茜からの『定時連絡』と称した暇つぶしメールを確認してから雄也は携帯を閉じた。
時刻は夜の9時を少し回っている。
その日は概ね穏やかに時間は過ぎていた。
子供達の相手をするたびに、自分の幼かった頃の最愛の人との思い出があふれ、雄也は心が充足するのを感じている。
(さて、そろそろ見回っておくか。)
正面から順に不審な侵入形跡などがないかを確認してまわる簡単なものだが、雄也は不定期に見回る事にしていた。
ゆっくりと自分が侵入するならここからだなと思う場所や、屋内の間取りを偵察できるような位置を見て周りながら宿舎の裏手まで来たとき、気合いのこもった掛け声が耳に届く。
見やれば晃司が袖のないシャツを着て両足を広げて大地を踏みしめている。
軽く腰を落とし、両腕は腰だめに構え、掛け声と共に片方ずつ突き出していた。
空手の正拳突きの練習みたいだ。
雄也はしばらくそれを見ていたが、声を掛けてみる。
「空手でも習ってるのか?」
晃司は雄也が背後にいたことに気付いていなかったのか、少し驚いたように振り返る。
「雄也さんか、びっくりした。」
(今日はよく驚かれる日だな。)
雄也は胸中で肩をすくめる。
「学校の先生に教えてもらってるんだ。」
「空手が好きなのか?」
「好きって言うよりも…、 強くなりたいからさ!」
雄也は何か大切な事を聞くかのように、晃司に問いかけた。
「なぜ、強くなりたい?」
練習を止めて少し考える仕草の晃司。
「強くなって、姉ちゃんたちや愛を守りたいからさ。 …だってこの家には男は俺だけだから、俺が強くなって守ってやらないとな!」
それだけ言うとまた熱心に稽古に戻る。
子供頃の純真な正義感。 ただ、それだけの事だ。
それは今の雄也に、決定的に欠け落ちている部分。
10年前のあの日、晃司のように雄也も最愛の人を守りたいと思った。
(だが、今の俺には守るべきあの人がいない…。)
たまらないほどの寂寥感が雄也を襲う。 最愛の人を取り戻すために、さっさとやるべき事をやればいいと自分に言い聞かせてこの場を立ち去りたかった。