小説『彼女はボクのアイドル(完結)』
作者:masa-KY()

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第5話 〜 知られざる過去と秘密(4)

 それから一週間が過ぎた。
 次週放映される金曜サスペンスドラマの撮影は、完成度120%の出来で無事終了した。
 今夜、このドラマ関係者が集まる打ち上げパーティーが、都内の某高級ホテルのラウンジで開催されていた。
 番組スポンサーのお偉いさんの堅いあいさつが終わると、会場に集まった関係者達が、テーブルの上に飾られたオードブルに舌鼓を打つ。
「いやぁ、今回は非常にいいね。大変結構、結構!」
「ありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。」
 スポンサーのお偉いさんはすっかり大喜びで、テレビ局のプロデューサーはさらにご機嫌を取ろうと、必死に両手をすり合わせていた。
 ドラマの撮影監督や番組のディレクターもが、恐縮しながら二人の会話に参加している。
 一つのドラマの打ち上げとは、こういうしがないものなのである。
 その頃香稟は、女性のスタッフや共演者達と、撮影時の苦労話に華を咲かせていた。
 そこへ現れたのは、彼女の相手役を演じたあの連章琢巳である。
「やぁ、香稟ちゃん。今回はお疲れさま。」
「あ、連章さん。どうもお疲れさまでした。」
 連章はほくそ笑みながら、ドレスアップした香稟を見つめた。
「ほう。いつも素敵だけど、今夜は一段ときれいだね。改めてキミの美しさを知ったな...。」
「そ、そんな...。」
 歯の浮くような連章のセリフに、香稟は恥ずかしそうにはにかんだ。
「あれ香稟ちゃん。ジュースなんか飲んでるのかい?せっかくのパーティーなんだから、ワインでもどうかな?」
「え...。だ、だけど、あたしはまだ未成年ですし...。それにお酒なんて、まともに飲んだことないですから。」
「それじゃあ、なおさら飲まなきゃ。せっかくの打ち上げなんだよ。今夜ぐらいは、少し羽目をはずしてさ、みんなと一緒に楽しまなきゃ。それに大人になるためにも、少しぐらいお酒をたしなむことも大事だと思うけどな。」
 ウエイターからワイングラスを受け取った連章は、琥珀色に輝くそのグラスを香稟に差し出した。
「ほら...。このワインはね、ボジョレー・ルマンといって、成功を祝うワインなんだ。今日という日にピッタリだと思わないかい?」
「そ、そうですけど...。」
 彼女は未だにためらっている。今一歩、常識という壁を越えられない。
「さぁ、乾杯しようよ。オレとキミの出会いを祝してさ。」
「え、え...。」
 不安そうな顔の彼女に、連章は無理やりワイングラスを持たせた。
「乾杯...。」
 ニヒルを気取る連章は、手にしていたグラスをグイッと飲み干した。
「どうしたの、香稟ちゃん。さぁ、キミも飲みなよ。記念すべき二人の祝いの美酒を...。」
 彼の巧みな語りかけに、香稟の心はいつしか、不思議なぐらい解放されていた。
 彼女はついに、手にしたグラスに注がれた、成功を意味するワインに口を付けた。
「どう、おいしいでしょ?」
 香稟はスッキリとした表情で、素直なままに口を開いた。
「ホントだ、すごくおいしい...。ワインって、こういう味なんですね。」
「ハハハ。このワインは高級なんだよ。その辺のスーパーで安売りしてるワインとは別格だからね。」
「そうかぁ...。それじゃあ、これはめったに飲めないワインなんですね?」
「そういうことさ。」
 一口のボジョレー・ルマンによって、こわばっていた彼女の心は自然と和らぎ始めていた。
 連章はニヤっと不敵な笑みをこぼす。その笑みは嫌なほど、彼の裏側にある卑しさを感じさせる。
「この女も、もうオレの手の中だな...。」
 彼の欲望がそうささやいていた。
 香稟は酔いしれて、目の前にいる色欲魔にすっかり心を許している。
 ガードが甘くなった女性ほど、あっけないものはない...。連章は妖しげにそうつぶやく。
 連章の強引とも言える酒の誘いに、香稟は徐々に理性が失われていく。そして彼女は、果てしない後悔の渦へと巻き込まれていくのだった...。

* ◇ *
「う、うう...。ん...。」
 香稟はゆっくり目を開ける。
 彼女の開けた瞳に映るもの。それは、豪華な装飾をあしらったシャンデリア。
 彼女は、その見慣れない天井に放心状態となる。
「よう...。ようやく目覚めたかい?」
 聞き覚えのある声。
 香稟は激しい頭痛に襲われながら、ゆっくりとその身を起こした。
「...ここは?」
 彼女は朦朧とした意識の中、辺りを見渡す。
 まったく見たことのない戸棚、洋服ダンス、机、ソファーベッド、そして...。
「れ、連章さん...!?」
「ぐっすり眠っていたようだな。まぁ、あれだけワインを飲んじゃ、無理もないがね...。」
 連章はクスクス笑いながら、ブランデーグラスをテーブルへ乗せた。
「こ、ここはどこですか!?」
「オレの家さ。とはいえ、オレがプライベートで借りてるマンションの一室だけどな。」
「え!?そ、それじゃあ、今日子さんはどこに...?」
「心配することはない。彼女にはオレから言っておいたからさ。」
「え、どういうこと...!?」
 連章は目を細めて、香稟に向かってにやけた顔を突きつけた。
「...今夜、オレの家でかわいがってやるから、さっさと帰りなってな。」
「!!」
 香稟は恐怖のあまり青ざめた。
 さすがの純情な彼女でも、このシチュエーションと連章の言葉に、今置かれている状況がどういうことなのかハッキリとわかっていた。
 捕われの猫のように、体を震わせて身構える香稟。
「ハハハ、安心しなよ。別に痛い思いなんてさせないからさ。」
 じわりじわりと、連章は彼女の元へ歩み寄っていく。
 酒の影響からか、彼女はふらつくほどに気分が悪くなっていた。
 それでも彼女は、目の前の色欲魔から、逃げるように後ずさりしていく。
「い、いや...!こ、こないで...!」
「おいおい、そんなに嫌がるなよ。おまえのマネージャーから了解もらってるんだぜ?言う通りにするのがアイドルってもんだろうが!」
「そ、そんな、まさか今日子さんが...!?」
 連章は怒涛のごとく、ソファーにいる香稟目掛けてなだれ込んできた。
「キャアァ...!!」
 抵抗する彼女の手をわし掴みする連章。ここにいる男は、あのニヒルでクールなタレントの連章琢巳などではなかった。
「お、おとなしくしろぉ...!ヘヘヘ...。いい思いさせてやるからよ...。」
「だ、誰か助けてぇー!!」
「へへ、誰もいるわけねぇだろうがぁ!!さぁ、おとなしく観念するんだ!!」
「いやぁぁ...!!」
 彼女のピンクの唇に、鬼畜のような顔が押し付けられる瞬間だった。
『ガツン...!』
「ぐあぁあぁ...!?」
 連章はうめき声を上げると、ソファーの下へと倒れ込んだ。
 香稟がそっと目を開くと、そこには、激しい息遣いをする、陶器製の花瓶を抱えた女性の姿があった。
「きょ、今日子さん...!?」
「さぁ、香稟!早く逃げるのよ!!」
 新羅今日子は、素早く彼女の手を掴んで、全速力で玄関へと駆けていく。
「く、くっそ〜...!」
 叩き付けられた頭を抱えながら、痛さにうずくまる連章。
 彼の目には、二人の女性の駆け抜ける足下だけが映っていた。
 玄関のドアから急ぎ足で出ていく二人。そして二人は、マンションの前に止まっていた社用車へと乗り込んだ。
「早乙女クン、早く車出して!」
 社用車はタイヤを滑らせて、ハイスピードでその場から走り出した。
 香稟は、この事態が現実に感じられず、なかなか体の震えが止まらなかった。
「ゴメンなさい、香稟...。本当にゴメンなさい...。」
 涙をこらえている新羅は、彼女と目を合わさないまま静かにつぶやいた。
 香稟は唇を噛んで、この非常事態の真相を問いただす。
「...どういうことですか!?」
「......。」
「答えて下さい!あの人、今日子さんには話を付けたと言ってました!ちゃんと、あたしにわかるように説明して下さい!」
 涙を浮かべて、かすれた声で怒鳴りつける香稟。
「...今から6年前よ。」
 新羅は両手で顔を覆い隠し、彼女自身の秘められた過去を打ち明ける。
「わたしがまだ、芸能人という肩書きだった頃、わたしはあの男と出会った。その頃の彼は、今ほど売れてはいなかったけど、レギュラー番組を数本持つぐらいの仕事はこなしていたわ。それに引き替え、その頃のわたしは年齢を増すことで、アイドルという名声をなくしかけていた時期だった。」
 覆い隠した新羅の頬に、小さな涙がこぼれている。香稟の心はますます締め付けられる。
「事務所もその頃、あなたのようなスーパースターに恵まれず、資金繰りも悪化していたわ。あの男は、そんな火の車だった事務所を救ってやると、わたしに言い寄ってきたのよ...。」
 新羅は悔しそうに、両手をひざの上に叩き落とした。
「あの男、連章琢巳はその見返りとして、わたしの体を要求してきたのよ...!」
「え...!」
 ショックのあまり、香稟の表情が一瞬でこわばる。
「わたしは、社長である父を助けたくて、やむなくあの男と関係を持ったわ。だけど、そんな気の緩みが、この先の悪夢を生み出してしまったの...。」
「ど、どういうことですか...!?」
「わたしが犯した行為がね、収賄罪といって違法行為を招いてしまったの。あの男、それをいいことに、わたしの事務所を脅し始めたのよ。もし逆らえば、この事実をすべてマスコミの前で明らかにすると...。」
「そ、そんな!ひ、ひどすぎますよ、それ!」
 自分の犯した罪にさいなまれるかのように、新羅の表情は苦悩に満ちている。
「あの男、あなたに目を付けたのよ。わたしに向かってこう言ってきたわ。打ち上げパーティーから香稟を連れ出すから、その手伝いをしろってね。」
「......。」
 香稟はこの真相に、やるせない悲しみでいっぱいになった。
「...仕方がなかった。あなたをこんな目に遭わせたくはなかったけど...。仕方がなかったの...!」
「今日子さん...。」
 新羅は悔しい涙を流し続ける。その涙は、彼女の心にあった忌々しい後悔だったようだ。
「そういう理由があったのに、どうしてあたしを助けてくれたんですか...?もし、このことがマスコミに知れたら、事務所が大変なことになるのに...。」
「耐えられなかったのよ...。あなたは、まだこれからなのよ。そんなあなたを、こんな形で傷物にしたくなかった。たとえ、わたしの身がどうなろうとも...。」
「きょ、今日子さん!!」
 香稟は涙をこぼして、新羅の温もりある胸に飛び込んだ。
 それを受け止めた新羅は、胸の中の香稟をやさしく抱きしめていた。
 首都高速を駆け抜ける社用車は、まるで何事もなかったかのように、ネオンきらめく市街地を走り去っていく。
 秘められた芸能界の裏側が明かされた夜。その夜は静かに閉じていく。
 しかし、この一連の出来事は、この日の夜のように静かには終わらない。
 なぜならこの先、香稟にとって思いも寄らぬ展開が待っていたからだった...。

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