小説『漂流のA(ゼロの使い魔二次)』
作者:権兵衛()

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第1章 青き春の章

第19話<問答>





 バルシャは無言でフラヴィを見返す。その目に感情の動きは全く見られず、怯んだフラヴィは思わず半歩ほど後退った。
 暫く瞬きを繰り返していたバルシャは、彼女の質問が自分にとって大した意味を持たない、その事に思い至ったかのように、また書類へと視線を戻す。

 「違う」

 口からは短く、否定の言葉を漏らした。

 「え……そうなのかい?」

 そう言うフラヴィも、その答えを心のどこかで予想していた。ああ、やっぱりそうかと、別段不思議に思うこともない。
 書類に一言二言書き込みながら、壁に広げられたゼルナの街の地図にピンを差し込んでいくバルシャは、否定の言葉を重ねずに仕事を続ける。

 「……んで? 何でそんな的外れな事、わざわざ聞いてきやがった」

 バルシャも、決して育ちが良いとは言えない。アクセルとナタンに対しては別だが、その他の人間に対してはだいたいこんな口調だった。

 「いや、ベルのヤツがさぁ、あんたに何かプレゼントしたいって」

 口に出してから、言わない方が良かったかと思ったフラヴィだが、既に後の祭りである。ちらりとバルシャに目を向けると、彼は目を丸くして、書類ではなくフラヴィの顔を見ていた。

 「プレゼント……?」
 「そうだよ。この間の立て籠もり事件の時とかもそうだし、色々と頑張ってくれてるからって。まぁ、ご褒美ってヤツかねぇ? 代官としての立場もあるし」
 「…………」

 バルシャは再び書類に顔を戻す。

 (喜んでる……のかな?)

 フラヴィにはそう見えた。一瞬だが、彼の表情が和らいだようにも見えたのだ。それが見間違いか幻覚であった可能性も否定できないが、どことなく、その雰囲気に優しげなものを感じた。

 「……えっと、まぁそんな訳で。アンタとリリーヌが恋仲なら、二人きりで旅行とかプレゼントしようかと思ったらしくて」
 「その必要はねぇ。仕事だからな」
 「それ……ベルの前でも、同じ事言えるのかい?」

 バルシャは答えない。その価値が無い質問だと判断したのか、それともフラヴィの言うように、アクセルに面と向かってそれを言う自分を想像したのか。

 「……あの一件に関しては、俺も正直驚いた」
 「え?」

 バルシャは書類の束を整えると、机に置く。そして壁際の水差しを手にすると、近くのコップに中身を注ぎ入れた。

 「立て籠もりの一件は、俺も焦ったんだ。犯人はすっかり頭に血が上ってたし、容易には手が出せない。落ち着くまで時間をかけるか迷ったが、冷静になる前に最悪の事態になる可能性も高かった。……そこへ、通りかかったリリーヌが、自分が囮になると申し出たんだ」
 「あの娘の方から……?」
 「そうだ」

 冷水を一気に飲み干すと、彼は椅子に腰掛ける。壁に背を預けていたフラヴィも、近くの自分の椅子に落ち着いた。

 「確かに、有効な手だ。女が衣服を脱ぎ始めたら、男なら誰でも気になる。どこまで脱ぐのか、どこまで見えるのか、ってな。特に最後の一枚を脱ぐ時なんざ、固唾を飲んで見守るさ。しかも、あいつは若くて美しい」

 バルシャが女に対してそんな感想を持ち、しかもそれを口に出してしまうことに、フラヴィは密かに驚いた。彼はコップを机の端に置き、思い出そうとするかのように腕を組んだ。

 「最後の一枚を残す、なんて事を考えて脱いでたら、犯人の注意は引けなかった。初めから素っ裸になる覚悟だったんだ。いや……覚悟、ではないな」

 ついに、バルシャは目を閉じる。唇を結び、鼻の奥から軽い呻きを漏らすと、瞼を開くより先に口を動かした。

 「……覚悟じゃねぇんだ。そんな鈍重なもんじゃない。良心、ってヤツか? 一番優先すべきものが何か、わかってると言うか……心強い柱が通っていると言うか……」

 暫く一人で抱え込んでいたが、バルシャは突然頭を掻く。

 「とにかく、だ。あいつは……そこらの女なんかより、よっぽどいい女だ」

 バルシャ自身、自分がそんな事を言うことになろうとは思っていなかった。

 フラヴィ達が以前に起こした騒動に対して、ナタンは既に水に流している。アクセルは時々皮肉を言うが、それとて軽口のようなものだ。
 しかしバルシャは違う。未だ、フラヴィのことを、そして更にはスルトのことを信用していない。スルトについては、メンヌヴィルとして傭兵をしていた頃の情報を集め、契約違反を行う人物では無さそうであること、次に高い能力を有していることで、信用はしなくとも簡単に裏切りはしないと判断している。彼が警戒しているのは、やはりフラヴィだった。
 女の摩訶不思議さを知り、理解できない存在だと理解しているからでもあるが、明確な悪意を組織に向けた相手を、バルシャは容易には許せない。吸血鬼としてフラヴィが暴走したあの時、もしも彼がその場にいれば、アクセルの首筋に噛みつこうとする彼女の頭を射抜いていただろう。
 あり得ない事だろうが、今、ナタンかアクセルに命じられれば、バルシャは躊躇いなくフラヴィを殺す。

 (……あの時)

 バルシャが思い起こすのは、アクセルがいなかった、イシュタルの館の宴会での事。一人会場を抜け出し、フラヴィに命じられるままミシェルを攫おうとしたリリーヌを取り押さえたのは、他でもない彼だった。

 (どういう事だろうな)

 あの頃はまだ、リリーヌはどこにでもいるただの女だった。確かに美人だったが、騒ぐほどのものでもなく、器量や度胸も感じられない。ただ、その場その場で自分以外のものによって流されていく、一人では何も出来ないか弱い女だった。

 そのリリーヌが、いつの間にか変わっていた。彼女が犯人の注意を引く役を買って出た時は、双子の姉妹でも現れたのかと疑ってしまった。
 白昼堂々、公衆の面前で裸になるなど、誰だって躊躇する。彼女に露出癖があるとも思えない。にも関わらずそれが出来たのは、先ほど彼自身が口にした通り、少女の……いや、少女だけではなく、犯人の命すらも優先したから。

 (常に人命を優先する……ってことか)

 その優しさは、リリーヌの元々の気質だろう。しかし以前の彼女なら、果たして、心では思っていても実行に移せたかどうか。
 ともかく、彼女のお陰で誰も死なずに解決したのだ。それについては、バルシャは素直に感謝している。

 「……まぁ、リリーヌも凄いけどさぁ」

 独り思考の海に沈んでいたバルシャに痺れを切らしたのか、フラヴィは曖昧な笑みを作ると、彼に声を掛けた。

 「アンタも凄いって言うか、何て言うか……わざわざ溝を逆行するなんて、それこそ覚悟が無いと出来ない事だと思うよ」

 それが自分への褒め言葉であることを認識するのに、バルシャの脳は十数秒もかける。

 「……。あんなもん、臭いを我慢すりゃいいだけだ」

 素っ気なく返す彼は、その機会に思考を打ち切った。








 イシュタルの館最上階である四階、イキシアの間。そこがリリーヌの領域であり、この館で最上の一室であり、現在アクセルがその前をうろついている場所であった。

 (……どうしよう)

 来訪の言い訳である。そろそろ客が来る時間帯であるし、そんなに時間は無い。自然な理由を思いつけず、いっそ別の日に後回しにしてしまおうかとも考えた。

 (クソッ、こんなんだから童貞のまま死んだんだよ、俺は)

 扉をノックして、やぁと挨拶して、欲しい物や好きな物が無いか聞き出す。すべき行動は、たったのそれだけ。スムーズに行けば、一分どころか三十秒ほどで済んでしまう。

 (そもそも、普段そんなに話したりもしないしなぁ)

 以前に貰った、滋養強壮の妙薬のお礼を改めて言う、というのも考えたが、それなら手土産の一つでも持ってくるべきではなかったかと、二の足を踏んでしまった。

 「……どうかしたの? ベル君」

 ここまで近づかれたのに気付けなかったというのは、それだけ集中していたからだろう。突然背後からかけられた声に、思わず前へと跳躍し、目の前の壁に手をついて姿勢を保つ。

 「あ、部屋にいなかったんだ?」

 急いで振り向きつつ、アクセルはぎこちない笑顔を作った。リリーヌは少年の様子に軽く首を傾けたが、すぐに柔和な微笑みを返すと、そっと手を伸ばして扉を開く。彼女に誘われアクセルも、相変わらず壊れかけの人形のようにぎこちない動きで、部屋の中へと立ち入った。

 第一級の部屋ともなると、家具や内装も立派である。ベッドは天蓋付きだし、絨毯は上質。さながらホテルのように、一通りのものは揃っていた。

 「ジュースでいい?」
 「あ、いえ、その、おかまいなく」

 備え付けの食器の用意を始めるリリーヌの仕草は、実に自然体である。ここが彼女の領域である以上、それは当然な事であるのだが、ペースを崩されたままのアクセルは一層身体を硬くしている。

 「ふふっ」

 リリーヌが笑った。

 「何だか、借りてきた猫みたい」

 アクセルは反論できない。苦笑いのような愛想笑いを返し、彼女からコップを受け取った。注がれたレモネードは、アクセルのレシピの一つである。
 絨毯の上に胡座をかくアクセルの横で、リリーヌも膝を折った。互いにレモネードを一口飲んだところで、少年は話題を思いつく。

 「フラヴィから聞いたんだけどさぁ」
 「姉さんから?」
 「うん。……身請けの話、二つとも断ったんだって?」

 リリーヌはこくりと頷いた。彼女は相変わらず、自然な動作のままであり、特に心を動かした様子は見られない。

 身請け、と言っても、リリーヌの場合は完全に彼女の自由意志となる。元々リリーヌはこの街の娼婦で、奴隷市で買われた女ではない。つまり、金銭的な義理は殆ど無いに等しく、例えば彼女がイシュタルの館を出ると言い出せば、阻める道理など無いのだ。せいぜい、この部屋の改修費用くらいだが、それも今までのリリーヌの貢献で何とかなるレベルであり、結局身請けするのにいくら必要かは、勝手に吹っかける事が出来てしまう。そして身請けの金を、こっそりリリーヌが懐に収める事も可能なのだ。

 何故、と、断った理由を聞きかけて、アクセルは止め、レモネードを飲み干した。それはつまり、彼女が未だイシュタルの館に留まっている理由を聞くのと同じである。流石にそれを聞いてしまえば、自分がリリーヌを追い出したがっているように取られるのではないかと、そんな危惧を抱いてしまった。
 そしてそのように考えてしまったが故に、次のリリーヌの言葉に慌てる。

 「断らない方が良かったの?」
 「そ、そんな事は言ってない。リリーヌの好きにすればいいし。……まぁ、断った理由を知りたいと言えば、知りたいけど」
 「色々よ」

 戯けて見せたのか、リリーヌは胸を張った。が、すぐに背を正すと、彼女もレモネードを飲み干し、コップを傍らの椅子の上に置く。

 「……私もね、聞きたい事があるの」
 「僕に?」
 「うん」

 リリーヌは絨毯の上に両手を置くと、足を揃えて正座した。ちょいちょいと、右手でアクセルを招く。内密な話でもするのかと、彼は立ち上がらずに近づいた。

 「わっ……」

 両肩を掴まれ、引き倒され、思わず声を上げる。ぼふんと、彼女の太腿の間に顔を埋めた。驚くアクセルだったが、すぐに意図を察して寝返りを打つと、天井を……リリーヌの顔を見上げる形で寝そべる。しかし彼女の顔は、眼前の豊満な双丘が障害となって見えず、アクセルはそれ以上意識しないように目を閉じた。

 「……それで、何を聞きたいの?」

 両頬がそっと、掌によって包まれる。片目を開けると、リリーヌは背を丸めてアクセルの顔を覗き込んでいた。頭に当たる柔らかい膨らみに気付き、アクセルはふて腐れるように再び目を閉じる。

 「ベル君は……何で、イシュタルの館を作ったの?」

 予想していなかった質問に、彼はそっと両目を開けた。二度三度、瞬きを繰り返し、リリーヌの瞳を見つめ返す。
 ふと、彼女は視線を逸らした。

 「街の裏も支配するために、ナタンさんをボスにして組織を作ったんでしょ? でもそれなら、賭場でも良かったし、そっちの方が稼げたんじゃないかなぁって……。賭場を作って、それから娼館を作るなら分かるの。でも、先に娼館を作って、それをメインにしたのは、何でだろうって思って」
 「……たかが九歳児のガキが、そこまで細かく考えると思う?」

 リリーヌはそっと、アクセルの鼻梁に指を這わせる。暫く黙り込んでいたアクセルは、自嘲するような笑顔を仕舞うと、一つ溜息をついてから口を開いた。

 「人間の三大欲求は、食欲、性欲、睡眠欲。その中で一番商売になりそうで、裏社会で扱うのに相応しいと思ったのが、性欲。実際、この街には娼婦はいても、賭場は無かった。必要だったのは、娼婦なんだ。だから全ての娼婦を集めて、彼女たちを抑えれば、それが一番早く街の裏を抑える道になる……と、思った」

 リリーヌは黙って聞いている。

 「……と、ナタンやローランには言ったんだけどねぇ」
 「けど……?」

 聞き返す彼女に、アクセルは呻いた。顔を顰めるように皺を増やしていたが、すぐに力を抜いてまた溜息を吐き出すと、表情を崩す。それが笑顔と呼んでいいものなのかどうかは、リリーヌには判断出来なかった。

 「初めは、何も考えてなかった。ただ、ナタンと出会って、あいつをボスにしようと思ってから、何日かは暴れ回ってた。あの時はただ、ゴロツキを片っ端から殴り飛ばしてただけだったんだけどね……そいつらが、揃いも揃って娼婦達を支配していることに気付いたんだ」

 ラヴィス子爵領、ゼルナの街は、周辺から浮浪者が流入してくる、掃き溜めのような場所である。
 碌な教育も受けておらず、何か特技があるわけでもない彼等が働き口を探そうとすれば、男はヤクザ、女は売春婦と相場が決まっている。賭博に熱中できるほど余裕がある者もおらず、いたとしてもそういう人間は、隣のクルコスの街へ行ってしまう。また、売春婦の成り手には事欠かない為に、賭博ではなく売春が広がったのだろう。
 娼婦の勝手な商売は許さず、縄張りを作り、上納金を納めさせる。売春婦には事欠かない為、使い捨てが出来る。そして一定の縄張りさえあれば、十分に金は集まり、無理に他の組織を食らう必要もない。
 アクセルとナタンは、ある種の馴れ合いを演じていたそれらの組織を次々と壊滅させ、一手に纏めたことになる。

 「……僕がこんな事言っても、説得力無いだろうけど……貴族も平民も、職人も商人も傭兵もヤクザも、御婦人も娼婦も、結局は同じ人間なんだ。何の因果か生まれや育ちが違って、今の形になってしまっただけだ。なのに組織が金を吸い上げて、身体を張って稼いだ娼婦が苦しむって法も無いだろう」

 アクセルは寝転んだまま、両腕を広げた。

 「人間なんて……一人の人間なんて、ちっぽけさ。こうやって両手を広げても、たったこれだけしか抱え込めない。でもさ、だったら、僕が抱え込めるだけの世界では、僕が満足出来るようにしたいんだ。そして、せめて僕の両手が届く範囲の女の子には、明日を失って欲しく無い」

 自分自身で確かめるようにしながら、尚も言葉を続ける。

 「まぁ、僕らも娼婦の稼いだ金をピンハネする以上、前の組織の連中と、特に変わり無いんだけど……せめてさ、安心して仕事を出来る場所くらい、あってもいいんじゃないかな。明日の事、明後日の事、ずっと先の未来の事。そういう、夢を見られるくらいの安心を」

 使い捨てにされる娼婦達は、明日を見ていなかった。これから先、自分がどうなるかくらいは、容易に想像できた筈だ。何しろ周囲には、未来の彼女たちの見本がゴロゴロといた。見えなかったわけではない、見なかった。見ようとしなかった。目を背けていた。そして例え見たとしても、その結末を受け入れてしまっていた。

 「……だからっ、要するにっ」

 いくら何でも、喋りすぎた。今更ながらそのことに気付いたアクセルは、照れ隠しに憮然とした表情になると、歯軋りするかのように顎を閉じる。

 「今までの売春が気に入らなかったから、自分で気に入るようにしようと思っただけさ。それだけ」

 結局は、それだけなのだ。使い捨てにされる娼婦達が可哀想だと感じた、それだけの事。

 改めてリリーヌの顔を窺うが、彼女はニコリと微笑んで見せた。
 何となく、年の離れた姉に秘密の相談をしている弟のような、そんな気分になってくる。アクセルは壁の時計を確認すると、身体を起こした。

 「時間……」
 「うん。そろそろだね」

 リリーヌに見送られ、部屋の扉を開く。未だ四階へと上がってくる客はいないが、階下は俄に騒がしくなってきていた。
 彼女がここに留まる理由、その一片だけでも聞いてみたかったが、客が来る前に下がった方が良い。

 「あ、そうだ。僕からも質問なんだけど」
 「ん?」

 扉に手を当てるリリーヌは、小首を傾げた。小細工を用いるのも馬鹿らしくなり、アクセルは単刀直入に尋ねることにする。

 「何か、プレゼントしたいんだけど……。何がいい?」
 「プレゼント?」
 「そう。何か欲しい物とか、して欲しい事とか……」
 「じゃあ……」

 殆ど考えることもなく、彼女は口を開いた。








 「それは、来るだろう」
 「やっぱりか」

 リリーヌとの会話中、ふと思い至ったアクセルは、スルトに相談に来ていた。何と言っても最年長であり、世の裏を渡ってきた彼からは、重要な意見を聞けることが多い。

 「お前も考えている通り、この街の裏を統一しようなんて組織が現れなかったのは、せいぜいシノギになりそうなのが売春程度で、それが過剰供給状態だったからだ。無理に痛い思いをして縄張りを広げても、結局は得られる利益が少ない。だから、組織は互いに協定を結び、仲良しこよしでやって来た。それを、お前が全て平らげ、ナタンの元に統一してしまったわけだ」
 「うん」
 「この組織が苦労も痛みも全て引っ被り、丸ごと街の裏の顔となった。娼売を一手に握り、今まで出来なかった賭場も運営できるようになった。宣伝も行い、領主に黙認させるための伝手も……いやまぁ、これはお前がいるから、大した問題では無かっただろうが。ともかく、だ」

 スルトは頬杖をつき、椅子の背もたれに深々と身体を預けた。

 「ナタンだ。あいつは、一つの象徴となった。裏の象徴にな。そして、ファミリーだったか? この組織を倒し、取って代わりさえすれば、この街の裏の利権は全て手に入る。既に一元化されているから、実にスムーズだ。面倒ごとを片付けた以上、お前達が苦労して開墾した土地を狙う輩も次々と出てきた。そして、次第にこの組織の戦闘力が知れ渡り、簡単には太刀打ちできないと知って、ゴロツキ共も二の足を踏んでいる……というのが、現在の状況だろうな」

 さながらブームが過ぎ去ったかのように、今では組織に喧嘩を売る者は極僅か。
 頬杖をつくスルトの、その太い腕を見ながら、アクセルは無理も無いと考える。目の前にいる彼一人を取っても、こんな片田舎には場違いな戦闘能力を有している。メイジであることはそれだけで畏怖の対象であるのに、そのメイジの中でも上から数えた方が早いであろう実力者なのだ。

 「しかしなぁ、まだ来るぞ」

 スルトの言葉に頭痛を覚えながらも、アクセルは頷いた。

 「そして、次の相手は」
 「ああ……。この街の守備隊でもおかしくは無い」

 それはあくまで可能性の話であり、勿論そうであって欲しくは無い。
 しかし、未だ戦っていない相手で、目に付くのはそこだった。今までとは違う、正規の教育を受けた戦闘集団。イジドールが何を企んでいるかにもよるが、或いは、守備隊を丸ごと敵に回さなければならないという未来も有り得る。
 そうなった場合、勝つのはファミリーの方なのだが、それが問題である。こちらが非合法である以上、守備隊が敗北するのは世間的にも許されず、もしも最悪の方向へと進めば、監督不行届によるラヴィス家取り潰しへと繋がりかねない。

 (流石にそれは、最悪に最悪が続けばの話だけど……。もしも守備隊が敵に回るんなら、何とか穏便に片付けないとな)

 現在、ラヴィス子爵領の支配体制は、なかなか歪なものになっている。
 前任の代官から引き継がれて後、守備隊や文官たちを束ねるのは、アクセルやリーズ。しかし二人とも、未だ子ども。相変わらずラヴィス子爵が出張中である以上、軽く見られても仕方がない。その為か、守備隊の素行の悪さが問題となり、自警団の方に人気が集まることにもなった。
 守備隊の質が悪くなり、自警団の方が頼りにされて士気が下がり、それによって質が悪くなり……と、悪循環に陥っている。つまり、更なる悪行へと走る可能性もある。

 「守備隊が、ゴロツキになってしまうかもな」

 アクセルは相変わらず渋い顔をしていた。
 スルトは拳を顎から離し、さながら教師か上司のように言う。

 「ゴロツキが求めるものは、何だ?」
 「……金。女」
 「そうだ。そしてここには、そのどちらもある」
 「……スルト、何かない? 守備隊更正の妙案とか」
 「逆なら出来るがな。そういう地道な正しい行いは、俺の範疇外だ」

 ただ……と、スルトは続ける。何か方法を思いついたのかと、アクセルは期待の面持ちで口を閉じた。

 「魔法だ」
 「魔法……?」
 「そうだ。お前がガキだろうが、メイジはメイジ。お前の魔法が更に強力になれば、お前は表の世界でもっと好き勝手が出来る。要するに、守備隊を恐怖で支配しろ。そのイジドールというメイジは、ドットクラスなのだろう? お前はラインクラス、既に一段上の存在だ。トライアングルにでも成長すれば、お前に逆らうヤツなんて消えるだろう」
 「…………」
 「それに、これは貴族共全員に言えることだが……もっと、魔法を使う鍛錬を行うべきだ」

 正論である。それ故に、アクセルは少し驚いた。

 「大人になれば、どうしても、いざという時の問題が出る。いざという時、魔法が必要になった時の事を考え、常に一定の精神力を残すようにする。魔法なんざ、使えば使う程強力に成長するんだ。だから、ガキのうちに、それこそ精神力を使い果たすまで鍛錬を積むべきなんだが……どいつもこいつも、面倒くさがるからな。才能があっても、それを開花させられないヤツらばかりだ。まぁ、お前には必要ない説教だろうが」
 「……いや、そんな事ないよ」

 バツが悪そうに、少年は俯く。最近は文呪法や座学、それに格闘術の開発に囚われてばかりで、正道の魔法の訓練をお座なりにしていた。切り札や奥の手も重要だが、貴族社会で生きる以上、通常の……普通の魔法も、疎かには出来ないのだ。何しろ表に出せるのは、それだけなのだから。

 「……なぁ、スルト」
 「鍛錬には付き合わんぞ」

 ぴしゃりと窓口を閉じられ、アクセルは文字通り閉口する。
 今までにも何度か頼んでみたことがあるのだが、いつも彼は、何のかんのと理由をつけて拒否していた。

 「むぅ。アニエスには稽古付けてやってるんだろ?」
 「あれは、あいつの恐怖症を治すために、俺の鍛錬がてら付き合ってやってるだけだ。貴族であるお前が、不良メイジを先生にしてどうする」

 自らを不良メイジと表す彼は、やはりアクセルの考察通り、なかなかにまともである。目を付けられさえしなければ、付き合うのに何ら問題無い男だ。

 「……ところで、話を戻すけど」

 どうあってもスルトの了解を得られそうには無く、アクセルは椅子に座り直すと、膝の上で両手を組み合わせる。廊下の外では、従業員達の忙しない足音が響いていた。

 「守備隊を相手にする可能性、どのくらいだと思う?」
 「何とも言えんな。未だ、特に動きは見られないそうだ。それに何より、“悪逆のサンディ”についても気になる。……いっそ、俺がクルコスの街に行くか」
 「え? けどお前、レオニー子爵領ではお尋ね者だろ」
 「はっきり名指しで手配されているわけでも無し。向こうとて、本気で探しているわけではないのだろう? 闇夜に紛れて動けば、例え発見されたとしても、俺なら逃げ切れる」
 「それにしても、危険過ぎるぞ」
 「いや、二日か三日ほどだ。それで何も見つからなければ、大人しく戻る」

 確かに、昼も夜も関係なく動けるスルトならば、捕まる可能性は低い。それに彼ほどの能力があれば、もしかしたら、何らかの手掛かりを入手してくれるかも知れない。

 「……二日か三日でいいの?」
 「ああ。イジドールが守備隊増強の案を出したそうだが、それが布石だとしても、すぐに動き出す事は無いだろう。ゴロツキの侵攻も一段落した事だし、そのくらいなら俺がいなくても問題無い」
 「案内は?」
 「いらん。前はあそこが拠点だったしな。信用できそうな人間も何人か知っている」
 「そうか……。それじゃ、よろしく頼むよ」
 「ああ」

 アクセルはふと、窓の外を見る。
 闇夜に映えるイシュタルの館は、確かに、誘蛾灯の如き不可思議な魅力を放っていた。



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