小説『アナト -眠り姫のガーディアン-』
作者:那智 真司()

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「美咲はね、なんとなくあの人に似ているんだ。」

少しだけ、美咲の胸の奥が『つきん』と痛んだ。
でも今は、雄也を励まさなければという気持ちのほうが強く、その理由を考える事もなかった。

「ここに来て、みんなを見ていると幸せだった頃が思い出されて、今はいないあの人のことを思い出してしまって、…その、…すまない。」

美咲はゆっくりと首を横に振る。

「ううん。私もお父さんやお母さんやお世話になったここの神父様の事を思い出して泣いちゃうときもあるから。」

そういって雄也の頬をハンカチで拭いてやる。
雄也は照れながらも、されるがままになっている。

(そうか、私が雄君を守らなきゃと思ったのは、雄君の心が子供のときのままとまっているからなんだ。)

美咲は、あまりに悲しい事や苦しい事があると、心がそれを受け止めきれずに、時の流れに取り残されてしまう事を身をもって知っていた。
美咲自身も両親と眼の光を失ったときにそうであったから。

美咲が立ち直れたのは、ひとえにこの教会の神父のおかげだった。
別段、特別な事をしてもらったとか、言われたというわけではない。
ただいつも傍にいて、いつも話しかけてくれていた。
今の雄也のように、泣きじゃくる自分の傍にずっといてくれた神父の存在は、両親を失ってぽっかりと開いた心の穴を、ゆっくりではあったが埋めていってくれたのだ。
そして、本当の意味で両親の死を受け入れ、立ち直れた時、美咲の事を案じ、深い愛情を持ってその空洞を埋めてくれていた神父の存在は、心の隙間に挟まった異物ではなく、家族の絆と呼ぶにふさわしい心の一部になった事を思い出した。

(雄君の言う、大切な人のことは分からないけれど、神父様がしてくれたように、私がその人の代わりになって雄君を助けてあげないと。)

美咲は不謹慎ながらに、少し嬉しくなってしまった。
何もできない自分が、雄也のために何かが出来ると思ったから。
こんな自分でも、必要とする存在があるのだという事が嬉しかった。

「雄君、私がずっと傍にいてあげるから、辛い時はちゃんと言うんだよ? 私が、雄君を守ってあげるからね。」

美咲のお姉さんぶった言い方に、雄也は少しおかしくなった。
そのおかげか、普段の自分が戻ってくる気がする。

「守るのは俺の役目だろう?」

少し冗談めかして言ってみる。

「うっ、それは…そう、なんだけど…。」

尻すぼみになっていく美咲に、雄也はくすりとこぼした。

「冗談だよ。 …ありがとう。 …すごく楽になったよ。」

「そ、そう? よかった。」

美咲にもぱっと笑みがともる。

「雄君がしっかりと私たちを守れるように、私が雄君を守ってあげるからね。」

言った自分でもよくわからなかったが、『まあ、いっか』と開き直り、雄也に小指を突き出す。
雄也は少し困った顔をしていたが、おずおずと小指を重ねる。

「これは契約じゃなくてヤクソク。 嘘ついたら針千本 …呑んで上げるから、ねっ!」


そのヤクソクが雄也の止まっていた刻を、動かし始める。 だがそれは、雄也にとってさらなる過酷な運命へのカウントダウンである事は、美咲には知るよしもなかった。
時計の針は一秒一秒をゆっくりと、しかし確実に刻んでゆく。 運命の日に向けて、ゆっくりと、ゆっくりと…。

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