魔法学院の学院長室を、1人の貴族が訪ねていた。
口元に先端がクルリと丸まったちょび髭を生やし、派手な衣装を着飾っている、まさに平民が想像する貴族を絵に描いたような男性だ。
「学院のご理解とご協力に感謝いたします」
「王宮の勅命に理解も協力もないでな」
「では」
学院長と型通りの会話を交わし、彼はマントを翻して退室する。
するとそこには、1人の女性が立っていた。学院長の秘書を務める、緑色の長髪を後ろで束ねたメガネの女性、ロングビルである。
「相変わらずお美しいですな。近いうちに、食事でもどうです? ミス・ロングビル」
見目麗しい女性を習慣のように口説きにかかる貴族だが、その視線は彼女というよりも、彼女の持つ豊満な胸に注がれていた。どうやら、かなりの色好きのようだ。
「…それは光栄ですわ、モット伯」
「うむ、楽しみにしているよ」
その視線に気づきながらも、ロングビルはあえていつも通りに丁寧な応対を返した。
モットはそのまま彼女の隣を通り抜け、ゆっくりと去っていく。
「……フンッ」
彼の後ろ姿が見えなくなったのを見計らい、彼女は汚らわしいとばかりに鼻を鳴らした。どうやら、かの伯爵は大分嫌われているようだ。
「王宮は、今度はどんな無理難題を……?」
「なぁに、アレク殿下がご在学の間は、王宮といえども無茶な要求はできんよ」
室内に入り、書物の整理をしながらオスマンに問いかければ、そんな答えが返ってきた。
確かに、かの神童がこの学院にいる間は、王宮といえども無茶はできないだろう。実際、彼が入学した頃を境に、勅命の数自体が目に見えて減っている。問題はない。
「まぁ強いて言うなら、人員の移動と、くれぐれも泥棒に気をつけろと勧告に来ただけじゃな」
「泥棒……?」
しかしながら、気になる単語を見つけ、彼女は再度オスマンに問いかける。
「近頃『フーケ』とかいう、魔法で貴族の宝を専門に盗み出す賊が、世間を騒がしておるらしいでな」
「『土くれ』のフーケですか?」
それは、ここのところ巷で噂になっている窃盗犯の名前である。土系統の魔法の使い手であり、その魔法でどのような強固な防壁も土くれと変えて、目当ての宝物を盗み出すという手口以外、素性も性別もまったく謎の怪盗なのだ。手がかりといえば、犯行現場に、署名入りの犯行声明が残されているくらいだ。
「我が学院には、王宮から預かった秘宝、『破壊の杖』があるからのぅ」
「『破壊の杖』……?」
聞き慣れないその名称に、ロングビルは若干眉をひそめて聞き返した。
「…物騒な名前ですこと……」
「フーケとやらがどんな優れたメイジかは知らぬが、ここの宝物庫は、スクエアクラスのメイジが幾重にも魔法をかけた特製じゃ。
万が一にも破れる者がいるとすれば、それは殿下ぐらいじゃろぅのぅ」
取り越し苦労だと、自信に満ちた表情でオスマンはそう語る。
机の上に置いてある、人の手をかたどった置物を操作し、秘書の臀部をめでるのも忘れない。
数秒後に、学院長室から老い先短い老人の断末魔が聞こえるが、魔法学院は今日も平和だった。
〜第7話 『抗う者達・前編』〜
「さんみぃ〜……」
日の沈んだ学院の中庭に、寒空の下、冷たい水で洗濯業務に追われる使い魔の姿が見える。
「くっそ〜……何が『優しく丁寧に』だ……!」
少年は洗濯板に衣服をこすりつける手に一層の力を込めつつ、器用に不平を述べて続けていた。大方、主に洗濯のやり直しを命じられたのだろう。
その時だった。彼の背後に、1つの人影が近づいたのは。
「どぉ!? いややややや!」
気配を察したのか、少年は奇声を上げてタライの向こう側へ飛び退いた。少し反応が過剰ではないかと思ったのは内緒だ。
おそらくは、彼の主人である少女が、サボっていないか監視に来たのかと思ったのだろうが、残念というか幸いというか、そこに立っていたのは、
「すみません、驚かせちゃいましたか?」
「な、なんだ…シエスタか」
まったくの人違いであった。
その後、成り行きで彼女に手伝ってもらい、洗濯は予想よりも早く終えることができたようだ。さすがは本職のメイドと言ったところだろう。
「シルクは、陰干しにしてくださいね」
「助かるよ。ここに来るまで、手で洗濯なんてしたことなかったからさ」
洗い方のコツまで教えてくれた優しいメイド少女に、少年はお礼を述べる。内心では、その優しさのひとかけらでも、主たる少女にあればなと、思っているに違いない。彼のそんな思考パターンが分かるようになって、うれしいやら悲しいやらの今日この頃である。
「そういえば、サイトさんって、どちらの出身なんですか?」
ふと、少女が今さらとも思える質問を投げかけた。すると少年は、困ったように眉を寄せ、言葉を濁す。
どうやら、よほど説明しづらい場所の出身であるらしい。
「あ〜…なんて言ったらいいか……とにかく、遠いトコ。…すっごく」
案の定、彼は双子の月が上る空を見上げて、あいまいな返事を返した。
「あの……サイトさん……」
再び名前を呼ばれ、少年は彼女の顔へと視線を戻す。
「ありがとうございます」
「へ?」
少女が頭を下げた瞬間、そんな素っ頓狂な声が聞こえた。いきなり頭を下げられたため、困惑してしまったようだ。
彼としては、先日食事を恵んでもらったり、今回は洗濯を手伝ったりもらったりで、自分こそ感謝するべきだと思っていたのだろう。
「何があってもめげないし、平民なのに、貴族に立ち向かったり……。
そんなサイトさんに、たくさん勇気を頂きました。
サイトさんのおかげで、私、これからも頑張れます」
「あ…はは、そ、それはどうも……」
自分のことを『生きる希望だ』と言わんばかりの少女が贈る感謝の言葉に、少年は気恥ずかしくなったのだろう。ここからも分かるほど、頬が淡く朱色に染まっている。
「おやすみなさい!」
「あ、ああ、おやすみ……」
何かを決意したかのような、されど悲しげな様子で、別れの言葉を残して去っていくメイド少女。
そんな彼女に、若干の違和感を覚えたものの、当事者であるサイトはもちろん、その一部始終を寮の窓から眺めていた貴公子にも、その真意を知ることはできなかった。
それは、翌日の夕刻のことだった。
「モット伯爵の屋敷の場所…ですか?」
唐突になんの脈絡もなく、サイトにとある貴族の住まいの場所を教えてくれと詰め寄られたのだ。
正直、彼がその名前を知っているとは思っていなかった。何しろ件のモット伯爵は、王宮の勅使としてたまに学院を訪れるくらいで、この少年との接点など皆無のはずなのだ。事実、彼が来てからは、昨日くらいしか顔を見ていない。それも、短い用事だったのか、来たと思えばそそくさと帰ってしまったほどだ。
だというのに、なぜその存在を知っており、あまつさえ屋敷の場所まで知ろうとしているのか。誰でも疑問に思うだろう。
「頼む! 教えてくれ! 知ってるんだろ!?」
「えぇ、まあ…確かに知ってはいますが……」
考え、詮索しようとしたが、やめた。
個人的な部分に深入りすることはどうも気が引けるし、何よりその表情が、とても深刻そうであったから。
何か事情があるのだろう。そう結論付け、アレクは自分の知りうる情報を彼に与えた。
それが、今から2時間ほど前のこと。夕食の時間であるため、アレクは現在大食堂に来ている。周りには同じように集まってきた級友達も思い思いに過ごしているため、かなりにぎやかだ。
「…おや?」
ふと、1人の少女の姿が目に留まった。
流れるようなピンクブロンドの小柄な少女。しかし、その傍らにいるはずの少年の姿が見えない。
「お1人ですか? ミス・ヴァリエール」
「ええ、どっかに出かけたっきり、帰ってこないのよ」
呼び止め、問いかけてみると、そのような答えが返ってきた。なんでも、日課である雑用を終えるや否や、急用を思い出したと言い残し、どこかへ行ってしまったのだとか。
瞬間、少年は若干眉をひそめた。
「…妙ですねぇ……。
先刻、ボクにモット伯爵の屋敷までの道のりを聞いた後、あなたの部屋に帰ったはずなのですが……」
サイトが屋敷への行き方を聞いてきた段階で、薄々そうではないかと思ってはいたが、この現状を考えるに、彼はモット邸を訪ねに行ったに違いないだろう。
だが分からない。なぜ彼がモット伯爵の存在を知り、その屋敷を訪ねる必要があるのかが。
「? ミス・ヴァリエール、ほどなく夕食ですが、どちらへ?」
「ごめんなさい! ちょっと用事を思い出したの!」
加えて、話を聞くや否や、突如として血相を変えて去っていく幼馴染。
自分の知らないところで、何かが起きている。少女の後姿を見送る中、半ば反射的に、アレクはそう理解していた。
結果として、かの主従2人はあの後すぐに戻ってきた。
今は、そろって夕食の席についている。もっとも、サイトは例によって床でパン1個の実に寂しい晩餐だが。
「何考えてんのよアンタは。
相手は王宮のお偉いさんよ? ギーシュなんかとは比べ物にならないんだからね!?」
「だってさ、かわいそうじゃねぇか」
「そ、そりゃ私も、不憫だとは思うけど……」
食事の合間に交わされる小声の会話を聞き取り、アレクは自身の予想が当たっていたことを確信した。やはりサイトは、モット伯爵の屋敷に行っていたらしい。
が、当の少年の顔色を見る限り、何か目的を果たして帰ってきたわけではなさそうだ。大方、門前払いでもされたのだろう。モット伯爵とは宮廷で1度顔を合わせことがあるが、あの時は貴族の中でも、悪い意味で『貴族らしい』性格と考え方を持った人物であるという印象を持ったものである。
(…聞いたところで、事情を話してくれそうもありませんね……)
話せる内容なら、とうの昔に相談に来ているはずだ。信頼されていない、というわけではないだろう。おそらくは、こちらに迷惑がかかることを懸念しての判断なのだと思う。ルイズはともかくサイトが何も言ってこないということは、よほどの事情があると考えるのが妥当だ。
まったく、貴族とのいざこざが絶えない少年である。まあ、そこが彼の魅力であると言えなくもないのだが。
(少し、調べて回りますか……)
背中越しに聞こえる2人の話し声を聞きながら、神童はグラスに注がれたワインを口に運ぶのだった。
淡い月の光の中を、少年は1人で駆けていた。口うるさい主人たる少女は、隣にはいない。寝静まったのを頃合いに、無断で部屋を出てきたから。
その背中では、とある貴族令嬢の部屋から半ば反射的に持って来た、黄金の刀身を持つ長剣が、ガチャガチャと音を立てながら月明かりを反射している。
――――――――――――――――――――テメェら貴族は、みんなクソッタレだ!!――――――――――――――――――――
数分前に吐いた捨て台詞が、脳内でフラッシュバックする。
彼、サイトは、夕方にモット伯爵邸を訪れた際、門前払いを受けたわけではない。奇跡的に伯爵本人に会うことができ、交換条件という形で、目的を果たす機会を手に入れてきたのだ。
その条件とは、学院に留学中のゲルマニア貴族に代々伝わる、『召喚されし書物』なる代物を持参すること。『ゲルマニア』という、最近ひどく聞き慣れた単語に、とある女性の顔が咄嗟に浮かんだのは言うまでもない。
その人物とは一応知り合いであったため、なんとかなると思っていたが、甘かった。本人曰く、家宝とは言っても使い方もよく分からず持て余していたため、譲ることにはなんの問題もない。ただし、その代わりに自分と婚約しろ、と要求してきたのだ。
「…………ッ!」
思い出し、思わず腹が立った。
今回の一件にしてもそうだ。とかく貴族という連中は、他人の事情や都合などガン無視を決め込み、自身の都合を押し付けることしか頭にない。相手が平民なら、自分の思い通りに動くことが当然だと思っているのだ。
冗談ではない。そんな横暴があってたまるかと、サイトは現在背中に差している剣をひっつかみ、褐色女性の部屋を飛び出してきた。
今にして思えば、ここ数日間くすぶっていた不満が爆発でもしたのか、自分でも想像以上に頭に血が上っていたのだろう。しかし、後悔はしていない。
一目惚れだか五月晴れだか知らないが、モノを譲る代わりに婚約しろなど、最低の交換条件だ。
「待ってろよ……!」
これ以上、貴族ごときの思い通りさせてなるモノか。この世界において、ひどく非常識な決意と共に、少年は屋敷目指して加速するのだった。