小説『漂流のA(ゼロの使い魔二次)』
作者:権兵衛()

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第2章 朱き夏の章

第10話<“大轟”ジュリー・ド・グラモン>







 超えなければならない。
 ゼナイドも、レティシアも……二人とも。

“私は、ギーシュ・ド・グラモンの姉”

 胸を張って、そう言えるようになる為にも。








 メイジであるからには、魔法を使って当たり前だ。百歩の間合いだろうが、十歩の間合いだろうが、メイジは魔法によって戦う。森羅万象を操る魔法は、最高最強の戦闘技能なのだ。

 しかし、その理論では対応しきれない領域は存在する。

 銃を持つ者が、銃口より手前にいる相手に攻撃できないように、杖の内側の範囲は、相手にとっては台風の目なのだ。
 大抵のメイジは、魔法を使用する時、“放つ”というイメージを持つ。それはどこからなのかと言えば、勿論杖の先からだ。つまり銃に例えれば、杖の先は銃口であり、その銃口よりも遠くへしか攻撃できないということになる。
 遠方より、銃弾を回避するような神速の動きで接近し、地雷原のような魔法の範囲をかいくぐり、杖より内側へと踏み込めば、そこは魔法の脅威の及ばぬ楽園だ。そこは自分にとっても相手にとっても、魔法の範囲外。相手の魔法が無効化されるのと同様に、自分の杖も無用の長物となる。

 しかし、起こらないのだ。そんな事は。
 自分も魔法で攻撃し、相手も魔法で攻撃する。それはメイジとしての習性であり、思想であり、倫理であり、或いは矜持である。銃使い同士の戦いと同じだ。相手に近づくことなど考えない。相手により素早く、より正確に、魔法を当てることだけを考える。
 そして結局の所、それが最善なのだ。確かに精神力が尽きれば、魔法は使えなくなる。杖を手放せば、詠唱が出来なくなれば、魔法という技術は発揮できない。しかし、そんな危機など、早々存在するものではない。六千年という途方もない時間、変化することが無かった社会の構造が、それを証明している。
 銃の戦闘と同じく、魔法も大抵、一発当たれば片が付く。当たれば、そこで終わるのだ。

 にも関わらず……ゼナイドは、レティシアは……そしてこの“怪人フーケ”は、魔法を殆ど使用していない。
 彼等は三人、揃いも揃って、まるで別次元の人間だった。魔法の間合いではなく、剣や槍、ナイフの間合いで戦闘を行う。メイジであるにも関わらず、魔法というものを戦闘技能の一種としてしか見ていない。

「邪魔だぁっ!」
「っ……!」

 レティシアの咆吼が、空気を引き裂く。思わず、ジュリーは一歩引き下がり……自らのその行動に、唇を結んだ。
 タンッ、と、フーケは空中へ飛び上がる。レティシアが槍を突き出すが、それをナイフで弾き、フーケは猫のように器用に着地した。

(私は……何を……)

 ジュリーは自問する。すると、あっさりと答えが出た。ジュリー・ド・グラモンは、何もしていない。ただ黙って、フーケとレティシアの戦いを眺めている。手持ち無沙汰を誤魔化すかのように、二人に目を向けている。
 レティシアの先ほどの咆吼は、フーケへのものかも知れない。しかし、ジュリーへのものであってもおかしくは無い。どちらにしろ、無意識に出た、正直な本心には違いないだろう。あそこまで集中していては、余計なことは何一つとして考えられない。例えば、義妹への気遣いも。

 そしてそこまで集中しなければならない程、フーケを恐れている。

 槍とナイフ……どちらが有利なのかは、今更論ずる必要も無い。間合いというものは、それほどの物差しなのだ。

 しかし、レティシアは苦戦している。決して槍の間合いより内側へ侵入させることなく、自らの間合いで攻め続けているにも関わらず、焦燥を覚えていた。

(こいつは一体……何者だ?)

 フーケが、握るナイフを杖として契約しているとして、今の状況はフーケにとって著しく不利な筈だ。
 にも関わらず、その優位を感じ取ることが出来ない。お互い魔法を使用する隙など無く、武器のリーチでは断然に勝っているというのに、打ち勝てる予感がしない。

(まさか、そうなのか?)

 暗殺者であるというのに、怪人フーケの殺しの間合いは、恐ろしく狭い。殆ど、素手で縊り殺すかのような距離だ。
 極力自分の身を安全圏に置き、相手に近付かずに殺害する……それが、暗殺者の理念だろうに。

(こいつは一体、何だ?)

 再び、レティシアは問う。
 怪人フーケは、自分の素手の間合いにて圧倒的な力量を発揮する。それは防御や回避に於いても同様で、その中では殆ど無敵とも言えるだろう。
 当たり前の話、攻撃は相手に届かなければ意味は無い。そしてその攻撃は、例えば空間を跳躍するような神業を使えぬ限り、どうしても、怪人フーケの領域を通過せざるを得ない。しかしその領域を通ろうとすれば、全て怪人フーケに対応されてしまう。
 フーケの攻撃範囲は、恐ろしく狭い。しかし、その攻撃範囲とフーケの間に隙間は無い。

(届くのか?)

 詠唱の隙どころか、瞬きの間に命を落とすような間合いなのだ。
 このまま近付けさせなければ、怪人フーケの攻撃が届くことは無いだろう。決着が付くことは無い。しかしそれも、自分が永遠に攻撃を続けられればの話だ。

(どちらだ?)

 怪人フーケの体格は、決して大きくは無い。しかし体格通りのスタミナならば、とっくに槍に貫かれている筈だ。にも関わらず、その動きが最初と遜色が無いものである以上、最悪の事態を想定せざるを得ない。

「何故だっ!」

 咆吼しつつ、レティシアの槍が飛ぶ。しかし案の定、フーケは刃を寝かせて穂先を弾いた。
 怪人フーケの恐怖を認識したレティシアの心に発生したのは、恐怖でも焦燥でも無く、新米の衛士が燃やす青い正義心の如き、純然たる義憤だった。

「それ程の才能を持ち、それ程の研鑽を積みながら! 何故、それを正しい方向へ使わない!?」

 その言葉の若々しさに、怪人フーケ……アクセルは驚かされる。ゼナイドが武将だとすれば、レティシアは武人だろうか。
 レティシアの槍に何とか対応は出来ているが、決して容易くは無い。完全に回避した筈の穂先が隠密服を掠めるたびに、舌打ちをしたくなる。早く片付けなければゼナイドが復帰してしまうのだが、既に全ては遅かった。

「! 『密葉』」

 アクセルは身体を回転させつつ、空いた左手にマジックブレイドを発現させる。すぐに後悔したが、背後から振り下ろされた長剣は、何とか防ぐことが出来た。
 ゼナイドだった。握る愛剣に、更に力を込める。受け流せないアクセルは、同じく力で対抗するしかない。このまま縫い付けて動きを止め、背後のレティシアに仕留めさせるつもりなのだろう。

 咄嗟に、アクセルは念話を使う。

(レティシアを頼む。“セミオート”だ)
(了解)

 左手にはゼナイド、右手にはレティシア。
 アクセルの眼中に、三女ジュリーは存在しなかった。








 ゼナイドが、腕の骨を杖として契約した……長姉のその発想に戦慄し、畏怖を抱いたジュリーは嘗て、同様のことを試そうとした。
 しかし、確実に契約できる保証など無く、また腕の肉を抉るという痛みに耐えることを不可能だと悟り、敗北感と共に諦めるしかなかった。
 ゼナイドとジュリーが、同じ父と母の遺伝子を引き継ぐ正真正銘の姉妹であると聞いて、人々がまず浮かべる表情は、驚愕である。長身と比例するかのようにはっきりと突き出した胸部、臀部は、ジュリーのそれと明らかに違った。

(自分は本当に、グラモンの血を引く人間なのか?)

 大抵の……とまではいかずとも、決して少なくない子ども達が一度は抱く疑問を、彼女もまた胸に秘めている。そして、それに関する明確な答えは未だ出ていない。

 彼女は今、必死に自らの足に言い聞かせていた。頼むから、動いてくれと。

 ゼナイドとレティシアが、二人で左右から、たった一人の相手を挟み込んでいる。そんな状況で生き残れる人間がいる筈が無い。いや、そんな状況をもたらすような人間すら、想像もしなかった。
 怪人フーケもまた、骨を杖として契約している……その驚愕は、とうに失せていた。
 左手のマジックブレイドでゼナイドの白刃をあしらい、右手のナイフでレティシアの穂先を逸らす。そんな離れ業をやってのける怪人フーケの顔は、ゼナイドへと向けられており、レティシアには見向きもしない。
 怪人フーケが避ければ、突きがゼナイドに当たってしまうかも知れない……その躊躇によって攻撃を緩和しているとはいえ、レティシアの槍を見もせずにいなすなど、考えられない事なのだ。

 だが流石に、怪人フーケも手一杯といった所だろう。
 ここで新たに自分が加われば、刃が届くかも知れない。

(動け……!)

 再び、嘆願するかのように念じる。ようやくその想いが届き、床に根を張ったかのようだった靴の裏が、そっと浮き上がった。
 一度動き始めることが出来てしまえば、後は加速させればいい。

「……ぁああああっ」

 咆吼し、浮き上がった足を少しでも前に着地させる。その勢いのまま、もう片方の足を浮かべた。
 尚もジュリーは咆吼を続け、突進する。もう止まれない。このまま、怪人フーケに衝突するしか無い。

 突然、フーケはそれまで止まっていた足を運び、レティシアに接近する。ゼナイドの薙ぎ払った切っ先が、黒装束の首の部分へ僅かに切り込んだ。一瞬驚いたレティシアは、それ以上接近させないよう、防御姿勢へと切り替える。
 そうして作り出された、刹那の自由時間。怪人フーケは、ジュリーに向かって蹴りを放った。
 斬りかかろうとした彼女は、急いでショートソードの刃に手を添え、腹部を狙った蹴撃を防ぐ。しかし衝撃を受け流すことは出来ず、彼女の身体は三メイルほど飛んだ。

「……!」

 その、たった一度の蹴撃で、ジュリーの決意は砂城のように崩れ去る。
 猛獣たちの殺し合いに飛び込んだ子猫、とでも表現すればいいのだろうか。明らかに、自分は格下と見なされており、また事実その通りだった。自分など、片手間に対処できる、その程度の存在なのだと。
 振り絞ったなけなしの勇気は、あまりにも無意味だった。

「ジュリー」

 再び怪人フーケに刃を浴びせながら、ゼナイドが告げる。

「見誤るな、自分の力を」

 それは紛れもない、戦力外通告だった。ジュリーの剣技で対抗できる相手ではないと。

「……わかったな?」

 唇を結び、暫く静止していたジュリーは、やがて踵を返し、どこかへ走っていった。

(脱落か)

 アクセルは冷徹に把握する。彼女とは何度か刃を交えたが、特に問題になるような腕前とも思えなかった。
 しかしいくら何でも、ゼナイドとレティシアを相手に手一杯のところへ加わられれば、やがてこの防戦は破綻する。ジュリーの脱落は、アクセルを安堵させる類のものだった。

(しかし……この状況、さっさと何とかしないと……)








 わかっていた。
 ゼナイドとレティシアのレベルに比べれば、自分の戦闘能力が遙かに下だということは。いくら剣技を磨こうが、恐らくあの二人には、永久に敵うことは無いだろうと、そう感じていた。
 だからといって、素直に尊敬一色を向けられるほど単純な心情ではない。

 館の外に出ると、冷たい風が髪を梳いた。その風が、彼女の中に渦巻く憤りを僅かに慰めてくれる。

(見誤るな、自分の力を……)

 ゼナイドの言葉を、ジュリーは反芻する。
 ほんの少し収まった筈の熱が、再び膨らんできた。それは彼女自身、あまりにも幼すぎると思わずにはいられない、稚拙な憤慨。

 お前のことは理解している、と言わんばかりの、長姉の言葉。それが癪に障る。
 理解できる筈が無いのだ、自分のことなど。姉のゼナイドに、妹のジュリーの心など理解できる筈が無い。

 背が高く、強く、美貌まで兼ね備えた完璧な女。そんな全てを手にしている者に、手にしていない者の気持ちなど想像できる筈が無い。

 もしも、ゼナイドが小さければ……

 もしも、ゼナイドが弱ければ……

 もしも、ゼナイドが醜ければ……

 ゼナイドはそれでも、ゼナイドのままでいられるだろうか。
 否、と、ジュリーは断じる。

 沸々と、沸き上がる。火炎に晒された鍋のように。コポコポと、音を立てて騰がる。
 その全てを、ジュリーは杖に込めた。

(見せてやるわ……)

 己の中に溜まり、そして高まりきった全てを、怪人フーケに向ける。彼女はそう決めた。








「『地下水』か」

 ゼナイドにそのことを指摘されても、アクセルは驚きを表さなかった。
 その静けさから、『地下水』という呼び名を持つ伝説的傭兵……正体は、意志を持つ短剣、インテリジェンス・ナイフ。握った者の意志を乗っ取る力を持ち、また杖として魔法も使用できる。
 その『地下水』に身体の制御権を分け与えることで、左右からの攻撃に対処する。

「レティ。足下から伝わる“重さ”で行動を読むのは諦めろ。こいつは、自分自身に『ライトネス』や『ヘヴィネス』をかけられる」

 そう……徐々に、徐々に。

「レティ。『ミツバ』で斬撃、『ケンダマ』で拳がくる。『バンジャク』は防御魔法だ。『イブキ』は、ただ吹き飛ばされるだけだな」

 浸食するかの如く、ジワジワと。
 “怪人フーケ”が……アクセルが、丸裸にされていく。

「『密葉・獣爪』」

 五本の指から、爪のように歪曲したマジックブレイドを発現させる。それで斬りつけるが、読まれ、ゼナイドの刀身に阻まれた。

「……チィッ」

 思わず、舌打ちが漏れる。咄嗟にマジックブレイドを掻き消し、身体を反転させる。レティシアが放ってきた『フレイムボール』を、『地下水』の刃で力任せに打ち上げた。が、まるでバレーボールのように、ゼナイドがそれを風で打ち返す。防御しようとしたアクセルだが、その火球を両断するようにして、ゼナイドの腕による『マジックブレイド』が襲いかかってきた。

「!」

 『フレイムボール』か、『ブレイド』か。どちらに対応すべきか迷いが生じて、行動が遅れる。ひとまず『密葉』でゼナイドの刃を受けるが、『フレイムボール』を浴びてしまった。

「ぐあっ……」

 呻きは、火炎によるものだけではない。間髪入れず繰り出されたレティシアの槍が、左肩の肉を抉った。

「……『凝縮』」

 床を転がり、二人から可能な限り距離を取ると、空中に水を集めて黒装束の火を消す。壁を背にしつつ、左肩に掌を当てて『治癒』の魔法を使った。
 牽制のために左手で握る『地下水』から、『念話』が届く。

(ちょっと、大丈夫?)
「……フゥゥゥゥ」

 答える代わりに、浅く、長く息を吐き出す。

 進退窮まる……というわけではない。だが、集中力に綻びが出てきたことも確かだ。
 ゼナイドもレティシアも、自らの得物のサイズを正確に把握しており、屋内でありながら自由自在に振り回している。身体の左右を別々に操縦するような、小手先の技術で防ぎ切れるものではなかった。

「そろそろ……余裕も切れたか?」

 あくまで無表情に、しかし挑発するかのように、ゼナイドが首を傾げる。軽口の一つでも返してやろうかと考えたが、止めた。ダメージがあることを印象づけた方が良い。
 傷に応急処置を施し、アクセルは右手を手刀に変えた。それを受け、目前の二人も構える。

「…………」

 身体を前に傾け、今にも向かってくる……その姿勢を取った刹那、アクセルは左手の『地下水』を持ち替え、ゼナイドに向かって投げつけた。一瞬、『地下水』から抗議の念話が届いたが、無視する。アクセル自身は、レティシアへ向かっていった。

「『密葉』ぁ!」

 叫び、右手にマジックブレイドを形成する。袈裟懸けに振り下ろされたそれを防ごうとするレティシアだったが、槍と刃が交差する寸前、それは幻のように掻き消えた。
 ブラフであったことに気付いた時には、既にアクセルはもう一歩を踏み込んでいる。掌が丸め込まれ、拳となった。

「『拳弾』!」

 この夜初めて、拳がクリーンヒットする。感触からして鎖帷子を着込んでいるが、斬撃とは違い、内側にもダメージが通った筈だ。

「ぐっ……!?」

 レティシアの動きが止まり、身体が折れる。狙い通りに頭が下がり、そしてその顎先を、アクセルの右拳が掠める。彼女の顔が、ぐるんと傾いた。右拳を振り抜いた勢いのまま、回転を増し、左肘を。更に駄目押しに再び右拳で顎を掠め、ゼナイドに向き直った所で回転を止める。
 背後で、意識を刈り取られたレティシアが崩れ落ちた。

「誰ノ余裕が……何だっテ?」

 『地下水』を弾き飛ばしたゼナイドが、長剣で襲いかかってくる。床を滑るようにして避けたアクセルだが、彼女は追撃することなく、レティシアを抱え上げた。
 一瞬……ほんの一瞬、このまま帰ってくれるのではないか……そんな淡い期待が、アクセルの胸に宿る。しかし、あり得ないと彼自身が否定した。

「そろそろ、ジュリーの番だな」
「何……?」
「『錬金』『アースハンド』『錬金』」

 間髪入れず、ゼナイドは高速詠唱を行う。
 初めの『錬金』によって、床板が土に変えられた。次の『アースハンド』により、アクセルの両足が固定される。最後の『錬金』が、土の手を鉄に変化させた。

「!? しまっ……」
「生き残れよ」

 無責任な捨て台詞と共に、レティシアを抱えたゼナイドが窓から飛び出す。

 窓の外に、巨大な何かがあった。

「…………!?」

 それがゴーレムであると気付いた時には、既に遅い。
 巨大な岩のゴーレムの身長は、既に邸宅と並ぶ程だった。それが、巨大な岩の腕を振り上げ、続いて振り下ろしてくる。

「『盤じっ『錬金』!」

 いくら何でも、この重量は規格外過ぎる。咄嗟に防御用の詠唱を行おうとしてしまったことで、更に時間は失われた。足首を掴む鉄の手を土に変化させた時、天井が砕ける。

「潰れろぉぉぉぉ!!」

 ジュリーの雄叫びは、すぐに明瞭に聞こえた。

(……ふざけんな)

 目前に迫る岩の拳を睨み付け、アクセルの顔には、図らずも笑みが浮かんだ。

(ラインクラスのくせに……こんな、トライアングルクラスのゴーレム作れるんなら……ちまちま剣術なんて……)








 さながら、人形の家を壊すかのようだった。
 長年ろくな手入れがされていなかった邸宅は、この機を逃さぬとばかりに、連鎖的に崩れ始める。ゼナイドは気を失っているレティシアを庇うように立つと、崩壊する館と、崩壊させるゴーレムを見上げた。

 『クリエイトゴーレム』に於いてこれ程の才能を持ちながら、何故ジュリーはあそこまで頑なに、剣術に拘るのだろう……一瞬、そんな疑問が浮かぶ。

「はああぁぁぁぁ!!」

 再び、ジュリーの雄叫びが轟く。沸騰した精神力を残らず注ぎ込む、文字通り渾身の御業。巨大なゴーレムは軽く飛び上がると、拳を叩き付けた場所……“怪人フーケ”がいるであろう場所に向かって、尻餅をつく。地響きと共に、辛うじて残っていた柱や壁が崩れ落ちていった。

「…………」

 全ての力が、あの二発に凝縮されている。創造者の願いを叶え、役目を終えたゴーレムは、ガラガラと土へと還っていった。その小山の頂上で、ジュリーは倒れ込んでいる。本当に、一滴残らず精神力を使い果たしてしまったのだろう。

「……よくやった。ゆっくり休め」

 返事が返ってくる筈もなく、聞こえている筈もない。だがゼナイドにとって、それは大した問題ではなかった。ジュリーこそが、切り札だった。
 今、ジュリーは倒れ、レティシアも倒れた。残るは、自分一人だけ。

「…………」

 ゼナイドは『フライ』を用いて飛び上がると、残骸の海に降り立つ。漆喰の白い壁にのし掛かられている、黒装束の男は、すぐに見つかった。
 動く気配は無い。
 彼女は用心深く『レビテーション』を用いると、漆喰の壁を横に転がした。黒装束なので色は目立たないが、べったりと濡れている。漆喰の壁に血の跡がつき、周囲の板きれにも血が飛び散っている。傍らには血塗れの仮面が転がり、何より、彼の左手と左足は、あらぬ方向へとひん曲がっていた。

 ゼナイドはそっと跪き、掌を地面に寝かせる。

「……!?」

 鼓動は伝わってこなかった。出血も止まっている。いや、血の巡り自体が止まっている。

「……アクセル!」

 そんな筈は無い、という直感があった。
 もしも自分が今の攻撃を受ければ、どんな大怪我を負ったとしても、生き残ることに全力を掛ける。また、そうして生き残る自信がある。
 ならば、アクセルも生き残れる筈だ、と。

 傍目には、あまりにも自分勝手な理論。
 しかし、彼女は道理や証明を必要としてはいない。ただ、己の直感だけを見据えていた。
 だがその直感を信じていれば、待っただろう。アクセルが起き上がるのを。ゼナイドに落ち度があるとすれば、動揺してしまったことだ。

 アクセルの傍らに駆け寄るゼナイドは、彼の右手が、『地下水』を握っているのに気付く。しかし気付いた時には、既に次の一歩を踏みだそうとしていた。

(間に合わない……)

 ゼナイド自身、そう感じた。

 アクセルの身体が、風で僅かに浮き上がる。右足の指が地面を掴み、そしてその身体を弾き出した。
 急停止したゼナイドの脇腹を、『地下水』の刃が深々と切り裂く。鎖帷子が砕ける、耳障りな金属音が瞬いた。血飛沫より先に飛び抜けたアクセルの身体は、そのまま三回転ほど転がり、仰向けに倒れ伏す。彼の視界の端で、血の吹き出す脇腹を押さえたゼナイドが、その長身を土煙と共に横たえるのが見えた。

「…………」

 荒い呼吸を繰り返す。アクセルは震える手で腰の小瓶を抜き出すと、中身を一滴も逃すまいと、口に含むようにして飲み干した。
 治癒の力を極限まで高めた秘薬。胃から体中に広がり、傷ついた身体を癒してくれる。『治癒』の魔法と併用すれば、更に効果は上がった。

「……ふぅ」

 左手、左足が動くことを確認して、アクセルは一つ息を吐き出す。刃に付着した鮮血を拭っていると、『地下水』が念話で話しかけてきた。

(……殺すしか……仕方がなかったわ)

 どうやら、“彼女”なりに慰めてくれているらしい。少年の顔に、笑みが浮かんだ。

(その……よりによってこの場所で、しかも女を殺す、っていうのは……やるせない気分でしょうけど……)
(……ごめん。無理に鎖帷子を斬ったせいで、刃こぼれした)
(だ、大丈夫だって。すぐに直してくれるんでしょ?)
(……悪いけど、すぐは無理だ)
(え?)

 アクセルの笑みは、いつの間にか皮肉の色に染まっている。

(……今気付いたんだけど、一つだけだったんだよ)
(え? 何が?)
(回復薬。二つ残しておいた筈なのに)
(……!)

 『地下水』も、気付いたらしい。
 アクセルは溜息を一つ漏らし、膝に手を当てると、立ち上がった。

(何時の間に、って……聞きたいけど……)

 振り向く。
 同じく立ち上がっていたゼナイドが、小瓶を投げ捨てた。口を拭い、軽く首を鳴らす。既に脇腹の傷口は、完全に塞がっていた。

(それを聞いたら……負けだよな……)

 向き合った二人は、何の気負いも無い足取りで、互いの距離を詰めていく。

 上着と共に、ゼナイドは武器を捨てた。鎧や鎖帷子を脱ぎ捨て、中着も脱ぎ捨てる。そうして上半身は、下着のみとなった。

 アクセルはフードを外し、黒装束の上を脱ぎ捨て、上半身を露わにする。

(ごめん)
(え?)
(もし、僕が死んだら……勝手だけど、皆を頼む)
(ばっ、馬鹿言わないでよ! アンタが死んだら、誰があたしの身体を作っ……!)

 念話を打ち切り、傾いた柱に『地下水』を突き立てる。

 そうしてアクセルとゼナイドは、寸鉄も持たぬまま、ついに拳の距離にまで近付き……そこで停止した。

「……二人きりだな」
「……ああ」

 ゼナイドの言葉に、彼は軽口や皮肉ではなく睥睨を返す。

「ゼナイド」
「何だ?」
「本気で、この距離で……僕の距離で戦うつもりか?」
「ああ」

 些かの躊躇いも無く、彼女は答えた。ざわり、と、アクセルの心が沸き始める。

「……言っておくけど……絶対無理だ。……烏滸がましいぞ、“鉄人”ゼナイド」
「心配はいらない。私の拳は、“大樹”をへし折る。私は、お前に勝つ」

 剣を使えばいい。
 魔法を使えばいい。

 審判も、レフェリーも、観客もいない。何をしようが、咎める者などいない。反則の笛は鳴らない。
 だが二人とも、知っていた。生後間もない赤子が、自力で母の乳房を見つけ出すように。

 この戦いは、誰のものでもない。二人だけのものだ。
 二人とも、勝ちたがっている。相手を敗北させたがっている。
 その“果”を得るために、これは、避けられない“因”なのだと。

「……死ぬぞ」

 アクセルは視線を外し、呟く。その何でもない一言で、ゼナイドの肌は粟立った。
 “この距離”で戦い続け、勝ち続けてきた存在の言葉なのだ。何の根拠もない戯れ言などではない。寧ろ、何よりも確かな予報と言えた。
 それでも……ゼナイドに退の字は無い。

「お前が……か?」

 ゼナイドはアクセルを見下ろした。



 繰り返し繰り返し

 どんなに傷つこうが

 どんなに傷つけられようが

 飽きもせず

 腐りもせず

 ただひたすらに

 何度も何度も

 決して諦めず

 決して満たされず

 ただただ

 “その時”の為だけに



「……いいんだな?」
「……構わないんだな?」

 先に動いたのは、ゼナイドだった。左足を前に、右足を後に。拳も同じく、顎の傍で。一見窮屈そうに、肩を縮めて。

 ぱぱぁんっ……小気味良い音が響いた。

「……!?」

 パンチを受けたアクセルの顔が、歪む。ゼナイドは小さく、確認するように呟く。



------------------あしたのために、その1。=ジャブ=
 攻撃の突破口を開くため……左パンチを……この際、肘を左腋の下から離さぬ……



------------------あしたのために、その2。=ストレート=
 ……突破口を見出せばすかさず右ストレート……
 右拳に全体重を乗せ……ぶちぬくように……



 ゼナイドの右拳が、文字通りぶち抜くように、アクセルの顔面を弾いた。

(これは……まさか……!?)

 瞬時に右足を踏みしめ、アクセルは左拳を向ける。が、すぐにその浅はかさに気付いた。



------------------あしたのために、その3。=クロスカウンター=
 “打たせて打つ、肉を切らせて骨を断つ相打ちの必殺パンチ”
 十字型にクロスの交差をさせ……相手の腕の上を交差した自分の腕が滑り……三倍、四倍の威力を……



 アクセルの左拳が、ゼナイドの頬を捉える。が、その上から滑るようにして、ゼナイドの右拳が襲ってきた。

 ゴッ……

 鈍い音と共に、アクセルの首が回る。ぐらりと身体が揺れ、膝をついた。

「……心配するな。私も……“嗜んで”いる」

 ゼナイドはじっと、少年を見下ろしていた。

「アクセル・ベルトラン。言い忘れていたが、私は痛みを感じない。そしてもう一言、言わせろ……」

 アクセルは首筋をさすりながら、地面に唾を吐くと、立ち上がり、ゼナイドを睨み返した。
 そして初めて、彼女の表情が劇的な変化を見せる。

「……本気で来やがれっ、小僧!」



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