
人質となっていた生徒達を誘導し終え、食堂内に戻ってきた少年を振り返り、感慨深げに語る
激動の時代、押し寄せる苦境を共に乗り越えていく内に、身分も立場も越えた友情が2人の間に芽生えていった。互いに『ジャン』、『バート』と呼び合うほどに。それはコルベールが卒業し、先々代の崩御に伴ってアルバートが教職を退いてからも変わることはなかったという。
「だから正直、彼の下で働けることを、うれしく思っていた……。彼の役に立てるのだと、誇らしく思っていた……。
命令に従い、それを遂行することが正しいのだと、信じてきた。しかし……」
その考えは間違っていた。たとえ王家からの命令であろうと、親友の頼みであろうと、そこにどんな大義名分があろうとも、人を殺すという所業は、この上ない罪なのだ。
それに気づいたのは、全てが灰塵に帰した後。後悔先に立たずとは、まさにこのことである。
「…私を殺しなさい。
その代わり、人を殺めるのはこれで最後にしなさい。明日からは剣を捨て、普通の女の子として生きるんだ」
「せっ…先生、何言って……!」
信じられないその言葉に、サイトが叫び、駆け寄ろうとするも、
「彼女にはその権利が! そして私には、その義務がある!!」
コルベールの一喝によって、その動きを封じられてしまった。
「君が復讐に走ったなら、バートはその怒りと悲しみを、甘んじて受け入れるつもりだった」
まずは悲劇の元凶となった男の名前を、調査の結果としてそれとなく幼い少女の耳に入るようにし、そしてリッシュモンにしかるべき鉄槌を下した後に、『本当の真実』を伝えるつもりだったのだ。それがたとえ、自らの『死』を意味するとしても。
もちろん、アニエスに『王族殺し』の大罪を背負わせぬよう、後の処理を信頼のおける部下達に任せ、その死は何か別の形に置き換わるようにしていた。
「しかし、彼はその思いを遂げることなく、病に倒れた」
ようやく生まれた跡取り息子の成長を見守り、独り立ちするその日まではと、真実を隠してきた結果、アルバートはその命を不本意な形で落としてしまった。
犯した罪を裁かれるでも、許されるでもなく、病という第三者の手によってその一生を終えたのだ。どれほど無念だったか、推し量ることすらはばかられる。
「ならば彼の親友であり、事件の実行犯である私が、その遺志を継ぐべきなのだ。
彼の分まで、君に裁かれる義務があるのだ」
そうしなければ、アルバートの魂は救われない。永遠の後悔と苦悩にさいなまれ、この世界をさまよい続けるだろう。
「さあっ! やりなさい!!」
その瞬間、アニエスの中で何かが切れた。
「あぁああぁぁあぁぁぁあああッ!!」
剣を両の逆手で持ち、慟哭にも似た叫びと共に振り上げる。固く閉ざされたその目元には、心なしかキラキラと輝く水滴が。
「――――――ッ!!」
「やめろアニエス!」
「やめてぇッ!!」
ルイズが言葉にならない悲鳴を上げ、サイトとキュルケは仲裁に入ろうと走り出す。
「我が故郷の仇ぃいぃいぃいいぃいッ!!」
だが、間に合わない。鋭く研がれた白刃が、白い布地を貫いた。