第二章 朱き夏の章
第0話<淑女による転生>
まるでストローの紙袋のように容易く、身体が吹き飛んだ。人間の身体である。数十キログラムの肉塊だ。まぁ確かに、疾走するダンプカーの前ではそんなものだろう。全ての時間が緩やかに流れ、さながら夢を見ているようだった。アスファルトに叩き付けられた時は、景色が揺れたが、それはまるで映画を見ているようで、痛みも衝撃も感じなかった。そして徐々に暗幕が下りるようにして、瞼が自然と閉じ、世界は闇に包まれた。
これが死か、そう思った直後、朝日を浴びたような熱を感じる。瞼越しに、光が差し込んでくる。そうだ、夢だったのだ、朝が来たのだと、目覚めようとした。
しかし、目を開けると何も無かった。何も無い、真っ白な空間。
(俺は……ダンプにはねられて……それで……?)
神聖さすら感じさせる清潔感。病院にしても、あまりにも綺麗過ぎる。
そよりと、背後から風を感じた。
「!」
驚き、急いで振り返る。
純白の中、たった一つだけ、その少女は存在していた。この世界そのものの楔のように。真っ白い髪は床に届くかと思われるほど長く、服も真っ白。少女はじいっと、男を見下ろしていた。
自分がしゃがみ込んでいるのだと気付いた男は、取りあえず立ち上がる。鏡は無いが、ダンプカーにはねられた時と同じく、黒い学生服を着ていることはわかった。
「だ……誰だ?」
無言のままの少女に警戒しつつ、男は尋ねてみる。
「……ベアトリーチェ」
少女は短くそう答えた。名前らしいが、なるほど確かに、西洋人の幼女といった顔立ちである。髪が白いのは、アルビノというやつだろうかと、彼は一人考える。
少女は続いて、口を開いた。
「あなたは死んだ。今は魂だけ。これから転生する」
「転生……て……?」
「ある胎児の身体を借りて、その赤子として生まれ出る。転生先は、『ゼロの使い魔』と呼ばれる世界」
こちらの疑問など気に掛けた様子もなく、少女は淡々と続ける。何故日本語を話しているのか、今ライトノベルのタイトルを言わなかったかなど、聞きたいことは山ほどあったのだが、男は思わず押し黙る。
「あなたは魔法が使える貴族の家柄に生まれる。スクウェアクラスになれる才能、無制限の魔力が与えられる。その力で何をするのか、それはあなたの自由」
そこで、ベアトリーチェは言葉を区切った。
男は質問しないまま、一人考え込む。少女の言葉を初めから思い出し、ゆっくりと噛み砕き、理解していく。
「つまり……俺はこれから、『ゼロの使い魔』の世界に生まれるんだな?」
「そう」
「スクウェアクラスのメイジになる才能を持って?」
「そう」
「魔法が使いたい放題ってことか?」
「そう」
律儀に、無機質に、少女は頷き返す。機械的とも言えた。
「……何でだ? 理由は?」
「イヤなら、あなたの魂をあるべき場所へ戻してもいい」
「……あるべき場所って、何だよ」
「死後の世界と呼ばれるところ」
相変わらず無機質に、少女は答える。
既に死んでしまったのだから、元の世界に戻るのは不可能だろう。そもそも、そんなに愛着のある世界でも無い。
(今更、俺を受け入れない世界に戻ったところで、何がある?)
愛着が無いどころか、嫌ってさえいた。何故自分が、何故こんな不幸に……そればかり思い、日々を悶々と過ごしていた。
「わかった。けど、一つ、欲しいものがある」
「何?」
少女は拒否することなく、首を傾げる。
「BLEACHの一護の、『斬月』が欲しい。『月牙天衝』、『天鎖斬月』とかも使えるようにしてくれ」
「…………わかった」
「それと」
「一つじゃないの?」
「原作の何年前に生まれるんだ? つまり……ルイズとの年齢の差は?」
「あなたが生まれるのは、彼女が六つの時」
「それは変えられないのか?」
「無理」
男は考えた。
原作に絡むのなら、どうしても、年齢が足りなすぎる。せめて同年代か、それ以上でなければならない。サイトが召喚された頃、十歳ということになってしまうのだ。それではあまりにも幼くて、主人公達について行くのは難しいだろう。
生まれる時を選べないのなら、解決法は一つしかない。
「じゃあ、成長だ。十歳までに、十七歳の身体になるようにしてくれ。それなら何とかなる」
「成長速度を変えればいいの?」
「そうだ。あ、十歳を越えたら、その後は普通の成長に戻してくれ。十一歳なら十八歳の身体、十二歳なら十九歳の身体……そんなかんじに」
「……わかった」
ややあって、ベアトリーチェは頷いた。満足した男は、パンと手を叩く。しかしすぐに気付き、慌てて尋ねた。
「そうだ、『斬月』は、右手から自由に出し入れ出来るようにしてくれ。俺が『斬月』と呼べば、右手に出現するように」
例えスクウェアクラスに成長しても、あの世界にはエルフや虚無魔法の使い手など、強大な敵はまだまだ出現する。彼にとって、魔法以外の武器は必要不可欠だった。
「それじゃあ、転生を始める」
少女が無表情でそう言うと、男の身体は光の粒子となって砕ける。
転生は終了し、あとは彼が、赤子として生まれればいい。
「…………」
ベアトリーチェは何の感情も露わにしないまま、その世界を畳んだ。
難産だった。実に、丸一日。
そして生まれてきた子供には、既に髪と歯があった。更に言えばその瞳には、既に理性と呼べるものが宿っていたが、それに気付ける者はいなかった。
奇怪だった。しかし、あり得ない事では無い。そのような実例は、歴史の中にぽつぽつと見られるものだった。そしてそれはつまり、その子が歴史に名を残す子である可能性を示していた。
兄は生まれた弟を撫で、微笑んだ。
父は生まれた次男を抱き、お前は私を裏切らないでくれよ、と囁いた。
母は出産から一月後、息を引き取った。稀有なる出産で体力を消耗し、長男や水メイジなど、周囲の看病の甲斐無く、眠るようにこの世を去った。
赤子の名前は、アレクサンドル・アンブロワーズ・ド・ラヴィス。
ラヴィス子爵の次男で、長男アクセル・ベルトランの弟。常人を遙かに超える速度で成長する子ども。
アレクサンドルと名付けられた魂は、考えた。
十年後……つまり、自分が十歳となった頃にルイズは平賀才人を召喚し、そして物語が始まる。流石に魔法学院に十歳で入学出来るとは思えず、主人公組に関わるならば、学院の外の部外者としてになるだろう。
(……諦めるか)
家出でもすれば話は別だが、貴族として彼等と出会うのは無理だと、彼はそう判断する。外見がどうであれ、実年齢が十歳であると知られれば、活躍の場など得られない。ならば、謎のメイジとして手を貸す方がいい。後に実年齢が明らかになったとしても、それまでに力を見せていれば、何とか同行できるだろう。
(さて、どうするか)
ここはトリステイン王国の片田舎、ラヴィス子爵領。それなりに金はあるようで、何不自由無い生活が送れていることは、赤子の目からも明らかだった。
母親は既に死んでいる。
父親は月の半分以上、外出している。どうやら、出張が多いらしい。
そして最後の肉親である兄は、領地の代官として街で暮らしている。まだ子どもでは無いかとも思うが、社会勉強を兼ねているらしく、実際にはほとんど仕事をしていないようだ。
気付いたのだが、この屋敷のメイドには美しい女が多い。選考条件に容姿の項目が入っているのは、間違いない。母がいないせいで、添い寝をするのは専らメイド達。可憐な少女達と日替わりでベッドを共に出来るのも、赤子の特権というヤツだろう。
普段は滅多に顔を出さない、リーズという少女がいる。兄の補佐をしているらしく、忙しいのもあるだろうが、それよりも屋敷にいたくは無いらしい。没落メイジで、この家に家庭教師として拾われたそうだが、確かに高飛車な印象だった。メイジとして、元貴族としての誇りだけで生きていそうな少女。
しかしそんな可憐な少女達に囲まれていても、彼、アレクサンドルは既に決めていた。自分の妻とする女性を。
(そりゃ、テファだよなぁ)
あの優しさ、可憐さもあるが、何よりあの窒息させんばかりの胸。エルフということで、この世界では迫害を受けるだろうが、ならば自分が領地に匿ってしまえばいい。
スクウェアクラスになれる才能、魔力無制限というチート、そして唯一無二の異能『斬月』。そこらの者が、自分に敵う筈は無い。
確かにティファニアを守れば、敵も大勢出来るだろうが、それに見合うだけの魅力が彼女にはある。あの身体でいながら世間知らずという、正に奇跡のような存在なのだ。ティファニアを守る為ならば、誰が相手だろうが怖くは無い。
しかし、自分は未だ赤子、子どもですらない。そして何より、兄は実に厄介だった。
「アレクぅぅ!!」
アクセルという名の兄が、アレクサンドルを抱え上げる。空色の瞳に若草色の髪、両親譲りの美男子だ。自分も同じような容姿に成長するであろうし、この辺りは将来有望と言えるだろう。
兄は高い高いと、アレクサンドルを持ち上げる。一応、礼儀として、アレクサンドルも笑って見せた。
「しかし、アレク。お前は凄いな。どんどん大きくなっていく。僕なんか、すぐに抜かされてしまいそうだ」
この兄が怒ったところは、未だ見たことが無い。十歳くらいだそうだが、どうやら早熟な子どもらしく、幼い頃から勤勉だったという。早くにラインクラスに成長したが、そこで停滞しているそうで、トライアングルに伸びる見込みは少ないだろう。
アレクサンドルは密かにそこに安堵した。ラインクラスであれば、少なくとも自分より強い筈は無い。そんな安堵を抱く理由は、この兄が敵に回る恐れがあったから。
兄は最近、ブリミル教に傾倒しているという。異端は即刻処断、エルフどもはぶち殺せ、の、あのブリミル教に。何でもブリミル教に専念する為に、家督も弟に譲る考えだという。それはいいのだが、ティファニアを迎えた場合、この兄はどのような反応を見せるか。
ほぼ間違いなく、この兄は、ティファニアに攻撃を仕掛けるか、もしくは殺してしまおうとするだろう。この温厚な兄がそうなるのは想像出来ないが、それでもブリミル教を肯定するのならば、敵にしなければならない。彼女を殺させるわけにはいかないのだから。
ティファニアを守る為ならば、兄くらい殺してみせるつもりだ。いくら兄であろうと、自分の大切な者を傷つけるならば、容赦はしない。
(……そうだ、出来るだけ早く、アルビオンに行かないと)
ルイズ達について原作をなぞる道もあるが、特にルイズという少女に思い入れがあるわけでは無い。それどころか、どうなろうが構わない。あの高飛車は、正直に言って好きにはなれなかった。
アルビオンに行き、ティファニアを探し出し、自分がエルフに偏見を持たないことを示して連れ帰るのもいいが、それよりはフーケ追撃イベントを待つべきだろう。フーケ……つまりマチルダをこっそり助け、それからティファニアに会いに行った方が、彼女も信用する筈だ。勿論、それまで親交を深めておくという手もアリだが。
ティファニアを迎えた後については、未だ考えていなかった。ともかく彼女さえ手に入れられれば、他はどちらでもいい。
いや、タルブ村に行ってシエスタに会い、この領地で働いて貰うというのも名案だ。ゼロ戦も是非手に入れたい。シエスタを魔法学院で働かせて、平賀才人如きとフラグを立てさせるのも癪に障る。それよりは、手元に引き寄せておいた方がいい。
タバサの母親、それにカトレアの病は、水精霊の力を借りればいいのでは無いか。アントバリの指輪の一件で交渉を持ちかければ、手伝ってくれるかも知れない。
(考えてみたら……やるべき事は意外と多いんだな)
今はとにかく、成長するしかない。魔法を磨き、強くなるしかない。
アレクサンドルは一つ欠伸をすると、兄の腕の中で、これからの新しい人生に思いを馳せつつ、静かに眠り始めた。
アクセルは弟の背を、優しく撫でる。
「アレク。お前には、僕の尻ぬぐいをさせる事になるね」
領主となりたいか、それとも普通の次男坊でいたかったか。赤子にそんな質問をするのは、卑怯と言うべきだろう。
「僕がお前に望むのは……たった一つだ。僕を蔑もうが、憎もうが、嘲ろうが、構わない。でも、一つだけ、お願いしたい。どうか、いい領主になってくれ」
アクセルが考える、勢力の鼎立。
裏面は、イシュタルの館。
側面は、ブリミル教としてのアクセル。
そして表面を担うのは、この弟……アレクサンドル。
アクセルの希望たる弟は、腕の中で、静かに寝息を立てていた。