小説『漂流のA(ゼロの使い魔二次)』
作者:権兵衛()

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第二章 朱き夏の章

第13話<コロびイきるモノ>







 自分が何故生きているのか。彼女は最近、いや、かなり以前から、そう考えるようになった。
 自分が、大いなる意志の元に動いていることは知っている。いや、違う。動いてなどいない。ただ、耐えているだけだ。唇を噛み締め、体中を強張らせ……必死に、虚勢を張っていた。

 地震が起きて棚が倒れ、その下敷きになれば、自分は死ねるだろう。
 こぼれ落ちたナイフでうっかり手首の動脈を裂けば、自分は終われるだろう。

 しかし……彼女には、それが出来なかった。

 “そういうこと”を命じられる為に存在する娘ではなかった。ただ、最も信頼できる者として、関係する者達が白羽の矢を立てたに過ぎない。身体を鍛えていたわけではなく、拷問に耐える訓練を受けていたわけでもない。それでも、彼女は選ばれた。選ばれてしまった。

 任務は、ただ一つ。その小さな身体に課せられた宿命は、ただ一つ。ただ一人の男子の傍に侍ること。

 彼女は、大いなる存在への献身……始祖への敬愛によって、即座に引き受けた。何をするのか、など問題ではない。最も大切なのは、何のために、ということだった。
 だからこそ、と言うべきだろうか。彼女は己で受け入れた任務の重さに、今にも押し潰されそうになっていた。



「…………」



 覚醒した彼女は、先ず時計を見る。何よりも早く、それを行わなければならなかった。真新しい、この部屋の主と同じ年齢の時計が示す時刻は、早朝。一瞬、焦りで汗が噴き出したが、それが自分の勘違いだと悟る。まだ、“彼”の帰宅までには十分な時間がある。
 ベッドの傍らに脱ぎ捨てられている、己の下着を手にすると、同衾の男を起こさぬよう静かに出、手早く身につける。こうやって下着を身につけるのも、かつての友人達と比べると随分早くなったものだ。恐らく今なら、朝の身支度で自分が遅れを取ることなど無い。
 しかし……かつての友人達は、未だ、こうなってしまった自分を友人として受け入れてくれるだろうか。

 葡萄色の頭髪を、白花の髪留めで結い上げる。昨夜身体を重ねた男は、未だ目を覚まさない。いや、覚ましたところで、彼を出迎えようなどとはしないだろう。昨夜も、随分と遅くまで付き合わされた。

 彼女はそっと、屋敷の誰にも気付かれないように部屋を出、廊下にかけられた大鏡の前に立つ。メイド服に異常は無い。未だ幼さの残る顔に、化粧は必要なかった。

(……よし、大丈夫)

 そっと、だ。そっと……小川のせせらぎが、いつの間にか大河と交わっているかのように、彼女は朝の業務に混じる。メイドや使用人達が起き出し、忙しなく動いていた。
 屋敷の主は、相変わらず家を空けており、そう簡単に戻りはしない。その第一子も、同じく。この屋敷は普段、第二子の為だけに存在している。いくら広めの屋敷とはいえ、そこまで使用人達が動く必要など無いのだが、この日は別だった。第一子の、一ヶ月ぶりの帰宅である。
 メイド達に混じり、彼女も食器の用意を始める。王都トリスタニアの料理には及ばないだろうが、それでも遅い朝食に備え、使用人達は明け方から狩りに出かけ、森で兎や鳥を仕留めて来た。精製された肉を、コックが鼻歌交じりに焼いている。特製のマガンダンソースが焦げる香りが、食堂にまで流れてきた。思わず、メイド達は顔を見合わせて笑い合う。彼女もまた、はにかみながらスプーンを並べた。
 普通なら、使用人が仕える貴族と共に食事をするなど、あり得ない。しかし彼は、寂しがり屋なのだ。父は滅多に帰らず、母も既に他界している。大きなテーブルで、ぽつんと一人分だけ用意された食器に、悲しそうな顔を見せる。寧ろ、共に食事を摂りたいと求めたのは、彼の方だった。

 馬車の到着は、春の訪れのように、誰からともなく伝わった。使用人達は肩を叩き合いながら、メイド達は談笑しながら、ぞろぞろと玄関へ向かう。二頭の馬が牽引する最新式の馬車が、御者の命令に従い、玄関の前に停止した。馬たちが鼻を鳴らし、首を振る。
 ドアが開いた。と同時に、中の少年は、直接地面に飛び降りる。そんな子供じみた仕草は、年相応と言えた。若草髪を揺らしてバランスを取り、外の空気を吸い込むかのように、その場で思い切り伸びをする。そしてそのまま、満面の笑みで、集まった使用人達を見回した。

「ただいま、みんな」

 花が咲くような笑顔だった。使用人達に先に挨拶されるより、自分の挨拶に返して貰う方を喜ぶことを、彼等も熟知している。堰を切ったかのように、皆が少年の周囲に歩み寄って行った。

「お帰りなさいませ、アクセル様」
「お帰りなさいませ。お荷物を……」
「ただいま、エルヴェ。ジェービス、ありがと。……ラムベール、また太ったのか?」
「違いますよ、坊ちゃん。ただちょっと、横に成長しただけですって」

 ある者は荷物を持ち、ある者は彼の手を引き、ある者はただ傍にいる。
 集まってくる皆に、嬉しそうな、困ったような顔をしたまま、アクセルは屋敷へと入っていく。

「……ただいま、アドレ」

 すれ違う時、彼女にも声が掛けられた。
 “とある理由”により、アクセルが彼女……アドレに対する時には、他の使用人達とは雰囲気が異なる。それがまるで特別扱いのようで、彼女には嬉しかった。

 アクセルが部屋着に着替え、皆が揃っている食卓に座れば、無事の帰宅を祝う小さな宴が開かれる。この時ばかりは無礼講で、次々にワインやリキュールが空けられ、朝食とは思えない程に豪勢な料理が並ぶ。

「それでしょうがないから、俺がこいつを引っ張ってやって……」
「逆だ逆! お前がベソかいて、俺の腰にしがみついたんだろ!」

 使用人達の笑い話に聞き入り、共に笑いながら、アクセルは杯を重ねる。またアクセルも、王都での土産話を存分に披露し、それを肴に更に飲む。一体、この小さな身体のどこに収納されていくのか……疑わしくなる量だった。

 そして宴もたけなわとなった頃、アクセルの一言で、その場が嘘のように静まりかえる。

「あ、アレク。ただいま」

 ある者は気付かない振りをし、ある者はそちらに目を向ける。
 食堂の入り口で、一人の少年がじっと中を覗いていた。
 初めて見た者なら、その少年の年齢も、アクセルの弟であるということも、到底信じられないだろう。生まれる前から恐ろしい程の速度で成長し続けた彼……アレクサンドル・アンブロワーズの身長は、既に兄であるアクセルを追い抜いていた。
 アレクサンドルはほんの数秒で、顔を背け、その場から立ち去る。一瞬、アクセルへと向けられたその視線には、嫌悪の色がはっきりと表れていた。
 重苦しい空気を和ませようとするかのように、アクセルは苦笑いを浮かべ、ワインを注がれたグラスを回す。

「相変わらず……照れ屋だねぇ。あいつは」

 それが、少年の精一杯の虚勢であることを、その場の誰もが理解していた。





 帰宅の宴が一段落すると、アクセルは決まって自室に籠もり、机に向かう。彼がマザリーニ枢機卿と懇意なのは周知の事実であり、彼がブリミル教についての文献や論文に没頭する事も、不思議だとは思われない。

「……失礼します」

 部屋の主の許可を待ってから、アドレは左手でノブを回した。右手は、ハーブティーとカップが乗せられた盆を支えている。
 いつも思うのだが、彼の自室は、寝室と言うよりは書斎である。いつも本に囲まれて眠り、暇さえあれば読み返す。屋敷の書庫には既に、この数倍の量の書物が収められていた。

「ちょっと待っててね。今、片付けるから……」

 アクセルは開いていた本に手早く栞を挟み込むと、部屋の中央にある小さなテーブルの上を、本来の役目を果たすことが出来るように片付ける。そうして小さな椅子を、アドレに示した。

「失礼します」

 盆をテーブルに乗せ、アクセルの向かいに腰掛ける。ポットのハーブティーを二人分注いでいると、アクセルが小さな包みを取り出した。
 視線で尋ねるアドレに、彼は微笑みながら包みを開く。中には、色鮮やかなクッキーが詰まっていた。

「王都のお土産。クッキーなんだけど、ジャムがついてるんだ。他にも、乾燥させた果物とかが乗ってて……さ、食べよう」
「よろしいんですか?」
「勿論」

 アクセルが帰宅した日には、殆ど必ず、このお茶会がある。他の誰も交えない、アクセルとアドレ、二人だけの。

「……それで、どうかな?」

 ハーブティーを一口減らしたところで、少年は早速本題に入る。

「学業の成績については、問題ありません。ですが、魔法は……まだ……」

 本題とは、弟のアレクサンドルのことだった。
 思春期の息子との接し方を模索する父親のようだ、と、アドレはアクセルについてそう感じる。本当の父親であるラヴィス子爵が不在である以上、兄である彼がそうなるのは不思議なことでは無いのかも知れない。

 元修道女のメイジであり、アレクサンドル付きのメイドが彼女、アドレだった。彼女はアレクサンドルの世話を任され、この屋敷で最も彼をよく知る人物である。アクセルと距離を置くアレクサンドルの情報、その殆どを、アクセルは彼女に頼っていた。

「……そうか」

 一通りの報告を聞き終えたアクセルは、微笑を浮かべたままだ。前回の茶会でも、自分はほぼ同じ内容の報告をしなかったかと、アドレは今更ながら気付く。これではただ、クッキーを食べながらお喋りをしただけだ。

「…………」
「どうかした?」

 気まずそうな表情をしていた為か、アクセルに尋ねられた。一瞬、何でもないと答えようとしたが、彼女は疑問を持ち出す。

「あの、アクセル様。私には、兄弟はいないのですが……」

 慎重に言葉を選ぶ。彼ならば、少々の無礼は笑って許してくれるのだろうが、例えほんの少しであろうと、気分を害するような真似をしたくはなかった。

「やはり、大切なのでしょうか」

 そう口にしてしまったと同時に、アドレは己の愚かさを呪う。慎重に言葉を選ぼうとしたのだが、これでは、アクセルがアレクサンドルを見捨てないことが疑問だ、と言っているのと同じだ。
 そしてアクセルは、言葉の裏を察する。

「……僕もアレクも、同じなんだ」

 果たして、それに本心から同意してくれる使用人は現れるのだろうか。

「ただ、僕は……運が良かっただけだ。やってみたことが、たまたま上手くいった。それだけなんだ。アレクはただ、運が悪かっただけだ。成功の喜びを知らないだけだ。運悪く、アレクは逆境が続いた」

 変わらぬ微笑みのまま、アクセルは静かに語る。今、彼の脳裏にはどんな光景が浮かんでいるのか。どんな思い出が流れているのか。

「……ありがとう、アドレ」
「え?」
「アレクの傍にいてくれて。みんな、悪い人間じゃないんだ。でも、アレクが嫌われているのは……正直、辛い」
「…………」
「君のお陰だ。アレクが、独りぼっちにならずに済んでいるのは。……本当に……ありがとう」





「なぁ。何を話していたんだ?」

 年齢に不相応な、男を感じさせる掌が、胸元へと差し込まれる。

「答えろよ、アドレ……。アクセルと、何を話していた?」

 唇の端を歪めながら、アレクサンドルはその手を更に、アドレの衣服の裏側へと深めた。
 彼は決して、アクセルを兄とは呼ばない。
 アドレは必死に掌で口元を覆い、吐息すらも漏らすまいと耐えていた。

「なぁ、アドレ?」
「っぁ……?!」

 力強い五本の指が、鷲の爪のように、彼女の膨らみを握る。ついに、声が漏れた。それと同時にアドレの手から、クッキーの包みが零れ落ちる。彼女の手からアレクサンドルに渡すよう、アクセルに頼まれた土産物だった。
 それを急いで拾い上げようと、アドレはアレクサンドルの手を振り払う。が、包みを僅かに引っ掻いただけだった。すぐにまた腕を掴まれ、自由を奪われる。

「俺には……言えないことか?」

 先輩の使用人達の話では、アクセルは早熟だったという。
 そしてそれは、アレクサンドルにも言えることだった。

「ん?」

 ようやくアレクサンドルは、落下した包みを見つける。

「何だ、それ?」
「お……」

 彼女の素肌に触れる指は、尚も止まない。荒くなった息を整えようとするアドレが、途切れ途切れの声で答えた。

「お兄……様……からの、お土産……で……」
「…………そうか」

 たった一言、それだけを返すと、アレクサンドルは包みの上に左足を落とす。踵によって踏み潰された包みから、ジャムが滲み出した。まるで己の手を踏み潰されたような悲しみに襲われ、アドレは唇を結ぶ。
 何故、こんなことをするのか。人の心を読むことなど不可能だが、恐らく、大した意味など無いのだろう。ただ、アクセルが気に入らないから。坊主の袈裟を憎むように、彼に関わる全てが嫌いなのだ。
 自らの処女を奪ったものが、臀部に押し付けられている。アドレはただ、行為が終わった後のことを考えるようにした。

 アレクサンドルは、アドレの拒絶に気付かない。いや、気付いたとしても、女特有の建前だと理解するだろう。
 人の気持ちを理解しない……いや、他人の立場に立って考えるという能力が、欠如した男なのだ。
 彼の成長速度は、当然のこと周囲に気味悪がられた。本気で信じている者はいないだろうが、母オデットの命を吸い取って生まれてきたとも言われる。オデットは、アレクサンドルに殺されたのだと。

“運が悪かった”

 アクセルはつい先ほど、弟をそう評した。ひょっとしたら、その通りかも知れない。
 ラヴィス子爵家の使用人達は、基本的に年若い。彼等にとって、ラヴィス子爵家が初めての主で、アクセルが初めての赤子だ。漠然と、自分たちの就職先が恵まれているとは知っているが、他の貴族家で使用人達がどのような扱いを受けているのか、はっきりと理解していない。
 彼等にとって貴族とは、温厚なオデットであり、次に人懐こいアクセルなのだ。オデットを犠牲にして生まれ、アクセルに冷たく当たって育つアレクサンドルは、勿論のこと慕われはしなかった。皆、使用人としての義務は果たしても、それ以上のことはしなかった。

 それでも、アクセルは見捨てなかった。
 どんなに避けられても、どんなに嫌われても、アレクサンドルを庇い続けた。

 アレクサンドルが内政に興味を示した時、アクセルは彼に領内の村の一つを任せた。彼が行ったのは、税金の引き下げ。それは確かに素晴らしいことだったが、村の民衆は喜ばず、また最初は喜んだ者も、やがて喜ばなくなった。
 ラヴィス子爵領の住人に課される税金は、確かに近隣に比べて高い。それでも人口が増加し続けているのは、住人に安心と保障を与えているからだ。正式に代官となったリーズの手腕もあり、税収は厳しく監査され、汚職を行う隙が無い。治安維持部隊の活動、インフラ整備に使用された税金は、矢の一本、石材の一つに至るまで細かく記録され、監査部の鋭い目に晒される。
 住人が安心して働き、日々の生活を平穏に送れる環境を整える為に、必要な税金だった。アレクサンドルは、そのシステムを理解していなかった。立ち行かなくなる前に、内政の失敗はアクセルが尻拭いをした。
 異常な成長速度を持つとはいえ、幼児と言える年齢で内政に興味を示し、実際に行うバイタリティは素晴らしいと、アクセルはそう評した。アレクサンドルの改革が失敗することを知っていながら、彼は弟に失敗を経験させる為に敢えて言わなかった。失敗もまた、成長の糧となると。
 しかし、アレクサンドルはそれ以後、内政や統治に興味を示さなくなった。彼の目には、弟に敢えて失敗させ、その尻拭いをすることで声望を高めた兄として、アクセルの姿が映っていた。そのことを、アドレはアレクサンドル自身の口から聞いている。彼にとって、内政は遊び飽きた玩具だった。

 魔法の練習も、最初のうちこそ熱心に取り組んでいたが、やがて滅多にやらなくなった。切っ掛けは、水魔法である。覚えたての治癒の魔法で平民の病気を治そうとして、かえって悪化させてしまった。その尻拭いもまた、アクセルが行った。弟が医術に興味を示したことに喜んだアクセルは、彼に薬学や診察を教えようとしたが、内政の時と同じく、アレクサンドルはもうやる気を見せなかった。

 優しさが無い男ではないのだ。ただ、その優しさは多分に自己中心的であり、かと言って信念のあるものではない。見返りを期待し、望んだ報酬を得られなければ気分を害す。
 失敗すれば、失敗したまま。立ち上がり、再び歩き出すということをしない。

 ぐい、とアドレのメイド服が引きずり下ろされ、彼女の乳房が露わになる。反射的に両手で覆うが、アレクサンドルはその手を引きはがす。
 アドレもこの行為を望んでいると、アレクサンドルは本気でそう思っているのだ。

「っ……!」

 ついに、下腹部にまで指が伸びてくる。
 アレクサンドルに初めて抱かれてから、もう何度、このような行為を続けただろう。彼女の身体は精神への苦痛を和らげるため、急速に女としての発展を遂げ、快楽の信号を伝えるようになっていた。しかしその事実が、更にアドレを苦しめる。

(何故……?)

 ふと、視界の端にドアが映る。アレクサンドルの寝室のドアだ。ただの木製の扉が、鉄格子よりも冷たく強固に見える。

(ここは……牢獄……)

 アレクサンドルが満足し終えるまで、この部屋は彼女の魂を引き裂く牢獄と化す。
 その扉が開かれることは、果たしてあるのだろうか。この扉を蹴破ってくれる者は、果たしているのだろうか。

 もしも、この扉を蹴破り、彼が……アクセルが来てくれたなら。

(……私は、死ぬことが出来るかも知れない)

 彼にこのことが知られれば、刃を己の心臓に突き立てるまでもなく、自分は永遠の眠りにつくだろう。絶望と羞恥によって。





“預言の子は、大いなる災いをもたらす兄をその牙にて屠り、か弱き子ども達に未来を示すだろう”

 絶対聖女ベアトリーチェ。
 教皇や一部の枢機卿の夢に現れるという彼女のその聖託が、アドレの運命を変えた。

 何故、アクセルなのだろう。あの敬虔なブリミルの子が、将来、どんな災厄をもたらすというのか。
 屠られるのが弟ならば、全て納得出来るのに。

 預言の子、アレクサンドル・アンブロワーズ……彼の無事な成長は、事実上、ロマリアにとっての最優先事項であった。
 ブリミルの司祭であるアクセルが、何故、ブリミル教に唾を吐くアレクサンドルによって処刑され、更にはブリミル教によってそのことを肯定されなければならないのか。

 ブリミル教とは何なのか。絶対聖女ベアトリーチェは、本当に絶対なのか。

 アドレはただ、幼く奔放な性欲の前に、贄としてその身を差し出すしかなかった。





 己の欲望が満たされれば、アレクサンドルはすぐに眠りにつく。アドレにとって、それが唯一の救いだった。
 疲れ切った身体を起こし、一糸纏わぬ裸体のまま、彼女は覚束ない足取りである場所へ向かう。アレクサンドルが踏み砕いた、小さな包みがあった。
 ジャムが包みの内側に張り付き、可愛らしい形は無惨に散っている。既に、クッキーとしての姿をしていない。

「…………」

 アドレは指先でそれを掬い上げた。ジャムに、クッキーの破片が混じっている。先ほどまであらゆる体腔から自分の内側へと注ぎ込まれていた液体を連想するが、ぐっとこらえ、掬い上げたそれを口に運ぶ。あの液体とは似ても似つかない、甘い香りが広がった。
 ぽた、と、涙が落ちる。嗚咽を押し殺し、次々と溢れ出してくる涙と鼻水を何度も拭いながら、彼女は何度もそれを口に含んだ。

 自分をこの世に繋ぎ止める、ただ一つの糸は、ブリミル教ではなくなっていた。その糸の先は、アクセルという名の少年に繋がっている。
 アドレが未だ、完全に絶望しきれない理由は、アクセルの存在だった。

 だからこそ、なのだろう。自分はこれからも、嘘を付くことが出来る。アレクサンドルに対して、同僚の使用人達に対して、アクセルに対して、そして自分自身に対して。

「……アクセル……様……」

 彼女は空になった包みに顔を埋めると、暫くの間、床に伏して嗚咽していた。


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