小説『アナト -眠り姫のガーディアン-』
作者:那智 真司()

しおりをはさむ/はずす ここまでで読み終える << 前のページへ 次のページへ >>

美咲は、愛子を保育園のお迎えバスに送り出した後、洗い物を片付けてから、春の足音が聞こえてくるやわらかい日差しの下で、洗濯物を干していた。
瞼を閉じていても、その手つきに不安はない。
瞼を閉じているのは、日の光が明るすぎて眼の奥が痛むからだった。
だから、日中に外に出るときは、サングラスをするか、今のように瞼を閉じているのだ。

そもそも、美咲の眼はまったく見えないわけではない。 ただし、明暗が分かる程度だったが…。

普通に見える人なら、強烈な光を目を閉じたまま見て、その光と自分の間を何かが横切ればわかるといった程度といえばわかるだろうか。
医者が言うには、眼球自体に損傷があるわけではなく、視神経と脳の間に齟齬があるということらしかった。

だが、美咲は眼が見えないかわりに、普通に眼で見えるところ以外の場所も知覚できる。
勘の鋭い人なら、背後に誰かが立ったら気配で判るといったようなレベルではなく、誰がとか、何がということは判らないが、後ろだろうが横だろうが、そこに何かがあるということが分かるのだ。
それは、眼の見えない美咲が全方位を見ているということだった。
だから、洗濯物を干しながらでも、少し離れた場所に雄也がいることもわかっていた。

(今朝の雄君は、すっごく優しい感じがしたな…。)

実を言えば、昨日から雄也が愛子にどう接していいかわからずに困惑していたのを、迷惑しているという風に受け取っていたのだ。

(そういえば、雄君て子供の相手が上手だったけど、先生かなにかなのかな?)

そんな事を考え出すと、だんだんと止まらなくなっていくのは美咲の悪い癖だ。

(もしかして、実は愛ちゃんぐらいの子供がいたりして? 声は若そうなんだけど…。)

そこで、ふと思い当たる。

(雄君て幾つなんだろう? …! 私、雄君の事、何も知らない!?)

当たり前といえば当たり前だった。
出会ってからまだたったの二日なのだから。
もしも、普通に出会っていたなら、もっといろんな話をしていたかもしれない。
美咲の主観から言えば、出会ったのは『天使様』の導きであり、それも、狙われている美咲を守るという、特殊な状況下なのだから、のんびり「ご趣味は?」などとできるわけがない。
本当なら、こんな風に洗濯物を干してる場合でもないのだろう。

-24-
Copyright ©那智 真司 All Rights Reserved 
<< 前のページへ 次のページへ >> ここまでで読み終える