小説『漂流のA(ゼロの使い魔二次)』
作者:権兵衛()

しおりをはさむ/はずす ここまでで読み終える << 前のページへ 次のページへ >>

第二章 朱き夏の章

第3話<遭遇>






 循環装置、浄化装置によって常に清浄に保たれているミュゼオムの水路は、昼間なら水深50メイルにある底まで見通せるほど澄み切っていた。そしてそこには様々な種の魚が泳ぎ、また傑作卿が生み出したガーゴイルが遊んでいる。場所によって水質、水温が異なるよう設定されているのか、川の魚も海の魚も、更には、本来は別の海にいる筈の魚たちもいた。
 水中レストラン『アクアリウム』は、その水路が交差する泉の底にあった。出入り口の昇降機によって繋がるそこは、全面ガラス張りの円形のレストランで、水中から魚やガーゴイルを見物できる。日が沈み、水中ではぽつぽつと、マジックライトの色取り取りの灯りが灯り、なかなかに幻想的な味わいだった。
 ブラックカードの効力によって、三人は個室に通される。個室と言っても、本来のレストランの上階に重ねられていて、丸ごとVIPルームとなっていた。ビリヤード台やバーカウンター、ゲームテーブルまである。曲がった窓の外をゆったりと、四メイルはありそうなゴーレムが通り過ぎていった。

「…………」
「エレオノールさん?」

 水棲ゴーレムを真剣な目で見つめるエレオノールに、ジュリーが声を掛ける。食事の作法に厳しい彼女も、今はそれどころでは無いのだろう。
 確かに、土属性のメイジであるジュリーから見ても、そのガーゴイルは異質だった。条件設定を行い、ある程度の自立運動を可能としたのがガーゴイルだが、何の目的も無くただ泳ぎ続けるそれは、完全に観賞用のそれだった。にも関わらず、水中を泳ぎ回るような高度な運動機能を秘めている。
 しかしジュリーが更に驚いたのは、アクセルとエレオノールの次の行動である。

「エレオノールさん、頬にソースが」
「え? 拭いて」
「はい」

 目が離せない、と言わんばかりに顔を動かさないエレオノールに従い、アクセルはナプキンを摘み上げると、世話係のように頬のソースを拭った。絶句するジュリーだったが、二人は至って自然である。
 アクセルは何事もなかったようにグラスのワインを呷ると、ジュリーに目を向けた。

「……ヒラメのムニエルは、僕の大好物なんです。如何ですか?」
「え? ええ、とても美味しいわ」
「よかったです。さあ、ワインもまだまだあります。どうぞ、ごゆっくり……」

 そこまで言いかけた時、ふとアクセルは言葉を切り、ジュリーの後ろに目を向けた。彼女が振り返ると、給仕の女がそっと近づいてきて、アクセルの耳元で何かを囁く。暫く耳を傾けていた彼は、頭を下げて離れる給仕に礼を言うと、椅子から立ち上がった。

「申し訳ありません、少し中座させて頂きたいのですが……」
「ええ、どうぞ」
「ここは、デザートも絶品なんです。どうぞ心ゆくまで、ご堪能下さい。それでは」

 相変わらず窓の外を眺めるエレオノールにも、律儀に頭を下げ、アクセルは昇降機へと歩いていった。彼の姿が消えた後、エレオノールは漸くテーブルに視線を戻すと、両手で顔を覆って溜息をつく。ジュリーは首を傾げた。

「どうかしたの? エレオノール……」
「……普通、拭く? 拭かないでしょ?」

 相変わらず両手で顔を隠す彼女だが、耳まで真っ赤になっている。それを見て、ジュリーはやっと照れているのだと気付いた。

「照れるなら、拭いて、なんて言わなければいいのに。呆れるわ」
「……いえ、あのね。あいつ、全然拒否しないのよ。私も色々と、我が侭言ったりしてみたんだけど。もうこうなったら、一体どこまで許すのか、知りたくなって……」
「それで、貴女が赤面? お笑いだわ」

 そう言いながらジュリーも、アクセルについて思い返してみた。
 確かに、怒るという感情とは無縁そうな雰囲気だった。女に向かって怒鳴ったことも無いような、典型的な優男。恋人が浮気をしても、彼は笑って許してしまうのではないだろうか。

「……ねぇ、エレオノール」

 だからこそ、ジュリーは不思議だった。
 そんな軟弱そうな男こそ、エレオノールが最も嫌う人間では無かったかと。

「彼……アクセルとは、どういう関係なの?」

 ようやく赤面の色が鎮まったらしく、エレオノールは顔から手を離す。

「同志」

 エレオノールの返答は短く、だが確固たる意志に満ちたものだった。そのたった一言が、二人の関係の全てのようだった。

「同志……?」

 少しは色気のある返答を期待していたジュリーは、鸚鵡返しに首を傾げる。
 エレオノールとアクセルが同じくする、その志とは、一体何なのか。果たしてそれは、素直に答えて貰えるものなのか。
 エレオノールはフォークを手に取ると、小皿の上のチーズケーキを一口分切り取った。

「あいつはね、ジュリー。大切な人を、二人喪ったの。一人は母親。もう一人は……私も知らない。あいつも話さない。でも、医術の話になると、あいつは信じられないほどに熱くなる」

 ジュリーは、エレオノールの妹を思い出した。病に冒された身体の弱い次女、カトレア。一日の殆どを、ベッドの上で過ごしているという。
 水属性のメイジであるエレオノールが、アカデミーでの専攻を水属性から土属性に変えた時、誰もが妹の治療を諦めたのだと思った。しかしそれは間違いだと、ジュリーは感じ取る。エレオノールは未だ、妹の病気に挑もうとしている。水属性である彼女が水属性を捨てたのは、水属性での治療に限界を感じたが故ではないのか。だとすれば、彼女は風属性のアクセルと手を結んだ先に、何を見ているのか。
 チーズケーキを全て胃に収めると。エレオノールはナプキンで口元を拭った。

「喪ったのは、きっと女。あいつが、助けられなかった女。病気じゃないかしら? だから風のメイジなのに、あいつは医術に没頭している。領地じゃ、医者としても活動しているらしいわ。……同志なのよ、私の。たった一人の……」

 ジュリーは何も言わず、そっとワイングラスを傾けた。

「ジュリー。貴女はどうなの?」
「え?」
「あいつのブリミル教徒っぷりが演技だというのは、もう分かったでしょ? 理由は知らないけど……。そもそも貴女は、何故、アクセルに接近したの?」

 それは、近しい男を取られるという危惧からなのか。それとも、単純に好奇心からなのか。エレオノールがそのどちらなのか、ジュリーには分からない。

「……彼の剣技」
「剣?」
「相当の腕前だと聞いたわ。だから、稽古の相手になって欲しいの」
「……それはあいつが、レイピアを使うから?」

 互いに、家族ぐるみの付き合いなのだ。知っていることは多い。
 エレオノールはふと、ジュリーに下の妹のルイズを重ねた。考えてみれば、共通点が多い。共に三女であり、二人の姉に憧れとコンプレックスを抱いている。しかしジュリーのそれは、恐らくルイズよりも、もっと暗いものなのだろう。

「アクセルの腕前が、貴女の姉に比肩するとは思えないけど」
「それでも。私は……」
「そんなに大事なことなの? 姉を越えるってことは」
「……長女には分からないでしょうね」

 捨て台詞のように呟くと、ジュリーは窓の外へ顔を背けた。








 たっぷりと土産物を買い込んだエレオノールとジュリーを連れて、『博物公園』から王都へと戻ったアクセルが、マザリーニ枢機卿の邸宅に忍び込んだのは、日付が変わる寸前だった。普段なら軽口を叩いてみせるアクセルに、その普段の余裕は無い。

「ミスタ・コラスが?」
「ええ」

 マザリーニは、自室のテーブルの上に新聞を広げる。広告欄の上に、マザリーニのメモが貼り付けてあった。仕込まれていた暗号は、既に解読されている。

「……阿片の宣伝に、新聞を使っているという推理。当たりでしたね?」

 何気ない広告欄に見えるが、隠された数字と文字列を解読すれば、住所が現れる。チクトンネ街の一角の、目立たぬ通り。マザリーニ枢機卿が解読した暗号通りならば、そこが、阿片を扱う商人、ミスタ・コラスの隠れ家ということになる。

「早速向かいます」
「お待ちなさい」

 踵を返したアクセルを、マザリーニが咎めた。少年は不満げな表情で振り返る。

「新聞の広告欄を用いた宣伝は、確かに、私が推理したことです」
「その推理通りだった、というわけでしょう?」
「いえ。あまりにも、すんなりと行き過ぎています。怪人フーケによって、得意先の一人であるダレイラク伯が惨殺されて間もないというのに、このような宣伝は……」
「得意先が減ったのなら、増やそうとするのが商人では?」
「確かに、そのような考え方も出来ます。ですが、妙です。この暗号からは、自信のようなものを感じます。余裕とすら言えるような……。恐らくは、罠」
「……そうだとしても、それは“怪人フーケ”を脅かすほどのものですか?」
「落ち着きなさい」

 叱り付けながらも、マザリーニは薄々感じていた。アクセルを止められそうにないと。

「いいですか? 世間的には“怪人フーケ”とは、気紛れに人を殺し、気紛れに宝を奪う悪魔なのです。阿片を憎む、正義の味方などではありません。自重せねば、貴方の正体に迫られる危険性も……」
「そう、その通り。“怪人フーケ”は、気紛れな悪魔です。そんな怪人が何処の誰を襲おうが、何ら不思議ではありません。たまたま、チクトンネの一点を襲ってやりたい、そんな気分になっただけ」

 やはりどうあっても、アクセルは退かない。
 しかしマザリーニ枢機卿にとって、問題はそこでは無かった。阿片を用いて人を傷つける、そんな人間を憎む気持ちは、マザリーニとて同様である。だからこそ、怪人フーケを失うわけにはいかないのだ。阿片は既に、表に出せ無いほどにその害を広げている。表沙汰になれば、更に多くの人々を不幸にする。故に、闇から闇へ。悪を以って悪を討ち、全てを奈落の底へと葬り去るしか道は無い。

「どうか……焦らぬよう……」

 しかし、彼のその願いは届かない。開け放たれた窓から風が流れ込み、ふわりとカーテンをはらませた。
 マザリーニは暫く無言で窓を見つめていたが、やがて溜息をつくと、ベッドの際に腰を下ろす。

「若人よ……何故、そこまで急ぐ……」








 軽量化の魔法『ライトネス』。それを自らの身体にかけ、風に乗るようにして翔ぶ。アクセル自身が『柳翅』と名付けた移動法は、闇夜の街を駆けるのに適していた。
 商店の灯りは落ちたが、チクトンネ街にはまだ営業している店も多い。男と女の笑い声、歌声、音楽。ふと、懐かしさのようなものを感じつつ、アクセルは塗料で顔を真っ黒に塗り潰し、仮面を被った。両目の部分だけに穴を開けた、表情のない仮面。フードを被り、腰にナイフを差せば、怪人フーケの完成だった。
 猫のように闇を渡り、屋根を走り、煙突に飛び移る。貴族であることを示すマントも無く、風に翻るコートも無い。まるで忍者のような、黒装束。

(……ここか)

 暗号が示す住所は、チクトンネ街の奥まった場所にあった。古ぼけた煉瓦造りの倉庫で、入り口には板が交差している。窓も全て板で覆われており、少なくとも外側からは、人の気配は見受けられなかった。
 恐らくどこかに秘密の出入り口でもあるのだろうが、それを探している暇は無い。今夜中に決着を付けなければならない理由も無いが、アクセルは焦っていた。

(まぁ、何しろ……時間が無いしな。俺の場合は)

 屋根からぶら下がると、『サイレント』を唱えつつ、窓の一つを蹴破る。どちらにしろ、相手が待ち構えている可能性が高い以上、無駄な努力なのかも知れないが。
 内部は暗かった。自分が窓を蹴破ったことで、僅かに月明かりが差し込んではいるが、それでも倉庫全体の様子は分からない。『暗視』の魔法を片目にだけ使い、交互にウィンクしながら周囲を窺う。灯りが点く様子は無く、また誰かが窓を蹴破られた事に気付いた気配も無い。
 アクセルは二階の手摺りを飛び越え、一階へと降り立つ。空の木箱が彼方此方に積み上げられているが、その中にも誰かが潜んでいる気配は無い。

(無人……?)

 そう考えたとき、微かに足音が聞こえてきた。急いで頭を下げ、木箱の陰に隠れるが、足音は倉庫の中からでは無かった。床下に、大きな空洞を感じ取る。

(セオリー通り、地下か)

 地下室への入り口は、隠されてもいなかった。木箱の陰に下りの階段が伸びており、それを辿っていくと、地下通路に出る。整備されているとは言い難いが、坑道のようにしっかりとした造りだった。道の左右に、蝋燭が灯っている。それが照らし出しているドアの向こうから、四人ほどの気配が伝わってきた。

(待ち構えている……。だが、関係あるか)

 地下室は、倉庫ほど広くは無い。待ち構えている人間、四人が全員メイジだとしても、近距離でのアクセルの戦闘能力は群を抜いている。少なくとも今まで、接近戦で遅れを取ったのは一度か二度。それですら、相手を生かすことを考えていた時だ。

「…………」

 仮面の下、呼吸を整え、アクセルはドアを開けた。その動作は、日常での行動そのもの。図書館の扉を開けるかのような、静かな動作だった。
 そしてそれを部屋の中で待ち構えていた四人も、特に驚きも見せず、アクセルを迎える。
 壁際の本棚に、左手でカチコチと時間を刻む柱時計。まるで書斎だった。中央の椅子に腰掛け、こちらを待ち構えているのは、脂ぎった小男。いかにも、な様子から、彼がこの場のボスであることは明らかだった。他の三人は、傭兵メイジだろう。左右の壁の本棚の前でそれぞれ腕を組み、下卑た笑みを浮かべている男が二人。最期の一人はコートを着込み、フードを深く被った人物だった。その場の五人の中では、一番身長が高い。口元すらフードの陰に隠れ、ただ静かな双眸だけが、アクセルへと向けられていた。

「やぁ、よく来たな。“怪人フーケ”殿。ミスタ・コラスだ」

 椅子の小男……ミスタ・コラスが、迎えるかのように両手を広げた。アクセルは特に反応を見せない。

「本当に、新聞の暗号を解いたのか? だとしたら、相当に頭も切れる。世間では、どこかに脳みそを忘れてきたアホ扱いだが、おめでとう。違う、ということが証明された」

 ミスタ・コラスが更に言葉を重ねるが、アクセルは聞き流していた。
 左右に立つ傭兵は、火のトライアングルと風のトライアングル。敵を目の前にしながら、未だ組んだ腕を解かないところを見ると、大した警戒は必要ない。このままだと、瞬殺出来る距離にいる。しかしそれをしないのは、ミスタ・コラス……彼の傍らに立つ、コートを着た人物の存在が原因だった。メイジであるのは確かだが、その力を隠す術を心得ている。実力が不明なのだ。ミスタ・コラスの傍らに立つ、そんな位置にいるのならば、左右の二人よりは確実に腕が立つ。

「話が長い」

 アクセルは一瞬、自分が思わず感想を零してしまったのではないかと疑った。しかし当然、そんな筈が無い。それを確認できたのは、先ほどから実力を計っていたコートの人物が無造作に拳を振り上げ、ミスタ・コラスの頭を殴りつけたからだった。

(……え?)

 女の声だった。そしてその声を聞いた瞬間、ミスタ・コラスは怯えたような表情になり、そして次には椅子から転げ落ちて失神していた。
 他の二人の傭兵にとって、全く予想外の光景だったらしい。しかしその二人の胸に、それぞれナイフが突き立つ。コートの女が左右の手でナイフを投げ、仲間である筈の二人を殺した。

(どういうことだ……)

 混乱するが、アクセルはそれでも足を動かし、早歩きで前に進む。左右の本棚に、二人の死体が倒れ込み、ガタガタと書物が落下していた。コートの女もミスタ・コラスを踏み越え、アクセルへと向かってくる。

(待て、向かってくる!? 杖は!? いやそもそも、女だったのか!?)

 護衛に雇われた傭兵が、突然主人を殴りつけて気絶させ、二人の同僚を殺害した。
 脳内が、何故、という疑問で溢れかえる。一体、どういう状況なのかと。
 しかしただ一つ、確かなことがある。この場を支配していたのは、ミスタ・コラスなどではない。この、コートを着込んだ女だ。

「しぃっ」

 短く息を吐き出しつつ、アクセルは左拳を突き出す。阿片を操っている筈のミスタ・コラスを支配しているというのなら、この女こそ、全ての黒幕では無いのか。ならば、情報を吐かせなければならない。
 しかし女は、右肘で押しのけるようにアクセルの拳を払うと、そのまま右手を伸ばしてくる。

(狙いは首かっ)

 身長差を利用するため、アクセルは跪くように身体を下げる。そして女の股間を潜り抜けると、逆上がりをするように、右の爪先で彼女の背を打った。しかしカウンターのように、女の後ろ蹴りが襲いかかる。両腕を交差して防ぐアクセルだったが、彼の身体はそのまま、ミスタ・コラスの隣にまで転がった。

(何だ……今の蹴り? これで重量さえあれば、スルトと遜色ないぞ)

 アクセルが立ち上がると同時に、彼女も振り向いた。

「素早いな」

 フードの奥から、賞賛の声が漏れ出す。

「さながら、猫のように敏捷だ。“怪人フーケ”。予想以上だ」

 声は女だが、喋り方は男のようだ。
 そしてアクセルは、直感する。新聞に暗号を載せたのはミスタ・コラスだが、それをさせたのはこの女だ。理由は、怪人フーケを誘き寄せるため。

「ありがとう。まさか、広告を出したその日に来てくれるとは思わなかった」

 一瞬、話術に引き込まれているのではないかと考えたが、その様子は無い。
 女はただ、思ったことを話していた。感じたままを。
 するりとコートが落下し、その顔が露わになる。

(……美人だな)

 そんな感想を抱く自分自身に、アクセルは安心する。どうやら自分は未だ、追いつめられているわけでは無いと。

 確かに、美人だった。年齢はアクセルより上で、二十歳を過ぎた頃だろうか。着ている服は平民のようだが、腰には細剣と杖が並んでいる。妙に長い金髪を無造作に一つに束ね、背中へ流していた。その顔は彫像か何かのように冷たい美しさがあり、エメラルドグリーンの瞳は、さながらその彫像に埋め込まれた宝石のようだった。
 まるで美術品だ、と、アクセルはそう思った。

「……喋れないのか?」

 未だ一言も発さないアクセルに、彼女はそっと尋ねてくる。一応、仮面にはボイスチェンジャーのようなマジックアイテムも仕込んであるが、わざわざそれを使ってみせることも無いだろう。

「ひょっとして、私は喋りすぎか?」

 そんな質問をされれば、アクセルでなくても拍子抜けする。構えを解かないまま、彼は言葉を飲み込んだ。

「……すまない。私は、喋らなければ考えが働かない人間なのだ。私のような人間は、隠し事が下手だ。だから、うるさいと思うかも知れないが……どうか許してくれ」

(……。一体、何が狙いだ。この女……)

 一応、現在は戦闘中の筈である。それでも暢気に謝罪してくる彼女に、アクセルはいよいよ本気で呆れ始めた。

「私は、つい喋ってしまう人間だ。だが、更に口下手でもある」

 そう言いながら、彼女はスラリと細剣を抜く。

「何故だろうな? 語るために言葉があるのに、語れない言葉がある。そのような言葉を伝えたい時、私はどうしても、コレに頼ってしまうのだ」

 次の瞬間、彼女は風のようにその剣を突き出してきた。脅しでも、遊びでも無い。一直線に、アクセルの心臓を狙って。

(くそっ)

 後ろへ、では無く、前へ避けることは出来た。しかし、アクセルが踏み出したのは、彼女の真正面である。右腕の外側、彼女にすれ違うようにして避けるべきだったのだが、それが出来なかった。あまりにも、唐突に過ぎて。

(この女、セオリーと言うかお約束と言うか、それが滅茶苦茶だ。暢気に語っていたかと思えば、殺気も無く殺そうとしてくる……)

 真正面に避けてしまったせいで、今度は左手の杖を向けられる。

(くそっ、何時の間に杖を抜いていた? この俺が……リズムを狂わされっ放しだ)

 とにかく、詠唱をさせるわけにはいかない。右手で杖の先端を逸らしつつ、左手で彼女の喉を攻撃しようとする。
 しかし、喉に衝撃を受けたのはアクセルだった。

「こぁっ……?!」

 気道を塞がれ、思わず仰け反ってしまう。彼女は詠唱するでもなく、杖でそのまま、アクセルの喉を突いた。

(これは……!)

 アクセルはようやく、気付く。
 相手の虚を突き、奇策や鬼手を用いてきた自分。今、その立場が完全に逆転してしまっていることを。そして今の状況が、自分にとって最大級の危機であることに。

「ああ、やっと喋ってくれたな」

 アクセルが恐れた追撃は、無かった。距離を取るアクセルを前に、彼女は相変わらず暢気に話す。どこか、嬉しそうでもあった。

「…………」

 喉を抑えながら、アクセルは呼吸を整える。そうしていると、また彼女は話し始めた。

「……怪人フーケによって殺害された貴族は、最新のダレイラク伯を含め、六人。没落貴族ではない。全て、歴とした一家の当主だ。当然のこと、トリステイン王国の闇が動き始める筈。ガリアの北花壇騎士ほどでは無いが、それでも闇だ。にも関わらず、怪人フーケは殺人を続けている。……それが意味する事を、二つ考えた。一つは、闇ですら捕らえきれないほどの凄腕。もう一つは、怪人フーケもまた、トリステインに飼われる存在」

 いよいよ、アクセルは焦った。
 戦闘能力だけではない。彼女は知力も備えている。

「跡取りを持たない当主が死ねば、当然、その貴族の財産は王国が管理することになる。今の国庫を鑑みれば、例え焼け石に水程度であろうが、手を伸ばす筈だ。……そうなのか、怪人フーケ。王城に、お前の飼い主がいるのか? 誰なのか、教えてくれないか?」
「…………」
「怪人フーケ。お前は、世間が騒ぐような悪魔では無い。お前の行動からは、確固たる意志を感じる。お前が狂人ならば、顔を隠す理由は何だ? 知られては困る顔なのか? だとすれば、お前はもしや、貴族ではないのか?」

(いつかバレるかもと、覚悟はしていたが……こんな簡単に、とはな)

 仮面の下、アクセルは密かに溜息をつく。
 過信していた。このトリスタニアに、自分の正体に迫れるような人間などいないと。全員が無能な筈はない、そう思いつつも、それを忘れてしまうほどに、全ては自分の思い通りに行ってしまったのだ。

(帰ったら、反省会だな。こりゃ)

 自分が考えた通り、予想した範囲内で、決着は付いてきた。
 油断していたわけではない。誤解していたのだ。所詮は、この程度のレベルだったのだと。

 アクセルは、地面を蹴った。

「来るか」

 一瞬で、距離が詰まる。顎へ襲いかかってきた彼女の膝を、アクセルは左掌で受け止めた。そして間髪入れず、彼女の軸足を払い飛ばす。空中に浮いた状態で、彼女は細剣を突き出した。さながら肉の串焼きのように、アクセルの右掌が貫かれる。しかし、彼はその状態で拳を握り、刃を封じた。
 アクセルの右足が、彼女の腹部に突き刺さる。

「ぐっ」

 短い呻きを漏らし、彼女の身体は地面の上を滑った。手放された細剣は、アクセルの右手に突き刺さったままである。

「……動きが良くなったのは、吹っ切れたのか? やはり、貴族なのか?」

 何一つとして、答えてやるわけにはいかない。どんな返答をしようが、それはきっと、自分を更に不利へと追い込んでしまうだろう。アクセルはそう感じていた。

「『錬金』」

 彼女は初めて、魔法を用いる。地下室の地面から召喚したのは、一振りのブロードソード。それを右手で握り締め、重さに慣らすように、軽く振り回した。

(……『錬金』のスピード、精度から見ても、凄腕の土メイジだ。だが、何故、もっと魔法を使って来ない? 精神力を温存しているのだとしても、それだけじゃ説明がつかない程に……)

 アクセルは右掌を貫いていた細剣を引き抜く。治癒の魔法を使おうかとも思ったが、痛み以外は大したダメージが無い。何度か握り締め、右手を拳に変えた。

 今度は、彼女の方から。両手でブロードソードを握り、上段から叩き付けてくる。軽く身体を傾けて避けたアクセルだが、彼女はあっさりとブロードソードを手放すと、彼に手を伸ばす。

(剣術を意識させておいて、すぐに素手に移行……全く、俺そっくりだ)

 ただ、手を伸ばしたわけではなかった。その手は拳となり、アクセルの顔面に向かってくる。アクセルもまた、彼女の拳を自らの拳で弾いた。

(けど、素手なら……俺が上だ)

 過信でもなく、誤解でもない。それだけは、自信だった。
 拳の硬さ、威力、どちらもアクセルの方が上である。彼女は痺れに僅かに顔を歪ませたが、更にもう片方の拳を突き出してくる。
 アクセルは拳を開くと、彼女の手首を握った。姿勢を低くして彼女の懐に入り込むと、勢いを利用して、その長身を投げ飛ばす。

「っ!?」

 微かに、驚きの声が聞こえた。そして刹那、彼女の身体は背中から、地面に叩き付けられる。衝撃で震えてはいるが、暫くは自発的には動けない筈だ。
 ハルケギニアの人間にとって、柔術など全く未知の技術だろう。

(ふぅ……。切り抜けた、が……あまり長居も……)

 とりあえず、ミスタ・コラスをどこかへ連れ去った方がいい。邪魔の入らない一室さえあれば、尋問は出来る。

(そうだ。この女についても……)

 がくん、と、景色が揺れた。

「……!?」

 地面に付いた右膝を見下ろし、アクセルは悟る。同じく右手も、痺れたように感覚が無い。

(まさか……さっきの。右掌の傷の痛みに紛らせて……投げ飛ばす時に……?)

 彼女の手を取った時、痛みが走った。しかしそれも、治療していない右掌の痛みだと思いこんでしまった。

「……私は、物欲に乏しいらしい」

 悶絶している筈の彼女が、口を開く。

「だから、なのか。いざ欲しい物に巡り会った時、その欲を抑えきれなくなる。自分では、コントロール出来なくなる」

 むくりと、彼女は身体を起こした。

(何でだ!? 大の字にぶっ倒れて……。いや、まさか、受け身を取れるのか!?)

「十一歳の時、どうしても欲しくなった。父の持つ、オークの牙の首飾りが。しかし、家族のものを奪うことは出来ない。だからオークを殺して、牙を得た。結局、首飾りではなくブレスレットにしたが……」

 彼女は立ち上がり、膝をつくアクセルを見下ろす。その手には、紐を通したオークの牙があった。

「もう、ブレスレットとしては使えないが……。毒付きのお守りだ」

 アクセルは理解した。
 正道、邪道、共に心得た戦闘力。凄腕の土メイジ。メイジらしからぬ体術。不動の精神。
 十一歳の時、ナイフ一本と金槌一つで、二匹のオーク鬼を殺したという逸話。
 それら全てが当てはまる人間など、トリステインどころかハルケギニアでも一人だけだろう。そんな人間はただ一人、グラモン伯爵家の長女だけだ。

「お前が欲しいんだ、怪人フーケ。たまらないほどに……」

 グラモン軍総帥、“鉄人”のゼナイド



-49-
<< 前のページへ 次のページへ >> ここまでで読み終える