小説『彼女はボクのアイドル(完結)』
作者:masa-KY()

しおりをはさむ/はずす ここまでで読み終える << 前のページへ 次のページへ >>

第4話 〜 彼女のはかない想い(3)

 アクアミュージアムを後にした二人は、園内のレストランで軽く昼食を済ませて、次なる散策へと赴いていた。
「ねぇねぇ、次はあそこに行こう!」
「え?あ、あれ何...!?」
「行ってみればわかるよ。ほら、行くよ!」
 二人が訪れた先は、プレジャーランドという遊園地であった。
 そして香稟が指さしたもの、それは、このプレジャーランドの名物である「ブルーフォール」というアトラクションだった。
 ブルーフォールは、107メートルという高さから急降下する乗り物で、なんと最高速度は125キロ、重力も4Gかかるほど、スリル満点のアトラクションである。
「ちょ、ちょちょ、ちょっと待って!ま、まま、まさか、あれに乗ろうなんて言うんじゃ...?」
「もちろん!」
「わぁ、そんなに腕を引っ張らないでぇ!!」
 実をいうと、潤太はジェットコースターのような、こういったスリルのある乗り物が大の苦手なのである。
「大丈夫よ。あたしが一緒に乗るんだから。ね、これもいい勉強だと思ってさ。」
「勉強ったって...。こんな怖い思いする勉強なんて聞いたことないよぉ...。」
 香稟は相変わらずマイペースで、怖がる彼の手を引っ張っていく。
 とうとう覚悟を決めた潤太は、彼女と一緒に、ブルーフォールという驚異の地へと足を踏み入れる。
 係員の注意を聞いた後、二人を乗せたゴンドラはゆっくりと上昇を始めた。
「こ、ここ、これ、あの上まで行くんでしょ...?」
 潤太は全身を硬直させて、上空の落下ポイントに向かって視線を送る。
「大丈夫だよぉ。たった90秒で終わるんだからさ!」
「90秒!?そ、そそ、そんなに落下時間かかるのぉ!?」
 潤太は祈るようなポーズで、体をガタガタ震わせている。
「どうかボクをお守り下さい...。どうかボクをお守り下さい...。どうかボクを...。」
 ゴンドラが落下ポイントまで辿り着くと、スピーカーから何やら放送が流れてきた。
「...。6...。5...。4...。3...。」
 落下前のカウントダウンが、潤太に激しい恐怖心を植え付ける。
『ゴクッ...』
 潤太は目を閉じて、緊張の息を飲み込んだ。
「...。2...。1...。」
『ガタッ...!』
 ブルーフォールはその名のままに、急激な落下をスタートさせた。
「ぎゃぁぁぁぁぁ...!!!」
 時速120キロ、4Gの重力が、ゴンドラに乗る二人に襲いかかる。
 香稟の長い髪の毛は、降下する引力によって振り乱される。かつらが飛ばされまいと、彼女は必死になって頭を押さえていた。
 潤太の引きつった顔は、さらなる悪化の一途を辿る。目を閉じきって、歯を食いしばり、ひたすら悲鳴のような声を発していた。
 落下時間の90秒、その1分30秒は、潤太にとってあまりにも果てしなく、そして長かった。
 107メートル上空から地上へ到着した時には、潤太は口の中から魂が抜けて、すっかり放心状態であった。
「だ、大丈夫!?ねぇ、潤太クン、しっかりしてぇ!」
 さすがにブルーフォールの驚異は、スリルに免疫のない彼にはキツかったようだ。
 彼を支えながら、香稟は近くのベンチまでやって来た。
「ごめんね。あたしも、あんなにすごいなんて思わなかったから...。」
「はは...。き、気にしなくていいよ...。ボ、ボク、だ、大丈夫だから...。」
 上擦った声で受け答えする潤太。彼の青ざめた顔には、まだ恐怖感が残っている。
「ここで少し休みましょうか。あ、そうだ。あたし、そこで飲み物でも買ってくるね。」
 香稟はそう言うと、オープンカフェのある方向へ駆けていった。
 ブルーフォールの側には、軽く休憩できるオープンカフェが備えてあった。
 彼女は、店員の女性にアイスコーヒーとオレンジジュースを注文した。
「はい、お待ちどうさまでーす。」
「あ、すいませーん。」
 店員の女性は不思議そうな顔で、香稟のことを何度もチラ見している。もしかすると、目の前の女性が「夢百合香稟」に似ているなと、そう思っていたのかも知れない。
 香稟は二つのカップを持って、潤太の待つベンチへと歩いていく。
「あ。」
 彼女はふと立ち止まる。
 彼女の視界には、広げたスケッチブックに集中する潤太の姿があった。
 そっと潤太の側に近づく香稟。
 彼のスケッチブックには、すでにサラサラと鉛筆の線が描かれていた。
「はーい、お待たせ。」
 彼女は、作画に没頭している潤太の目の前に、アイスコーヒーのカップを差し出した。
「あ、ありがとう。」
「絵、描いてたんだね。」
「うん。ちょうど、ここからの角度が、何となくいいイメージに見えたから。」
 スケッチブックには、園内に佇んでいる風景が、線の太さで上手に表現されている。
 香稟はまたしても、才能ある目の前の少年に感動していた。
「香稟ちゃんは描かないの?」
「え?あ、ああ、そうだね。でも、あたしも自分で描きたいもの見つけたいから...。」
「ふ〜ん。」
 彼女は結局、潤太の描く風景画を横で見つめるだけだった。
 真剣な眼差しで、モチーフとスケッチブックを交互ににらみつけ、何度も鉛筆で線を立てていく潤太。ただ無造作に描かれている線が、徐々に風景へと変化していくから不思議なものだ。
 これこそが、彼自身の才能なのか、熟練された技術なのか、その真意は本人すらわからないのかも知れない。
「わぁ、きれいに出来たね。」
「ありがとう。急いで描いたから、ちょっと荒くなっちゃったけどね。」
「そうかなぁ。すごく丁寧に描かれてると思うけど。」
「香稟ちゃんは誉めるのうまいね。お世辞でもうれしいよ。」
「やだ、お世辞なんかじゃないわ。あたしの素直な感想よ。」
 二人はのんびり休憩したあと、再び園内散策へと赴くことになった。
 香稟は、スリルなものは極力避けようと、ゆったり型のアトラクションへ潤太を誘っていた。
 二人が乗車したのは、高さ90メートルもある展望塔、その名は「シーパラダイスタワー」である。
「これなら大丈夫でしょ?」
「う、うん。ごめんね、気遣わせちゃって...。」
「ううん、気にしないで。せっかくここまで来て、お互いが楽しめなきゃ意味ないもんね。」
 二人を乗せたドーナツ型の円盤は、ゆっくりと上昇し始める。
 ガラス越しから見える景色は、それはもう言葉では言い表せないほどの絶景であった。
 香稟はガラスにへばりついて、はるかかなたの遠景に心を奪われていた。
「あ、あそこに島が見えない?あそこ、どこかしら?」
「多分、房総半島じゃないかな。」
「ボウソウ?ボウソウって暴走族の島かなにか?」
「おいおい。わざとらしいボケだよ、それ。」
「あはは。これは失敬失敬。房総半島って、千葉県でしょ?」
「なーんだ、ちゃんと知ってるんじゃないかぁ。」
「えへへ、偉いでしょ?こう見えても、勉強はちゃんとしてた方なんだからね!」
「勉強かぁ...。」
 潤太は、目の前に映る大パノラマを眺めながら、横に座る香稟にそっと話しかける。
「友達から聞いたんだけど、香稟ちゃん、高校やめちゃったんだってね?」
 香稟は、少し寂しそうな表情で答える。
「うん。だって、とても学校に通える余裕はなかったから...。芸能活動と学業を両立させるのは、正直自信がなかったの。今になってね、結構後悔してるんだぁ。学校辞めちゃったこと。」
 潤太は無意識の内に、うつむき加減の彼女を見つめていた。
「学校にいた時は友達もいたし、いろいろなところへ寄り道したりとか、楽しいこといっぱいしてたけど。でも、いざ自分がアイドルになってしまうと、そんなヒマなんかなくって、昔の友達にも声を掛けにくくなっちゃうし、最初はすごく孤立しちゃったんだなと思ったわ。」
 やるせない胸の内を口にする彼女に、潤太は同情の眼差しを向けていた。
「やっぱり芸能人っていうのは、ボク達のように自由が利かないんだね。」
「まぁね...。あたしね、小さい頃、当時のアイドル歌手に憧れて、テレビを見ながら一緒になって歌ったりしてた。あたしは、人前で歌を歌ったり、演技したり、みんなに見られることが大好きなんだって...。あたしは今でもそう思ってる。だから、この世界に入ったこと後悔はしてない。だけど...。」
「だけど?」
 そう聞き返す潤太。
「いざ芸能界に入ってみると、決して華やかなスター街道ばかりじゃなくって、楽しいことよりも、辛いことの方が多かった気がするな...。」
 芸能活動を振り返り、悲哀感を漂わしている香稟。彼女はこれ以上、多くを語ることはなかった。
 潤太は、そんな彼女に気遣って、声を掛けることが出来なかった。
 彼女の瞳は、満たされない虚空を見つめている。その先には、果たして何が見えていたのだろうか?
 それは、一般人の潤太の知る由もない、芸能界で生きる者の孤独感だったのかも知れない。
 二人はその後、広い園内をぶらぶらと散歩してから、素晴らしい休日を過ごさせてくれた八景島に別れを告げた。

-15-
Copyright ©masa-KY All Rights Reserved 
<< 前のページへ 次のページへ >> ここまでで読み終える