小説『彼女はボクのアイドル(完結)』
作者:masa-KY()

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第7話 〜 限りない愛の決意(4)

「わぁ。今日は一段と夜景がきれいだ...。これなら、いい色を見つけることができそうだ。」
 潤太は駅前のタカラビルの屋上へと来ていた。
 このタカラビルは、地上15階建てのオフィスビルである。
 このビルはオフィスビルだが、毎晩11時までは、夜景を楽しむ一般人向けに、屋上だけを開放する気の利いたサービスを行っているのだ。
 というわけで、潤太の周りには、夜景を楽しむ人達が少なからず見受けられる。
 彼はそんな人の目も気に留めず、明かりが照らす手すりの上にスケッチブックを広げた。
「そうか、ここはこういう色がいいかも。」
 彼は描きかけの絵に、下書き用の色鉛筆を当て始めた。
 何色もの色鉛筆を取り出し、彼はネオンサインの夜景から新しい色を探し出している。
「......。」
 彼はふと、走らせていた手を止めた。
「...どうしてだろう?なぜ、いい色にならない?どうしてなんだ!」
 彼は頭を垂らして心の中で嘆き苦しんだ。
 このスランプから脱出するきっかけはどこにもないのか!?そんな苦悩に、全身を覆い尽くされそうなった瞬間だった。
「...?」
 彼は、背後からやって来るやわらかい風を感じた。
 その風はほのかに暖かく、彼の体を温めながら、闇の中へと吹き抜けていく。
 そして、その風に乗って届いた声は、懐かしいほどやさしい彼女の声だった。
「きれいだね、ここの夜景。」
「!!」
 潤太は勢いよく振り向く。
 彼の後ろに立っていたのは、彼が思っても見なかった人物だった。
「か、香稟ちゃん...!」
 彼はつい大声を上げそうになったが、周りにいる人々に気付かれたらマズイと思って、声のトーンをグッと抑えた。
「お家を訪ねたらね、おばさまがここにいるって教えてくれたの。」
「そ、そう...。」
 香稟は、潤太のすぐ隣の手すりまで歩み寄り、遠くまで見える夜景へと視線を送った。
「こんなところに、こんな素敵な場所があったなんてびっくり。よく来るの?ここ。」
「う、うん。気が向いたらね...。」
 潤太はおもむろに、すぐ側にいる香稟を見つめる。
 彼女の容姿は、遠くのネオンに反射するかのように、透き通るぐらいに輝いていた。
 忘れることが出来なかった潤太のはかない想いが、彼女をそんな風に見せていたのかも知れない。
「もう、会えないと思ってた。この先、ずっと、あなたに会えないと思ってた。」
「...ゴメンね。ボクの勝手ばかりで。」
「ううん。あなたは何も悪くないわ。悪いのは、全部あたしの方だから...。」
「悪いのはキミじゃないよ!同じ事務所にいた、えっと、あれ、誰だったかな...?」
 戸惑うばかりの潤太に、悲しげな顔をそっと向ける香稟。
「元をただせば、あたしがいけないの。あたしに、アイドルなんて肩書きさえなければ...。」
 彼女の表情は、やりきれない想いをそのまま映していた。
「放っておいてくれと言われたのに、勝手に会いに来ちゃってゴメンなさい。正直言って迷惑だったでしょ?」
「いや、そんな、迷惑なんかじゃないよ。」
 香稟はもう一度、美しく輝く夜景へと目を向けた。
「あたしね。もう、あなたに会えないなら、最後に言っておきたいことがあったんだ。」
「え...?」
 香稟は口元を緩めて、かわいらしい笑みをこぼした。
「あなたと初めて会った日...。ホントに、偶然としか思えない出会いだったよね?」
「うん。今思えば、あんなこと現実にあるのが不思議だったよ...。」
「あたしのわがまま無理やり聞いてもらっちゃって。あの時、すごく楽しかった...。」
「ボクもすごく楽しかった...。あんな風に女の子と遊んだこと、今までなかったからなおさらだったよ。」
「一緒に横浜の八景島にも行ったよね?あの時の潤太クン、おもしろかったわ。フフフ。」
「や、やだな...。その笑い、さてはあの落下するヤツのことだろ?やなこと思い出さないでくれよ〜。」
「フフフ、ゴメンね。でもみんな、あたしにとって絶対に忘れることのできない、最高の思い出...。」
「それは、ボクもだよ...。」
 二人はいくつもの思い出を振り返る。お互いが、その思い出の一つ一つを忘れたくなかったかのように...。
「...いつからかわからないけどね、あたし、大切なことに気付いたの。」
「何を?」
「一緒にいる楽しさを...。」
「え?」
 香稟は、潤太と目を合わせる。
 彼女の瞳には、ドキッとした顔の潤太が映っていた。
「あなたと一緒にいることの楽しさを...。これからもずっと感じていたかった...。」
「か、香稟ちゃん...!?」
 香稟の垂らした頭は、横にいる彼の胸の中にあった。
 夜風になびいた彼女の長い髪が、潤太の照れた頬をやさしく撫でている。
「...。」
 思いも寄らぬ展開に、潤太の体はカチンコチンに硬直した。
 自分の胸の中には、あのスーパーアイドルの顔がある。
 ドックン、ドックンと、彼の鼓動はますます激しくなる。
「あたしね...。あなたの絵を初めて見た時、今までに感じたことのない衝撃を受けたの。それは、絵の上手さにびっくりしたんじゃなく、何て言っていいのかわからないけど、胸がね、すごく熱くなった気がしたの...。」
「香稟ちゃん...。」
 潤太にもたれかかったまま、胸の内を語り続ける香稟。
「あなたの描く風景には、人は描かれていないけど、その風景を見ている人がいるわ。あなたが、あたしにくれた代々木公園の絵画、今でも大事にしてるよ...。あたしだけじゃなくて、あなたも一緒に見ている、あの絵の中にある思い出の景色を...。」
 彼女はゆっくりと、潤太の胸から離れた。
「...潤太クン。今まで、ホントにありがとう。素敵な思い出をくれて...。」
 彼女の瞳から、宝石のようなまばゆい涙がこぼれていた。
「さようなら...。」
 彼女は、立ちつくす潤太の側から一歩、そして一歩と離れていく。
 潤太は無意識の内に、彼女に向かって叫んでいた。
「香稟ちゃん!ま、待ってよ...!」
 彼女の足がピタリと止まった。
「ずるいよ香稟ちゃん!自分のことばかり告げて行っちゃうなんてさ!ボクの気持ちはどうなるんだよ!?」
「潤太クン...。」
 香稟は泣き顔のまま振り返った。
「この絵を見てよ...。」
「え...?」
 潤太は、書きかけの風景画を彼女に見せる。
「もしかして、その絵って、ここ?」
「ああ。今日、どうしてここに来たのか...。それは、この絵を仕上げるために、新しい色を見つけるためだったんだ。」
「でも、潤太クンは、色を考えたり、色づけするのは、いつも自宅でするはずでしょ?どうして今日に限って...?」
 スケッチブックを掲げる潤太の両手が、知らず知らずの内に震えだした。
「できなかったんだ。色が、いい色が見つからないんだよ...。こんなこと、絵を描き始めてから初めてだった。どうしていいのか、どうしてこんなことになったのか。自分でも、その答えがわからなかった...。」
「......。」
 香稟は口をつぐんだまま、潤太のせつない声に耳を傾ける。
「でも、やっとわかったんだ...。ボクは、絵を手で描いていたんじゃなく、心で描いていたってことに...。」
「心で...?」
「ボクの心が絵を描こうとしなければ、ボクの絵は完成しない。絵を描きたい、描かなきゃいけないと、ボクの心がそう感じれば、ボクの絵は完成するんだ。」
「それじゃあ、潤太クンの今の心は、絵を描こうとしていないっていうの?」
 香稟の問いかけに、小さくうなずく潤太。
「ボクの心は今、キミを見ているんだ...。ボクがどんなにきれいな景色を見つけても、ボクの心はキミを追っている...。ボクが美しい絵を描いても、ボクの心はキミの姿を描いている...。」
「潤太クン...。」
「香稟ちゃん、素直な気持ちで伝えるよ。ボクはキミのことが好きだ...。」
 香稟と潤太の二人は、互いに見つめ合い、互いの気持ちが一緒だったことを確信した。
「だけど、ボクにはそれを言える勇気がなかった...。言ってしまったら、ボクはきっと、辛い想いをすることになる。そう思ったんだ。」
「どうして...?」
「キミがアイドルだから、芸能人だからだよ。所詮、ボクとキミは住む世界が違う。ボクはただの普通の高校生。でもキミは、日本中から騒がれるスーパーアイドル。どう見ても、好きになっちゃいけない人だ。そう思ったら、ボク何も言えなくなっちゃってさ...。」
「そんなの違う!」
「え?」
 香稟は髪の毛を振り乱し、頭を大きく左右に振った。
 大粒の涙を流し、彼女は大声で叫んだ。
「あたしは!あたしは何も違わない!あなたと何も変わらないわ!あなたと同じように遊んで、楽しんで、そして泣いて...。あたしは、あなたと同じ17歳の女の子よ!!」
 香稟は泣きながら駆け出して、潤太の胸の中へ思い切り飛び込んだ。
「香稟ちゃん...。」
「香稟じゃない。あたしは由里...。今のあたしは、信楽由里よ。お願い、アイドルじゃないあたしを見て...。香稟じゃなく、由里のあたしを...。」
 二人はしばらくの間、そのまま抱き合っていた。
 周りにいたギャラリーも、横目でチラチラ二人のことを見ていたが、薄暗かったせいか、まさか女性の方があのスーパーアイドルだとは、誰も気付くことはなかった。
「もう帰ろうか...。」
「うん...。」
 気持ちを通わせた二人は、輝かしい夜景に別れを告げた。


 二人は腕を組みながら、夜の街を歩いていた。
 時々、お互い顔を見合わせて、喜びを噛みしめるような笑みを見せ合っていた。
 二人は新宿駅へとやって来た。ここは、二人にとって一時の別れの場所でもあった。
「ありがとう。ここまで送ってくれて。」
「ううん。できる限り一緒にいたかったんだ。」
「うれしい。」
 もう二人の会話は、恋人同士そのものだった。
 つながれた二人の手は、離れたくない気持ちを伝わせている。
「じゃあ、行くね。」
「ああ。ボクからも電話するよ。」
「うん。待ってる...。」
 彼女は大きく手を振って、駅構内の人混み中へと消えていった。
 潤太は、そんな彼女を見送りながら、心の中で決意をあらわにした。
「ボクはもう迷わないよ。どんなことがあっても、ボクは好きな人を信じ続ける。今も、そして、これからも...。」

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