小説『漂流のA(ゼロの使い魔二次)』
作者:権兵衛()

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第1章 青き春の章

第34話<不羈>






 ギルドを立ち上げるのは、そこまで難しい問題ではない。問題は、それを存続させることだ。

 「『疾風怒濤』が?」

 報告を聞いた時、レオニー子爵は鸚鵡返しに尋ねる。
 その名は、聞いたことがあった。二人組の傭兵メイジで、どこのギルドにも所属していない、流浪の戦士。出身はゲルマニアだともガリアだとも言われており、家名など、詳しいことは不明。ただ伝え聞くところでは、たった二人で城一つを攻め滅ぼしたこともあるという。

 (流石にそれは眉唾だが……強力なメイジであることに違いはない)

 利用しない手はない。
 クルコスの街に滞在しているという二人を、早速、レオニー子爵は召喚した。
 召喚に応じて執政庁にやって来た彼等からは、年若く、実力を兼ね備えた自信家といった印象を受ける。領主である子爵を前にしても、何ら怖じ気を抱く様子は無く、颯爽とマントの裾を翻して歩を進める。
 灰色髪の、背の低い方の男が、軽くお辞儀をした。

 「お初に。『疾風怒濤』の前者、“疾風”のハンスにございます」

 続いて、その後ろの大男が頭を下げる。

 「同じく『疾風怒濤』の後者、“怒濤”のマルセル」

 二人の挨拶を受け、レオニー子爵も微笑と共に頷く。

 「当地の指図役、レオニー子爵家のフィルマンだ。ようこそ、『疾風怒濤』。まずは乾杯を」

 使用人に命じて、ワインの準備は済んでいる。応接室のテーブルに二人を案内し、三つのグラスにワインを注ぎ終わると、子爵は一つ咳払いの後、乾杯の音頭を取った。
 一杯目を飲み干した後、レオニー子爵は両手の指を絡め合わせて、尋ねる。

 「さて……。二人の武名は、この私ですら知っている。率直に聞きたいのだが、『疾風怒濤』がこんな片田舎に、一体何の用だ? まさかとは思うが、何かこの地で、重大な事件が起きようとしているのではないな?」

 傭兵の生活の糧は、争いごとである。誰と誰が喧嘩するとか、どこそこで反乱が起きそうだとか、命を狙う者、狙われる者がいるだとか……そのような、武力を必要としている所へと出向いて、自らを売り込む。逆に言えば、傭兵が動くときは、何か良くない事が起きる時なのだ。
 それを把握するためにも、傭兵達をまとめる傭兵ギルドは必要だった。

 「いえ、そうではないのです」

 ハンスは微笑を浮かべたまま、静かに首を振る。

 「仕事を終えて、まとまった金が手に入りましてね。知り合いから聞いた、イシュタルの館を尋ねようかと」

 イシュタルの館のことは、レオニー子爵も知っていた。
 多少ラヴィス子爵といざこざがあったようだが、何とか切り抜けたそうで、今もあの娼館は営業している。

 「羨ましいな。君たちの若さも、身軽さも」
 「何を仰る。子爵殿とて、まだまだ現役でしょうに」

 適当に愛想を使い、ハンスは続けた。

 「一度遊んで、次の仕事までどこで過ごすか、となったのですがねぇ。こいつが、離れたくないなんて言い出しまして。骨抜きにされてしまったわけですよ」

 彼は拳を作り、親指で隣のマルセルを示す。

 「それでまぁ、ともかくここまで引き返して、今後の予定を立てていたわけです」
 「そうなのか……。いや、わざわざ呼び立てて申し訳なかった。てっきり、どこかで反乱でも起きるのではないかと思ってしまってな」

 そう言いながら笑うレオニー子爵は、すぐに口を閉じると、足を組み替えた。

 「さて……。ところで、次の仕事は決まっているのか?」
 「まだですね。何か、御用でも?」
 「少し前、ここの傭兵ギルドが壊滅してな。立て直そうにも、傭兵達をまとめられる人物がいない」

 随分正直に話すな、と、ハンスはそう感じた。

 「君たち『疾風怒濤』の名で、新しい傭兵ギルドを立ち上げて欲しい。別に、年がら年中いてくれなくても構わないんだ。ただ、『疾風怒濤』の武名を借りたい。何かあった場合は、君たちに制裁を下して欲しい」

 どうやら、それほどに切羽詰まった問題らしい。
 恐らくこの、申し出るのではなく申し出させるという作戦も、それを見越してのことなのだろう。

 「さて……。どうする、マルセル?」

 一応、弟分に意見を求める振りをする。ハンスはマルセルを振り向いた。
 しかし、マルセルは何の返事もせず、じっと窓の外を見ている。

 「……?」

 特に、悪意のあるような気配は無かった筈だ。にも関わらず、彼は何故こんな真剣な目で、窓の外を見つめているのだろう。つられたハンスがそちらを見ると、窓の外の枝に、一羽の鴉が止まっていた。

 「……黒……」

 ぽつりと、マルセルが漏らす。

 「黒……黒い髪……。黒髪のあの娘……。ふへっ、ふへへへへっ、へへへへへへ……」
 「…………」

 ハンスは無表情で顔を戻すと、マルセルの不気味な笑いに顔を引きつらせる子爵に向き直った。

 「子爵殿。お引き受け致します」
 「あ、ああ、助かる。だが……大丈夫なのか?」
 「問題ありません。これはこういう生き物です」
 「……そうか」
 「はい」

 詳しい手続きは後日ということで、ハンスは未だ薄ら笑いのマルセルを引きずって、出て行った。
 再びグラスにワインを注いだレオニー子爵は、隣に控える執事に漏らす。

 「それで……セバスチャン。どう思う、あの二人」
 「わ、私ですか? そうですね……。やはり、その、ただ者では無さそうで」
 「ああ。確かに、普通ではないな」
 「正気にては大業成らずかと……」
 「そうか……」








 『疾風怒濤』をクルコスの街に派遣し、傭兵ギルドを立ち上げさせる。その目的は、もう一つあった。
 金にシビアな傭兵ではあるが、彼等は未だ、そこまで信頼できる仲間ではない。状況次第でそのあり方は、如何様にも変わるだろう。
 ゼルナから、イシュタルの館から引き離し、傭兵ギルドを運営させる。表向きにイシュタルの館と傭兵ギルドとの繋がりを示すものは無く、全くの別組織として扱われる。すると、傭兵ギルドが力を増せば、『疾風怒濤』の力も増すことになる。彼等は恐らく、その力を使って離反するだろう。
 ともかく、イシュタルの館の安定の為、そして彼等の行動を見極めるため、一旦組織から放つ。それが狙いでもあった。レオニー子爵が設立の金を負担するよう仕向けたのも、傭兵ギルドを野放しにせず、ある程度彼に監視させるためである。治安維持の為に立ち上げた傭兵ギルドが、自発的に治安を乱そうとした場合、子爵はすぐにでも対応を行うだろう。
 そしてハンスは恐らく、それに気付いている。

 「……どう思う、ナタン?」

 アクセルは書類の束をナタンの机に乗せながら、ふと尋ねる。ナタンはペンを走らせたまま、聞き返した。

 「どう思う、ってのは? 何の事だ?」
 「だから、ハンスとマルセル、『疾風怒濤』のことだよ。連れてきた僕が言うのも何だけど、手放しで信用できる相手じゃない。メイジじゃないナタンがボスであることに不満気だし、隙を見せれば……」
 「そういうこともあるだろ」

 ペンをペン立てに戻し、ナタンはサインした書類をサイドチェストに乗せる。そして、机の端に立つアクセルを見上げた。

 「ベル。俺は、この組織を大きくすることに決めた。たくさんの、色々な人間とも関わるだろう。騙されたりするだろうし、こっちが騙す側にだって回る。泣き言言ったって、世間の裏での出来事である以上、誰も同情すらしてくれねぇよ。みすみす裏切らせはしねぇが、裏切られたとしても、俺達が勝つ。というか、勝つしかねぇ」

 アクセルは無言で聞いていた。

 「あの二人が裏切るなら、ボスである俺に問題があるってことだ。……あいつらの夢を、俺が背負い切れなかった、それだけだ。どのみち、たった二人程度の夢も背負えないようじゃ、俺の器もタカが知れてる。……心配すんな、お前らもいるんだ。俺が勝つ」

 言うようになったな、と、アクセルは密かにそう思う。

 ナタンを失うような目には遭いたくないが、あの死線は、確かにナタンを成長させたようだ。

 (サイヤ人みたいなもんか)

 まだまだ危うい気もするが、ナタンは確かに、身につけ始めているようだ。彼なりの、ボスとしてのあり方を。

 「心配ない」

 途中から話を聞いていたらしい。部屋に入ってくるなりそう言ったスルトは、自分の机に腰掛けると、首元のボタンを外した。
 アクセルが聞き返す。

 「心配ないって、『疾風怒濤』が?」
 「そうだ。“疾風”のハンスは強力なメイジだが、ヤツは頭のいいバカだ。お前達が思っているよりも、ずっと簡単に対処出来てしまうだろう」
 「……そういうもんかな?」
 「それに裏切るにしても、傭兵ギルドの戦力が整い、安定してからになる。まだ時間はある。今はそれよりも、この月を無事乗り切ることを考えろ」

 ナタンは“夢”という言葉を使った。
 ふと、アクセルは思う。ならばスルトは、一体どんな夢を、この組織に乗せているのか。
 自分の両目を焼いたコルベールを探し求めるというのなら、確かにそうだろう。復讐を誓っていても不思議ではない。
 しかし、彼は未だ、コルベールのコの字も出さなかった。いや、実験小隊時代はただ、“隊長”としてしか呼んでおらず、本名は全く知らされていないのかも知れない。

 スルトは現在、街を歩き回り、ハザードマップの作成に取り組んでいた。主に大規模な火災が発生した時の避難経路図だが、火メイジである彼のセンスにより、既に基礎部分は完成している。延焼を防ぐための火除け地としての空き地の選定から、街全体を改造するような、大掛かりな水路の設計まで。形になるのはまだまだ未来の話だが、その場合には、スルトの作成した資料が大いに役に立つだろう。

 本当に盲目なのかと、ナタンもバルシャも疑っていた。

 「さて……」

 仕事のキリがついたようで、ナタンは立ち上がる。

 「それじゃ、俺はそろそろ行くぞ。戻るのは、明日か明後日だ」

 ラヴィス子爵領、パリュキオの村。そこで、イシュタルの館の名を騙った者が、娘を攫ったという。まだ守備隊に漏れない内に、ナタンが数人を引き連れ、事実確認に向かうことになった。普段ならバルシャが向かうのだが、彼はギルド設立を監督するため、レオニー子爵領クルコスの街に出張している。

 「代わろうか?」

 アクセルが申し出るが、ナタンはそれを断った。

 「お前はあれだ、なるべく休むようにしろ」
 「それじゃ落ち着かない。皆が頑張ってるのに……」
 「だから、お前はまだガキなんだ。身体も小さいし、その分体力もない。ここの守りだって、甘いわけじゃないんだ。それじゃぁな。ちゃんと寝ろよ」

 捨て台詞のような気遣いを残して、ナタンは“貝殻の男”達を引き連れ、出発した。

 (まぁ確かに……。もっと、体力をつけないと)

 短期決戦ならともかく、持久戦をすることになった場合、自分はきっと、誰よりも早く脱落するだろう。その自信があった。

 (もう少し長めに走り込むようにするか? でも、それだと予定がなぁ)

 「では、俺も行くぞ」
 「今から鍛錬か?」
 「まぁな」

 短く答え、スルトはメイスを片手に立ち上がる。ドアノブに手を掛けたところで、アクセルが呼び止めた。

 「その鍛錬が終わった後でいいんだけど、ちょっと、地下室に来てくれないか?」
 「地下室……? 何かあるのか」
 「んー、秘密。ちょっと、試作品がね」
 「ほう。早速“傑作卿”の始動というわけか」

 愉快そうに、スルトは肩を上下させる。つられたようにアクセルも笑みを見せると、俯き加減に首を振った。

 「そんな大層なものじゃない。何とか形にはなったけど、成功なのか失敗なのか、まだはっきりとはしない」
 「そうか。何にせよ、光栄だ。第一号作品の試験に招かれるとはな」
 「それじゃ、また後で」
 「ああ……また」








 フラヴィが事務室に顔を出すと、アクセルしかいなかった。少年はソファに腰掛け、カタログを捲っている。

 「やぁ」
 「あぁ」

 お互いの存在を示す、それ以上の意味は無い軽い挨拶を交わし、彼女もアクセルの隣に腰を下ろした。

 「それ、何だい?」
 「ああ……。ちょっとね」

 軽くカタログを傾け、フラヴィに示す。

 「……杖?」
 「そう。マチルダとミシェルの」

 そう言われて改めて、あの二人がメイジであることを思い出した。
 メイジ向けの杖のカタログには、実に様々な杖が掲載されている。オーソドックスなワンド型から、軍人が扱うような杖剣型、または装飾を凝らした美術品のような形状、両手で扱う大きなスタッフ型など。

 「へぇ……。色んなのがあるんだねぇ」

 カタログを受け取り、フラヴィはパラパラとページを捲った。

 「流石に、あんたみたいなのは無いよねぇ」
 「あったら怖い」

 そう言いながら、アクセルは自分の両手の指を曲げ伸ばした。

 「怖いってあんた……。自分の肉を骨まで抉る子どもの方が、何千倍も恐ろしいんだけど。痛くなかった?」
 「お前は僕を何だと思ってるんだ。痛かったに決まってるだろう。ああそう言えば、あの晩、高熱を出して寝込んだなぁ」
 「けど、普通の杖も持ってるんだろ?」
 「うん」

 幼い頃に与えられた、大多数を占める形状であるワンド型。自分が、一番始めに契約した杖だ。それは未だ持っているが、手にしても、あくまで形式上。実際は杖に沿わせた右手の指で魔法を扱っている。
 使えなくなった理由は恐らく、限界に達したのではないかと思う。聞くところによれば、予備の杖一本を扱うのにも、相当な才能が必要だそうだ。勿論、それはメイジの力量と関係は無く、何本持とうが、相手の一本の杖に敗北することも多々ある。
 それにしても、両手両足合計で十四本というのは、あまりに多すぎる。ギリギリ、あのワンドが切り捨てられたのだと、そう考えることが出来た。

 フラヴィは再び、カタログを捲った。

 「特徴的と言えば、スルトの杖もそうだね。あんなごついの、このカタログにも載ってないし」

 それぞれのメイジにも、杖の形状の向き不向きはあるようで、一番安定しているのがワンド型ということらしい。あまり特異な形状の杖は忌み嫌われるものだが、スルトのような傭兵にとって、そんな嗜好など瑣末である。魔法としての杖だけではなく、相手を叩きのめすメイスは、確かに彼のような膂力のある人間には似合っていた。

 「何か、こう……取っ手が三本?」

 フラヴィの感想を少し考え、ああ確かにと、アクセルは納得する。
 柄の反対、先端部分から、取っ手のようなものがメイスに沿って三つある。真上から見ればちょうど、三菱紋に似たシルエットを形作る。

 「ひょっとして、相手に威圧感を与える意味もあるんじゃないかな。あんなもので殴られたら、どうなるか……。いや、間違いなく骨が砕けるね。折れるとかじゃなく」
 「威圧感ねぇ……。あの顔で、まだ足りないってのかい? にっこり笑ってみせるのが一番効果的だと思うけど」

 フラヴィはカタログの元のページを開くと、そのままアクセルに渡した。

 「で? 決めたのかい?」
 「うーん……やっぱり、ワンド型がいいかと思って。下手に奇を衒うよりはいいし。それに、軽くて振り回せるのがいいな。女の子だし」
 「……いっそ、あんたが作ったらどうだい?」
 「ああ、確かに。別に、一生それを使うってわけでも無いんだし。初心者用として僕が作って、成長した後、好みの杖に変えて貰えばいいか」
 「どうだろうねぇ。あんたが作ったの、一生使い続けてくれるんじゃないのかい?」

 冗談ではなく、半ば確信したフラヴィの言葉だった。
 アクセルを兄と慕うミシェルは、何一つ疑う余地もなく、彼を信頼しきっている。その様子は、本物の兄妹以上だった。

 「こんな言い方も妙だけど、ミシェル、あの娘は完全にブラコンだよ。あんたから貰ったんなら、例えそこらの石ころでも、大事に抱いて眠るだろうさ。きっと、あんたから贈られた杖なら、どんなに傷付こうが使い続けるね」
 「ハハハ。それは嬉しいなぁ」
 「責任重大じゃないか。一生モンの杖なんだ、作るんだったら手は抜けないよ」

 アクセルはカタログから目を離さないまま、楽しげに笑う。

 「それにマチルダだって……」

 そこまで言いかけて、フラヴィは迷った。この少年に、こんな嘘を付いてもいいのかと。
 しかし、アクセルは無言でカタログを閉じ、傍らに置くと、そっと首を振る。どこか、寂しげな横顔に見えた。

 「……気付いてたのかい」
 「そりゃね」

 フラヴィは天井を見上げて溜息をつき、爪で頭を掻く。

 「マチルダは……まだ僕に、心を開いてはいない」

 そしてマチルダの判断は正しいと、アクセルはそう思った。

 アルビオン王族、モード大公。彼とエルフとの間に生まれた禁断の娘、ティファニア。そして、モード大公を助けたサウスゴータ太守。その遺児、マチルダ。
 マチルダに口止めされているのか、ティファニアは過去のことを語らない。アクセルも敢えて聞かず、彼の意を受けるナタン達も、興味のない素振りを見せた。

 マチルダは、肉親全てを失った。たった一人、妹のような存在である、ティファニアを除いて。ティファニアを失えば、マチルダは、近しい者全てを失うことになる。それは彼女にとって、死に勝る苦痛なのだろう。マチルダは全てを失ってしまわない為にも、ティファニアを守る。

 アクセルは未だ、マチルダに完全に信用されてはいない。ただ、彼のティファニアに向ける、嘘偽りの無い愛は理解しているようだ。しかし、それまで。アクセルがマチルダをどれ程愛そうが、マチルダにそれは届かない。

 「買い物に行くんだ……。ミシェルも、テファも、勿論アニエスも、あれが欲しい、これが見たい、それが食べたい……そう言ってくれる。教えてくれる。たくさん、話してくれる。でもマチルダは、そうじゃないんだ。自分を押し殺して、ただ、僕に気を遣っている。今まで、何一つとして、マチルダは僕に望まなかった」

 考えてみれば、自分は信用されるような人間ではないと、アクセルは確認する。
 奴隷市場で自分たちを突然買い取った、得体の知れない少年。そんな人間が、怪しまれない筈が無い。自分たちがアルビオン王国にとって邪魔な存在であり、アルビオン王国以外の手に渡れば、非常に高度な政治取引に使われる存在だと、マチルダはそのことを理解しているのだろう。
 その事もまた、信用出来ない理由だった。アクセルがそのことを知っていない、知るはずがないと、その確信が持てないでいる。更に不幸なことに、アクセルはその事実を知っているのだ。原作知識という、マチルダが予想だにしないものの為に。
 事情を全て知りながら尚、それをマチルダに教え、決着を付けてしまうことが出来ない。その勇気が無い。原作が都合の悪い方向へと改変されてしまうのではないか、その恐れ故に。

 自分が信用されることも、信用される資格も、無くて当然なのだ。

 「ま、まぁさ、大丈夫だって。ちょっと疑り深いだけで、あの娘だってそのうち……」
 「いや、いいんだ」

 慰めようとしてくれるフラヴィに応えるように、アクセルは笑った。自嘲のようであり、諦めのようであり、そして何より、悲しげだった。

 「僕自身、自分が得体の知れない存在だってことは理解している。ミシェルやテファが懐いてくれるのは、僕にとって奇跡なんだ。あり得ない程の。……マチルダが幸せなら、僕は満足だ。いや、幸せに出来るなんて、そんな自信も無い。ただ、平穏と、安穏さえあれば……。マチルダは、いい娘だ。疑り深い僕が、保証出来るくらいに」
 「……いくつだい、あんた」

 アクセルの、そのような純な想いを聞かされたことが予想外だったらしく、フラヴィは驚嘆と呆れの混じった表情と共に尋ねる。

 「うーん。三十くらいと思ってくれれば、色々と順調かも」
 「まぁ確かに、そんくらいじゃないのか、って思うことはあるけど」
 「え、嘘っ」

 そこでようやく、二人は笑い合った。
 アクセルは壁の時計に目を向けると、カタログを抱え、立ち上がる。

 「さて、それじゃ僕はそろそろ」
 「ああ、そうかい。あたしも準備しないとねぇ。今日は、バルシャもナタンもいないんだし」
 「色々聞いてくれて、ありがとう、フラヴィ。でも、このことは……」
 「わかってる、誰にも言いやしないって。安心しな。疑うのかい?」
 「信じてたら確認しないよ」

 最後に一つ、意地の悪そうな笑みを浮かべ、アクセルはドアを抜けた。








 地下倉庫の一角は、相変わらずアクセルの研究室になっていた。そろそろ地下を工事し、きちんとした区切りを作るべきかとも思われるが、秘密裏にそんな事を行える、強力な土メイジが組織にいない以上、実に長期的な作業になりそうだった。

 「入るぞ」

 地下倉庫の扉を開け、棚の裏に回る。マジックライトの灯りの下、アクセルが背を向け、何かをいじっていた。

 「お。来たな」

 振り向いたアクセルの弾んだ声は、見なくとも笑顔だとわかる。

 「さて、スルト。また義眼、見せてくれないか?」
 「ああ、構わんが……」

 盲目の彼にとっては、どの道、飾りでしかない。左の眼窩に指を差し込み、白い義眼を取り出すと、それを差し出す。アクセルの小さな手が、大切そうに受け取った。

 「ふーん、ふんふん、ありがと」

 確認するようにしきりに頷いていたが、すぐに少年は、スルトに向かって手を伸ばす。指は、義眼を挟み込んでいた。

 「一体何だ?」

 スルトは義眼を受け取り、それを再び、左のぽっかり空いた眼窩に嵌め込む。その直前、彼は、アクセルの手に未だ義眼が残されていることに気付いた。

 スルトは、停止していた。動き方を忘れたかのように。が、やがてゆっくりと左手を持ち上げ、それに顔を向ける。紅色の瞳をした義眼は、正しく、その掌に向けられていた。何かを確認するかのように、彼は、掌を折り曲げ、また伸ばす。

 丸椅子に尻を落とすアクセルは、腕を組み、笑っていた。

 「スルト。かなり前のことになるけど、お前、言ってたよな。盲目になって一番の不便は、読書が出来なくなったことだって」

 成功を確信した笑みだった。

 「流石に、僕自身では試せなかったけど、そこそこ自信はあった。これならいけるんじゃないか、と。……で、どうなんだ。スルト? ちゃんと見えてるか? 少なくとも、光は感じられてるだろ?」

 白黒テレビのようなのか、カラーテレビなのか、それともただ、漠然と輪郭が見えるだけなのか。

 スルトは未だ、無言のままだった。しかし、アクセルは構わず続ける。

 「材料は、火石とか風石、それに水石と……まぁ、色々だ。小さいけれど、水晶も入ってる。なぁ、スルト。早く感想を聞かせてくれないか。そうしないと、改良のしようが」

 かつん、と、義眼が落下した。その紅色の瞳が、床から無機質に、アクセルの顔を見上げている。
 その上に、スルトの足が落ちた。ガラス玉が砕けるような音と共に、義眼が、粉々に砕け散る。

 「え?」

 アクセルがその光景を理解出来ず、呆けたように呟いた刹那、メイスが走った。腕を組んでいたアクセルの右側に叩き付けられ、小さな身体は、いとも簡単に吹き飛ぶ。空樽に突っ込み、木片が飛び散った。
 右腕が、身体にめり込んでしまったかのような感覚。痛みより先に、意識が遠くなるのを感じる。

 「スル……ト……?」

 口中に、鉄臭いものが広がった。スルトの空洞の眼窩が、洞窟の入り口のように……魔物が潜む深淵のように、アクセルを見下ろしている。その奥に潜む何かに、じっと、観察されているような気分だった。

 「誰だ……それは」

 スルトは転がっていた自分の義眼を拾い上げ、軽く拭うと、それを眼窩に嵌め込んだ。

 「俺は……メンヌヴィルだ……」

 そう言うと、彼は背を翻す。

 ああ、ついにその時が来たのかと、どこか冷静な部分でアクセルは思った。彼はスルトであることを止め、元のメンヌヴィルに戻った。
 もう、間もなく自分は、意識を失ってしまうだろう。視界の中のメンヌヴィルの後ろ姿が、ふと、曖昧なものに映った。

 (あれ……)

 何故か、予感がした。直感だった。
 彼は、死ぬのではないかと。

 「なぁ……スルト」

 辛うじて声を絞り出し、アクセルは息を吐き出す。

 「出かけるんなら……風邪とか……引くなよ……」

 一体何を言ってるんだと、頭の中の冷静な部分が呆れていた。言った後で、アクセル自身、自分は一体何を言ったのかと、純粋に誰かに尋ねたくなる。もしかしたら、これが、自分の遺言となってしまうかも知れないのに。
 言い終えたと同時に、自然と瞼が下りる。意識を失う直前、頭の中には、荒い足音が響いていた。


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