小説『漂流のA(ゼロの使い魔二次)』
作者:権兵衛()

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第2章 朱き夏の章

第17話<貝殻紋の根城>



 『イシュタルの館』。その娼館は、東地区の象徴として聳えていた。五年前に建てられた後も、増改築を繰り返し、今では元々の五倍以上の敷地を誇る。発展速度は、正しく驚異的だった。既にかつての城壁は崩され、街全体の大きさが広げられている。そう、それは娼館でありながら、街そのものを変えてしまうほどの力を手にしていた。
 金の無い者には窺い知る事の出来ない桃源郷。集められた娼婦は全て美しく、教養があり、女神のように見られていた。貴族の子女と紹介されてもおかしくない程で、勿論、客層もそれなりの上流階級である。娼館と客の間で、莫大な身請け金が動くことも珍しくは無い。

 “貝殻紋の男達”の拠点も、その敷地内にある。煌びやかな正門とは大きく離れた位置に、冷たい石造りの門が構えられていた。貝殻の形が彫られたそれが開くと、スカロンは敷地の内へと踏み出す。

「おう、スカロン」

 厩舎から顔を出した男が、額の汗を拭いながら話しかけてきた。

「聞いたぞ、大活躍だったそうじゃないか」
「いえ。すべきことをしたまでです」

 イシュタルの館が出来た頃からの、初期メンバーだった。スカロンは軽く頭を下げる。

「やめろよ、堅苦しい。言ってるだろう? 俺たちの間に、先輩も後輩もねぇんだ」
「すみません、性分なので」
「まぁ、あんまり、どうこう口出しはしたくねぇが……」

 衛士隊時代から叩き込まれた作法は、最早スカロンの一部であると言えた。ヤクザ者にしては堅物だが、そもそもそういった個性を全て受け入れてきたからこそ、現在の貝殻紋が形成されている。

「……まぁ、お前と同期の“あいつ”が“あんな”だから、ちょうどバランスが取れてるのかもな」

 そう言って笑いながら、男は飼い葉桶を持ち上げる。
 悲鳴が聞こえてきたのは、ちょうどその時だった。

「ごっ、ごめんなさい! 許して下さい!」

 嘆願する男の絶叫。それを掻き消すかのように、ドゴンと、鈍い音がする。

「…………」

 男は溜息をつくと、再び厩舎の中へと戻る。スカロンは指先でこめかみを掻きながら、音がした方へ向かった。土塀の向こう側へ回ろうとした所で、探し者は自分の元へと駆け寄ってくる。

「スカロンっ、スカロン! たっ、助けてくれ!」

 若い男だった。無造作に伸ばした髪は後頭部で纏められ、狭い額が露わになっている。それなりに整った顔立ちは、恐怖で無惨に歪み、その顔をスカロンの脇腹に擦りつける。
 抱き付かれたスカロンは溜息をつきながら、彼を追って来た少女に目を向けた。

 切りそろえられた蒼髪の、どこかあどけなさの残る少女。だがそのあどけなさには、ぬいぐるみよりもナイフの方がよく似合う。服装はメイドのそれだが、額には鉢金を巻いていた。そして手に握られているのは箒ではなく、持ち手の部分が細くなった、棍棒のようなもの。バットと言う名前らしい。

「あら?」

 少女は瞬きをすると、淡く微笑んだ。

「お久しぶり、スカロンさん」
「あ、ああ……久しぶりだな、ミシェル」

 アクセルが溺愛する四人の娘の一人で、ミシェルという名の少女。奴隷として売り出されていた、没落貴族の娘だという。勿論のことメイジであるのだが、スカロンが彼女を恐れるのは、それが主な理由ではない。最大の理由は、その内に秘められた、時折見え隠れする狂気にあった。

「……また、セレスタンが何か?」

 脇腹に抱き付いていたセレスタンは、既にスカロンの背後に隠れている。

「いえ、大したことじゃないんです。ただ、私が兄さんの為に作った食事を、盗み食いしただけで」
「たっ、大したことじゃねぇんなら許せよ! 知らなかったって言ってんだろうが!」

 自分の背中越しに反論するセレスタンに、スカロンはいよいよ呆れた。この状況で言い返すなど、どうも、学習能力が欠如しているらしい。ミシェルという少女の恐ろしさなど、今までその身体で、さんざんに体験してきた筈だろうに。

「……何を仰ってるのか、いまいちわかりません」

 ミシェルは変わらぬ微笑みのまま、左手の球体を持ち上げた。セレスタンは思わずスカロンの背から離れ、後退る。

「料理は、また作ればいいんです。確かに、この先私が、何千何万何億回同じ物を作っても、今日兄さんの口に入る筈だった、そしてセレスタンさんが食べてしまった物と同一の料理を作ることは、永久に不可能でしょう。だって、あの料理は、歴史上あの唯一つだけなんですから……。でも、別に怒ってるわけじゃないんです。だって、こんな事くらいで怒ってたら、兄さんに度量の小さい女って思われるでしょうし。そう、別に怒ってるわけじゃないんです。……私は、ただ……」

 そう言いながら、ミシェルは左手の球体を軽く放り上げる。そして棍棒を両手で握ると、身体を回し、大きく担ぐようにして振りかぶった。

「ただ、ヤキュウの練習をしてるだけです」

 球体がちょうど胸の高さまで落下すると同時に、棍棒の芯がそれを捉える。爆発音と共に、球体は凄まじい速度で打ち出された。球体はハヤブサのように大きくカーブすると、セレスタンの鼻先を掠め、土塀にめり込む。

「ちょっ、ちょっとっ、待っ」

 彼の悲鳴と絶叫を無視し、ミシェルは次々と球体を弾き飛ばす。上下左右、あらゆる方向から遅い来るそれに逃げ惑いながら、セレスタンは背を向けて走り出した。

「あ、あの」

 流石に止めるべきかと、スカロンは恐る恐る声を掛ける。が、ミシェルは笑顔のまま、そして球体を打ち続けたまま、視線だけで応えた。

「スカロンさん。バルシャさんが呼んでました。行ってください」
「……わかった」

 まさか、息の根を止めるまでは続かないだろう……。そんな希望を胸に、急いでその場を立ち去るスカロンの耳に、微かな衝撃音と、男の短い断末魔が届いた。

 四階建ての宿舎の中へ入り、廊下の奥にある階段から、地下へと下りる。ちょうど建物の中心に、まるでそれを支えるかのような、石造りの巨大な円柱が存在した。スカロンは円柱の前に立つと、腰からディマンを引き抜き、その柄頭からぶら下がる貝殻の飾りを、柱に彫られた顔面に示す。冷たい顔の瞳が一瞬光り、音を立てて入り口が開いた。
 円柱の内部は、子ども部屋くらいの広さがある。外面の石造りとは対照的に、天井や壁は全て金属で出来ており、床には絨毯が敷かれていた。
 “地下二階・本部室”と記されたボタンを押すと、遠い音を立てて昇降機が作動する。距離はせいぜい10メイル程度なので、一つ咳をする頃には到着していた。再び扉が開き、昇降機内部と同じく、滑らかな平面で構成された通路が現れる。無機質な廊下を20メイルほど歩くと、展示場のように、甲冑を纏った重装歩兵が直立していた。マジックライトの照明が、その鎧を鈍く輝かせている。

「スカロン」

 歩兵の目の前には、手形が彫られた石版がある。そこに自らの掌を置き、自らの名を告げると、鎧の奥から声がした。

「お疲れ様です、スカロン殿」
「ああ……お前もな、グラーベ」

 グラーベと名付けられたガーゴイルの背後の壁が動き、円形の広場が現れる。スカロンが広場に入ると、再び壁が動き、出入り口が消滅した。
 広場の中央には噴水と、そして壁際には花壇が設置されている。造花だが、目の保養には十分だろう。休憩用のベンチを無視し、彼は反対側にある扉へ向かうと、スイッチを押して左右へ開かせた。
 本部と言うだけあって、広い空間だった。弧を描くように机が並び、その彼方此方に、同じ羽織を纏う男達が点在している。羽織を纏っていない者は、揃って白服に身を包んでいる。白服の彼等は、人間ではなかった。
 目的の人物を捜そうとした時、白服の女が近付いてきた。

「失礼します、スカロン殿」

 肩には“16”と、番号が記載されている。スカロンは目線を下げ、彼女の名札を確認した。

「……どうかしたか、マルカート」
「マスターより伝言が一件あります。再生しますか?」
「ああ、頼む」
「了解」

 マルカートと名付けられたガーゴイルが両目を閉じると、彼女の奥からカチンと、金属音が響く。口を開けば、アクセルの声がした。

「“スカロン。さっき言い忘れたけど、ちゃんとPADは更新しておいてね”……。伝言は以上です」
「……そうだったな」

 スカロンは羽織を探り、手帳を取り出す。黒革のそれを開くと、紙ではなく薄い金属板があった。隅の刻印を見れば、前回の更新から一ヶ月が経過している。

「……すまんが」

 スカロンはそれを畳むと、渋い顔をしてマルカートに差し出した。彼女はそれを両手で受け取る。

「更新作業を頼む。どうも、私には難しすぎるのでな」
「了解」
「ああ、それと、“お頭”はどちらに?」
「存じ上げません。“イシュタル”にお聞きしましょう」
「そうだったな。いや、それくらいは自分でやる。ご苦労だった」

 マルカートは一つ頭を下げると、機械的な足取りで去っていく。何とはなしに彼女を見送ると、スカロンは坂になっている通路を下り、その先にある泉の前に立った。曲線、直線、平面に支配されたかのような無機質な本部室だが、その泉だけは、美麗な彫刻が施されている。

「イシュタル、聞こえるか?」

 泉を覗き込み、そう声を掛けた刹那、スカロンの頭が水浸しになる。どうやら、近付きすぎていたらしい。

『ごめんなさい』
「……いや、私の落ち度だ」

 聞こえてきたのは、水中のようにエコーのかかった声。彼は羽織の袖で軽く顔を拭うと、泉からせり上がった水に応じた。
 重力に逆らった水が、女性の形を作る。赤、青、黄の染料がその中を器用に泳ぎ、混ざり合い、女性に色を付ける。そうして現れたのは、水面に立つ、一人の小さな美女だった。

『どうかしたの、スカロン』
「お頭に呼ばれた。今、どちらに?」
『バルシャさん? 今は、その奥、ナタンさんの部屋よ。連絡しておくから、すぐに入れるわ』
「ああ、ありがとう。では」

 染料が抜け落ち、せり上がった水が崩れ、泉は再び静寂を取り戻す。

「……ん?」

 気付けば、先ほど立ち去ったマルカートが、タオルを差し出している。礼を言いながら受け取り、髪を拭うスカロンに、彼女は黒革の手帳も差し出してきた。

「おお、流石だな。もう終わったのか」
「残念ですが、壊れています」
「……何?」

 手帳を開き、側面のスイッチを入れ、彼は太い指で金属板を叩く。一瞬、金属板に文字が現れたが、すぐに歪んで消滅した。確かに、故障している。

「いつ頃壊れたか、心当たりは?」
「それは……」

 バツが悪そうに、スカロンは言い淀む。
 この『PAD』と呼ばれる物体の便利さは、確かに、賞賛されるべきだろう。スケジュール、地図、人物……更新さえすれば、今まで『イシュタルの館』が集めた情報が、この小さな手帳一つから、最新の状態で閲覧出来るのだ。こんなものを作り出す技術力も発想力も、驚嘆せざるを得ない。
 しかしどうも、スカロン自身との相性は悪かった。使用する時は、なるべくその場にいた他の仲間にさせることが多かったし、そもそも取り出すことすら少ない。

「……わからんな」

 最後に開いて操作したのがいつなのか、さっぱり思い出せなかった。荒事も少なくない職業であるので、思い出そうとすれば思い出そうとする程、心当たりが多すぎる。

「マスターに渡しておきましょうか」
「い、いや! 流石に、自分で謝らなければ……」

 元を質せば、この『PAD』も、彼女『マルカート』も、アクセルが作り上げたものである。つまり、兄弟姉妹、同胞と言っても過言ではない。自らの同胞を粗末に扱われた……マルカートが視線でそう咎めているようで、スカロンは慌てて背を向け、歩き出した。

 本部室の奥の、重厚な木造の扉。壁を走る配水管が音を立てると、それが左右に開く。冷たい足音は、部屋に入った途端、煌びやかな絨毯に吸い込まれた。

「失礼します」

 一つ咳払いの後、そう断りを入れながら、スカロンは左右を見回す。背後で扉が閉まり、壁に埋め込まれた水槽の中で、イシュタルが部屋の奥を指さしていた。応えるように頷くと、彼はイシュタルの水槽の前を通り抜け、ガラスで仕切られた一角へ向かう。
 聞こえてきたのは、男女の話し声。

「なぁ、バルシャ」
「何ですか?」
「おっぱい揉んでいい?」
「後にして下さい」

(……後ならいいのか)

 咄嗟に出た感想を押し隠し、スカロンはガラス板の脇を抜ける。

「失礼します、ボス。お頭」
「ん?」
「ああ」

 一際大きな机は、ライカ欅で作った上等の逸品。そこで頬杖を付く男は、明らかにスカロンより年下だった。
 癖のある髪を軽く纏め、顎髭はきちんと整えられている。年齢は、せいぜい二十代半ば。凛々しい眉の下にある切れ長の瞼は落ち着いた印象を受けるが、その瞼の中に宿る双眸からは、対照的な雄々しさが感じられた。言葉は悪いが、外見だけで飯を食って行けそうな男と言える。
 しかしその表情全体は、一転してだらしなかった。

「おーう、スカロン。お疲れ」
「お疲れ様です、ボス・ナタン」

 無気力そうに頬杖を付いたまま、彼はスカロンに笑いかける。スカロンは挨拶を終えると、脇の机で書類を広げる女性に向き直った。

「来たか」
「お頭、御用で?」
「少し待っててくれ」

 口調は男だが、体付きは紛れもない女のそれだった。オールバックにされた髪には、申し訳程度の髪飾りが寂しく黙っている。目元からは、少々厳しい印象を受けた。身長差は、スカロン、ナタン、彼女の順に、綺麗なバランスが取れている。
 三十秒ほどで区切りをつけたバルシャは、そっと椅子から立ち上がった。

「ボス、少し休憩してきます」
「ん、ああ。行ってらっしゃい」

 ひらひらと手を振りながら、ナタンは大あくびをする。一礼し、スカロンに視線で促すと、バルシャは部屋を出た。細い葉巻を銜えたところで、スカロンがディマンの先端を差し出す。

「『フレア』」

 彼の短い声に反応し、十手の先端に、小さな灯火が生まれる。ああ、と礼代わりの声を漏らすと、バルシャは顔を近付け、葉巻に火を点す。
 本部室は雑談の声がするだけで、至って平穏だった。

「…………」

 木製の扉の前で、バルシャは暫し、本部室を見回す。斜め後ろに立つスカロンが、不思議そうに覗き込んだ。

「どうかされましたか?」
「……いや」

 ふぅ、と紫煙を吐き出し、その行く末を見守るように、彼女は顔を上げる。ふらりと立ち上る煙は、天井の高さの半分ほどで消滅した。

「大きくなったもんだ、と思ってな」

 イシュタルの館、というよりは、組織と組織の力のことだろう。歩き出したバルシャに、スカロンは無言で続いた。
 向かった先はあの円形の広場ではなく、本部室と仮眠室の間にある、喫茶室だった。バーテンダーの服装をしたガーゴイルが、カウンターの奥から、お疲れ様です、と頭を下げる。

「ビバーチェ。コーヒーを、砂糖一つで」
「私は……グリーンティーを、アイスで頼む」

 カウンターではなく、奥のテーブル席に向かい合わせに腰を下ろすと、バルシャはまた紫煙を漏らす。ふと、思い出したようにスカロンが口を開いた。

「そう言えば、ボス、何だか元気がありませんでしたね」
「……ああ。ここ最近、どうも、夢見が悪いらしい」
「どんな夢です?」
「それは、はぐらかされたが」

 ビバーチェと名付けられたガーゴイルが、飲み物を運んでくる。バルシャはコーヒーに砂糖を落とし、スカロンはグラスに口を付けると、一息に半分ほど飲み干した。

「……しかし、お前といいベルさんといい、よくそれを飲めるな」
「私にとっては、懐かしい味ですよ。……と言うか、お互い様でしょう。私も、その黒いのは理解出来ませんし」
「そうか?」

 一口啜り、バルシャはカップを戻す。そしてテーブルに両肘をつくと、声を潜めた。釣られて、スカロンも背を丸める。

「本題に入る。と言っても、楽な仕事だ。いつもは『初月の館』のローランに依頼するんだが、今回はお前に頼みたい」
「……内密の仕事ですか?」
「ああ、内密だ。ボスにも、ベルさんにも……特に、ベルさんには、絶対に」
「!?」

 予想外の機密性に、スカロンは更に背を縮めた。

「……お聞きする前に、一つ。何故、私に?」
「自覚は無いかも知れんが、お前はベルさんに信用されてる。疑り深いあの人が、何故か、お前の場合はあっという間に信用してしまった。クーヤの孫だからか、フラヴィの甥だからか……。とにかく、そういうヤツに任せたいんだ。勿論、いやなら、この話はこれで終わりだが……」

 聞けば、否応なく関係してしまう、そんな危険を示唆している。よほどに、守秘を問われる仕事なのだろう。このような仕事では、確かに、実際に行うことは単純で容易なことが多いが、それは裏返せば、微塵の失敗も許されないことも示している。
 恐れもあるが、しかし、スカロンに断るつもりはなかった。

「引き受けました」
「聞く前からか?」

 バルシャが怪訝そうに顔を歪めるが、彼は大きく頷く。

「すぐに隠せ」

 小さな包みだった。テーブルに置かれたそれを、スカロンは素早く羽織の内側に仕舞い込む。重さと感触から、貨幣であることは容易に分かった。

「これで、何を?」
「いや、買い物じゃない。賄賂だ」

 葉巻を指で挟み、バルシャはテーブルから離れると、椅子に背を預ける。カップを持ち上げ、二口ほど口に含んだ。
 スカロンは心の中で首を捻る。賄賂程度で、ナタンやアクセルに秘密にする意味が理解出来ない。彼等にとって、その程度のことは裏事情にすらならない筈だ。

「一体誰に……」

 尋ねようとして、スカロンはバルシャの仕草に気付く。指で挟んだ葉巻を指揮棒のように回し、最後にその先端を、スカロンへと向ける。
 メイジが、杖を振り回すような仕草だった。

「……まさか……」

 あり得ない、と、スカロンは唇を結ぶ。“彼女”はそのようなこととは無縁であり、公明正大だと評判であり、そして事実その評判通りだった筈だ。例え部下達がどれほど染まってしまっても、“彼女”だけは、潔癖を貫いていた筈だ。

「……分かっただろう? ベルさんに秘密にする理由が」

 バルシャの言葉に、スカロンは何も答えられなかった。








「さぁてと! じゃあ、おさらいしてみましょうか!」

 転がる鈴のような、可愛らしい声が響いた。声は可愛らしいが、どこか、やけっぱち気味である。憤りを無理矢理に抑え込んだ、そんな声色だった。

「まず、サイズ。身長は?」
「178サント」

 答えたのは、アクセル。その声に満足したように、彼女は言葉を続けた。

「おっぱいは?」
「95サント」
「お腹は?」
「58サント」
「おしりは?」
「92サント」

 淀みないアクセルの答えに、彼女は益々機嫌を良くする。

「続いて……髪の色は?」
「ゴールドで、少しブラウンが強め。ヨーク麦の色」
「瞳の色は?」
「僕と同じ空色で、それをちょっと濃くした感じ」
「肌の色は?」
「桃林檎の果肉の色。唇、乳首は鶏肉の色」
「肌の質感は?」
「もっちりしていて、手に吸い付くような感じ」
「すね毛は?」
「無し」
「脇毛は?」
「無し」
「下の毛は?」
「うっすら」

 依然として淀みなく、アクセルはすらすらと答える。

「素晴らしいわ、アクセル! パーフェクトよ!」
「ありがとう、ありがとう」
「いや、ごめんなさいね? もしかしたら、忘れちゃったのかなー、って思ったの。でも、そう思った自分を叱ってやりたいわ。貴方はこんなにも、真剣に聞いていてくれたというのに」
「自分を責めちゃだめだ」
「うん、ありがと。でもね、やっぱり不安になるじゃない? 私、ちゃんと言えてたかなー、とか。言い間違えてなかったかなー、とか。逆にアクセルが、聞き間違えちゃってたりしないかなー、とか」
「まさか。僕は君の言葉なら、いつだって真剣に聞いているさ」
「んもう、お上手なんだから! アクセルったら、イケナイ子!」
「そんな。事実を言ったまでだよ」
「そうよね。ここまでちゃんと、完璧に覚えてくれてたんだもん。聞き流してたんじゃ、こうはいかないわよね」

 そこで一旦、彼女は言葉を切った。アクセルは微笑みを絶やさないまま、続きを待つ。

「……さて。あのね、アクセル。貴方がこれからも、私の言葉を真剣に聞いてくれることを期待して、一言いいかしら?」
「うん」
「あんたっ、頭にクソでも詰まってんじゃないの!?」

 我慢の限界が来たのだろう。彼女は声を荒げ、怒鳴りつけた。尤も、アクセルは微塵も動揺せず、相変わらずの笑顔を浮かべていたが。

「何なの? 何が悪かったの? 私の言い方? あんたの聞き方? 私の態度? あんたの記憶力?」
「んー。いっそのこと、君の頭がイカレてる、ってことでどう?」
「何で妥協してやった、みたいな言い方してんの!? わかった、あんた目も悪いんでしょ!? 私の頭身、言ってみなさい!」
「二頭身」
「驚きね、大正解よ!」

 文字通りに地団駄を踏んでも、それはペシペシと気の抜けた音しか生み出さない。
 大きな頭に、それと同じくらいの大きさの身体。二つ合わせて、高さは30サント程。そんな人形が、目を怒らせ、アクセルを睨み付けている。背に括り付けられたナイフは、さながら大剣のようだった。

「ねぇ! 私、ちゃんと言ったよね!? 数学的正確さで、ちゃんと言ったよね!? なのに何で!? 何でこんなサイズなの!?」
「あれ、お気に召さなかった?」
「注文完全無視しといて、その言い草は無いでしょ!? 泣く子も黙る幻の傭兵『地下水』サマを、こんな愛され系マスコットにしちゃってさぁ! ほんっと、何でなの!? 嫌がらせ!?」
「違うよ、ちゃんと考えあってのことさ」
「聞かせなさいよ、その考え! さぞかし崇高なことなんでしょうねぇ!」
「君みたいな性格の娘は、チビであるべきだ。小さい身体で生意気なこと言ってるのがいいんじゃないか。大丈夫、可愛いよ」
「あんたの性癖はどうでもいいの! 何とかしてよ、この身体!」
「……今の、ちょっとエロいよね」
「ちゃんと聞けぇ!!」

 ニコニコとこちらを見下ろしてくるアクセルに、二頭身人形は飛び跳ねて怒鳴る。表情筋にはこだわっており、現在の“地下水”の感情は、その顔からはっきりと見て取れた。

「そりゃね! 私、確かに、一年前は敵だったわよ!? でもね、あんたが身体を作ってくれるって言うから、味方になってあげたの! わかる!? 真面目にやらなかったら、また敵に回るわよ!」
「あー、それもいいかも」

 “地下水”自身、かなり際どい発言をした自覚があるのだが、それでもアクセルはへらへらと笑っている。そのことが更に、彼女の神経を逆撫でした。

「あー! 何それ! あたし、傷付いちゃったなー! ぞんざいな扱いされて、心が痛いなー! 別に私なんか、あんたにとっちゃ、どうでもいい存在なわけね!」
「……そんな筈無いだろ?」
「!?」

 不意に、身体が浮き上がる。そっぽを向いた“地下水”を、アクセルは優しく抱き上げると、自分の膝の上に乗せた。

「ちょっ!? な、何してんのよ!?」

 人形の頬が紅潮しているのを見られないよう、彼女は必死で顔を背ける。その頭を慈しむように撫でながら、アクセルはそっと囁いた。

「ねぇ、“地下水”。僕は君が味方になってくれて嬉しいし、味方で良かったと思ってる。ゼナイド戦の時も、ちゃんと助けてくれただろう?」
「……あれは……あんたに死なれたら、もう、私の身体を作ってくれるヤツがいなくなるから……」
「それでも、ありがとう。普段は照れ臭くて言えないんだけど、実はちゃんと感謝してるんだ」
「……何よ、それ」

 頬を膨らませる“地下水”だが、それ以上暴れようとはせず、大人しくなる。

「でも、それは僕が勝手に感謝してるだけだ。もし、僕の事がイヤなら、ここを出て行ってもいいんだよ?」
「そっ、そんな事……!」
「だって敵として現れてくれたら、躊躇わなくて済むし」
「…………は?」

 不穏な言葉に、思わず彼女は振り返った。見上げたアクセルの顔には、何故か、期待の色が浮かんでいる。

「……躊躇うって……どういうこと?」
「いや、君のことは大事にしたいと思ってるんだけどね? 発明家としては、当然、分解してみたい、って気もあるわけで」
「……もうやだ、この両性類!」

 タッタッタッタッ……

 歯車が回転する音と共に、工作室の扉が左右に開いていく。膝の上で暴れる人形を軽々と抱き上げながら、アクセルは訪問者に目を向けた。

「失礼します」

 愛くるしい声と共に、そのメイドはお辞儀をする。アクセルの顔が、だらしなく歪む。どうやってもそうなってしまうので、気張って表情を作ることはとうの昔に諦めていた。

「テ〜ファっ!」

 傍らのソファに放り投げられた人形が、思わず間抜けな声を上げる。満面の笑みのアクセルは、幼いという形容から徐々に脱け出しつつある少女に駆け寄った。その両脇に両手を差し込み、勢いよく持ち上げると、そのままクルクルと回り出す。

「どうしたのかな、テファ?」
「姉さんの熱が下がりました」

 少々困惑したような笑みを浮かべ、ティファニアは告げた。アクセルは歓喜の声を上げると、振り回していた彼女をそっと着地させる。

「ほんと、びっくりしたよ。ただの風邪で良かったけど」
「アクセル様のお陰です。ありがとうございました」

 ぺこりと折り目正しく頭を下げるティファニアに、彼は苦笑いする。膝を立て、目線を合わせると、少女の尖った耳を愛しげに撫でながら、瞳を重ねた。

「ねぇ、テファ? 家の中でくらい、お兄ちゃんって呼んで欲しいなー」
「……でも、それは……」
「お願い! ね?」
「……んー……」

 はにかみ、顔を伏せ、ティファニアはメイド服の布地を指で摘み上げる。その仕草に感極まったのか、アクセルは少女を抱え上げた。

「ああもうっ、ごめん、テファ! 困った顔も可愛いなぁ!」
「……“お兄ちゃん”は……子どもっぽくて、恥ずかしいし」
「このおませさん! と、それじゃあ……」

 この短時間で上下動を繰り返されたティファニアは、若干蹌踉けながら着地する。アクセルはその小さな手を握り、支えるように寄り添う。

「お見舞いに行こっか。お腹も空かせてるだろうし」
「はい」

 二人揃って部屋を出ようとしたところで、ソファから叫び声が上がった。

「ちょっと、私はどうすんの!?」
「また後で来るからさ。大人しくしててね」
「ていうかこの身体、何これ!? 頭重っ! ひ、一人じゃ起きあがれない?! ねぇ、ちょっと待ってよ! せめて立たせて……! あれ、アクセル! アクセルくーん!?」

-63-
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