小説『小娘つきにつきまして!(2)』
作者:甘味処()

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#5 嫌よ嫌よも好きのうち

◇◆敦彦◆◇


 目前にいる僕の妹、藤堂間宵(とうどうまよい)は上り框(かまち)に腰をおろしブーツを脱いでいる。そのようすを眺めているのは僕と沙夜(さよ)の他にもう一人。

 ――得体の知れない男。

 どうしてここまで腹が立って仕方がないんだろう。

 僕は温厚篤実な性格であり、滅多なことでは腹を立てたりはしない。たとえ、沙夜に夜中叩き起こされようが、沙夜に楽しみにとっておいたうどんの油揚げを鳶のごとくかっさらわれようが、なんとも思わない。思わないはずだった。

 しかし、どこの馬の骨かもわからぬ男を連れ添って帰ってきた妹を前にしただけで、激昂(げっこう)したくなった。

 まるで、全身の筋肉と頭に潜む悪列な感情が、この男に向けて全身全霊をかけ拒絶反応を起こしているようだ。僕の表情筋も愛想よくすることを放棄したらしく、仏頂面で男を睨みつけることしかできないでいる。そのまんま表情が固まってしまった気分だ。

 アネモネと名乗るその男もまた、僕の姿を鋭い眼光で睨めつけている。

 全てが癪(しゃく)に障った。

 彼の異様に尖った耳、異端の帯びた炯眼(けいがん)。外国かぶれのおちゃらけた服装――事実、日本人ではないようなのだが――褐色の肌にシトロンイエローの逆立った髪。とにかくすべてが癪に障った。
 憤りが胸の内側から生じ喉元までせり上がる。やがて、唇を振動させ言葉を紡がせた。

「嫌だ」

 という言葉が肺から空気を吐き出すように、あまりにも自然な流れで口を衝いて出てきたので、自分自身驚いた。なにが「嫌」なのか、それは判然としていない。

 なので、「なにが嫌なの?」と妹につっこまれ、辟易(へきえき)する。

 多分、間宵の彼氏であろうと勘ぐっているから、ここまで拒絶反応が起きているのではないか。もしくは、自分の嫉妬深さの方に嫌気がさしたのかもしれないが、そこまで、妹ラブ、いわゆるシスターコンプレックスではなかったはずだ。

 とにかくこの男は――“嫌”なのだ。

「そいつは、誰だ……?」

 と僕は問う。自分の声とは思えない、低くどもった声が出た。

「だからアネモネだってば」
「そんなことはわかってる」
「怖いよ、お兄ちゃん。なんでそんなつんけんしてんの?」
「うるさい。そいつとはどういう関係だ」

 年頃の妹はここでムッと頬を膨らませた。

「なんでもいいでしょ」

 僕のいい方もあっただろうが、昔から、間宵はプライベートな話を詮索されると機嫌を損ねてしまう。自分の口からは自身のことを多く語りたがる性格だが、人から注意を受けたり、予定を詮索されたり、そういうのを酷く嫌った。
 兄と同じく彼女もまた、偏屈な性格の持ち主であるといってもいい。

「とにかくさ、その話はおいといて、わたし家に上がりたいんだけど。そこどいてよ」
「まず、そいつの紹介が先だろう」
「お兄ちゃんには関係ないでしょ!」

 わざと押すように強くぶつかってきた。続き、アネモネも僕の横を過ぎていく。その時、彼は――、

「そういうことなんで、お兄ちゃん」

 と呟いた。余裕たっぷりの口調だった。

 貴様にお兄ちゃんと呼ばれる筋合いはない、と親ばかならぬ兄バカ丸出しで怒鳴りつけそうになったが、ふたりの関係を聞かずして当たり散らすのもどうかと思い、懸命な思いで口をつぐんでいた。

「大体さー。労りの言葉とかいえないわけ? わたし、十時間もかけて日本に帰ってきたんだよ」

 そう愚痴りながら妹は、兄の心妹知らずといった具合に、玄関から一番手前のドアをくぐる居間を経由しキッチンまで足を運ぶと、冷蔵庫から麦茶を取り出し、カップに注いだ。そして、居間に戻ってきて、置かれた白いソファーに腰を下ろす。

 後を追いかけていた僕は居間とキッチンの間を行きつ戻りつしてしまった。

「ぷっはー。やっぱり喉が乾いた時は麦茶だよねー。紅茶じゃ物足りない」
「そんな悠長なこといってるなよ、説明しろってば」
「久々の我が家で感慨にふけることのなにがいけないのよ」
「いや、いけないことはないけど……」
「で、お兄ちゃんの方こそ、なにかいうことがあるんじゃないの。わたし、ずーっと気になってたんだけど、その子は誰? やましいことがないなら、説明してくれるよね」

 鬼の首をとったように得意げな顔でそう述べる間宵。彼女の視線の先には沙夜がいた。挑発的な口調の間宵に対して沙夜は、ぺこりと礼儀正しく頭を下げた。平素、横柄で礼儀知らずな彼女が他人行儀なのがえらく新鮮だった。

「お初にお目にかかります。私、あなたのお兄様に仕(つか)えております、沙夜と申します、はい。これから、先、すえなが―く……」

 沙夜が語尾をながーく伸ばしているあたりで、間宵が口をはさんだ。

「うっわー……。仕える、って。その子お兄ちゃんの彼女? お兄ちゃんってロリコンだったの?」

「ロリ!?」と自分の体型に疑問を持ち、ナーバスになっている沙夜が素早く反応し、
「コン!?」と僕も呼応する。

「京子さんがいない時間帯を狙って、女の子連れ込むなんてやらしー」

 顔をしかめながら間宵がいった。

 ちなみにこの時、妹が口にした『京子さん』とは、斉藤京子(さいとうきょうこ)という名の女性のことだ。幼いころに両親を亡くした僕らの母親代わり、いわゆる、里親という奴で、家族同然に僕らの世話をしてくれている。

「そういうんじゃないよ。僕と沙夜は――」

 ――なんと形容したらいいのだろう。

「ただの友人だ」

 それが一番適格か?

 違う気がする。友と呼ぶにはあまりにも希薄すぎるようでいて、無論、恋人と呼ぶのにも、そこまでの付き合いはない。かといって率直に、「主従関係です」と答えるのは一番まずい。曲解されて辛辣な言葉が返ってくる恐れがあるからだ。

 そして、それを安易に否定することもできないだろう。

 なんせ僕らは――。

「恋人ではないですが、キスはすましてますよ」

 と沙夜が胸を張った。なので、僕はえらく仰天した。

「お、お前は余計なことをいうんじゃない!」

 確かに僕らは口づけをしている。一度目は事故で、二度目は故意だ。
 嘘ではないのだが、“すましている”という表現方法が酷く下賤(げせん)で卑猥なものに感じてならない。感じているのは僕だけではなかったらしく、見れば、我が妹から僕に向けて侮蔑の眼が注がれていた。兄を見るような目ではない。

「お兄ちゃん。そういうのって、わたし嫌いだな」

 無機質な声だった。

「いや、だから、そういう関係じゃないんだって!」
「どういう関係であっても、キスはしたってことでしょ? わたしは肉体関係だけを築くってのが気に入らないっていってんの!」

 今度は感情的になって叫び散らす。

「だから、ちが……」
「そうやって男の方がすっ呆けているのも嫌い! なにかしらの行為をしたのなら、すっ呆けずに認めなよ!」

 彼女は竹を割ったような性格の持ち主で、いいたいことははっきりと伝えるタイプの人間だ。貞操観念が高く、下卑(げび)た行為を嫌う。僕が昔から罵詈雑言に耐性がないのも、この妹がいるがゆえ――なのかもしれない。

「う。お、落ち着けって……」

 間宵から対処しきれないほどの非難の言葉を浴びせられたので、僕は苦肉の策を講じることにした。

「お前だって、最高にエキゾチックなオトモダチを家に連れ込んでるじゃないか!」

 兄妹げんかにおいてよく使用されるスキル、棚上げ、である。自分のことは棚に上げて、相手の非を弾劾する、なんとも醜い手段ではあるが、それが妹には結構効いたようだった。

 明らかに動揺が走り、彼女の頬が引きつった。

「そ、それとこれとは関係ないじゃん!」
「あるだろ。年頃の娘が男を連れて帰ってきたんだぞ。このことを知ったら京子さんがなんと思うだろうか……。兄として情けない」
「だから、違うんだってば、アネモネは……」
「ほれみろ! お前だって僕と同じこといっているじゃないか!」

 ここを先途と責め立てる。

 アネモネは口元だけを歪めて不気味に笑っている。愛想もなければにべもない。

「っていうか、あれ……?」

 ここで僕はある事実に気が付いた。

 妹が“沙夜のことを認知できている”。

 ということは――。

「やっぱり、“沙夜の姿が見えている”のか?」

 確認の意を込めて問いかけると、妹は背筋をきゅっと伸ばし、表情を引き締めた。

「うん、見えてる。ということはお兄ちゃんも……?」

 お互い探り合っているといわんばかりに沈黙し、しばしの静寂が一室に立ち込めた。
 ごほんと大げさな咳払いをし、僕は発言する。

「ああ。こいつは僕が使役している憑きものだ」

 と沙夜にあごを向けた。彼女はもう一度慇懃(いんぎん)な態度で頭を下げる。

「小娘憑(こむすめつ)きの沙夜と申します」
「あー、なんだそういうことだったのか……。わたしはてっきりお兄ちゃんに変態思考が芽生えたのだとばかり思ってたよ」

 間宵がそういうと、傍らにいた沙夜が抗議の金切声を上げた。

「ど、どうして、私と恋をすると変態にカテゴライズされてしまうのですかッ!」
「いや、だって……ねぇ」

 間宵は沙夜の容姿をまじまじと見つめた後、僕に視線を投じる。沙夜は悔しそうに唇を噛んでいた。見るに見かねた僕は沙夜に助け舟を出してやる。

「やめてやってくれ。沙夜が唇を噛みちぎりそうだ」

 何度もいうが、沙夜は憑きもののくせに、自分の体型にコンプレックスを抱いている。

「まあ、誤解は解けたし、そのことはなんでもいいや。アネモネもそうだよ」
「そうだよってなにが?」

 自分の体型にコンプレックスを抱えているとでもいうのか?

 まさか、と思いつつ視線を向ければ、間宵があざわらうかのように肩をすくめた。

「にぶいなー。アネモネもそこのロリっ子同様、“わたしが使役している憑きもの”ってこと」
「え、ええッ。そうだったのか!」

 改めてアネモネの身体をじっくり見まわした。彼も沙夜と同様、人間そっくりだ。血の通(かよ)った身体つき。とても人ならざる者であるようには思えない。

「そうだったのか……」

 もう一度呟き、なにを安心したのか自分でもわからないが、深い深い安堵の溜息を漏らしていた。一日ずっと張りつめていた緊張が一気に緩和したといってもいいだろう。

 続く間宵の言葉を聞くまでは――。

「でもって、わたしの彼氏」

 その瞬間、僕の思考は停止した。

「は……?」

 思考を再起動させようとするが、頭の中は真っ白になっていた。

 今、我が妹はなんといった?

「そういうことだから、お兄ちゃん」

 間宵は放心している僕の横をすり抜けて、階段を上がっていった。
 僕の横を潜るようにして、アネモネが間宵についていく。

「そういうことなんで、お兄ちゃん」
「は……??」

 彼女の兄であること僕は、取り残された居間にて、呆然と立ち尽くす。

「わーお……」

 どうしてだか、欧米風のリアクションで驚いている沙夜を横目にして――。

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