小説『彼女はボクのアイドル(完結)』
作者:masa-KY()

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第1話 〜 男と女の出会う街角(4)

 様々な人々で埋め尽くされた渋谷。そこには、今を楽しく生きる若者達で溢れている。
 そんなにぎやかな街へとやって来た、スーパーアイドルの香稟とその付き人役の潤太。二人は、そんな街中を散策していた。
「へぇ〜。いろいろなお店があるんだね。」
「うん。ホントだ。」
「あ、あそこ入ってみよう!」
「え!あそこって...!?」
 ここでは、もうすっかり香稟のペースである。彼女のリーダーシップに、一生懸命に付き合う潤太であった。
 二人は、おしゃれな雑貨屋や、オープンカフェなどで有意義な時間を過ごしていた。
 アイスクリームショップで買った、3段重ねのアイスクリームをおいしそうに口にしている香稟。そのすぐ脇で、微笑んでいる彼女のことを見つめる潤太。
 その姿は、この一時を楽しむ恋人同士に見えなくもなかった。

 ◇
 二人は渋谷、原宿を回って、代々木公園へと足を運んだ。
 日曜日の公園には、老若男女いろいろな人々が集まって、様々なライフスタイルを楽しんでいた。
 二人は休憩しようと、空いているベンチへと腰掛けた。
「あ〜。今日は気持ちいい天気だね。」
 香稟は両手を大きく掲げて、目一杯全身を伸ばした。
「そうだね。」
 潤太も彼女を真似るように、大きく伸びる。
「そういえばさ、ちょっと気になったんだけど...。」
「ん、何?」
 香稟は、隣にいる潤太が抱えるスケッチブックを指さした。
「これ、スケッチブックだよね。何でこんなの持ってるの?」
「何で持ってるって、絵を描くからに決まってるでしょ。まさか、うちわ代わりにでもすると思ったの?」
「そんなわけないでしょ!そんな大きいうちわじゃ、まともに仰げないじゃない!」
 何とも下らない会話である。
「でも、意外!あなたが絵を描くなんて、ハッキリいって似合わないなぁ。」
「ムッ!悪かったね。どうせボクは、絵を描くより恥かく方が似合うっていいたいんだろ?」
「あははは。あなた、その表現うまいわね。おもしろい。」
「全然、フォローしないんだね。」
 お腹を抱えて笑う香稟は、彼の持つスケッチブックに興味が湧いたようだ。
「ねぇ、ちょっと中見せてよ。あなたがどんな絵描くのか知りたいな。」
「ヤダ!ボクのことバカにしたくせに。絶対見せてやんないよ〜だ!」
「もうバカにしないから、お願いよぉー。あ、もしかして!あなた女の裸体とか描いてるんじゃないでしょうね!?」
「ち、ち、違うよっ!ボクは、そんな絵なんか...!」
「じゃあ、何でそこまでして隠すのぉ!?あーやし〜!」
 まるで小学生同士のような、子供じみた会話をしている二人。
 香稟に甘えるようにしつこく頼まれて、年頃の潤太はさすがに断り切れず、抱えていたスケッチブックを彼女に手渡した。
「わぁ、サンキュー。さ〜て、どんな絵描いてんのかな!?」
「言っておくけど、そんなに笑わないでくれよ。こう見えても、人に見せるの恥ずかしいんだからさ。」
 香稟は、スケッチブックのボタンを外して、その一ページ目を広げる。
「...!」
 彼女の笑顔が一瞬で消えた。
 無言のままスケッチブックを見つめる彼女に、潤太は気が気じゃない様子だ。
「な、何で黙ってんのさ?あー、さては笑いこらえてるなー?」
 横でわめく潤太に目もくれず、彼女はつぶやくように口を開く。
「上手だね...。」
「...へ!?」
「すごくきれいに描けてるね。ハッキリいって、これはすごいよ!」
「そ、そうかな。」
 思いも寄らぬお褒めの言葉に、似合わない照れ隠しをする潤太。
 香稟は、スケッチブックをさらにめくり、その優秀な絵画をくまなく見入っている。めくるたびに、彼女はすごいすごいと感心していた。
「すごいな...。あなた絵描きさんになれるんじゃないの?」
「そんなことないよ。絵描きで生きていくには、こんな中途半端な絵じゃやっていけないよ。ボクの絵なんて、まだまだ子供だましだもん。」
 潤太は苦笑いを浮かべて、画家という職業の難しさを語った。
「そうなんだぁ...。ねぇねぇ!ほんのちょっとでいいから、ここの風景描いてみて。」
「え、い、今から?」
 香稟は、スケッチブックを丁寧に閉じて潤太に返した。
 彼はスケッチブックを開くと、モチーフとなる代々木公園の景色を眺める。
 風景とスケッチブックを交互に見て、すらすらと作画を始める潤太。その横で、彼の真顔をじっと見つめる香稟。
 ここ代々木公園に、二人だけの、ゆったりとした静かな時が流れていった。
「こ、こんな感じだけど。」
「あ、見せて、見せて!」
 わずかな時間で描き上げたとはいえ、潤太の描いた絵は、香稟の視界にある風景をとても上品に、繊細に表現していた。
「すっごく雰囲気出てるね。あなた、ホントに絵描きさんになりなよぉ。」
「ありがとう。がんばってみるよ。」
 香稟は、潤太の絵を鑑賞しながら、ふと思いついた疑問を投げかける。
「でも、どうして風景しか描かないの?例えば人物画とか、そういったのは?」
 潤太はスケッチブックを見つめたまま、その真意を打ち明ける。
「ボクさ、絵を描き始めたの、小学校の頃なんだけどさ。そのきっかけになったのが、家族旅行で北海道へ行った時なんだ。そこで、きれいな風景画を描いてる絵描きさんに出会ったんだ。」
 思い出を懐かしむように語る潤太。それを真面目な顔で聞いている香稟。
「その絵描きさんと話してたら、何だか無性に絵を描いてみたくなってしまって、旅行中にスケッチブックを親に買ってもらってさ、実際に描いてみたんだよ。自分では下手だなぁって、そう思ったけど、その絵を絵描きさんに見てもらったら、君は才能があるよって誉められてね。」
 潤太はうれしそうに、照れ笑いを浮かべていた。
「ちょっと有頂天になっちゃったけど、それから本格的に絵を描き始めたというわけ。だからボクは、今でも風景画以外に興味がないんだよ。」
「へぇ〜。そんな昔から描いてたの。どうりで年期の入った絵に見えたわけね。」
 楽しい時間はあっという間に過ぎていくもの。いろんな思い出を残した二人に、別れる時刻が訪れた。

 ◇
 代々木公園を後にした二人は、黄昏に包まれながら新宿駅まで戻ってきた。
「今日は、本当にありがとう。すごく感謝してるよ。」
「ボクも楽しかったよ。めったにこの辺で遊んだりしないから、今日はすごくおもしろかった。」
 香稟は、深々と下ろした頭を上げると、少し寂しそうな表情で、目の前の潤太に別れを告げた。
 このまま消えてしまいそうな彼女に向かって、潤太は無意識の内に叫んでいた。
「ねぇ、ちょっと待って!」
「!?」
 彼女はクルッと振り向く。
「あ、あのさ、ボク達、お互い自己紹介してないよね?最後にさ、名前教えてくれないかな?」
 香稟は笑顔を浮かべて、彼の元にゆっくりと戻ってきた。
 潤太は紳士ぶって、彼女より先に名前を打ち明ける。
「ボクは、唐草潤太。高校3年生です。」
「へぇ、偶然だね。あたしと同じ歳なんて。あたしは...。」
 彼女は名乗ろうとした途端、一瞬言葉に詰まった。
「あ、あたしは、信楽...。信楽由里よ。」
 その時、彼女は誰もが知っている「夢百合香稟」の名前を伏せていた。彼女は、潤太に対して自分の本名を名乗ったのだ。
 それはなぜだったのか?周囲の人々に気付かれまいと思ったのか、それとも、目の前の少年にだけは、アイドルとしてではなく、普通の女の子として見続けてほしかったのだろうか。
「もし、また会う機会があったら、一緒に遊ぼうか。」
「う、うん。そうだね。また一緒に遊ぼう。」
 そう言い残すと、彼女は人混みの中へと消えていった。
 それは、スーパーアイドル夢百合香稟にとって、お忍びの冒険の終わりを告げるものだった。
 そんなこととはつゆ知らず、潤太は彼女を目で追い続けた。
 潤太は、とんだ偶然で知り合い、散々振り回されながらも、一緒に遊んだ彼女のことが気になってしまった。
 もう一度、こうやって会うことが出来るのかな...?
 潤太は、不思議な体験にちょっとだけ笑みをこぼし、夕闇迫る家路へと向かっていった。

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