小説『漂流のA(ゼロの使い魔二次)』
作者:権兵衛()

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第1章 青き春の章

第40話<贈物>






「……揃ったな」

 ナタンの声に、フラヴィは思わず身体を震わせた。何か、悪寒のようなものが走り抜けたのだ。取りあえず、事務室のドアを閉める。

「…………」

 先に来ていたバルシャに、彼女はそっと目配せする。しかし彼は、何も知らないという風に首を振った。
 ナタンに呼び出された理由は、全く分からない。

「さて。本題だ」

 三人しかいない事務室。机に両肘をつき、組み合わせた手で口元を隠すナタンの目が、ぎろりと光った。窓の外から小鳥の遊ぶ声が聞こえたが、それがひどくちぐはぐなBGMに思えた。

「ボス、一体何です?」

 本題に入る、と言いながら、一向に入る様子の無いナタンに、バルシャがそっと詰め寄る。アクセルも、スルトもいない。ならば、あの二人には聞かせられないような問題が起きたのだろう。フラヴィもそれを察し、思わず喉を鳴らす。

「ああ……そうだな」

 一度溜息をつき、ナタンは唇を舐めると、二人を見上げながら話した。

「少し前だ。ベルの様子が妙だった頃があったな? ちょうど、アミアスが来る前だ」
「…………」
「…………」

 二人はそれぞれ回想し、記憶を掘り起こす。歯切れの悪いアクセルの顔が浮かんだ。二人とも無言のまま、頷く。
 ナタンはそっと俯いた。

「あの理由が、分かった。そしてどうしよう」
「え?」
「は?」
「すっかり忘れてた。ベルの誕生日」

 憔悴に歪んだ顔を上げ、彼は震える唇でそう呟いた。

「…………」
「…………」

 バルシャとフラヴィは、互いに顔を見合わせる。そして手近な椅子を手に取ると、それをナタンの机の前まで引きずり寄せ、二人して座る。ナタンの机の上に、三つの頭が並んだ。

「……ボス。お聞きしますけど。いつだったんですか、それ」
「五日前」
「過ぎてんのかい」
「過ぎてるんだよ」

 ナタンは更に頭を抱える。
 バルシャもフラヴィも知らず、知っていたのはナタンだけだ。しかしその彼が、すっかり忘れてしまっていた。
 考えてみれば、アクセルの様子が元に戻ったのは、誕生日の翌日からだった。諦めたのだろう。

「つまり、あいつは……日付が変わるまで、どきどきしながら待ってたってことになるよね?」
「そうだ。きっと、俺らがしらばっくれてると思ってたんだろ。何かサプライズ、それかプレゼントがあると思って、そわそわしてたんだ」
「しかし、何も無く」
「おう」
「……どうすんですか、一体」

 バルシャが溜息をつくが、それに答えられる者はいなかった。

 誕生日を祝って貰えることを期待するのは、実に子どもらしい、可愛い発想だ。あの少年にもそんな幼さが残っていたのかと、微笑ましい気もしてくるが、彼の期待は見事に裏切られた。失望した少年は、二度と期待などしない。

「そうだ、他のヤツは? スルトとか」
「俺もそう思って、聞いた。そしたら驚いたような顔で『そうか、街一つでは足りんのか。プレゼントするとか、そういうのには慣れてなくてな。何か他に考えてみる』だそうだ」
「……何かもう、スケールからして違いすぎるね」
「おう。もう、絶対勝てん」

 ナタンは天井に向かって溜息を吐き出した。

「しかも、俺が使ってる剣あるだろ? あれ、アクセルからの誕生日プレゼントなんだよ」
「うわぁ……。それ、最低じゃん」
「ボス、私もフォローのしようがありません」

 二人から更に追撃を受けても、ナタンは動じなかった。既に、そのような段階は過ぎている。どうやっても時は戻らず、アクセルが九歳だった頃は取り戻せない。

「と、いうわけで」
「「え」」

 ナタンは突然立ち上がると、近くの窓枠に足をかけた。

「俺、これからプレゼント買ってくるから。後は頼んだ」
「え!? ちょっと、この忙しい時に!?」
「大丈夫だ! お前らならやれる! 信じてるぜ!」
「ただ押し付けてるだけじゃないか! ちょっと!」

 二人が止める間もなく、ナタンは外へと飛び出し、楽々と土塀を乗り越えた。三メイルの高さの塀を、あれほど容易に越えられては、最早追い付けない。

「なんか……。あいつ、最近どんどん人間離れしてる気がしないかい?」
「……確かにな」

 フラヴィの言葉に同意しつつ、書類の山を振り返り、バルシャは頭を抱えた。








「肋骨はもういいのか?」
「ああ。お前の治療のお陰だ」

 アクセルの問いに、スルトは笑顔で応えると、自分の胸を大きな掌で撫でた。
 フラヴィが彼の肋骨をへし折った事より、それに対して彼が反撃しなかった事に驚くアクセルだが、いくら何でも酷いと自戒する。
 前世で、メンヌヴィルは自分にとって、キュルケにエロいポーズをさせる人だった。キュルケを怯えさせる係の人だった。同人誌では、キュルケにアヘ顔をさせる役目の人だった。言うなれば、対キュルケ十八禁人型決戦兵器。

(それが……なぁ)

 まさか、こんな頼もしい味方になるとは。

「どうかしたのか?」

 不思議そうに顔を覗き込んでくるスルトに、慌てて首を振る。
 それ以上追求してくることはなく、彼は地下倉庫のドアを開いた。二人揃って奥へと進み、アクセルの実験場に至る。

「あまり、公に出来る事では無いのでな」

 そう前置きしてから、スルトはチョークを手に持つと、カッカッと小気味いい音を立てて黒板に文字を記した。

「アミアスが今まで集めた情報と、俺の知識を纏める。まず、メイジのクラスはドット、ライン、トライアングル、スクウェアの四段階。魔法の種類も同様だ。つまり……」

 小さな丸印を、一つ。

「これがドット。そして……」

 丸印を二つ、それを線で繋げる。丸印を三つ、その間に三つの線を引き、三角形を形作る。

「ライン、トライアングル。……最後はスクウェア」

 丸印を四つ、それも繋げて菱形にすると、スルトはアクセルを振り向いた。

「つまり、魔法が強力になればなる程、円に近づくわけだ。ここまでは常識だな?」
「ああ」

 アクセルが頷く。スルトはチョークを持ち直すと、しかし……と続けた。

「既に、円はドットの段階で完成しているのだ」
「……確かに」
「お前が見えるという精霊だが、ほぼ間違いなく、その白色の精霊は虚無の精霊と言えるだろう。虚無とはゼロ。ゼロとは円。虚無魔法を目の当たりにしたことは無いが、敢えて分類すれば、それはドットスペルに分類出来る。ゼロをいくつ足してもゼロだが、そのゼロの……円の大きさは変えられる筈だ」
「でもなぁ。こいつら……いや、虚無の精霊って、何て言うか、どっちつかずのヤル気無しで。魔法の威力を薄める、水みたいな印象なんだけど」
「その虚無精霊を完全に使役出来る者が、虚無の使い手と言えるだろうな」

 アクセルは座ったまま、そっと掌を持ち上げる。
 虚無属性の精霊は、コモンスペル時のみ活発になる。思えば『サモン・サーヴァント』の魔法など、簡易版の『ワールド・ドア』だ。無属性のドットスペルであるコモンスペルは、劣化版の虚無魔法と呼べるかも知れない。

(本当に、こいつらが……?)

 白い精霊達が、掌の上でゆったりと揺う。さながら微睡みのような、ゆるやかな浮遊。
 スルトは黒板消しを手にすると、記した全てを拭い消した。

「虚無については、所詮は机上の空論。ここまでにしておこう。……さっきも言ったように、魔法の発展は、円形を目指してきた。だからこそスクウェアの先、ヘクサゴン、オクタゴンが夢見られた。しかし所詮は夢物語、王族が僅かにヘクサゴンに届いたのみ。だが世界には、スクウェアすら越える先住魔法が存在する。ならば、それを相手にするにはどうすればいいのか。その答えの一つが、聖堂騎士団の使用する賛美歌詠唱であり、ハンスとマルセルが切り札とする『疾 風 怒 濤(シュトゥルム・ウント・ドランク)』であり、そして……俺の並行詠唱(パラレルスペル)だ」
「パラレルスペル……?」
「先行させた魔法に、後行の魔法を重ねる。言ってみれば、二つの魔法を混ぜ合わせ、新しい一つの魔法とする形だ。本来完成形であるスクウェアスペルの性質を歪曲させ、例えば『炎の遍在』のような、別種のものに変化させる」

 重ねられる属性は、合計四つまで。その絶対的な制限をかいくぐるため、詠唱を終えてから解放までの僅かな時を引き延ばし、そこに別の魔法を混入させる。火炎による『遍在』も、そのようにして発現されたものだった。

「……当然、難易度も相当なんだろ?」
「ああ。自分自身の感覚を錯覚させ、その錯覚を利用しなければならない。……一番いいのは、体感することなんだが……」

 スルトが言い淀む。彼の気持ちを察したアクセルは、軽く笑みを浮かべると、立ち上がった。

「隣の訓練場へ行こう。早速試してくれ」
「……なるべく、調節する」

 そう申し出たスルトは、自信が無さそうな顔で少年を見る。アクセルは拳を作ると、それで彼の背中をトントンと叩いた。

「調節はいいが、手加減はするなよ」
「……難しいな」








 一人イシュタルの館を抜け出したナタンは、南の商業地区へとやって来た。目的の店は、大通りから少し入った一角にある、新しい玩具屋。改装したばかりで、壁やドアの木材も、明るい色をしていた。
 ドアを開くと、取り付けられている青銅のベルが鳴り、その明瞭な音が店内に響き渡った。

「ああ、ナタンさん」

 丸眼鏡の、禿げ上がった頭の店主が、カウンターの奥で新聞を広げていた。ナタンが挨拶を返すと、新聞を畳んで立ち上がり、わざわざ店内に入ってくる。他に客はおらず、退屈していたのだろう。
 早くから、イシュタルの館に賛成してくれていた店主だった。人口増加、市民の収入上昇により玩具の需要が増え、店を新しく出来る程に儲かったらしい。

「本日は、どういった御用で?」
「プレゼントを探しててな」
「おいくつで?」
「十歳」

 子どもなら玩具だろうと、安易に足を運んだ。年齢を聞いた店主は、店の一角にナタンを誘う。

「新しいのが、これですね」

 店主が持ち上げたのは、小さな木箱だった。蓋には船や一軒家など、様々な絵が描かれている。

「中には、ほら、材料が入ってまして。組み合わせれば、色々なものが作れますよ。お子さんが自分の手で作り上げて、それを使って遊ぶというものでして」
「あー。それは、やめとく」
「そうですか? お値段もお手頃ですし、結構人気もあるんですが」
「いや、ともかくやめとく」

 何だか見覚えがあると思ったら、アクセルが作った玩具だった。てっきり絵本だけかと思えば、この分野にまで手を出しているらしい。

(流石に、手作り玩具セットを手作りした張本人に渡すのはなぁ……)

 アクセルは、言うまでもなく通常の子どもでは無かった。
 玩具よりも、学術書や珍しい鉱石を欲しがる。遊ぶより、研究や発明をしたがる。
 痛くても無かず、腹が減っても泣かない。退屈しても我慢する。

 しかしそれでも、彼が子どもであるという事実は変わらない。アクセルが倒れてから、ナタンは努めてそれを意識するようにしていた。だからこそ、普通の子どもが遊ぶようなものをプレゼントしようと思ったのである。

(けど……玩具が欲しけりゃ、あいつなら自分で作っちまうだろうな)

 そう、アクセルは、需要側というより供給側の人間と言えた。

「ふむ。そのお子さんは、どんな方で?」
「…………」

 死体の隣で食事が出来るような、と、心の中でだけ答える。暫く顎に手を当てていたナタンは、やがて独り言のように零した。

「痛いとか、腹が減ったとか、疲れたとか、そういうのじゃ泣かねぇんだ。あいつが泣くのは……いっつも、他人の為だ。ガキなのに、大人以上に深く考えるかと思えば、考え無しに突っ走ることもある。死にたくない殺されたくない、そんな事ばっか言ってるくせに、自分から危ない事に首突っ込んだり……」
「……大切な人なんですね?」
「ん、まぁな」

 照れたように、ナタンは鼻の頭を掻いた。
 店主は手にしていた玩具を元の場所に戻すと、丸眼鏡の奥の瞳で、そっと微笑む。

「ならば、何だろうといいのでは?」
「何でも?」

 聞き返すナタンに、老人は笑って見せた。

「他人の為に泣けるなら、それは優しい子なのでしょう。優しい子なら、プレゼントの中身ではなく、それを贈った人間の気持ちも感じ取れる筈です。その人が自分のために、頑張って用意してくれた事が。……まぁ、あまり難しい方へは考えずに」
「うーん……」

 確かに、ただ物を贈ればいいという問題でも無いだろう。

(俺は、一体どんな思いでプレゼントするんだ?)

 ならばプレゼントに、どんな想いを乗せるのか。

「……爺さん、ありがとな。決まったよ」
「おや、そうですか。またのお越しをお待ちしておりますよ」








「ねぇねぇ、テファ」
「え?」

 食堂から出てきたティファニアを見つけ、フラヴィは彼女を手招きする。

「なぁに?」
「お菓子いる?」
「食べるー」

 ポケットからクッキーの包みを取り出し、それを小さな手に乗せる。満面の笑みを浮かべて礼を言うティファニアに、フラヴィはしゃがみ込んで同じ目線になると、ヒソヒソと小さな声で尋ねた。

「それでさぁ。この前、ベルの誕生日だったのは知ってる?」
「うん、知ってる。お姉ちゃんから教えて貰った。だからね、一緒にお菓子作ってあげたの」
「……マチルダと?」
「うんっ」

 フラヴィは頬を掻く。てっきりアクセルに対して距離を取っていると思っていたが、マチルダも、別に嫌ってはいないらしい。それを贈られた時の様子を想像しつつ、彼女は更にテファに尋ねた。

「ミシェルも、何かしたの?」
「ううん」
「意外だね」
「ミシェルのお姉ちゃんはね、あと五年したら、一番大切なものあげるんだって。何だろね?」
「あー、うん。それは気にしないでいいと思うよ。……アニエスは?」
「アニエスはねぇ……」
(アニエスは呼び捨てなんだ……)
「『私をあげよう』って言ってた」
「それで?」
「お兄ちゃんがね、『ああ、いい実験体をありがとう』って言いながら、追いかけ回してた」
「……予想通りだね」

 四人の娘達も誕生日を知っていた。結局、ナタン、バルシャ、フラヴィの三人が取り残された形となる。

「ん、ありがと。もういいよ」

 ティファニアを解放し、フラヴィは事務室へと戻った。彼女が入った直後、ちょうどナタンも帰還する。プレゼントを買いに行った筈の彼だが、手には何も持っていなかった。

「……プレゼントは?」

 腰に手を当て、さながら尋問のような格好をするフラヴィに、ナタンは静かに首を振った。

「色々考えた。そして、気付いたんだ。プレゼントは物じゃねぇ、と」
「……はぁ」
「それで、これだ」

 ポケットから彼が取り出したのは、飾りのリボン。本来は、プレゼントに添える為の小物である。

「それを?」
「これを……こうする」

 そのリボンを、ナタンは自らの頭にくっつけた。

「……俺が生きてるのは、お前のお陰だ。だから感謝を込めて、俺自身をプレゼントにする。そんな感じの台詞でも付けりゃ、あいつはもう、感動の涙が洪水を起こす程に……」
「それもう、アニエスがやった。マジックアイテムの実験体にされるよ」

 ナタンがアニエスレベルなのか、アニエスがナタン程度のレベルなのか。実は血が繋がっているんじゃないかと、そんな想像をしたフラヴィだが、自分の血縁を思い出して頭痛を覚える。何しろ、父はかの悪名高き“悪逆のサンディ”。母親は今の国王の愛人とも噂されていた、吸血鬼のアミアス。更に言えば、一回りも二回りも年の離れた兄がいた。

(何か……思い出したら、また腹が立ってきた)

 東地区の出身者として、捨て子や孤児は珍しくも無いが、隣の領地にいながら今までほったらかしにされていたとなると、流石に素直に喜べない。確かに両親とも、人目を忍ぶ事情は分かるのだが。

「なぁ、聞いてんのかフラヴィ」
「聞いてない」

 ぞんざいに掌を振り回し、フラヴィは自分の机に戻った。








 劇場を作りたいと、リリーヌは言った。
 倉庫の工事も始まり、参加希望の娼婦もギャエルやマノンを含め、十人ほど集まった。
 演目も決定した。身分を隠して旅をする若きシュヴァリエと、何も知らない農民の娘のラブストーリー。ありがちではあるが、初公演には相応しいだろう。
 リリーヌの部屋で台本の草案を見ていると、ふと気付く。

「……え?」

 アクセルは思わず首を傾げ、リリーヌに聞き返した。

「だからね。男装して、女が男の役をするの」

 彼女は台本を示す。主人公のシュヴァリエも、悪役の貴族も含め、演じるのは全て女。娼婦による演劇であるからには当たり前だが、それでもアクセルは驚いた。
 前世では、確かにあった。しかし、それをこの世界で、リリーヌは一人で思いついたというのか。

「……まぁ確かに、下手に男を出すわけには……」

 台本を捲りながら、アクセルは頷く。貝殻の男たちも期待できず、まさか客から有志を募るわけにもいかない。

「主人公のシュヴァリエは、リリーヌがやるんだよね?」
「ええ。悪役の貴族は、ギャエルが立候補したわ。それでマノンが、シュヴァリエの親友役ね」
「ふーん……」

 イシュタルの館が抱える娼婦の、上位三名が、揃って男役を演じることになる。

「それで、肝心のヒロインは?」

 自分を助けた主人公に恋をする、農夫の娘。言うまでもなく、ヒロインである。

「それなんだけど……アリスに頼もうと思って」
「うちに、そんな娘いたっけ?」

 生返事を返しつつ、アクセルは更に台本を捲った。

 武者修行のため、旅を続ける主人公。彼は立ち寄った村で、一人の娘を助ける。その娘は、領主である貴族に狙われていた。しかし娘は、主人公に恋をしてしまう。主人公もまた娘を愛し、貴族と対立する。だが娘は、自分が原因で争いが起き、多くの犠牲者を出してしまったことに絶望し、海へと身を投げる。

「……って、ヒロイン死んじゃうんだ」
「うん、そうなの」
「それで、主人公も後を追って、改心した貴族は二人の墓を建て、物語は後世へ伝えられると……」

 アクセルは台本を閉じた。

「ところで、ヒロインのアリスって……」
「一人しかいないでしょ?」
「いやいやいやいや」

 当たり前のように告げるリリーヌに、少年は慌てて首を振る。しかし、彼女は引き下がらない。

「大丈夫、ベル君なら問題無しよ。私生活でも名演技だし。それにこのヒロインは、歌が上手い娘なの」
「いや、でもね」
「今から変更すると、公演はずっと先になってしまうわ。だから、お願い。ね?」

 彼女の思い掛けない強引さに、アクセルは密かに驚かされた。既に変更が効かない段階になって打ち明けるなど、断らせるつもりは無いらしい。
 了承しようか、と考えてみれば、意外にも自分の中に拒否は生まれなかった。寧ろ、興味すら湧いてくる。
 今まで、公演という形で演奏することは無かった。下手ではない、と思う。観客がどんな判断を下すか、知りたくない訳ではなかった。

「お願い。是非とも」

 そしてそこまで頼まれれば、アクセルの決意は固まった。

「よし、わかった。頑張るよ」
「ありがとう」

 リリーヌは微笑む。この微笑みの主に頼られるのは、悪い気がしない。そしていざやるとなれば、頭の中に次々とアイディアが溢れてくる。
 アクセルは立ち上がった。

「それじゃ、リリーヌ。詳しい事は、また後で」
「ええ。台本に目を通しておいてね?」
「ああ、わかった」

 シュヴァリエと貴族の戦いならば、当然魔法は必要である。照明も、特別製を作りたい。そんな事を考えながらリリーヌの部屋を出て、廊下を歩いていくと、前方から男が一人現れた。

「あれ、ナタン」
「え、あ……」

 アクセルの姿を認めた彼は、思わず目を背け、居辛そうな挙動になる。ふと、彼のこめかみ辺りにくっついてる、蝶結びのリボンが気になった。

「ナタン、頭のそれは何?」
「あっ、これは……その……」

 思い出したようにそれを掴み、ナタンはポケットの中に押し込む。どうにも様子が妙で、アクセルは彼の目の前で立ち止まった。

「何だか、僕に用事みたいだけど」
「いや……別にそうじゃ……その……」

 いまいちはっきりさせないナタンに、アクセルも自ら考え始める。しかしリボンの理由を考えてみれば、ほんの数秒で答えは出た。

「ナタン」

 また名を呼ばれ、彼は肩を震わせる。

「そのリボンで、まさか……プレゼントは俺、とか言おうとした?」
「なっ、ま、まさか……」
「そうだよね。てっきり、バルビエみたいになりたいのかと思っちゃった。ごめんね」
「はは……は……」

 アクセルの目を見ていると、あながち冗談にも聞こえない。乾いたような笑い声を無理矢理に絞り出すナタンに、少年は溜息をついた。

「忘れてたんだろ?」
「いや……その……面目ない」
「いや、別にいいんだ。この年齢になって、まだ誕生日プレゼントなんて期待した僕が悪いんだから。まぁ流石に、おめでとうの一言も無かったのには驚かされたけど……」
「…………」
「そうだよね。誕生日なんて毎年やってくるのに、いちいちおめでとうとか言うのも、言葉の無駄だよね。ボスの舌を煩わせなかっただけでも、よしとすべきだよね」
「……何が望みだ」

 ふて腐れたようにナタンは零す。アクセルに虐められているにも関わらず、罪悪感を抱いていた自分が馬鹿馬鹿しくなったのだろう。もう少々焦らしてやろうかと考えたアクセルだが、やめておこうと慎んだ。

「ナタンには……ライカ欅の椅子の似合う男になって欲しい。それだけだ」
「は? 何言ってんだ?」

 意味が伝わる筈も無い。それでもアクセルは笑みを浮かべ、ナタンの脇を通り抜けた。すれ違いざま、台本で軽く彼の背を叩く。
 意味など、いつか分かって貰えればそれでいいのだ。

「……わかった! 髭のばせってことだろ!?」
「まあ、それでもいいけど」

 死ななかった事、生きてくれていることが最高のプレゼントなどとは、口が裂けても言えそうになかった。


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