小説『大切なもの(未定)』
作者:tetsuya()

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我が家にマグニチュード九に匹敵する強い衝撃が走った。母がすい臓がんで余命三ヶ月から一年と宣告された。

 病院通いを始めてから、皮膚がどんどん黄色くなっていた。初めはただ黄色くなっただけかなと、重要にとらえていなかった。皮膚が黄色くなる病気は他にもきっとある。重い病気であることを自ら否定しようとしていた。都合の悪い事実を意図的に消していたともいえる。

 それだけに医師から病名と余命を告げられた瞬間、頭が真っ白になった。そのあとの説明は、母の死ばかりに脳が支配されて、全く耳に入ってこなかった。

 医師からの唐突な宣告後、佳代は部屋で泣き崩れた。突然の身内の悲劇は計り知れない苦しみとなった。

 嫌なことはすぐに忘れるようにしている佳代も、母の死はさすがに重くのしかかった。脳裏にこびりついてはなれない。

 心の中で母に何度も呟いた。取り残される方はすごく苦しいんだよ。どうやって生きていったらいいの。おいてけぼりにしていくなんて酷すぎるよ。

 あと二十年くらいは生き続けると思っていた。五十四歳での死はあまりに早すぎる。

 一人の身内の死は、赤の他人百万人の死よりもずっとずっと影響が大きい。大切な人を失った苦しみはもちろんのこと、これからどうしていくのかを考えていかなければならない。

 我が家では父の死がそれを証明した。塩粥生活は父が生存していたら絶対になかった。父が死んだからこそ、三人はどん底の苦しみを味わった。家賃や携帯電話のお金に敏感にならざるを得なかった。

 文江の病気はひょっとしたら父の死の延長線なのかもしれない。肉体的、精神的な過労で健康を害してしまった。

 膵臓がんを診断されたのが、博の就職が決まったタイミングだったのは、子供二人を育て切ったと使命感で、生きる糸がポツンと切れてしまったのかもしれない。立派に育った子供二人の姿を見て、母は未練がなくなったのだろう。
 
 母との想い出を振り返る。口うるさくて、ヒステリックで、父の生きていた頃は無駄遣いが激しくて、電話も無駄に長くて、厳しくて、融通がきかなくて、頑固で、気性も荒い母だった。

 だけどそれ以上に優しくて、温かくて、食料やお金の大切さなどを教えてくれて、腹ペコだった時は食事を自分たちに分けてくれて、困ったときには相談にのってくれる最愛の母親だった。

 父親がいないのに野宿せずにすんだのは紛れもなく母親のおかげである。身体に大きな負担をかけながらも昼夜働いてくれた。

 一番尊敬している点は、安易にセーフティネットに頼らなかったことである。ちょっと働けないくらいで、すぐに制度に頼ってしまう人々が最近増えている現代において、三人を必死に養ったのは、言葉ではいいあらわせないほど凄い。順風満帆な生活を送ってきた母親にはなかなかできない。

 懸命に生きる姿を見て育ったからこそ、佳代も自活している。博もアルバイトに取り組んだ。セーフティネットに甘えていたら、働く意欲すら生まれなかったかもしれない。
  
 文江との二十二年間の記憶を一つひとつ呼び起こすたび、涙が止まらない。悪いこともたくさんあったけど、世界で一番幸せな家庭だったと信じている。

 文江との集大成を築き上げるためにこれから頑張りたい。母にも未練なくあの世に逝ってもらいたい。

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