小説『漂流のA(ゼロの使い魔二次)』
作者:権兵衛()

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第1章 青き春の章

第39話<血族>






アクセルの様子が妙だということは、イシュタルの館の皆が薄々勘付いていた。

 ナタンが一人剣の修練を積んでいると、窓枠にて頬杖を突き、ぼんやりと彼を眺めている。いや、眺めているというよりは、ちらちらと視線を向けていた。叱られる心当たりが多すぎるナタンにとって、心地よい視線ではない。観念して、何か用かと尋ねてみる。しかしアクセルは、別にと首を振り、その場を後にする。

 バルシャが見回りの人選のため、書類を広げている時、ふと後頭部に視線を感じた。振り向いてみれば、アクセルが書類に忙しくペンを走らせている。だが明らかに、少年は、慌てて仕事を再開した様子だった。何か妙な噂でも流れているのか、それとも自分自身に何か問題があるのか。バルシャは答えを出すことが出来なかった。

 フラヴィが宴会場の飾り付けを監督していると、アクセルがやって来て、手伝いを始めた。絨毯の交換や雛壇の移動など、子どもとはいえ流石に男手、忽ちにして準備は整えられた。フラヴィが一息ついていると、ふと、アクセルと目が合う。目が合ってしまったことに、アクセル自身驚いている様子で、そのまま顔を背けるにも忍びず、二人はただ見つめ合っていた。
 先に動いたのは、フラヴィだった。彼女は常日頃から、ポケットに駄菓子を備えている。その中から飴玉を取り出し、ほらと、アクセルに差し出した。てっきり、駄賃か何かを要求されていると考えたのである。

「あ……いや……うん」

 何か言いたげな、微妙な顔をするアクセルは、しかし素直にそれを礼を言いながら受け取ると、立ち去った。

 常日頃から歯に衣着せぬ少年が、やけに歯切れが悪い。バルシャならともかく、ナタンに対してまで。三人はそれぞれ首を傾げるが、勿論、答えなど出なかった。








 ある日、スルトは一人の老婆を伴い、クルコスからゼルナへと戻ってきた。老婆は粗末な服装であるが、清潔感がある。それなりの長旅であったに疲れた様子もなく、その深紅の瞳を左右に揺らし、さながら物見遊山か何かのようだった。

「ベル、ベル」

 声を弾ませ、スルトはアクセルを呼ぶ。事務室でナタン、バルシャと話し込んでいた少年が振り向くと、スルトに続き、深紅の瞳の老婆が入ってきた。

「どうした?」

 彼が連れてくるからには、きっと有益な人物なのだろう。スルトに説明を求めつつ、よくその老婆を見れば、見覚えのある顔だということに気付いた。

「あ……婆さんは……」
「いつぞやは馬をありがとねぇ。返しに来たよ」

 老婆はそう言うと、ナタンとバルシャに一礼した。

「お初に。クルコスの占い婆、ノーリと申します」

 ノーリという名を聞いた瞬間、バルシャが席を蹴って立ち上がりかけたが、ナタンがそっと彼を制した。

 クルコスの街の裏の、鼎立の一因、『漠忘の彼岸』を統べる占い師の名である。傭兵ギルドを組織し、クルコスの裏を狙うナタン達にとっては、言うまでもなく敵。そして敵の頭領が、こうしてスルトに連れられ、イシュタルの館にやって来た。

「これは……ご丁寧なご挨拶を」

 ナタンも立ち上がり、慇懃な礼を返す。

「それでご老母。この若輩に、何の御用で?」

 ノーリは暫く微笑と共にナタンを見つめていたが、やがて再び頭を下げた。

「他人様は……『漠忘の彼岸』などと大仰に呼ばれますが、その実は、ただ死を待つ老人たちの集まり。骨と皮ばかりではございますが、それでも宜しければ、今後私達は、あなたのお味方となりましょう」

 言葉の意味を理解するのに、数秒を要す。しかし数秒経てば、ナタンもバルシャも唖然とした。その二人を余所に、ノーリはアクセルを振り返る。

「メンヌ……いや、スルトにも、ようやく救いが来た。礼を言うよ、アクセル・ベルトラン」
「え……と……?」

 アクセルは取りあえず、スルトの顔を見上げてみた。彼は鬼神も戦く顔を無邪気に笑わせ、頷く。

「このノーリとは、もう随分になる。力になって欲しいと頼んでみたら、了承してくれたのだ。『バルテルミィ』も、利益第一の商人達である為、金にならないことはしないだろう。残りが自分たちだけになったと知れば、抗うことなく傘下に入る筈だ。それでクルコスの裏、全てを支配することになる。……もしや、余計だったか?」

 唖然とするアクセルの表情を、不快感の表れだと思ったのか、スルトの顔色が変わった。心配そうに、寂しそうに眉を下げる。

「いや、そうじゃない」

 アクセルは慌てて首を横に振った。

「ただ……あまりに上手くいきすぎて、驚いたんだ。ようやく傭兵ギルドが成立したばかりだというのに……」

 あのスルトが話をまとめて来たからには、十二分に信頼出来る。しかしまさか、交渉のみで片付けられるとは思っていなかった。
 ゼルナに比べれば、やはりクルコスの街は大きい。組織の力は、今の二倍にも三倍にもなる。
 確かに、好事魔多し、あまりの順調さに寒気すら覚える。罠である可能性も高く、容易に信用するのは危険だ。バルシャは疑念を抱き、アクセルも二の足を踏む。
 しかしボスであるナタンは、ノーリの提案を受け入れた。

「願ってもない事だ。素直に受け取ろうじゃねぇか」

 彼が決定してしまえば、それが組織の方針となる。特に理由があるわけでもなく、ただ迷っているだけのアクセルも、それに従うしかない。ただ、ナタンの決定を信頼するだけだ。

 その後は実にあっさり、トントン拍子に話は進む。クルコスの『漠忘の彼岸』はナタンに服従するが、特に変更などなく、今まで通り。傭兵ギルドを纏める『疾風怒濤』と連携させ、クルコスの裏を取り仕切る。もっとも、未だクルコスで何をするかは決めておらず、暫くは利益を上納金という形で受け取る。構想としては、クルコスとゼルナを纏めて一つの地域とし、互いの不備を補う形で発展させていくことになった。
 粗方の話がまとまった所で、バルシャはノーリに尋ねる。

「それで、『漠忘の彼岸』とは一体?」

 その答え如何では、何としてもナタンに拒否させるつもりだった。
 そもそも『漠忘の彼岸』について、バルシャすら詳しい事は知らない。奴隷市場のボスも、さながら腫れ物を扱うかのように、こちらから関わりを持とうとはしなかった。話題自体がタブーとされていたとも言え、構成員も行動理念も思想も、あらゆる事が謎に包まれている。
 スルトとノーリが親しい以上、スルトの言葉も鵜呑みには出来ない。

「ただの、寂しい老人の集まりさ」

 ノーリはそう答えた。それ以外に答えようが無いという風に。

「ただ、それでも一応、年は食ってるからねぇ。色々な事を知ってたり、色々な事が出来たり。残り少ない余生、何か面白いことでも無いもんかと、そればかり考えてる連中なのさ」
「……何故、我々に力を貸そうと?」
「まぁ一番の理由は、こいつさ」

 ノーリは枯れ木のような手を上げ、スルトの大きな背を叩いた。

「まさか、こいつを救う人間が出てくるとは思わなかったんだ。あたしはそれが、自分のことのように嬉しい。孤独だったこいつを、孤独から救ってくれたあんた達が、我が子と同じくらいに愛しいんだ」

 微笑む老婆の顔は、慈愛に溢れている。バルシャにとって馴染みのない表情であるが、それでも、悪意が無いということは感じ取れた。

「誰かに受け入れて貰えるってのは、それだけで幸せさ。……確かに、いきなり傘下に加えてくれだなんて、怪しまれて当然さね。けど、あたしの正体を知れば、納得して貰えるかも知れない」
「……何をだ?」

 尋ね返すバルシャには、既に疑念は消えかけていた。しかしそれでも彼は、組織の為、目に見えるような証拠を欲する。

「あたしもまた、なかなか人には受け入れて貰えない存在であること。そしてもう一つ、この組織を潰したくは無いということが」

 ふと、老婆の顔に曇りが表れる。何を思い出しているのか、どこか寂し気な表情でもあった。
 その時ドアが開き、事務室にクーヤとフラヴィが入ってくる。

「……おおっ、ノーリ!」
「久しぶり、クーヤ」

 クーヤが小走りに近寄り、ノーリが立ち上がる。二人はそっと抱き合うと、互いに背を叩き合った。

「……知り合いだったのか?」

 少々驚き、アクセルが尋ねる。答えたのは、スルトだった。

「恋人……のようなものらしい。俺とノーリを引き合わせたのも、クーヤだ」
「じゃあ、ノーリが協力する理由って……」
「だろうな。しかし、それだけとも思えないが」

 何か考える節でもあるのか、スルトは顎を撫でる。アクセルはふぅんと相槌を打ちながら、再び抱擁する二人を振り向いた。

「ねぇ、クーヤ」
「ん? どうした?」

 成る程確かに、恋人のようだ。老人と老婆は、互いの頬を触れ合わせるように、ひそひそと囁き合っている。

「『漠忘の彼岸』も、イシュタルの館の下につこうと思うんだけれど。創始者のあなたに、一応了解を取りたくて」
「ああ、つけつけ。今はお前がボスなんじゃ。好きにすりゃいい」

 がたんと、バルシャの椅子が鳴った。

「今……何だか、重要な事実を聞いた気が」
「まぁまぁ、ちょっと待て。どうせなら、一息に暴露したいんじゃ」

 顔を引きつらせるバルシャを宥め、再び、クーヤはノーリの口元に耳を寄せる。

「それでね、クーヤ。もうあたしの正体も、あたしと貴方との事も、全部暴露しちゃおうと思うの」
「ああ、それもいいな。実はワシも、いつ打ち明けようかと考えて……」
「どう? 大丈夫なの?」
「ええじゃろ。問題無い。それじゃ、連れて来るぞ?」
「あたしも久しぶりに会うねぇ」

 相談は終わったらしく、二人は離れる。ちょっと待ってろ、と、事務室の全員を見回すと、クーヤはどこかへと走っていった。二人の会話は聞き取れたが、結局どういう意味なのか、さっぱり不明である。

「で? 一体何なんだい?」

 取り残されていたフラヴィに、アクセルは事情を説明し出した。
 ノーリはまた椅子にちょこんと座り、膝に手を置いてニコニコとしている。クーヤを待つしかないと判断し、ナタンもバルシャも、それぞれ自分の机へと戻った。

「……それじゃ、すんなりとクルコスが手に入ったわけかい?」
「まぁ、そうなるな」

 アクセルに説明され、フラヴィは感心したように溜息をつく。そして椅子をずらし、ノーリの前まで移動した。背もたれに抱き付くようにして座るフラヴィを、老婆は優しげな視線で見つめる。

「なぁ、婆さん。いいのかい? すんなり吸収されて」
「いいのさ。どうせうちのモンは皆、数える程しか命は残ってないんだ。あの世には、金も権力も持って行けない。だったら何か、面白い土産話でも用意するしかないじゃないか」
「へー。ちょっと驚きだよ。裏のヤツなんて、欲深い奴らばっかりだと思ってたから」
「うふふふふ、これからもっと驚くと思うよ?」

 フラヴィとアクセルの二人に向かって、ノーリは乙女のように笑って見せた。

 クーヤが戻ってきたのは、三十分と少し経ってからである。走ってきたらしく、肩が弾んでいた。そしてそんな彼に引きずられるようにして、初老の男が現れる。

「…………」

 ローランだった。一応あの一件の後も、何度か顔を合わせて会話はしているが、それでも一定の距離感があるのは否めない。事務室が気まずい雰囲気に包まれ、ローランも居心地が悪そうにしているが、ノーリの姿を見つけた時その様子は変わった。

「……どういう事だ?」

 普段のホテルマンとしての彼からは想像も出来ない、ドスの効いた、低い声。ノーリは軽く手を振り、クーヤもまぁまぁと手を振った。

「それで?」

 いい加減痺れが切れたらしく、急かすようにバルシャが立ち上がる。皆の視線が、クーヤとノーリに向けられた。

「一体、何を打ち明けるんだ?」
「おう、それでは」
「ええ、早速」

 互いに頷き合うと、クーヤとノーリは並んだ。そしてフラヴィの前まで歩み寄ると、彼女に微笑む。

「え? 何だい?」

 首を傾げるフラヴィに向かって、先ずクーヤが、胸に掌を当てて見せた。

「どうも。パパです」
「は?」

 フラヴィの首が、ほぼ直角に曲がる。続いて、ノーリが微笑と共に口を開いた。

「どうも。ママです」
「は??」

「「そしてぇ」」

 二人の声が重なる。揃ってローランを振り向いたが、彼はふて腐れたように腕を組み、そっぽを向いている。

「ね? お願い、ローラン」

 ノーリが宥め、ようやくローランは無愛想に口を開いた。

「……どうも。腹違いの兄です」

「「そして更にぃ」」

 クーヤが跪き、両手でノーリを示す。その瞬間、ノーリの姿が変化した。
 白髪が色づき、漆黒の黒髪に。皺だらけだった肌に潤いが戻り、瑞々しい柔肌となる。曲がっていた背骨が伸び、背筋が竹のように真っ直ぐに変わる。
 そこには老婆ではなく、年若く麗しい乙女が立っていた。
 彼女はそのぷっくりと赤い唇から、鈴のような、清らかな声を紡ぐ。

「初めまして。アミアス、と申します。吸血鬼です」

 小首を傾げ、柔和な微笑みを浮かべる少女の目の前で、フラヴィは音を立てて転げ落ちた。








「ふふふ」
「いや、本人にとっては笑い事じゃないんだけどね」
「でも……ふふっ、びっくりね」

 アクセルから顛末を聞いたリリーヌは、自室の絨毯の上で、口元に袖を当てて笑っていた。フラヴィに悪いとは思いつつ、アクセルも苦笑するしかない。

「それで、今は一家四人、水入らず?」
「うん。フラヴィの部屋で。こっそり見に行きたい気もするけど、やっぱり怖いからねぇ」

 天涯孤独だった彼女が、両親と兄と再開出来た。祝福すべき事だと思う一方、ぶっ飛ばされるかもな、という危惧もある。ともかく、まずは彼等自身の内で解決して貰うしかなかった。

「それで、その……アミアスさんって、有名なの?」
「ん、今はそうでも無いよ。三十年くらい前かな、エスターシュ大公の反乱の時。大公の反乱計画を潰すのに手を貸して、その時の国王フィリップ三世陛下の慈悲により、魔法衛士隊預かりとなった、双子の吸血鬼の妹。功労者とはいえ、吸血鬼の生存を公に認めたから、かなり大きな騒ぎになったらしいよ。当然ブリミル教も反発したけど、何しろ“英雄王”の異名を取る国王だったからね。強く出られず、結局何も出来なかったらしい」
「よく知ってるのね」
「まぁ、それ以後は特に情報ないんだけど。皆忘れてて、既に二人とも死亡しているのが通説だね」

 アミアスには双子の姉、ダルシニがいた。何故離れ離れになっているのか、それともダルシニもどこかでひっそりと暮らしているのか。
 二人とも、三十年前に魔法衛士隊のカリン……つまり、烈風カリンの預かりになっていた。よって、ラ・ヴァリエール公爵領の辺りで暮らしているのでは、と思っていたが、如何せん情報が乏しい。三十年前の新聞にちらほらと名が載った後は、何の音沙汰も無いのだ。もしかすると、意図的に情報が秘匿されたのかも知れない。

(二人揃って、ラ・ヴァリエール公爵領でメイドでもしてるのかな、と思ってたんだけど。まぁ別に、そこら辺をはっきりさせる必要も無いな。下手に突けば、藪蛇になる可能性が高い。流石に、フィリップ三世のようにはいかないだろうし)

 双子が離れ離れになっている理由も気になるが、それを調べる必要性は無い。
 重要なのは、彼女が吸血鬼であり、それを秘匿しなければならない点だ。しかしそれも、先住魔法による擬態のレベルを考慮すれば、特に腐心することも無いだろう。
 何より、先住魔法を使用できる者が味方となるのは、大いに有益だ。

「ところで……ベル君」

 少し、考え込んでしまっていた。
 そっと、遠慮がちに尋ねてくるリリーヌに気付き、アクセルは居住まいを正した。

「どうかしたの?」
「その、ちょっと聞きたい事があって。姉さんも言ってたんだけど。最近、何だか……悩んでると言うか……気にしてると言うか、そんな感じだから。また、ミシェルの時みたいな問題でも、と思って」
「……ああ……」

 アクセルは溜息をつくと、肩を下げる。先日の自分の憔悴っぷりと思い出したのか、俯いて目を閉じた。そしてそのまま、口を開く。

「そうじゃないんだ。個人的なことで……」
「よかったら、教えてくれる?」
「いや……その、情けないと言われちゃうかも知れないんだけど……実は……」

 歯切れ悪く、アクセルは語り出した。








 フラヴィの部屋での家族会議が終了したのは、開始から四時間ほど経過した後だった。スルトがそれを知ったのは、アミアスが裏庭へ出てきたからである。

「しかし……驚いた。それがお前の、本当の姿だったとはな」

 景色を取り戻した瞳を彼女に向け、スルトはベンチに腰を下ろす。

「でも、薄々は気付いてたでしょ?」

 悪戯っぽく笑みをうかべながら、アミアスもその隣に腰掛けた。

「正体を隠していると、そんな予想はしていたが。しかし、これほどに若い娘だったとは」
「あら。これでも、スルト、あなたより大分年上なのよ?」

 確かに、三十年前に既に若い娘だったならば、少なくとも四十か五十ほどということになる。ずっとその若さなのか、とスルトが尋ねると、わからないと首を振った。
 そして彼女は、徐に本題に入る。

「アクセル・ベルトランの事なんだけど」
「…………」
「彼とあなたとの喧嘩の、最後。彼の背から吹き出した魔力を、あなたも感じたでしょう?」
「ああ……」

 より鮮明に思い出そうとするかのように、彼は天を仰いだ。

「あの時、俺はあいつを天使と錯覚した。背の翼で舞い降りた、神々しき天使かと」
「“エンゼルフェザー現象”と、エルフはそう呼ぶわ」
「何と、正しく天使であったか」

 からかうでもなく、大真面目にスルトは頷く。それほど彼にとって、アクセルは特別な存在となったのだろう。アミアスは少し微笑むと、更に続けた。

「精霊の結晶化を可能とするほどの、高位のエルフ。彼等が死力を尽くして戦う時、死の間際、背中に翼が出現する事があるの。正体は、超高速での結晶化と解放。微少な結晶の粒子が無数に製造され、それが可視の翼を形作る。私はそこまでしか知らないけれど、それによって、戦闘能力が限界以上に上昇するそうよ」
「では……アクセルが、先住魔法を使用したと?」
「いいえ、それは違うわ。寧ろ彼の魔法を見る限り、先住魔法の逆へと進んでいる。確かに先住魔法と同等に強力だけど、それは限りなく円に近い弧の両端のようなもの。……いえ、話が逸れたわ。重要なのは、エルフが死の間際に引き起こす事を、彼が可能とした事。彼は……」

 そこで、アミアスは言葉を切る。後悔していた。アクセルの生命力についてまで、話を及ぼすつもりは無かったが、既に喋り過ぎている。
 言い淀むアミアスだが、スルトが先に口を開いた。

「これは俺の考えだが……」
「え?」
「あいつは……どうも……死の経験がある。そんな気がしてならない」
「死の経験……?」
「バカバカしいと思うだろう。しかし、あいつは本当は、死を恐れているわけでは無い。死の安らぎを知り、死を求める己を恐れている。死を過大にも過小にも恐れず、ただ死を冷静に見つめることが出来る。死とは何なのか、それを他の誰よりも理解している気がする。だからこそあいつは、死線に強い。必死に回避しようとしている逆境に於いてこそ、あいつは本領を発揮する」
「随分と、買っているのね」
「違う。ただ、尊敬しているだけだ」

 アミアスも、彼の変化に驚くことがある。しかし戸惑いはしても、それに危惧など抱く事は無かった。

「……ノーリ。いや、アミアス」

 スルトは立ち上がる。何をするのかと見守っていれば、彼は彼女の前の地面に跪き、騎士のように頭を下げた。流石に、アミアスも驚く。

「感謝する。力になってくれたことに」
「それは……。ここにはフラヴィも、クーヤもいるから……」
「それだけでは無いだろう? 俺も最近になってようやく、寂しいという感情に素直に向き合う事が出来るようになった。……いいものだな。友がいて、帰る場所があるというのは。ここはエルフも吸血鬼も、俺のような者も拒否しない。俺にとってもお前にとっても、得難い場所なのだ」

 アミアスは、黙って聞いていた。
 姉と共に、人目を避けてこっそりと生活していた時。人を死に至らしめる程に血を吸わなくても、何人かから分けて、貧血になる程度に血を吸えばいい。それを理解しない人間に、それをしようとしない他の吸血鬼に、失望し、怒りを抱き、ひたすらに悲しくなった。

「もう、お前も……いじけた者(ノーリ)などと名乗らずに済む」
「そうね……」
「そしてもう一つ、感謝する」
「あら。何を?」
「今日この日に、ここへ来てくれた事に」
「特別な日なの?」
「……ベルの、十歳の誕生日なのだ」
「ああ、だからあれほど日付を気にしてたのね?」
「その通りだ。誕生日に、あいつにいい知らせを持ち帰る事が出来た。感謝する」
「ふふ、どういたしまして」

 真剣に頭を下げるスルトに、思わず顔が綻ぶ。彼は確かに、救われたのだ。

「そこまで感謝してくれるなら、見返りを期待してもいいかしら?」
「何なりと」
「その……フラヴィを宥めるのを手伝って欲しいの。お酒を飲ませたら、逆効果で……」
「……逃げ出してきたのか、お前」
「お願いね?」
「……骨が折れそうだ」

 文字通り肋骨を折ったスルトの協力で、八時間に及ぶ家族会議は終了した。



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