小説『彼女はボクのアイドル(完結)』
作者:masa-KY()

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第1話 〜 男と女の出会う街角(3)

 都内新宿である。
 自由の世界へとやって来た香稟は、人目を気にしながら、歩道沿いの雑貨屋へと駆け込んだ。
 さすがは売れっ子アイドルだけに、気付かれたらどうなるか知れたものじゃないと思ったのか、彼女は変装するための帽子とサングラスを、少ないポケットマネーで購入した。
 彼女は素早く変装して、普段歩き慣れない歩道へと現れた。彼女はまさに、下界に舞い降りた天使そのものであった。
 行き交う人々に流されるように、彼女は見知らぬ街を散策し始めた。
「信じられないな。3年前までは、こんな道を普通に歩いていたはずなのに。何だか体が宙を浮いてるみたい...。不思議〜。」
 彼女は、すっかり忘れかけていた学生時代を思い起こしながら歩いていた。
 何百人といった人間で溢れる新宿駅付近。辺りを見渡しながら歩く彼女は、新宿駅の側にある大きなテレビモニターに目を向ける。
「あ!あたしが映ってる。」
 そのテレビモニターには、香稟が映っているCMがたまたま放映されていた。
 何十回も見ているシーンにも関わらず、彼女はモニター越しの自分自身を、まるで他人を見るように眺めていた。
 ちょうど彼女の側には、若い男の子二人組が、その流れるCMを眺めていた。
「おお、やっぱり夢百合香稟ってかわいいじゃん!?」
「えぇ?そうかなぁ。オレは末広竜子のほうがいいけどなぁ。」
「スエヒロより絶対いいぜ、香稟はさぁ!おまえの目腐ってんじゃねぇの!?」
「何ぃ〜!?おまえの方がおっかしいぜ。絶対スエヒロだっ!」
 そんな言い合いをする二人の正面を、香稟はクスクス笑いながら横切る。
 その二人はまさか、話のネタとなった張本人が、自分達の真ん前を横切ったことなど、とても想像できなかったであろう。
 彼女はその後、一人のごく普通の少女として、ぶらぶら街中を突き進んでいく。
 深々とかぶる赤色の帽子、厚手レンズのサングラス、彼女の変装は、予想以上に完璧に見えた、が、しかし...。やはり彼女は、伊達にスーパーアイドルと呼ばれてはいなかった。
 彼女とすれ違う若者達が、うっすらと彼女の正体に気付き始めていたのだ。
 怪しまれないように、うつむき加減で歩き続ける香稟。
 しかし、若者達とすれ違うたびに、彼女の名前がかすかに聞こえてくる。
 まずい、このままじゃ気付かれる!そう察知した彼女の足取りは、心なしか小走り気味であった。
 その足は、一歩、また一歩と速くなっていく。
「!」
 そんな最中であった。
 香稟は、背後からとてつもない悪寒を感じ取った。
 思わず立ち止まった彼女は、心拍数をあげながら、静かに顔を後ろへ向けていく...。
「!!」
 なんと彼女の背後には、数十人、いや百人はいるかも知れないほどの若者たちで埋め尽くされていたのだ。
 無論、それは彼女がスーパーアイドルの夢百合香稟ではないか? と疑う者達の集団だったのだろう。
 彼女はその惨状に圧倒されて、ただその場に立ちつくしている。
「あ、やっぱり香稟ちゃんだぁ!!」
 その集団の内の一人の声は、このあとの地獄絵図を知らせていた。
 その一声に触発された若者達が、ドッと彼女に、まるで津波のように押し寄せてきたのだ。
「逃げなきゃ!」
 サインを求める者、握手を要求する者、おまけに体に触れようとする者までいる。
「来ないでぇ!!」
 香稟は両手を振り回しながら、猛ダッシュで走り出した。もちろん、その集団は彼女を追いかける。
 彼女は必死になって逃げまどう。それを追い続ける若者達。それはもう、映画の世界の「ゾンビ」を彷彿とさせていた。
「はぁ、はぁ...。」
 息を切らせて走り続ける香稟。彼女は運がよかった。
 大きな交差点の横断歩道を渡り切ったあと、信号機の色がタイミングよく赤となり、横断歩道の前で立ち往生した若者達の群れから、彼女は何とか逃げ切れたのだった。
 彼女はこの隙に、素早く細い路地へと駆け込む。
「はぁ、はぁ、はぁ...。こ、ここまで来れば...。」
 薄暗い路地へと入り込んだ彼女は、壁に手を当てながら激しい息を吐き続けた。
「まいったなぁ。あたしって、そんなに人気があったんだ...。」
 彼女はますます、スーパーアイドルという自分の肩書きに嫌気が差していたようだ。
 その場で5分ほど、落ち着きを取り戻した彼女は、ゆっくりと細い路地を抜けていく。
 辺りを警戒しながら、彼女は恐る恐る人混みの中へと紛れていった。
「ここには、さっきの人たちはいないみたいね...。ホッ。」
 彼女は肩をなで下ろす。その姿は、まるで警察官に追われる犯罪者のようにも見える。
 彼女はさっきよりもゆとりのある足取りで、真っ直ぐな歩道を歩き続けた。
 すると...!
「あ、今日子さんだ!」
 香稟の向かう先には、血眼になって彼女の行方を追う、鬼マネージャーの新羅の姿があった。
 まだこの下界を満喫し切れていない彼女は、新羅の追撃をかわそうと、焦る思いで隠れる場所を目で追った。
 しかし、相手がまずかった。新羅は、さすがにデビュー当時から彼女のマネージャーをしているだけに、変装している彼女に気付いたようだ。
「ま、まずい!」
 心の中でそう叫ぶ香稟は、隠れる場所を横目で探しながら、ゆっくり後ずさりし始めた。
 新羅は、確信を持ったとばかりに、駆け足で彼女に近づいていく。
 追い込まれた香稟は、建物と建物の隙間にある路地を見つけるなり、ダッシュでその暗がりへと駆け込んだ。
『タタタタッ...』
 この時、香稟にとって思いがけない出会いが待っていた。
『ドッタ〜〜ン!!』
「キャッ!?」
「うわぁ!?」
 彼女は突然の強い衝撃に、跳ね返されるように吹き飛んだ。
 地面に尻餅をついた彼女の、そのかすかな視界に入ったもの。それは、自分と同じように地面に倒れ込んだ、紛れもない人の形をした少年であった。
「いってぇぇ...。」
 彼女とぶつかったその少年は、ゆっくりとその場に起き上がる。
「だ、大丈夫ですか?」
 やさしく手を差し伸べる少年に、彼女はお礼を言いながら細い手を差し出した。
「あ!急がなきゃ!」
「え、な、何!?」
 突然の悲鳴じみた彼女の声に、たじろぐ少年。
 彼女は、追っ手の新羅から逃れるため、この場を離れようとしたが、どうやらお尻を強打していたらしく、思うように足を踏み出すことができなかった。
「う、いた〜い...。」
「だ、大丈夫!?」
 心配そうな視線を送るその少年。彼女は、その少年に向かって最後の博打を打つ。
「ねぇ、お願い!あたしをかくまって!!」
「えっ!?」
「あたし、追われてるの!どうかお願い!!」
 少年は呆気にとられた顔で、じっと彼女を見つめている。
 その頼み込む彼女の姿に、ただならぬ気配を感じた少年は、彼女に協力することにした。
「わ、わかったよ。えーとね...。あ、ここに隠れて!」

 ◇
「はぁ、はぁ!」
 眉をつり上げ、鼻息を荒くして、牙をむき出したような形相の鬼マネージャー新羅は、香稟の逃げ込んだ路地へと突入してきた。
 彼女は、その路地に立ちつくす少年を見つけると、襲いかかるように飛びかかってきた。
「ちょっとあなた!この道を高校生ぐらいの女の子が通り過ぎて行かなかった!?ねぇ、どうなの!?正直に答えなさい!」
「あわわ...。い、いい、行きましたよぉ...。む、向こうですぅ...。」
 その少年は、彼女の放つ威圧感に体を震わせながら、路地の奥を指し示した。
「そう、ありがとう!」
 新羅は細い路地も何のそので、華麗な走行フォームで駆け抜けていった。
 少年は気が抜けたように、その場にひざまずくように腰を下ろした。
「こ、怖かったぁ...。」
『ガポ〜〜ン!!』
 突如、少年の側にあった業務用のゴミ箱のふたが開いた。
 なんとその中から、鬼マネージャーから難を逃れた香稟が、ムッとした表情で顔を出した。
「ちょっと、あなた!かくまってもらって言うのもなんだけど、ゴミ箱に投げ入れるなんてひどいんじゃない!?あたしだって、れっきとしたレディなんだからね!」
「そ、そんなこと言われてもさ...。こんな路地で、かくまう場所なんてないでしょ?」
「それは、そうだけどぉ!」
 まんざらハズレていない言い分だが、どうも釈然としない表情の香稟。
 彼女を救ったこの少年、もうお気付きだと思うが、彼はさっきまで風景画に没頭していたあの唐草潤太である。
 彼の手を借りて、香稟はようやく大きなゴミ箱から脱出した。
「ふぅ...。とりあえず助かったわ、どうもありがとう。」
 潤太は、勢いに任せて助けた彼女のことを、疑惑の眼差しで見つめている。
「あ、あのさ、君ってもしかして...。脱獄犯?」
「あのねぇ!こんなかわいい脱獄犯がどこにいるのよ!?そんなわけないでしょう!」
 彼女の言う通り、かわいい脱獄犯には、できることならお目にかかりたくはないだろう。
「そ、それじゃあ、どうして逃げ回ってるの?何か悪さしたんじゃないの?」
「ん〜。悪さといえば悪さかな。しいて言うなら、ちょっとしたイタズラかしらね。」
「ふ〜ん。」
 香稟はこの時、ある不思議なことに気付いた。それは、彼がスーパーアイドルを目の前にしても、驚かないばかりか平然としているからだ。
「ねぇ?」
「ん、何?」
「あなた、あたしのこと...。もちろん知ってるよね?」
「い、いや、初めて会うと思うけど...。」
「うそ!?ホントに知らない?」
 香稟は思わずおののく。
 それは無理もない。潤太ぐらいの年齢で、夢百合香稟を知らない者はいないと、彼女自身そう思っていたからだ。少しばかり、自意識過剰というべきところだが...。
「う、うん。ボクと、どこかで会ったことある?」
「あ、いや、知らないなら、それでいいんだけど...。」
「?」
 不思議そうな顔の潤太。彼は、香稟の思わせぶりな表現に、ただただ首を傾げている。
「それじゃあ、ボクもう行くから。」
 潤太は、目の前の不審な少女に別れを告げて、彼女のもとから離れようとする。
 そんな彼の背中を、香稟は大声で呼び止める。
「ちょっと待って!ねぇ、もう一つお願いしてもいいかな?」
「え!?ま、まだあるの?」
 眉をしかめて振り向く潤太。
「あ、何よその顔!?そんなに迷惑そうな顔しなくてもいいじゃないの!」
「だ、だって、君、何だか怪しいんだもの。」
 失礼ねーと言わんばかりに、口を尖らせている香稟。
「ア・ヤ・シ・クない!あたしは、ごくフツ〜の女の子だもん!」
「わかったよぉ。で、そのお願いっていうのは?」
 香稟は人差し指を掲げて、満面の笑顔で答える。
「あのね、あたしに渋谷、原宿界隈を案内してくれない?」
「へ!?」
 いきなり何を言い出すんだ!?といった表情の潤太。
「あたしね、あまり遊んだことないのよ、渋谷とか原宿。だから、これから、あたしを案内してほしいの。」
「あ、案内って言われても...。ボクだって、そんなによく知ってるわけじゃないし。」
「そこは気にしないで。ただ一緒に付き合ってくれればそれでいいから。」
「へ?」
 彼女はこの時、目の前にいるこの少年を、うまく利用しようと企んでいた。
 それは、彼と一緒に行動することで、巷の若者達が、香稟の正体に気付きにくくなると読んだのだ。それに、一人で行動するよりは、明らかに安全であることも事実だったからだ。
「これから、一緒に付き合ってよ。ね?」
 たじろぐ潤太は、頬を赤く染めている。
「あ、あの、それって...。もしかして、逆ナンパ?」
「ちが〜う!そんなんじゃないって!あなた本気でぶつわよ、もう!」
「わわっ、ゴメンゴメン!」
 黄金の右腕を振りかざす香稟に、彼は頭を抱えて謝っていた。
 半ば強制的ではあるが、潤太はやむなく、彼女の二つ目のお願いを聞くことになってしまった。

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