第1章 青き春の章
第20話<家族>
「……やられました」
生のハシバミ草を鼻の穴に突っ込まれたような顔で、バルシャは報告した。
報告書を纏めていたナタンは書類から顔を上げ、ソファに寝転んで読書していたアクセルも、ページを開いたままの本を胸に置く。
「やられたって……何が?」
「食い逃げです」
「そ。飯と酒、それに女をね」
事務室に入ってきたフラヴィは、バルシャの背後を擦り抜けると、頭をかきながら自分の椅子に座った。バルシャは両の拳を握り締め、肩を微かに震わせている。
ナタンとアクセルも、ようやく何が起きたのかを理解した。ナタンは机に書類を畳む。
「初めてだな……そんなの」
イシュタルの館に来た客は、皆、玄関で履き物を脱ぐ。開放感があるとの評判だが、同時に容易には逃げられない。金を払わずに逃げ出そうとしても、履き物が保管されている為だ。
そもそも客は金持ちばかりであるし、持ち合わせのない場合の後払いというのはあっても、踏み倒して逃げられるというのは初めてだった。
「そいつ、どんなヤツだ?」
怒りよりも寧ろ興味が湧き、ナタンは笑みを作りそうな自分の顔を戒める。バルシャの答えは、実に漠然としたものだった。
「白髪の老人らしい……です」
「らしい?」
「接待した女は二人なんですが、二人とも、話したがらず……」
ナタンに続き、傍らで聞いていたアクセルも首を捻る。
「どうやら、よっぽどいい爺さんだったらしいよ」
補足する形で、フラヴィが割り込んできた。
金を払わず逃げられ、そして“タダ乗り”をされていれば、最も怒りを抱きそうなのは彼女なのだが、その顔には怒りではなく困惑のような呆れが浮かんでいる。
「いい爺さん……って、何が?」
「ナニが、だよ」
理解していないナタンにも呆れたのか、フラヴィは軽く溜息をついた。
「相手したのは二人なんだけどさぁ、二人揃って、その爺さんの代金を肩代わりするって言ってて。よっぽどの女たらしなんじゃないの?」
「……ふぅん」
アクセルは相変わらず寝転んだまま、鼻の頭をかく。新米の娼婦なら、そうやって男に騙される事も不思議では無いだろう。しかし、娼婦が保証人になってツケるというのはわかるが、肩代わりとなると話は違う。もう金輪際、顔を見せるか分からない男の為に、金を払ってやるということだ。
しおりを挟み、本を隣のテーブルに置くと、アクセルはソファの上で背を起こした。
「女の子にそこまで想われるなんて、すごい爺さんだね。会ってみたいな」
「言ってる場合ですかっ!!」
アクセルに同意しようとしたナタンだが、バルシャの激昂に思わず姿勢を正す。今まで彼に怒鳴られた覚えなど無いアクセルも、驚いて瞼を打ち鳴らした。
「そのジジイは、イシュタルの館の……ひいては組織の顔に泥を塗ったことになります。早速に追っ手を放ち、捕えましょう。例え老人といえど、例外を認めるわけにはいきません」
メンツの話が出た事に、いよいよヤクザになってきたなと、アクセルはぼんやりと思う。
確かに、非合法な組織であろうと……いや、非合法な組織だからこそ、信用というものは大切なのだ。それしか依る辺は無いのだから。
「……そうだね。それじゃ、僕がその二人に聞き込みしてみようか」
「聞き込み?」
「もしかしたら、子ども相手ならポロっと洩らしてくれるかも知れないし。ダメで元々、やってみる価値はあると思うよ」
ベルだろうとアリスだろうと、管理側の子どもとして娼婦達に知られていることに変わりは無いが、それでもバルシャ達よりは警戒が薄れるだろう。
だが、それでも矢張り可能性は低いのだ。
直接の被害者である筈の娼婦が納得している以上、彼女たちに老人の情報提供を強要することは出来ない。しかし、彼女たちも集団に属している以上、自分たちが了解しても、それで丸く収まる筈が無いことくらい理解しているだろう。にも関わらず、バルシャが手を出せない程に頑なに黙っているのなら、それなりの覚悟を決めている筈なのだ。
(つまり、一筋縄ではいかない、と。女にそこまでさせる爺さんってのも気になるけど……やっぱ、聞き出すのは無理かなぁ)
一応試してはみるが、アクセル自身、あまり期待はしていない。
「それで、フラヴィ。その二人ってのは、誰なの?」
「ギャエルとマノン。元々は街の娼婦で、あたしもよく知ってるよ」
問われることを予想していたらしく、フラヴィは淀みなく答えた。だが、口調とは裏腹に、その顔はどこか釈然としていない風で、人差し指でくるくると自分の髪を弄んでいる。彼女の表情が気になり、アクセルは、何か気になる事でもあるのかと尋ねてみた。
「いやぁ、それがさぁ……。あの二人、犬猿の仲だった筈なんだけど。その爺さんが帰ってからは、何でか仲良しになってるんだよねぇ。二人で一緒に接客することになった時は、文句ばっかり言ってたのに」
「ふぅん……」
アクセルの脳裏に、ふと二人の娼婦が浮かんだ。直接話したこともなく、遠目に見るくらいだったが、確かに、明らかに仲の悪そうな二人がいた。性格も正反対で、水と油といった様子だった覚えがある。
「んじゃ、フラヴィ。案内して」
「え、アタシ?」
「そう。ちょうどさっき、クッキー焼いたから……一緒にお茶しようとか、そういう風に誘って」
ギャエルとマノンは、二人とも、親がこの街に流れ着いたという女で、ゼルナの生まれだった。他の娼婦達と同様、教育などというものは受けられず、出来る仕事は非常に限られていた。
現在、イシュタルの女達の中での第一位はリリーヌであり、それは彼女たちも認めている。ギャエルとマノンは、言ってみれば二位を争う二人なのだ。街で立っていた頃から仲が悪かったが、イシュタルの館に入って野垂れ死にの恐れが無くなった事により、却って喧嘩に精を出すようになり、その仲は益々悪くなっていた。ただのライバルならば問題無いのだが、あまりの仲の悪さに周囲にまで悪影響を及ぼすようになっていて、フラヴィとしても悩みの種として頭を痛めていた。
そしてその二人が、今では仲良く一つのテーブルに座り、噂話で談笑している。
(バルシャに怒られるけど……その爺さんのお陰なら、礼の一つも言いたくなるな)
休憩所としても使われている広間には、二人しかいない。人の目がない所でも仲良くしているなら、その老人のお陰で、本当に仲が改善されたのだろう。
「あ。フラヴィに、ベルか」
ガタンと椅子を揺らし、こちらに顔を向けてきたのは、ギャエル。背を反らしても、彼女の胸にははっきりとした膨らみがある。細かい事を気にしない大雑把な性格で、それは、なるべく手入れを少なくするために、短めに切られた緑髪からも見て取れた。
「ああ、ちょっとね。クッキー焼けたんで、二人にも食べて貰おうと思って」
フラヴィの後ろから、アクセルはそう言って包みを持ち上げる。
さっと立ち上がり、フラヴィとアクセルの分のカップを用意しに向かったのは、マノン。よく気が回り、ほつれた客の衣服を繕ってやったりもする。しかし気が回ると言うよりは、きちんとしていない物を放っておけない性格と言うべきで、その為に、大雑把なギャエルには嫌悪感とも呼べるものを抱いていた。
アクセルが空いた椅子に腰掛け、クッキーの包みを広げる頃には、カップと皿を用意したマノンが戻ってくる。手を拭くための濡れタオルも持参するあたり、用意が良い女だった。
ギャエルもマノンも、アクセルとフラヴィが、例の老人のことを聞きに来たのであろうことは察していた。しかし何事も無いように、今度はフラヴィも交えて噂話を再開する。唯一聞き役に徹するアクセルは、クッキーをゆっくりと囓りながら、彼女たちの話に耳を傾ける。
ナタンやバルシャにああは言ったが、はっきり言って、上手く聞き出す自信など無かった。前世で女っ気が皆無であった自分が、こうやって美しい女性に囲まれているのに、泰然と落ち着いていられることからしておかしい。
(まぁ、俺にそんな能があるわけないし。……子どもは子どもらしく、単刀直入でいってみるか)
話題は、最近の客のことへと変わっていた。カップの紅茶が無くなっている。立ち上がろうとしたマノンを制し、アクセルはポットを持ち上げ、彼女たちのカップへと静かにお代わりを注いでいく。そして全員のカップが満たされた時を見計らって、椅子に座り直しながら、彼は思い出したように口を開いた。
「そう言えば、バルシャの兄ちゃんが怒ってたよ。食い逃げされたって」
「食い逃げ、ねぇ。確かに」
少年が知る筈の無い意味合いを想像してか、ギャエルが頬杖を付いてニヤニヤと唇を歪める。行儀が悪いと、まるで母親のように注意するマノンは、音もなくカップをテーブルに置いた。
「確かに、バルシャさんの怒りももっともだけど」
「やっぱりさぁ、別にいいと思うんだけどなぁ。私達が払う、って言ってるのに」
メンツの話など、ギャエルにとっては腹の足しにもならない細事なのだろう。少し考えたアクセルは、彼女に同調することにした。
「僕も、わかんないんだよねぇ。結局は、損なんかして無いんでしょ? だったら、そのお客さん、見逃してあげてもいいんじゃないの?」
「だろぉ?」
アクセルの頭を撫でながら、ギャエルは口を尖らせる。リリーヌの時もそうだったのだが、普段あまり子ども扱いをされないせいで、このような善意の接し方をされると、どうしても照れが出てしまう。
「ちょ、やめてよ」
若干顔を赤くしながら、彼女の手を振り払おうとする。それは演技半分、素直半分の行動だった。
「えー、別にいいじゃん、ちょっとくらい」
最近気付いたことだが、娼婦達はどうも、幼い少年というものに触れる機会が少ない。黒幕とも言えるアクセルも、裏事情を知らない彼女たちから見れば、ただの無垢な男の子にしか映らないらしく、可愛がられることも多い。元々アクセルが、女相手に強く出られない性格であることも相俟って、その評価も完全に間違っているとは言い難かった。彼の容赦のない暴力を知っているフラヴィも、初めのうちは内心ハラハラしていたが、今では落ち着いて放置することが出来る。
今の子どもっぽい拒否の行動も、ただの照れであると思われているらしく、そしてそれを否定しきれない以上、結局は諦めるしか無い。若干憮然とするアクセル、彼の頭を抱きかかえるギャエルの二人に、マノンは呆れたように反論した。
「そういうわけにもいかないでしょ。私達のやったことは、例えば、レストランで食い逃げした客の代金を、ウェイトレスが支払うようなものよ」
「……けど、それって問題かな? だって、結局店側は損して無いだろ? 当の私達が納得してるわけだし、問題無いと思うんだけど」
「それは……」
マノンも、自分の正論を一から説明できるほどに、学がある訳ではない。自分たちが本来してはいけない事をしたのだと、感覚的には理解しているらしいが、それをギャエルに納得させる術は持ち合わせていなかった。
ギャエルに味方したのは間違いだったかと、アクセルは少し反省し、寝返ることにした。
「ベルも、そう思うよねー?」
ギャエルはアクセルの顔を覗き込みながら、小首を傾げて笑って見せる。彼女の胸に埋まりながら、アクセルは首を振った。
「え? 何、裏切るの?」
「いや、マノンの姉ちゃんの例え話を聞いて、やっぱいけない事だなぁと思った」
咎めるようなギャエルの腕から解放され、アクセルは椅子に座り直すと、二人を見回す。
「いくら、ウェイトレスが納得しててもさぁ。やっぱり、店側の人はいやだと思う」
「ん? 何で?」
「だって、同じ場所で一緒に働く、大切な仲間でしょ? そんなことさせたくは無いし」
ああ、つまりはそういう事なんだ……と、アクセル自身も納得できた。その満足感が薄れないうちに、フラヴィの方を向く。
「フラヴィだって、イヤなんでしょ? 仲間がそんなことさせられるの。僕はイヤだけど」
「確かに、ね」
世の中の裏ばかりを見てきた、見せられてきた彼女たちには、予想出来なかったのかも知れない。男が、自分たちを管理する存在である者が、そんな甘く優しい心を持っていた事など。
娼婦達を使い捨ての道具としてしか見なさなかったのが、今までの組織であり、そしてそれが当たり前だったのだ。ギャエルも、自分がまさか仲間として扱われているなど思いもしなかったし、マノンもただメンツや道理の話をしていただけで、そんな事は露ほども考えてはいなかった。
勿論、メンツの問題もあるだろう。しかし、もっと大きいのは、仲間を思いやる気持ちでは無いのか。そしてその気持ちが最も大きいのはバルシャであり、先ほどの彼の激昂は、その現れでは無かったのか。アクセルは、自分のその考えが間違っているとは思わない。
(間違ってたのは……やっぱ、ナタンと俺か)
薄々、バルシャの怒りは正しいと思いながらも、結局自分は、それをただのメンツの問題としか捉えていなかった。
ナタンも、今頃は沸々と怒りを滾らせているかも知れない。自分の仲間が騙されたかも知れないという、家族愛とも呼べる怒りを。
絶句しているギャエルとマノンを前に、フラヴィは溜息をついた。
「やっぱ……甘いんだよねぇ、ウチの男どもは」
ナタンも甘い。バルシャも、やはり甘い。
二人はフラヴィの言葉に、それぞれ黙ったまま頷いた。
「……そんなんじゃ、娼婦に……私達に舐められるんじゃないの?」
呆れたように笑うギャエルの顔に、うっすらと涙が光る。
「ちょっと、何泣いてんの?」
「う、うっさい。言うな、見逃してよ。泣きたくなるから」
空中でひらひらと、マノンを押しのけるような仕草で右手を動かしながら、俯いたギャエルは左手で顔を擦る。
「いや……ハハ、何だか、何だろ……嬉しい……のかな?」
彼女は未だ、顔を上げようとはしなかった。
「バルシャに、怒られたんだけどさぁ……初めてだよ、怒られて嬉しいなんて」
アクセルも沈黙していた。頭では理解していても、やはり、ナタンやバルシャのように激しい怒りを抱けない自分への失望。そして、怒られて嬉しいという、彼女の言葉に。
「でも……やっぱり、甘いと思う。ギャエルの言うとおり、私達にまで舐められたら……」
「それこそ、あたし達の心の問題だろ?」
フラヴィは深々と、椅子に座り直す。無理な体重のかけ方をされ、ギシリと木材が軋む音がした。
「娼婦がそんな事を心配出来るんなら、ここは……イシュタルは安泰さ。甘ちゃんの男どもを、あたし等が支えてやればいいじゃないか」
「……そうだね、それでいいじゃん」
漸く涙が途切れたのか、ギャエルは顔を上げると共に立ち上がった。赤くなった顔を袖で拭い、一度大きく息を吐き出す。
「どこ行くの?」
「んー、バルシャの所」
アクセルの問いに彼女がそう答えると、マノンもそっと立ち上がった。
「……そのお爺さんの事、話すの?」
「ううん、その必要は無いわ。今夜も遊びに来るって言ってたから」
「そ。待ってれば、あっちから来てくれるよ。勿論、あの人に支払わせるつもりは無いけど……売り言葉に買い言葉とはいえ、バルシャに色々とひどい事言っちゃったんだよねぇ」
「主にギャエルがね」
「マノンだって、相当だったじゃん。……と言うわけで、これから謝りに行くの」
マノンが手を伸ばし、アクセルの頭を撫でる。その上からギャエルが手を重ね、彼女と同じ色をした少年の髪の毛をぐしゃぐしゃにかき回した。頭部を振り鐘のように揺らされたアクセルは、二人の手が離れた後、そっと彼女たちを見上げる。
「自分が悪いと思った時には、素直に謝らなくちゃ。ベルもそうしなよ?」
「……うん……」
力無く頷き、アクセルは誰にも聞こえないような溜息をついた。
がたんっ、と、椅子が倒れる。
「……?」
二人のどちらかが、椅子に足でも引っかけたのかと、アクセルは見当を付けて振り向く。しかし、椅子と共に、ギャエルが床に倒れていた。
「え……」
椅子を跳ね飛ばして立ち上がったアクセルに、フラヴィも異変に気付く。倒れたギャエルに手を伸ばそうとしたマノンが、視界の中で、同じように床に倒れた。
「ああ……あっ……あっ」
ギャエルは顔を歪め、悲鳴とも呻きともつかない、声にならない声を上げ、自らの胸を押さえている。マノンは歯をガチガチと打ち鳴らしながら、何かに耐えようとするかのように、身体を丸めて震えていた。
「どうしたっ、何があった!?」
アクセルはテーブルの上を踏み越えると、二人の元に着地する。フラヴィもすぐに駆け寄ってきた。
「フラヴィっ、持病か何かか!?」
「いや……この二人にそんなのは無い」
手を伸ばし、ギャエルにディテクトマジックをかけようとする。が、彼女の悶絶は益々激しさを増し、その手は弾かれた。
「フラヴィっ、抑えろ!」
「あ、ああっ」
自分より膂力のあるフラヴィに怒鳴り、ギャエルの身体を無理矢理に抑え付けさせる。馬乗りになり、ディテクトマジックを行うアクセルの両腕は、ふらふらと泥酔者のように彷徨った。
「何っ……だ、こりゃ……」
アクセルの口から、唖然とした呟きが漏れる。
この方法で人間を診察した経験は少ないが、そのアクセルの感覚から言っても、それは異質だった。体中の水分の流れが混乱しており、それが漠然とした苦痛を引き起こしている。身体全体を苛むその症状は、原因となる場所の特定を困難にしていた。
「くそっ、一体何だこれは」
水メイジの医者も二人ほど雇っているが、専門家であるその二人ですら、どうにも出来ないのではないか……そんな思いが浮かぶ。
「ベルっ、何とかならないのかいっ!?」
憔悴しきった顔のフラヴィが尋ねてくるが、アクセルには答えられなかった。耐えようとしていたらしいマノンも、すぐにギャエルと同様に苦しみ出し、アクセルは彼女の上へと飛び移る。
「……! 誰かっ、誰かいないかっ!」
暴れ出そうとする彼女の背中に回り、羽交い締めにする。ドアへ向けた叫びから十数秒ほどして、パタパタと足音が聞こえてきた。
「兄さんっ!?」
駆けつけたのがミシェルであったことに、アクセルは安堵する。いくら何でも、ティファニアなどに見せられるものでは無い。
「ミシェルっ、ナタンとバルシャを呼んでくれ! 大至急だっ」
「わ、わかった!」
問答の時間が無いと判断したらしく、ミシェルはすぐに行動に移った。
「た……助かるんだろ!? そうだろ!?」
泣きそうな顔で、フラヴィが尋ねてくる。
彼女とて、病気で苦しむ仲間を看病した経験はあった。しかし、あまりにも異質なのだ。何の前触れもなく、突如として倒れ、気絶するのではなく苦しみ出した二人の様子は。
答えを持たないアクセルはただ、唇を噛み、マノンを抑え付けるしかなかった。
ギャエルとマノンの二人の症状については、医者もお手上げだった。
あまりの苦しみに、スリープクラウドで眠らせようとしたのだが、体内の水の流れの乱れのせいか、受け付けなかった。水の秘薬を試しても、同様に効果が薄い。
水の秘薬を全て使い切る形で、ギャエルは何とか安静状態に持ち込めたが、問題はマノンの方だ。
アクセルが考え出せたのは、フラヴィに噛みつかせ、屍人鬼にして強制的に意識を奪う方法だけだった。
(……何て愚策だ)
改めてそう思い、アクセルは舌打ちする。吸血鬼ハーフの能力が、真正の吸血鬼とどう違うのかも未だわかっておらず、屍人鬼化を解呪する方法も確実ではない。自分にそれが出来たからとはいえ、彼女に応用できるかはわからないのだ。勿論、何としてでも成功させるが、もしも失敗すれば、自分はフラヴィに仲間を破壊させたことになる。
「くそ……」
医務室に寝かされた二人を前にして、アクセルは噛み合わせた歯を動かさずに漏らした。両手の指を組み合わせ、そこに額を乗せる。意図したわけでもなく、祈りの姿勢となった。
今まで自分が漁った書物の中にも、該当しそうなものは無い。
(……何か……盛られたのか……?)
持病もない、健康体の彼女たちが、二人揃って突然苦しみ始めた。原因として考えられるのは、二人一緒の時に、何かをされたから。
念のため、クッキーや紅茶も調べてみたが、特に異常は無かった。二人が一緒に過ごした状態を考えてみれば、昨夜、例の老人を客として迎え入れた時。
「…………。ごめんなぁ。ギャエル、マノン」
答えが返ってくる筈も無いが、アクセルはぽつりと呟くと、変わらず頭を下げたまま両手を持ち上げ、二つの拳を固く握りしめる。
「二人にとって、その爺さんは大切な男なんだろうけど……やっぱり……僕たちは、それじゃ収まらないんだ」
本当に彼女たちの気持ちを汲むのなら、この行動は間違いなのかも知れない。
しかし、自分を含め、そこまで物分かりの良い仲間はいなかった。
「絶対……何とかして見せるから」
口にした彼以外に聞く者もいない言葉。それは、アクセル自身への言葉だった。