小説『漂流のA(ゼロの使い魔二次)』
作者:権兵衛()

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第1章 青き春の章

第15話<半分>





 幼い頃、母親に抱かれて昼寝をしていた記憶がある。屋敷の中庭で、白いオーク椅子に腰掛ける母親の胸で、暖かな日差しを浴びながら、子守歌に包まれて微睡んでいた。

 (……俺、何でこんな事思い出してるんだ?)

 そう考えた時、唐突に、自分が眠っていることに気付いた。感覚が戻り、暖かいものがくっついているのを感じる。
 そっと、瞼を開いてみた。視界に、緑色のものが映り込んでいる。何とはなしに手を伸ばし、触れてみると、マチルダの髪であることを示す心地良さが伝わってきた。

 「…………」

 暫く、ぼうっとした頭で、その感触を楽しむ。いつもはアクセルを抱き締めるようになっているのだが、今回のマチルダは、アクセルの胸に抱き付くような形になっていた。
 やがて、覚醒が進むと、気を失う前の記憶が蘇ってくる。

 (ああ……失敗したのか)

 原因は、ルーンの暴走。単純に、逆位置のルーンを正位置のルーンで上書きすれば、と思ってしまったのだが、改めて考えれば確かに浅慮すぎた。熱が下がらないからと言って、氷水をぶっかけるようなものだ。

 (確か……使い魔のルーンだって、死ねば消えるようになってたよな?)

 そう……実は、解呪する方法は一つだけある。
 死ねばいいのだ。

 (仮死状態でも、ルーンの効力が消えたりするんだよな? アニメでは、タバサが仮死の魔法を使ってたけど……)

 人間を仮死状態にする魔法は、広く知られてはいないが一応存在する。
 しかし、確実に蘇生するわけではないのだ。アクセルは使えないが、文献を漁った限りでは、どうやら成功率は20%や30%といったところで、あまりにも危険すぎる。その事を知った時には、結構とんでもない賭けに出てたんだな、と、タバサを恐ろしく感じた。あの時は、止めを刺そうとするアニエスから重傷のコルベールを守るためで、死んで元々、という判断もあったのではないだろうか。
 そもそも仮死状態になっても、確実にルーンが消えるわけではない。あくまで、その可能性があるというだけだ。

 当然の事、却下。例え使えたとしても。

 髪を撫でられている感触に気付いたのか、マチルダの頭が動いた。寝惚け眼でアクセルの顔を確認し、おはよう、と言う代わりに柔らかい笑みを浮かべてくる。
 しかし、だんだんとその顔が歪む。目を潤ませ、そっと手を伸ばし、少女はアクセルの喉を撫でた。
 ふと、アクセルは自分の状態を確認する。寝ているのはベッド、マチルダと反対側にティファニアがおり、ミシェルは突っ伏して寝ている。着せられているのは寝間着で、血だらけになってしまった衣服は誰かが着替えさせてくれたらしい。アクセルも生娘というわけではないので、着替えさせたのが誰なのかは興味がない。

 「…………!!」

 そこで、彼はハッとして上体を起こした。壁際の時計を見て、時間を逆算する。

 (俺、どれくらい寝てた!? この時間だと……7時間!? 19時間!?)

 昼夜の分からない地下に籠もっていたせいで、いまいちはっきりとはしない。しかし、貴重な時間が失われてしまったのは厳然たる事実だ。
 少し考え、気絶したのが昼間だった事を思い出し、窓を見る。日光が全く差し込んでこないならば、7時間だろう。勿論、31時間という可能性も否定し切れないが。

 (その程度で目を覚まして良かった、とポジティブに考えるべきか? まぁいい、さっさと……)

 ベッドから抜け出そうとした時、ぐいと手を引っ張られた。蹌踉けながらも何とか体勢を立て直し、後ろを振り向く。マチルダが、両手でぎゅっと、アクセルの掌を握り締めていた。
 アクセルはしゃがみ込み、少女の喉に触れる。少女は相変わらずの泣き顔で、アクセルの顔を見上げ、そしてブンブンと首を振った。

 (……お願い、マチルダ)

 ああ、声が失われたという事は、何と不便で残酷なのだろう……アクセルは唇を結ぶ。

 怒りを抱いた時、怒鳴る事も出来ない。
 悲しい時、号泣する事も出来ない。
 楽しい時、笑い声も上げられない。
 ありがとう、が言えない。
 ごめんなさい、が言えない。
 おはよう、が言えない。

 苦しくて辛い時、心が砕かれそうになる時……助けて、というその一言が言えない。

 握られていた手を握り返し、アクセルはマチルダを引き寄せた。頭を交差させ、両腕を精一杯に伸ばし、その身体を強く抱き締める。

 泣き言も言えず、助けも呼べず、彼女はティファニアを守りながらずっと耐えてきた。
 彼女たちの中には、一体、どれ程の澱が沈殿しているのだろう。どれ程、溜め込んで来たのだろう。
 苦しかった事、辛かった事、悲しかった事……全て、聞いてやりたい。吐き出させてやりたい。この小さな身体から、少しでも重りを削り取ってやりたい。

 その願いを叶えるには、結局、やるしかないのだ。

 アクセルはそっと、マチルダから離れる。今度は、彼女も引き留めず、ただ手を離してくれた。
 ミシェルを抱え上げ、ベッドの上に寝かせ、ティファニアの毛布を直す。
 部屋を出ようとすると、マチルダもついてきたが、アクセルは敢えて留めようとはしなかった。

 ドアノブに手を掛け、回し、押してみるが、ドアは動かない。

 「……?」

 ただの仮眠用の部屋で、特に鍵は取り付けていなかった筈だ。引いて開ける扉、というわけでも無い。
 数秒ほどドアノブを見つめるアクセルは、やがて腰を沈め、拳を構え、正拳突きを放った。ドアを吹き飛ばす、などという豪快な真似は無理でも、この小さな拳はその硬さと相まって、石槍の如く板を貫通する。皮膚が破れ、血が滲むが、大した痛みには思えなかった。
 拳を引き抜き、しゃがみ込んで空いた穴から外を確認する。よく映画で見たように、椅子を斜めに倒し、ノブを固定しているらしい。アクセルは立ち上がると、今度はドアの前で、両掌を構えた。

 ボォンッ

 巨大な掌によって、ドアを押し開けるイメージ。掌の前で、爆発するように吹き荒れる風は、ドアの蝶番を跳ね飛ばして椅子ごと吹き飛ばす。壁に叩き付けられた椅子が、飴細工のように崩れた。

 (行かせない……と、そういうことか?)

 軽く手を叩きながら、ただの穴となった出入り口を眺める。ミシェルとティファニアが、音で目を覚ましてしまったようだが、アクセルはさっさと廊下に出た。
 ふと、右側で何かが動く。

 「また……行くつもりかい?」

 声で分かったが、そっと、首を回す。
 アニエスが木剣を構え、今にも打ちかかって来そうな視線を向けていた。

 アクセルの頭に浮かんだ感想は、この少女は一体何をしているのか……それだけだった。

 ドアを塞いだのは、アニエスだろう。木剣を握っているのは、真剣だとアクセルに怪我をさせてしまうからか。そして彼女の目的は……目的は?
 彼女と向き合ったまま、少し考えてみる。ドアを塞いだのはつまり、アクセルを外に出さない為。また、あのような事故が起きると考えているのかも知れない。しかし、続けない事には、アクセルは永遠に声を失ったままなのだ。だとすれば、このままタイムリミットまで監禁して、失敗させようという事か。

 (……ダメなんだよ、アニエス)

 アクセルは、今回のこれに対して、失敗は許されないと考えている。
 このままでは、声を封じられたまま執政庁のリーズの元へと戻ることになるのだが、そうなった場合の言い訳を用意していないのだ。せいぜい、レオニー子爵領から戻る途中、狼藉者にマジックアイテムでやられた、程度のお粗末なもの。
 ただ声を封じられる、その程度の事だが、それがメイジの、貴族の嫡男だとすれば……。
 リーズ、ローラン……彼等が責任を負わされる恐れがある。二人とも、人を見る目が無い事を自負するアクセルが、原作知識無しに信頼する、数少ない人物。その彼等に、この敗北の責を背負わせるわけにはいかないのだ。

 「言っておくが、ベル君! 私は本気だ!」

 足を震わせながら、アニエスが叫んだ。

 しかし、やはり、アクセルは……何をしているんだ、と、その感想しか出せなかった。

 未来のメイジ殺しも、今はまだまだ無力な小娘。勿論、成長はしているのだが、あくまで常識の範囲内でしかない。
 アクセルはそっと、か細い息を吐き出すと、両の拳を握り締め……構えた。

 (アニエス)

 声が出ないまま、彼女に告げる。
 その目で、その構えで。

 (僕が一体、何年前から……鍛錬を続けてきたと思ってる?)

 死なないため、殺されないため。その二つは、アクセルにとって同義では無い。
 死なないため、表に出ることを避けた。注目されることを嫌った。それは、死の回避。
 殺されないため……強くなる目的は、それだ。自分を脅かす存在、自分と敵対する存在、そんなものが目の前に現れた時、それを討ち滅ぼす為。
 それは、障害を排除する力。

 己が避けるか、相手を除くか……この場合は、後者である。

 アクセルは一度目を閉じ、再び開くと……アニエスを睨み付け、飛び出した。限界まで引き絞られ、突如解放された矢が、一直線に襲いかかるように。

 「っ……!」

 アニエスは歯を噛み締め、木剣を振りかぶる。もう以前のように、たかがそれだけの動作で蹌踉けたりはしなかった。
 しかし、残念なことにその動作は中身が無い。鷹が翼を広げるような、肉食獣が鋭い歯を剥き出しにするような、威嚇としての動作。それが有効なのは、彼我の力関係に差がある時だ。自分より弱い者の恫喝に、膝を屈する者はいない。

 振り下ろされた木剣が、攻撃せずにそのまま突っ込んで来たアクセルの額と衝突し、へし折れた。

 「……!」

 痛みと耳鳴りに歪むアクセルの顔に、血の筋が走る。

 (……強くなったなぁ……)

 考えてみれば、アニエスも成長していた。威嚇のための動作、そこから繰り出された殺気の無い攻撃でも、こうやって木剣がへし折れる。出会った頃と比べれば、別人のような進歩だ。
 軽量とはいえ、新品の木剣を、たった一度でへし折るというその事実は、彼女の成長を表すものだったが……今、アニエスはそこまで思い至らない。割れたアクセルの額、その下の双眸を見つめ、ぶるぶると身体を震わせていた。
 軽く額の血を拭いながら、アクセルは少女を残して進む。アニエスが自分を心配してくれている、というのは理解出来たが、それでも止まれなかった。
 更に二人、前方にいた。右の壁に、腕を組んで寄り掛かるナタン。左の壁に、衛士のように立つバルシャ。

 「…………」

 二人をそれぞれ一瞥し、アクセルは構わずに進む。一歩一歩、距離は狭まり、やがて二人と交差し、そのまま何事もなくアクセルは過ぎ去った。
 詠唱不能のアクセルならば、そして二人がかりなら、腕尽くで取り押さえる事も可能だった。それでも、ナタンもバルシャも、手を出さなかった。

 「……何故だっ」

 崩れるようにして両膝を突いたまま、振り向かず、アニエスは怒鳴る。その怒りの矛先の二人は、一人は天井に向けて溜息をつき、もう一人は静かに目を閉じた。

 「止めようがねぇよ。あんな目に遭って、まだ行こうってんだ。どうやって止めろってんだ?」
 「我々は、メイジではありません。信じて待つ、それだけしか出来ません」

 納得は無理でも、理解は出来た。ナタンもバルシャも、そしてアニエスも。
 だからこそ、心がざわつく。背を支えることも、手を貸すことも出来ず、ただ待つしかない自分に。
 彼が死を恐れるのなら、襲いかかってくる敵から守ってやる事も出来る。しかし、アクセルは喉を吹き飛ばされながら、また繰り返そうとしている。自ら進んで、危険へと飛び込んでいる。そんな人間を止める術など、誰も持ち合わせてはいなかった。

 確かに、声が出せないのは不便ではある。しかし、それが不治であったとしても、命を脅かすようなものではないのだ。彼女たち三人は、十分にその一生を全うすることが出来る。アクセルの立場であれば、表から裏からサポートし、この領地に囲うことだって出来るのだ。
 彼女たちが、表に出せないほどに重要な人物であるならば、尚更、声など出せない方がいいのに。

 「……まだ、グチグチと悩んでいるのか?」

 沈黙する三人、その誰でもない声が、彼等の頭上に降りかかる。いつの間にか、すぐ目の前にまで歩み寄っていたスルトに、アニエスは悲鳴を上げかけて後退った。

 「……悩んでちゃ悪いかよ」
 「ああ。悪いな」

 仏頂面のナタンの言葉を、間髪入れずスルトは両断する。

 「過ぎた不変の事実を、いつまでも語るな」

 一応、身体を清めてきたらしいが、アクセルが声を失ってから今まで、ずっと留守にしていたスルトである。何をしてきたか、という事も知っている三人には、彼が吐き出す言葉の一つ一つにすら、べったりとした返り血が付着しているようで、奇妙で重厚な圧迫感に息苦しさを覚える。

 「そもそも、だ。ヤツが今行っている事は、奪われたものを取り返す事ではない」

 スルトは更に続けた。

 「奪われたのは時間であり、取り返しようのないものなのだ。ヤツは今、戦っているのだ。何と? 悪意と。何によって?」

 彼はそこで、三人に背を向け、大きく両手を広げる。見えるはずもない双月を見上げ、それらを受け止めようとするかのように大きく息を吸い、そして笑みと共に吐き出した。

 「愛によって、だ」

 三人ともが、面食らった。
 この目の前の大男の口から、そんな言葉が出た事に。この大男の頭の辞書の中に、そんな単語が用意されていた事に。

 「信じる信じない、ではない。必然なのだ。例え一年かかろうが十年かかろうが、ヤツは必ず、この戦いに勝利する。何故ならば、ヤツはそれに値する者だからだ」
 「……随分と、信じてるんだな。あいつの事」

 ナタンの言葉には、若干の嫉妬が籠もっていた。そしてその感情は、アニエスも同じである。
 貴族としてではない、裏のアクセルと最も付き合いが長いのが、この二人だった。これまでの交流の中で、それなりの信頼関係を築けたという自負もある。
 しかし、この昨日今日仲間になったばかりの男が、まるで自分たち以上にアクセルについて理解しているようで、自覚出来るほどのものでは無いのだが、確かに嫉妬は生まれていた。

 「もう一度言う。信じる信じない、ではないのだ。既に半分終わっているのだ」
 「何?」
 「やり始めた者は、既に半分を終わらせている。やり終える、という残り半分を、我々はただ待っていればいい」

 本人達ですら自覚していない嫉妬に、スルトが気付けたのかどうか……彼はそれを表には出さない。
 振り向いたスルトは、見えない目で、三人を見回した。

 「俺は既にやり始め、そしてやり終えた。……お前達は、何をやり終える? それとも、これからやり始めるのか?」








 甘かった。
 軽く考えていた。

 ベッドの上に身体を横たえ、右腕で両目を覆い隠し、眠り込んだように動かないフラヴィ。彼女の脳裏に蘇るのは、吹き飛ばされた喉。
 気分が悪くなった、と、ナタンやバルシャに告げ、それからずっと自室で休んでいるが、相も変わらず鮮明にあの光景が浮かび上がる。
 アニエスの怒声と、何かが砕ける音。そして、その後の彼等の会話からするに、アクセルは再び地下室へと戻ったらしい。

 心のどこかで、考えていた。
 貴族の坊ちゃんの気まぐれだと。魔が差しただけだと。

 (……全然、本気じゃないか……)

 矛盾している。水の秘薬を用意していたとはいえ、それであの大怪我が治るかどうか、確証は無かった筈だ。あの少年なら、こんな手段に走る前に適当に山賊でも捕まえ、どの程度の怪我なら治るのか調べ上げそうなものなのに。
 死にたがりではないが、アクセルは命を賭けて、治療に臨んでいた。

 (……そんな必要が?)

 声が出なかったとしても、死ぬわけではないのに。声の出ない三人を、生涯守り抜けるほどの力を彼自身が付ける方が、よほど堅実だっただろうに。
 しかし彼は、その道を選ばなかった。誰から悪意で呪われたわけでもない、自分から、自分の手で、自分の声を奪ってしまった。

 (ただ、焦っただけ?)

 以前から、声を取り戻す方法を模索していた事は聞いている。マジックアイテムを求めていたことも。
 たまたま、今、我慢が出来なくなったのか。
 スルトが言っていたように、“今しかない”のか。

 (ああ……まただ……)

 心の中に、黒くどんよりとしたものが広がっていくのを感じる。先ほどから何度、別の考え事に意識を集中させようとしても、この得体の知れない何かが、結局全て食らい尽くしてしまうのだ。

 フラヴィはベッドの上で、胎児のように身を縮める。
 何者も、己の身体を引きずり寄せる事が無いように、必死で身体を強張らせる。

 あの時……初めて、アクセルと出会った時。
 次々と破壊されていく傭兵達を、呆然と見ながら……それでも、心はどこか浮き足立っていた。まるで、長い間探し求めていたものを見つけた時のような、踊り出したくなるような気持ち。

 その時は、気付かないふりをしてただひたすらに、常の自分であろうとした。

 しかし、今度はあの時、アクセルの吹き飛んだ喉、その傷口のピンク色の肉を見ている時、また、あの得体の知れないものが覆い被さってきた。それはまるで、自分の穴という穴から侵入し、体内へと染み込んでいくようで。自分というものが、蹂躙されていくようで。

 (やめろ……考えるんじゃない、フラヴィ)

 蹂躙されつつある自分を、何とか守ろうとする。しかし、それはまるで一個の人格のようなものを持ち、話しかけて来た。

 何故、お前は人よりも耳がいい?
 何故、遠く離れた場所の会話が聞こえる?
 何故、お前は足が速い?
 何故、他人よりも高く遠くへ跳ぶ事が出来る?

 その疑問に、彼女は反論しようとしてしまった。違う、自分はどこもおかしくなど無いと。
 そしてその時、フラヴィは自分の内側と向き合い……浸食を許してしまった。








 (喉が吹っ飛んでも、消えないってことは……)

 アクセルはパラパラと、書物の一つを流し見ながら思い出す。

 (俺という存在そのものに、呪いがかかってる、というわけか)

 あの時、自分の喉は死んだとも言える。喉にかけられたルーンなら、それで消えてしまう可能性が高い。しかしそうならなかったのは、何故か。

 (やはり、イメージだな)

 水の秘薬を使いながら、自分でも何とかヒーリングをかけた。しかしどうやら、自分は既に、呪縛を受けた喉を通常状態として意識してしまったらしい。

 (もう一度、喉を吹き飛ばして……喋れる状態の自分を強く意識すれば、呪縛は取り除けるか?)

 水の秘薬は、あと二つある。一瞬浮かんだその考えを、アクセルは首を振って頭の外へと追い出した。確かに、試してみる価値はあるだろうが、例え成功したとしても、それが他の三人にも適用できるかは分からない。
 アクセルは、喋れる状態の彼女達を見たことが無い。よって、イメージするのは難しい。彼女たち自身も、もう、喋れない状態の自分たちを、イメージの基本に置いてしまっているのだろう。アクセルは、一晩でそうなってしまったのだから。

 魔法どうこうと言うよりは、精神にかけられた呪いだった。

 (考えようによっては……魔法単体でも、声を奪う呪いはかけられるって事だよな)

 一度吹き飛んだルーンを、そのまま再生するだけとはいえ、今のこの呪縛は間違いなく、自分の精神が引き起こしたものだと言える。

 アクセル自身、ここまで冷静である自分に密かに驚いていた。

 あの時は、水の秘薬を誰かに取って貰えばいいだけだったが、確かに死ぬほどの大怪我だった。

 死んでしまう可能性も、決して低くは無かったのに、何故、自分はこうやって、未だ続けようとしているのか。

 「…………!?」

 そしてアクセルは、背後を振り向く。
 漫画やアニメで、殺気や気配を感じるという表現があるが、そんな事は実際には起こり得ないと思っていた。足音が聞こえたり、何かが動く風を感じただけだろうと。

 しかし、違った。一応、表向きには風メイジであるアクセルは、空気の動きや振動に敏感だが、それでは無かった。背中に氷柱が滑り込んできたような、思わず身を縮めるような感覚。

 振り向いても、そこには誰もいない。応急処置を施された地下倉庫の扉が、頼りなげに傾いているだけだ。
 マチルダやティファニア達は、風呂に行かせた。あと二十分は戻らないだろう。ナタンかバルシャか、アニエスか、それとも帰還したスルトか。

 誰かいるのか……そう、声に出して尋ねる代わりに、アクセルは静かに扉に歩み寄る。
 しかしその時、無事だった方の扉がするりと開き、一人の女が姿を現した。

 (……フラヴィ?)

 マチルダから、フラヴィは気分が悪くなって休んでいると聞いた。確かに、あんなスプラッタもどきを見せられたのでは無理も無い、そう思っていた。
 彼女は白い寝間着を纏い、俯いて床を見ている。ふらふらと左右に揺れ動き、それは傍らの壊れた扉と同じく、ひどく頼りない存在に思えた。

 (……一体、どうした?)

 常とは違う彼女の様子に、そっと歩き出す。すると、フラヴィはそっと顔を上げ、無表情のまま、赤い瞳をアクセルに向けた。
 さながら宝石のような眼球を、アクセルも見つめ返す。見つめ合うのはこれが初めてというわけではないが、その赤には、やはり心惹かれるものを感じる。ひどく綺麗なのだ。

 フラヴィの身体が、前のめりに傾く。
 アクセルは驚き、慌てて彼女の身体を支えようと、受け止めようと、そして走り寄ろうとした。

 しかし、倒れると思ったフラヴィは、既にアクセルの目の前にまで来ている。

 (……え?)

 赤い瞳が、アクセルを捉えていた。



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