小説『彼女はボクのアイドル(完結)』
作者:masa-KY()

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第1話 〜 男と女の出会う街角(2)

 とある日曜日のこと。
 ここは、東京都杉並区にある「唐草」と書かれた表札を掲げる家である。
「あれ、母さんは?」
「さっき出掛けたよ。何でも近所のスーパー大安売りなんだってさ。」
「ふ〜ん。」
 大きなスケッチブックを腕に挟ませて、ブルーのリュックサックを背負った唐草潤太は、居間で寝転がっている弟の拳太に声を掛けた。
 その格好からして、潤太はどこかに出掛けるようである。
「それじゃあ、ボク出掛けるから。母さんに伝えておいてくれよ。」
「出掛けるって...。兄貴ぃ〜。またアレかよぉ。」
「うるさいな。おまえには関係ないだろぉ!」
 潤太は、弟の拳太に呆れられつつ、自宅を飛び出していった。

 ◇
 唐草潤太は、最寄りの駅から電車へと乗り込み、ゴミゴミした都内を離れていく。
 彼の目指す場所は、東京都内から少し離れた、自然に囲まれたすがすがしい場所だった。
 電車を降りてから徒歩30分ほど、その目的地が彼の目に飛び込んだ。
「はぁ、やっと着いたぁ。」
 そこは、緩やかな坂を登ったところにある、小さな公園であった。
 彼は到着するなり、辺りをキョロキョロ見渡し始めた。
「あ、ここだここだ。」
 彼は何かを見つけたように、その場所にあるベンチへと腰掛けて、おもむろにスケッチブックを広げた。彼はいったい何を始める気なのだろうか?
「よーし、今日はこの天気のおかげで、ボクのイメージ通りのいい絵が描けそうだな。」
 そうである。彼はこの場所へ、趣味である風景画を描きに来たのである。
 唐草潤太は高校2年生の時、ある絵画展へ風景画を出展し、なんと佳作をもらった経験があるほどの腕前なのだ。
 学校内では、勉学や運動ではさえない彼だが、これまた美術とあらば、ずば抜けた才能を発揮する少年である。ちなみに美術の成績は、ほぼ高判定をキープしているのだ。
 そんな彼の紹介をしている内も、彼はものすごい勢いで風景を描写し続ける。
 彼の持つスケッチブックには、公園に雄大にたたずむ木々と、その脇におとなしく佇む花壇が描かれていた。
 彼は絵を描き始めると、周りに泣き叫ぶ子供がいようが、イチャつくカップルがいようが、人に向かって吠えまくる犬がいようが、あまつさえ、首を振って群れる鳩の集団がいようとも、決して彼の手は止まることはなかった。それはまさに、絵画の世界に入り込んでいたと言っても過言ではないだろう。
 ところが、そんな彼の手を止める忌々しい集団が現れてしまった。
「あ。マジかよぉ...。」
 それは、彼のモチーフである花壇の中で遊び始めた幼い子供達だった。
 彼は、モチーフの中に邪魔者が存在すると、その絵を描くことを止めてしまうのだ。それがどうも、彼自身のこだわりのようである。
「まいったなぁ...。これじゃあ、花壇の絵が完成しないよぉ。とはいうものの、あんな子供相手に、出ていけなんて言えないしなぁ...。」
 彼はひたすら苦悩する。
 結局、彼はここまでの仕上がりで、今日のスケッチを終えることとなってしまった。
「ふぅ...。しょうがないな今日は。あ、そうだそうだ、帰るついでに絵の具でも買って帰ろうっと。」

 * ◇ *
 その頃都内では、シャドウのかかったウインドウに覆われた自動車が、混み合う車道をくぐり抜けている。
 その自動車には、これからテレビの収録に向かうアイドル、夢百合香稟と、そのマネージャーである新羅今日子が乗車していた。
 激しく混み合う渋滞の中で、その社用車はノロノロ運転を続けていた。
「もう!今日はやけに混んでるわね。ねぇ、早乙女クン!もう少しいい道ないの?このままじゃ、収録時間に遅れちゃうわよ。」
「いやぁ、この街道はほとんど抜け道がなくって、ははは...。」
「笑い事じゃないわ、何とかしなさいよ。香稟が収録に遅れたら、プロデューサーさんに悪い印象与え兼ねないわ。」
「新羅さん、無茶言わないで下さいよぉ〜。それに、この街道に抜け道があったら、こんなに混むわけないじゃないですかぁ。」
 新羅と社用車の運転手は、怒りと苛立ちの混じり合う言葉を投げ合っていた。しかし、そんなじゃれ合いをしていても、このピンチを切り抜けられるわけでもない。
 社用車は走っては止まり、また走っては止まりを繰り返し、いっこうにテレビ局まで辿り着かない。
 新羅は頭を抱えて、後部座席のシートにうなだれてしまった。
「はぁ〜。CMの打ち合わせが思ったより延びちゃったからなぁ...。どうしようかしら、もう。」
 苦悶している新羅を後目に、隣にいる香稟は、シャドウがかかった車窓から辺りの景色を見つめていた。
 そんな彼女の視界に入ったもの...。今風の衣装に身を包んだ少女達。街路樹の脇でたむろっている少年達。仲良さそうに、腕組みしながら寄り添い合うカップル達。
 そのすべては、今の彼女にとって、あまりにも新鮮でうらやましく思える光景だった。
 彼女の心の中には、自由という希望だけが渦巻いていた。
「よし、決めた!」
 彼女は心の中でつぶやいた。そのつぶやきは、大胆かつ衝撃的な行動を示唆していたのだ。
 彼女を乗せた社用車が、目の前の信号機の赤ランプに照らされた。
「ああ、また信号ストップじゃないのぉ!もうこれじゃあ、間に合わないわよぉ!」
「しょうがないですよ。こればっかりは無視できませんしねぇ。」
 その瞬間だった!
 香稟はいきなりドアのロックを外して、勢いよくドアをこじ開けた。
「え!?」
 何が起きたのかと驚く新羅。しかし、時すでに遅し。
 香稟はドアから抜け出して、自由の世界へ飛び出してしまったのだ。
「ちょ、ちょっと、香稟、あなた何してるの!?」
 呆然とした顔で叫ぶ新羅に、香稟は振り向き様に手を合わせた。
「新羅さん、ゴメンなさい!今日だけ、今日一日だけ、あたしに自由時間を下さい!お願い、あたしのワガママを許して!」
「待ちなさい、香稟ー!」
 思いっきり手を伸ばした新羅だったが、その手は空しく空気を掴む。
 社用車から逃げ出した香稟は、街路樹を仕切る柵を飛び越えて、人混みの歩道へと姿を消していった。
「探すのよ、早乙女〜!何としても香稟を見つけなさ〜い!」
「は、はいです〜!」
 鬼の形相で大声を上げた新羅に指示されるがまま、その運転手は青信号と同時にフルアクセルで発進した。とはいうものの...。
 結局、社用車は数メートル進んで停止する運命であった。
「この渋滞じゃあ、車だとどうしようもなかったわね...。こうなったら、わたしが探すしかないじゃないのよ!」
 新羅は社用車から勢いよく飛び出し、失踪したアイドルの捜索へと走り出していった。

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