小説『遮蔽』
作者:たまちゃん(たまちゃんの日常サタン事)

しおりをはさむ/はずす ここまでで読み終える << 前のページへ 次のページへ >>

 イタチは声を出さずに泣いた

それはかのじょの癖であり
ささやかな防衛手段でもあった
イタチの右肩には火傷の痕があったが
それは母親が火を消した直後のガスコンロに押し付けた為に
出来たモノであったし身体の随所にある痣は折檻によるものであった

イタチ…中谷愛子は決して恵まれた家庭環境で育てられたとはいえなかった
父親は事故でなくなっており実の母キミ江の手によって育てられた

一九八四年十二月
蔵六は近所の木工所で工員として働いていたが
残業中ひとりで機械を操作していた為にボタン操作を誤り
直径2mもの鋸(のこぎり)に巻き込まれてまっぷたつになってしまった

ちょうど夜食を届けに来ていたキミ江の眼前で起きた惨劇であったが
当時三歳のイタチは肉片と化した父親に縋りつき慟哭するキミ江の眼中に
はっきりとした狂気を感じ取っていた

しかしキミ江はもともと寡黙な女であった為に
毅然とした態度を演じる事が出来た
その代わり彼女の心に鬱積したストレスの捌け口はイタチであった

決してキミ江はイタチを我が子を愛していない訳ではなかった
ただ余りにも強い哀惜の念が悪疫の様に彼女を苛み
内なる狂気を引き起こす誘引となっていた

キミ江はイタチを折檻した後は必ずといっていいほど泣いた

イタチを抱きしめ愚痴をこぼす
そしていつしか眠りにつく
その横でイタチも丸くなって眠る

しかし布団で寝れる訳ではない
黴臭い畳の上で小さく震えながら眠るのだ

それはまだマシだった
母親の機嫌が悪い時イタチは氷の様に冷たい台所の板の間に追いやられた

現に今もイタチはそこに正座してアルミの椀に盛られたエサを食っていた
手を使わずに顔を椀に押し付ける様にして食っているのは
母親の命令であったし何よりエサを食う時のいつもの儀式であった

別に母親が監視している訳ではなかったが
服従する事でそれ以上の酷い仕置きを受けない様にという
幼い少女の自己防衛でもあった

折檻の痕のどす黒く変色した痣がじくじく疼いたが
餌を食いながらイタチは
めったに感じる事の無い感情が湧き上がっている事に
驚嘆していた

しかし弱冠五歳のイタチにはそれが

『幸福』

だと理解するのは

不可能であった





…三日ぶりのエサであった…


-2-
Copyright ©たまちゃん All Rights Reserved 
<< 前のページへ 次のページへ >> ここまでで読み終える