小説『薄橙色の記憶 』
作者:美久()

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≪ 「灯し上げ」と僕の後悔 ≫


僕の実家がある地方では非常に奇妙なお盆の風習がありその行事は現在もちゃんと行われている。
地元の人達は「とぼしあげ」と呼んでいる。
「灯し上げ」と書くのかも知れないがそのへんのことを僕は詳しく知らない。
それはお盆が終わったあとの8月17日頃、初盆の家で行われる。

まず家に飾っていた廻り灯篭や吊灯篭などをお墓に持ち込む。
お墓にはお経が書かれた白い紙の幟旗を竹につけてその廻りを灯篭で飾る。
そして昔なら大太鼓を用意する。
最近ではカラオケのセットなども準備したりする。
親戚や知人から届けられた果物や缶詰などのお供え物の盛り籠をお供えする。

そして、真っ暗に日が落ちた8時頃、照明を点けてそこ(墓地)でがんがん酒を飲み、太鼓を打ちながら唄を唄うのだ。
唄は、伝統的に伝えられてきた曲で「くどき(口説・詢と書く)」というものだ。
この唄を太鼓の音と手拍子で唄い、それに廻りの者の合いの手が入り実に哀愁が漂ういい感じになる。
子供たちにとってもお菓子食べ放題、ジュース飲み放題、そしてなにより夜中までうろつき放題ということですごく楽しい行事である。。
他の地域にこういう行事はあるだろうか?
お盆が終わり夏休みも終わりに近づく頃、山の斜面の墓地のあちこちに灯りが灯り太鼓の音が鳴り響き「くどき」の声が哀愁を帯びて流れていく。
どうしてこういう変わった風習が廃れず残っているのだろう?

ちゃんと分析すると、家人を亡くした家の者が初めてのお盆を終えて残された者たちが空虚な感覚を持つこの時期に、
その人たちを慰めるために始まったのだろうな・・・とは想像できる。
そしておそらく仏教の世界には本来こういう行事はあったのだけれど、だんだん廃れて行われなくなったんじゃないのかな?とも思う。
僕の故郷はとんでもない田舎だけれど、なんだかずいぶんあったかくていい場土地柄だなと思う。

祖母の初盆のとき、父が太鼓を叩きながら大きな声で唄っていたことが思い出される。
山間の墓地。辺りは濃い闇。弱い裸電球の明かりの中、太い腕で力強く太鼓にバチを叩きつけていた父。
典型的な職人気質で、普段はほとんど口をきかない無口な男だった父。
その父が何のてらいもなく天に向かって大きな声を張り上げて唄っていた光景。
いま、このエッセイを書いているこの瞬間も、その夜の光景がはっきりと浮かび上がってくる。
光。
音。
匂い。
いろいろなものが父の唄う声と太鼓の音、人々の嬌声と一緒になって僕に押し寄せてくる。
あの日、あの夜、あの場所にいた人たち、あの場所で唄い踊っていた人たちの大部分はもう鬼籍に入っている。
あの日、子供だった僕でさえ彼岸に渡っても不思議ではない歳になっている。
だが、この歳になっても、あの頃の光景がよみがえるとどうしても涙が溢れて止めることができない。

そして僕は後悔する。

父の初盆のとき、父が祖父母のときにしたことと同じことができなかったのかということを僕は後悔する。
どうして僕は太鼓を叩いてあげられなかったのか?
どうして僕は大きな声で唄ってあげられなかったのか?
こっそり歌詞を手に入れて一人で練習までしていたのにどうして僕は唄わなかったのか?
あるいは唄うことができなかったのか?

こういう後悔を何度も何度も繰り返しているというのに・・・

どうして僕はいつも・・・

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