第1章 青き春の章
第12話<虎穴>
メンヌヴィル改め、スルト。彼の加入は、ファミリーの戦力に大きく貢献したと言える。そうなったらそうなったで仕方がない、と、裏切る可能性は無視しているが、今のところそんな素振りは見せなかった。
(……考えてみれば、主人公側という、正義にとっての悪なわけで。俺ら……と言うか俺だって、正義か悪かと言われれば、間違いなく暗黒面だし。意外と、相性いいんじゃないのか?)
そんな風にポジティブな事を考えられる程には、アクセルの意識にも余裕が出て来た。
彼は、呆れるほどに強かった。魔法すら使わず、杖として契約しているメイスのみで、戦闘を終わらせてしまった事もあった。生半可な連中が攻撃を仕掛けて来ても、鎧袖一触と言った所だろう。
“ラパン”のフラヴィ。彼女もまた、大いに役に立ってくれていた。
彼女はスルトと違い、戦闘能力が無く、その分アクセルとしては対処できる存在だが、そんな未来は先ず無いだろうと思っている。
遅参の彼女が頂点に立つことに、他の娼婦達の反発が起きるのではないかと危惧していたが、寧ろ歓迎されているらしい。そもそもフラヴィは、娼館を信用していなかったから闘争を選んだわけで、娼館側に回った今は、信用がどうのこうのではなく、自分に何が出来るか、という問題に変わった。そして、同じ立場の人間が権力を得るのはやはり有益だと考えられたらしく、そこに元々信頼されていたフラヴィが収まることに、異を唱える娼婦はいなかった。
娼館の仕事をフラヴィに譲ったナタンには、ボスとして、より足場を固めて貰うことにした。東地区全体の顔役としての信用を勝ち取るため、厄介ごとには積極的に介入。代官のアクセルとの繋がりを活かし、その権力を使えば、トラブルもスムーズに解決出来る。
バルシャは、はっきり言って非の打ち所がないくらいに働いてくれている。自警団の運営からナタンの秘書的な仕事、果ては荒事まで、何でもこなせる万能タイプで、能力的にも人柄的にも、アクセルが心から信頼する数少ない人間だった。
アクセルはここに来て、組織のバランスが取れたのではないか……そう考えた。
三本足のテーブルは、傾きはしても揺らぎはしない。バルシャ、スルト、フラヴィの三人が足となり、上のナタンを支えてくれれば、少なくとも揺らぐことなど無いのだ。例え大きく傾いていようが、元々ヤクザなど、社会からドロップアウトした人間。傾いているくらいがちょうど良いのかも知れない。
「……何してんだ? あいつ……」
最初に気付いたのは、ナタンだった。
イシュタルの館、事務所の窓の外でまた、アクセルが妙な事をやり出している。
バルシャ、フラヴィも、窓で切り取られた中庭を見た。
「……くくく」
窓の下に座り込んでいたスルトが、小さく笑った。盲目の彼だが、顔はアクセルの方を向いている。
「お前らには感じられんだろうが……あいつはなかなか、とんでもない事をしているぞ」
「どんな事だい?」
「わからん」
「わからんってお前……」
「くくく……」
漠然とした答えに、若干呆れ気味のフラヴィとナタンだったが、取りあえず庭に出て、観察を続けた。
アクセルは少し腰を落とし、大地を踏みしめ……指先を揃えた両手を前に伸ばし、何かを支えるような姿勢を保っている。目は半開きで、自分の鼻先か、地面を見つめるような視線。
別に彼は、眠っているわけではなかった。
(北斗羅漢撃!……ってな。そう言えば、俺、前はジャギが嫌いだったんだよなぁ。けど“極悪ノ華”でコロッときちゃって、そんで“北斗無双”のジャギ幻闘編で大好きになって……)
集中していたわけではなかった。頭に次々に浮かんでくる、取り留めもない事を流れるままに任せて……そう、全てを……在るがままに受け入れ、そのままに任せて。
「……何をしてるんだい?」
日課の修行を終えたのか、アニエスがそう言いながらアクセルに近づく。眠っているのかと疑ってしまう程、少年は無反応だった。
「おい、小娘。邪魔をするな。こっちへ来い」
スルトが座ったまま、アニエスを手招きする。
一度、びくりと身体を震わせた彼女は、そっとアクセルの後ろに回り……大きく遠回りしつつ、ナタンの隣に並んだ。
メンヌヴィルの顔は覚えていなくても、火のメイジに対する恐怖心は大きい。
嫌われたもんだ、と、自嘲気味に笑うスルトも、勿論アニエスの顔を覚えてはいなかった。
「……おいおい」
数分して、ナタンが呆然とする皆を代表するかのように、呟く。チチチ、と甲高い声を響かせながら、アクセルの肩に小鳥が止まった。そのまま、毛繕いを始める。また一羽、今度は左腕に小鳥が降り立ち、とんとんと掌に向けて跳ねていった。
やがて、アクセルがはっきり目を見開くと、小鳥たちは慌てたように飛び立っていった。
「……決めたよ」
集まった皆に、少年は微笑む。
「決めたって、何をだ?」
「僕の二つ名。どうしようか、ずっと悩んでたんだけど……決めた。“大樹”のアクセル。そう名乗るよ。……って、何なの、その顔は」
通常二つ名は、属性と関連づけたものを付ける。
アクセルの属性は、未だはっきりしていない。普通は既に、はっきりと適正が別れている筈なのだが、どうもアクセル自身、断言は出来なかった。敢えて言うなら、一番苦手なのが火、風と水が得意で、一段下がって土。一応表向きには、風のラインクラスとしてある。
よって、複数の解釈が出来るような、全属性に関連づけられそうなものは無いか……そう悩んだ末での結論だった。
いいアイディアだと思うのだが、どうもナタンの……そして皆の反応は、芳しくない。
「いや……地味じゃねぇか?」
「いい事じゃん」
名乗るとしたら、表向きの貴族として……アクセル・ベルトラン・ド・ラヴィスとして名乗るのだから、地味であるのは寧ろ長所だ。将来当たり障りのない平凡な子爵となった時、木偶の坊とか、ウドの大木とか揶揄されそうだが、植物のような人生、それこそアクセルの望むところだった。
「じゃあ、何がいいの?」
一応、皆にも意見を聞いてみた。
「“誘惑”のアクセルは?」
「“嗜虐”のアクセル」
「“黒幕”のアクセル……などどうでしょう?」
「“両性”のアクセルとか?」
「“天使”のアクセルだな」
上から順に、ナタン、アニエス、バルシャ、フラヴィ、スルトである。
「おっと、まさかの四面楚歌とは。……皆。スルトが一番まともで好意的って時点で、おかしいと思わないのか?」
自分が、決して善人と呼ばれるような人間ではないと、アクセル自身よく分かっているつもりだが……それでもショックを受けないわけでは無い。
「バルシャ……君だけは、最後の良心の砦だと……僕は、そう思って……」
「も、申し訳ありません。決して悪意があったわけでは無いんです」
「……あのね、寧ろ、悪意があって欲しかった。一番マシなのはスルトなんだけど……僕には、詳しく理由を聞く勇気が無い」
「一般に天使は、両性具有と言われて……」
「だからっ、聞く勇気は無いの! 臆病なままでいさせてよ!」
かなり悩んだ二つ名だが、そもそもそんなものを口にするのは、戦闘の時なのだ。言う必要がある状況を迎えてしまったら、寧ろアクセルにとっては不味いのである。結局、アクセルの努力は二つ名を使わない道を選択していくことでもあるので、こんなに悩む必要無かったんじゃないか……と、それなりに落ち込んでしまった。
「……ところで、あれは何だったんだ?」
部屋に戻ったナタンは、早速アクセルに尋ねてみる。
「ああ、ちょっと実験をね。極限まで心身をリラックスさせて、精神力を巡らせればどうなるか、試してみたんだ」
自分の能力をどのように伸ばしていくのか、そのアイディアも前世の漫画を参考にしていた。
使えそうなのはONE PIECEの六式、そしてHUNTER×HUNTERの念能力。六式も、特に“剃”は無理そうなので結局五式までだろうし、念能力ほど汎用性も無いだろうと判断して、新たに構築していく必要があった。
先ずは“識”。これは、自分の精神力……もっと言えば精霊様の存在をはっきり認識し、号令を出して制御することで、既にクリアしている。まだまだ練度は上げられそうだが。
次に“絶”。周囲を漂っている精霊を、自分の体内へと隠して目視できなくする。何となくやってみたのだが、何の役に立つのか未だ不明。ひょっとしたら意味がないかも知れないが、精霊を操る訓練にはなる筈だ。
そして“焦”。全ての精霊を、どこか一カ所に固めて固定する。拳に集めればパンチ力が増す、などということはなく、これも“絶”と同じく、無意味な行動かも知れない。
最後に“然”。これが、先ほどの行動だ。自然物と同化するようなもので、小鳥もアクセルを樹木か何かだと錯覚した。
“識絶焦然”を、四行と名付けることにした。他人に伝授できるような類の物かは分からないので、あくまで、自分の整理の為である。
「ふふーん、ふん、ふん……」
その日、また女装してアリスとなったアクセルは、やたらと機嫌が良いらしく、常に微笑を浮かべて鼻歌混じりに厨房に立っていた。ナタンは単純に、能力の開発が成功したからだろうと思っている。
「さて、出来た出来た」
ティータイムの予告はしておいたので、食堂には既に皆が集合していた。
ナタン、バルシャ、スルト、フラヴィの、主要人物。そして、アニエス、マチルダ、ティファニア、ミシェルの四人。
「どういう風の吹き回しだい……?」
アニエスは紅茶を注ぐアクセルに、怪訝そうな顔で尋ねてみる。配られたケーキは、フルーツや生クリームをふんだんに使用し、砂糖菓子の飾りまでついた、手間のかかったもの。しかも、それが自分にも二切れ配られている。
いつもは、お茶会などとはっきり時間を指定されない。適当に茶菓子が用意されており、それを皆が、手の空いた時に適当につまむ。食後のデザートが出される事もあるが、アニエスには一つしか配られない。
更には今回、アクセルは誰にも手伝わせようとはしなかった。全て自分一人で材料を調達し、自分一人で調理し、今も自分一人で、給仕のように皆の世話をしている。手伝いを申し出たバルシャや、立ち上がろうとしたマチルダやミシェルを、笑顔で制した。アリスの姿で、エプロンまで着ているので、本当にメイドか何かにしか見えない。
「さぁ。それじゃ、頂きましょうか。あ、紅茶のお代わりは、言ってくださいね」
「……おい、アニエス。気のせいか? 俺の皿なのに、ケーキが二つも乗ってるぞ。これは本当に俺の皿か?」
「そのようだね、ナタン兄者。今夜は月が一つになるんじゃないかい?」
基本的にアクセルは、アリスの姿に女装している時は、猫を被る。よって、今アクセルがニコニコと笑顔なのも、別におかしい事ではない。
しかしそれでも、アクセルはアクセルなのだ。
「……何か、盛ってるわけじゃねぇよな?」
警戒するナタンの言葉に、既に半分ほど食べていたフラヴィが、ハッとしてアクセルを見た。彼女には、そうされてもおかしくないという自覚がある。
「イヤですわ、お兄様。テファ達も食べているのに」
「お、俺だけだったら盛ってたのか!?」
「それでしたら、カップに塗りつけた方が確実ですし」
「ええっ!?」
「ふふ、冗談冗談」
いつものコイツか……と、アニエスもナタンも思い直し、一つ食べてもまだ一つ残っているという、未曾有のケーキを楽しむことにした。
そして、夕食の時間。
「……おい、質問だ。今日は誰の誕生日だ?」
ナタンは取りあえず、皆に尋ねた。
テーブルに所狭しと置かれた大皿は、ご馳走と呼んで差し支えない。
牛肉も豚肉も鶏肉も、魚介類も野菜も果物も、パンもワインも、そして、アクセルがあれほど大事にしていた試作品の地酒も、惜しげもなく振る舞われていた。
そして、食卓には……社会的地位を考慮して、イシュタルの館に滅多に姿を現さないローランまで来ていた。今晩に限って、何故か、アクセルに是非にと招かれたそうだ。
「いいからいいから。さぁ、みんなグラスを持って。……あ、いや、やっぱ持たないでいいよ。疲れるだろうし」
アリスでもなく、ベルでもなく……そこには、アクセルがいた。
自分以外の九人をさっさと着席させ、グラスを持たせると、一人だけ起立したまま、勿体ぶって咳払いをする。
「それじゃ、ちょっと長くなるけど、僕に挨拶させてくれ。……まずは、ナタン」
「え?」
突然名を呼ばれ、ナタンは驚いたように肩を震わせた。手に持つグラスの中のワインが、跳ねるようにくるんと回る。
「出会ったあの日から、色んな事があったねぇ……」
「……いきなりどうした、そんなしみじみと」
「君がいなければ、僕はファミリーを実現出来なかっただろうし、もし出来ていたとしても、とっくに潰してしまっていただろう。……ありがとう、仲間になってくれて。これからも頼むよ」
「……何なんだ、一体。変な物でも拾い食いしたか?」
アクセルは別に、何か邪心を持ってそんな事を言ったわけではない。それでもナタンが怯えるのは、やはり普段の行動故だろう。
「次に、ローラン」
疑心暗鬼に陥るナタンを余所に、アクセルは今度はローランにグラスを向けた。
流石にローランは、少年が本当に感謝していることを勘付いたが、それは胸にしまっておく。
「いつも、表側から組織を支えてくれている君にも、感謝している。娼館に、ローランみたいな社会的地位がある人間を、おおっぴらに呼ぶことは出来ないけど……それでも、知っていて欲しいんだ。僕も組織も、あらゆる面で、君には本当に助けられている」
「光栄です、アクセル様。こんな老骨がお役に立つのでしたら、無上の喜び」
「ああ。これからもよろしく。……そして、バルシャ」
名を呼ばれた彼は、冷静だった。ナタンのように取り乱したりせず、背筋を正し、両手を太腿の上で揃え、アクセルに向き直る。
「君みたいな、何でも出来る優秀な人材が仲間になってくれたことに、本当に感謝している。ナタンや僕の至らない所を支え、常に力になってくれた。それに正しく報いることが出来ているのか、非常に不安ではあるけど……これからも、お願いします」
頭を下げたアクセルに、流石にバルシャも驚いた。
「どうか、お止め下さい。私のような者に……」
「“のような”……とか、言わないでくれ。少なくとも、君が使っていい言葉では無いよ。……さて、スルト」
この状況の中で、彼だけが、何の気負いも見せてはいなかった。頬杖をつき、口元には笑みを零しながら、アクセルの言葉を待っている。何を言い出すのか、まるで歌劇の続きをのんびり待つかのように、楽し気だった。
「まず、あの火事の時、助けてくれてありがとう。君がいなければ、流石にもう、駄目だったかも知れない」
「くく、気にするな」
「そして、ファミリーに加わってくれたことに……ありがとう。“友よ”」
スルトは、いつメンヌヴィルに戻ってもおかしくは無い。そしてそうなれば、止めようがない。
それを踏まえた上で、アクセルは彼にグラスを向けた。
「……“友”か。やはり、悪くない響きだ」
「僕も同感だよ。そして君とは、これからも良き友でありたい」
「いいだろう、友よ。俺もそれを願おう」
アクセルはフラヴィに向き直る。
「フラヴィ。残念ながら僕らの出会いは、決して良いと呼べるものでは無かった。そのことで、色々と大人気ない態度も取っちゃったけど……感謝してる。君のお陰で、女の子達の不満も大分解消されたようだ。これからも、彼女たちの良き代弁者となって欲しい」
「……あんたに礼を言われると、何だかむず痒くなるねぇ」
口調はぶっきらぼうだが、彼女の心には、未だ罪悪感があった。
自分が攻撃しようとしたものを、害しようとしたものを、好きなものへと変える……それこそが罰だろうと、ナタンはそう考えた上で、フラヴィに管理を任せた。そしてそれは、成功したと言える。
罪悪感は、間違いだったことを気付いたあの時よりも、寧ろ大きくなっていた。この居場所を、そしてマチルダやティファニア達を大切に思うようになればなる程、それはこれからも肥大化するだろう。
「頼りにしてるよ、フラヴィ」
「……わかったよ。どの道、もう私に行き場なんて無いんだし」
拗ねたような口調を、微笑みながら受け入れると、アクセルは一旦グラスを置く。数秒ほど黙っていたが、彼は再びグラスを持ち上げ、アニエスの方を向いた。
「アニエス、ありがとう」
「……何だ、藪から棒に」
アニエスは確かに、特にこの館や組織に貢献してはおらず、彼女自身もそれを自覚している。寧ろ、今までのような感謝の挨拶など、自分にある筈も無いので、早く終わって目の前の料理に手を付けられないものか……そればかりを考えていた。
「……君は、焦る必要なんか無い。着実に強くなっているしね」
「そうか? いまいち信用できないんだが……」
「今まで、何本の木刀を駄目にしたと思ってる? 継続は力なり、真面目にやっている証拠だ。……まぁ、まだまだ僕には遠く及ばないけど」
「うるさいな、すぐに追い抜いて見せるさ。その時は、たっぷりと後悔させてやるから……覚悟し給え」
「はいはい、楽しみにしてるよ」
それでもやはり、楽しそうな、嬉しそうなアニエスの顔に、思わず顔を綻ばせ、彼は続いてマチルダとミシェル、二人の名を呼ぶ。
「二人とも、ありがとう。ナタンやバルシャも、二人が事務を手伝ってくれているお陰で、とても助かっているよ。そして、いつもお疲れ様。これからもよろしく」
シンプルな挨拶だったが、二人は笑顔で頷いた。彼女たちも、言いたいことはあるのだろうが、それは出来ない。
一瞬、表情に翳りを見せたアクセルだが、すぐに笑顔を戻し、隣のティファニアの頭を撫でた。
「テファ。可愛い過ぎる。以上」
「それだけかよ」
「それ以上の、どんな言葉が必要だい?」
ナタンにすました顔で答えながら、アクセルはティファニアの髪を撫でる。少女はくすぐったそうに身を捩り、白い歯を見せて笑った。
「慰労パーティー、感謝パーティー……色々言えるけど、とにかく、こういうのも悪くないだろ? みんな、僕にとっては必要な人間なんだ。一度、きちんと感謝しておこうと思ってね」
ナタンなどにしてみれば、むず痒いやら小っ恥ずかしいやら、複雑な気持ちだが……それでも、はっきりとアクセルが表した感謝は、嬉しい。得体の知れない少年が、そんな感情を抱いていたことも。
豪勢な夕食の時間は、実に穏やかに過ぎていった。
風呂を終え、マチルダやティファニア達がベッドに入った頃、アクセルは事務室に顔を出してみた。
中にいたのは、大人四人。ナタン、バルシャ、スルト、フラヴィ。
「お疲れ様」
「おう、お疲れ……何だか嬉しそうだな?」
一番付き合いの長いナタンは、やってきたアクセルの様子を見てそう言った。確かに、どことなく雰囲気が柔らかで、鼻歌でも歌い出しそうだと感じられる。
「聞きたい? ねぇ、聞きたい?」
「ああ、さっさと言えよ」
「テファがね、背中を流してくれた」
「それはそれは」
あの少女達に関することだというのは、予想通りだった。ナタンがお座なりな相づちを打つが、アクセルは相変わらず嬉しそうにニヤついている。
「こう、お疲れ様って感じでさぁ……一生懸命ごしごしと。嬉しくってさぁ、ついつい好きなだけ絵本読んであげちゃった」
「……風呂の後?」
「そう、今まで」
ナタンにつられ、フラヴィも時計に目をやり、彼等が風呂場に向かった時間を思い出す。
「……あんた、何冊読んだんだい?」
「わかってないなぁ、フラヴィ。数は問題じゃないんだ。喜んでくれたのが大事なんだ」
呆れる彼女に、アクセルも首を振って呆れ返した。
この少年が、あの少女達に向ける愛情には、ある意味父親以上のものがある……と、父親を知らないフラヴィは、漠然とそう思っている。
「ついでに告白しようか。あの娘達は勿論、僕はここにいる四人だって大好きだ。ローランも含めてね」
スルトが顔を上げていた。
盲目の彼に、視界など関係ないが……光を失う前の習慣故か、それとも単純に能力をより発揮する為か……彼は何かに意識を集中させる時、そちらの方向に顔を向ける。今、その方向の先にはアクセルがいた。
「ナタンと、ナタンを支える三人。組織として、実に安定した、理想的な形だと思わないか?」
三人とはつまり、バルシャ、スルト、フラヴィ。
アクセルは入っていない。
「つまり、今なら……この状態なら……僕がちょっとばかり、取り返しの付かないかも知れない事をしでかしても、些細な問題で……十分に、組織はやって行けるわけだ」
「やっぱ、何か企んでやがったか」
「まぁね」
アクセルはナタンに向かって、肩を竦めて見せた。
「……何を、企んでいる?」
誰よりも早く尋ねたのは、スルトだった。その顔に、いつものゆとりは無い。
彼だけは、アクセルの外ではなく、熱という……ある意味の“内”を見ていた。
「別に……人生は長いんだ。僕に今回許された時間は、明日から四日間。レオニー子爵に招かれ、自領の不祥事に対する改めてのお詫びを受けに行く……それで口裏を合わせるよう、子爵にもローランにも頼んである。だからこれから四日間、僕は……熱血だ。そう決めたんだ。なぁに、失敗しても、死ぬわけじゃないから……気楽なもんだよ」
そこでようやく、アクセルは背中に隠していたものを取り出した。
その正体に気付けたのは、“それ”がアクセルに届けられた時、唯一傍らにいた、バルシャ。
アクセルが以前から求め、ようやくたった一つだけ手に入れられた、マジックアイテム。
「最後になるかも知れないから、言っておくよ。みんな、本当にありがとう」
アクセルは拳銃のような形状をしたそれの銃口を、自らの喉に押し当て、引き金を引いた。
マジックアイテム“夢の姑”。効果は、声を封印すること。