小説『漂流のA(ゼロの使い魔二次)』
作者:権兵衛()

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第1章 青き春の章

第6話<安住>



 つまり! この地は特異点なのだよ! やたらと原作キャラが集まってくる!

 な、なんだってー!?



 (……いやでも、ミシェルはアニメだけのキャラだから、セーフだよな? よな?)

 結局、ミシェルは娼婦見習いから弾き、貴族であったことを確認し、事務を手伝わせることにした。

 (これで……計、四人か)

 マチルダ、ティファニア、アニエス、ミシェル。

 (いや……そりゃ少しくらいは、美人な原作キャラとお近づきになりたいとは思ったけど……近すぎる!)

 どうあっても、自分の行動は、彼女たちに多大な影響を与えてしまうだろう。

 (マチルダ、ティファニアはともかく。ミシェルも、まぁとにかく。アニエスは、乖離しすぎだろ!)

 確かミシェルは……父親がリッシュモンの部下で、リッシュモンに責任をなすりつけられて没落して……リッシュモンが、父親の没落は国のせいだと唆して……それで、トリステイン王国に怨みを持って……。

 (うん、これは別に大丈夫か。どうせリッシュモンは、アニエスに殺されるんだし)

 そうなるとやはり、一番の問題はアニエスだった。
 はっきり言って、クレイモアのラキのような超進化を遂げるとは思えない。

 以前……そう、ちょうど、ナタンとアニエスを仲間に引き入れた後。
 アクセルがナタンに、剣の稽古をさせようとしたら、アニエスもくっついてきた。

 剣の技など知らないし、ダメなら護衛を付ければいい話なので、アクセルはナタンの才能に賭けることにした。

 (確か、剣客商売の鰻売りの男が、こんな稽古を付けてもらってた筈)

 要するに、まずは刃物に慣れさせようと思った。そこで互いに真剣を持ち、皮一枚を斬ろうとしたのだが、自分にそんな芸当が出来る筈がないことに気付いた。しかし、それと同時にもう一つ。自分が、ヒーリングが出来ることにも気付いた。

 だから斬った。結構ざっくりと。

 その時アニエスは、裏切り者と叫ぶナタンの悲鳴を無視して、さっさと逃げ出した。

 (……いくら何でも、女の子にあんな事しないっての)

 しかし、その翌日、覚悟を決めたように剣の稽古を付けてくれと言ってきたアニエスを、正直見直した。

 (っというか、何で俺に言うの。まぁいいけど)

 近くの森に赴き、木を切り倒し、木製の剣をいくつか用意して、更に十字架のような練習台も作った。

 「とりあえず、打ち込みまくれ。木剣が全部折れたら、また用意する」

 それだけ言って放置していたが、なかなか真面目に取り組んでいるらしい。

 (まぁ、俺が焦ってるだけか)

 正直、今の成長スピードで、メイジ殺しになれるのかと言われれば、恐らくノーだろう。しかし、成長スピードが一定というのも考えられず、これから何らかの経験を経て、ぐぐーんと成長してくれたらなぁ……と、半ば希望的観測に縋っている。
 最悪の場合は、自分がリッシュモンをこっそり暗殺するという手もあるのだ。

 しかし、所詮それらの心配は、未来のこと。

 今だって、大事なのだ。ようやく娼館も軌道に乗り出し、東地区も発展を続けている。アクセルも、ベルとアリスという二つの顔を使い分けて、こっそり様子を見ていたが、もう女の子が足りなくなるなど、そうそう無いだろう。

 アクセルは、自分自身の魔法について整理してみる。

 今、自分がどの程度かは分からないが、リーズに見せているのはラインクラスの実力。皆、だいたいラインクラスで壁に当たるのですよ、と励ましてくれるところから察するに、成長が停滞していると見られているらしい。

 勿論、魔法を使う時は杖を使っているが……実は、杖を使っていない。杖を構えているふりをして、人差し指で使っている状態だ。杖に添えた人差し指では使えても、杖自体は使えなくなっていた。
 少し焦りもしたが、そもそも手を失えば杖を持つことなど出来ないので、バレる可能性などないし、問題ないことに気付いた。

 停滞していると言えば、魔力の総量だ。

 通常、失った魔力は休んだりすれば回復するのだが、自分は魔力をだいたい祭壇に解放してしまうせいか、その回復能力が鍛えられたらしい。特に眠ったりしなくても、立ち止まったりしているだけで、どんどん魔力が回復していく。

 (まさか……そのせいか?)

 回復速度が速いのは助かるが、保有できる魔力の総量は、なかなか思うように伸びなかった。重い単発の攻撃か、早い連発の攻撃かというのはよくあるが、このまま総量が伸びなければ……つまり、最大MPが伸びなければ、大量に魔力を消費する大きな魔法など、永久に使用できないだろう。それはつまり、FF9の、成長しないダガーのようなもので……。

 勿論、祭壇に解放してある魔力を使う方法もあるが、自分の最大MPを超えれば扱えないし、そもそも都合良く祭壇近くにいるというのは、考えない方がいいだろう。

 (最大MPの上昇は、メイジのランクアップに絶対必要なんだよな……。スペルの難易度がドットからラインに上がれば、必要MPは二倍どころか三倍四倍になるし)

 どんな敵にも、自分一人の力で対処出来るようになりたい、と思うのは欲張りだろうか。
 しかしそれでも、もっと強くなりたかった。自分はナタンの弟分や妹分ということでファミリーに関わっており、正式な一員かと言われると微妙な立ち位置だが、現在の総合的な戦闘能力で言えば、最強であると自負している。それが自惚れだとしても、この外見と相まって、ジョーカー的な存在ではある筈だ。
 折角、組織が出来たのだ。例えどんな強大な敵が現れようとも、自分さえいれば蹴散らせる……それほどの強さが欲しい。

 (このまま、最大MPが伸びないのだとすれば……やっぱり、道具に頼るしかないのか?)

 流石に、今すぐに解決出来る問題ではなかった。

 「ヒュッ……」

 アクセルは軽く息を吐きながら、身を翻しつつ、後ろ回し蹴りを行う。天井から吊した木切れに当たり、コンッと小気味良い音が響き、揺れる。
 地下浴場の隣は、地下鍛錬場として整備されていた。

 「……今のも、違うか」

 他には誰もいない。独り言の相手は、自身の魔力……精霊だった。

 独自の近接格闘術を編み出す上で、アクセルが重視したのが“土”と“水”だった。“土”で拳を強化し、“水”で体運びをして威力を乗せる。例えを用いるなら、いずれ自分の打撃を、“水銀の鞭の先に鉛玉を付けたような”ものにしたい。
 精霊に尋ね、調節し、精霊の好みに合わせていく。文字通り、自然なフォームを作り出そうと模索する。
 だんだんと、動きの無駄が削ぎ落とされていく感覚は……勘違いであって欲しくはない。

 何度か試している内に、確かに、全ての歯車がガチリと噛み合ったような快感を覚える……そんな動きが、出来る時がある。
 その快感を、もう一度得たくて。あの高揚が欲しくて。
 何度も何度も、繰り返した。

 自分自身へのヒーリング能力が上がるにつれて、少々無茶な鍛錬も行うようになった。

 正拳突きと同じ要領で、但し、拳ではなく平手で。藁袋の中に小石を詰め込み、そこに突き刺すようにして……確か、貫き手という技だった筈だ。
 はっきり言わなくても、痛い。爪が割れたり突き指、骨折は当たり前で、酷い時には折れた骨が皮膚を突き破ったりと、かなりグロテスクなことになった。そりゃ独歩ちゃんだって、指を切り落としたくもなるなぁ……と、納得する痛みだったが、我慢できるまで続け、我慢できなくなったらヒーリング、というのを繰り返すうちに、更に治癒の腕前は上がり、最長でも五分ほどで完治するまでになった。

 我ながらよく続くなぁ、とも思うが、やはり、どんなに痛くてもどんなに酷くても、ヒーリングをすれば絶対治るという安心感が大きい。そうでなければ、きっと正拳突きの時点で投げ出していただろう。

 流石に周囲にバレるわけにはいかないので、程々にしておいた。

 隣の浴場で軽く汗を流し、再びアリスとなる。アクセルであることを隠すのなら、異性の方がいいと思ったので、最近ではベルよりもアリスの姿にお世話になっていた。

 地下から出ると、バルシャに声を掛けられた。

 「アリス殿。魔術書ですが、手に入ったものはお部屋に運んでおきました」
 「あら。ありがとうございます、バルシャさん」
 「いえ。それでは、失礼します」

 本当に有能な男だと思う。それでも、バルシャのボスは、彼の能力を人の下に立つ者の能力と判断したのだろう。
 あまり表情も変わらず、無愛想だが、よく働いてくれるし、真面目。既に、ファミリーにとって無くてはならない、中心人物の一人だった。

 魔術書は、行商人や他の領土からかき集めたもの。様々なルートを通じて、手に入るだけ手に入れた。勿論、噂など立たないように注意を払いながら。
 何とかしなければいけないのは、マチルダとティファニア、ミシェルに施された、声を奪う術。

 (まったく、便利な術だ)

 メイジにとっては、ただ喋れなくなるだけではない。最大の拠り所である、魔法を封じられるという呪い。

 ナタンの寝室の隣に作られた、アクセル用の部屋。戻ってみると、木箱が二つほど、部屋の隅に置かれていた。
 早速開封して中身を取り出し、テーブルの上に積み上げ、その中から水系統に関係するものをベッドの上に分けると、早速表紙を捲った。

 最初は、周囲の音を消し去る風系統の“サイレント”の応用かと考えた。が、サイレントの魔法は、基本的に術者の周囲の音を消し去るもので、対象を設定するようなものではない。自発的にサイレントを行っている、と言うか行うように呪いをかけられている、としても、マチルダとミシェルならともかく、虚無の系統であるティファニアが使える筈もない。

 次に考えたのは、水系統の禁呪“ギアス”。対象に制約を強制する魔法。流石に禁呪だけあって、その名を言及する書物すら殆ど無い。だが、あれは確か、条件発動型のものだった……ような気がする。いや、単純に“声を出してはならない”というギアスなのか。しかし、発動時に目に魔力の光が現れる筈であり……それも、完璧なギアスなら現れないのだが。どうも、声を封じるというのは肉体的なものであり、水系統による精神的なものではない気がする。声を出そうとする意志を封じるものなのか。とにかく、ギアスについて詳しく解説した書など、早々手に入るものでもないので、保留としておくしかない。

 (……でもなぁ)

 ギアスが禁呪だとすれば、たかが奴隷の呪いなどに使用される筈もないのではないか。もし習得していることがバレれば、間違いなく罰を受ける。

 三人を連れて来た奴隷屋を辿ってみたが、収穫は無かった。何でも、近年ガリア周辺で密かに流行し出したマジックアイテムを使うそうなのだが、その制作者の名は不明。手掛かりは途切れていた。そもそも、メイジが奴隷にされるなど滅多にないので、需要が多いわけでもなく、流通量も極僅かだ。

 「……ふぅ」

 一冊、一通り目を通したところで、畳んだ。今回手に入れたものと、事務所の中の書庫とを再び併せて、また考えてみなければならない。
 それに、マチルダにはあと十年で、トライアングルクラスにまで成長して貰わなければならない。今のランクは不明だが、早めに声の問題を解決しておきたかった。

 ヴァイオリンを手に、部屋を出る。前世ではせいぜい、ピアノで猫踏んじゃった高速演奏しか出来なかったが、これも母親の情操教育の賜物というヤツか。弾けるようになれば、なかなか楽しいものだと感じた。

 時刻は既に正午近い。娼館の中庭、日当たりの良い岩の上に腰掛けて、得意な曲を弾き始めた。
 まだ眠っている娼婦もいるので、控え目な、柔らかな曲を選ぶ。演奏を始めると、身体の周囲の精霊達が、嬉しそうに流れ出すのを感じた。普段お世話になっている彼等への、感謝の気持ちも込めている。
 何人か、娼婦達が手すりに寄りかかりながら、演奏に聴き入っていた。

 奴隷奴隷と言っているが、それは正式名称ではない。いや、書類上は、奴隷など非人道的なものは存在しないことになっている。
 彼等が売ったのは身体ではなく、あくまで“労働力”。奴隷一人一人は、正式な労働契約を結んでいるのだ。しかし“労働力”を発揮して貰うには、彼等の“肉体”が必要不可欠なので、仕方なくおまけの肉体ごと管理している……と、表向きにはそういう理由になっている。
 奴隷を禁止する法も、法律の隅っこには一応あるが、事実上何の効力も発揮していない。
 本格的な奴隷禁止が謳われ出すのは、このままだとまだ何十世代と先のことだろう。いや、もしかしたら永久に来ないかも知れない。奴隷は奴隷として生きていくしか道はなく、社会も、奴隷抜きでは考えられない。

 (……あのお爺さんの言っていたことも、よく分かる……)

 奴隷が必要不可欠な社会でありながら、奴隷がいなくなれば、世紀末の世が訪れるだろう。何の制御もルールも無い、文字通りの弱肉強食の世が訪れるだろう。
 それを、当たり前のことだと、どうしようもないことだと、他に答えなどないことだと……そう考えていながら、理解していながら尚、奴隷を必要とする世界に怒りを抱く。踏みにじられる人々がいることに、怒りを抱く。

 (……せめて、俺の手の届くところまでは)

 奴隷に、完全な奴隷となって欲しくはない。そう、ジョジョ五部の台詞を借りるならば、“眠れる奴隷”でいて欲しい。
 希望を失った人形となったとしても、その人形に、怒りを忘れない人間の姿を見ていて欲しい。その人間の、怒りの火炎に照らされていて欲しい。

 アクセルが思い描くのは、ナタンの姿だった。

 (俺じゃ、無理だなぁ……)

 自分が死にたくないから。少しでも安心して生きていたいから。アクセルの行動理由は、それが全てだった。

 (……過ぎた仲間を持ったもんだ)

 アクセルの中でも、ナタンは大きな存在となっていた。値踏みしていたあの頃とは違い、今では、尊敬の念すら持っている。

 (まぁ、それを表に出すことは無いだろうけど)

 少し心配していた、娼婦達の反乱も、今はまだ特に無かった。
 アクセル自身、娼婦を奴隷と考えていた面もあったが、彼女たちの明るさ……というか活力は予想外だった。奴隷として娼婦として売られて来て、明らかに気持ちが沈んでいる娘もいたのだが、殆どの娘がすぐに元気を取り戻していた。覚悟を決めた女は無敵だそうだが、なるほど確かに。腹の据わった彼女たちは、笑顔で客に接していた。

 (強いなぁ、彼女たちは)

 女装は出来ても、勿論心まで女にはなりきれない。永久に理解できないであろうその強さに、畏敬の念を抱く。

 「ん?」

 そろそろ昼食だ……そう思い、曲を終わらせ振り向くと、ティファニアがいた。
 流石に耳を露出させてはおけないので、耳の大部分が隠れる、獣耳をモデルにした帽子を作り、常に被らせている。そろそろ暑さが厳しくなっていくので、もっと涼しいものを考えねばならない。
 いつの間にか来ていた少女は、演奏に聴き入っていたらしい。立ち上がると、左手を握り、引っ張った。

 「ああ、お昼ご飯だね。呼びに来てくれたのかしら?」

 軽い微笑に、満面の笑顔を返してくれた。

 (ああもう、ほんっと可愛いなぁ……)

 たまらない気持ちになり、ティファニアの頭を撫でる。
 二人並んで厨房に行くと、マチルダやミシェルたちが調理器具を用意していた。

 「さて。それじゃ、始めましょうか。今日は……ローランさんから、お野菜を頂きましたし、シチューにしましょう。ミシェルは、お鍋の準備を。マチルダは、お野菜をお願いします。テファちゃんは、一緒にミートボールを作りましょうか」

 料理のスキルは、覚えていて損はない。特に、この三人は貴族の娘だったので、包丁すら握った事が無いようなお嬢様ばかり。

 (やっぱ、女の子の手料理も食べてみたいしなぁ)

 メイドの筈のリーズも、料理は出来なかった。どうやら料理というのは、貴族にとって比較的下等なスキルと思われているらしい。

 「しっかし、何でも出来んだな、お前」

 仕事が一段落したのだろう、ナタンが厨房の入り口でアリスを眺めていた。

 「お兄様もやってみたら如何かしら?」
 「いや、俺は食べるの専門だから。やっぱ、家でも料理とかすんのか?」
 「うーん、お菓子作りが主ですわねぇ」
 「もうお前、女として生きたらいいんじゃねぇの?」
 「声変わりするまでは、そうしましょうか。……あ、マチルダ。入れるのは硬いお野菜からにして下さいね」

 料理が出来れば、ナタンにも手伝わせて、テーブルに食器を並べる。その頃には、鍛錬していたアニエス、そしてバルシャも集まってきて、皆でテーブルを囲んだ。

 「始祖ブリミルよ、以下省略致します。それでは、頂きます、と」
 「毎度のことだが、ブリミルが可哀想だ」

 あの、食事前の長ったらしい台詞も暗記させられていたが、アクセルはあまり使う気にはなれなかった。いただきます、だけでいいのではないかと。

 「ところで、バルシャさん。大衆浴場の件ですが」
 「順調です。あと三日ほどでオープン出来るかと」
 「その近くに、屋台村でも作りましょうか」
 「屋台村?」
 「ええ。お風呂でさっぱりした後に、冷たい飲み物やお手軽な食べ物などを、気軽に楽しめる場所。廃材を再利用して、出店を作れば」
 「……なるほど。特に料理修行が必要ないものなら、すぐにオープン出来ますし」
 「お兄様はどう思われます?」
 「そうだな。これから暑くなるし、外で涼みながら、ってのもいいかもな」
 「では早速、暇そうな人達を集めましょうか。出来ることなら、大衆浴場のオープンに合わせ……?」

 そこまで言いかけて、アリスは隣を見た。ティファニアが、咎めるような視線を向けて、くいくいと袖を引っ張っている。

 「……ああ、そうですね。確かに。ごめんなさい、お行儀が悪かったですね」
 「どうかしたのか?」
 「いえ、テファが……ご飯中に、お仕事の話は止めなさい、と」
 「お、おぅ、確かにそうだな。すまねぇな、テファ」
 「申し訳ありません」

 アリス、ナタン、バルシャの謝罪に満足したのか、ティファニアは再び笑顔になってくれた。

 既にナタンも、エルフがどうのこうのとは言わなかった。少なくとも、この少女に関しては。こんな小さな女の子を怖がるのが馬鹿馬鹿しくなったのか、家族の一員と認めたからなのか。

 食事が終わりかけた頃を見計らって、アリスは厨房へと入る。用意していたデザートのケーキを切り分けると、テーブルへと運び、それぞれ小皿に取り分けた。

 「ほら、バルシャさんも取って下さい」
 「しかし、貴重な砂糖を自分などに……」
 「頭を使う人は、もっと砂糖を取るべきですわ。と言うわけで、はいもう一つ」
 「そ、そんな」
 「ベル君。バルシャさんはケーキが嫌いらしいし、私が食べてあげよう」
 「ほら、バルシャさん。隣の餓鬼に奪われちゃいますよ?」
 「餓鬼!?」
 「と言うことで、ミシェルとマチルダにも二つずつ。テファにも、二つ」
 「おいっ、おかしいだろう!? 何で私だけ一つなんだ!?」
 「おう、アニエス。心配すんな。俺も一つだ」
 「お兄様もアニエスも、あんまり頭使わないじゃないですか」





 食事を含めて、昼休憩は通常二時間としている。マチルダやミシェルには、その後も少し書類仕事をして貰ってるが、昼寝するティファニアが起きて一人だと寂しがるので、相手をするように言っておいた。

 「それでは、お兄様。参ります」
 「おう。いつまでも斬られてばっかだと思うなよ?」

 初めの頃は悲鳴と絶叫ばかりだったナタンも、今ではアクセル流に慣れていた。抵抗を諦めた、とも言える。
 勿論、いつも付きっきりで修行を見ているわけではないが、やる度に確かに、少しずつ成長していってるのを感じられた。

 アリスが持つのは長剣。ナタンの両手には、それぞれ剣が一振りずつ。
 以前ドリューブが雇ったメイジを相手にしたが、結局飛び道具を持たない平民は、接近して魔法を使わせないのが基本となる。それならば、両手に剣を持って素早く振り回した方がいいのでは……と、それはナタン自身の考えだった。

 「あれ? そう言えばお前、杖を持ってない時でも魔法使ってね?」
 「ああ、指の骨を杖にしてるから」

 ナタンにそれを教えた時には……そして、どんな方法を使ったのかも教えた時には、すごい顔をされた。それからは、剣の傷も魔法の傷も、どうせヒーリングで治せるしと、開き直って剣と魔法で相手をしている。

 「がっ、畜生!」

 容赦なく傷つけられ、ナタンの服は見る間に真っ赤になっていく。その為に、修行の時はいつもボロ服だった。傍目から見れば、なぶり殺しにされているのと大差ない。

 そして、本日の修行も終わりかけた時。
 片方の剣を投げつけられ、それを弾いたアリス。が、既にナタンは接近しており、振り抜かれたもう片方の切っ先を避けられず……。

 「っ!!」

 アリスの脇腹が裂け、ワンピースが血に染まった。

 「……ぃよっしゃぁぁぁぁ!!」

 剣を掲げ、歓喜の雄叫びを上げるナタン。彼自身、既にボロボロで傷だらけだが、最早大概の痛みでは動じなくなっている。

 「……あ……」

 一頻り喜びを噛み締めた後、彼は漸く、マズい事態ではないかと思い至った。

 脇腹の傷に手を当てるアリスは、俯き、だらりと剣を下げている。

 「……強くなりましたね、お兄様」

 てっきり報復の攻撃が来るものだと身構えていたが、アリスは年寄りじみた口調と共に微笑んだ。

 「お、おう。まぁな。……その、何だ。傷は……大丈夫か?」
 「ええ、勿論。この程度なら、もう治りました」

 アリスはそう言って手をどけると、傷のない肌を見せる。

 「……まさか、これほど成長するなんて。嬉しいです」
 「そ、そうか?」
 「ええ」

 ズシャッ

 「だがぁぁぁ!? きっ、斬られ!? 何で!?」
 「いえ、お気に入りの服だったもので、つい」
 「んなもん着てんじゃねぇよ!」

 ナタンの成長速度に比べて、アニエスのそれは、実にゆったりとしたものだった。
 なので、アニエスには他の技も練習させている。

 「……おい、ベル君。こんなのが役に立つのか?」

 口ではそう言いながら、彼女は手を休めない。ヒュンッと小石が放たれ、木にぶら下がった的に当たった。

 「今はアリスですよ、アニエス。……投石は、非常に役に立つ技術です。何しろ、石ころさえあればいくらでも攻撃出来るんですから」
 「こんなものより、早く剣術を覚えたいんだが」
 「別に、剣術である必要はありません」

 アニエスは未だ、自らの過去について話さない。
 ただ、幼い頃から孤児で、その孤児院から脱走し、一人で生きていくために傭兵になろうとした。
 アニエスはただ、強くなりたいとしか言わなかった。

 「要するに、メイジにも勝てるくらいに強くなりたいんでしょう?」
 「まぁ、その通りだが」
 「戦場で一番多く人を殺すのは、魔法や剣ではありません。矢と石と……最近では、銃ですわね。バルシャさんは弓の名手ですが、彼も最初は、投げた石を的に命中させるところから始めたそうですわ。そして実際、彼はメイジを倒しています」
 「……じゃあ、私も弓を使えるように」
 「それはお勧めしません。勿論、弓術の練習は役に立ちますが、それはあくまで、いざという時の奥の手にしておきなさい。貴女が殺し合いの場に立つ時、装備すべき武器は剣、それに銃、といった所でしょうか」
 「その二つがあれば、メイジも殺せるのか?」
 「勿論、使い手次第ですが。貴女は成長期、修行に専念すべき時期なのです。そして私の指導を受け続けるのなら、今すべきは持久力の向上、投石術の修行……それに、最低限の筋力を付けること」
 「……わかった。やるよ。やってやるさ」
 「あとは、お勉強ですわね」
 「そ、それは別に必要ないのでは……」
 「必要です」
 「……絶対に?」
 「絶対に」





 夕食の時間が近づくと、娼館の方も賑やかになってくる。

 特にアクセル……と言うか、ベルやアリスが必要になることも無くなったので、アクセルは書類仕事や見回り、趣味、鍛錬などに精を出していた。
 賭場も開設し、人の入りは上々。爆発的に、ではなく段々と順調に、東地区を訪れる人々は増加していった。既にかつての掃き溜めの面影など見当たらず、歓楽街として、近隣の土地にも名が知られ始めている。

 それにつれて、利権を狙う輩も流入してきているが、今のところはバルシャ達が対処していた。しかし、これから先更に発展していけば、強大な武力を持つ者たちも出てくるだろう。それが平民の破落戸ならともかく、メイジなら……。

 (もっともっと……力を蓄えないと)

 夕食は、昼の時と違い皆の予定が合わないことも多いが、それでもなるべく一緒に食べるようにしている。
 家族だから……そんな理由もあるが、それよりもアクセルが重視するのは、皆の料理のスキルアップと生活習慣だった。
 穀物、野菜、魚、肉、更には魚介類や海藻まで、なるべくバランスの良い食生活をさせるようにしている。米は、レオニー子爵領クルコスの街の行商人から手に入れたので、それを増やすように試験農場に命じたが、残念ながらいつ頃安定供給が出来るのかわからない。ともかく、出来るだけ多くの種類を、栄養のバランス良く摂取させる。健康と、それに美容のために。原作キャラの女の子達は、放っておいても美人に育つのはわかっているが、それでも更に美人に育てたいと思ってしまうのは、女装するようになってからだろうか。

 「テファ、頑張って。残さず食べたら、今日は絵本、二冊読んであげるから」

 人参に悪戦苦闘する少女……ここで叱るべきかも知れないが、そんな事は出来そうになかった。叱るつもりでも、ついつい顔が蕩けてしまう。ミシェルも生野菜が嫌いなようだが、いつも我慢して、残さず食べてくれた。アニエスは特に好き嫌いが無く、何を食べさせてもおかわりを要求してくる。

 この三人はともかく、アクセルを常々驚かせるのは、マチルダだった。

 「…………」

 妹分のティファニアが、我慢しながら人参を頬張るのを横目で見ながら……未だ決心がつかないのか、自分の皿の上に取り残された、ハシバミ草の揚げ物を見つめている。
 ちらり、と、マチルダが恐る恐るアクセルの目を見た。怒られないかと不安気な表情に、アクセルは微笑を返す。

 驚きの原因は、やはり、原作のフーケを知っていることだろう。世の中の裏を見てきた、姉御肌の女性……もっとも今は、この前まで貴族の箱入り娘だったお嬢さんなのだが、あのマチルダがこんな顔をするのに、彼女には悪いがたまらなく萌えた。

 ハシバミ草の栄養など知らないが、良薬口に苦しと考え、なるべく苦みが消える調理法を研究した。その成果が、この揚げ物で、ハシバミ草嫌いへの特効薬なのだが……唯一マチルダだけは、まだ苦みが気になるらしい。

 「…………」

 フォークで刺し、口に運ぼうとして……また皿に戻す。そして時折、ちらちらとアクセルの顔色を窺う。

 (……可愛すぎるぞ畜生がぁぁぁ!)

 微笑の裏で悶絶しそうになったりするのも、一度や二度では無かった。

 「……?」

 くい、と、ティファニアに袖を引かれた。少女はこっそり、マチルダの方を窺いながら……繰り返し、袖を引っ張る。
 少しの間考えたが、やがて、要求しているのだと気付けた。

 (え? まさか……そういう事? だったら俺、もう死ぬぞ。萌え死ぬぞ?)

 暫く黙っていたアクセルは、そっと、マチルダの名を呼んだ。彼女は肩を震わせて、こちらを向く。

 「さぁ。さっさと食べて、今日はみんなで一緒に寝よう?」

 一瞬の後、意を決して揚げ物を口に放り込み、ぎゅっと目を閉じて噛み砕いたマチルダに、アクセルは思わず顔を背けた。





 食事の後は、地下の大浴場で風呂に入る。
 体臭を消すために香水を使うなど、認めない。認められない。アクセルは皆に、毎日風呂に入ることを推奨していた。

 「ん? ま、またか?」

 若干戸惑ったような声を出しつつ、アニエスは風呂の中に入る。しっかりと、タオルで身体を隠して。

 「はい、流すよ。ざばー」

 アクセルは椅子に座り、ティファニアの泡だらけの髪を洗い流していた。

 流石にもう、石鹸をそのまま使うということはしなかった。女の子がいる以上、シャンプーを作り出そうと研究し、植物の汁や、海草や香草から抽出したエキス、それに朧気な知識から、椿油やオリーブオイルなどを使うことも考え、自らの髪で実験、水の精霊の助言を得つつ、遂に試作品を完成させ……そして、それを使っている。
 洗い方にも気を配る。爪を立てず、指の腹でマッサージするように、しかし風邪を引かせないように手早く、迅速に……。

 (……前の世界から好きなもの持ち込んでいいよー、って言われたら……今なら迷い無く言える。高級なリンスが欲しいと)

 ティファニアは両耳を指で塞ぎ、口をしっかりと閉じ、目をぎゅっと瞑り、泡を流して貰った後、ぷるぷると頭を振った。

 (もうね、この可愛さだけで、飯が食える)

 頭にタオルを乗せてやりながら、アクセルは必死で微笑を保とうとする。

 「ベル君。何と言うか……あまりにも堂々としたスケベ行為だと思わないか?」
 「え? 何が?」

 同じように、ミシェルとマチルダの髪も洗いながら、アクセルは半ば本気で尋ねた。
 アクセルは一応、腰にタオルを巻いているが、他の三人の少女は特に何も隠してはいない。

 「……三人の裸の女の子に囲まれて、随分枯れた反応だね」
 「あー……うん」
 「……。ベル君、ベル君。ほら」
 「え?」

 アニエスはタオルを少し緩め、ちらりと、膨らみかけた乳房を露わにした。

 「……さぁ、風邪引かないうちに湯船に」
 「おねぇさんの色仕掛けが通用しないだと!? ベル君っ、前々から思ってたんだがなっ、男としてどこかおかしいと思うぞ、その反応は!」
 「あー、はいはい。とりゃ、お返し」
 「きゃっ!?」

 立ち上がり、腰のタオルを取り去るアクセル。思わず女言葉に戻るアニエス。

 「ほら、ね? 勃ってないでしょ?」
 「……だ、大丈夫なのか?」
 「大丈夫って何だよ!? 勃つ時は勃つんだよっ、ちゃんと!」
 「いや、今の状況は勃つ時だと思うんだが……ベル君の将来が心配だ」
 「あのねぇ、僕はまだ九歳なんだよ?」
 「すまないが、信用できない。ナタンも言ってたよ、“あいつ絶対俺より年上だ”って」

 実はアクセル自身、密かに悩んでいたりもする。
 前の世界では、警察に調べられたらアウトな動画をオカズにしたりもしていたが……今のマチルダやミシェルやアニエス、そして勿論ティファニア相手には、ついに欲情はしなかった。恐らくは父性本能が芽生えたからだろうし、そうでなければ困る。
 それにきっと、九歳ではまだ身体が性欲に目覚めていないからだと、自らに言い聞かせていた。

 「止めて〜くれるなと〜、袖を〜振って〜」

 大浴場の扉が開き、ナタンが入ってきた。

 「うわぁ?!」
 「何してんだ、アニエス? 隠すほどの身体でもねぇだろうに」

 ナタンが慌てないのは、アニエスを完全に妹として見ているからだろう。慌ててタオルを直そうとする彼女を笑い飛ばしながら、鼻歌交じりに湯船に向かう。

 「……え?」

 そして、湯船に入っている四人の顔を見て、固まった。

 「ほら、ナタン。湯船に入るのは、身体を洗ってからだって言っただろ?」
 「あ……ああ」

 アクセルの注意を、どこか上の空で聞き流しながら、ナタンは慌てて腰のタオルに手をやる。そして洗い場へ向かおうとするが、それをアクセルが呼び止めた。

 「ナタン、どうかした? ……何で前屈みに?」
 「い……いや、何でって、そりゃ……」

 ナタンが振り向いた時、全員沈黙した。
 別に、タオルの締めが緩かったわけではない。にも関わらず、内側から、押しのけられるようにして、タオルが床に落ちた。そのまま引っかかってくれれば、まだダメージが少なかったかも知れない。

 「……でかぁっ!」

 思わず叫んだアクセルの両手は、既にティファニアの両目を覆い隠していた。
 ナタンは慌ててタオルを拾い上げると、股間の天を衝くドリルに被せる。そして、大浴場の入り口に向かって走り出した。

 「待て、ナタン!」

 ティファニアの目を隠したまま、アクセルが叫び、ナタンは思わず停止する。

 「別に、そうなったことを責めるつもりはない! 男なら当たり前の生理反応だとも思う! しかし、そうなったことは仕方なくても、そうなった理由は重要だ! 一つだけ答えるんだ! ……テファじゃないよな!?」
 「ちっ、違う! それだけは断じてない!」
 「なら良し!」
 「えっ、いいのか!?」

 アニエスが二人を見比べる中、ナタンは大浴場から逃げ出した。





 美容のため、歯磨きをさせた後は、日付が変わる前に皆を休ませる。

 「そして、その王女様は、コインを湖の底へと投げ捨てました……」

 絵本の原作者は、アリス・ムーンライト。もともとはアクセルが、前世で見知った物語を忘れないように、また忘れていても適当に繋げたり改造したりして、紙に綴ったものを本にした時、偽名を使ったのが始まりなのだが……今ではこっそりと、街中の書店に置いていたりする。ムーンライトの由来は、子どもにベッドで聞かせるような話が多かったので。

 ベッドを二つくっつければ、子ども四人くらいは楽に寝られる。本を広げるアクセルの左隣にミシェルが寄りかかり、ティファニアを抱えたマチルダが右隣に。
 部屋にはただ、アクセルの声だけが響いていた。

 「……おしまい。さぁ、寝ようか。お休みなさい」

 二冊目の本を畳み、枕元に置く。そろそろ眠くなってきたのか、ティファニアが大あくびをした。

 「…………」

 三人が寝静まった頃、アクセルはそっと、服を握るティファニアの指を解き、身体の上を通るミシェルの腕をどけて、ベッドから抜け出す。そしてこっそりと部屋を出て、地下に向かった。

 「『ライト』」

 地下倉庫で、魔法の灯火を出現させる。倉庫の隅には作業場のような場所があり、壁際には甕が並んでいた。

 昼食時、屋台の提案をしたのは、地酒がようやく形になったからだった。
 米が無い以上、日本酒は造れないが、ワインや蜂蜜酒の作り方を知り、要するに糖分さえあればアルコールを足せば何でも酒になるのではないかと考え、実行に移した。映画『大脱走』で、ジャガイモの酒を捕虜達が造っていたので、不可能ではない筈だ。勿論、麹や酵母とかそんなものについては知識がない為、手探りでやった所、強い酒が出来た、くらいにしかわからないが、それでも珍しいものなので売れるだろう。屋台で試験的に売り出してみて、イケそうなら研究者を増やし、品質を向上させ、娼館などでも扱うつもりだ。
 この世界の酒は、ほとんどがワイン、次に麦酒であり、他は蜂蜜酒やラム酒など。

 (この芋焼酎もどきは……ポテト……だから……ポテロックとでも名付けるか。蜂蜜酒は、そのままでいいし。いや、そう言えば、蜂蜜酒はハネムーンの語源だったな。だったら、ただの酒と言うより、滋養強壮の妙薬として売り出すか)

 蓋を開け、ちびちびと味見をしながら、思考を巡らせる。

 (とりあえず、暑い時期の商品だな。氷が欲しいけど、メイジを使ったとしても高くつくし、目立ちすぎる。……テルマエ・ロマエみたいに、牛乳を売り出したいけど、それも瓶が高くつきそうだ。大衆浴場なんだから、出来るだけ安くしたいし。まぁ再利用すればいいか。利益は、周囲の店で出せばそれでいいか。……高級浴場は、はっきり言って風俗店みたいなもんだしな。……いやそもそも、大衆浴場にちゃんとお客さんが来るかどうか……)

 コップを机に置きながら、首を振った。
 前世では未成年のまま死んだので、ビールやチューハイを軽く舐める程度にしか経験しなかったが、あのまま成長すればきっと泣き上戸になっていただろう。少し酒が回ってきたのか、思考がネガティブへと傾いている。

 (……もう、暗く考えるのはやめだ。失敗したら失敗したで、また他を考えればいいじゃないか)

 そういう風に自分を励ましても、やはり心配になり、アクセルは木切れの入った箱をひっくり返した。

 あの四つの祭壇を作った時から、彫刻も趣味になった。ナイフや彫刻刀で、不要になった木切れを削り、装飾を施す。前世でも工作の授業は楽しみだったので、色々と試しに作ってみたりした。

 薄く削り出し、大きさを揃えて並べ、錬金で作り出した金具で端の一カ所を固定する。もう一方の端には紐を通し、余計に広がらないようにする。
 完成したのは、木製の扇子だった。風呂上がりに、涼むための。
 それらを十個ほど作り出したところで、だんだんと気持ちが落ち着いてくる。

 (……寝るか)

 気付いたら、日付が変わっていた。工具を片付け、灯火を消し、階段を上がる。
 娼館はいよいよ賑わっていて、中庭から見回すと、ほとんどの部屋に灯火があった。

 (その前に、ちょっと見回るか?)

 腕に巻いていたバンダナを、頭に被る。そうして下働きの少年ベルに化けると、アクセルはそっと娼館の壁を飛び越えて外に出、壁伝いに正面へと回った。

 『イシュタルの館』……そう名付けたのは、アクセルだった。皆には、東方に伝わるとされる娼婦の守護神と誤魔化している。
 建物は四階建て。防音も考慮した、頑丈な造りのもので、ホテルを真似たような間取りになっている。食事も出来るし、金次第で連泊も可能。
 吉原か祇園を参考にしようと、そう思った。ただの娼婦ではない、男を癒す女神達。流石に女神という名詞を使えば角が立ちそうなので、表立ってはレディを付けている。性交だけの場所ではなく、唄や踊り、そして遊戯など、あらゆる交流がなされる。
 彼女たちは、諜報員としての顔も持っていた。訪れた男たちとの会話は、最終的に事務所へと伝えられ、それを整理して有益な情報へと仕上げる。得意げに語られる成功や、恨み言、愚痴、噂話……女の前では男達の口は軽くなり、あらゆる情報がもたらされ、今ではその整理が追いつかなくなっていた。

 完全な娼館と言うより、それにキャバクラを混ぜたようなものだろうか。

 「やぁ、バルシャ」
 「え? あっ…………ベルさん」

 正面の門の近くに、バルシャがいた。最近アリスでいることが多かったからか、彼は少し沈黙した後、ようやく少年の呼び名を思い出した。
 アクセル自身、三つも名前があるのはややこしいと自覚していたが、今のところ改めるつもりはない。

 「さん付けじゃなくて、呼び捨てだってば」
 「あ、ああ。そうだったな、ベル。夜の散歩か?」
 「うん。少し、寝つけなくって。何か問題とかあった?」
 「いや、特には。強いて言うなら、破落戸どもが利権の一部を要求してきたが、それはいつものことだ。お引き取り願ったんだが、その頃にはてめぇの足じゃ歩けなくなってたんで、他の奴らが捨てに行ってる」
 「そうか……。ありがとう」
 「いや、仕事だからな」
 「明後日は、この館も休みになる。明日のパーティーは、楽しみにしててくれよ。とっておきの酒を出すから」
 「ああ、わかった。他の奴らにも伝えておく」

 正面の門を抜けると、人工池がある。『ベニティエ(シャコ貝)の泉』で、形もシャコ貝をモチーフにして、アクセルが自ら設計した。泉の中央には、背中から翼を生やした女神像。一応、イシュタルをモデルにして……と言うより、イメージして製作された、アクセル会心の像だった。だいたいの形に錬金し、あとは少しずつ削っていったので、それほど手間がかかったわけではないのだが。

 中央のその泉を左右に回り込むと、いよいよ娼館の入り口が近づいてくる。
 一階の入り口では、履き物を脱ぐのが決まりとなっている。そして受付を済ませ、絨毯敷の廊下を歩いていけば、宴会場や娼館事務室、倉庫、控え室、応接室、厨房などがある。また、老齢の客のために、人力で稼働するエレベーターも作った。
 二階、三階、四階は個室で、客はそこまで上ることになる。そして上の階の個室ほど、値段は高くなり、女の子の質も上がる。基本的に、娼婦達には一人一部屋を与えており、まだ子どもの女の子は見習いとして、娼婦の弟子となり配属される。

 勿論、この『イシュタルの館』で遊べるのは、それなりの金を持つ者だけ。この街の娼婦は全て取り仕切ることにしたのだが、そうなってくると金を持たない男達の相手をする者がいなくなる。ので、『イシュタルの館』で働けるのは一定以上の水準の娼婦だけとし、その他は風俗店のように小規模の娼館を作り、それで需要を満たすことにした。
 娼婦の元締めを全て潰したことにより、現在それらの管理を一手に引き受けるのは、ナタンの組織となった。娼婦達にとっては、上納金を支払う相手が変わっただけなので、働き場所が固定されるのも大した問題ではない。
 しかし、街の中にはまだ何人か、商売を続けている娼婦もいる。そのことについての対応も、考えなければならなかった。

 (さて……戻るか)

 暫く泉の傍で建物を見上げていたアクセルは、遠回りに娼館を通り過ぎ、その奥の事務所の建物へと向かった。

 寝室に戻った時、他の三人は目を覚ましていた。泣きじゃくるティファニアが腰に抱き付いてきて、アクセルは慌てて受け止める。

 「ど、どうしたの?」

 尋ねてみるが、ティファニアは顔を埋めたまま、両手でアクセルの身体を叩く。マチルダ、ミシェルの二人も、やがて両目を潤ませながら、左右から抱き付いてくる。二人とも若干アクセルより背が高く、埋もれる形になった少年は、部屋の隅で腕を組んで立つアニエスに目を向けた。

 「ど、どうしたの? 何でみんな泣いてるの?」
 「男として、嬉しい状態だろう?」
 「冗談言ってないで、教えてよ。アニエス」
 「……そんなの、寂しくて心細くて不安だったからに決まってるだろう」

 何となくではあるが……アクセルにも、理解できた。

 彼女たち三人は、声を封じられてる。一応、ミシェルとマチルダは筆談という最終手段を持つが、ティファニアは文字を知らず、それすらも出来ない。
 誰も、彼女たちの素性など知らない。ただ、奴隷市場で買われた娘としか思わない。
 しかし、ただ一人、アクセルだけがそれを知っていた。彼女たちがこうなってしまった理由を。勿論、彼女たちが教えてくれるまでは知らない振りを続けるつもりだが、それでも、やはり配慮した対応をしてしまう。

 自分を裏切る筈がないと、信じられる者。彼女たちが必要とするのはそんな存在であり、アクセルは格好の立ち位置にいた。

 「……ごめんね」

 そう言いながら、ティファニアの頭を撫でる。

 ふと、アニエスがこの場にいる事に疑問を持ったが……彼女たち三人に言えることが、アニエスにも言えることだと気付き。

 「ねぇ、アニエス」
 「ん?」
 「折角だから、一緒に寝ようよ」
 「な、何を馬鹿な。私は……」
 「お願い。僕が、そうして欲しいんだ」
 「……そうか。わかった。仕方がない、可愛い弟分の頼みだしな」

 アニエスは持参した枕を持ち上げると、誰よりも早く、真っ先にベッドに向かった。


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