小説『漂流のA(ゼロの使い魔二次)』
作者:権兵衛()

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第1章 青き春の章

第5話<邂逅参>




 「……なぁ、行かなきゃダメ?」
 「勿論。さあ、さっさと」
 「け、けど、何言えばいいのやら」
 「そうだな……。ここに集まっているのは、あのお爺さん曰く負け犬だ。だから……思い出させてやればいい。負け犬じゃないってことを」



 何故、老人はナタンを選んだのか。本当に、消去法だっただけか。
 それとも、メイジを倒せるような強さを見せつけたから?
 どうせ死ぬんだし、その後のことなど知ったことか、という考えから?

 今となってはわからないし、その術も無いが、アクセルはあまり気には留めなかった。
 あの老人はこれまでの人生の中で、何人もの人間を見てきて、何人もの人間と接してきた。
 その経験豊かな老人には、人を見る目がある筈だ。人を見る目がある者が、ナタンを選んだというのなら、ナタンは決して無能な人間ではない。人の上に立つ器量があり、組織を任せられる人間である……と、それは言い過ぎかも知れないが、とにかく素質はあるのだろう。

 今はまだ、大物でなくてもいい。これから、そうなって貰えばいい。

 「……よう、負け犬ども」

 ゼルナの街、東地区の、完成した娼館前。集まった人々の前で、自己紹介すらせずに、ナタンはまずそう言った。

 クルコスの街の奴隷市場は、表のものを残して閉鎖された。それを運営していくために必要な人員を残し、あとの、特に裏の奴隷市場を運営していた人材には、全てゼルナの街へと移ってもらっている。
 バルシャを筆頭に、揃ったのは屈強な男達。彼等には、少しでもナタンの迫力を増すために、現在ナタンの両側に待機して貰っている。

 「お前らは、何故、ここにいる? 何に負けてきた?」

 壇上に出る前は、あれほどオドオドしていたのに、既にナタンの顔には、何の迷いも見受けられなかった。本当に同一人物か?と、少し遠くから見守るアクセルは疑いたくなる。

 (蒼天航路の劉備みたいなもんか?)

 「自分には何も出来ない。自分には何の価値もない。このまま、死ぬまでずっとこのままか? このまま逃げ続けるのか?」

 拳を握り締め、双眸を鋭くし、集まった群衆の顔の一つ一つを確認していくように……。

 (……ああ、そうか。“怒り”か)

 アクセルは静かに、その迫力の正体を認識した。
 何に対する怒りか……それは薄々としか分からないが、とにかくナタンには“怒り”があり、その“怒り”の火炎を広げようとしている。その熱気で、煽動しようとしている。

 「ふざけるなぁっ!!」

 人々が、震えるようにざわめいた。

 「いいかっ、ここはっ、この糞溜めは! テメェ等の崖っ縁だ! ここから一歩でも逃げてみろっ、真っ逆さまに落っこちて、糞みてぇな結末を迎える! そうなるくらいならっ、テメェの足を信用して、前に踏み出せ! テメェの足も信用できねぇってんなら、仕方がねぇ! この俺を信じてっ、ついて来い!! そうすればっ、いつかテメェ等だって、イヤでも気付く!」

 一層の大声を張り上げた後、ナタンの言葉は途切れる。
 最早群衆の中に、喋る者はおらず……不思議な静寂が訪れていた。

 そんな中で、ナタンは再び口を開き、黒鉄のように重厚な声で、告げた。

 「自分たちが結局、何も……負けちゃいねぇことに」

 アクセルは指で合図を送ろうとして、その動きを止めた。
 群衆の彼方此方から、雄叫びのようなものが沸き上がり、それは一つの巨大な流れとなって、広場を支配する。
 誰も彼もが、叫んでいた。
 アクセルが予め、群衆達の中に仕込んでおいた、歓声要員。合図と共に声を張り上げ、場を盛り上げようとしていたのだが、アクセルは、それが無用の小細工だったことを知った。仕込みの彼等ですらが、熱狂して無我夢中で雄叫びを上げていて……例え合図をしたとしても、気付きもしなかったのではないかと感じる。

 (まさか……ナタンめ、自力で二こ神さんの名台詞に辿り着くとは……)

 最初、アクセルがナタンに目を付けたのは、その身長とスタイルと、イタリア人モデルみたいな顔と……要するに、外見であった。事実、少々身綺麗にさせるだけで、ダンディが服着たみたいな男になった。
 イタリアと言えばマフィアだよね、じゃあマフィアとかヤクザとかの親分させようかなぁ、と、いい加減にその後を決めていったのだが、既にある程度満足している。取りあえずは、こんな、人々を熱狂させるような男ではあったのだから。

 「テメェらは今日っ、たった今からっ、この俺の家族だ!!」

 最後にそう言い、ナタンが壇上から去った後も、人々の雄叫びは止まなかった。

 「ベルっ、来いっ」

 命令するような口調に、アクセルは大人しく従う。ナタンはそのまま、まだ誰もいない事務所の中へと進んで行き、その中の一室へと入ると、ドアを閉めた。

 「ベル、この部屋は何だ?」
 「えーっと、皆のデスクの隣だし、ナタンの仕事部屋にしようと思ってる。ナタンのお客さんが来たら、ここで迎えるのもアリだし。扉も特別製だし、外に音が漏れる心配も少ないから、内緒話の時もいいかもね」
 「そうか。つまりここなら、基本的に何してもいいわけだな?」
 「まぁね」

 そう答えた、次の瞬間だった。
 それまでアクセルに背を向け、こちらに顔を見せなかったナタンが突如振り向き、崩れ落ちるようにして、アクセルの腰にしがみついた。

 「……え?」
 「こっこここっ、怖ぇぇぇかったぁぁぁぁぁあ!」

 流石に、涙は流さなかったが……ナタンは絶叫して震えながら、アクセルの小さな腹に顔を押しつける。

 「石とか泥とか投げつけられたらどうしようって! 一人でどんどん熱くなっちゃって、みんな白けてたらどうしようって! ぶっちゃけると昨日からっ、全然眠れてねぇんだぁぁぁ!」
 「……あー、よしよし。スティール氏か、お前は。え? じゃあ僕ルーシー?」
 「なぁっ、俺っ、やってけるのか!? あの爺さんの死に顔がちらついて、ついついあんな突っ走っちまったけど、本当に俺がボスでいいのか!?」
 「……もっと自信を持ちなよ」

 跪いて縋り、震える青年に、先ほどの思いがガラガラと無かったことになりそうになるが、アクセルはそっと彼の頭を撫でた。

 「そ、そうか? あの演説で、大丈夫だったか?」
 「ああ、勿論。期待以上だ」
 「本当か!?」
 「ああ、本当だ。大丈夫、もっと胸を張っていいよ」





 ある程度個人情報を収集し、何とか形になった名簿を見ているうちに、役に立ちそうな人材が大勢埋もれていたことに気付いた。

 足が不自由になったせいで、お払い箱になった建築作業員がいた。彼を監督官として雇い、他の作業員達の指導と育成を任せ、東地区の建築物整理に貢献させることにした。

 貴族の不興を買い、追放された音楽家がいた。肉体労働者のテンションを上げ、疲労を軽減させるため、音楽隊を作り現場で演奏してもらった。

 農地を奪われ、職を求めて流れ着いた農民の家族がいた。表の内政で、農業の効率化と品種改良を目的とした試験農場を作る予定だったので、そこの管理を任せることにした。

 盗賊団に放火され、店を失った料理人がいた。建築現場の食事を任せ、ゆくゆくは店を持ってもらうことにする。

 屈強そうな男は、自警団を組織させてナタンのファミリーの傘下に組み込み、東地区の治安維持をさせた。

 極少数ではあるが、メイジもいた。水のメイジは医者として、土のメイジは建築作業の補助として雇い、あとの二系統のメイジは取りあえず自警団に入れた。

 「……人材の、総合デパートやー」
 「え?」
 「いや、何でもない」

 こちらを向いたナタンに、微笑みつつ首を振ると、アクセルはソファの上に寝そべったまま、頬杖を突いた。

 この子爵領に流入する難民の数は、多い。偶然かも知れないが、原因を挙げてみるのなら、やはりそれだけ出入りが甘いからだろう。
 ラヴィス子爵がしょっちゅう隣接した領土を通るためか、それともまともな代官がいないので舐められているのか、とにかく人々が入って来やすい環境ではある。もしかしたら周囲の領主も、面倒な難民は全て、ラヴィス子爵領に任せようと考えているのかも知れない。

 まぁ、アクセルとしては好都合だった。クルコスの街の奴隷市場の組織と連携し、金持ちたちがこのゼルナの街に遊びに来るように仕向け、また奴隷市場に出品する前に、めぼしい奴隷はこちらに送ってもらう。そんなことがスムーズに行える事の一因は、この領土の気質によるもの。

 (そうだな。取りあえず東地区に必要な施設は、まずこの事務所。娼婦の健康状態も万全に保たなきゃならないし、病院も早く完成して欲しい。店なんかは勝手に出来ていくだろうけど、バルビエの財産も少なくなってきたし、賭場も必要か。……娼館の完成形としては、日本の遊郭みたいなのを目指しているから、宿泊施設は……いや、やっぱり必要だ。客が全員男ってわけじゃないんだし。けどそうなると、男娼も必要だよなぁ。まぁ、そういう趣向の客がどのくらいいるのかは分からないけど。それに、男娼が一日に相手できる数なんて、多寡が知れてるし。……いっそ、ホストクラブを作るか?)

 いや、焦るな……先走るな……と、アクセルは自らに言い聞かせる。

 娼館も早速オープンさせ、ボチボチ商人らしき客も来たが、早速問題が持ち上がった。

 馬車を停車させておくスペースが足りなくなったり、予約のダブルブッキングが起こったり。細かなことで言えば、予定していた料理が届かず、急遽アクセルが知識を総動員して、珍しい定食を作ってお茶を濁したり。

 (たかが東地区一つ……更に言えばその中の娼館の管理ですら大変なのに、一つの街の内政だなんて……)

 ついつい後ろ向きな思考に陥りそうになるが、原因は人手不足であるとはっきりしている。四則計算どころか、足し算引き算を完全に出来る人物も少ないのだ。

 (やっぱり、文字を知っているのは当然として、四則計算もマスターして欲しいな)

 12×12の暗算ならまだしも、7×8の暗算で尊敬の目を向けられるとは思わなかった。これで前世がインド人だったら、神として降臨していただろう。

 「すみませんっ」

 ナタンの仕事部屋に駆け込んできたのは、バルシャだった。

 「樫の間のお客さんの所なんですが、女の子が足りず……」
 「すまねぇが、頼めるか? ベル」
 「あら。この姿の時は、アリスでお願いしますわ“お兄様”」

 言葉遣いを改めつつ、そう言って立ち上がったアクセルの姿は、成る程少年には見えなかった。
 黒と白を基調とした、所謂ゴシックロリータのワンピースドレスに、同じく黒白縞模様のハイソックス。黒髪のカツラの毛先が、小さな身体の太腿にまで達している。
 源氏名はロリカードかEASYのどちらにしようかと迷ったが、結局アリスという名に落ち着いた。

 「さて、一応練習を……。初めまして、アリスです。特技は楽器演奏と歌を歌うこと。あとは正拳突きですわ」
 「似合いすぎてて怖ぇーし、特技の後半も怖ぇーし。……そう言えば、その妙にリアルなカツラって……いややっぱ聞きたくない」

 実はアクセル自身、なかなか楽しんで演じていたりする。
 音楽については、母親の生き甲斐でもあるので、必然的にアクセルにもそれなりの腕はあった。どうせ声変わりすれば、こんな高音は出せなくなるし、今のうちに堪能しておこうと思っている。

 初めは緊張したが、一度経験してしまえば度胸がついて、不慣れな新人よりも接待が上手くなっていた。

 (……ここか)

 応援要請は、“樫の間”。部屋には階級ごとに、大きく分けて三つの種類があり、上級は花の名前、中級は木の名前、下級はその他の植物の名前だった。
 応援とは言え、年若すぎる女の子は娼婦ではなく、繋ぎの役割を果たす。ただ酌をしたり、話し相手になったり、その他の雑用だったり……。勿論今回のアクセルの役割も、避妊具の準備が出来ておらず、娼婦が部屋に到着するまでの助っ人だ。

 「失礼致します」
 「遅ぇぞ!」
 「大変申し訳ありません」

 部屋に入る前から、怒号が響いた。ああ、そういうお客さんかと、大方の目星をつけて、アクセルは入室する。

 いかにも不機嫌、といった感じの男だった。足下には二本ほど、ワインの空き瓶が転がっており、手には中身が入ったものが一本。だらしなく椅子に腰掛け、ワインをラッパ飲みしつつ……濁った目が、アクセルに向けられた。

 「……ほぉ」

 なかなか体格のいい男だった。恐らくは、傭兵か何かだろう。一仕事終えて、まとまった金が入ったので……と、そんなところか。

 男はアクセルを見て、感心したような吐息を漏らすと、もう一口ワインを飲み込み、椅子から立ち上がった。

 「お前、名前は?」
 「アリス、と申します」

 小さなヴァイオリンケースを床に置き、広がったスカートを両手で摘み上げ、なるべく礼儀正しく挨拶をする。顔は、微笑を忘れない。

 「特技は」

 そう言いかけた時、男の手が自分に向かって伸びているのに気付いた。そのまま気付かない振りをして、足下のヴァイオリンケースを持ち上げると、くるりと回りながら男の手を避け、男の後ろ、テーブルの前に移動する。空振ったその男は、二歩ほどたたらを踏んだ。

 「楽器演奏と、歌です。一曲如何ですか?」

 テーブルに置いたヴァイオリンケースの留め金を外し、蓋を開ける。が、今度は背後から、肩を掴まれた。流石に知らない振りが出来る状況でも無いので、どうしようかと考えていると、そのままベッドへと放り投げられる。

 「あの、お客様?」

 慌てず、騒がず……ベッドの上で上半身を起こしつつ、アクセルは首を傾げた。男が、ベッドの上へと登り、膝立ちになってのしかかってくる。

 「一曲と言わず何曲でも、歌ってもらおうか。身体でな」

 男はニヤリと口の端を吊り上げると、ワンピースの襟部分に指を入れ、左右に引き裂いた。あっという間に上半身が露わになり、肌が晒される。

 (サムいんだよぉぉ! 何だその台詞! プレイボーイ気取るんならっ、女の子の服くらい、テメェの手を使わず脱がせてみろってんだ!)

 アクセルの服は、上の部分が左右に破れていた。キスでもしようと顔を近付けてきたら、容赦なく掌底を叩き込むつもりだったが、男はアクセルの両肩を掴んで阻めないようにしながら、一心不乱に上半身にしゃぶり付いている。

 (……うわぁ)

 嫌悪感はあるが、意外に冷静だった。舌先で乳首を舐め回されても、くすぐったいだけで特に問題ない。爬虫類か何かが這い回っていると考えれば、寧ろ嫌悪感は薄れた。
 じっと、忙しなく動く男の頭頂部を見下ろしてみる。人間の男ではなく、何か下等な生物のように思えた。

 (そう言えば俺、前世では結局童貞のまま死んだけど……初体験の時、きっとこうなってたのかなぁ? うわぁ、じゃあそうなってたら、相手の女の子にこんな目で見られてた? あはは、乳首吸いまくってるよコイツー、全然気持ちよくないってのー、とか? ああもう、清いままでよかったー)

 もしかしたら、現実逃避だったのかも知れない。
 ふと、アクセルは尋ねなければならないことを思い出した。

 「あの、お客様? 私の前にお相手をしていた女の子がいた筈ですが、その子は……」

 返事は、聞くまでもなかった。

 自分の、頭の左。ベッドと壁との隙間に、小刻みに震えている、藍色の何かが見える。

 「…………」

 すぅっ、と、冷静だった脳が、別の冷たさに支配されていくのを感じた。
 男は舌舐めずりをしながら、自分のシャツに手を掛ける。そして、男が衣服を脱ぎ去ろうとした瞬間、顔が隠れた時……アクセルは拳を握り、中指の第二関節を尖らせると、起き上がりつつ男の脇腹に突き刺した。

 「むごっ!?」

 視界が効かない中、予想だにしなかった衝撃と痛みを受けて、男の身体はベッドの上から、部屋の中央側へと転げ落ちた。
 アクセルはその反対側に降りると、しゃがみ込む。
 藍色の髪の少女が、膝を抱え、身を縮め、ぶるぶると震えていた。

 「大丈夫? どこが痛い?」

 顔、腕、脛……体中に、アザが出来ていた。全身痛いに決まっているだろうと、質問の馬鹿馬鹿しさに自ら呆れつつ、アクセルは少女に手を伸ばす。少女は大きく身体を震わせて、恐る恐る、アクセルの……いや、アクセルの手を見つめた。また殴られるとでも思ったのだろうか。

 「てんっ、め……」
 「お客様。この娘は未だ見習いです。何か不作法がありましたか?」

 見習いの娘には手を出さないように、と、十二分に説明がなされているにも関わらず……。

 ベッドから落下した男は、ようやく服を脱ぎ去ったのだろう、怒りに満ちた表情でアクセルの背後に立つ。

 「ここは娼館だろうが! こっちは、金払ってんだ! なのにっ、そのガキがよぉ、股の一つも開きゃしねぇ! テメェの身体で許してやろうってのに、何なんだ一体!」

 藍髪の少女の衣服は、ボロボロに引き裂かれていた。

 「……その、大変はしたない言葉遣いなのですが……“突っ込んでは”いないんですね?」
 「そうだよっ! そのガキっ、必死になって抵抗しやがって! 見てみろっ、このひっかき傷!」
 「……よかったですね」
 「ぁあっ!?」
 「“突っ込んでたら”……くたばって貰ってましたから」

 精霊の力を使うつもりはなかった。それが、精霊に対する冒涜であるようにも思えて。
 再び中指を立て、振り向きざま、肝臓目がけて拳を叩き付ける。

 「っ……ぃっっ……!!」

 声にならない悲鳴と共に、男は膝をつく。足を上げ、ちょうどいい高さまで落ちてきた顔を蹴飛ばすと、男の身体は背後の棚にぶつかり、今度は仰向けのまま崩れた。

 「……っ……!」

 額にねばついた汗を浮かべ、身体を丸めて悶絶する男の頬を、軽く叩く。

 「もし。もし、この娘に、その汚物と変わりないモノを、1サントでも突っ込んでいたら、根元から切り取って……汚物は汚物らしく、あなたの後ろの穴に突っ込んでいました。例え突っ込んでいなくても、是非ともそうしたい気分ではありますが、追放一号の記念に、やめておいて差し上げます」

 そこまで言った時、バルシャが駆けつけた。

 「バルシャさん。この人、お帰りです。“たっぷりとお土産を持たせて”放り捨ててあげて下さい」





 藍色の髪の少女が、ようやく立ち上がったのは、それから一時間後。アクセルに抱きしめられ、頭や背を撫でられながら、何とか落ち着いてくれた。

 「おいっ、べ……じゃねぇっ、アリス! 無事か!? 純潔は!」
 「ふざけた事言ってると、唇を縫い合わせますわよ。お兄様」
 「……うおおおっ、ち、乳首丸出しじゃねぇかぁぁ!」
 「こんなもん、ただのピンク色したホクロですよ。もしくはニキビ。それと、他の部屋のお客様に迷惑です」

 ナタンには仕事を続けるように言ってあったが、連絡を受けて一時間後に来たということは、ちゃんと終わらせたのだろう。心配して駆けつけてくれたことについては、感謝しておく。

 アクセルは少女と抱き合ったまま、地下の大浴場へと向かった。この事務所の中で、アクセルが一番拘った場所でもある。偶然ではあるが、地中深くから温泉がわき出していることに気付き、わざわざメイジまで動員して、地下から汲み上げるようにした。掛け流しの温泉という、贅沢なもの。まだ人が少ないので、入浴時間をずらすという方式だが、いずれはもっと広くして、男湯女湯混浴の三つを作りたい。

 そう言えば、確か温泉には火山性と非火山性があった筈だ。近くに火山はないので、非火山性なのだろう。とすると、地熱ででも温められているのだろうか。

 「……ここに来るのは、初めて?」

 アクセルの問いに、少女は少し頷いた。入浴という文化も無いことは無いのだが、せいぜい小さなバスタブに湯を張る程度。ここまで大きい、入浴のだけの為の場所は見たこともないらしく、ランプや天井を見回している。もっとも、その仕草はかなり控え目なものだったが。

 「それじゃ、入り方を説明しようか」

 服を脱がせ、腰にタオルを巻いた状態で、浴場へ入る。ナタンの名前付きで、壁には手順のパネルを嵌め込んである。

 「まず、身体と髪の毛を洗って。それから、ゆっくりつかるの」

 少女は未だ何も喋ってくれないが、膨らんできている体付きから見るに、アニエスと同じくらいの年齢か。

 (……変だな)

 前世では、中学生どころか小学生の二次絵でもイケたのに、ついに息子は反応しなかった。まぁ、流石に自分の肉体年齢が幼すぎるし、それにこの少女をどうこうしようとは思わない。何だか、肉親……妹を風呂に入れている気分で、性欲よりも父性が勝る。

 「しみるけど、ちょっと我慢してね?」

 石鹸を泡立て、少女の身体を洗っていく。こびり付いた血を拭い取り、同じく石鹸を泡立てて、髪も洗った。流石に女の子であるのでシャンプーを使うべきかも知れないが、そもそも成分を知らない。
 股の間の大事な部分も、念のため、裂傷などが無いか確認しつつ、洗う。

 「よし。それじゃ、あとは傷を……」

 少女が大分リラックスしてくれたのを見て、両手を伸ばす。

 まず、左右の手をそれぞれ一本ずつの杖に見立て、ディテクトマジックの要領で、怪我や病気の場所を探す。ここで引っかかることがあれば、更に指を一本一本杖に見立て、十本の指でディテクトマジックを行うのだが、幸い骨にも異常は無かった。

 「はい。ちちんぷいぷいっ、と」

 この程度の怪我なら、別に詠唱は必要なくなったので、代わりにおまじないのようなかけ声と共に、ヒーリングを使う。
 引いていく痛みに驚いたのか、それとも杖を使わずに魔法を使ったことに驚いたのか……両方か。

 (そうだ、つい杖を忘れて……。まぁいいか)

 自分を見つめる少女に構わず、

 「さあ、風邪引かないうちにさっさと入ろう?」

 手を引いて湯船に誘った。腰のタオルを取った時、少女が驚いたことで、そう言えばそうだったと思い出す。

 「普通はタオルを取るべきなんだけど……まぁ、どっちでもいいよ」

 タオルを畳み、頭を上に乗せると、少し迷っていた少女もそれに習い、アクセルの隣に腰を下ろした。

 「あっ、と」

 何か背中に違和感があると思ったら、すっかり忘れていた。アクセルは髪の毛を手早くまとめると、頭上に持ち上げた。女装したまま湯船に入ったことが無いので、結い上げる方法がわからない。

 (……しかし、話さないな)

 少女を盗み見ると、水面に顎を浸し、じっと揺れる湯を見つめている。

 「……髪」
 「?」
 「いや、自分では結ったことなくて……。お湯につけちゃ駄目だし、ちょっとやってくれる?」

 少女に背を向け、アクセルはカツラの黒髪を示す。迷った風もなく、彼女は長い髪を一纏めにすると、頭上へと結い上げてくれた。

 「ありがと」
 「…………」

 少女は、何も言わずにそっと微笑んでくれた。
 あの客に殴られた時も、悲鳴ぐらいは上げただろうに、誰も気付けなかった。ということは、悲鳴も上げなかったのか。

 「……喋れないの?」

 そう聞くと、少女は僅かに頷き、そしてボロボロと涙をこぼし始めた。

 「そっか」

 肩に手を伸ばし、抱き寄せると、少女も抵抗せずに抱き付いてきた。

 「……頑張ったね。偉かったね」

 恐らくは彼女も、奴隷として売られて来たのだろう。確かに可愛い顔をしているし、将来有望と判断してこの街に送った組織の行動も、間違ってはいない。

 少女は声も出さず、ただ涙のみで、泣いていた。

 (……どう思うかな)

 彼女がこうやって、アクセルを信頼しているのは、同じ境遇の子どもだと思っているからではないのか。
 しかし、アクセルは管理側の人間である。この少女を含む、女達を買い取った側の人間。決して、味方ではないのだ。
 それを知った時、彼女はどうするか。

 「……何だろうね、君の名前は」

 ふと、呟いてみる。すると、少女は抱き付いたまま、アクセルの背に人差し指を這わせた。
 すぐに、文字を書いているのだと気付く。

 (文字が書けるのか……。そう言えば、身体を洗っている最中にも、特に恥ずかしがってる様子は少なかったような……。没落貴族か?)

 ミシェル……アクセルの背にそう書いた後、彼女は涙を拭った。

 (ミシェル……か。うん、よくある名前だ。うん、よくあるよくある)

 確認してみたい気もするが、それはゆっくりとやりたい。共通点もせいぜい、髪の色と名前だけだが……正直に言うと、ビビッていた。

 (何? 原作キャラって、スタンド使いみたいなもんなの? 引力でも発生してんの?)

 何度考えても、結論は目を背けたくなるような場所へと辿り着き、アクセルは天井を見上げて溜息をついた。


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