小説『彼女はボクのアイドル(完結)』
作者:masa-KY()

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第8話 〜 忘れかけていた夢(1)

 タカラビル屋上での告白。それは、唐草潤太と夢百合香稟、いや信楽由里の二人にとって、忘れることのできない思い出深い出来事となった。
 あれから二人は、お互いに連絡を取り合い、彼女のオフの日にはデートしたり、電話でいろいろな話をしたりと、時間が過ぎるたびに恋心を深めていった。
 そんな幸せな時間が流れていく中、彼女の事務所の「新羅プロダクション」は、ある重大な決断を迫られていた。
「...というわけなんだ。」
「......。」
 新羅プロダクションの社長室には、深刻な表情の社長と新羅今日子がいた。
「おまえもわかってるとは思うが、我が社は今、経営がかなり厳しくなっている。あのスキャンダル騒動のおかげで、香稟の仕事が減ってしまったんだからな。」
 例のスキャンダル報道によって、夢百合香稟の仕事は少なからず減りつつあった。それが、人気アイドルの持つ悲しい宿命であろうか。
 彼女と契約していたスポンサー6社の内、すでに4社が再契約を断ってきた。
 さらにテレビでは、週4本のレギュラー番組の内、次の番組編成期までに2本降板が決まっていた。
「わかってます...。だけど、いきなり香稟にその話をしたら、彼女はきっと...。」
「しかし、ここまで来たらやむを得ない。事の発端は香稟でもあるんだ。彼女にも、それなりに覚悟を決めてもらう必要がある...。」
 ここで話された密談は、香稟にとって認めたくない内容だった。
 この会社を、いやアイドルとしての彼女を救う手だてはこれしかないと、彼女のマネージャーである新羅は、やりきれない気持ちを胸に社長との会話を終えていた。

* ◇ *
 それから数時間後、某テレビ局では香稟がバラエティー番組の収録を行っていた。
 新羅はいつものように、彼女を迎えるため社用車にて某テレビ局へとやって来ていた。
 収録を終えて、控え室でメイクを落としている香稟。
 今の彼女は、仕事が減ったことに気落ちすることもなく、明るい笑顔で自分の成すべき仕事に励んでいた。
「フフ、香稟ちゃん。最近どうかしたんですか?」
「え?どうかって...?」
「だって、前よりすっごく元気になったんだもの。何かいいことでもあったのかなと思って。」
「べ、別に何でもないですよぉ。フフフ。」
 メイク係の問いかけに、香稟は頬を染めながらつぶやいた。彼女の頭の中には、自分の想うべき人物がいたようである。
「香稟。」
「あ、今日子さん。ご苦労さまです。」
 鏡越しの香稟の視線に、新羅今日子のいつもと変わらない表情が映った。
「今日はもう、お仕事入ってないから、これからちょっとご飯でも食べに行きましょう?」
「あ、今日子さん、もしかしてそれ、おごりですか?」
「いいわ。」
「ハハハ、やったぁ!」
「......。」
 明るく振る舞う香稟を見ながら、新羅は作り笑いを浮かべるしかなかった。
 メイクをきれいに流した彼女を連れて、新羅はテレビ局近くのレストランへと向かった。


「どうしたんですか、今日子さん?お料理、全然手を付けてないですよ。」
「え、ええ。そうね...。」
「?」
 レストランで食事をしていた二人。しかし、いつもの二人とは明らかに様子が違っていた。
 新羅の落ち着きのない素振りに、香稟はその真相を問いただそうとした。
「今日子さん、何かあったんですか?今日の今日子さん、何だか様子がおかしいですよ。」
「......。」
 新羅は意を決して重たい口を開く。
「ねぇ、香稟。あなたにね、新しい仕事をお願いしたいのよ。」
「新しい仕事、ですか?」
 その言い方に、香稟は不審に思ったのか表情を曇らせる。
 それもそのはずで、新羅はこれまで、香稟に新しい仕事の話をする時は、こんな感じで改まった言い方などしていなかったからだ。
「実はね、今日社長に言われたの。写真集の話。」
「写真集なら前にもやりましたよ?別に新しい仕事なんかじゃないですよ、それ。」
「水着写真集なのよ。」
「え!み、水着ですか...!?」
 香稟は愕然とした。そして、彼女は顔を引きつらせて訴える。
「ま、待ってください、今日子さん。み、水着って、それはどういうことですか?あたしは水着とか素肌を出したりとか、そういったグラビア路線には行かないという話でしたよね?」
「ええ。それは百も承知よ。」
「そ、それじゃあどうして?」
 新羅は真剣な顔で、戸惑う香稟に正直に打ち明ける。
「香稟、落ち着いて聞いて。今ね、事務所が資金的に大変なことになってるの。例のスキャンダルのせいで、あなたのレギュラーが減ったことに、九埼まりみの事務所移籍が重なって...。」
「......。」
「もうすでに、破産という危険信号が灯っているのよ。このままだと、数千万の赤字を計上することになってしまう...。 だけどね、それを救うことができるのは、香稟、あなたしかいないのよ。事務所の一番の稼ぎ頭であるあなたが、さらなる飛躍を試みるしか手は残っていないの...!」
「そ、そんな!さらなる飛躍なんて、いきなり言われても...。」
 新羅から事情を聞かされても、香稟は素直に納得することができない。
「聞いて香稟。あなたも気づいていると思うけど、芸能界という世界は決して甘いものじゃないわ。一度失った信頼を取り戻すことは、思ったほど簡単にはいかないのよ。」
 うつむいている香稟に、新羅は必死になって説得をしようとする。
「特にあなたはスーパーアイドル、つまり清潔感や爽快感を売りにしていたのよ。そのあなたが、あんな黒い噂を流されてしまって、これまでのイメージを完全に壊されてしまった...。だから、これからも同じ路線で行こうとしても、いつか見放されてしまうわ。」
 香稟の尖っていた口元は、いつしか元に戻っていた。彼女はもう何も言えなかった...。
「でも安心して。そんなにいやらしいと思うほどじゃないわ。水着を着て、カメラに向かってポーズを取る。ただそれだけなのよ。ねぇ、香稟。お願い、この話を快く受け入れて。」
 いたたまれない思いを募らせる香稟。ようやく傷のいえてきた心に、亀裂が入ってしまったかのように...。
 彼女はそっと顔を上げると、新羅のことを悲しい目でにらんでいた。
「...約束はどうなるんですか?」
「え?」
「約束を破るんですね?あたし、約束を破ること、この世で一番許せない...!」
「か、香稟...!」
「今日子さん。あたし、こんなの納得できません。だから、この話も受け入れたくないです。こんなやり方、あたし、絶対許せない...!」
「あ!か、香稟、待ちなさい!」
 香稟は悔し涙をにじませながら、テーブル席から駆け出して、レストランのドアを越えていった。
 呆然と立ちつくす新羅。そんな彼女も、いたたまれないほど辛い心情をあらわにしていた。

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