小説『大切なもの(未定)』
作者:tetsuya()

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翌日、午前九時頃、佳代は文江の携帯電話に電話する。佳代がアルバイトするまでは、土日も必ずといっていいほど、一日数時間程度パートで働いていたが、佳代が学生時代にアルバイトをするようになってからは、休養もちょくちょくするようになった。悪くたとえるなら、子供を働かせ、自分はのうのうとしているということ。

 佳代が必要最低限のお金を賄っていても、彼女の入社と同時に高校に入学した、弟の博も将来の働き方を勉強するためにという名目の元、いろいろなアルバイトをしている。土木などの力仕事や警備員といった男らしい仕事だ。こういったところでも、男と女の違いは出る。

 土木などの建築で鍛えられたらしく、もやしのように細い身体をしていた、弟はメキメキと力をつけ、腹筋の膨れ上がるのが見えるくらいにまで成長した。張り具合を確かめたくて、お腹に触れさせてもらうと、筋肉の張り具合にたまげた。トレーニングすることでここまで変われるのだと実感した。

 博もアルバイトをするのは、佳代は家計を助けたのに、自分だけ遊ぶのに躊躇いを感じるらしい。姉弟揃って家族想いだ。博も遊ぶ時間をかなり割いている。佳代が学費を払っているため、博はアルバイト代の大部分を、彼の将来に備えて貯金しているようだ。母が病気にかかってお金が不足する緊急事態に備えるための資金になる。たくわえをしておくと、いざとなったときに困らなくてもいい。

 貯金を選択したことに大きな成長を感じ取れる。ゲームをこねていた昔の面影はどこにもない。彼も確実に大きくなっている。

 これは佳代の推測に過ぎないが、姉弟揃って将来設計をきちんとしようとしたのは、母に浪費癖があっために、貧乏な生活を送ったことへのトラウマなのかもしれない。三食塩粥の生活は避けられるのなら避けたい。

 父が死ぬ前の母は浪費癖がとにかく激しかった。ほしいものにすぐに手を出し、家には不要なものばかりがたまっていった。使うのならまだ買った意味もあるのに、コレクター独特の飽きっぽい性格のせいで、引き出しにしまわれたまま一度もお披露目することのなかったバッグや、ブランド品が引き出しに数え切れないほどしまわれていた。腹も満たせない見栄を張るだけの物をこんなに集めてどうするんだと子供ながらにして思った。

 貧しい生活を強いられたのは紛れもなく。文江のせいである。将来を見据えてしっかりと貯金していれば、父が死んでも生活に困らなかった。若気の至りといえばそれまでなのだろうが、文江は緊急事態に備える意識が、著しく欠如していた。文江さえまともであれば、一日三色塩粥なんていうことはなかった。佳代と博は一日三色の食事に感謝しながらも、文江をかなり憎く思っていたのもまた事実である。こいつのせいでひもじい食事が続き、スーパーで特売の、カップラーメンすらほとんど口にできなかった。三人の一日の食費がカップラーメンレベルだったのは幻影をみていたかのようだ。

 携帯に電話すると、五コールくらいして、文江は出た。携帯電話に連絡しないと着信履歴に残せない。家の電話だと、まだ話していないととぼけられてしまいかねない。ひもじい生活を送っていくなかで、母はずるがしこさや生きていくためにせこい癖をたくさん学んでいた。人間の心を失っていった。

 携帯電話からはかなりどんよりとした、訊いているだけで空気が重くなるような陰湿さを含んだ声が流れてきた。快い目覚めだったのに、一日のテンションを一気に下げてしまった。不幸の巻き沿いにされているかのようだ。佳代は娘の幸せを妬んでいるのか。

「もしもし佳代、どうしたの?」

 そっちが昨日かけてきたんだろという言葉を呑みこむ。こっちもいろいろとやりたいことがあるので、母との電話を早く切りたい。だが、一定時間電話しないと満足しないようで、通話を終えた直後に着信されることもしばしばだ。
 
 佳代は昨日の件について切り出した。

「お母さん、仕事のある日は電話しないよういってるでしょ。何度いったらわかってもらえるの?」

 いつもの調子で母ははぶらかした。自分が力の限りをこめて育てた娘に何をしたってかまわない。そういう考えが文江にどこかある。生きていけるのは誰のおかげだ、もっと感謝しろ、そんな響きが含まれていた。

「そんな細かいこと気にしてたら、生きていけないわよ」

 あまりの無神経さに仕事の数倍のフラストレーションがたまる。携帯電話の料金もかさむため、長電話する価値もない。佳代は用件を訊いた。なければすぐに切るつもりだ。

「あたしが嫌いなの? 寂しさで自殺しちゃってもいいの?」

 命を引き合いに出すとは。完全なる脅しではないか。こういうことをされると、切りたくても切れない。万が一のことがあるからだ。声のトーンが自殺する可能性を示唆しているように思えてならない。
  
 陰湿、嫉妬深い、自慢ばかりする自分勝手な母に、昔から友達らしき友達はいなかった。佳代も母の影響で、あの子と遊んではいけませんと、仲間外れにされそうになったくらいだ。母の評判は芳しくなかった。

 結局、母のつまらない愚痴を数十分も訊かされる羽目になった。佳代はほとんど耳に入れず、適当に返答していた。会話の内容が伴わなくとも、母は娘の声を訊くだけで満足するところがある。単純思考だ。

 長々と一方的に話したあと、いつもの決め台詞と共に、母は電話をようやく切った。

「佳代、また電話してきておくれよ」

 母とせっかく別居したのに、四六時中見張られているようで落ち着かない。

 話すだけで億劫になってしまうような母親に嫌々ながらも電話するのは、精神的な被害拡大を防ぐためである。他人の迷惑を顧みない母は、一日に三十回以上も携帯を鳴らすこともある。娘と離れて寂しいのも、我が子がかわいいのもわからなくないが、電話される身になってほしい。友達といたり、勉強していたり、はたまた電車に乗っているときであっても、連絡してくるなんて、いかれてしまっている。相手の都合や予定を完全に無視している。自分さえよければいい性格だったから、パートしか雇ってもらえなかったのだろう。佳代はあんな女性にはなりたくない。他人のことを大切にして、自分も守ってもらえるように精進したい。

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