小説『漂流のA(ゼロの使い魔二次)』
作者:権兵衛()

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第1章 青き春の章

第35話<鬼人>






 一番始めに見つけたのは、ミシェルだった。夕方になっても地下から出て来ないアクセルの様子を見に、倉庫のドアを開けた彼女は、砕けた樽と、そしてぼんやりと座り込んでいる少年を目にする。

 「……兄さん!?」

 額から血を流しているのは、特に問題無い。問題は、傷を治すこともせず、ただ遠い目で虚空を見上げている彼の様子だった。

 「ああ、ミシェルか」

 首を回し、アクセルは微笑む。駆け寄ったミシェルは、ハンカチで額の血を拭った。そこで初めて怪我に気付いたのか、アクセルは自らに治癒の魔法を使う。

 「どうしたの? 何があったの?」
 「……んー」

 再び虚空に視線を泳がせながら、彼は考えた。

 スルトがもし、本当にメンヌヴィルに戻ったというのなら、何故自分は生きているのだろう。鉄すら溶かす白炎にて敵を焼き尽くす、それがメンヌヴィルの筈だ。なのに、彼はメイスで攻撃した。それも、骨の一本も折れないような力で。

 「大丈夫、立てる?」
 「ああ、うん。ちょっと……何かを、失敗したみたいだ」

 答えを濁し、アクセルは立ち上がる。首に手を当て、軽く頭を振った。

 何故、メンヌヴィルに戻ると言いながら、彼は自分を殺さなかったのか。

 「ねぇ、ミシェル。スルト知らない?」
 「あの人なら、少し前に出て行ったわ。顔は見えなかったけど、何だか慌ててたみたい」
 「……そう」

 もしもまた自分と殺し合いがしたいのなら、他の方法を取る筈だ。誰かを人質にとって誘き出したり、または殺して見せて、アクセルを怒らせたり。
 彼はただ、出て行った。

 (……咄嗟だったなぁ)

 アクセルへの攻撃は、何かに対する反射のような、突発的なものだった。計画など無い。出奔のようだ。まるで家出だ。

 「……迎えに行くかぁ」

 ぼんやりと、独り言のようにアクセルは呟く。伸びをし、身体を左右に曲げる少年に、ミシェルは不思議そうに尋ねた。

 「迎えに行くって、誰を?」
 「スルトを。何というか、あれだ。放っとけない。フラヴィに、そう伝えておいて」
 「え……うん、わかった」

 アクセルは机の上の小箱をポケットに押し込むと、小瓶の水を飲み干す。倉庫の扉を開けた彼を、ミシェルが呼び止めた。

 「兄さん」
 「うん?」
 「帰って……来るよね?」
 「当たり前だよ、そんなの」

 振り向き、安心させるように微笑む。嘘になるかも知れないな、と、そう思った。








 何故、追うのか。殺されるかも知れないのに。もしもメンヌヴィルが自分への興味を失ったというのなら、幸いではないのか。彼につけ狙われる心配はなく、金輪際顔を合わせることも無いかも知れない。
 確かに、彼が抜けるのは痛い。戦力は大幅にダウンするし、火メイジの暴力と、風メイジと遜色ない隠密技術を持ち合わせる人材は、そうそう見つかるものでは無い。
 しかし、あまりに危険すぎるのだ。彼に追いついたとして、何を話せばいいのだろう。再び彼を仲間に出来る保証はなく、以降裏切らないという保証もない。

 (……何でだろうなぁ)

 アクセルは自問した。放っておけばいい。そして自分を殺しに来るようなら、仲間達と力を合わせて返り討ちにすればいい。

 ふと、考え事を止めてみると、蹄の音が大きく響いてきた。既に日も暮れかけ、周辺は黄昏の中に沈んでいる。北東街道を上り、既にラヴィス子爵領から外れようとしていた。

 「!」

 アクセルは手綱を引き、馬を停止させる。嘶きと共に立ち上がった馬は、二、三度前足で藻掻き、着地すると首を振った。
 道脇のあすなろの樹の根本に、一人の老婆が座り込んでいる。馬から飛び降り、アクセルはその老婆の前にしゃがみ込んだ。眠るように目を閉じていた老婆は、ちろりと片目で少年を見上げると、口を開く。

 「……どうかしたのかい、坊ちゃん」

 頭には、飾り気のない灰色の頭巾。誰彼の刻限であるが故に、顔ははっきりとは見えない。ただ、瞳だけが光っていた。血の色をした、不気味な瞳が。
 スルトが踏み砕いた義眼が、アクセルの頭を過ぎる。

 「お婆さ……」

 何をしているのか、と、アクセルは尋ねようとした。見たところ、老婆は旅装ではなく普段着で、少し散歩に出てきた、というような服装だった。この近くに、人が暮らすような場所などない。ましてや、このような老婆が。
 いや、それよりも、何故これほど近くに来るまで、自分はこの老婆に気付かなかったのか。まるで木石のように、気配が無かった。さながら闇に溶け込むようにして、彼女はただ、そこに座っていた。自分がこの老婆に気付いたのではなく、この老婆がわざと、自分に気付かせたのではないか。そんな気もしてくる。

 しかし、今、それをいちいち解明する暇は無かった。

 「お婆さん、聞きたいことがある。大男だ。白髪で、右目に仮面。左目に火傷の痕がある、大男を見なかったか?」
 「……最近、腰が痛くてねぇ」

 老婆はそう言いながら、大袈裟に腰をさする。数秒して意図に気付いたアクセルは、軽く頷いた。

 「わかった、家までこの馬を使ってくれ。従順な馬だから、下手なことしなければ大丈夫だ。……あっ、でも、お婆さん。馬は……」
 「ふむ。乗れないこともないねぇ」
 「良し。それで、知ってるのか? 知らないのか?」
 「…………」

 老婆は枯れ木のような指を伸ばすと、そっと、地面を示す。つられて下を向いたアクセルは、目を見開いた。
 いつの間にか、数枚のカードが並んでいる。

 「一枚、捲ってごらん?」

 老婆の申し出に、思わず怒鳴りそうになった。そんな場合では無い、急いでいるのだと。しかし、ここまできて機嫌を損ねるわけにもいかない。アクセルは無造作に一枚のカードを選ぶと、それをひっくり返した。

 「ふむ……。“ソーン”のルーンかい」

 この暗さでカードを判別した老婆に驚き、アクセルも目を凝らす。確かに、自分が捲ったカードには、ソーンのルーン文字が記されていた。

 「意味を、知ってるかい? 坊ちゃん」
 「氷の巨人……。行く手の吹雪、閉ざされた門」
 「そうさ。つまりは、帰りな、ってことだ。あたしゃ、人相も見るんだけどねぇ。坊ちゃんの顔には、死相が出てるよ。何を急いでるのか知らないけど、今引き返さなけりゃ、死ぬ。だから……」

 アクセルは立ち上がる。そして馬の手綱を傍らの朽ち木の枝に括り付け、ポケットから金貨を一枚取り出すと、カードの上に乗せた。

 「何だい、こりゃ」
 「見料さ」

 アクセルは微笑んだ。

 「つまり、この道で合ってるってことだろ? 僕が追っているヤツが、この道の先にいる。占いに興味は無いけど、お婆さん、今のは本当だ」
 「わからないねぇ。相当、危ない男なんだろう? 味方でもないんだろう? なのに、何で追う?」
 「僕にもよく分からん」

 言い捨て、少年は走り出す。闇を裂き、風を切るように。
 あっという間に遠ざかっていくアクセルの後ろ姿を見送ると、老婆はカードを纏め、懐に収める。そしてひらり、老年とは思えない身のこなしで馬の背に飛び乗ると、少年に追いつかない程度の速度で、その後を追った。








 もう、二度と得られるはずの無かった、光。さながら聖なる日の奇跡の如く、それが蘇った時、感じたのは喜びではなく……恐怖。
 あの時、アクセルを振り向くわけにはいかなかった。彼を見るわけにはいかなかった。見てしまえばきっと、焼き尽くしてしまっていただろう。

 (……これでいい)

 そう……これでいいのだ。出会うべきではなかった。興味を持ち、積極的に関わろうとしてしまったのは自分の方だが、それは大きな間違いだった。

 「……泡沫の一族」

 メンヌヴィルはそっと、口ずさんだ。

 「その手は空……倉には風……夢破れて骨残り……」

 ざわざわと、周囲の木々がざわめいた。

 「我が名はただ……水面に描くべし。読む者はおらず、呼ぶ者もおらず。故にただ、指の先にて水面に描き、そのうたかたに混じりて消えるべし。我が名はロティスール……」
 「いいや。お前はスルトだ」

 木々のざわめきの筈だった。それがただ、偶然にも、言の葉となって現れた。願わくば、そうであって欲しかった。
 メンヌヴィルは背を翻し、振り向く。

 「やぁ……」

 軽く片手を上げ、アクセルは微笑む。

 彼がメンヌヴィルの元に辿り着けたのは、全くの偶然だった。老婆と別れた後、相変わらず北東街道を上っていたが、ふと、本当に何となく……直感した。ここで彼は、森に入ったのだろうと。
 普段のアクセルならば、己の直感を疑い、切り捨てるだろう。そうしなかったのは、彼が既に、メンヌヴィルを追いかける自分自身に疑問を抱いていたからかも知れない。

 メンヌヴィルはアクセルの姿を認めると、メイスを振り、火炎を撒き散らした。周囲の木々が忽ちに松明に変じ、赤々と闇を染め上がる。その赤の中に、メンヌヴィルの姿が晒された。

 「フハハハハハハ!!」

 狂ったような笑い声を上げ、彼は歯をむき出しにする。

 「面白い、面白いぞ、アクセル・ベルトラン! 生かしてやったにも関わらず、この俺に挑もうというのか! 全く、何という小僧だ、お前は!」
 「……それは、嘘だ」

 アクセルは切り捨てるように告げた。
 狂ったような笑い声ではあっても、狂った笑い声では無い。

 「どうした? スルト」

 狂ったというのなら、寧ろ、アクセルの方だろう。
 死なないため、殺されないため……そのために、今まで生きてきたのに。

 「いつものお前は、もっと冷静だった。お前はもっと、氷のような凍てつく炎だった筈だ。あのお前の、何と恐ろしく、何と頼もしかったことか。お前を見るたびに僕は、お前が味方であることに感謝した」

 歌劇のような台詞回しだった。産毛を焦がす灼熱の火炎に包まれながら、アクセルに慌てた様子は無い。それどころか、自らの周囲を一つの舞台に見立て、精一杯演じきろうとしているかのようだった。

 「出会った時、お前の笑顔が怖かった。狂った言葉が恐ろしかった。でも……何だ、今のお前は? まるで弱い犬だ。吠えることは出来ても、噛みつく勇気はない。殺す力があるのに、その力を出そうとしない」

 アクセルは歩き出した。

 「なぁ、スルト」
 「俺は、メンヌヴィルだ」

 笑顔を消し、ただ、彼は告げる。

 「スルト」
 「メンヌヴィルだ。何度言わせる」
 「スルト。スルト。スルト。スルト」
 「…………俺は、メンヌヴィルだ」

 二人を隔てる、火炎の壁。
 初めて対峙した時は、逃がさないための壁だった。そして今は、近寄らせないための壁だった。
 その中に、アクセルは踏み込む。少年の小柄な身体は、忽ちにして、炎の内側に消えた。

 「ッッ……!」

 メンヌヴィルが動揺し、無意識のまま、炎に向かって手を伸ばす。炎から出現した手が、それを握り返した。

 「『拳弾(けんだま)』」

 何度も何度も……皮膚を破り、骨を砕き、それでも懲りずに岩を叩いてきた拳。その硬い拳の表面を、更に硬化させるイメージ。
 そして強化した右拳を、メンヌヴィルの腕をたぐり寄せるようにして、叩き付けた。

 「ごっ……!?」

 無防備な状態で腹部に受け、メンヌヴィルは呻き声と共に後退った。身体をくの字に曲げ、腹部を掌で押さえて震えている。

 「スルト、と……そう呼ばれるのがイヤなのか? なら、何度でも呼んでやる。どれ程嫌がろうが……いや、嫌がるからこそ呼んでやろう。スルト」

 額に汗を滲ませ、メンヌヴィルはアクセルを見上げた。
 その顎を蹴り上げようと、少年の爪先が跳ね上がる。それを掌で受け止めたメンヌヴィルだが、もう片方の足が飛び、結局顎を蹴られた。思わず足を手放すが、アクセルは蹴り足を下ろさずに踵を彼の肩に引っかけ、左手で襟を掴み、今度は顔面に右拳を叩き付けた。

 「くっ……」

 跳び下がったメンヌヴィルは、メイスを構える。

 「どうした? 何故魔法を使わない?」

 アクセルは止まらなかった。走りはしないが、その歩みは確かに、メンヌヴィルを追いかけ、追いつめようとしている。彼はメイスを構えたまま、後退った。

 「それとも……ひょっとして、あれか? 恐れ知らずの子猫に喧嘩を売られた猛虎が、戸惑いを見せるのと同じく……僕があまりにちっぽけ過ぎて、どうしていいのかわからないか? “白王”のスルトよ」

 決して、メンヌヴィルとは呼ばない。例え殺されても、そう呼ぶつもりは無かった。

 「……来いよっ、スルトぉぉ!」
 「……うおおおおおおお!!」

 メンヌヴィルが、吼えた。
 大きく振り回された後、アクセルに向けられたメイスの先から、火炎が吹き出す。その熱に、アクセルの肌が粟立つ。

 「あははははは!!」

 身体が感じた恐れを振り解くかのように、少年は狂ったような笑い声を上げた。無理矢理に目を見開き、狂気の笑みを作り、火炎を受け止めるように両手を突き出す。風が起こり、炎は左右に分かたれた。しかしその熱は、アクセルの肌を焦がす。
 火炎の背後から、メンヌヴィルが現れた。

 「『密葉(みつば)』ぁぁ!!」

 絶叫するように唱え、両手にマジックブレイドを発生させると、それを交差し、振り下ろされたメイスを受ける。流石に膂力の違いが出て、アクセルはその場に両膝を付いた。片膝を立てるでもなく、完全に跪いてしまった以上、もう立ち上がることは不可能である。
 歯を食いしばり、必死にその重量を支えながら、アクセルは笑った。

 「ど……うし……た……」

 圧倒的不利にありながら、彼はメンヌヴィルの顔を見つめ、途切れ途切れに囁く。

 「僕如きに……受け止められる……程度の……力じゃ……無いだろ? ふざけ……やがって……」

 その言葉に反応したかのように、更に重量が増した気がした。一瞬呻き声を漏らし、それでも、アクセルは屈さない。
 今の力が、果たしてどの程度なのかはわからない。まだまだ彼に余力があるかも知れないし、本当に全力である可能性もある。
 しかしどちらにせよ、メンヌヴィルが、本気で殺しに来ているわけではない事は感じていた。

 「どうした……僕の口を……塞ぎたいんだろ、スルト?」

 それが何故か、気に入らない。適当にあしらって逃げてしまおうという、そんな魂胆が見え隠れしているかのようで、癪に障った。
 癪に障るからこそ、負けてやるわけにはいかない。

 「優柔不断め……。いいか、何度でも言ってやる……スルト……スルト……スル」

 言葉を途切れたのは、メンヌヴィルがそうさせたのではなく、アクセルの計算済みの自発的な行動だった。
 少年は突如として、右手の『密葉』を解除する。体重をかけていた勢いを止められず、メンヌヴィルのメイスは残ったもう片方、左手の『密葉』の上を滑り、アクセルの左脇の地面に落下した。

 「『拳弾』!」

 倒れかけていたメンヌヴィルの腹部に、再び右拳。その衝撃に、彼は距離を取ろうと離れる。だがアクセルは右拳を開き、掌を更に、腹部に押しつけた。

 「『威吹(いぶき)』!!」

 掌に風を発生させるのではなく、遙か背後から、掌を発射口にして風を吹き出させるイメージ。現在の時点での完成度は、ただの強化パンチである『拳弾』より上であり、超至近距離での本命の攻撃だった。

 「ごぁっ……!!」

 メンヌヴィルの巨体が浮き上がり、三メイルほど飛ばされる。仰向けに地面に叩き付けられた彼を追おうと、アクセルは蹌踉けながら立ち上がった。このチャンスは逃せない。倒れ伏す獲物に襲いかかる獣の如く、飛びかかろうとした。

 「!」

 が、メンヌヴィルの足が襲いかかる。倒れたまま、踏みつけるように叩き付けられた足裏を、両腕を交差して受けた。アクセルの足が浮かび、今度は彼の方が、四メイルほど弾き飛ばされる。片手と両足で着地し、少年は一つ、ふぅと息を吐いた。

 (……思ってたより、ずっと……ダメージが通らない。全く、なんてタフなヤツだ。まぁ、だからこそ、すげぇ頼もしかったんだけど)

 メンヌヴィルが、むくりと上体を起こした。アクセルは、それ以上の追撃を試みることを断念する。

 「これはこれは」

 その時、新しい声が響いた。己の存在を誇示するかのように、彼は手を叩く。

 「また、面白い場面に出会したものだ。ラインクラスの小僧を大人げなく虐める、トライアングルクラスの大人。いや全く、えげつない」

 火炎の壁の一角が、風に吹き飛ばされ、穴が空いた。火の粉と熱を振り払うかのように、片手で扇ぎながら登場したのは、灰色髪の男。その後ろに続き、長身の男が現れる。
 クルコスで傭兵ギルドの設立に携わっている筈の、ハンスとマルセルだった。

 メンヌヴィルもアクセルも、特に驚いた様子は見せない。そしてそのような彼等に少し機嫌を悪くしたらしく、ハンスは両手を広げた。

 「ああ、何というこ」
 「ハンス、マルセル。二人とも、何故ここに?」

 彼の台詞を容赦なく両断し、アクセルは静かに尋ねる。片側の眉を痙攣させつつ口を開こうとしたハンスを更に押しのけ、マルセルが首を振った。

 「いやほら、俺も兄貴も、イヤな予感がしたんだって。誰か……そう、そこのメンヌヴィルあたりが裏切りそうな、とてもイヤな予感が。バルシャに相談する暇も無かったし、急いで戻ってきたら、こんな状況だし……」
 「嘘だな」

 アクセルはマルセルの真似をするように、笑いながら首を振る。

 「ナタンもバルシャも不在の今、組織を乗っ取るにはまたとない機会だと、そう思ったんだろう。それでゼルナの街に向かう途中、ここに来た、と」
 「いや、それは違……」
 「いい加減にしろ貴様らぁ!」

 マルセルを殴りつけ、ハンスは灰色髪をかき上げる。そして開き直りを隠そうともせず、口角を釣り上げた。

 「ああ、その通りだ。間違ってはいない」
 「ちょっ、兄貴」

 黙らせようと手を伸ばしてきたマルセルを、杖を向けて逆に黙らせ、ハンスは楽しげに暴露を始める。

 「あのゾンビのようなボスと、やたら切れ者の幹部がいないとなれば、あとは小僧、女、小娘だけ。厄介なのは“白炎”だったのだが……その“白炎”と、得体の知れない小僧が内輪もめを始めたこの状況。さながら天佑神助だな。つまり、あとは小娘と、女だけ。……くくく。あの占い師の言った通りだな」
 「占い師?」

 ここに来る途中、馬と金貨を渡した老婆を思い出しながら、アクセルは聞き返した。

 「そうだ、占いによって出た俺の運命は、オセルのルーン! 領土のルーンだ! お前が先に裏切ってくれて、感謝するぞ、メンヌヴィル。そして安心しろ、アクセル。組織は頂くが、お前達の命までは奪わない。お前はただ、子爵領の代官として生きればいいじゃないか!」

 ハンスの笑顔は、自信に満ちあふれていた。あらゆる困難を、己の風魔法の腕前一つで乗り切ってきた者の自信が、彼を支えていた。

 既にメンヌヴィルは立ち上がっている。

 「無理だな」

 立ち上がった彼をちらりと見て、アクセルは笑った。嘲笑の笑みだった。そしてハンスは、そのことを敏感に感じ取る。

 「ほう。何が無理なんだ?」
 「全て、さ」

 アクセルは首を捻り、拳を構える。向かう先にいるのは、メンヌヴィル。
 焦れたように、ハンスが地面を踏み鳴らし、言った。

 「どういうことだ?」
 「僕とスルトが戦っている間に、組織を奪おうとしてるんだろうけど……結局、無理だろう。ここで僕とスルトが戦えば、まず十中八九、僕が死ぬ」

 それは比喩ではなく、その場の誰の目から見ても、明らかだった。いや、それよりも高い確率で、アクセルは殺される。少年はそのことを、他人事のようにただ淡々と告げた。

 「そしてハンス、お前がスルトと戦えば……スルトが勝つ」

 マルセルは今度は、アクセルの口を塞ぎたくなった。
 彼の危惧の通り、ハンスのうなじの毛が逆立つ。しかしそれでも、口調は冷静だった。

 「何を馬鹿な……。最強属性である風でありながら、お前が負けるのは、ラインクラスである故に仕方ない。だがこの俺は、最強属性である風の中でも更に最強の、スクウェアクラスだ。そこの“白炎”のようなトライアングル如きに負ける道理など、無い」
 「いや、無理だな。クラス以前の問題だ。お前はスルトに劣る。スルトはお前より勝っている」

 挑発し、この場に留める目的も、確かにあった。
 しかし、アクセル自身が驚くほど自然に、言葉が紡がれる。それは恐らく、アクセルの本心であろう。挑発の意図があろうが無かろうが、アクセルは直感で、メンヌヴィルが勝つと断じている。

 「ふっ……」

 ハンスは鼻で嘲笑い、灰色髪を指で梳いた。そして一つ、溜息をつく。
 次の瞬間、豹変した。

 「ふざけんじゃねぇぞっ、小僧!」

 精神力が膨れあがる。スクウェアクラスの、強大な精神力が。

 「この俺がっ、スクウェアクラスの俺がっ、燃やすしか脳のない、火メイジのっ、しかもトライアングルにっ、劣るってか!? “疾風”を舐めんじゃねぇ!!」

 渦巻く膨大な魔力が、周囲の火を吹き消した。

 「いいだろうっ、小僧っ、貴様の挑発に乗り、そこの“白炎”をも吹き消してやる! こんな感じになぁ!!」
 「生憎、スルトの相手は僕だ。引っ込んでろ」
 「引っ込むのはテメェだ!! 吹き飛ばしてやる! 例え“白炎”っ、テメェがあのおぞましいっ、“サトゥルヌスの一族”だとしても!」

 その時現れたメンヌヴィルの動揺は、その大きさは、初めてのものだった。アクセルも密かに驚き、ハンスに目を向ける。

 「おい、ハンス。何だそれは? “サトゥルヌス”?」
 「はっ、そうだよなっ、知らねぇよなぁアクセル! お前はよぉっ。知ってたらっ、こんな化け物、仲間にしてねぇよなぁ!?」
 「止めろ」

 メンヌヴィルが歯を噛みながら、呟く。それは命令のようであったが、紛れもない嘆願であった。

 「止めて……くれ」

 頭を抱え、俯き、跪く。
 その様子に一瞬驚いたハンスだったが、彼の嗜虐心には既に、火が灯っている。哀れな姿で懇願する大男を、更に貶めるべく、言葉は続けられた。

 「何だ、おい。“白炎”よ。何十何百と焼き殺してきた貴様が、その姿か? そんな姿で命乞いする輩も、飽きるほど焼き殺してきたんだろう? 何故そんな姿を? ガキの教育に悪いからか?」

 どさりと、メンヌヴィルはその場に崩れ落ちた。頭を抱えたまま、己の身体を精一杯に縮めようとしている。彼の嵐のような暴力の象徴であるメイスは、その両手に握られ、縋られるようにして立てられていた。

 「お笑いぐさだぞ、“白炎”! 死ぬときは、その姿で死ね! 自分が焼き殺して来た者どもに、あの世でその姿を大いに嗤って貰え! 何だっ、許しでも乞うてるのか!? 誰に!? それは何だっ、懺悔か!? 何を!?」

 アクセルは構えも忘れ、ただメンヌヴィルの背を、呆然と見下ろしていた。

 ハンスの言の葉が剣となり、止めを刺す。

 「懺悔するというのならちょうどいいっ、ついでに答えてみろ! あの味を! どんな味なんだっ、ええ!? ……この人肉喰らい(カニバリスト)がっ」

 深紅だった。
 巨大な火炎だった。

 「……は?」

 火のついた嗜虐心に、水を浴びせられたかのように、ハンスは間の抜けた声で首を傾げる。しかし次の瞬間、ハッとして我に返ると、風を起こしてその場から飛び退く。
 ハンスもマルセルも、アクセルも、無我夢中で回避し、三人は固まって、それぞれの杖を構える。どこから発生したのか、それすら定かではない火炎から逃げたのだが、その源は他に考えられなかった。
 三人の杖が揃って向けられた先で、未だ、メンヌヴィルは蹲っている。ただ、先ほどまでとの違いは、彼の震えが止まり、そして彼の内側から、詠唱が漏れ出していることだった。

 「ウル・カーノ……エオー……ニイド……ウル・カーノ・ティール……」

 膨大な火炎は、既に無い。ただメンヌヴィルを、火の渦が取り巻いている。

 (まさか……あの火炎が全て、凝縮されて……?)

 火メイジが苦手とする、魔力の集中。それが、あり得ない程の密度と精度で行われている。アクセルは今度こそ、全身が粟立ち、さながら魂の底から震えが来るのを感じた。

 メンヌヴィルが立ち上がる。ゆるりと、何かに引き上げられたかのように。
 火の渦が蠢き、立ち上がった彼の両側に、計四つの塊となって並んだ。
 アクセルはメンヌヴィルの顔を見る。そこには狂気も、怒りも、悲しみも、憔悴も、慟哭も、全て無い。あるのはただ、深淵だった。彼の空洞の眼窩の奥に潜んでいたものが、ずるずると這い出してきて、それが実体として現世に生まれ出でたかのようだった。

 何かに導かれるように、メンヌヴィルはメイスを掲げる。アクセル、ハンス、マルセルの三人が、攻撃ではなく身を守るようにして身構えるが、彼の口は相変わらず、詠唱を続けていた。

 「……おい」

 ハンスは杖をベルトに戻さない。そのまま、両隣のアクセルとマルセルに声を掛けた。

 「悪いニュースと、とても悪いニュースがある」
 「うるさいな、さっさと言え」

 ぶっきらぼうにアクセルが返すが、それを咎める余裕は、既にハンスから失われていた。

 「一つ目、悪いニュースだ。今のでヤツは……めでたく、火のスクウェアに成長した」
 「有り難いな」

 たっぷりとハンスへの皮肉を込め、アクセルは笑おうとした。しかし、出来なかった。その代わりに、続きを急かす。

 「それで? それ以上に悪いニュースは?」
 「ああ……。たった今、気付いたんだが。ヤツは……」

 メンヌヴィルの両隣に、それぞれ二つずつ並ぶ、計四つの火の玉。それが歪み、拡大し、人影となる。そのシルエットはさながら、メイスを持つ四人のメンヌヴィルのようだった。

 「そうだ、ヤツは……」

 そしてメンヌヴィルは、詠唱を終える。

 「大いなる火炎の偏在(ユビキタス・デル・ムスペル)……『鬼 火(イグニス・フィートス)』」

 ハンスが怒鳴った。

 「ヤツは……畜生めっ、既にっ、風のスクウェアだった!」








 ぱらりと、老婆の膝の上でカードが捲れる。老婆は呟く。

 「地獄から救い出せるのは、天使だけ……」

 その声は、老婆のものでは無かった。もっと若々しい、娘のような声だった。

 「地獄に引きずり込まれるか……地獄から引き上げるか……」

 ピッと、その指がカードを抜き出す。記されていたルーンは、“ラグ”。

 「アクセル・ベルトランの宿命のルーンは、“ラグ”。水……霊能……女性。残る命は……あと十年?」

 老婆は、真っ赤な目を細める。以前に占った時、そんな結果は出なかった。アクセル・ベルトランの生命力は、無限を示していた。その時は何かの間違いだと思っていたが、今になって何度占っても、結果は全て十年。
 勿論、占いである。当たりもすれば、外れもする。しかし、ここまで同じ結果が出続けることは無い。
 馬上で溜息をつき、老婆は彼方の、赤々と燃える空を眺めた。そして両手を広げ、目を閉じる。

 占いは、もはや役には立たない。この先自分が出来ることは、ただ、祈るだけ。

 「大いなる水の精霊よ……どうか……あなたのルーンを背負う少年に、あなたの力を分け与え給え」


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