はやてと珱嗄は、それぞれベッドとその隣にある椅子に座って沈黙していた。この状態になるまで、はやては珱嗄を押してベッドに押し込んだのだ。珱嗄もうるうると涙目で泣くのを堪えているはやての言うとおりにベッドに収まるしか出来なかった。
それほどまでに、はやてには迫力と圧力があったのだ。だが、この状態になるやいなや、二人は全く喋らない沈黙の空間を作り出していた。珱嗄はどうすればいいのかと内心慌てて入る物の、解決策は無かった。
「………した」
「え?」
沈黙を破ったのは、はやてだった。何かを呟いたのだが、珱嗄にはよく聞こえなかった。
「心配……した」
「……ああ」
震えた声で俯きながらはやては珱嗄にそう言った。珱嗄はそんなはやての身体が普段より小さく、いや小さいどころでは無い。10年前のはやての姿に見えた。それほどまでにはやての身体は縮こまり、悲しみが伝わって来たのだ。
今珱嗄の前にいるのは、10年経って部隊長になった八神はやてでは無い。珱嗄が置いてきた、10年前の小さな少女である八神はやてだ。珱嗄にはそれが分かった。
これは、珱嗄が10年前に置いてきた物を取り戻す機会だ。もう一度、八神はやてと珱嗄が家族となりうる最後の機会なのだ。
「10年間……何処行ってたんや」
「……無人世界を転々と、だな」
「……そっか」
珱嗄は正直答えた。というより、はやての言葉に正直に答える以外許さないといった怒りも含まれていたからだ。
「なんで皆の記憶を消したんや……私の記憶も……私らは家族やなかったんか? それとも、兄ちゃんは私らを家族と思ってへんかったんか?」
「……んー、まぁ家族とは思ってたよ」
「だったらなんで!」
はやては珱嗄に叫ぶ様に問う。珱嗄はそんなはやてに対して落ち着いた口調で答えた。
「……俺は3歳児だった頃のお前が家族もいない、食生活も疎らな状態に同情してお前と暮らし始めた。お前が一人でも暮らせる位自立するまで、俺がお前の親代わりになろうと思ったからだ」
「……」
「そして二人暮らしを始めて数年。俺は仕事をするようになった。グレアムおじさんとやらが管理していた財産以外に生活費を稼ぐためだ。教師になり、その目的はそこそこ達成できた。実際にはまぁお前が今くらいまで成長したらお前からは離れるつもりだったんだよ」
「!」
珱嗄の言葉に、はやては驚愕する。それはそうだ、今まで家族だった人がいなくなっただけでもショックだったのに、その人は元より自分達の下から離れていくつもりだったというのだから。
「でも、あの事件が起こった。闇の書事件。結果的には俺とアリシアで闇の書を夜天の書に直したから、お前は助かったけど、みればお前の周りには守護騎士やアリシアがいた。俺が最初に孤独だと思ったお前は、俺以外の温もりを手にしていたんだよ。だから、俺はもういらなかった。はやてもある程度生活出来る力を持っていたし、それを支える家族も出来た。俺がいなくても良かったんだよ」
「だから、姿を消したんか……」
「そう。お前には家族がいたし、俺の助けもいらなくなったからな」
「……そんなことない」
はやては珱嗄の言葉を否定した。
「……」
「家族はいなくなるもんちゃう。家族はいらなくなったりせぇへん。ずっと一緒に幸せに暮らしていけるのが家族や。例え血が繋がって無くても、全く関係ない人でも、一度家族になったら肉親と一緒や。必要無くなる訳がないんや!」
「そうか、お前にとっての家族はそういう事か」
珱嗄とはやての家族の違い。珱嗄にとって、肉親と呼べる者はもういない。世界を越えて置いて来てしまったから。故に、珱嗄に家族はいない。それこそ、結婚でもしない限り珱嗄に家族は出来ないのだ。
だが、はやてにとって、家族は肉親だけでは無い。兄弟や両親という物だけが家族じゃないのだ。共に笑い、共に泣き、共に幸せを分かち合える者が家族と呼べる物なのだ。
故に、はやての家族になれば、勝手に消える事は許されない。勝手にいなくなる事は許されない。
「……今、何時だ。はやて」
「え? 18時57分やけど……」
「……そっか、じゃあ門限は間に合ってる訳だ」
「え?」
珱嗄は思い出す。目の前の涙をこぼしている少女が10年前に定めた門限。晩御飯の19時までに帰ってくる事。珱嗄も闇の書事件が起きていたあの頃でもちゃんと守ったあの約束。
「19時にはまだなってないな。門限は守ってる……ただいま、はやて」
「! ………アホ、大遅刻や。後でお仕置きやからな………お帰り、お兄ちゃん……」
はやては泣きながら珱嗄に抱き付いた。珱嗄はそんなはやてを抱き締める。自身の家族を抱き締める。
「はぁ……全く。シリアスは……苦手だ」
「うぐっ……ぐすっ……えええええん……!」
珱嗄はぽんぽんとはやての背を叩きながら、天井を見上げてぽつりとそう呟いたのだった。
◇ ◇ ◇
「で、ホテルの件はどうなったんだ?」
「うん。なんとかしたで。死傷者は無し、ガジェットも全滅したし、任務達成や」
はやてが落ち着いてから、少し二人には違和感があった物の、少し話せばすぐに昔の様に話せるようになっていた。そして、珱嗄ははやてから事の顛末を聞き、無事に任務が終わった事を知る。
「ただ、ティアナに関しては少し問題が起きてな……兄ちゃんがグロテスクな光景になった事に関して、かなり責任感じ取るようや……左腕、無くなってもーたんやろ?」
「……う、うん。まぁ」
珱嗄はひらひらと袖の通っていない袖を揺らす。この雰囲気で実は治りましたとは言えない。
「ヴィータも物凄くキレてて、ティアナを結構酷い言い方で責めたんやけど……まぁ自分も何も出来なかったからってその後塞ぎこんどるわ」
「後で話に行くとしよう。面倒だけど」
またシリアスかと珱嗄は心の中でため息を吐く。この世界は少しばかりシリアス展開が多すぎて困ると常々思う珱嗄だが、この事態は自分が大きく関与しているので避けるのは無理そうだ。
「それじゃあ兄ちゃんの事を聞きたいんやけど……8年前、なのはちゃんの怪我がいきなり治ったのって兄ちゃんのせいか?」
「ああ、そうだな。アリシアから悲しみの感情が魔力パスを通ってこっちまで来たからうっとしくなってね、原因であるなのはちゃんを治した。まぁ代わりになのはちゃんにロストロギア渡して皆の記憶を消させたんだけど」
「なるほど……なのはちゃんが消したってのはそういう事やったんか」
はやてはうんうんと頷く。珱嗄は気だるそうに壁にもたれかかった。
「さて、それじゃあ話も終わったし……話しに行くとしよう。面倒だけど」
「ちゃんと話付けて来てな。それが心配掛けたお仕置きや」
「はいはい、それじゃあ行ってきますよ」
珱嗄はそう言って、ゆらりと笑う。はやてはそんな珱嗄をにっこりと笑顔で送り出す。珱嗄はドアを開けて医務室を出た。向かう先は、訓練場。現在は暗くなっており、訓練も終わる頃だ。ティアナにも会えるだろうと珱嗄は考えている。
それに、訓練が終わっていようとティアナはそこに戻ってくる。何も分からずに努力を重ねる少女は、きっと戻ってくる。
「ああ面倒だ。面倒すぎて―――面白い」
珱嗄はゆらりと笑って、左腕を袖に通したのだった。