小説『漂流のA(ゼロの使い魔二次)』
作者:権兵衛()

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第1章 青き春の章

第7話<決意>




 次の日。

 昨夜の大浴場での失態が、アクセルにどんな影響をもたらすのか……密かに震えていたナタンの元にやってきた少年は、明らかに悄然としていた。書類を整理していたバルシャも、心配そうにアクセルを見ている。

 「おはよう、ナタン。バルシャ」
 「お、おう」
 「……おはよう御座います」
 「気付いたんだけどさ……ここって、子どもの教育上よろしくないよね」
 「「いまさら!?」」

 思わず二人は声を合わせた。

 「……考えてみれば、ミシェルもマチルダもティファニアも、ついでにアニエスも、子どもなんだし」

 お前だって九歳児だろう、とは、ナタンもバルシャも言わない。本当に九歳児だったとしても、二人ともそれを信じるつもりはなかった。

 「今朝、わかったよ。僕が最低な人間だということに」
 「……何があったんだよ?」
 「少し寝坊してね。先に起きたテファが、飛び乗って起こしてくれたんだ」
 「微笑ましいですね」
 「その時……本人はただの真似っこのつもりなんだろうけど……僕の下腹部に跨って、上下運動を」
 「「うわぁ……」」
 「しかも。気付いたら、勃ってた」
 「「…………」」

 アクセルは椅子の一つに座り込むと、溜息と共に天井を見上げた。

 「……どうしよう」
 「どうしようもねぇだろ。っつぅか俺は、そこら辺のことお前は承知の上で、ここに住まわせてんのかと……」
 「しかし、他に場所もありませんしね。テファの耳は勿論ですが……アニエスはともかく、他の三人は、明らかにアクセル様に依存していますし」

 そう……どうしようもない。
 ティファニアがエルフであることを知るのは、アクセル、ナタン、バルシャと、マチルダ、ミシェル、アニエス……そしてローランの、七人。あとは、あの時奴隷競売に関わっていた数人。
 女の子達……特にティファニアは、この娼館の敷地から外に出たことは無い。今までは特に不満を言わなかったが、考えてみれば不満など表現しようが無いのだ。

 (住居の問題は別として、もっと考えるべきだったなぁ……)

 安心できる住まいはここしかない。そのことは仕方ないとして、ティファニアを遊びに行かせるなどという発想すら無かったのは、大きな落ち度だと感じた。

 「……バルシャ。少し時間を作って欲しいんだけど。ナタンも」
 「あと三十分ほどすれば、一段落しますが……。本日は、明日からの休業の為に縮小営業ですし、人手は少なくて済みます」
 「よし。じゃあバルシャ、馬車の用意をお願い。ナタンは、仕事を片付けたら荷物運びを。僕は、厨房で料理」
 「なぁ、何すんだよ?」
 「ただのピクニックさ」








 ピクニックの行き先は、ゼルナの街を出て馬車で一時間ほど北西へ向かったところにある、清らかな小川だった。

 「……よしっ、テファっ、網貸して!」

 隣の小さな手から網を借り受け、アクセルは糸の先に食らいついた魚を掬い上げる。

 「あー、やれやれ。何とか全員分釣れたね。よかったよかった」

 帽子を外したティファニアに連れられ、皆が待つ、焚き火へと戻る。そして火の番をしていたナタンに手伝わせ、七匹の魚をそれぞれ串刺しにし、塩をまぶし、焚き火の周囲に突き刺した。ティファニアがしゃがみ込み、興味深そうにそれを眺めている。

 「おーい、ベル君。これでいいか?」
 「……うん、よしよし。あ、待って。これとこれ、毒きのこ」
 「どこが違うんだ?」
 「ほら、傘の裏。放射状に縦線が入ってるでしょ。モリルトキノコだ。食べると、数日は手足が痺れる」
 「よく知ってるなぁ、貴族のくせに」
 「事務所の書庫に、図鑑があるんだよ。……アニエス、ちゃんと読んでる?」
 「いや、まぁ……ボチボチとは」

 アニエス、マチルダ、ミシェルの三人が集めてきたキノコや野草を、食べられるものだけより分け、シチューの中に放り込む。バルシャが馬車の中からワインやジュースを運び出し、七つのコップに注ぎ、配った。

 「さて。それじゃ、初ピクニックに。かんぱーい」

 車座に皆が座る中、アクセルは自分のコップを掲げた。
 椅子も、テーブルもない。皆が皆、野原の上に座り込んでいる。昼食は、釣った魚の塩焼きに、近くの林で採ったキノコ入りのシチュー、そして用意してきたサンドウィッチ。

 「……なぁ、バルシャよ」

 頬杖をつき、アクセルと、その周りの少女達を眺めながら、ナタンは隣の男に声を掛けた。

 「何でしょうか?」
 「どう思う? あいつら」
 「あいつら……?」
 「アニエス、マチルダ、ミシェル、テファの四人だよ。俺の知る限り……ベルのヤツは、自分の利益を最優先するヤツなんだ」
 「…………」
 「あいつらは、もう俺の妹なんだ。邪魔に思ってるとかじゃねぇぞ? そうじゃなくて、ベルは何を考えて、あいつらを匿っているのか。マチルダとテファは、お前も知ってるだろうが、ベルが大枚叩いて買い取った。すぐにでも娼婦として働ける女か、すぐにでも荒事の頭数に入れられる男。本当は、そのどっちかを買うつもりだったのに……結局あいつは、幼い少女二人を買うだけだった。しかも、一人はエルフ。先住魔法が使えるってのなら少しは分かるが、喋れもしない。声の封印を解く自信があったとは思えねぇ。まだヒントすら無ぇようだし、そもそもエルフだってバレれば、処刑されるに決まってる。帽子が取れて、あの耳を見た誰かが騒ぎ出しゃ、それで俺ら全員アウトだ。考えてみれば、慎重なあいつらしくない」
 「確かに。現に今も、もし誰かが通りがかれば、大騒ぎになる危険もありますし」
 「ミシェルは、同じく喋れねぇ。声を封じられてるってことは、メイジなんだろう。……そりゃ俺だって、あんな小さな女の子を殴るヤツは許せねぇ。けど、あのまま娼婦の見習いさせてた方が、今の事務員見習いより、よっぽど稼いでくれたんじゃねぇのか? 最後にアニエスだが、あいつへの対応が一番分からねぇ。あいつだけは、奴隷なんかじゃなく、いつだって放り出せるんだ。頭がいいわけじゃねぇ、腕が立つわけでもねぇ。才能なんてなさそうなのに、ベルは衣食住も全部立て替えて、修行まで付けて……色々と面倒を見てる。……俺が心配なのは、ベルがあの四人を、一体何のために確保してるのかってことだ」
 「……単に、好みだったから……ではありませんね」
 「ああ。あの四人に関しては、どうも……ベルの行動ってよりは、俺みてぇなタイプの行動なんだ。損得より感情を優先させちまってる、ように見える。あいつらしくない」
 「…………」

 やがて、長めの昼食が終わった。

 「……。さて、片づけは男どもでやろうか」
 「珍しいな、ナタンがそんな殊勝なこと言い出すなんて」

 食器や鍋の片づけを始めた、ナタンとバルシャ。
 アクセルはティファニア達に、目の届かない場所に行かないように、誰か来たらすぐにティファニアの耳を隠して知らせに来るように、と注意すると、二人に続いて、川の中へと入った。
 三人で並び、食器を濯いでいると、ナタンが尋ねてきた。

 あの四人への対応の理由を。

 「…………」

 アクセルは、暫し沈黙する。そして、洗い終えた皿を陽光に照らしながら、ぽつりと言った。

 「実は、ね。僕の中では、あの四人とも、素性の見当はついてるんだ」
 「え?!」
 「……!?」

 絶句する二人には構わず、少年は次の皿を手に取る。

 「まだ、何の確証もないし、はっきりしたことも言えない」
 「……俺達に教えてくれるのは、はっきりしてから……か?」
 「いや。もしもはっきりして、それが僕の予想通りなら、それこそ言えない」
 「そこまで危険なのですか?」
 「うん」
 「四人とも、か?」
 「そう」

 その答えに、二人は更に疑問を感じる。それほどの重大な秘密を持つ人間を、四人も抱え込むなど、危険すぎる行為だ。

 「まぁ、危険だってことは百も承知さ。でも、野放しにしていたらそれこそ、とばっちりを受ける可能性もある。どうせ危険だってわかってるなら、積極的に関わろうと思ったんだ。せめて、自分の身を守れるような力を持つまでは……僕は、あの四人を守るよ」
 「……存在を知られる恐れがあるから、娼婦としては働かせなかったんですか?」
 「それもある。それもあるけど……。いや、それもあった、か」
 「?」
 「もう忘れたよ、そんなの。とにかく、ナタン、バルシャ。秘密ばっかりで申し訳ないけど、僕の考えに賛同して欲しいんだ」
 「……ああ、そうだな。俺だって、可愛い妹たちを危険に晒したくねぇし」
 「私は元より、御意のままに」

 その答えに満足したのか、アクセルは軽く笑みを漏らした。








 娼館は、明日から三日間の休業に入る。

 理由としては、色々。大掃除に人員配置の調整、書類整理など。あとは、意見の交換会。
 しかしそれも、二日目からであり、休業前夜である今夜は、慰労パーティーを企画していた。

 「……ねぇ、テファ。そろそろいいか?」

 アクセルの胡座の上に座る少女は、ぶんぶんと頭を振ると、絵本の続きを要求する。ちょうど第一章の終わりに来たので、切り上げようかと思ったのだが。

 今夜の慰労パーティーには、子どもは出席しない。恐らく夜通しで宴会が続くだろうし、ミシェル、マチルダ、ティファニアの三人は、事務所で休んで貰うことになっている。アニエスには給仕を手伝うように言い付けてあり、そして企画した張本人であるアクセルは、パーティーが始まる前に、執政庁へと戻ることになっていた。
 明日は、母親が待つ屋敷に戻る日なのだ。勿論、これが初めてではなく、だいたい一週間か二週間に一度のペースで帰宅している。この娼館に入り浸ることが出来ているのも、リーズがアクセルの魔法の腕前にしか興味がない事の他に、彼女が自分の代わりに仕事をしてくれているからでもある。そのリーズの、休みの日でもあるのだ。

 これからローランのホテルに戻り、着替え、いかにも彼のホテルから戻ってきた、という体裁を整えておかねばならない。

 「…………」

 しかし、ティファニアはまだ、退いてはくれない。いつもなら、渋々とではあっても、手を振って送り出してくれるのに。何故か今回に限って、駄々をこねる。

 「……まぁいっか」
 「お前ほんっと、テファには甘いよなぁ……。いや……俺以外には、か?」

 隣には、アクセルが作った数学のドリルを前に唸るナタン。ティファニアのあまりの可愛さに、つい少年が漏らした言葉に、ふて腐れたように愚痴った。

 「……さて、全部読んじゃったね。じゃあ……」

 机の上の本を、全て読み終えたら、今度はアクセルの胸にもたれてくる。そして少女は目を閉じ、静かに呼吸を繰り返す。

 「……こら。こらこら。嘘寝だろう? いけない娘ですねぇ」

 人差し指で頬を突き、脇腹をくすぐると、観念したように笑いながら身を捩る。

 (ああもう……ほんっと、一生こうしてたい)

 思わず抱きしめると、ティファニアもぎゅっと抱き返してくれた。

 しかし、確かに幸せだが、このままでいられないのも事実。あまり遅くなれば、誰かがローランのホテルまで迎えに来るかも知れない。

 「……ねぇ、テファ」

 抱きしめたまま、そっと囁く。

 「今日は、楽しかったね。みんなで外に出て、みんなで水遊びをして、みんなでご飯を作って」

 小さな背を、優しく撫でた。

 「……ごめんねぇ」

 その言葉に、ティファニアは小さな身体を離した。驚いた様子で、じっとアクセルの顔を見る。

 「僕がもっと優秀なら、もっと自由に動けたのにねぇ」

 相変わらず優しい手つきで、アクセルは少女の尖った耳を撫でた。

 「もっと優秀なら……みんなの、声だって……」

 すぅ……と、アクセルの下瞼から涙が流れ、頬を伝い、ティファニアは狼狽した。何気なく見ていたナタンも、唖然として口を開いている。

 「あ、あれ?」

 当のアクセル自身、突然溢れた涙に慌てた。

 ティファニアもナタンも、今までアクセルの涙など見たことがない。ナタンなど、生まれた時も黙ってたんじゃないか、と考えていた。
 怪我をしても泣かない。腹が減っても泣かない。寂しくても泣かない。感動の嵐を呼んだとか言われている小説を読んでも、感動はしてもやはり泣かない。

 「……あーっ、と」

 アクセルは袖で涙を拭った。見ると、つられてしまったのか、ティファニアまで涙目になっている。少女は表情を歪めると、アクセルの胸に抱き付いた。

 涙の理由は、だんだんと自覚できた。自分の不甲斐なさだ。
 声を封じるマジックアイテムが、どの程度のレベルのものなのか、それは関係ない。問題なのは、声を封じる、ただそれだけの呪いを解除できない、自分の力不足。
 勿論、今だって死にたくないとは思っている。強くなければ不安だし、得た強さを表に出すのも怖い。
 しかし。

 (たかが、原作に出てこない程度のマジックアイテム……そんなものくらい、もっと軽く、何とか出来ないのか)

 マチルダも、ティファニアも、ミシェルも、三人とも大好きだし、大事だ。原作キャラがどうのこうの、ではない。日々の触れ合いの中で、もうそんな利害意識など、彼方へと度外視されていた。彼女たちを苦しめるものがあり、そしてそれを前にして何も出来ないという自分の不甲斐なさに、悔しさがこみ上げる。

 「……大丈夫」

 未だ、解呪の目途が立っているわけではない。
 しかし、やる。出来なくても、やる。やって見せる。やるしかない。

 「絶対に、大丈夫だから……」

 アクセルは目を閉じ、またティファニアの頭を撫でた。








 「皆、よくやってくれた! 客入りは上々だ! 今夜は好きなだけ食って、好きなだけ飲んでくれ! それじゃぁっ、乾杯だ!」

 最高責任者であるナタンの音頭で、飲み物を持つ皆の手が掲げられる。

 娼婦達に、自警団メンバーや娼館の事務員……ナタンのファミリーである者は、粗方が集められ、宴会に加わっていた。こんな時でも襲撃される可能性はあるので、警備のメンバーが交代で見張りに立っている。哀れなのは一番最後に見張りに立つ、酒が一杯しか飲めないチームだが、彼等には次の宴会でいい目を見てもらうことにする。

 アクセルが自作した酒は、なかなか評判が良かった。今までにない味で、しかも強い。ラム酒など、度数が50°を超えるものも存在するのだが、そもそもラム酒はこの世界で高級品であり、庶民がおいそれと手を出せるようなものではない。
 勿論、酒税というものがあり、許可無く酒を造れば処罰されるのだが、許可を出す立場のアクセルが行っているものなので、実質的に問題はない。今の時点で皆が騒ぎ出せば問題になるが、そんな真似に走るような人間は、少なくともこの中にはいなかった。

 皆が騒ぐ中、ナタンはそっと、隣のバルシャに顔を近付け、先ほどのアクセルとティファニアの一件を伝えた。

 「……そんなことが」
 「ああ。まぁ、俺はベルのこと勘違いしてたってことだ」

 くるくると酒を揺らすその表情は、どこか嬉しそうでもあった。

 「あいつだって、結構、情で動いてんだなぁ。テファを買ったのだって、ただ珍しい物が欲しかったからかとも思ったが……あいつは、ただ単純に助けたかったんだろうよ」
 「……そうですね」
 「いやぁ、まあ、いい弟分と妹分を持ったもんだ」

 既に酔いが回ってきているのか、ナタンは笑いながら膝を叩く。

 「……。では、私はこれで」
 「あ? まだ大丈夫だろ?」
 「いえ、少々酒乱の気がありますので」
 「初耳だ」

 バルシャはすっと立ち上がると、宴会場を後にした。

 通常の予定ならば、彼はあと一時間はあの場に居続け、その後表の見張りと交代するのだが……それは、咄嗟の判断だった。
 宴会場を出て、更に厨房の裏口から娼館の外に出る。周囲は既に日が沈んでおり、微かに聞こえるのは騒ぐ従業員達の声。バルシャは音を立てずに渡り廊下に飛び乗ると、そのまま前方の人影を追った。

 近くの柱に取り付けられている、マジックランプの灯火。それによって鮮明になった人影は、二十歳ほどの女。娼婦の一人だ。

 外からの襲撃には十分備えてあるが、まさか慰労の宴会中に娼婦が抜け出し、立ち入り禁止の事務所側に侵入することは予想外で、見張りも二人ほどしか置いていない。しかもその二人は、主に脱走者が出ないかを見張っていた。
 今までも、脱走者が出なかったわけではない。しかし、すぐに解決した。脱走を試みようとしたのは、まだ奴隷として売られてきたことを自覚していない者であり、外に出て、ここ以外に行き場がないということに自然と気付くと、自ら戻った。

 バルシャは、アクセルの密命を帯びていた。密命と言っても、ナタンに秘密にすると言うよりは、可能性の話なので、密かに警戒していた方がよい、というレベルのものだ。

 事務所に侵入した娼婦は、階段を上っていく。そして廊下の角に身を潜めると、スカートの中に仕込んでいたナイフを取り出した。
 中庭側の窓の向こうに、眠たそうに目を擦りながら歩く、一人の少女がいた。トイレにでも起きたのだろう、ミシェルはずるずると足を動かしている。
 娼婦はその姿を確認すると、また廊下の角に身を隠した。ナイフを構え、じっと、ミシェルが通り掛かるのを待つ。

 (……有罪)

 冷徹に判断し、バルシャは娼婦の背後に忍び寄ると、左手で口を押さえて右手でナイフを奪った。こんな事態を日常茶飯事として処理するバルシャに敵う筈も無く、娼婦は突然の襲撃に驚愕すると同時に、腹部をナイフの柄頭で突かれ、意識を手放した。
 急いで階段の下へと娼婦を引きずり下ろすが、間一髪、ミシェルは気付くことなく通り過ぎていった。

 (やはり、か)

 『イシュタルの館』は、他にも娼館を知るバルシャとしては極楽のようなものだった。
 客の有無に関わらず、最低限の生活は保障されている。この娼館のみを使って私腹を肥やす、というわけではないので、娼婦達が稼いだ金は半分以上が彼女たち自身のものとなる。通常、娼館の主人などは、いかに女を効率よく使って利益を上げるか、のみを考えるものであり、それが普通なのだ。
 彼女たちは娼館の持ち物であり、通常では外出など厳しく制限されるのだが、ここの娼婦達は営業時間外であれば自由に街中を歩ける。アクセルが付けた条件は、オシャレをして出かけることのみ。これは、宣伝も目的としていた。
 更にバルシャが驚いたのは、娼婦達は、娼婦でありながら身体を開くことを強制されなかったことだ。客は娼婦を選んで部屋に入るが、娼婦もまた客を選ぶ。だからと言って、そのまま何もしなければ、自由に使える金が手に入らない。娼婦達にはそれぞれ、奴隷市場などでの購入額が知らされており、その額と利子を払えば自分を買い戻すことも出来た。

 バルシャが最も驚いたのは、それでも利益が出たことだ。

 既に足腰も弱くなったが、お気に入りの娘と一緒に風呂に入り、身体を洗ってもらえればそれで満足という、商家の隠居がいた。
 時折襲いかかる死への恐怖を忘れるため、一晩中女に抱き付いて頭を撫でて貰うだけという軍人がいた。
 大酒飲みの娼婦と、一晩中酒盛りをしてバカ話をして、翌朝颯爽と帰途につく、どこかの貴族であろうメイジがいた。

 全ては、集められた女の質の高さだった。その形は数あれど、アクセルの語る“女神”に相応しい女達の……。

 バルシャは腕の中で気絶する娼婦を見下ろした。

 ミシェルを殺そうとしたのではない、攫おうとしたのだろう。女の懐には、ロープがあった。彼女が喋れないというのは、娼婦達の中にも知っている者は多い。確かに、悲鳴を上げない者ほど攫い易い対象はないだろう。ということは、ティファニアやマチルダであっても、その対象となる。
 そして攫う理由は、勿論人質とするため。ただの娼婦ではないが故に、人質としての価値も高いと思われたらしい。それは間違っていない。あの三人のうちの誰か一人でも誘拐されれば、アクセルは何としてでも取り戻そうとする筈だ。
 では更に、人質とする理由は。この娼婦が、ただの金目的ならば特に問題はない。しかし、人質の対価として求めるのが、もっと大きなものであるなら。

 (……この街の、裏の利権か)

 組織が軒並み潰されたことで、東地区の最大勢力となったナタンのファミリーは、実質的に裏の全てを支配するようになった。娼館も賭場も賑わいを見せ、大きな利益を上げつつある。手に入る可能性があるのなら、誰だって欲しがるだろう。今までは簡単に対処できていたが、今回の相手は、内部の娼婦を味方に引き入れていることからしても、今までのそれとは違うと確信できる。

 (調べてみる必要があるな)

 折角の休みだが、バルシャにとってそこまで惜しいものでもない。

 (……この“炎”だけは)

 今、彼は自らの内に、沸々と、熱を持ったものが沸き上がっているのを感じていた。
 それを、彼自身は“炎”と表現した。

 今まで、ただ命令に従うことが人生だった。そして、ナタンとアクセル……その二人に出会ってからも、それは変わっていない。
 しかし、いつの間にか、自分の中には“炎”が生まれていた。

 (何だって、出来そうな……そんな愚かな気持ちが……)

 ともすれば、自らの能力の限界を超えたような力すら、引き出せるような気になってしまう。
 滑稽だと、愚かだと思った。
 だが、それが何とも心地よかった。

 (やらせは……しない)








 翌日の昼過ぎ、アクセルは自分が生まれた屋敷に戻った。母親や執事、メイド達に挨拶し、紅茶を楽しんだり母親の二重奏に付き合ったりしている内に、あっという間に日が暮れる。
 二日目は、リーズを釣れて馬を飛ばし、試験農場の様子を見に行った。流石に、もう彼女と相乗りせずとも問題ない。

 「おお、これは若様」
 「やぁ、ご苦労様」

 農場の広さは、5000?ほど。農民の家族の三世帯が家を構え、ここで農作業を行っている。
 事実上、米の栽培の為に作られた施設だった。稲作は高温多湿で雨が多い地域に適しているそうだが、アクセルには勝算があった。
 ラヴィス子爵領を流れる川は海まで続いているが、その水源は、ガリアとの国境にあるラグドリアン湖である。トリステインは、このラグドリアン湖の水によって生かされていると言ってもいい。そのあり得ないほどに豊富な水が、この国に豊穣をもたらすのだ。
 要するに、よほど無茶なものでなければ、まず失敗することはないと考えられる。これは、水の精霊のチートっぷりの恩恵だろう。

 田には水が張られている。

 「具合はどう?」
 「一応、仰った通り水を張って、また耕しておきました。それで、育てていた米ですが……」

 農夫が持ってきたのは、なかなかに成長した苗。確か前世で見たのも、これと同じようなものの筈だ。

 「……どうでしょう?」

 恐る恐る尋ねてくる彼に、笑顔を返す。新しいものを栽培するというのは、しかもそれが貴族直々の命令によるものなら、相当なプレッシャーだったのだろう。

 「これは、成功するかも知れないね」
 「本当ですか!」
 「いやぁ、まだ何とも言えないけど、なかなかよく育ってるし。うまく行けば、収穫は……ラドの月(9月)になるかな」

 アクセルはマントと服、靴を脱ぐと、ほぼ下着姿になって、田んぼの中に踏み込もうとする。リーズが慌てて止めた。

 「わっ、若様! お止め下さい、泥の中になど!」
 「……ああ、そっか。そうだね」
 「ええ! ですから、早く服を……」
 「ちゃんと田下駄とかつけないと」
 「あのっ、そういうことじゃなくて!」

 勿論、フライやレビテーションを使えば、更に言えば念力を使えば、わざわざ泥の中に踏み込まなくてもいいのだが……。体験してみたい、という気持ちもあった。
 広めの板きれに縄を通し、しっかりと足に固定する。リーズももう諦めたのか、何も言ってこなかった。

 「間隔は……このくらいか?」

 まだ少し、土の塊があるような気がするが……恐らく大丈夫だろうと、苗を数本ずつ差し込んでいく。倒れないように、少し土を固めた。

 「だいたい、このくらいで。まぁ初めてなんだし、やる内に調整していけばいいと思うよ」

 だぱんだぱんと田下駄を鳴らしながら、田から上がる。

 「足腰にかなり負担がかかるから、休みながらでね。また時々様子を見に来るけど、苗を植えるのが終わったら、あとは基本的にすることが無いから。害虫が出ないか、見張るくらいかな? もし何かあったら、ゼルナの執政庁か、ラヴィスの屋敷に知らせて」

 そう言いながら、アクセルも不便さを感じていた。

 ゼルナの街に滞在し続けることが出来ればいいのだが、母親は屋敷から離れるつもりはないし、まだ子どもの自分がずっと詰めているわけにはいかない。電話などというのは無いものねだりだとしても、何か一発で自分の元へ繋がるような、そんな直通のものが欲しかった。

 (いや……作れるか?)

 恐らく、材料さえあれば何とかなるだろうが、知識が無い。マジックアイテムを作ろうかと思ったこともあったが、普段目にすることのないようなものも含めた、膨大なルーン文字を習得するだけではなく、専門の教育を受けなければならないらしい。よって、制作者も数える程しかいないそうだ。

 (まぁ、仕方ないか。……他の方法を考えないと)

 マジックアイテムという単語で思い起こすのはやはり、あの娘たちにかけられた声を奪う呪い。解呪が無理でも、それを上書きするような方法を探っているのだが、相変わらず手詰まりだった。

 (王立図書館に行けば、或いは……でも、ツテがなぁ)

 今、最も可能性が高いのは、そこだった。或いはアカデミーの誰かに診察してもらうという手もあるが、それだとティファニアが殺される可能性がある。

 (……まぁ、そうだな。片っ端から試していくしかないか、今は)

 アクセルは憮然としたリーズと共に、農場を後にした。








 「……ご存じの通り、ファミリーはこの街の“娼売”を、一手に仕切っています」

 アクセルとナタンを前に、バルシャは静かに告げた。

 「今回、あの娼婦を使って誘拐を企んだのは、ラパンです」
 「……うさぎ?」
 「はい。勿論通称ですが。彼女たちは娼婦の集団です」
 「……ファミリーが仕切ってない娼婦。未だ、自分たちで独自に客を取っている娼婦たちかい?」
 「ええ」

 バルシャの肯定に、アクセルは天井を見上げて溜息を吐き出した。

 誘拐未遂の報告を受けてから、アクセルは一度も、微笑みすら漏らしていない。その表情には憤怒などではなく、能面のような無表情が貼り付けられていた。
 ナタンもバルシャも、アクセルは逆鱗に触れられた、ということを理解している。

 「娼婦を取り仕切っていた組織が壊滅していく中で、それを好機と見たのか、“ラパン”の異名を持つフラヴィという娼婦が仲間を集め、小規模ながら組織を作りました」
 「……そいつは、人質を取って何を要求しようとしてたんだい?」
 「あくまで推測ですが、やはりナタン殿の地位かと。娼婦の元締めは、同じ娼婦であるべきだ、という理屈も分からないでもありません。念のため、他にも内通している娼婦がいるか、密かに確認しましたが……どうやら、単独だったようです」
 「ただの意地なら、可愛いもんだけどね」
 「そして更に、傭兵団も雇ったようで」
 「ん? そんな金、どこから?」
 「後払い、ということでしょう。ここには女も金もありますから」
 「よし。潰そう。いいよね、ナタン」
 「……ああ」

 ナタンとて、妹と呼ぶ者を狙われて、黙っていられる筈が無かった。

 「相手にだって、言い分はあるだろう。……けどまぁ、どうでもいい。知ったことか」

 それだけ告げると、アクセルは部屋を出た。








 夕方から降る雨は勢いを弱めず、今では雷鳴を伴って暴れ回っていた。
 今日もまた、二つのベッドをくっつけ、皆で眠る。幸い、アクセルがベッドに戻っても誰も目を覚ましてはおらず、ぐっすりと寝入っていた。

 一際大きく雷鳴が轟き、部屋を照らす。

 「……どうしたの? アニエス」

 そっと寝室に入り込んできた少女に、視線も向けずに尋ねてみた。

 「いや、なに。ベル君が、雷を怖がっているだろうなぁと。姉として、そんな弟分を安心させてやろうと……」
 「うん。怖いよ。だから、安心するまで一緒に寝てくれる?」
 「仕方ない、そうしてあげよう」

 燃え盛る炎と、そして轟音。アニエスは、それに対して怯える。今日のように雷が鳴り響く夜は、大抵アクセルの寝床に来た。

 「さぁ、もう大丈夫だ。お姉さんがいるからな」

 そう言って、アニエスはアクセルに抱き付いた。小さな胸に顔を埋め、彼の寝間着をぎゅっと握り締めている。

 「うん。ありがとう」

 からかう気など、毛ほども起きなかった。アクセルもそっと腕を回し、彼女の頭と背を抱きしめる。
 雷の度に、自分よりは少しだけ大きな体が震えた。

 アニエスは相変わらず、喋り方を年相応には改めなかった。それは、彼女が目標とする理想像が、既に完成形に近いからだろう。
 男の格好をして、男の言葉遣いで、剣を振るって敵を倒していく……イーヴァルディの勇者のような戦士。そう、要するに、男の強さにある種の憧れを抱いていた。
 このまま成長すれば、いずれはアンリエッタに召し抱えられ、銃士隊の隊長として活躍することになる。

 (……目的は……立身出世か、仇討ちか)

 恐らく彼女の中で、その二つは別ではない。出世していけば、必ず、自分たちの村を滅ぼした相手を探り当てることが出来ると、そう考えて……その為に、強さを求めている。
 復讐の相手は、当時実験魔法実験小隊を率いていたコルベールと、その部下達。そして命令を下した、リッシュモン。
 ナタンのファミリーが総力を挙げたとしても、今の程度の勢力では、魔法実験小隊にすら届くのかも怪しい。未だ、所詮は片田舎の子爵領、その中の街に根を張る、極小のヤクザだ。

 (復讐がどうこうは置いとくとして……とにかく、今はまだ、一人には出来ない)

 男に化けて傭兵の真似をしたのも、実践で鍛えようとしたからだろう。しかし、いくら何でも早すぎる。せめて、一人旅が出来るような強さを持って貰いたい。

 もしも、ファミリーが順調に勢力を拡大したなら、いずれはリッシュモンにまで届く。

 それが無理なら、アニエスは兵士としてトリステイン王国に仕官し、自らの手で探し出す。

 (……どちらでもいい)

 アニエスの目的が復讐である以上、ナタンのファミリーもアンリエッタ王女も、その手段としかならない。ならば、どちらの手段を選ぶべきか……それも、どちらでもいいのだ。

 ファミリーを選ぶなら、才能ある戦士が、ナタンの力となってくれる。

 アンリエッタを選ぶなら、王女はメイジ以外で構成された、優秀な部隊を手に入れることが出来る。

 原作通りなら後者だが、前者でも構わないのだ。彼女のその後の主な役所は、才人を鍛えることだが、それは別の人間でも問題ない。そう、いざとなれば、アクセル自身が師匠となるか、代役を向かわせることも出来る。全ては、その時の状況。

 そう、今から考えておく必要のない問題だ。

 今の問題は……。

 「……そんなに怖いのかい?」

 より一層、自分を抱きしめたアクセルに、アニエスはそっと尋ねてみる。

 「……ああ。怖いよ。怖くて……怖くて……」

 もしもまた、新たな誘拐犯が現れれば。そしてそいつが、自分では到底敵わないような敵ならば。

 (攻めるしかない。こちらから……)

 訪れる可能性のある、不幸な結末が……ひたすらに、怖かった。








 東地区は今日も、不夜城の如く君臨している。
 あそこでは、娼婦達は着飾り、輝き……咲き乱れる。

 あれが光であるならば、こちらは陰だ。闇だ。

 あれが出来る前は、希望もあった。
 今まで娼婦達を絞り上げていた連中が、次々と潰されていき、ようやく少しはまともな生活が出来るようになった。その前が酷かった、というのもあるが。

 しかし、結局は違った。支配者が変わっただけだった。全ての娼婦達は集められ、東地区で支配されている。

 “ラパン”のフラヴィは、やがてイシュタルの館の方角から目をそらすと、近くのベッドに座り込んだ。彼女の家ではない。元締め組織のアジトだったのだが、壊滅してからは空き家となっていた。カムフラージュのために倉庫とされていたので、怪しむ者もいない。

 ラパンという異名の由来は、足の速さと、赤い瞳。

 (……リリーヌは、失敗したらしいわね)

 リリーヌという娼婦は、潜入したのではなく、初めからイシュタルの館に組み込まれていた。何とか彼女に渡りをつけてみると、今までよりも遙かに待遇が良いという。それならば、とも思ったが……。

 最近、野良の娼婦達が消え出した。イシュタルの館に組み込まれていなかった、または警戒して逃げ回っていた娼婦達は、十人ほど。しかし、今では六人にまで減っている。

 全て、行方不明。ここを逃げ出して、東地区に奔ったというならわかるが、そんな情報は無かった。

 少し前、傭兵を名乗る男が来た。何が起こっているのかということは、その男が説明した。

 早い話が、狩られていたのだ。東地区の者に。街の娼売を一手に握る、それを東地区の者が目的とする以上、支配体制に組み込まれていない野良の娼婦は見逃せない。だから、密かに攫う。
 殺され、死体でもあれば、また別だったろう。しかし、この街は……というよりこの子爵領は、人の出入りが多い。いなくなったのなら、どこかに蒸発したと見なされる。

 東地区の再開発の熱気の中で、それでも、その発展に関わろうとしなかった者たちもいる。それが、フラヴィを初めとする娼婦達や、物乞い、浮浪者たち。彼等彼女等は、清掃活動にも参加しておらず名簿にも名がないため、尚更、いる筈のない存在として扱われる。

 まだ二十歳半ばのフラヴィであるが、娼婦達のリーダー格である。過去、何度か行われたことがある浮浪者狩りでも、その足の速さと機転で、仲間の娼婦達を導いて逃がしていた。

 再開発に加わらなかった理由は、疑念だ。うまい話に潜む罠にはまり、ゼルナの東地区に堕とされた人間など、山ほどいる。
 ナタンの演説を聴いた者もいた。しかし、ナタンという男が本当の救世主なのか、それともただの煽動者なのか、すぐに結論を出さない者もいた。或いは彼自身は善意であっても、彼を取り巻く人間にどれほどの悪意が隠れているか、想像も出来ない。

 傭兵を名乗る男の言葉は、そんな懸念を肯定するものだった。
 東地区で働く娼婦達は、最初こそ優遇されていたものの、少しでも役立たずと判断されたり、また不都合な真実を知ってしまうと、密かに外部へ売り払われるそうだ。それもまだマシな方で、最悪の場合は家畜のように処理されるという。
 そして、攫われた野良の娼婦達も生死不明で……わかっているのは、既にこの街にはいないということ。
 現在、娼婦が一人でいることはそれだけで、自殺行為と呼べた。

 堂々と売春宿でも構えれば、すぐに見つかってしまう。かと言ってこのまま隠れていても、客は取れず干上がるしか未来はない。

 逃走か、闘争か。その二つを突きつけられ、フラヴィが選んだのは後者。

 (見せてやろうじゃないか。売女の意地ってもんを)


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