小説『漂流のA(ゼロの使い魔二次)』
作者:権兵衛()

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第1章 青き春の章

第21話<邂逅悟>





レオニー子爵領、クルコスの街。傭兵ギルド消滅の影響は、未だ治まっていない。新たな傭兵ギルドの利権に絡む抗争は、さながら混戦状態といったところであり、それに一般市民が巻き込まれる事件が後を絶たない。領主であるレオニー子爵も、事態の沈静化を図ってはいるが、大した結果も出ていなかった。
 その事態は、寧ろスルトにとっては好都合だった。暗がりよりも尚深い闇に入り込める彼は、その巨体を誰の目にも触れさせる事なく、易々と進むことが出来る。
 治安が悪くなっているのはゼルナの街も同様だが、いくらイシュタルの館が有名になってきているとはいえ、クルコスの街の繁栄はそれ以上であり、こちらが主戦場といったところらしい。

 ゼルナの街の裏を仕切るのは、ナタンの組織一つだけ。それに対し、クルコスの裏を仕切るのは、三つ。
 奴隷市場はその一つだが、これは既にナタンの組織の傘下となっている。次に、ギルドの大部分を仕切る商人の連合体。
 そして最後の一つが、占い師の老婆を頂点とする『漠忘の岸辺(ユヌ・バーンク・デュ・ヴィッド)』であり、三つの中でも最も権力を持っている。
 その占い師の老婆は、ノーリと呼ばれていた。

 「……おぉ、メンヌヴィルかい? よぉ来た、よぉ来た」

 まるで孫でも訪ねてきたかのように、ノーリは顔の皺を一層深くして微笑む。

 「久々だな、いじけた者(ノーリ)。土産の酒だ。皆で分けてくれ」

 部屋が薄暗いのは、ノーリもスルトも、光が無くとも不自由しないからである。

 「ありがたいねぇ」

 テーブルの上に置かれた酒瓶を撫でながら、ノーリはそれを傍らの老人に渡す。老人はニヤリと笑い、それを持って奥の部屋へと引っ込んだ。

 「……ああ、そうだ、今はスルトだ。そう呼んでくれ」
 「へぇ。あんた、まだあそこに?」

 ノーリは少し驚いたように、窪んだ眼を開く。外套を脱ぎ去り、スルトは老婆の向かいの椅子に斜めに腰掛けると、足を組んでテーブルに肘をついた。

 「てっきり、もう“焼いた”から、ここに来たんだと思ってたよ」
 「……そうだな。そろそろ、“焼き頃”かもな」

 呟くように口にしたスルトは、回想するかのように顎を上げた。ほんの数秒ほどで、彼の顔は再びノーリへと向けられる。

 「ノーリ、“悪逆のサンディ”についてだが……」
 「ん? それは、アンタの方がよく知ってるだろ?」

 “悪逆のサンディ”について、スルトは全てを知っている。何しろ、このノーリとスルトを引き合わせたのは、サンディなのだ。

 「……いや、何でも無い」

 スルトがここに来たのは、確認のためだ。“悪逆のサンディ”の情報が、ゼルナの守備隊長イジドールのデタラメであることを。そしてその目的は、既に達成された。

 「まぁ、ゆっくりして行きな」
 「いや、悪いがそうもいかん。なるべく早めに帰ってやらねばな」

 その言葉に、ノーリはより一層驚いたような顔をする。そして、自らが持つ彼自身の情報と照らし合わせ、一体どのような天変地異かと考えた。

 「……ついに、見つけたのかい?」
 「何をだ?」
 「“天使”さ」

 まるで石化の呪いをかけられたかのように、スルトの身体がほんの少しだけ固まった。聞き返した口をぼぉっと開いていたが、それが閉じられ、唇をへの字に結ぶ。彼はテーブルの下で拳を握り締めた。

 「……予言か?」
 「そりゃ、これでも占い師だからねぇ。でもこれは、カンニングさ。何しろあたしは、あんたの過去を知ってる。……あんたをその地獄から救い出せるのは、天使だけさ」
 「地獄? ハッ」

 スルトは鼻で嗤った。

 「地獄だと? そんなわけ無いだろう。俺は楽しみにしているぞ。あいつに火炎の外套を着せ、その真っ黒な薫香で満たされる至福の時を……」
 「違うね……」

 老婆は首を振った。
 彼等『漠忘の岸辺』の恐るべき点は、死など度外視している所だ。だからこそ、スルトに対して物怖じせずに接する事が出来る。
 スルトの頭髪が逆立った。

 「何が違う」
 「あんたがやってるのは、砂漠を作ってそれに平穏と名付けるようなもんさ。そのまま殺されるまで止まらない。いや、寧ろ殺されたがってる。……地獄さ」

 脅そうが、口を閉じるような老婆では無い。文字通り息の根を止めねば、気の済むまで喋り続ける。

 「……地獄さ」

 再びノーリは呟いた。

 「…………」

 スルトは無言で立ち上がる。そして出口へ向かおうとする彼の背に、老婆はぽつりと声を掛けた。

 「最後に、メンヌヴィル。いや、今はスルト。占いの結果を聞いていくかい?」

 テーブルを、カードが擦る音がする。スルトは振り返らなかったが、無視して出て行くこともしなかった。

 「……喜びな。“ユル”のルーンが出たよ」
 「死のルーン、か」
 「再生のルーンでもあるさ。……とりあえず、退屈はしないだろうさ」

 老婆の言葉に、スルトは天を仰いで大笑いした。








 宙に舞う、色取り取りの花弁。花の嵐。その美しさに、思わずナタンは心を動かされ、惚けた。さながら目の前に、大輪の花が咲いたと言うべきだろうか。
 その花は、娼婦達の部屋に飾られるもの。しかし、その希有なる開花を目撃できたのは、たった一人、彼だけだった。

 いや、もう一人。その花を咲かせた男がいる。
 そしてその花は、咲かせた男によって散らされた。

 「!」

 花弁を掻き乱すようにして、その男の足は空中を走る。弧を描く爪先を、ナタンは冷静に目視することが出来た。
 咄嗟に左腕を上げ、蹴りを防ぐ。男の爪先がナタンの肘下に衝突した時、乾いた音が耳に入ってきた。

 「があぁっ……」

 ツルハシのような蹴りだった。ヒビが入ったのではなく、折れたのだということは、今までの経験上一瞬で理解出来た。
 後ろ飛びに距離を取り、ナタンは右手で護身用のナイフを抜く。男は蹴り足を戻すと、頭に被っていた手拭いを取り去った。後頭部で無造作に束ねられた、四足獣の体毛のような白髪が現れる。

 「折れたな」
 「ああ……折りやがったな、ジジイ」

 威嚇するような笑みを作るナタンに、老人は肩を竦めた。

 「ひょっとして、痛みには慣れっこか? ん?」
 「……恐ろしいガキがいてな。そいつのせいだろ。いや、そいつのお陰か……」

 所詮は子どもの筋力とはいえ、アクセルの硬い拳をまともに受ければ、骨を折られることもある。今ではその痛みにさえ慣れつつあり、ナタンは自分自身に溜息をついた。
 腰を落とし、老人に向かってナイフを突き出す。

 「まさか、そっちから来るとはな。てっきり逃げたもんだと思ってたぜ」

 今夜も来る筈……ギャエルとマノンはそう言っていたが、バルシャも信用はしていなかった。あのような事態を引き起こしておきながら、ノコノコと顔を出せる筈が無い。その事態によって何らかの利益を得ようとしているのだとすれば、それほど遠くにいつとも思えない。恐らくはこの街の、東地区以外のどこかに身を潜めているのだろうと、バルシャはそう当たりをつけ、自警団の人員を可能な限り動員し、老人の行方を追っていた。

 「……よく見破ったな、自信はあったんじゃが」
 「見慣れない花屋だったんでな。試しに、肩でも打つつもりで殴りかかったんだが、まさか腕を折られるとは」
 「ほ……。何じゃ、嵌められたのはワシの方か」

 感心したように目を見開く老人だが、ナタンはそれを素直には受け取れない。バルシャや自警団の殆どが不在で、自分が老人の変装を見破ったのも偶然だ。周囲に頼れる人間がいない以上、ナタン一人で対処しなければならないが、この老人は明らかにナタンより強者だった。しかも、既に左腕を壊されている。武器は小さなナイフだけ。

 「……何が狙いだ」

 ナタンは、自分がアクセルとは違うことを自覚している。このような状況、アクセルならば何とか仲間を呼ぶか、この場を穏便に納めることを考えるだろうが、ナタンは違う。
 仲間を傷つけた者を目の前にして、そこまで冷静にはなれないのだ。事実今も、怒りの火炎によって痛みなど押しのけられており、この老人の喉に食らい付きたいという欲求が暴れ回っている。

 老人に向けて突き出されたナイフは、その欲求を抑えるための小道具だった。

 「狙い、か……」

 しかし、ナタンのその自制を試そうとするかのように、老人はスタスタと歩き出す。眼前の刃など目の入らないかのような、あまりにも自然な足取り。ナタンの噛み合わされた奥歯が、小さく軋んだ。

 「ワシも知りたい。……女に阿片なんぞ使いよった理由を」
 (……あへん?)

 老人の口から出た、耳慣れない言葉。それを聞き返そうと口を開けば、自分は本当に老人に噛みついてしまうのではないかと、ナタンは真剣に考えた。

 「まぁ、あれだ。ちぃっとばかし、虐められとけ」

 老人はいつの間にか、突き出したナイフよりも内側に入り込んでいる。
 股間へと繰り出された膝蹴りを、ナタンは自分の膝で無理矢理に弾いた。

 (このっ……ジジイ)

 ナイフを引き戻そうとするが、老人は左腕でナタンの右腕を抱え込む。左腕が折れている以上、ナタンの両腕は封じられた。頭突きを浴びせようとするが、老人は背を丸めて更にナタンの懐に入り込み、彼の右腕を担ぎ上げる。

 「!?」

 気付けば、景色が回転していた。天井が見えたかと思うと、刹那に背中から床に叩きつけられる。さながら建物に殴られたような衝撃が体中で暴発し、ナタンは悶絶して咳き込んだ。ナイフは既に、老人の手に渡っている。

 (何……だ……今の……)

 こんな小柄な老人が、男一人の身体を軽々と振り回し、床に叩きつけた。アクセルもそんな攻撃はしてこなかったし、他の人間にされたこともない。梯子から足を踏み外して転落し、テーブルの上に叩き付けられた、数年前の記憶が蘇る。

 (くそっ……)

 必死で起き上がろうとするが、まるで背骨をバラバラにされたように自由が利かない。そのナタンの腹の上で、老人はどっかりと腰を下ろし、胡座をかいた。ナイフを軽く煌めかせ、切っ先をナタンの首筋に当てる。

 「ここの娼婦は、他とは違うな」
 「……?」
 「目が死んどらん。世で最底辺とも言える生業でありながら、己に絶望しとらん。……お前がボスか。ふむ……」

 独り言のように話す老人は、ナイフを引くと、それを振り上げて天井に突き立てた。短く震えたナイフが静止するころ、僅かに生えている白髭を撫でながら、老人はナタンの顔を覗き込む。

 「……話せんじゃろ? だったら、首で答えろ。阿片、っつーもんを知っとるか?」

 少し老人を睨んだ後、ナタンは軽く首を振った。

 「ふぅーむ……」

 品定めをするような老人の顔を睨んだまま、身体の状態を確かめる。だんだんと衝撃が薄れ、身体の機能が戻ってきた。動かせる右の指を密かに曲げ伸ばしさせ、完全に回復するのを待つ。

 「どうやら、お前じゃない、と……。そんなら……」

 ナタンの右手が伸びた。思わず拳を作り、老人の左頬を殴りつけてから、失敗だったことに気付く。こんな寝転んだ状態で、大したパンチが放てるわけがない。何とか届きはしたが、老人の頭は軽くぐらついただけで、その身体はビクリとも動かなかった。
 殴るのではなく、掴むべきだったのだ。
 伸ばした右手が、老人に掴まれる。ナタンは逆襲を覚悟し、次の一手を考え出そうとした。

 「…………」

 しかし、老人はそのまま立ち上がると、ナタンを引き起こす。唇の端から垂れた血を指先で払い落とし、そっと両手を上げた。

 「降参じゃ」
 「……は?」

 警戒するナタンに、老人はニヤリと笑みを浮かべる。

 「奇襲を仕掛けたワシを、お前が捕まえた。……そういうことにして、主立った人間を集めてくれんか」

 要請と言うよりは、命令に近かった。
 怪訝な瞳で睨み付けるナタンの前で、老人は相変わらず、人懐っこくも見える笑みを揺らしていた。








 地下に新しく設置された、牢獄。鉄格子で囲まれたそこは、随分と物騒な雰囲気になってしまったが、守備隊などに引き渡せないような、内々に処理するべき相手のためにも、前々から必要とされたものだった。
 そこの初めての主となった老人は、後ろ手に縛られ、座らされている。

 「…………」

 ナタンが捕縛したという老人を、アクセルはじっと見つめた。老人はふて腐れたように唇を曲げ、そっぽを向いている。

 「それで……」

 アクセルはそっと瞳を動かし、隣のナタンを見た。折れた左腕には先ほどヒーリングを使ったが、完全に治癒させるために、新しく開発したギプスを着用させている。残った右手で頬をかいていたナタンは、その瞳に思わず後退りかけた。

 「何か吐いた? この爺さん」
 「いや、未だ何も……」
 「そう」

 再び老人へと目を向ける。少年の頭は次に、効率のいい拷問の方法を考えるために回り出した。

 「爺さん、名前は?」

 アクセルは少し膝を曲げ、老人と同じ高さに目線を合わせる。鉄格子の向こうの老人は、首を回してアクセルを見つめた。そして数秒ほどして、徐に口を開く。

 「お前だけに話したいことがあるんじゃがのぉ……」
 「ん?」
 「ちょっと、そこの兄さんは出て行ってもらえんか?」

 老人とアクセルの視線を受けたナタンは、尋ねるようにアクセルに目を向けた。アクセルは首を振る。

 「何故僕だけなんだ? 爺さんとは初対面の筈だけど」
 「……ちょっとなぁ……」

 老人は片眉を上げた。後ろ手に縛られていながら、その態度には余裕が感じられる。既に一通りの拷問方法を思い浮かべていたアクセルは、老人の態度に違和感を覚えた。この状態から逃げられる筈も無いのに、妙に落ち着いているのだ。

 「ええんか? ここで言って」
 「別にいいよ。言ってみろ」

 本当に自分を慌てさせる事が出来るのか、それともただのハッタリか。
 後者であることを確信していたからこそ、その動揺は大きく現れた。

 「阿片じゃろ? 使いよったのは……」

 横のナタンにも、アクセルの動揺ははっきりと見て取れた。
 そしてその動揺を見取った刹那、老人は縛られていた筈の両手を広げる。右手には、杖が握られていた。先端が牢獄の鍵に向けられる。

 「『アンロック』!」

 更に、座り込んだまま足を伸ばし、鉄格子を蹴り飛ばす。苦もなく開いた扉を、アクセルは後方に跳躍して避けた。唖然としたナタンの視線の先には、老人ではなくアクセルがいる。

 「ナタンっ!」

 何も、一人で相手をする必要は無い。加勢を促すために短く叫び、アクセルは自らも、牢獄から一歩踏み出した老人に向かった。老人はこちらに杖を向け、細かく唇を震わせて詠唱しているが、アクセルはそれを完全に無視する。

 「……っちぃっ!」

 杖を向けられても怯まず突進してくるアクセルに、老人は舌打ちした。老人も応じるように右足を踏み出し、杖を指揮棒のように軽く振って打ちかかる。魔法よりは威力が弱まるとはいえ、杖自体にも、人を打擲する程度の威力に耐えられる強度はあった。

 「『密葉(ミツバ)』」

 アクセルがそう呟き、彼の手刀が振り上げられる直前、老人は杖を手放して無理矢理に身体を捻った。身体を支えきれず、床を転がって避けた老人は、たんっと快い音を響かせて跳ね起きる。壁に後ろを預け、背を丸めて油断無く構える老人の肌は、冷や汗によって潤っていた。
 頬を縦に割り、白眉の端にまで届いている傷から、じわりと血が滲む。真っ二つに切断された杖が、細かく床を叩いて止まった。

 「…………」

 下段から天井の方向へ、伸びる竹のように真っ直ぐに振り上げられたアクセルの手刀。その掌は、半透明のエメラルドグリーンの刃で包まれていた。
 ナタンですら初めて見るそれは、指……と言うより腕の骨によって作り出された、マジックブレイド。杖が骨であること以外は、通常の『ブレイド』の魔法と特に違いは無いが、相手にそれとは全くの別物だと思わせる為、アクセルは違う名前を付けた。

 「……こりゃ、とんでもないガキじゃのぉ」

 軽く指先で血を払う老人は、唇を歪ませて感心したように言う。アクセルは無言のまま、右手のブレイドを下ろした。

 「……ふんっ」

 鼻で嗤い、ブレイドを消す。そして少年は腕を組み、老人に背を向けると、ナタンに真正面から向き合った。

 「で、どういう事だ? ナタン」

 口調は穏やかだが、ここで軽い冗談など許される筈も無い事を、ナタンはイヤと言う程理解している。そっぽを向かれた老人は、苦笑いしつつ頭をかいた。

 老人がメイジでは無い事は、アクセルは一目見た瞬間に気付いていた。『アンロック』も、ただ唱えて見せただけだ。つまり老人は最初から縛られてはおらず、そして牢獄の鍵も初めから開いたままだったことになる。
 冷えた頭でアクセルが出した結論は、自分は何らかの茶番に付き合わされた、ということだった。

 「まぁともかく、だ」

 言い淀むナタンに助け船を出すように、老人は両手を上げてひらひらと揺らす。

 「どうやらお前も、この一件の犯人じゃねぇな」
 「……そして爺さん。アンタが犯人じゃないって保証は何処にも無いぞ」

 アクセルに釘を刺され、老人は一瞬渋い顔をしたが、またすぐに首を振った。

 「ワシの名は、クーヤ。関わっちまったもんは、キリまで面倒見てやろう」








 クーヤと名乗る老人は、ギャエルが寝ているベッドに身を乗り出すと、彼女の口元で鼻を動かす。そして得心がいったように頷くと、傍らのアクセルに促した。
 ナタンがこの老人を信用すると決めた以上、アクセルはそれを信用する。裏切れば即刻殺すつもりだが、今は未だ、クーヤに妙な動きは見られない。
 同じくギャエルの口臭を嗅いだアクセルは、クーヤを振り向いた。

 「……何だか……甘ったるいな」
 「阿片、っつーもんがある。知っとるんじゃねぇのか?」

 アクセルは頷く。
 クーヤはやはり、マノンの口臭を確認しながら、傍らのナタンに目を向けた。

 「昨夜、この二人を抱いた時にな、覚えのある臭いがしたんじゃ。阿片っつーのは、痛み止めの妙薬でもあるが、酒と同じく、それ無しではいられなくする。使い方によっちゃ、一国の民衆を骨抜きにすることも出来る」
 「聞いたことねぇなぁ、そんな薬……」

 ナタンは頭に手を回した。入手した全ての情報を把握しているわけではないが、そんな薬の情報が入れば、まず印象に残る筈だ。

 「ワシも、噂程度に聞いただけじゃが。まぁ話を聞く限りでは、どっかのメイジがそれに更に手を加えたようじゃ。煙管も見当たらず、香も焚いとらんかったんなら、残るは経口か女陰じゃが……娼婦じゃからな、女陰ならお手上げじゃ。口から入ったんなら、そこまで悲惨な事にはならんが……」

 クーヤは唇をひん曲げて、顎を撫でる。

 「ワシはメイジでは無いんでな。さっきも言ったように、メイジが手を加えとるんなら、あんまり役に立つ情報はやれねぇ。……よって、罠を張る」
 「罠?」
 「二人が苦しんだんなら、阿片の禁断症状が出たってことになる。それで終わりってわけでも無いじゃろ。阿片がありゃ楽になれるが、その阿片を持って来るのが犯人じゃ。……それとなく、噂を流すんじゃ。二人の娼婦が、原因不明の病で苦しんでるってな」








 「……すまねぇ」
 「え?」

 俯いて、ただ一言、そう呟いたナタンを、アクセルは怪訝そうに振り返る。

 「……二人に薬を盛ったのが、メイジだって聞いて……それで、お前の地下牢での反応を見て……一瞬、お前を疑った」
 「…………」

 アクセルは何も言わず、棚から書類を取り出す。

 (何と言うか……別にいいのに……)

 細かい、とは言わないが、ナタンは気にしすぎなのだと思った。
 確かに仲間同士、信頼することも大切ではあるが、それに徹してさえいれば上手くいく程、現実は甘く無いとアクセルは考えている。今回は別としても、これから組織を広げるにつれて、裏切るような人間も出てくるだろう。そうなった時、ただ信じ続けてそれによって組織が崩壊すれば、非常に困った事になるのだ。

 「……人間関係に、絶対なんてもんは無いんだ。間違ってたら、悪かった、その一言でいいんじゃないか?」

 アクセル自身、自らを、絶対的な信頼を勝ち取れるような人間でないと評している。そんな人間だったなら、こんなにネガティブでは無かっただろうとも。

 「いや。お前だって、あれだけ怒ってたじゃねぇか。なのに、そのお前を疑った……」

 頑固だと、アクセルはそう思う。自分には理解できないと。
 そしてだからこそ、ナタンは必要な人間なのだと改めて認識する。熱血で、曲がった事が嫌いで……太陽のような明るさを持つ男。

 「ねぇ、ナタン」
 「え?」
 「あの爺さん、信用出来そう?」

 アクセルはそう言いながら、ナタンを振り向いた。
 自分では無理なのだ。自分などでは。
 だからこそ、ナタンを失いたくは無いし、これからも頼れる男でいて欲しい。

 「……俺は……信用出来ると思う」

 遠慮がちなその言葉は、しかし、確固たる自信を感じさせた。
 アクセルには、それで十分だった。

 「そう」

 安心させるかのように、そっと笑顔を作る。

 「来よった、来よった」

 いつの間にかやって来ていたクーヤは、部屋に首を突っ込むようにして、アクセルとナタンに呼びかけた。

 「救世主ヅラしよって、やって来たぞ。ブリミル教の司祭がな」

 半ば予想はしていた人物ではあるが、アクセルは天井を仰いで軽く溜息をつく。

 覚悟を決めねばならない。
 ナタンも、イシュタルの館も、失うわけにはいかない。

 「ナタンは、ここで待っててくれ。軽々しくボスが顔を出すもんじゃない」

 表と裏、合わせて何人殺すことになるのだろうか。
 アクセルは早速、一人目の死人になるであろう人間の元へ向かった。



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