小説『漂流のA(ゼロの使い魔二次)』
作者:権兵衛()

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第二章 朱き夏の章

第6話<舞踏会>









 カランカランと、ドアベルが鳴った。その軽快な音色を掻き消すかのように、ブーツの重厚な足音が響く。

「いらっしゃいま……せ」

 今日最初の客を出迎えた店主は、まず、その高さに驚いた。失礼だったかと自戒するが、彼女は全く気にしていないらしい。
 ゼナイドは左右を見回した。

「マリアンヌ女王陛下御用達の、ボロバドゥールの店だな」
「は、はい」

 確認するように告げる彼女の視線は、冷たいというよりは無機質だ。その目に見下ろされれば、自分が檻の中で観察される実験動物のような気がしてくる。
 ゼナイドは懐に手をやると、小さな袋を取り出し、カウンターの上に落とした。ガシャンという金属音と共に、袋の口から金貨が飛び出す。その輝きが視界に入ると、店主は居住まいを正した。

「パーティーに出るための、ドレス、靴、装飾品……一通り全てを揃えたい」
「一通り?」
「そうだ」
「か、かしこまりました」

 ゼナイドは壁際の椅子に腰を下ろすと、腕を組み、目を閉じる。

「あの、お客様。お好みの色など……」
「任せる」
「はぁ……」

 珍しい……というよりは、不思議な客だった。女性であるからには、好みの色などもあるだろう。それ以前に、自分の要望を様々に告げ、デザインから素材に至るまで十二分に吟味するはずだ。

「……そうだな。絶世の美女、というヤツになりたい」
「はい?」

 素っ頓狂な要望に、店主は思わず聞き返した。








 アクセルの知り合いは、同世代よりも年上に多い。ブリミル教の敬虔な信者ということで、一定の距離を置かれたりはするが、それでも彼は何かと頼られる少年だった。司祭であるが故の口の堅さ、音楽の技術、芸術に関する知識。意外と下世話に通じ、貴族としての苦労に理解がある。密かな金の融通、絵画の鑑定と修復、ブリミル教が絡む案件の相談役……表から裏まで、その頼られ方は多岐に渡る。既に社交界では、ちょっとした顔になっていた。

 ノルド男爵の誕生会に招かれたジュリーは、華やかな大広間の片隅で、窓の外を眺めていた。

「……はぁ……」

 二、三人のダンスの相手になった所で、一人そっと輪を離れた。疲れたわけでも無いのだが、どうにも、それ以上続ける気にもなれない。給仕が運んできたワインを飲みながら、ノルド邸の庭園を眺める。マジックライトの灯火に照らされた、ノルド男爵自慢の庭園は、昼間とはまた違った趣がある。全てが薄暗く染められ、不思議な包容力を持っているように感じられた。
 窓の隅で纏められたシルクのカーテンに、そっと肩を預ける。貴族の嗜みとはいえ、このような場所は苦手だった。剣や魔法の修行の方が、ずっといい。最近、昼間は殆どアクセルに相手になって貰っていた。剣の修練をまともに積んでいる知り合いは、非常に貴重な存在なのだ。少し付き合わせすぎた、とも思うのだが、やはり止めるのは苦痛である。

「……はぁ」

 再び、溜息。誕生会に出席する前に、今日もアクセルに付き合って欲しかったのだが、彼の姿は見つからなかった。彼にだって用事くらいあるだろうに、たった一日刃を交えられなかっただけで、何故ここまで落ち込んでしまうのだろう。

「退屈ですか?」
「え、いえ、そんなことは……」

 背後からかけられた声に、お決まりの弁解を乗せつつ振り返る。そこに、礼服に身を包んだアクセルが、ニコニコと笑みを浮かべて立っていた。

「!?」

 思わず吹き出しそうになり、ジュリーは唇を結ぶ。それでも何とか驚きを飲み込み、腹に納めると、彼女は胸に手を当てた。

「アクセル殿、どうしてここに?」
「助っ人ですよ。ほら」

 彼が指さす方向を辿ると、楽団の演奏席がある。先ほど休憩に入ったらしく、椅子にもぽつぽつと空席があった。

「……全然気付かなかったわ」
「はは、気付かれたらまずいです。僕らはあくまで、背景なんですから」

 音楽が止んだことで、パーティーの招待客達も、それぞれ談笑に移っている。

「それで……やはり、退屈ですか?」

 アクセルは手にしていたグラスのワインを飲み干すと、先ほどの質問を繰り返した。
 退屈で、早く終わらないかと考えていたのは事実である。しかし、この誕生会のスタッフの一人であるアクセルの目の前で、しかも面と向かって、そのようなことを口にしていいものか。口籠もるジュリーだったが、それでおおよそを察したらしく、アクセルはふと笑みを浮かべた。

「本心が退屈なら、仕方ないですよ。気に入る義務なんてありませんし」
「……ごめんなさい」
「いえ、お気になさらず……。でも、料理は絶品ですよ? 特に、あそこのクロエビの蒸し焼きが……」

 相変わらず笑顔のまま、料理を薦めてくるアクセルの様子に、ジュリーは少し安堵を覚える。先日のゼナイドの行いは、既に彼の中で消化されているらしかった。

「……あ、そろそろ」

 楽団のメンバー達が戻り始めたのを見、アクセルは首を伸ばす。

「では、楽しんでいって下さいね」
「ええ。アクセル殿も、頑張って」

 手を振り、彼の背を見送るジュリーの心は、幾分か軽くなっていた。

 やがて、煌びやかな空間に再び音楽が舞い始め、招待客達は次々とダンスの輪の中に紛れていく。
 しかしジュリーは、もうこれ以上踊る気にもなれず、誘われないよう料理が乗ったテーブルへと近づいた。顔が映るほどに磨き上げられた小皿を取ると、先ほどアクセルが薦めていた料理を摘んでいく。皿が下品ではない程度に満たされたところで、彼女は壁際に並べられている革張りの椅子に腰を下ろした。大人達に混じり、アクセルがヴァイオリンを奏でている。
 ダンスを楽しむ客達の間から、途切れ途切れに彼の姿が見えた。一種の風格と呼ぶべきなのか、そんなものが存在した。一人だけかなりの年少であるというのに、不自然には思えない。
 彼の母は、彼の弟を産んでからすぐに亡くなったそうだ。そのことは、アクセルからではなくエレオノールから聞かされている。ふと、何の気はなしにその弟について尋ねてみたのだが、エレオノールは口を濁した。そして、やはりそのことは忘れるようにと言われた。なのでジュリーも、弟のことは知らないふりをしている。

(音楽は、そのお母さんから教えられたんだっけ……)

 瞼を閉じ、微睡むような表情をしていた。決して独走せず、遅れることもない。楽団の一員として、周囲と一体化するかのように弓を動かしていた。
 普段からアクセルと接していて思うのだが、彼にはあの年頃の少年によく見られる傲慢さが無い。腕前や才能をひけらかさず、一歩引いたような位置で、冷静に自分を見つめている。

 アクセルに対し、並々ならぬ興味がわき出していることを、ジュリーは自覚していた。しかし、それが何故なのか、またその興味が行き着く先に思い至るには、未だ彼女は幼い。

 少し、時間が経った気がする。相変わらずアクセルは演奏を続けているが、ジュリーは膝の上の皿が、椅子に腰掛けた時と何一つ変化していないことに気付いた。折角薦めてもらったのだから、と、フォークを伸ばした時、俄にざわめきが起こる。

「ん?」

 フォークを止め、ジュリーは顔を上げた。踊りを眺めていた客達が、殆ど揃って、違う方向を向いている。ジュリーが彼等の視線を追うと、そこには一人の女性がいた。

 名のある大聖堂の倉庫の奥深くで、静かに眠っていた、彫刻のようだった。それほどに、何もかもが整いすぎていた。顔も、黄金の頭髪も、象牙色の足も。美しく、それ以上に荘厳だった。国宝と呼べるような美術品の前で、人々が思わず息をのむように、誰一人として彼女に近づきはしない。誕生会には不似合いな、闇夜の色をした彼女のドレスも、その神秘性を高めていた。人間ではなく、神か悪魔が作り出した自動人形……そのような表現が似合う。
 彼女はにこりとも笑わず、歩を進める。招待客達が自然と道を空け、その存在に気付いた人々も、思わずダンスを止めて見入った。
 周囲の視線など意に介した様子もなく、無人の野を行く彼女が立ち止まったのは、楽団の前。楽団員たちが呆然と手を止めている中、ただ一つ、一個のヴァイオリンだけが歌い続けている。
 アクセルだった。

「…………」

 その女性は、じっとアクセルを見つめる。アクセルの視線は、相変わらずヴァイオリンへと落とされていた。
 音楽が止んだことを咎めるかのように、彼は旋律を荒々しいものへと変える。

 女性は左手でスカートの裾を摘み上げ、軽くお辞儀をしながら、右手を伸ばした。掌を上に向けて誘うのではなく、掌を下へと向けて、誘われるために。

 その手が落ちてしまわないように受け止めた時点で、アクセルは敗北していた。

 ここで彼女の手を受け止めなければ、女に恥をかかせた男になってしまう。しかし、未だ少年のアクセルがそこまでの機微を察せ無かったとしても、特に問題はないのだ。なのにその手を、彼は取ってしまった。

 音楽が途絶えた空間で、アクセルは思わず息をのむ。自らの失態に気付き、自分がまな板の上に乗せられてしまったことを理解して。すると、他の楽団員達が目覚めたかのように演奏を再開した。

(もう……無理か)

 気を利かせたつもりなのだろう、楽団員達が視線で急かす。彼等と彼女、何より自分自身への憤りを自らの内側へと押し包み、顔には照れたような苦笑いを貼り付けて、アクセルはヴァイオリンを椅子に残すと、彼女の手を取りダンスに加わった。
 アクセルは彼女の腰に手を回す。身長差があるとはいえ、規格外というわけではない。
 客達に混じり、アクセルは左足を踏み出した。

「……これでも、一応は司祭なんですけどね」

 客達の囁きが耳に届く。どうやら、この女性がグラモン家の長女であるという噂は、既に広まりつつあった。それすら、ゼナイドが意図的に流したものだろう。
 アクセルの冷たい声を受けても、ゼナイドは無表情だった。そして無表情のまま、謝罪する。

「すまない。ただ、この場で踊りたいと思えるのはお前だけだった」
「光栄です。満足したら、さっさと帰ってくださいね?」
「……怒っているのか?」
「ええ。貴女のようなモノが存在していることに気付けなかった、自分自身に」

 この程度か、と、そう思ってしまっていた。平和ボケの貴族など、と、油断してしまっていた。それがいずれ、例えばこのような問題を引き起こすことを自覚し、自戒していながら、結局はずるずると警戒を低下させてしまっていた。

「そうだ。仮面はどうすればいい?」

 相変わらず彼女の言葉は、アクセルの予想の斜め上を行く。

「……は?」
「あの時、お前が残していった仮面だ。一つしかないのなら、返そうと思ったんだ。今、ドレスの中に隠している」
「………………」

 返す言葉が思い浮かばず、アクセルは黙った。

 覚えのある心情だった。これは、そう、スルトと……メンヌヴィルと遭遇した時のものだ。どうしようもない。

「……お前だ、という証拠は何もない。ただ、私は確信している」

 そう、もう、どうしようも無いのだ。
 例えこれから証拠を全て消していったとしても、彼女に確信された今、全ては遅い。ゼナイドは何としても証拠を見つけ出そうと動くだろうし、そしてそれは実際に証拠を発見するまで続く。

「外へ……行きませんか?」
「構わない」
「では……」

 すっと、二人の身体が離れる。顔に微笑を貼り付けたまま、他の客達の間を縫ってベランダへと向かうアクセルを追い、ゼナイドは後ろ手に窓ガラスを閉めた。
 どこからか、音楽が微かに漏れ出してくる。薄暗いベランダで、ゼナイドのドレスは闇に溶け込み、それが白磁の肌を引き立たせていた。
 アクセルは手摺りの前で、庭園を眺めている。ゼナイドは隣に並ぶと、彼に倣い、双眸を淡い庭園の植え込みに向けた。

「目的は何ですか?」

 単刀直入に問われたゼナイドは、唇を結んだまま、応じない。だが、彼女は応じないまま口を開いた。

「私は何にでも、理由があるのだと思う。それが、存在している理由だ。それはつまり、何かに必要とされている証拠だ」
「…………」
「すまない。私は、口下手だ」
「知ってます」
「聞いてくれるか?」

 アクセルに、聞かないという選択肢は与えられていない。それに気付いているのかいないのか、沈黙を肯定と受け取ったゼナイドは、再び話し出す。

「私が長女として生まれたことにも……私に友人が少ないことにも……私の髪が、一晩に二十サント伸びることにも……全て、理由というものが存在する。その理由が何なのか、大半は分からないままだが……。お前が何故、マザリーニ枢機卿に飼われているのか、それにも理由が存在する筈だ。教えてくれないか?」
「それが、あなたの目的ですか?」
「ただ、知りたいだけだ」
「じゃあイヤです」
「何故?」
「イヤだからですよ」
「……子どもだな」
「ええ、子どもです。だから、あまり虐めないで下さい。泣きます」
「……そんなつもりは無い。……すまなかった」

 思わずアクセルは首を回し、隣のゼナイドを見上げた。謝罪されたこともそうだが、それよりも、か弱い声色に驚かされた。

(まさか……本気で落ち込んでいる? いや、まさか)

 微かに、室内の楽曲が聞こえてくる。それほどに静かになった。
 アクセルは庭園を見つめたまま、ゼナイドも僅かに視線を下げたまま、口を開かない。風が吹き、木の葉が擦れた。
 そのむず痒い音を切っ掛けとするかのように、ゼナイドはそっと、アクセルに身体を寄せる。相手が思わず離れるかどうかの、微妙な距離。結果として、二人は近づいていた。

「ところで、闘争と性交は類似したものだと思うんだが……」
「風見鶏みたいに話題が転換しますね」

 彼女は自らを口下手と評しているが、今それによる被害を最大に受けているのは、間違いなくアクセルだった。会話の主導権を握らせてはならない、そんな存在だ。
 アクセルの抗議に構わず、ゼナイドは更に続ける。

「相手と一対一で、己の全てをかけて衝突する。どちらも、まず触れ合わなければ成り立たないものだ。性交時では愛を語り合うものだそうだが、闘争時は何を語るのか」
「……生憎と、殺し合いの中で育まれる友情とか、そんなのは間に合ってますんで」
「何故だろう。言葉を交わしたわけでもないのに、刃が響くたびに、拳が肉体に突き刺さるたびに……相手のことが、少しずつ明瞭になっていくんだ」
「……会話するつもりあります?」
「私もお前も、あの時、全力を出し切ったりはしなかった。互いにまだまだ、手札を隠している。……もっともっと、お前のことが知りたい。お前に、私のことを知って欲しい」

 アクセルの目的である阿片撲滅は、ゼナイドにとって不都合なものではない。賛同こそすれ、グラモンの不利にならない限りは、妨害などしないだろう。そう、二人の間に敵対する理由など無い。
 彼女が欲しているのはただ、怪人フーケという人材なのだ。

「……マザリーニ枢機卿を捨て、『飛虎軍』の隠密になれと?」
「そうだ」

 アクセルは顔を上げ、ゼナイドを見る。二人の視線が、静かに重なった。

「無理です」
「何故だ?」
「僕は、マザリーニ枢機卿のことは知っています。しかし、貴女のことは知らない」
「……お前も、私との戦いの中で感じた筈だ。私がどのような人間なのか。多少なりとは、その拳で感じ取った筈だ」
「じゃあ正直に言いますけどねぇ。貴女の部下になるメリットが、僕には全くと言っていいほど無いんです。貴女は僕に、何をしてくれるんですか?」
「…………」

 そこで、ゼナイドは腕を組んだ。目を閉じ、居眠るように顎を引く。

 アクセルが枢機卿に仕えるのは、ブリミル教のコネクションを得んが為である。聖堂騎士になるにしても、司教試験を受けるにしても、マザリーニからの推薦は大きな力となってくれる。彼が密かに動く阿片の殲滅も、半分ほどは、マザリーニに恩を売るための行動だった。

 ならば、一体ゼナイドに仕えることは、どのようなメリットをもたらすのか。
 確かに、名門軍閥のグラモンとの繋がりは魅力的だ。だが、それは所詮、お飾りでしかない。王国軍の総帥を務めるといっても、領地の財政は苦しく、借金によって成り立っている状態だ。平時には無用の長物である。戦時になれば話は別だが、そもそもアクセルには、戦の手柄など必要ない。そのような煌びやかなものは、聖職者としてかえって邪魔にもなってしまう。

 アクセルがゼナイドに求めるのは、ただ一つ。“関わらないで欲しい”。それだけだ。
 怪人フーケとの戦いも、その正体も、全て忘れてしまって欲しい。矛盾してはいるが、その条件をのんでくれるのなら、アクセルは協力するに吝かではなかった。尤も、そのような条件を、彼女が自分から言い出す筈は無いが。

「……エレオノールに教えられたのだが……私は、お前に恋をしているそうだ」

 アクセルの瞼が、痙攣したかのように揺れる。脳髄の中を毬栗か海栗でも転がっているのか、頭痛が始まった。
 読めない相手というのは、ひたすらに不気味だ。

「だから、お前のことを欲する余り、お前の能力を過大評価しているのかも知れない。何しろ、初めての心情なのだ」
「…………」
「三つだ」

 アクセルの苦悩など知った風もなく、ゼナイドは最終決定のように自らの言葉を下す。

「三つ、私の願いを聞け」
「それを聞いたら?」
「さあ。それは考えてはいないが、ただ、聞かなければ……怪人フーケの名は、二度と新聞には出ないだろう」
「…………」

 アクセルは腕を組み、庭園を眺めている。だが、その指は憤りで硬直し、眉間には不快そうな深い皺が走っていた。

「確かめたいんだ。お前の実力を」
「……今、この場で……ですか?」

 ふわりと……割れないシャボン玉を内部から押し広げたかのように、アクセルは精神力を膨張させた。傍らのゼナイドが知覚できるような、それくらいの大きさに。

「……やめてくれ。そういうのは……我慢が出来なくなる」

 ゼナイドの鼓動が、僅かに早まる。それは恐怖や緊張からではなく、期待感からだった。

「……いいんだな?」
「癪なので、答えたくありません」

 アクセルのその言葉は、肯定を示していた。

 今は、流されてしまうしかない。それしか道はない。
 いずれこの女の呪縛を断ち切るまでは。

「……ありがとう」

 ゼナイドの、武人とは思えないようなたおやかな指先が、アクセルの頬に触れる。話にも行動にも、脈絡の無い女だ……そう、彼は思っていた。この行動も、その意味を考えるだけカロリーの無駄なのだと。
 その考えがいかに愚かだったか、理解するまで二秒とかからない。

「っ……!!」

 指先で、顎を持ち上げられた。
 ゼナイドの顔が近づいてきた。

 それに驚く間もなく、彼女の唇が、自分のそれに重ねられていた。

「…………」

 アクセルは目を見開き、ゼナイドも、相変わらず目を細めている。

(目を開けたままキスするなよ)

 泥濘にはまった車輪のように回転しない頭は、辛うじてその感想のみを絞り出す。
 六秒して、泥濘から脱した。
 七秒して、気付いた。
 八秒して、静かに怒りが広がってきた。

 十秒して、舌を入れられていることに気付いた。

 ぬちゃりと、自分の身体の中から濡れた音が繰り返されてくる。舌先が、捜し物でもするかのように歯間を丁寧になぞり、かと思えば乱暴に舌に絡みつく。
 口は解放されず、アクセルは鼻で深く呼吸を繰り返す。

「……っふはっ……」

 一体、何秒続いたのか。

 ゼナイドの唇が離れた時、アクセルはバランスを崩し、庭園の手摺りに掴まって身体を支える。彼女は若干呼吸を荒くしながら、それでも一向に変わらず、アクセルを見つめていた。

「……! 何を……!」

 ようやく、自分が怒っていることを思い出せた。
 アクセルは袖口で唇を拭うと、表情を作ることすら忘れ、ゼナイドを睨み付ける。

「出来るのか、出来ないのか。確かめただけだ。出来たということは……やはり、私はお前に惚れているのか?」
「知るかっ……」
「……認めろ、フーケ。私とお前は、似ている。きっと、だからこそ、私はお前が好きなんだろう」

 ゼナイドは踵を返す。

「待て」

 アクセルが呼び止めると、彼女は半身で振り向いた。

「僕と……貴女が、似ている?」
「そうだ」
「ふんっ」

 少年は、にこりともせず鼻先で嘲った。

「成る程。だからこそ、僕はこんなにも、貴女が嫌いなんでしょうね」
「…………」

 ゼナイドは暫くアクセルを見つめていたが、やがてスッと顔を背け、ベランダから立ち去った。


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