小説『漂流のA(ゼロの使い魔二次)』
作者:権兵衛()

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第1章 青き春の章

第41話<赤裸>






 イライラの原因は、フラヴィ自身、自覚していた。

 突然名乗り出た両親。しかも父親は今、自分の仲間二人を相手に、毎晩のようにベットで楽しんでいる。母親はそれを咎めるでもなく、夫の好きにさせている。

(どんな家族だい)

 それでも、真実を知る前から、クーヤに父性を感じていた自分がいる。それがどうも、癪に障るのだ。どんなに嫌おうが、拒絶しようが、決して断ち切れない縁を感じ取って。
 ともかく、今更普通の一家になるのは無理だろう。種馬クーヤ、吸血鬼アミアス、娼婦フラヴィである。平然と接してくる両親に、負けていられるかと思ってしまう。しかし自分だけ不自然なまでに距離を置こうとしてしまうのは、やはり心のどこかで、両親を求めているからかも知れない。

(まぁ……それは別に、ね)

 そう、今すぐに決着が付く問題でも無い。まだ時間がかかる。それに加え、もう一つ、イライラの原因を自覚している。

(……ヤりたい)

 単純に、欲求不満なのである。娼婦であるにも関わらず、事務仕事に追われ、客を取る余裕が無い。客達の間でも、フラヴィは現役を退いたと思われているらしく、指名もされない。

(ふざけんな、まだ若いってのに)

 そしてその欲求不満に、最近拍車がかかった。
 ミシェルに教えられた、アクセルの小説である。挿絵も無いのにあり得ない、とバカにしてはいたが、読めばどっぷりとはまってしまった。初めて、文字を覚えた事を後悔した。
 とにかく、刺激が強すぎるのである。生々しく、頭の中で容易に光景が描かれる。近親相姦、性奴隷など、様々なシチュエーションがあり、様々な男と女が登場する。兄妹であったり、年若い少年を誘う未亡人であったり、果ては女と男と女であったり。小説で下着が濡れる事があるなど、出来れば知りたくは無かった。
 何度か自慰も考えたが、それは娼婦としてのプライドが許さなかった。そうしているうちに、夢にまで見る。また小説もなかなかに面白く、ついつい読み耽ってしまう為、悪循環のように欲求不満は高まっていった。

「……まったく」

 本日も、ようやく事務仕事を片付けた。そして本日も、指名される事は無かった。指名されても相手する時間は無く、結局断らなければならないのだが、それでもプライドは傷つくのだ。

(風呂でも入るか)

 フラヴィは立ち上がると、地下の大浴場へと向かった。
 男女は未だ分けられておらず、各々が好き勝手な時間に入る。脱衣場へ行けば男が入っているのか女が入っているのかはすぐに分かる為、あまり必要性は高くない。流石にバルシャやスルトが入っていれば遠慮するが、アクセルは年齢的に問題無く、フラヴィもすんなりと入浴する。アクセルには慎みを持てなどと小言を言われるが、襲えるもんなら襲ってみろと挑発すれば、呆れたような諦めたような顔で閉口した。
 脱衣所に入ってみると、脱衣籠が一つだけ使用されていた。男物である。少し捲ってみると、ナタンの服だと気付いた。

「ふぅん……」

 遠慮すべきか、どうするか。少し考えたフラヴィだが、やがてニヤリと笑うと、隣の脱衣籠に自分の衣類を放り込み、ミニタオルを広げ、それで身体の前面を覆った。それほど面積は無いが、ともかく三点は隠せる。
 曇りガラスのドアを引き開け、石畳に足を置く。ひやりとした。
 胸に手を当て、タオルを留めたまま、フラヴィは浴場を見回す。湯船には、誰もいなかった。

(あそこか)

 残るは、少し前にアクセルが作ったサウナ室。汗をかくだけの、必要性の理解できない施設だが、何でも身体にいいらしい。木製のドアを開けると、頭と腰にタオルを被せたナタンが、椅子に腰掛けているのが見えた。俯いているからか、こちらには気付いていない。
 むわっと襲いかかる湿気に僅かに顔を歪め、フラヴィはドアを閉めると、ナタンの隣の椅子に腰掛けた。

「バルシャ?」

 侵入者に気付き、ナタンはふと顔を上げる。足下から辿り、正体を確認しようとしたらしいが、男にしては異常に丸く膨らんだ胸部に気付くと、慌てて顔を背けた。

「ふ……フラヴィか」
「お、よくわかったね」
「他にいねぇだろ」

 からかわれている事に薄々勘付いたらしく、ナタンはぶっきらぼうに返す。フラヴィは更に調子に乗った。

「何でそっち向いてんだい? 話し難いだろ?」
「別に、話すことなんてねぇだろ」
「あたしはあるんだよ」

 腰掛けていた椅子を持ち上げ、彼女はナタンの正面に向き合った。ナタンは必死で横を向く。

「……あっついねぇ、ここ」
「当たり前だろ、そういう場所だ」
「うわぁ、もう汗びっしょり。タオルもすっかり張り付いて。……こういう風に透けたタオルって、エロいと思うんだけどどうだい?」
「し、知らねぇよ。他を当たってくれ」

 まずい、と、フラヴィは思った。ナタンの反応が、予想以上に快感を呼ぶ。
 初めは少々からかってやろうかと思っていたのだが、目を閉じる彼の横顔を眺めているうちに、欲求が膨れあがる。普段から整った顔立ちだとは思っていたが、汗にまみれる横顔は、出来すぎた程に扇情的である。

「あーあ、疲れた疲れた。誰かさんのせいで、最近書類仕事が増えて、肩が凝ってねぇ」
「……悪かったな」
「部下を気遣うのも、ボスの役目だろ。一つ、肩でも揉んでくれよ」
「……風呂から出た後な」
「あたしは、今、肩が凝ってるんだ。だから今、揉んで欲しいんだ」

 強調し、フラヴィは肩を回す。ナタンは溜息をつくと、フラヴィの椅子を半転させた。

 興味無さそうに振る舞おうとしていても、彼女の目には動揺は明らかである。さっさとサウナ室から出ればいいのに、それをしないのは、ナタンにも何かしらの期待はあるのだろう。そしてフラヴィには、その期待に応えてやる用意があった。

 両肩に、大きな掌が置かれた。想像よりも無骨で逞しく、力強い。伊達に剣の修練を積んでいるわけでは無さそうだ。

「ああ、そこそこ」

 汗で時折滑りつつも、ナタンは素直に肩を揉む。裸の状態で男に触れられるのは、何時以来だろうか。
 フラヴィこそ、平然を装っていた。背後から肩に触れているのは、若々しく、逞しい男。その下半身がどんな状態になっているのか、考えるだけで体温が上昇する。

「……もういいだろ」

 暫くして、ナタンは掌を離した。そうして遠のきかけた彼の手首を、フラヴィが掴む。

「な、何だよ?」
「……言ったろ。部下を気遣うのも、ボスの役目だって」
「ああ、だから今……!?」

 フラヴィは立ち上がりつつ、ナタンを床に引き倒した。完全に油断していたらしく、彼はすんなりと引きずり倒される。起き上がるより先に、フラヴィがのし掛かった。

「何をす……」

 顔を真っ赤にして抗議するナタンの目の前で、フラヴィに張り付いていたミニタオルが剥がれ落ちる。彼は急いで目を逸らし、口を閉じた。

「いや、ほら、最近欲求不満でねぇ。もう、どうしようも無いんだよ。だからちょっと、付き合ってくれ」

 両手でナタンの両手を拘束しつつ、フラヴィは足を滑らせると、互いの身体を密着させた。押し潰された汗が、じゅっと音を立てる。

「ちょ、ちょっと待てフラヴィ! いくら何でも急過ぎ……そ、そうだ、バルシャに頼め!」
「あいつ怖いんだよ。男の癖に、グダグダ言うな。あんたまで、あたしが娼婦だってこと忘れてたのかい? それにほら、口ではそう言ってても身体は素直……!?」

 そこで、フラヴィは異変に気付いた。自分の太腿を押し上げる、巨大な何かに。

「え?」

 振り返り、その異物の正体を確かめる。そしてその大きさに、思わず喉を鳴らしてしまった。

「何これ。ムスコさんなのに大黒柱?」
「う……うるさい」
「……。ひょっとして、あんた、童貞?」
「…………」

 沈黙は、肯定を表していた。

「え、じゃあ、これ使ったことないの? マジで? その顔で?」
「いいから離れろ! 今なら許してやるぞ」
「ところが、そう言われて引き下がるフラヴィさんじゃないんだよなぁ、これが」

 彼の反応の初々しさも、これで納得がいった。女にモテそうな顔をしているが、どうやら今まで、そんな縁は無かったらしい。

「いや、何と言うか……人類未到の秘境を発見した気分だね。それじゃ、早速」
「待てぇ!」
「大丈夫大丈夫、天井のシミでも数えてりゃいいんだよ」

 娼婦をやっていれば、童貞を頂くことは珍しくない。ただ、ナタンのような男が童貞であることは珍しかった。
 暴れようとする彼を、吸血鬼の力で抑え付ける。

「……ねぇ、ナタン。流石にそこまで拒絶されると、あたしでも傷つくんだけど……。そんなにイヤかい?」

 押して駄目なので、彼女は引いてみることにした。拘束の力を緩め、少々寂しげな表情でナタンを見つめる。

「いや……別に、イヤってわけじゃ……」

 彼もアクセルと同じく、女のそういう顔に弱い。抵抗を止め、少し大人しくなったナタンに、重ねてフラヴィは尋ねた。

「ひょっとして、操を立ててるのかい? 童貞を捧げる相手、決めてんのかい?」

 若く精力溢れる男が、ここまで据え膳を拒否するとなると、それくらいしか予想できない。そしてその予想はどうやら当たりだったようで、ナタンは僅かに頷いた。

「え、誰だい? 娼婦? 教えれば許してやってもいいよ」
「……わかった、言うよ」

 例え相手が誰だろうが、フラヴィに容赦するつもりは無い。もう、最後まで行為を終えなければ収まりのつかない状態だ。
 ナタンが僅かに顔を上げ、囁く。

「……アリスだ」

 フラヴィの思考が、冷水を浴びせられたかのように凍り付いた。やがてそれは、サウナの熱で徐々に溶け出し、染み込むように、言葉の意味を理解する。

「…………」

 フラヴィはナタンから目を離さず、無言で立ち上がると、後退った。その目は仲間に向けるものではない。敵に向けるものだった。
 後ろ手にドアを開き、逃げ道を確保すると、フラヴィは突如として背を向け、逃げ出した。

「まっ、待て!」

 ナタンはそれを追った。








「アリスちゃーん!」

 マルセルは満面の笑みで走り寄ろうとする。
 アリスは頭に手を伸ばし、黒髪のカツラを外した。

「あれ、どこ行っちゃったのかなぁ? アリスちゃーん」

 左右を見回すマルセル。アクセルは外したカツラを、再び頭に乗せた。

「アリスちゃーん!」

 アリスはカツラを外し、アクセルへと戻る。

「アリスちゃーん、照れてないで、出ておいでー」

 アクセルは立ち上がると、マルセルの目の前で、カツラを被って見せた。

「アリスちゃーん!」

 飛びかかるマルセルの手が触れる直前、カツラを外す。

「あれー、アリスちゃ」
「いつまでやってんだお前ら!」

 業を煮やしたハンスが、アクセルとマルセルの二人に怒鳴りつけた。事務室にいたバルシャやスルトなど、他の面々も呆れ返っている。

「違う……アリスちゃんは……アリスちゃんは……」

 ブツブツと呪詛のように呟きながら、マルセルはその場に跪いた。

「いい加減諦めろ、鬱陶しい」

 弟分の肩を珍しく優しく叩き、ハンスは慰める。あんな幼い少女に欲情した時はコンビ解消も辞さない覚悟だったが、アクセルの変装であると知って安心した。この段階で失恋してくれたのは、寧ろ幸いと言えるかも知れない。

「しかし改めて見ると、本当に性別が不安定だな」

 そう言いながらアクセルの髪を弄るのは、アニエス。最古参のメンバーである彼女ですらそうなのだから、新入りのマルセルの衝撃は計り知れない。

「不安定って何だよ、アニエス」
「いや……たまに、本当にちんこ付いてんのかと」
「ちんこ言うな。ついてるよ、可愛いのが」

 アクセルは憮然として股間を叩く。

 その時、勢いよく事務室のドアが開いた。

「たっ、大変だぁぁ!!」

 室内に向かって叫んだフラヴィを、全員振り返る。

「大変なのはお前だ! 何だその格好!」

 バスタオル一枚を巻いただけで、彼女の髪からはぽたぽたと水滴が落ちている。バルシャが怒鳴るが、それに怯むでもなく、フラヴィはアクセルの傍に駆け寄った。

「ベル、逃げな! 今すぐ!」
「何で? っていうか、服着なさい」
「い、今、風呂場でナタンをヤろうとしたんだけどさぁ」
「ほほぅ。続け給へ」
「こらっ、子どもの前で!」

 興味津々の様子のアニエスを抑え、アクセルも怒鳴る。デリカシーがどうこうの問題では無い。机で紅茶を飲んでいたミシェルも、ふと顔を上げていた。辛うじて、と言うべきか、マチルダとティファニアはいない。

「そしたらあいつ童貞でさぁ! ムスコさんはマーラ様でさぁ! 思ったより男らしい身体でさぁ!」
「……結局何が言いたいんだ、エロ女」

 混乱しているのか、いまいちフラヴィの話は理解出来ない。聞く価値が低いと判断し、アクセルは追い払うように掌を払った。彼女はビショビショの髪を掻きむしると、顔を上げ、アクセルを指さす。そして口を開きかけた直後、再び事務室のドアが開いた。
 肩で息をするナタンは、急いで着たらしい服の襟を正しながら、フラヴィに近づく。フラヴィは思わず少年の背中に隠れた。

「ベル……」
「おお、ナタン。聞いたよ、童貞なんだって? 安心しろ、僕もだ」

 軽口を叩きながらアクセルが迎えるが、ナタンは彼の前に立つと、睨み付けるように鋭い目で見つめた。

「な……なんだよ。別にいいじゃんか、童貞でも」

 それほど気に障ったのかと、珍しくアクセルが弱気になる。確かにこの世界に於いて、二十歳で童貞など、敏感な巨乳と同じほどに珍しいが、そこまで怒ることはないのではないか。
 逃げろ、逃げろと、背後からフラヴィが囁いてくる。その警告が、アクセルの中からも鳴らされ始めていた。
 このナタンは、自分にとって何かまずい、と。

「……いずれ、分かっちまう事だ。だから、もう、俺の口から言っておきたい」
「あ……ああ」

 常の彼ではない。この真剣さは、扱いを間違えれば血が流れる。
 緊張しつつ、アクセルは先を促した。

「俺が、娼婦たちに手を出さず……未だ童貞なのは……」
「…………」
「初めてを、アリスに捧げたいからだ」

 時間が止まり、空気が凍った。

 バルシャは思考が停止し、瞼すら動かせない。
 フラヴィは耳を掌で塞ぎ、ぎゅっと目を閉じている。
 スルトは瞬きを繰り返す。
 ハンスは唖然として口を開けている。
 マルセルは未だ蹲っている。
 アニエスはすんなり理解したらしく、ふぅんと唇を尖らせる。
 ミシェルは鷹のような視線でナタンを睨む。

 やがて全員の視線が、自然とアクセルに向けられた。

「…………」

 皆の視線を一身に浴びながら、少年は無言のまま、机の上の紅茶を飲み干す。そして静かにカップを戻した。

「あー……つまり」

 アクセルはちらりと、上目遣いにナタンを見上げる。

「アリスは……僕なわけだ」
「ああ」
「アリスに童貞を捧げたいってことは、僕に童貞を捧げたいってことだ」
「ああ、そうだ」
「でも、僕は男なわけだ」
「ああ」
「男同士だと、穴は一つしかないわけだ」
「迷わなくていいよな」
「うん」

 アクセルは空になったカップを、再び持ち上げる。入っている筈の無い中身を飲もうとして、何一つ喉を通さず、またカップを戻した。

「…………ふふふ」

 少年の唇の端から、笑い声が漏れ出した。

「出口を出入り口に改造しようだなんて、何という剛の者。無理を通して道理を蹴っ飛ばす、さながらグレン団だな。しかし……あの時、風呂場での天元突破事件が、こういうフラグだったとは。ナタンにはカミナの兄貴になって欲しかったのに、まさか穴掘りシモンに進化するなんて、どこでルート選択を間違えたんだろうね、僕は。ふふふ…………しかしまさか、僕がそこまで魔性の者だったなんて。美人揃いのこの館でボスに選ばれるとは、これもう、誇っていいよね? ふふふ、駄目だ、笑いが止まらないよ。うふふふ、ふははは、あっははははは…………ほぎゃあああああああ!!」

 それまで笑顔だった少年は、突如として絶望の叫びを放つ。

「ナタンがぁぁ、ナタンが、童貞こじらせよったぁぁぁ!」

 頭を抱え、床に転げ落ちる。しかしナタンは引き下がらない。

「落ち着け、ベル」
「うるせぇっ! お前の童貞力は53万です!? ああ、何という絶望的数値! ベジータ様も小便ちびるわ!」
「アリスが可愛すぎるのが悪いんだ。仕方ねぇさ」
「カミングアウトしたからって、怖い物無しか貴様! ああもうっ、今日この時、たった今から、僕はアリスを封印する!」

 アクセルは黒髪のカツラを掴み、それを窓から放り投げようとする。相変わらず落ち着いた様子のナタンは、首を振った。

「ベル、今更遅いぞ」
「何!?」
「初めは……アリスに、ドキッとさせられてた。唇の端についたソースを、舌を出して舐め取る仕草とか。こう、小指で髪をかき上げる仕草とか。鼻歌交じりに料理してる後ろ姿とか。手持ち無沙汰な時に、机の上でピアノを弾く練習をしてる指先とか」
「怖いっ、もうお前っ、怖いよ!」
「しかし、だ。いつの間にか、別にアリスの姿をしてなくても、ベルの時ですら股間が疼くように……」
「うああああっ、聞きたくないぃぃ!」

 アクセルはナタンから逃れるように机を乗り越えると、バルシャの背中に隠れる。

「バルシャっ、ナタンはもう駄目だ、諦めよう! 明日、新しいナタンを買いに行こう!」
「ま……まぁ、待って下さい。確かに少々特殊な嗜好だとは思いますが、それでもその……異常と言える程では…………その、稚児遊びと言いますか……」

 アクセルに悪いとは思いつつ、バルシャはナタンを擁護する。少し冷静になってみれば、アクセル一人が犠牲になれば解決する問題だと気付いた。ナタンのボスとしての資質を考え合わせれば、組織の為には、アクセルに目を閉じて貰い、股を開いて貰うのが一番である。

「バルシャ」

 ナタンに名を呼ばれ、彼は大きく身体を震わせた。

「俺には一つ、野望がある。……そう言ってたよな」
「そ……そうでしたけど? ま、まさか……」
「俺の野望は……ベルに惚れられることだ!」
「……ボスって、おいくらでしたっけ? 二十エキューくらい?」

 バルシャはアクセルを振り向いた。ああ、残念だがこの人はもう……その絶望と共に。

「もうこの際っ、はっきりさせようじゃねぇか!」

 精神的に無敵となった今のナタンを、誰が阻めるというのか。ナタンは周囲を見回すと、高々と人差し指を上げ、それをアクセルに向けて振り下ろした。

「いいかっ、ここのアクセル・ベルトランに! こいつに、少しでも、性的な意味で興味を持ってるヤツは挙手だ! 正直にな! ボスとして命令する! 悔いの残らないよう、ちゃんと挙げろ!」
「何言ってんのお前!? ……って……」

 アクセルの目の前には、高々と右手を挙げるナタン。そして彼の向こうで、アニエスとミシェルが揃って手を挙げている。続いて、立ち上がったマルセルも。更にはフラヴィ、そしてスルトすら。

「ほら見ろ、ベル。お前ったら、すげぇ人気者」
「……あはは、すげぇ、ハーレムだぁ。って、何でだぁぁぁ!?」

 挙げた人間より、挙げていない人間の方が少ない。バルシャとハンスを除く、その場の全員が、揃って右手を挙げていた。

「ブルータスよ、お前もか!?」

 アクセルに詰め寄られ、スルトは左目の瞼をぱちぱちと開閉した。

「いや……実を言えば、俺も童貞でな」
「マジで!? いやっ、それよりも! お……お前も、僕で童貞捨てたいと申すか!?」
「よく分からないんだ。俺にとって一番大切な人間とは、お前だ。そしてお前が望むなら……俺は友として、可能な限り応えてやりたい」
「いやっ、望んでないから! 応えなくていいから! っていうか、それはもう友達じゃないからな!」
「それに、何だか、お前が誰かの専有物になってしまうような気がして……。それくらいなら、俺が……」
「だっ、大丈夫だから! 僕は僕だから! いつだって僕なんだから!」
「そうか……。それなら、安心だな」

 そっと手を下ろしたスルトに、アクセルも安堵の溜息をつく。ある意味純粋なスルトであるが故に、時々行動が予測出来ない。しかし、彼に処女を狙われるという、最悪の事態は回避できた。

「おいっ、フラヴィ!」

 とはいえ、伏兵はまだまだ残っている。

「どういう事だ!? 何で手を挙げてるんだ!?」
「いや、ちょっと考えたんだけどね」

 流石にバツが悪そうに、フラヴィは愛想笑いを浮かべた。

「あんたの血、なじむって言っただろ?」
「……ああ、うん」
「吸血鬼って、別に血じゃなくても、体液全般OKなんだよね」
「…………」
「それで、あんたに中出しされたら、一体どのくらいの快感なんだろうかと興味が……」
「残念でしたー! 精通も未だですー!」

 フラヴィの右手を掴み、無理矢理下げさせる。元々興味本位で挙げていたらしく、彼女も大人しく従った。

「…………」
「…………」

 背筋を伸ばして立ち、きちんと右手を垂直に掲げているマルセルを、アクセルは無言で睨み付ける。

「これは一体……どういうことだ? マルセル」
「……愛した人が、ちん娘でした。けどそんなの、些細な問題で」
「僕にとっちゃ、シリアスプロブレムなんだよ馬鹿! そして逃げるな兄貴分!」

 一人、こっそりと事務室から脱出しようとしていたハンスは、寸前で発見されて舌打ちをする。

「うるさい、俺を巻き込むな。お前ら仲良く乱交でもしてろ」
「同じ風属性が困ってるんだぞ!? それを見捨てるのか!?」
「……他人の恋路に口出すほど、野暮でも無い」

 どうあっても、関わり合いを持つつもりは無いらしい。そっぽを向くハンスに抗議しようとしたが、ふと、あと二人残っているのを思い出した。

「ミシェル!」
「何?」

 寧ろ待ち望んでいたかのように、少女は微笑と共に首を傾げる。

「ミシェルは……うん、まぁ、いいとして……」

 手を出せば大怪我すると、アクセルは直感した。常日頃、彼女がどんな思いで自分と接しているのか、ともかくこんな場所で尋ねるべきでは無い。
 少し不満気なミシェルを飛び越え、アクセルの指は、アニエスへと向けられた。

「アニエス! どういうことだ! ……え、あれ? っていうかアニエス、僕のこと好きなの?」
「いや別に」

 すっぱりと切り捨て、アニエスは首を横に振った。

「ああ、そうなの……」

 ふと、何故か寂しい気を覚えるアクセルだったが、それを表に出せば、この少女はどこまでも調子に乗る。よって、アクセルも特に何の感情も出さず、ただ頷いて見せた。

「いや、けど、何で? じゃあ何で手を挙げたの?」
「ほら、あれだ。愛のない性行為に溺れたい年頃なわけだよ」
「お前っ、ほんといい加減に黙れ!」

 予想を遙かに越える酷い回答に、アクセルは反射的に怒鳴りつける。ミシェルに続き、この酷さが自分のせいだというのなら、最早謝っても謝りきれなかった。

「ベル」

 一通り見回した頃を見計らっていたのか、ナタンがアクセルの肩に手を置いた。何時の間に背後に回られたのか、見当も付かない。

「な……なんだよ」
「一度だけでいいんだ。……ヤらせてくれ」
「ふざっけんなぁ!!」

 その手を振り解き、アクセルは距離を取るように飛び退く。左右の手にマジックブレイドを発現させ、威嚇するように構えた。

「お前の『刺し穿つ魔羅(げいボルク)』を!? 僕の出口に!? 無理だっ! 生理的にも、物理的にも無理! 壊れるわ! もしくは口から飛び出るわ!」
「じゃあ、どうしろと?」
「どうもすんな! さっさと童貞捨てろ!」
「だから、アリスに貰って欲しいんだってば」
「話を聞けぇ!!」
「女装していいのは、掘られる覚悟のあるヤツだけだ!」
「うるせぇ!! そ、それ以上近づいてみろ、微塵切りだからな!?」

 普段の冷静さなど、既に微塵も残っていない。アクセルは、ただ、避けるべき未来を回避するために、吼える。

「けどさぁ……。ナタンは、脈ありなんだよな」

 しかしそこで、マルセルが爆弾を落とした。

「え、どういうことだ?」

 ナタンがマルセルに尋ねるが、アクセルにも、何のことかわからない。二人の前で、マルセルは口を尖らせた。

「ほら、ナタン。お前さぁ、前、ラヴィス子爵の魔法で死んだろ? その時、アクセルはお前のくちび」
「『腐 旗 殺 し(フラグブレイカー)』!!」

 マルセルの舌を、アクセルの動きが上回った。今までの戦闘での、どんな動きよりも素早い移動。それと共に繰り出された渾身の正拳突きは、マルセルの鳩尾に深々と突き刺さる。

「むぉふぉ」

 くぐもった呻きと共に、マルセルが崩れ落ちた。

「おおっと、すまんマルセル! ついうっかり拳が滑ってしまったぁ!」
「……思いっきり技名叫んでたじゃねぇか」

 拳を震わせ、棒読みで謝るアクセル。ハンスは崩れ落ちた弟分を抱え上げると、ちょうどいい口実だと思ったのか、そのまま事務室から脱出した。

「俺の……何だ?」

 正拳突きがギリギリで間に合ったらしく、ナタンは首を傾げる。

「なぁ、ベル。一体何なんだ?」
「っ……!!」

 人工呼吸とはいえ、ナタンにとってもアクセルにとっても、あれがファーストキスである。努めて思い出さないように、また人命救助だと自分に言い聞かせていたアクセルだが、やはりどうしても、意識せずにはいられない。マルセルの落とした爆弾は、予想以上に被害が大きかった。

「なぁ、ベル……」
「よぉっし、分かったぁ!」

 このまま追求し続けられるのは、非常にまずい。
 アクセルは誤魔化すように声を張り上げると、顔を引きつらせ、震える唇で告げた。

「一度、じっくり、腹を割って話そうじゃないか! なぁ!」



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