小説『漂流のA(ゼロの使い魔二次)』
作者:権兵衛()

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第1章 青き春の章

第18話<貝殻>





 ゼルナの街の守備隊隊長であるイジドールは、土のドットメイジだった。特に武芸などに秀でているわけではなく、彼が隊長を勤めているのは、メイジだからである。

 (……ふむ)

 無骨な手摺りに肘を乗せ、頬杖をつき、アクセルは眼下の広場を眺める。今はアクセル・ベルトランとしての立場なので、マントを羽織り、腰には杖を下げていた。
 見下ろす執政庁裏の訓練場では、守備隊の日課とも呼べる調練が行われている。執政庁を背にして立つイジドールの怒鳴り声を合図に、兵達は様々に動き回っていた。槍術の訓練、剣術の訓練……恐らくは、どこの訓練場でも見られるであろう、至極普通のもの。まだまだゼルナの街は活気づくだろうし、アクセルとしても彼等に、これから今まで以上に頑張って貰いたいのだが、どうも士気が高いとは言えない。
 その理由は、少々予想外のものだった。

 (まさか……バルシャとリリーヌがなぁ……)

 少し調べた結果、アクセルが出した結論は、その結論を出した時の彼の呟きを借りれば、バルシャさんマジパネェ、リリーヌさんカッケーである。
 元々は東地区のトラブルに対応するために結成した自警団だったのだが、彼等ははっきり言ってはりきり過ぎなのだ。その中でも一番活躍しているのは、バルシャ。東地区だけではなく、他の地区の見回りまで行い、事件に遭遇すれば俊敏に対応する。

 自警団の制服には、羽織を採用している。イシュタルの館に、ベニティエの泉を作ったアクセルは、その制服に貝殻をあしらった紋章を付けた。そして今、彼等……貝殻たち、それにイシュタルの女たちは、ゼルナの街の人々に受け入れられつつある。

 こんな話がある。

 守備兵達に追いつめられた強盗が、食堂に逃げ込んで給仕の少女を人質に立て籠もった。既に逃げ切れない事を自覚していた犯人は、自棄になり、店中に油をまいて少女もろとも焼身自殺を図ろうとした。
 その時、ちょうど付き添いの少女達を連れて通り掛かった、一人の美しい娼婦。どうやら、それはリリーヌだったらしい。大勢の野次馬達をかき分けるようにして、店の正面に立った彼女は、付き添いの少女達に楽器で演奏を行わせ、静かに踊り出し、衣服を次々と脱ぐと、一糸纏わぬ姿となって尚も踊り続けた。
 守備兵や野次馬だけでなく、強盗も、全ての視線が彼女に集中した時。気付かれぬよう、細心の注意を払い、わざわざ生ゴミを流す水路を逆に辿って店内へと侵入したバルシャが、背後から強盗を取り押さえ、捕縛した。
 店から少女が飛び出し、続いて溝ネズミのように汚れたバルシャが、捕縛した強盗を引きずって表に出る。すると、どこからともなく貝殻紋の羽織を纏った男達が現れ、羽織で壁を作り、肌をさらけ出すリリーヌを隠した。彼女は慌てることなく、一枚一枚丁寧に衣服を身につける。そして再び少女達を引き連れ、何事もなかったかのようにその場を去り、強盗を守備兵達の目前に放り捨てたバルシャも、男達を引き連れて無言でその場から消えた。

 そしてそれは一例に過ぎず、貝殻紋の男達は恐るべき連携によって、遭遇した事件を解決してしまう。

 (……守備隊の士気が下がるのも、無理もないよな)

 貝殻紋の男達は、常に影のように道の端を歩き、強請もたかりも行わない。寧ろ、相手から食事や金品を差し出されても、容易には受け取らない。そのくせ、トラブルが起きれば全力で事に当たる。

 文字通りどぶ川に潜るような覚悟、そしてそれによる活躍を見せつけられ、また、人々の間でも守備隊より自警団に人気が出るようになり、守備隊の兵士達は自らの存在意義を見出せなくなっているのだ。

 (全く……贅沢な悩みだよ)

 アクセルはその場にしゃがみ込むと、両手で目を覆い隠し、ふぅと溜息をついた。守備隊が劣るというよりは、バルシャ達の能力が高すぎるのだ。彼等が想像以上に働いてくれるのは助かるが……。

 (その弊害が……なぁ)

 バルシャ達を事実上の守備隊にする、もしくは加えるというのも一つの方法だが、あのような対価を求めないヒーロー的な存在は、官ではなく民の立場であってこそだろう。官の存在となってしまえば、余計な義務や責任までついてくる。
 それに、所詮はヤクザ者なのだ。たまたま近くにいた力持ち、くらいの認識をされていれば良く、だからこそより深く街に受け入れられる。

 調練の終了を告げる合図の笛が、訓練場に鳴り響いた。

 座り込んでいたアクセルは、その音にそっと腰を上げ、再び訓練場を見下ろす。武器や訓練道具を片付ける兵士達と、部下と何やら話し込んでいるイジドールが見えた。

 (先日の一件、イジドールが何を企んでいるのか……司祭と何を話していたのかは、未だわからないけど。やはり、守備隊の地位低下に関することなのか?)

 まさか、会って直接、何企んでるんですか?と聞くわけにもいかない。

 季節は既に夏。前世、日本でのそれと比べればカラッとした暑さで、確かに不快感は少ないが、湿気が少ないからか唇が乾く。燦々と光を降りまく太陽を、顔を顰めつつ見上げると、アクセルは唇を舐め、屋内へと戻った。文官達は遅めの昼休みを取っており、事務室には誰もいない。そこを通り抜け、奥にある自分の机に腰掛けると、水差しを傾けて冷水をコップに注いだ。
 机に積み上げられた書類を捲り、軽く確認を行う。

 (……やっぱ、事件が増えたな)

 今年は、例年より若干気温が高い。その為か、喧嘩や傷害など、短気な事件が頻発していた。報告書の所々には、貝殻紋の男達、イシュタルの館などの単語が並んでいる。幾つかの事件は、どうやら彼等の、ナタンの名の下の仲裁で解決していたらしい。

 (まぁ、やばいのは来月だろうな)

 来月は、ニイド(8)の月。ニイドには、忍耐という意味が込められている。そのような名前が付けられる月ということは、それだけ忍耐が必要になってくる時だということだが、その月はまた、三ヶ月に渡る、トリステイン魔法学院の夏休みの最後の月でもある。それぞれの領地、実家に帰っていた貴族の子ども達が、再び魔法学院へと戻ってくるのだ。
 当然、夏休み最終日に戻る者は滅多にいない。新学期の準備もあるので、少し早めに出発する貴族が大半だろうが、そうして暇になった彼等が、このゼルナの街にやって来る可能性もあるのだ。更に言えば、それなりに有名になりつつある、ゼルナのイシュタルの館に。

 (流石に、そいつら……いや、“先輩”と呼ぶべきか? そいつらだって、親や実家には内緒で来る筈だけど)

 王都トリスタニアでは人目が気になるが、この片田舎なら大丈夫と考える者もいるだろう。流石に親や実家に秘密にしたい以上、家名を出す事は無いだろうが、世間知らずの坊っちゃま方が横車を押し通そうとするのは目に見えている。そして彼等は、言うまでもなくメイジで貴族。娼婦が平民である以上、どう扱おうが大した問題は無いと考える。

 (さて……。どうするか)

 吸血鬼もいればエルフもいるイシュタルの館は、それだけで一つの弱点。露見すれば、国家の一つや二つ敵に回る。
 それなりに分別のある貴族なら、ゼルナの街がラヴィス子爵領であることを弁え、無用の争いは回避するだろう。しかし、その分別すらないドラ息子、特に伯爵や候爵の者は厄介だ。例え最終的にこちらが勝つとしても、女の子の一人でも傷つけさせるわけにはいかない。

 (……なら、どうするか。親や実家に告げ口するのは、イシュタルの館の信用問題だ。精々、噂を流すくらいだな。しかしそんなの、所詮は報復の手段でしかない。何とか、予防する事は出来ないか?)

 再び水差しを傾け、コップを満たす。

 (こんな事なら、夏休みが始まる前に、魔法学院から何か一言言っておいて貰うべきだったな。少しでもマシだったろうに。……来年からはそうするか?)

 何か天啓のようなアイディアでも降臨すれば別だが、今となっては、対応策を考えるしかない。
 勿論今でも、客には入り口で履き物や武器、メイジなら杖を預けて貰っているが、その段階で暴れ出されては、そして相手がそれなりの力量を持っていれば、取り押さえられるのはスルトだけだろう。流石に彼が敵わない相手など考えたくないが、彼が不在で対応できない場合の事を考えねばならない。

 (……っつーかそもそも、高校生程度の年齢の分際で、娼館に行こうってのが気に食わん)

 この世界では、別に不思議な事では無かった。十三歳でメイドに手を出し、孕ませた貴族もいたという。

 (……駄目だこりゃ。個人的な怨みにすり替わってる)

 アクセルは思わず苦笑いを浮かべると、書類の束を整えた。
 事務室のドアが開き、誰かが入ってくる。昼休みを終えた文官かとも思ったが、カチャカチャと金具の音が聞こえた。

 「ん? おお、若様。こちらにいらっしゃいましたか。失礼を」

 イジドールだった。鎧の大部分を外している彼は、笑顔で挨拶してくる。
 その笑みは、アクセルを完全に蔑ろにしたものだった。自覚が無いままにそんな顔をしているのなら、別に構わない。自覚があってわざとそんな顔をしているとしても、別に構わない。どちらにしろ、ただの貴族のバカ息子と見られているということなので、アクセルにとっては都合が良い。

 「訓練、ご苦労だったね。どうかした?」
 「ええ、少々お願いが。これからの季節、犯罪が色々と増加する傾向にあるのですが、何故かご存知ですか?」
 「……いや、わからないよ」

 コップの水を飲み干すと、アクセルはイジドールの言葉を待つ。彼は胸を張って、一つ咳払いをした。

 「暑くなってくると、人々の心からは余裕が失われ、実に怒りっぽくなるものでしてな。頭に血が上りやすくなるのです。更に人々は怠惰となり、戸締まりは疎かとなり、盗人にとって実に都合の良い環境が生まれます。よって、街中の警備を強化する為、守備隊の増強を提案致します。特に最近では、近隣であの“悪逆”のサンディを目撃したとの情報もあり……」

 イジドールは間を置かず、言葉を連ねた。
 どう返そうか、それを考えようとしたアクセルだったが、すぐに止めた。うーん、と困ったように唸り、頭をかく。

 「……リーズがいいって言うんなら、良いよ」

 アクセルは、その返答がベストだと判断した。

 「了解しました。では、彼女と相談して参ります」

 果たしてイジドールは、その返答を予想していた。いや、そう返されると確信していたらしい。侮りの笑みは喜びの笑みとなり、回れ右をすると、さっさと事務室から出て行った。
 アクセルはまた、コップに水を注いだ。

 (あの様子だと、リーズを頷かせる準備は出来てるな。守備隊の増強は道理だけど、あの笑みは気に入らない。小僧と小娘如き、所詮は自分の掌の上……と、そんな風に思ってそうな顔だ。守備隊の増強を承認させ、それから何をしようとしているのか。問題はそれだな。……ああ、全く、次から次へと問題が……)

 一つ溜息をつき、アクセルは立ち上がる。少年は癒しを欲していた。








 「……何やってんだお前」

 今日は執政庁にいる筈のアクセルが、いつの間にかイシュタルの館にいることも驚いたが、寧ろナタンは呆れていた。アクセルはベッドの傍で膝を立て、昼寝中のティファニアの顔をだらしない目で見つめている。

 「何って、回復中。心の力を」
 「あー、そうか」
 「あ、涎が垂れてる。……いいかな? 拭っちゃっていいかな?」
 「……好きにすりゃいいんじゃねぇの?」
 「本当に!? そんなことしちゃっていいのかな!? この天使の雫に、僕みたいな下賤の者が触れても許されるのかな!?」
 「ちょっと待て、お前マジで大丈夫か!?」

 ティファニアが寝返りを打ち、慌ててアクセルは口を閉じた。

 「……で、どうした。何かあったのか?」
 「あ、うん」

 ナタンに促され、アクセルは立ち上がると、寝室から出た。そっと扉を閉め、二人並んで廊下を歩き出す。
 アクセルの話を聞いている内に、ナタンも渋い顔になった。

 「貴族のガキか。……そういうのは、今まで無かったな」
 「まぁ、この子爵領では僕だけだからね、そういうのは。今までの貴族の客は、隣のラファランもそうだったけど、だいたい二十歳を過ぎた人ばっかりだから。何て言うか魔法学院の生徒達は……」
 「常識が無い、っつぅか……」
 「そう。平民相手なら無茶が許される、そんな事しか頭にないガキだと、少々困ったことになりそうなんだ」
 「……九歳児にガキって言われる奴らか」

 口角を吊り上げて一度笑うと、ナタンは前方から歩いてくるバルシャに気付き、声を掛ける。書類を捲りながら歩いていた彼は、二人に気付くと立ち止まった。

 「ちょうど良かった。少々、お願いがあるのですが……。二週間ほどの間、イシュタルの館、並びに東地区の警戒を強化したいのです」
 「おっと、バルシャもか」
 「え?」

 ちょうど、ナタンにも話そうと思っていた所だ。怪訝そうに聞き返すバルシャ、それにナタンの二人を前に、アクセルは執政庁での事を話す。
 ナタンはただ頷いていたが、バルシャは険しい顔をした。彼が気になったのは、アクセルが口にしたとある名前。

 「“悪逆”のサンディ……ですか」

 アクセルもナタンも知らなかったが、バルシャによれば、裏社会では有名だという。

 「何した人?」
 「……昔、王城に忍び込んだそうです」
 「え?」

 思わず聞き返す。バルシャは険しい顔のまま、更に話を続けた。

 “悪逆”という、実にわかりやすい、そしてシンプルな二つ名で呼ばれるその男は、隠れた伝説である。トリステイン王国は、そんな男は存在しない、ただの根も葉もない噂話だと否定したのだが、わざわざ正式に否定したというその事実が、かえって実在の信憑性を持たせる事となった。
 あれは十年前、いや二十年前だと、裏社会の人々は様々に言う。一体いつの話なのか、それどころかいつ頃から噂が始まったのかも分からず、全ては曖昧。だが、彼が何をしたのか、そう問われれば、ほぼ全ての人間が口を揃えた。

 曰く、トリスタニアの王城に忍び込み、国王の愛妾を寝取ったと。

 その愛妾の名もバラバラで、いや王妃を寝取ったのだなどという者もいる。しかしともかく、国王の女を奪ったというその男の噂は、人々の間で実に痛快な傑作として語り継がれ、実在したかが曖昧な事も相俟って、裏の伝説として定着していった。

 「……すげぇな」

 ナタンは顔を引きつらせて、ぽつりと漏らす。が、アクセルは首を傾げた。

 「まぁ、王城に忍び込んで無事に逃げ延びたってのは、とんでもないヤツだなぁ……と思うけど。事実だったとしても、結局はただの、間男だろ? そいつが何でそんな……」
 「“悪逆”のサンディが実在したかどうかなど、大した問題ではありません。問題は、“悪逆”のサンディを名乗る者が現れた、ということなのです。“悪逆のサンディ”という名はもはや、一種の称号のようになっており、様々な悪党が好き勝手に名乗っています」

 そこで一旦、バルシャは言葉を切る。そして俯き、少し考え込んだ。

 「もしかしたら、“悪逆のサンディ”とは、“悪党”そのものなのかも知れませんね。様々な悪党達がその名を名乗り、彼等の重ねた罪が、“悪逆のサンディ”の罪科に加えられていった……。“悪逆のサンディ”が犯したと言われる罪は、星の数ほど挙げられますが、本当のサンディ自身の罪は、一体そのうちの幾つなのやら。……ともかく」

 バルシャは溜息をつくと、軽く頭を振った。

 「その名が出てくる以上、警戒はしておくべきです。悪党の名であることに変わりはないのですから」

 聞き流していた名が意外に重要であることに、アクセルは頭を抱える。表と裏、両方から厄介事が押し寄せている感じだ。

 「……しかし」

 そのアクセルの苦悩を察したのか、バルシャは微笑むと、書類の束を手の甲で叩いた。

 「イシュタルの館、並びに東地区の警備はお任せを。スルトもいますし、対応しきれないという事も無いでしょう」
 「夏休み終わりで、羽目を外したがる貴族の坊ちゃん達も来るよ」
 「失礼ですが、あなたは少々心配し過ぎです。物分かりの悪い貴族を相手にするのは、私も初めてではありません。乗り切って見せます」

 力強いバルシャの言葉に、アクセルは彼を信頼することにした。
 ただ、あまりに仕事に励み過ぎる彼に、違和感を覚える。出会った当初は、もっと冷静というか、冷徹というか、激することなく淡々と仕事を行うタイプだった筈だ。どうやらバルシャの中で、何かが変わりつつあるらしい。その変化が正か負かは不明だが、明るくなったとも言えるので、アクセルは善しとすることにした。

 「そうか……。じゃあ、警備関係はバルシャ、それにスルトに一任するとして。僕は、執政庁の問題に集中するとしようか。リーズの攻撃は大したことないだろうけど、イジドールと司祭の関係が気になる。ブリミル教を無視するわけにもいかないしね」
 「んじゃ、俺はどうするか……」

 ナタンはそう言うと、二人の顔を見た。問い掛けるような彼の言葉に答えようとするアクセルだったが、バルシャは待っていたとばかりに笑みを浮かべる。手に持っていた書類の束、その三分の二ほどを割り、ナタンの胸に軽く当てた。

 「では、まずはこちらをお願いします」
 「……何これ」
 「この辺り一帯の治安の悪化の原因に、クルコスの街の傭兵ギルド崩壊が挙げられます。元傭兵の中から何人かが流れ着いていて、雇って欲しいと。その彼等のリストです。目を通して、優先雇用順位順に整理しておいて下さい」
 「これ全員を?」
 「はい」

 ナタンは斜め下のアクセルを振り向こうとしたが、既に少年は消えている。傭兵ギルド崩壊に責任はなくとも、原因の一端を担うアクセルは、途中で耳を塞いで退散していた。








 (そうだ……すっかり忘れてた)

 ナタンとバルシャの元から逃げ出し、事務所二階のテラスの椅子にだらしなく寄り掛かっていたアクセルは、ふと思い出す。ティファニアの寝顔によって、すっかり脳内の辺境へと追いやられていたが、こうやってイシュタルの館に戻ってきたのは、バルシャに何か、普段の働きに報いるようなプレゼントをしようと思ったからだ。
 以前の彼なら、頑なに辞退していただろう。だが、今の彼ならばどうか。欲しい物、望んでいる事、そのヒントくらいは漏らしてくれるのではないか。

 (……何か、マジックアイテムでも作るか? 平民でも使えるのがいいな。いや、それよりも休暇を取らせて、旅行をプレゼントするか。普通は行けないような場所がいいな。……サハラとか? いや駄目だ、絶対に嫌がらせだと思われる。……あれ、そう言えばバルシャの趣味って何だ? 酒もあんまり飲まないし、博打も女遊びもやらないし。そんな事も知らない俺も俺だよ、全く)

 昔からバルシャを知る人間に聞くべきか。そう思っていると、ふらりとテラスにやって来た女性がいる。どこか疲れたような顔をしたフラヴィは、先客のアクセルに気付くと、挨拶も億劫なのか軽く手を挙げた。

 「そうだ、フラヴィ。ちょっと聞きたいんだけど」
 「ん? 何?」

 尻を放り落とすようにして空いた椅子に陣取ったフラヴィは、軽く首を回しながら両手を左右に伸ばす。

 「バルシャの趣味とか、知ってる? 好きな物とか」
 「……弓術」
 「それ、趣味かなぁ? 噂でもいいから、何か無い?」
 「噂って言ってもねぇ」

 思い出そうとした様子も、考え込んだ様子もなく、彼女は笑い声を漏らした。そして顔をつるりと撫でながら、溜息をつく。

 「そう言えば、知ってたかい? 男前だし、優しいし、強いし。結構人気なんだよ、あいつ。ナタンもそうだけど」
 「ああ、やっぱりか。納得」
 「何人か、バルシャを口説き落とそうとした娘もいるんだけどさぁ……駄目。全滅。自覚無し、ってわけじゃなさそうだけど、何て言うか……節制って言うの? 自分でブレーキかけてる所があるんだろうね」
 「……ふーん」

 職場内恋愛について、アクセルはとやかく言うつもりは無かった。
 彼女たちが恋心を抱くことが、イシュタルの館の業務に差し支える恐れがあるのは事実だが、本気で愛する男が出来たのなら、それはそれで仕方ないことだと思っている。

 「……じゃあ、誰かバルシャの想い人がいるってこと?」

 アクセルは、自分がバルシャの立場だったらと考える。きっと自分なら、誘われるままホイホイついて行きそうだ。そうしないと言う事は、誰かに操を立てているのだろう。

 「そりゃ分からないさ。けど、そうだね。自分はあくまで女を守る立場の人間で、女に手を出してはならない……と、そう考えてるんじゃないかい?」
 「ああ、有り得るな、それ。奴隷市場でも、商品に手を出してはならない……って、厳しく教育されてたそうだし。そうだ、ひょっとして」
 「ん?」
 「リリーヌ?」

 少年の口から、ふと一人の女の名が漏れる。そしてその呟きの意味を、フラヴィは即座に理解した。

 「フラヴィも聞いただろ? 食堂での立て籠もり。通りかかったリリーヌがバルシャに協力したそうだけど、それって、バルシャだったから協力したんじゃ……?」
 「そうかねぇ? いや、それよりも」

 リリーヌの名で思い出したのだろう。適当な返事をしたフラヴィは、そのような恋愛事情などより重要な、リリーヌについての別の話題へと移った。

 「西地区の、ラーマ商会の旦那。それに、北地区の“木陰の小鳥亭”の若旦那が、リリーヌを身請けしたいとさ。全く、二人とも全然諦めないから、対応が大変でさぁ」

 イシュタルの館の一番人気がリリーヌだということは、彼女の部屋が館の四階にあることで、アクセルも朧気ながら知っている。そして、先日の立て籠もり事件以降、その人気は更に上がってると、フラヴィはどこか嬉しそうに言った。収入や利益がどうこうではなく、大事にしている妹分の人気の高さに、鼻高々なのだろう。

 白昼堂々、大衆の面前で一糸纏わぬ姿になる、という行動は、慎み深いとされるトリステイン王国の気風にも関わらず、好意的に評価されていた。やはり、人質の命を救ったという事実が大きいのだろう。批判する輩も、恥知らずの娼婦の中でも更に恥知らずな売女、としか言う事が出来ず、声を大にして言おうものなら周囲の失笑を買う。片田舎の街なので、身請けを申し出たのは二人だけだが、ここがゲルマニアで、更に首都のウィンドボナだったら、国中から何十人と押し寄せていたのではないか、と、アクセルはぼんやりと想像した。

 「……ん? ちょっと待って」

 先ほどのフラヴィの言葉が引っかかり、アクセルはすっかり妹馬鹿と化した彼女を現実に引き戻す。

 「二人とも全然諦めない……と言うことは、リリーヌが断り続けてるってこと?」
 「ああ。まぁ商会の旦那は、ガマガエルみたいな面してるし、わかるんだけど。小鳥亭の若旦那の方は、精力溢れる男前って感じなんだよねぇ。まだまだあの食堂も大きくなりそうだし、悪い話じゃないと思うんだけど。まぁ結局は、あの娘が選ぶことだしね。外野が口を出してもしょうがない」
 「ふーん……」

 その時、フラヴィはハッとしたように目を見開いた。アクセルに向き直ると、咎めるように彼に人差し指を突き刺す。

 「っていうか、そうだよ。あんた、代官でもあるんだろ?」
 「まぁ……そうだね。いや、それが本来の姿なんだけど」

 いくら殆ど働かないとはいえ、この街の、ひいてはこの子爵領の責任者であることに間違いはない。

 「バルシャもそうだけど、リリーヌも民衆の命を救ったんだよ。そんなら、リリーヌに何かご褒美があってもいいんじゃないかい?」
 「勿論、それも考えてるさ。バルシャと恋仲なら、二人きりで旅行させるとか、そういうの考えるんだけど……。はっきりしない今じゃ、まだ保留」
 「バッカじゃないの?」

 フラヴィは立ち上がると、人差し指で何度もアクセルの胸を突いた。されるがままのアクセルの身体が、椅子ごとぐらぐらと揺れる。

 「ちょっ、痛いっ、痛いって」

 吸血鬼の血が混じっている彼女の力は常人以上で、何気ないスキンシップが立派な攻撃にもなる。心配りを忘れたその指の攻撃に、アクセルは降参するように両手を突き出した。

 「ご褒美なんて、いくつ上げたっていいじゃないか。マジックアイテム作れるようになったんだろ? 代官なんだろ? とにかく、全力でリリーヌを喜ばせな。それが報いるってことじゃないか」

 どうもリリーヌの事になると、フラヴィはアクセルへの恐れが薄れる傾向にあるらしい。ふと、未来の……原作のマチルダとティファニアを思い出すアクセルは、抵抗せずに頭をかいた。

 「……うん、そうだね。よしわかった。わかったよ。……それじゃ、フラヴィ。リリーヌの好きな物を教えて。もしくは趣味とか」
 「い、や、だ」
 「ええー……」

 少々理不尽な対応をされたようにも思え、アクセルの片目が歪む。

 「フラヴィ、矛盾してない?」
 「してない。あんたが苦労してそれを探ることも、報いるってことの内だよ。ほらっ、さっさと行くっ。結果的にリリーヌが喜ばなかったら、アンタを屍人鬼(グール)化させてとんでもない汚名を着せてやるからね!」
 「ちょっ、言っていい冗談と悪い冗談があるぞ!」
 「何言ってんだい、本気だよ!」
 「……うわ本当だ、本気の目してるよ……」

 這々の体で、アクセルはテラスから逃げ出した。



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