小説『アナト -眠り姫のガーディアン-』
作者:那智 真司()

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   ◆

(あの男はやはり、気付いたわ。)

ほんの少し殺意を込めただけで反応した雄也に、洋子は心が躍った。

(あれなら心配はなさそうね。)

よほどの不意を衝かれない限り、雄也がやられる事はないと思う。
岩程度は自分で何とかするだろうと思いはしたものの、さっき見た雄也の腑抜けぶりに、どうにも心配になってしまったのだ。

(ふふっ。 女心は複雑なのよ。)

自分が発見されるかもしれない危険を冒してまで雄也に殺意を送ったのは、実は単に雄也が見たかったからだ。
腑抜けた雄也ではない。
その眼が合うだけで射すくめられ、無情に命を狩る殺人マシーンの雄也をだ。
明日の夜には逢えるのだが、その時の事を考えると身体の奥底がうずいてしまい、我慢できなくなったのだ。
そして、ほんの刹那の瞬間でしかなかったはずのあの一瞬だけ見えた雄也の瞳に、洋子は女としてのこの上ない喜びに満たされたのだった。

(警告はしてあげたわよ?)

カツカツとハイヒールを鳴らして歩く洋子。

(それにしても…、あの服、まったく似合ってなかったわね。)

苦笑が漏れる。

(彼に合うのは黒。 何者にも染まらない、唯一無二の色こそが、彼にもっとも似合うのよ。)

すれ違う多くの人が振り返るほど美しい暗殺者の内心を、行過ぎる人々の誰一人としてうかがい知る事はできなかった。

   ◆

「美咲も雄也もおっそいねー。ぶくぶくぶく。」

「愛ちゃん、お行儀悪いからストローでぶくぶくしちゃダメ。」

たしなめられてホッペをぷくっとふくらます愛子。
その柔らかそうなかわいいふくらみを指でぷにっと押しながら腕時計を見れば、もう13時をとっくに回っている。

「あー。俺もう腹へって倒れそうだよ…。」

ぎゅるぎゅると盛大になるお腹の虫に晃司は、力なくテーブルへつっぷした。

「確かに遅いわね。 時間を約束したわけじゃなかったけど…。」

由紀奈は出入り口のほうを見やる。 と、そこへ紙袋を沢山抱えて美咲の手を引く雄也の姿を見つけた。

彼女の買い物に付き合うカップル然とした二人に由紀奈の無表情がかすかにほころんだ。

雄也のことは正直言って胡散臭いし、あった初日に醜態を晒した恥ずかしさも手伝って気に食わないと思うのだが、姉のあの幸せそうな顔を見ると、同じ女性として『いいな。』と思うのだった。

(美咲姉さんはもっと自分に自身を持てばいいのよ。)

由紀奈は美咲がよく、『私なんて』という風に思ってる事を知っている。 普段は明るく、姉なのにかわいいと感じさせる美咲は、世界で一番素敵な姉だと由紀奈は断言できた。 だから幸せになって欲しいと思うのだが、同時にその大切な姉を取られたという思いもわいて来てしまうので、雄也にはついついきつい視線を送ってしまうのも已む無きことだった。

「うっ、お、遅くなってすまない…。」

由紀奈たちの居るテーブルまでやって来た雄也は由紀奈の視線を、遅くなった事を怒っていると感じてたじろぎながらも謝ってみる。

「おそいおそいー!」

「ホントだよ。俺、もう腹に力がはいんない…。」

「ごめんごめん。私が雄君の服を選んでたから遅くなっちゃった。」

雄也に席につかせてもらいながら美咲がぺろっと舌を出す。

「美咲姉さんが …選んだの?」

「そうよ♪ 親切な店員さんに手伝ってもらっちゃった。」

ちょっぴり自慢げな美咲はとっても嬉しそうだった。

「それよりも、メシ…。」

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