小説『漂流のA(ゼロの使い魔二次)』
作者:権兵衛()

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第2章 朱き夏の章

第15話<“音姫”のアリス>






 確かに、宗教や儀礼とは無縁の、娯楽というカテゴリーに属する歌い手というものは存在した。
 しかしその活躍の場所は専ら、酒場のステージや安宿の食堂などに限られていた。それよりも高級なものになると、ミュージカルや演劇で用いられるのみ。歌というのはあくまで、脇役でしかなかった。

 その意味で、“音姫”アリスの出現は革新的だったと言える。

 貴族御用達の伝統ある劇場が、ただ一人の娼婦のために貸し切られたのは、その幼い娼婦の信奉者たちが動いたからだった。流石に公然とは行えず、舞台は夜も更けた頃から。ポスターも、公示人の行列もない。宣伝するような類のものではないからだ。にも関わらず、公式には閉幕の時間を過ぎている薄暗い劇場の中は、満員となっていた。彼等の目的は、一致している。ただ、彼女の歌声を聞くために。

 舞台に突然、光の円が現れる。いつの間にか、その中心に一人の少女が立っていた。髪も服装も、そして目隠しのように巻かれた包帯も、全てが黒。闇に溶け込んでいた彼女の姿が見えた時、事前に合図や打ち合わせがあったわけでもないのに、観客達はほぼ同時に歓声を上げていた。

「…………」

 客席からの爆音に、些かの動揺も感じさせず、少女はそのミルクのように白い指を動かし、マイクを握る。発明家“傑作卿”が作成したとされるそのマジックアイテムは、他のどんな拡声器よりも滑らかに、客席の隅々へと、その吐息の音すらも届けた。
 ただ一人の少女が、たかが娼婦が、男達を熱狂させている。少女……アリスが息を吸い込むと、どこからか伴奏が流れ始め、そして刹那には、彼女の歌声が客達の歓声と衝突した。


<Reaper, reaper,That's what people call me. Why?
< 'Cuz they all die.When I sing, I end their lives.
<You act as though payback makes you a noble man. Is that a fact?
<Well, you're a goddamn philistine!


 二階席で、アリスを見下ろす男がいた。
 彼が他の客達と違うのは、自分がただ歌を聴きに来たのではない……そう思っているからだ。故に、客達に向ける視線は、多分に優越感を抱いたものだった。

 彼はただ、この後自分に捧げられる供物を見に来ただけだ。

 客席を埋め尽くしているのは、全て、アリスのファン。信奉者。その歌声に惚れた者もいるだろう。その容姿に惚れた者もいるだろう。その演技に惚れた者もいるだろう。
 彼等は多かれ少なかれ、思っている筈なのだ。アリスを手に入れたいと。この盲目の歌姫を、自分だけのものにしたいと。それが夢のまた夢だと感じてはいても、妄想は止まない。

「……くくっ」

 男は思わず、笑みを漏らす。その妄想を現実に出来るのは、自分だけだ。眼下で熱狂している男達には到底不可能なことでも、自分には可能である。自分ほどの地位になれば、あのような供物など、向こうから捧げられる。それが、人の世の勝者に与えられた特権なのだ。

 歓声の大きさと比例して、男は笑みを深くした。








 “彼等”と表現する。
 その街の……いや、その一地方の裏を支配する男にとって、挨拶してくる者など、名も顔も覚える必要のない者だった。なので、ボスの名前や組織の名前など、その場で忘れる程度の価値しかない。故に、“彼等”もまた、ただの“彼等”でしかなかった。

 “彼等”は、とある片田舎の街に根を張る裏社会の一団だったが、その規模は小さく、路傍の石ころですらない。そうして男が支配する大組織に挨拶を通した彼等は、大組織の庇護の元、その縄張りで、見世物小屋を始めた。
 色彩豊かな、という表現に相応しい、様々な奇想天外の奇術。露出の多い派手な衣装に身を包む女達の舞踏。また何より人気だったのは、客を参加させる出し物だった。特に、女と簡単なゲームをして、負けた方が一枚ずつ衣服を脱ぎ去っていくという遊戯は、予約制になる程に盛況だった。
 しかし、“彼等”の小屋が繁盛すればする程、大組織が抱える見世物小屋は閑古鳥で賑やかになる。二軒が閉鎖になった時、大組織は営業を止めさせる代わりに、指導料という名の上納金を倍にした。その額は最終的に、売り上げの半分以上を占めるまでになったが、“彼等”はそれを受け入れた。
 すると、大組織は次に、その見世物小屋そのものを要求した。“彼等”に縄張りの一部を任せてやる担保、と表現したが、明らかに没収だった。縄張りの一部とはいえ、そこから上がる利益は微々たるもので、見世物小屋に比べれば収入は大きく落ちる。流石に反抗が警戒されたが、“彼等”は驚くほど素直にそれを受け入れた。

 大組織の男や幹部達は、その大きな幸運に気付いた。今まで他の大組織に、甘露で満ちた果実のような“彼等”が刈り取られなかったのは、全くの偶然だと。最初に発見したのは、正に自分たちなのだ。自分たちに収穫されるために、“彼等”という果実は熟し続け、甘みを凝縮させ、絶好の食べ頃となって現れた。

 “彼等”は“彼等”の元の縄張りで、有名な娼館を経営していた。大組織は、いつしか当然のように、それを手に入れることを考えた。“彼等”程度の小組織が経営してあれ程ならば、自分たちのような大組織が支配すれば、どれ程莫大な利益を上げるのだろうかと。

 その娼館は、『イシュタルの館』と呼ばれていた。嘗てその象徴であったリリーヌの死後、三人の纏め役がいる。それがギャエル、マノンという娼婦であり、また、“音姫”と呼ばれる幼い娼婦、アリスだった。
 大組織は、芸能という技能を持つアリスを、自分たちの組織に寄越すように告げた。
 娼婦として、というよりもアイドルとして有名なアリスは、その神秘性と歌唱力が故に、熱狂的なファンが多い。古い呪いのような不気味な歌から、寝かしつけるような子守歌まで、歌声の幅は広く、その小柄な身体に見合わぬ声量を秘めている。
 彼女が有名になったのは、蓄音機の小型化に成功した“傑作卿”が、その第一号としてアリスの歌声を収録したことが一つの要因である。その知名度は、片田舎の娼館で燻るにはあまりに場違いだった。

 アリスをよこせ、という要求に、“彼等”は承諾も拒否もしない。ただ、コンサートの後、そちらへ送り届けるという返事をされれば、その答えは承諾以外の何物でもなかった。そうやって娼婦を引き抜いていけば、娼婦達の馴染みの客もこちらへ流れる。もしも“彼等”が拒否すれば、その時は改めて大組織の力を振り下ろし、叩き潰せばいい。それが、共通の認識だった。

 コンサートの後、アジトへ戻った男の元に、一つの木箱が届けられる。

「素晴らしい」

 部下達に木箱を開けさせた男の口から、思わずそんな呟きが零れた。劣情だけが理由ではない。このトリステインの象徴とも言える白百合が敷き詰められた、花びらの寝床の中で、ヴァイオリンケースを抱えた少女が眠っていた。黒の少女を囲む純白の花びらが、このアリスという少女の純潔を何より雄弁に証明している。
 この世の者とは思えなかった。それほどに、少女は未知の存在だった。

「…………」

 ふと、アリスは背を起こす。眠っているものだと思っていた周囲の男達は、思わず後退った。
 彼女は冷たい無表情のまま、そっと、濡れた唇を開く。


<Reaper, reaper,That's what people call me. Why?
(死神、死神、何故人々は私をそう呼ぶの?)


 つい先ほどまで、多くの男達を熱狂させていた歌だ。
 花びらを踏みしめ、歌い続けるアリス。その行動を、彼等は……大組織のボスは、前菜だと思った。後に同じ口から漏れることになる嬌声への、前奏曲なのだと。そう結論付けた彼は、歌詞の意味を深くは考えなかった。


< 'Cuz they all die.When I sing, I end their lives.
 (それは、私が歌えば、人々は死んでしまうから)


 ガチャリ、と、その手に握られたヴァイオリンケースが金属音を立てる。先端部分に円形の穴が空き、黒鉄の筒が飛び出した。


<You act as though payback makes you a noble man. Is that a fact?
 (あなたは自分の配役からは逃れられない)

<Well, you're a goddamn philistine!
 (そう。あなたはただの愚者)


 ドドドド、と、土石流のような轟音を立て、その銃口から光の弾丸が迸る。最初の何発かが、ボスの身体を食いちぎり絶命させ、その弾丸は荒事に長けたメイジ達にも襲いかかる。
 怒声と悲鳴、食いちぎられた肉片が壁に張り付く音、部屋が壊されていく音、そして銃声……。辛うじて生き残った何人かは、どう足掻こうとも変えられない結末を悟ると、我先に部屋を飛び出す。その逃走はあまりに遅過ぎる判断だったが、ひとまずは正解であった。ボスが殺され、幹部達が次々と殺されていく中、この災厄から離れるのは当然である。
 しかし、可憐な少女の容姿でその身を偽る災厄には、足がある。同じくドアを出たアリスは、逃げる彼等の最後尾の背中へと、気負いや躊躇いすらもないままに発砲を続けた。


<Requiem eternal,Bullets ride through the sternum,
 (鎮魂歌は終わらない。銃弾の光が胸を貫き)

<Lullaby to hell babe, reaper's got your name.
 (死の渦に愛はない。あなたの名は既に死神に知られてしまった)


 彼等は……大組織である“彼等”は、忘れていたのだ。
 音のない川が、いかに深いのかを。








 大きな男だった。
 コートに覆われているにもかかわらず、その隆々とした筋骨は存在を隠し通せず、また髭を整えた容貌は、歴戦の古強者を思わせる。
 そんな男がドアを蹴破り、無言のまま踏み込んで来れば、来訪の目的は決して友好的なそれではないだろう。

「何だてめぇっ」

 玄関で待機していた十数人は、一斉に杖や得物を抜く。上の階には、自分たちのボスや幹部衆がいるのだ。ネズミだろうと、通すわけにはいかない。
 咎める怒声に、男は怯む様子すらない。敵であることが確定すると、メイジ達は『マジックアロー』や『ファイアボール』を放った。
 大男が平民ならば、それで終わる。大男がメイジだとしても、杖すら引き抜いていない手ぶらの状態ならば、やはり終わる。
 その大男が掴んだのは、杖ではなかった。自らのコートの襟に手をかけると、ホコリか雨粒でも払うかのように振り回す。メイジ達が放った必殺の魔法は、風に煽られた蝋燭の灯火と同じく消え去った。

「!?」

 同時に、彼等は気付く。外にも見張りや門番がいたのだ。その仲間から何の連絡も無いまま、この男はこうして館の中へと踏み込んできた。
 大男はやはり、ただの平民などではない。彼はコートを振り回し終えると、それを裏返しつつ広い肩に乗せ、両腕を袖に差し込む。その時になって、それがコートではなく羽織であると判明した。左右に貝殻が描かれた、真紅の羽織。

 『イシュタルの館』の従業員達が着用する、独特の衣装だった。

 格下組織の反逆だと談じた彼等の脳裏には、労せずして戦争の大義名分を得られた喜びと、その後に転がり込んでくる娼館での、背徳と悦楽の狂宴の様が浮かぶ。

「てめぇっ、イシュタ」

 思わず口元を笑みで歪めながら、咎めと罵りを吐き出そうとした彼の夢は、顔面に迫り来る拳によって打ち砕かれた。二筋の鼻血を吹き出し蹈鞴を踏む彼の胸ぐらを、大男は無造作に掴むと、まるで果物籠のように軽々と他の男達へ投げ飛ばす。その膂力を目の当たりにし、全員が瞬時に気を引き締めた。メイジ達は、大男に向けて次なる攻撃を仕掛ける。
 それが無駄な努力であると嘲笑ったのは、大男ではなかった。

 パパパパパァンッ

 幾重もの炸裂音が走る。ほぼ同時に放たれた『ウィンドブレイク』の魔法が、メイジ達の周囲で爆ぜ、彼等は束ねられる薪のように、互いの身体をぶつけ合った。ある者は仲間の杖に喉を突かれ、ある者は仲間の肘に顔面を打たれ……予想すらしなかった混乱に、メイジ達は次々と崩れ落ちる。
 再び羽織を翻そうとしていた大男は、つい先ほど、自分が蹴破ったドアを振り返った。

「……先走ってんじゃねぇよ、早漏野郎」

 ツバの広い帽子を被った男が、杖で軽く肩を叩きながら敷居を越える。倒れていたメイジが怒りの籠もった視線を向けるが、帽子の男はその顔面を容赦なく蹴り飛ばすと、大男の元へと歩いていく。

「助かりました」
「バカ言え」

 頭を下げる大男に、ハンスは帽子を外して首を振る。

「お前はあのガキのお気に入りだ。そのお前に何かあれば、あのガキが五月蠅い。それだけだ」
「はぁ……」

 大男は曖昧な返事を返す。かつて、この灰色髪の男の傭兵団に所属していた頃から思っていたことだが、やはり彼は不器用だ。

「『スリープクラウド』」

 そんな事を考えていると、詠唱が耳に届く。倒れ伏したメイジ達や、戦闘不能となった構成員達に、大男と同じくらいの身長の男が、眠りの魔法をかけていた。水と風のトライアングルである彼の魔法に抗える者など、そうはいない。

「さて、さっさと合流しようぜ」
「はい」
「そうだな。行くぞ、マルセル。スカロン」








 歌は終わらない。
 殺している時も、捕まえている時も、運んでいる時も……アリスはただただ、歌い続けていた。


<You think that fire in your eyes makes you a tiger in disguise?
 (闘争心が自分を虎に変えてくれるとでも思ったの?)

<Dream on, you goddamn, pussy!
 (眠りなさい、この××野郎)


 暗い森の中、湿った土の地面に、スコップが突き立てられる。穴を掘り、それを更に深くする作業。その周囲を、アリスの歌声が取り囲む。
 穴を掘る二人の疲労が、極限まで達したと見ると、アリスは他の二人を呼び交代させる。
 十人ほどの男達は、まるで捕虜のようであり、そして事実虜囚だった。アリスの他、見張りは“貝殻紋”の三人のみ。それでも大人しくしているのは、既に彼我の実力差を叩き込まれているから。
 そして、自分たちが一体何の為に穴を掘らされているのか……その答えが出ていないわけではなかったが、皆、無意識にその答えを頭から追い出していた。

「……ん。そろそろいいですね」

 天使の笑顔で悪魔の所業をやってのける少女が、満足したように微笑む。その言葉を合図として、貝殻紋の三人の男は次々と、幹部達を穴の中へ突き落とす。抵抗する気力を奪われていた彼等は、実にあっさりと、二メイルはある穴の底へと集まった。上る為のロープが、いつの間にか回収されている。
 ただ一人、突き落とされなかった幹部がいた。彼は恐る恐る周囲を窺っていたが、その彼の目の前に、アリスがスコップを突き出す。

「さあ、どうぞ」
「え……?」
「埋めて下さい」

 愛らしい唇から、無邪気な要請が流れ出した。
 彼は、アリスを見る。目隠しの為、双眸は見えない。それでもその口元は、変わらぬ微笑みをたたえていた。この少女は、冗談ではなく、本当に、生き埋めにすることを命じている。
 彼は、穴の底の仲間達を見下ろす。ボロボロに痛めつけられた彼等は、絶望と嘆願の入り交じった目で、こちらを見上げていた。何か、助かる方法は無いのか。何か、この場から生きて逃れる方法は無いのか。彼等はただ一人、転落を免れた自分に向けて、そう語りかけている。
 勿論、そんなものなど無い。自分一人逃げようとしたところで、あのヴァイオリンケースに仕込まれた銃に引きちぎられるか、貝殻紋の男達に叩きのめされるか。どちらにしろ、仲間達を見捨てようと、逃げ切ることは不可能。
 手にはスコップが握られ、それを手渡したアリスは、こちらに背を向けて再び歌い始めていた。
 どうせ死ぬ……そうだ、どう足掻こうが、死んでしまうのだ。
 ならばせめて、ほんの少しでも、針穴ほどの逃げ道であろうと、選ぶしかない。

 ドンッ

「あっ?」

 渾身の力で、アリスの身体を引きずり倒す。驚いたにしては冷静な声を上げる少女から、急いでヴァイオリンケースをもぎ取った。そしてその小柄な身体の倒れる先は、地面にぽっかりとあいた穴。穴底の仲間達は、反射的にその身体を受け止める。

「てめぇらっ、動くんじゃねぇ!」

 ヴァイオリンケースを抱き締める男の怒声で、穴底の彼等もその行動の意志を悟る。一人がアリスの首に手を回して羽交い締めにし、二人がアリスの腕を押さえつけた。

「いいかっ、動くんじゃねぇぞ!」

 アリス……彼等の組織の看板娘が捕らえられたというのに、貝殻紋の男達は、微動だにしない。その沈黙を、人質を取られたからだと判断する。

「絶対にっ、動くな!」

 動かぬ彼等へ、三度、警告する。ともかく、人質はこちらの手の内。引き上げられたロープを、再び穴の中へ蹴落としてやろうとした彼だが、そのロープを踏みしめるように、黒い少女が微笑んでいた。穴の底では、切り落とされた腕を呆然と見つめる仲間達が、ようやく絶叫することを思い出している。
 一体この少女はどうやって腕を切断し、どうやってここまで上ったのか。

「……貴方に埋めさせるのは、貴方に語らせるため。貴方を、『イシュタルの館』の力の証左とするため」

 アリスは微笑みを崩さぬまま、彼に近付く。

「た……頼む」

 男は哀願する。

「助けてくれ! 金……金があるんだ! 金庫番の、俺だけが知っている!」
「私の望みは、お金ではないんです」

 何も持たぬ、この愛らしい少女に殺される未来が近付いてくる。

「私が望むのは……ボスが望む世界。女が絶望を必要としない世界。女を辱める男がいない世界」

 そっと、アリスは掌を動かす。揃えられた指先から、ふと、淡い光が漏れ出した。

「つまり、貴方達のいない世界」

 ひゅんっ、と、アリスが掌を振り払う。瞬間的に拡大したその光は、男の首を通過する。切り離された首が穴底へと落下し、血飛沫を上げる胴体もまた、アリスによって蹴り落とされた。


<Reaper, reaper,That's what people call me. Why?


 まるで、庭園の土いじりのようだった。口ずさみながら、アリスはスコップで土の山を掬い上げ、穴へと放り込んでいく。
 やめろという悲鳴。助けてくれという懇願。呪いの言葉。
 森の闇に融けていくその言の葉たちを聞き流し、アリスは尚も手を止めない。
 溜まる土に上り脱出すればいい……その考えも、土がいつの間にか砂と化していることに気付けば、泡と消えた。藻掻けば藻掻くほど、流砂のように沈んでいく。


< 'Cuz they all die.When I sing, I end their lives.


 いつの間にか悲鳴は途絶えていたが、アリスは尚も休まない。
 そうして全ての砂を穴に戻すと、しゃがみ込み、そっと砂の中へ右手を差し入れる。

「…………」

 一分ほどそうしていた。そうして動く気配が完全に消えたことを確認すると、立ち上がり、振り向く。

「お疲れ様でした、皆さん」

 振り返り、微笑みを向ける先には、スカロンがいた。両脇に、ハンスとマルセルもいる。

「全て予定通り。作戦は滞りなく完了しました」

 背筋を伸ばし報告するスカロンの顔が強張っているのは、アリスの微笑みだった。生き埋めにした彼等に向けられていたそれと、どこが違うのか……自信が持てない。

「んじゃ、帰ろうぜ? 流石に疲れた」

 大あくびをして見せるマルセルだが、それは疲労というより、退屈から来るものだった。

「そうですね。それでは皆さん、よろしくお願いします」

 アリスの言葉に、彼女に付いていた三人の貝殻紋はそれぞれ頭を下げ、森を後にする。奪い取った縄張りを安定させる為に選び出した、イシュタルの館の精鋭達である。三人を見送るアリスに、スカロンは躊躇いがちに切り出した。

「その……」
「はい?」
「生き埋めにする必要が、あったのでしょうか?」

 イシュタルの館の恐ろしさを知らしめる為だとしても、結局、それを宣伝する者は一人もいなくなってしまっていた。

「ええ、勿論」

 スカロンとは対照的に、些かの躊躇いもなく、アリスは微笑む。その微笑みで、彼は悟った。この少女は、身内にすら知らしめようとしているのだと。イシュタルの館ではなく、自分自身の恐ろしさを。

「は……」

 それ以上何も追求できず、スカロンは短く応じる。
 自分は確かに、“お気に入り”なのかも知れない。だが、アリスにとって……いや、この子どもにとって、それはいざという時、何の足枷にもなりはしない。イシュタルの館を、ボス・ナタンを裏切れば、自分とて……。
 それが至極当たり前であるとする考えもあれば、言い様のない不安もあった。

「それでは、お先に失礼します」

 微笑んだままのアリスが立ち去った後、残されたハンス達はそれぞれ溜息をつく。澱みのような沈黙の中、それを破ったのはスカロンだった。

「ハンス殿、マルセル殿。お二人は……?」
「俺と兄貴は、まだギルドには戻らん。後始末があるからな。お前はゼルナに帰っていいぜ?」
「そういうことだ」

 早々に踵を返したハンスだったが、ふと思い出したように立ち止まると、背を向けたまま言う。

「スカロン。俺は、お前はなかなか使えるヤツだと思っている。……その羽織を脱ぎたくなったら、ウチで使ってやってもいいぞ」
「……考えておきます」
「へっ。早くしろよ? あのガキに殺されない内にな」

 帽子を被り直し、ハンスは捨て台詞を残して歩き出す。

「……相変わらずの兄貴で悪いな」

 マルセルが肩を竦めた。

「いえ。ただ、不器用なだけかと」
「そうなんだよなぁ。……ほれっ、受け取れ」
「え?」

 弾かれた小さな何かを、スカロンは慌てて受け止める。山脈からのぞく太陽の光を受け、エキュー金貨がキラキラと輝いていた。

「これは……」
「愛しの嫁さんと可愛い娘さんに、土産でも買ってやれ」
「そんな」
「いいからいいから」

 マルセルはひらひらと手を振る。スカロンは暫くして、金貨を懐に収めた。

「……マルセル殿。お気を付けて」
「おう。まあ、あれだ。あんま深く考えるな。ベルのヤツも、結局、お前が大好きなんだから」
「…………」

 歯を見せて笑う彼に、スカロンは無言で頭を下げた。

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