小説『漂流のA(ゼロの使い魔二次)』
作者:権兵衛()

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第二章 朱き夏の章

第2話<遊園地>







 ダレイラク伯は三十代後半。頭髪は茶色でクセが強く、切れ長の双眸には自信が満ち、ピシリと通った鼻筋が精悍さを引き立てている。大胆に開かれた胸元からは、程良い筋肉の付いた肉体が垣間見え、それが実に逞しい印象として残る。
 外だけではなく、内側も魅力的と言えた。女の前では常に微笑を忘れず、公爵家の者であれ男爵家の者であれ、異性相手の接し方は非常に丁寧である。

 しかし今、自信が満ち余裕に溢れるその顔が、恐怖に塗り潰されていた。

 目の前に立つのは、一人の青年。いや、少年と言ってもいい。

「……ありがとうございます」

 若草色の髪の少年は微笑み、絨毯の上に座り込むダレイラク伯に向かって歩を進める。少年の手の中で、羊皮紙がくるくると筒状に丸められた。

 先ほどまでビクビクと怯えていた少年は、既に自らその化けの皮を剥いでいる。

 マザリーニ枢機卿からの使者としてやって来たその少年の名は、アクセル。貴族の女による売春事業の事を指摘された時には冷や汗をかいたが、護衛に凄まれただけで、椅子から転げ落ちて失禁した少年に拍子抜けした。その顔に演技の色などは窺えなかった事で、すっかり警戒を解いてしまった。
 マザリーニ枢機卿の申し出によれば、見逃す代わりに聖職者の性欲処理を請け負えという。この少年が、客の第一号であると。
 ブリミル教の枢機卿と秘密を共有する意義は大きい。互いに互いの弱みを握れば、一方的に見捨てられる可能性も無くなる。
 小水に汚れた服を抱え、何も知らずに居心地悪そうにしているアクセルを尻目に、ダレイラク伯は手紙を読み終えると、笑顔で少年を誘った。

 少年を嘲笑っていた護衛。ダレイラク伯より遙かに凄腕である彼は、その表情を貼り付けたまま、絨毯の上から天井を見上げている。未だ立ったままの彼の身体は、頭を無くした首から噴水のように血を吹き上げると、ぐにゃりと力を失い崩れ落ちた。

 一瞬、少年の右手が光った。ダレイラク伯に見えたのは、それだけだった。

 助けを呼ぼうにも、この私室に『サイレント』の魔法をかけたのは伯爵自身。扉も窓も、どちらも少年の方が近い。何より杖はいつの間にか、少年に奪われていた。そして『サイレント』の効力が切れるまで、この少年はのんびりと待ってくれるだろうか。

「思ったよりも早く受け入れて頂き、感謝の言葉もありません。しかし、既に十人以上を毒牙にかけていたとは……。後始末が大変そうです。なので、やはり感謝の言葉はいりませんね」

 そう、間違いだったのだ。この少年を迎え入れた事は。
 それは門戸を開き、悪魔を招き入れる事に等しい。

「助けてくれ……。何でもしよう……」
「本当に、何でもですか?」
「あ、ああ」
「では教えて下さい。“阿片”の出所は?」
「ミ……ミスタ・コラスと名乗っていた。正体は知らん」
「では次に。このリストにある女達全員に、手紙を。また、金輪際このような悪事に手を染めないという、家紋入りのサインを。更に、マザリーニ枢機卿、そしてこの僕に、生涯絶対の忠誠を誓うという念書を」
「な、何でも書く! だから助けてくれ!」
「ええ、お助けしましょう。貴方は、なかなか利用価値がありそうですので。……さあ、早く机に向かって下さい。僕は少々気紛れです。自分でも、一体どんな気紛れを起こしてしまうやら……」

 アクセルは微笑み、恭しく机を掌で示した。








 穏やかな午後の日差しが、撫でるように降り注ぐ。塀の上の猫は丸くなって微睡み、時折ぱたんと尻尾を振った。

「…………」

 その塀の傍ら、教会の裏庭で、一人の女性が眼鏡の奥の目を閉じている。杖を顔の前で縦に構え、集中。その姿勢のまま既に五分も、精神力を練っている。微風が、彼女の父譲りの豊かな金髪を梳いた。

「っふーぅ……」

 唇を僅かに開き、息を吐き出す。そしてその杖の先端を、流れるような動作で、目の前の木箱に向けた。正確には、木箱の上のガラス板に。

「『錬金』」

 その魔法が、ガラス板の性質を組み替える。初歩の土魔法には、莫大な精神力が費やされていた。

「…………」

 暫く見守っていたエレオノールは、空いた手を伸ばし、ガラス板を持ち上げようとする。しかし手に触れた瞬間、それは踏み砕かれた薄氷のようにヒビで埋め尽くされ、持ち上げようとすれば、あっという間に粉々に散った。

「……あの、エレオノールさん?」

 微笑の中に僅かに苦みを滲ませ、アクセルは呼びかけた。彼女は教会の壁にもたれる少年を振り向く。

「何かしら?」
「そろそろ昼食にしませんか? 研究も結構ですが、あまり根を詰めるのも……」
「いいえ、未だお腹は空いていないから」

 理性のその声に抗議するように、彼女の腹部から本能の嘆きが響く。が、エレオノールは恥ずかしがる素振りも見せず、新しいガラス板を持ち上げ、木箱の上に置いた。あまりの淡泊さに、却ってアクセルの方が照れ臭くなる。

「……もう一度、貸して」

 エレオノールの集中力は賞賛されるべきものだが、アクセルとしては少し寂しくもあった。
 少年は懐から、一枚の黒いカードを取り出す。彼女はそれを受け取り、折り曲げてみた。ペコペコと軽い音と共に形が歪むが、決してヒビは入らず、力を抜けば真っ直ぐに戻る。

「……ありがと」

 一言、素っ気なく礼を言い、エレオノールは再び精神を集中させ始めた。
 そして数分後、再びガラス板に『錬金』を行う。今度は砕けこそしなかったが、エレオノールが軽く力を込めると、紙のように穴が空いた。

「……また、失敗」

 彼女は杖を持ったまま腰に手を当てて俯き、溜息を落とした。

 その時、教会の向こうから、神官が現れる。どうやら、エレオノールの魔法が一段落するまで待っていたらしい。

「失礼します。アクセル殿、貴方にお客様です」
「客……? ありがとうございます、すぐに行きます」
「いえ、もうそこまで……」

 用件を済ませて立ち去ろうとした神官と入れ違いに、一人の少女が現れる。一瞬、誰なのかと考えたアクセルだったが、彼女のサイドテールを見て思い出した。

「お邪魔だっかしら? ミスタ・ラヴィス」
「いえ。ようこそいらっしゃいました、ミス・グラモン。僕はアクセルで結構ですよ」
「私もジュリーでいいわ」

 聖具を下げ、マザリーニ枢機卿に近づき、ブリミルの狂信者として振る舞うようになってから、同世代の友人など出来る筈が無いと切り捨てた。こうやって自分を訪ねられるのは、アクセルにとって非常に珍しい事である。

「いや、先日は実に有意義な時間を共に出来ました。いずれまた、貴女との絆を強るためにお会いしたい、と考えていたのですが、まさか貴女の方から訪ねて下さるとは」
「ええ、私もそう思っていた」

 素直にそう言われ、アクセルは危うく表情を崩しそうになった。

「ところで、一つ話したいことがあるのだけれど……」

 そこまで言いかけて、ジュリーはエレオノールに気付く。彼女は相変わらず真剣な表情のまま、アクセルへと歩み寄った。

「こ、こんにちは。エレオノール」
「え? ……あ、ジュリー」

 エレオノールは目を丸くした。何度か顔を合わせたことがある二人だが、そこまで交流があるわけでも無い。精々、滅多に会わない遠い親戚程度の距離だ。
 呼ばれて初めてジュリーの存在に気付いたように、彼女は首を傾げる。

「どうかしたの? こいつに用事?」

 そう言いながら、エレオノールはペシペシとアクセルの頭を叩く。その行動に、ジュリーは驚いた。

「ええ、そうですけど……。お友達で?」
「別に? 先週知り合ったの」

 公爵家より格下の子爵家とはいえ、こいつ呼ばわりされて不快な顔一つしないアクセルにも驚いたが、たった一週間ほどでこんな扱いをするようになるエレオノールにも驚いた。

「あ、ええ、まぁ」

 動揺し、すんなりと返事が出来ない。エレオノールは特に気にすることもなく、アクセルに向かって手を出した。

「もう一度貸して」
「……もうお渡ししておきましょうか?」

 アクセルは苦笑いしながら、黒いカードを出す。ジュリーの目にも、それが入った。そして入った瞬間、

「ああっ!」

 と声を上げる。
 突然の大声にビクリと肩を震わせたエレオノールだが、ジュリーは手を震わせ、アクセルのカードを指した。

「それ……ブラックカード!?」
「はい、そうですが……」

 アクセルからカードを受け取り、ジュリーは匂いを嗅ぐほどに近付ける。

「え……うそ、何で? 何で持ってるの?」
「頂きました」
「え? で、でもこれ、譲渡出来ないし。ほら、アクセル・ベルトランって、……名前が……。え、うそ、うそ。頂いたって、つまり……“傑作卿”に!?」
「はい」
「えぇ!?」

 少年の答えに叫んだのは、エレオノールだった。膝を曲げてジュリーの傍に顔を寄せ、先ほどまで自分が玩具のように何度も弄っていたカードを見つめる。

「“傑作卿”に、会ったことあるの!?」
「いえ、直接は。ただ、少々交流が……。あ、申し訳ありませんが、内緒にしていて下さいね?」

 唇に人差し指を当てるアクセルだったが、二人はのんびりとはしていなかった。

「何で言わないの!? これ、“マスターピース”ってことでしょ!?」
「一応、そうなりますが……」

 律儀に小声で詰め寄ってくるエレオノールに、アクセルは背を反らす。

「何で!? 何でブラックカードを!?」
「えと……すみません、守秘義務が……」

 更にジュリーにも迫られた。迂闊に見せてしまったことを少し後悔したが、ふと、アクセルは気付く。時刻は未だ、昼を過ぎたばかりであった。

「お二人とも。宜しければこれから、行ってみますか? 博物公園(ミュゼオム)に」








 トリステイン王国の首都トリスタニアから、馬車で一時間半。打ち捨てられていたようなその土地に、博物公園(ミュゼオム)は二年がかりで建設された。
 計画を立てたのは、“傑作卿”と名乗る謎の発明家。出身、年齢、性別、容貌、全てが謎。マジックアイテムの製作者に多く見られる、名誉欲やエゴの強さというものが無く、全てをひた隠しにしていた。一説には、一人ではなく一つの集団であるとも言われている。彼の発明の内容は、それほどに多岐に渡っていた。魔法を用いたマジックアイテムから、平民でも作れるような道具。更には絵画や彫像などの美術品に至るまで。明らかに、一個人の才能の範疇を超えていた。絵画を鑑定したとある美術商は、その作品について、命を削って描いているとしか思えない、と賛辞を送った。
 博物公園(ミュゼオム)とは、“傑作卿”の発明品の展示場である。広さは実に、100アルパン。荒れ果てた土壌を整え、植樹を行い、水を引いて水路を整備し、一つの街が作られた。展示場エリアの他に、地下にまで及ぶ商店街や、宿泊施設、飲食店、更には劇場など様々な娯楽施設も備えている。先週オープンしたばかりで、トリスタニアは現在その噂で持ちきりだった。

 発行されたパスポートは、ブロンズ、シルバー、ゴールドの三種類。そして、極一部の関係者や超VIPなどが持つとされる、ブラックパスポートの噂がある。

「アクセル」
「はい?」
「杖を預けるわ」

 エレオノールに差し出された杖を、アクセルは暫く見つめる。が、首を振った。

「それには及びません。ブラックカードで同行の場合、隠し持って頂けるなら、杖を預ける義務は……」
「お願い、受け取って。でないと私、片っ端から『ディテクトマジック』をしまくるわよ」
「……それは流石に、警備員が飛んで来ますので……」

 苦笑と共に、アクセルは彼女の杖を懐に収めた。

 林檎の形をした乗り物が、茶色い巨大な鉄柱を中心にゆっくりと回転する観覧車。
 ユニコーンや馬、竜などを象った乗り物が、上下に動きながら床盤の上で回転するメリーゴーランド。
 銀貨を入れれば二分間動く、四足獣をモデルにした乗り物。
 一つ目の鬼が大口を開けている、仕掛けだらけの巨大迷路の入り口。

 虚無の曜日でも無いというのに、公園内は人でごった返している。

「さて、どちらに? 僕のお薦めは……」
「『ムーンライト・アパルトメント』」
「……左様で」

 エレオノールとジュリーの、二人揃った答えに、アクセルはただ微笑んでいた。

 メインゲートから比較的近い場所に、コの字型をした五階建ての建物がある。真新しい、雪のように白く塗られたその建物の、入り口の上に掲げられた看板には、『アリス・ムーンライト』と記されていた。公開は明日からだが、既に最終チェックは完了しており、ブラックカードの効力によって三人は立ち入りを許可された。
 作家であるアリス・ムーンライトの為だけに建てられた展示場で、彼女の作品に登場するキャラクタ達が、一つ屋根の下に暮らしているという設定の元、各部屋には様々な趣向が凝らされている。入場者は、そこへ招かれた来勝者となる。
 アクセルが先導し、順路通り、一階の管理人室へ向かう。部屋の内部へ入ることは出来ないが、通路側の壁一面がガラス張りとなっており、中の様子が露わになっていた。

「……この人が……アリス・ムーンライト」

 ジュリーが溜息のように呟いた。
 管理人室の壁は全て本棚となっており、そこに様々な書物が収まっている。それに囲まれるようにして、机に向かう実物大の人形。初老の、人当たりの良さそうな顔の女性が、紙にペンを向けている。サイドチェストには、切り分けられたパイ、それに紅茶のポット。

「“傑作卿”の友人だそうだけど、この人は顔を出してるのね」
「ええ。ただ少しお体が弱いそうで、ひっそりと隠棲なさっています。実際にお会い出来た人も少ないそうで……」

 部屋の中をガラス越しに覗き込むエレオノールに、アクセルが説明した。

「あっ、動いた!」

 ジュリーが声を上げる。人形がそっと、客人に気付いたようにこちらを向き、微笑んだ。そしてその唇が、生きているかのように動く。

<ようこそいらっしゃいました。ゆっくりしていって下さいね>

 アリス像はガラス越しにそう告げ、再びもとの姿勢に戻った。設定された言葉を喋る人形は、エレオノールにとって珍しい物では無いが、彼女の興味を引いたのはその造形である。口元や瞼に継ぎ目は見当たらず、皮膚の伸縮まで表現されていた。

「そうだ。ちょっと、面白い裏技があるんです」

 アクセルは二人に告げると、ガラスに顔を近付ける。

「ばーかばーか、クソババア、何とか言ってみろ。……と、このように罵った相手が男性だった場合……」

 アリス像が再び動き出す。椅子を回し、身体をガラスに向けると、膝の上に置いていた黒い本を持ち上げた。そしてそれを客側に見せながら、にやりと、意地の悪そうな笑顔を作った。

<これ、お持ちかしら? 次、この本を手にすることがあったら、この婆さんの顔を思い浮かべなさい>

「……どういう方法で判断してるのかしら? ……ところでジュリー、あの黒い本知ってる? 何かしら、あれ」
「い、いえ……」

 エレオノールに尋ねられたジュリーは、顔を背けて知らぬ振りをした。

 『壊れた釣り鐘』亭の主人、ミスタ・ド・ウィルパン
 道化師のクジネ兄弟
 放浪の剣士、“彩雲”のカルロス
 召喚術師の少女、ケイシー
 角が二本あるユニコーン、アシュクロフト

 その他を含めて全て、このアパルトメントの住人は残らず、アリス・ムーンライトによって生み出されたキャラクタである。勿論、諸事情……主に倫理的な問題によって、ここには展示されていないキャラクタも存在するが。
 彼女のファンであれば、ここは最高の空間だった。例えそうでなくとも、工夫を凝らした仕掛けは見る者を楽しませる。ジュリーは目を輝かせてキャラクタ達を見つめ、エレオノールは顎に指を当て仕掛けの原理について考察しながら、アクセルの案内に従って、各階を巡っていく。
 そして五階まで上った時、その部屋は存在した。

 ガラスの中には、こちらを向いて椅子に腰掛ける、一人の女性像。緑色の長い髪を一つに束ね、はっきりと膨らんだ乳房の間に通している。長い足を組み、左手で右肘を押さえ、その右手は仮面を持ち上げていた。仮面が、彼女の不敵な笑みを半分隠している。

「“怪盗フーケ”……」

 そう名乗る、一人の女性の物語。決して人を傷つけず、狙った獲物だけを華麗に奪い去る、プライドを持った盗賊。主人公が犯罪者である為、あまりウケが良いとは言えないが、それは保護者達の意見だった。
 悪党が相手でも、懲らしめはするが殺しはしない。悪を以って悪を裁く、ダークヒーロー。自分を追う衛士隊隊長との恋、彼女が狙う宝の因縁など、物語は様々な顔を見せる。
 エレオノールは解説を見ながら、壁際のボタンを押し、怪盗フーケの部屋の仕掛けを動かし始める。緊急用の脱出口が開き、棚の裏からフーケ愛用の武器が飛び出した。
 ジュリーは相変わらず人形を見つめているが、どこか悲しげな様子だった。それに気付いたアクセルは、そっと彼女の隣に歩み寄る。すると、ジュリーは口を開いた。

「ねぇ、アクセル殿。フーケの物語を知っている?」
「いえ……。どちらかと言えば、女性向きと窺っています」
「そんな事無いわ、きっと楽しめる筈よ。私は大好きだし。……でもだからこそ、申し訳が無い気もするの」
「と、言いますと?」
「知っているでしょう、“怪人フーケ”のことよ」

 トリスタニアを騒がせる、悪魔の話だった。
 “怪人フーケ”と名乗る強盗殺人鬼が、“怪盗フーケ”を参考にしている事は明白だった。盗賊などを主人公にするからこそ、あのような愉快犯が出るのだと、そのように批判する者もいる。
 ジュリーはそれが許せないのだろう。

「アリス・ムーンライトにも……そして彼女、“怪盗フーケ”にも、このトリステインの者として、申し訳ないと思う。フーケという名を、あんな悪党に名乗らせているなんて。折角の素晴らしい物語が、台無しになってしまうわ」
「……そうですね」

 アクセルは頷き、ジュリーは溜息をつく。

「……ダレイラク伯の話、聞いた?」
「ええ。実に恐ろしいことです」
「身体はバラバラに刻まれ、彼方此方にバラ撒かれていた。公園の像の首が切り取られ、そこにダレイラク伯の首が据えられていたそうよ。……その顔は、皮膚が半分剥ぎ取られていた……。何者なの? ただ、殺しを楽しんでいるだけ? それとも、伯爵にそれほどの怨みがあったの? 何故、あんな真似が出来るの? 何を望んでいるの? 人々が恐怖に戦く顔? 人が命乞いをする顔? 何を?」
「…………」
「ヤツは、私がこの手で捕まえてやるわ」

 少女は静かに、決意していた。自らの正義に従い、“怪盗フーケ”の物語とその名を汚した者に、償いをさせるために。

「アクセル殿。お願いがあるの」
「……お願い? 何でしょう?」
「私に……」

 ジュリーがそう言いかけた時、通路にエレオノールの声が響いた。悲鳴では無い。焦れたような呼び声だった。

「もう、さっきから呼んでるのに……」

 ブツブツと呟きながら、エレオノールがアクセルを睨む。アクセルは苦笑しつつ、ジュリーに目を向けた。

「失礼します、ジュリー殿。……どうかされましたか、エレオノールさん?」
「こっち。何で、カーテンがかかってるの? ボタンを押しても反応しないし……」

 彼女が指さすのは、黒いカーテンで覆われた部屋。カーテンは通路側ではなく、部屋の内側にあった。奥の部屋も、同じようにカーテンがかかっている。
 暫くエレオノールが示すカーテン……その向こう側に思いを馳せるように、静かに見つめていたアクセルは、愛想笑いを浮かべた。

「すみません、説明していませんでしたね。……実は諸事情あって、この五階は封鎖されることになったんです。宜しければフーケだけでも、と思ったのですが」
「封鎖って、何で?」
「さあ、僕も理由までは……。いずれ公開されることもあるでしょうが、それまではお預けです。期待させてしまって、申し訳ありませんでした」
「……別にいいわ。ここまで、なかなか楽しめたし。それじゃ、戻りましょうか」
「え」

 不満そうに声を上げるジュリーに、エレオノールは眉を顰める。昔はこのような視線を向けられるたび、姉たちの背中に隠れた彼女だったが、流石に今では克服していた。

「しょうがないじゃないの。ここから先はカーテンで見えないんだから」
「でも……もうちょっと……」
「何? ひょっとして、その年齢でまだ童話にハマってるの?」
「……受けて立つわ、その侮辱」

 アクセルが慌てて二人の間に入る。二人とも杖を彼に預けているが、だからこそ、ある意味で危険であった。

「さ、さあさあ、お二人とも。そろそろ日も傾いてきましたし、夕食にしましょう。世にも珍しい、水中レストランがあるんです。是非、見て頂きたい。ほらほら、早く早く」

 二人とも、それ以上彼を困らせようとはしなかった。

 ジュリーが、続いてエレオノールが階段を下りていった後、アクセルはふと立ち止まる。通路を振り向き、カーテンで覆われた部屋を見つめていたが、階下からのエレオノールの声で、二人の後を追った。



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