小説『漂流のA(ゼロの使い魔二次)』
作者:権兵衛()

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第1章 青き春の章

第4話<邂逅弐>その1




 東地区に建築中の建物も、完成まであと僅か。半分は娼館のためだが、あとの半分は、ヤクザ事務所としての役割を持つ。

 “清掃活動員募集。食事出ます”

 バルビエの金をふんだんに使用し、行ったのは、清掃活動。生ゴミですら上等なご馳走である東地区に、ゴミと呼べるものなど皆無だったが、綺麗にするという概念自体失われているらしく、排泄物などが放置されていた。

 完成間近の娼館の周辺から、清掃を推し進める。指示を出しながら、自らも積極的に動くナタン。ナタンの弟分ということで、彼の指示に従いつつ、アクセルは人糞をシャベルですくう。ローランに昼食に招待されたということになっている領主代理が、排泄物の中で清掃活動に励んでいるなど、リーズが知れば卒倒どころの騒ぎではない。
 活動開始初日、ボロ服を着てマスクをしたアクセルに、ナタンは驚いていたが、人手が足りないのだから当たり前だろうと、少年は事も無げに告げた。

 確かに、貴族がこんな平民以下の仕事をするなど、ハルケギニアの月が一つになるようなものだ。

 「兄貴ぃ。こっち、終わったぜぇ!」
 「よしっ、ベル! 今度はこっち手伝ってくれ!」

 ナタン、その弟分の少年ベル。二人が率先して行う清掃活動は、日毎に規模を拡大していった。

 勿論、文字なんて読めない人間がほとんど。敢えて、宣伝も勧誘もしなかった。初日は、誰も加わったりせず、ナタンとアクセルに奇異の視線を向けるだけの者ばかり。
 次の日には、文字を読める者とそれに誘われた五人が来た。
 その次の日には、倍に増えて十人。
 更に次の日が来れば、一気に四十人にまで増えていた。
 食事だけでなく、僅かではあるが金まで貰える。そもそも、出来るような仕事すらなかったのだ。
 人数が増えるにつれ、チームに分けられ、部隊として展開していく。

 名簿も作った。食事や金を渡す際、名前と性別、年齢を確認する。チーム編成のために使ったが、人別帳のための情報収集でもあった。

 「おいっ、ベル君!」

 マスクの下から、少女の声が放たれる。

 「何故私がっ、このような事をしなければならな……うわっ、嘘ですごめんなさいっ、せっせとやりますから許して下さい!」

 アクセルが、排泄物山盛りのスコップを振りかぶる仕草を見せ、アニエスを黙らせる。
 そう、アニエス。涙目になりながらも、せっせと動く彼女の名前。

 (これが……あれになるのか……)

 一体、この小便垂らしのヘタレ娘に何を混ぜれば、あんなオメガモンにジョグレス進化するというのか。
 行く当てがないということで、結局そのまま居着いた。

 確か……例の虐殺事件から、既に十年近くは経過している筈。

 こんな多彩な表情を見せてくれているのなら、少なくとも外見を取り繕える程度には、立ち直れているらしい。村一つ滅ぼすような虐殺の中、生き残った少女……そんな悲壮さは、未来を知らない者には察することも出来ないだろう。

 (しかし……初めて知り合う原作キャラが、まさかアニエスで、しかもこんな形だとはな)

 彼女なら、ある程度信用しても問題ない。自分と関わったことで、性格が捻れに捩れてしまう可能性もあるが、基本的には善人だ。
 内面まである程度知っているからこそ、原作キャラとの……特に、善人に分類出来るキャラとの邂逅は、密かに楽しみだった。まぁ、正直に言えば、すごくがっかりしたが。

 「言っとくけど、ホテルの宿泊料金に食事代、その他諸々。しっかり記録してあるからね? そして未だ、その十分の一も稼げてないからね?」
 「…………フフフ、ベル君。提案があるんだ。私の身体で払う、というのはどうかね?」
 「ふーん。具体的には?」
 「フフフ、その、な。なな、何と! わわ、私の下着を……見せてやってもいい。フフフ、その価値たるや、それはもう……」
 「うん、すごく言いにくいんだけど、言わせて。無駄口叩くな」
 「フフフ、おやおや坊や、照れてるのかい?」
 「…………じゃあ、見せてもらおうかな? 濡れてない下着を」
 「……ふえ……ゆ……言うなぁぁぁぁ!」
 「泣くなよ、面倒くさい」

 さてと……。

 東地区の清掃は、まだまだ序盤。しかし、東門から娼館を結ぶ大通りなど、ある程度の土地の浄化は目途が立った。

 「むほほほほ」

 ホテル『初月の館』の一室にて、ナタンとローランが今後について相談し、アニエスがぐったりソファに寝そべっている時。そんな、妙な笑い声が聞こえてきた。直後、ノブが回る。

 従業員たちには、大事な話だと伝えておいた。ノックもなしに開けるなど、考えられない。

 三人が見つめる中、ドアが開き、姿を現したのは……肥満体の男。

 いや、知っている。三人は、この男によく見覚えがある。

 「……バッ……!?」

 バルビエ。仇であり、雇い主であり、加害者であった商人。

 「むほほほ、おバカさんですねぇ。私ですよ」

 カチカチと、乾いた音をさせつつ、バルビエは自分の顔をはぎ取った。手には、なめし革のようなバルビエの顔が、ぶらんと垂れている。

 「……ベル!?」

 肥満体の身体から、アクセルの顔が生えていた。その身体も、すぐにずるりと崩れ落ちる。

 「……な……何なんだよ、それ……」
 「ああ、作った。この為に、バルビエを生きてることにしてるんだ。もう少し、バルビエに表で動いて貰おうと思ってさ」

 バルビエの小柄な体躯を見た時、思いついたことだった。

 アクセルは確かに、今やっているように、貴族とは別のベルという少年として動ける。
 しかし、所詮は少年。子どもでは出来ることが限られてくるし、何より子どもらしくないことをすれば目立ってしまう。

 肥満体ではあるが、背が低いバルビエなら、天狗のそれのような高靴さえあれば、自分は商人バルビエという顔を手に入れられるのではないか。

 「……つぅかこれ、よく出来てるなぁ。本物そっくり……。……。…………。なぁ、ベル。一つ聞いていいか? この変装セット、材料は?」
 「えーっと、三人ほど」
 「まさか人数で答えられるとは!」

 なめし革にしようかと、自分でなめし方を調べて試してみたのだが、皮膚が思ったより伸びなかったのだ。
 まぁ、何のことはない。最初から、固定化の魔法を使えばよかった、という結論に落ち着いた。

 「結構、大変だったんだよ? サイズは問題なかったんだけど、皮の裏まで脂肪がビッシリでさぁ、それをナイフで削って行ったんだけど」
 「ぎゃああっ、聞きたくない! 聞きたくないぞおお!」

 耳を両手で塞ぎ、ぶんぶんと首を振るナタンに、既にぐったりとソファに倒れ伏しているアニエス。そんな二人とは対照的に、暫く人皮のマスクを見ていたローランは、落ち着いた声で尋ねた。

 「それで。これを使って、どうなさるおつもりで?」
 「ああ、奴隷を買いに行くんだ」
 「ほう? 奴隷ですか」
 「そう。出来れば、ナタンのファミリーの役に立つような奴隷」

 男と女、欲しいのは両方だった。

 男は、なるべく頑丈な人間がいい。ファミリーの構成員として、武力がある人間は必要。更に言えば、自分の技の実験台にしても問題ないくらいの、屈強な男。
 女は、なるべく美人。娼館で働かせるつもりだ。ある程度頭が良かったら、尚のこと良い。

 「確かに、人間は東地区に山ほどいる。でも、ファミリーの役に立ってくれるほど有能な人間となると、なかなか難しい。そこで、なるべく裏切る可能性の少ない奴隷を、何人か確保しておきたい」
 「なるほど、確かに。しかし、場所に当てが?」
 「ちょうどいい具合に、隣の子爵領の街で。あまり長く留守にも出来ないし、三日ってところか。行くのは、バルビエに化けた僕と、ナタン」
 「え……俺も?」
 「当たり前だよ。君の部下になる人間だよ? 自分の目で確かめなよ」
 「……うー……わかったよ」

 奴隷とはいえ、下に立つ平民として、そんな場所に行きたくはない……というのが、ナタンの本音だろう。
 しかし、それでは駄目だ。これから裏社会の人間となるナタンには、裏の世界を見せておかなくてはならない。そうしなければ、折角彼を選んだ意味が無い。
 ローランは、社会的地位があるので除外。

 「ふむ、わかったよ。私も同行しよう」
 「駄目。アニエスには、清掃活動を続けてもらう」
 「いやっ、しかしっ、護衛は必要だろう?」
 「普通護衛っていうのは、自分より強い人を選ぶものだろうに」

 もしかしたら……。そう思い、アニエスと手合わせしてみたのだが、あっさり勝てた。
 それを自分が強くなったから、などと解釈するのは、あまりにも調子に乗りすぎている。今までは子どもの見た目を利用し、相手から平常心を奪い、一気に畳みかける、そういう戦い方ばかり。用意、始めの合図があるのだから、しかも、相手は将来のメイジ殺しなのだから、どうなるかわからない。
 そう思っていた時期が、俺にもありました。
 男とはいえ、年下の拳骨に負けるなんて……いや、普通の女の子なら、そういうものかも知れないが。

 ひょっとして、同名の別人ではないか。

 今では、そんな気もしている

 「じゃあ、ローラン。リーズには、ローランに招待された演劇を見に行ってくる、ということにしておくから」
 「畏まりました。お気を付けて」

 ローランは、そっと頭を下げた。





 ラヴィス子爵領の隣、レオニー子爵領。その中心地、クルコスの街。

 バルビエの遺品の中には、そこで密かに開催される奴隷市の情報もあった。勿論、奴隷などこの世界では珍しくない存在であるが、ここの奴隷市は少々違う。ただの労働力ではなく、奴隷の中でも特色のある……もっと言えば、ただの奴隷市で扱うには勿体ない、そんな人材が集められている。

 アクセルも、ただの労働力には興味がない。この中でガチムチ、ボンキュッボン、インテリがいれば、全て自分のところに来て欲しい。

 「むほほほほほ」

 聞くところによると、これがバルビエの笑い方らしい。キャラとしては結構面白いので、そして勿論怪しまれたくはないので、アクセルもその笑い方を真似た。

 問題は声だったが、元から甲高い声だったので、少し努力すれば出来た。審査をさせられたアニエスは、震えっぱなしだったが。
 しかし、それでも辛い。フェイスチェンジの劣化版で、ヴォイスチェンジなんてのも考えたが、まだまだ未完成。なるべく、口数を減らすようにしなければ。

 念力を併用すれば、簡単な動作くらいなら問題ない。

 「むほほ、胸を張りなさいな、ナタンさん」
 「……いや、けど、こんな場所は初めてで」
 「むほほ、さぁ行きますよ。ザーボンさん、ドドリアさん」
 「誰だよ」

 入場料を支払い、薄暗い地下へと下りていく。アクセルもナタンも、仮面を貸与され、それを着用していた。

 市場は、円形の間取りだった。半円を描くように座席が設けられ、それぞれ個室のように壁で区切られ、客同士は見えないようになっている。中心のステージのような場所に奴隷が引き出され、オークションのように値を付けていく。

 客席は、十個前後といったところか。ここの地上部分では同じく奴隷市が開かれており、買い手がひしめいているが、上の熱気に比べれば、このVIP用のそれは、至って粛々としている。
 区切られているので、客同士の会話もない。時折、同室の者同士の微かな囁き合いが聞こえてくる程度。

 「……すげぇな、ここ」

 薄暗さにも目が慣れてきたのか、ナタンが周囲を見回している。

 「むほほ……ナタンさん、あまり騒がないように」

 やがて、ステージの奥から道化師の仮装をした進行役が現れた。

 出品される奴隷は様々だが、だいたいの流れは決まっている。主催者側が特別だと判断した奴隷たちに、更に等級を付ける。そして、最低落札価格を決定し、その低い者から順番に出品される。
 老若男女、バラバラだった。やがて、客側のテンションが高まる時間に、最高の奴隷を出品。あとは、そのテンションを下げるように、今度は高い奴隷から低い奴隷へと下っていき、全て終了。

 提示金額は進行役が告げる方式。客同士が顔も会わせず、声も出さないのだから、今、誰と競っているのかも分からない。それによって、値段の上昇が加速する。

 「それでは、開始致します。1号。男、23歳」

 見れば、なかなかに屈強そうな男だが……まだ、様子見だ。
 サービスのワインを味わっていると、隣のナタンがそっと囁いてくる。

 「おい、いいのか? 他のヤツに買われたぞ」
 「むほほ、まだまだ。初めての競売なんですから、何も今回に全てを掛ける必要はありませんよ。最上級の品が出るまでは、一応、見にしておくつもりですから」
 「……最上級ねぇ。一体、どんなのだ?」
 「さて。噂では、メイジや没落貴族が出されることもあるそうですが」

 競りは、着々と進行していく。最低落札価格も、最高落札価格も上昇していく。

 (……うーん……)

 先ほど、ナタンにああは言ったが……アクセルは、迷っていた。
 それほど多く連れて帰るつもりはない。多くても、四人程度。その四人の枠の中に入れたいと思える人材が、全く出てこないのだ。
 いや、こんなものかも知れない。適当に選んでしまうのが正解かも知れない。

 ステージに連れて来られた後、奴隷の服ははぎ取られるのだが……美女ならともかく、屈強そうな男の股間でぶらんぶらんしているゴールデンバットなど、好んで見たいと思うものでもない。
 素っ裸にされる美女たちに、ナタンは落ち着かない様子だったが、自分より十も年下のアクセルが平然としているので、それを必死に押し隠そうとしている。
 娼館の主人は、誰か別の人材に任せた方がいいのかも知れない……アクセルがそう思っていると、たった今落札された奴隷と入れ違いに、進行役が中央へと進み出た。

 「次の品に移る前に、申し訳ありませんが……改めて、確認させて頂きます」

 いよいよ、例の“最上級の品”というヤツだろうか。

 「この競売は、あくまで秘密厳守。皆様方のためにも、我々のためにも、どうか口外はお控え頂きたいのです」

 決まり切ったことだ。しかし、何故今、改めてそのことを?

 「次の品は、ここでは初めての……恐らくは、今後出品されることもない、正真正銘、史上唯一の逸品に御座います。……よって、この品を落札されたお客様は、本日のところはお引き取り願います」

 連れて来られたのは、布を被った、小柄な何か。

 「本来なら、決して世に出すべきではない品。しかし、本日ここにお集まりの皆様は、常人が計り知れぬほどの“力”をお持ちの方々。よって……我々も、覚悟を決めることに致しました」

 布が取り払われ……姿を現したのは、一糸纏わぬ少女。自分の身体を抱き、身を縮め、不安げな目で薄暗い周囲を見回している。
 輝くような金髪に、幼子のきめ細かな柔肌。世が世なら、手を出せば間違いなく逮捕される年齢だろうが、少なくともこの世界、そしてこんな場所では、客達にとって珍しいことでもないだろう。

 驚きの声が上がった。その理由は、金色の頭髪を割るようにして伸びている、尖った耳。

 「そう……我々の大いなる敵。恐るべき先住魔法を操り、並のメイジでは束になっても返り討ちにされてしまう……エルフでございます。ですが、ご安心を。この者が納品された時、既に声は潰されておりました。よって、魔法を使うことは出来ず、このエルフも、最早ただの平民の娘と何の変わりもありません」

 (なるほど、エルフか……)

 確かに、特別な逸品に相応しい。匿ったと知られただけで死刑なのだから、普通の人間では、例え魔法を封じられているとしても、その存在そのものの危険性故に、絶対に手を出すことは出来ないだろう。

 「お……おいっ、ヤベェよ!」

 ナタンが耳打ちしてきた。

 「むほ、どうされました?」
 「お……お前まさかっ、あれを買うつもりか!?」
 「そのつもりですが」
 「馬鹿っ、お前っ、何考えてんだ……! お前はどうか知らんが、俺はまだ死にたくねぇんだよ……!」
 「むほほ、私とて死にたくはないですよ。しかし、ピッタリではないですか。我々には」

 精霊との契約が出来るエルフならば、もしかしたら、自分の能力の発展に一役買ってくれるかも知れない。何かヒントをくれるかも知れない。
 もしバレたとしても、買ったのはバルビエで、アクセルではないのだ。
 出来ることなら、是非とも手に入れたい。

 皆が静まった時を見計らって、再び、進行役が告げた。

 「それでは。早速、最低落札価格を……」

 そこまで言った時、通路の奥から怒号が響いてくる。何かを追うような足音、そして声。
 ステージの目隠し布の下から、何かが這い出し、エルフの少女に向かって駆け出した。それを追うようにして男達が現れたが、進行役はそっと彼等を手で制した。

 「ふむ、またお嬢さんですか」

 エルフの元に駆け寄った少女は、自分が纏っていたぼろ布を脱ぐと、代わりにそのエルフの身体に被せ、そしてぎゅっと抱きしめると、進行役を睨み付けた。自分の裸体が晒されることなど気に留めた様子もなく、威嚇するように鋭い目をしている。

 「しかし……お嬢さん。もはや、あなたに出来ることなど、何もありませんよ」

 予定外の事態だったが、進行役は冷静だった。駆け出した少女も、例え自分が暴れた所でどうにもならないことは理解していたらしく、エルフの少女を守るように抱きしめるだけ。


 ぱぷしっ


 バルビエの口や鼻から、ワインが飛び出す。エルフが出ても驚かなかったくせに、と、ナタンは不思議そうに首を傾げた。

 「…………」

 進行役は暫く黙っていたが、やがて客席に向き直った。

 「さて、皆様。お騒がせして、申し訳ありません。ただ今乱入してきたこの少女、さるやんごとなき貴族の娘で、勿論のことメイジ。この娘も同様に、とある特殊な方法で声を潰しておりますので、例え杖を持ったとしても、最早魔法を使うことはありません」

 エルフとメイジ。平民にとっては、何よりも恐るべき者。

 「勿論、二人とも処女であることは、保証致します。魔法を使えぬエルフに、魔法を使えぬメイジ。恐るべき者と、その恐るべき者を妹のように大事にしている者。突然で申し訳ありませんが、この二人は、併せて一つの品とさせて頂きます。……最低落札価格は、二人の合計、320エキュー。では、どうぞ」

 そう……少女とはいえ、恐るべき者たち。だからこそ、その恐るべき力を持たなくなった少女達は、平民にも自由に出来る少女達。

 普通なら、例え魔法を使えないからといっても、恐れを成して逃げ出すだろう。

 しかし、ここにいる者達は違う。平民とはいえ、下級の貴族よりも大きな財力を有している。そもそもこの場にいることが、選ばれた者であることの証。

 少女達はさながら、翼をもぎ取られた天使の如く……。

 次々と、競りに参加することを示す札が、合図を受けた進行役の手で掲げられていった。触れられないのは、アクセルとナタンがいる個室、7番だけ。

 「590……620、625……」

 進行役が次々と最高値を告げる中、7番の個室にいる、バルビエことアクセルは……頭を抱えていた。どうやら参加を諦めてくれたようだと、ナタンはほっとした顔をしている。

 (……何でだ?)

 金髪の、エルフの少女。その少女を守る、緑髪の年上の少女。

 (……ティファニア……それに……マチルダ……)

 間違いかも知れない……などという希望は、最早持てない。
 モード大公の私生児であるティファニアと、サウスゴータ大守の遺児であるマチルダ。ティファニアは、エルフと子を成したモード大公が殺された後、サウスゴータ大守に母親のエルフと匿われていたが、発見されて母親も殺され、サウスゴータ大守は取り潰し、遺児のマチルダと共に、ウエストウッド村に隠れていた筈だ。
 アルビオンの小さな村にいる筈のティファニアが、何故、トリステインの奴隷市で競売品となっているのか……。

 (……俺のせい、ではないよな?)

 今まで、原作を大きく変化させるようなことは、して来なかった……と思う。そもそも今までだって、所詮は片田舎の子爵領での出来事。
 アニエスにしても、傭兵として修行していた時代があったかも知れないし、ティファニアとマチルダだって、奴隷として売られた後、上手く逃げ出したという過去があったかも知れない。声を潰されていたとしても、それが治るイベントが起こったのかも知れない。

 (どうする?)

 自分はここに、ナタンのファミリーの構成員をスカウトしに来た。
 アクセルが落札した後、逃げ出すのだとすれば、それはそれでいいだろう。結果的に無駄金を使うことになるが、そんなもの、原作が大きく改編されるという損害に比べれば、微々たるものの筈だ。

 それに……。

 (……放っとけねぇや、やっぱりさ)

 二人の人柄、そして過去を知っているからこそ……助け出したかった。

 スゥ、と、バルビエの手が上がる。一瞬呆然とした後、ナタンがその手を押さえつけようとするが、肘を当てて黙らせた。

 「! 750……」

 他の客達は、さぞ驚いたことだろう。
 競売が始まってから今まで、一度も上がらなかった7番の札。それが、今になって突然上がったのだから。
 基本的に、札は全室分用意されている。例え空室であろうと、客が退出した後であろうと。
 7番は空室なのだと、誰もが思っていた。

 「810、820、845……」

 そこで、二つ、札が下りた。

 「900……950……」

 既に、下級貴族が二年は生活出来る額。また、札が一つ下がる。

 「1000」

 千の大台に乗った時、次々と札が下りた。残るは、2番、3番、7番の札。

 (正直、キリが無いな)

 そう思いながら、バルビエの指を念力で操作する。

 「2000」

 一気に、二倍。7番の札が頂点に立つ。
 やがて……3番の札が下りた。少しの沈黙の後、進行役は2番の札を上げる。

 「2010」

 (しつこいっ)

 ついに、最終手段。アクセルは懐の包みを取り出した。

 7番の部屋から、ステージ上に投げ入れられたそれは、がしゃんと音を立てる。僅かに開いた口からは、大粒の宝石が零れていた。
 客席からでも、十分に見えただろう。その輝きが、未練がましく残っていた最後の2番、それに、借金してでも手に入れようかと考えていた客達を黙らせる。

 「他には……ありませんね? それでは、24号と25号の二つ。7番のお客様が、2010エキュー、それプラス現物にて、落札されました。……ありがとうございました」





 「むほほ、なかなか有意義な買い物でしたねぇ」

 肥満体を揺するようにして笑うバルビエ、の中のアクセル。僅か半日の間に、島流しにでもされたかのようにげっそりとしてしまったナタン。

 「エルフが……エルフが……」
 「まぁまぁ、落ち着きなさい。エルフと言っても、ハーフエルフ……つまり、半分は人間なのではないでしょうか?」
 「そうだとしてもっ、エルフはエルフで……」

 やはり、エルフというのは恐怖の対象でしかない。何とかナタンを宥めようとするも、彼は頭を抱えるだけだった。

 「つぅか、バレたらきっと、俺まで縛り首に……」
 「大丈夫ですよ、オークションの主催者だってプロなのですから。ハーフエルフを出すなどという剛毅なことが出来る以上、彼等も相当に根を張っていますねぇ。ナタンさん、いずれは貴方のファミリーも、あれくらいの力をつけて頂きますよ」
 「そうなる前に、死ななきゃいいけどな」

 果たして、あの二人が本当にティファニアとマチルダなのか……。アクセルは未だに、それを疑っていたりする。

 声を潰されているから、返事は出来ないだろうが、貴族の娘なら文字は書けるだろう。
 それに、髪の色や二人の関係を考慮すれば、まず間違いない筈。

 流石にアルビオンも、国王の弟がエルフとの間に子どもを作っていた、などということを、他国に知らせることはないだろう。逃亡した二人が、極秘裏に手配されていたとしても、あくまでアルビオン国内のみ。
 よって、浮遊するアルビオンではなくトリステインにいるのは……と言うより、地上に逃げ出したのは、正しい判断だ。相当な厳戒態勢だっただろうに、どうやってフネに乗ったのか。

 しかし、原作のティファニアは、何故わざわざアルビオンに残っていたのか。彼女自身が復権を狙っていた様子は無かったし、ただ単に脱出出来なかっただけか?
 まぁ、その理由を知る機会は、もしかしたら永久に失われてしまったのかも知れないが。

 新聞の記事で、モード大公とサウスゴータ大守が死んだことは知っていた。連想する形で、ティファニアとマチルダのことも思い出したのだが、特にアルビオンに行く機会も無かったし、何が出来るというわけでもないので、その時は記憶に留めるだけにしておいた。

 しかし……これがもし、原作の流れの一部だというのなら。

 ティファニアは、やがてアルビオンに戻ることになるだろう。どんな理由からか、そんなのは見当も付かないが。
 マチルダは、そんなティファニアや孤児達を養うために、怪盗・フーケとなって金を稼ぐようになり、トリステインの貴族を恐怖に陥れる。よって、マチルダがトリステインにいることについては、特に不思議も無いのだが。

 原作開始までに、声が戻るイベントが発生するのだろう。それはひょっとしたら、自分が治すのかも知れないが。
 しょっちゅう使っているせいか、自分の治癒の腕は相当なものになっている自信がある。まぁ、一番得意なのは自分自身への治癒なのだが。
 しかし……声を奪う技術か。この世界なら、何らかのマジックアイテムか、または何者かによるギアスがかけられている可能性もある。治癒だの回復の魔法だの、そんなものが全く関係ないようなものだったら、自分にはお手上げかも知れない。

 ……ん?

 …………。

 いや……いやいや、ちょっと待て。その前に。その前に、ちょっと。

 何か妙か?
 いや、そうだ、確かに何かが妙だ。

 (……こんな年頃だったか?)

 モード大公が殺された時、確かティファニアはもっと、年齢が上ではなかったか?
 大公が死亡したという記事を見たときは、ああそんなこともあったな、じゃあマチルダもティファニアも、今頃は逃亡中か、と、軽く流していたが……幼い二人に、ふと違和感を覚えた。

 そもそも、アルビオンにおける例の反乱が起きたことの一因が、あのモード大公の事件だった筈。いくら何でも、まだ原作開始までには十年以上あり、そんなに長い間レコン・キスタが動いている筈がない。事実、モード大公死亡のニュースはアルビオンを揺るがしたが、それでも未だアルビオン王室は厳然と君臨している。

 確かに、ここは所詮異世界。あの原作通りとはいかず、多少は異なる部分があってもおかしくないが……それにしても、この違いは大きすぎないか?

 確か、レコン・キスタの背後にいるのはガリア王ジョゼフだった筈だが、そのジョゼフは未だガリア王ではない。先代の……と言うのも妙だが、とにかく国王、つまりジョゼフとシャルルの父親は健在だ。

 バタフライ効果だ何だと言っても、自分の影響が、遙々アルビオンにまで届くものなのか……?

 (まぁ……仕方ないんだけどな)

 そう、仕方がない。原作知識があるとはいえ、既にいくつか違いがある以上、それは参考程度にしかならないだろう。
 結局は、その場その場で対応していくしかないのだ。

 「さて、と……」

 奴隷競売を取り仕切る組織が用意したホテル。アクセル……というよりバルビエは、特別にそこに招待されていた。
 いくら何でも商品が商品である故に、慎重になったのだろう。このホテルの一室に二人を届け、バルビエから現金を受け取った後は、主催者側は一切の責任を持たない。

 「やっぱ怖ぇ」

 ナタンは嫌がり、一人だけ別の個室を取っていた。

 バルビエの為に用意されたのは、離れのような一室だった。庭を突っ切る渡り廊下を渡ると、小綺麗な、茶室のような建物がある。だいたい、平民一家族の家くらいの広さか。

 マチルダとティファニアは、既にその離れに運び込まれていた。眠り薬か魔法でも使われたのか、二人とも、ベッドの上で大人しく寝息を立てている。

 (……まぁ、流石にな)

 今の自分と同じくらいの年齢のマチルダに、妹と言っていい年齢のティファニア。二人とも、将来大変な美女に成長することは分かっているが、この時点ではただの幼女。流石に、身体の一部が硬質化したりはしない。

 時刻は、そろそろ夕飯時。バルビエは夕食を注文し、ボーイに金を持たせて果物を調達させる。女の子の食事量など見当も付かないが、自分だって子どもの胃袋だ。取りあえず、大人と子どもそれぞれ一人分の量を目安にしておいた。
 ナタンは遊びに出かけたらしく、留守だった。

 やがて料理が運ばれてきたが、起こすのも可哀想だったので、自分は一人で食事を済ませ、大人一人分と果物、そして水を、二人が寝ている部屋に運んでおく。

 バルビエの肥満体を、窓の傍の椅子に沈めながら、アクセルはぼんやりと双月を見上げた。

 マチルダとティファニア……奇しくも、善人と判断していい原作キャラと接点を持つことが出来た。が……二人を、どうするか。はっきり言ってしまえば、衝動買いのようなものだったのだ。

 勿論、娼館で働かせるつもりはない。マチルダは、秘書として学院に潜入できるくらいだから、事務仕事の才能もあるだろう。表の文官見習いにするか、裏の情報整理をやってもらうか。ティファニアの方は……未だ、幼すぎる。それに、問題はあの尖った耳。今の自分には、フェイスチェンジなんてものは使えない。

 (まぁ、それは帽子か何かで隠すようにして……。あとは、ナタンだな)

 彼の意識を変えさせないと、どうにもならない。いっそ、アクセルが連れてきた、という風にしてもいいが、リスクが高すぎる。王の弟でさえ殺されるのだから、たかが子爵の息子など、あっという間に潰されるに決まっている。
 それに、今までそういうことをしてこなかった自分がいきなり、「将来有望そうな女の子がいたので、光源氏計画を発動しようと思いまーす」などと言い出しても、怪しまれるのは間違いない。

 (……もっと、エロガキとして振る舞っておけばよかったかなぁ)

 幼い頃から性欲を自覚し、それに対処し続けてきたせいか、どうも、性欲が減退している気がする。まぁ、まだ思春期にも入っていないし、これからどんどん盛り返していくことだろう……と思いたいが。

 東地区の構想は、まだまだアイディアが出し切れてないし、清掃事業もまだ終わらない。無秩序に建てられた家屋は取り壊すとして、新しく長屋のようなものを用意する必要もある。そして何より必要なのは、自分が思い描くものを、現実に作り出せるような能力を持った人材たち。

 (まぁ、初めから全てうまくいく筈もないし)

 やってみたら、ゴロゴロと不都合が出てくる。それに、いち早く対処していけばいい。
 人材についても、作成中の名簿を更に改良していけば……。

 そこまで考えたところで、気付いた。背後から忍び寄る気配に。
 いや、気配と言っても、達人か何かのように第六感が働いたわけではない。

 吐息。足音。衣擦れの音。

 (さて……。起きたか)

 恐らくは、マチルダだろう。こっそりと、背後から近寄ろうとしているらしいが、はっきり言ってバレバレだ。未来の大泥棒とはいえ、今はただの、幼い少女でしかない。

 「……むほほほほほっ!!」
 「!?」

 アクセルは、なるべく大声で笑い出した。
 それに驚いたらしく、忍び寄ろうとしていた少女は、仰け反るようにして床の上に尻餅をつく。金属音が響いた。

 椅子を回し、背後を振り向く。

 唖然とした顔でこちらを見上げるマチルダ。彼女の傍には、料理の皿から持ってきたナイフが転がっている。それで、後ろから首を突き刺そうとしていたらしい。

 (……怖ぇな)

 そんなもので突き刺されるのも怖いが、そんなものを突き刺せると思っているマチルダも怖い。バルビエの首周りは、まだ相当脂肪が蓄えられており、よほど力が要る筈だが、ぶっつけ本番でこんなことをしようとするなんて。

 (ここで、エロいお仕置きとかするのが定番なんだろうけどなぁ……)

 そんな気は、ついに起きなかった。

 (……さて。やっぱ……やらなきゃダメか……)

 内心溜息をつきながら、バルビエの右手を振りかぶる。我に返ったマチルダが、再び襲いかかってきたら厄介だ。まだ驚愕が抜けきらないうちに……。

 バシィッ

 ずんぐりむっくりな右掌が、マチルダの左頬を弾き飛ばした。

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ゼロの使い魔 (MF文庫J)
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