小説『彼女はボクのアイドル(完結)』
作者:masa-KY()

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第2話 〜 ほどけなかった運命の糸(2)

 あの脱走事件から数日経ち、スーパーアイドル夢百合香稟は、芸能人の一人として真面目に仕事をこなしていた。
 数ある雑誌の写真撮影、テレビCM撮影、テレビ番組の収録と、彼女は休む間もなく働き続けていた。
 そんなある日、大忙しの彼女は、彼女自身の主演するドラマ「明日こそ愛あれ」の記者会見を終えて、事務所へ戻る途中の首都高速道路の上にいた。
 社用車には彼女はもちろん、彼女のマネージャー新羅今日子も乗車している。
「お疲れさま。今日は最後に、ラジオの収録があるからもうひと踏ん張りよ。」
「はい。」
 香稟はあの事件以降、逃げ出したいとか、自由になりたいといったわがままを言わなくなっていた。少なくとも、マネージャーの新羅の前では...。
 あの事件の夜、新羅は収録番組に穴を開けたことを、同番組のプロデューサーに繰り返し謝罪することで、この一連の責任を許してもらっていたのだ。
 つまり香稟は、功労者である彼女に頭が上がらないのである。
「でもよかったわね、香稟。あなたが演じたかった役、見事に取れたんだから。」
「はい。今日子さんのおかげです。今日子さんが、あたしのために必死になってテレビ局へアプローチを掛けてくれたから。」
「それだけじゃないわ。あなたの生まれ持ってのスター性がものを言ったのよ。いい、香稟。この役は絶対に成功させなきゃダメよ!」
「大丈夫です。あたし、ようやくドラマでヒロインを演じることができるんだもん。念願の女子高校生役に...。」
 香稟の表情は、とても充実感を感じさせる。
 新羅は、そんな彼女を見て心なしか安心していた。
 香凛がまた、普通の女子高生に戻りたい!といったことも言わないだろうと、彼女なりにそう感じていたのかも知れない。
 新羅は、香稟の肩にそっと手を置いてやさしく声を掛ける。
「よし、今日は特別にお祝いしてあげよう。」
「え!?」
 新羅は身を乗り出して、運転手に話しかける。
「早乙女クン、ちょっと寄り道するわよ。葛西インターチェンジで降りてくれる?」
「で、でも、早く戻らないと社長がうるさいですよぉ?」
「いいわよ、ちょっとぐらい。たまには香稟にものんびりさせてあげなくちゃ!」
 微笑みながらウインクする新羅に、香稟もうれしさから微笑みを返した。
「今日子さん...。」
 社用車は、首都高速を葛西インターチェンジで降りて、海岸線へと向かっていく。
 しばらくすると、香稟の視界には、青く透き通った大海原が現れた。
「わぁ、海だぁ!」
「いい眺めでしょう?わたしも昔はよく、この海岸線を通ってストレスを発散したものよ。」
 ある浜辺につながる道へと突き進む社用車。
 さっきから見えていた海はますます近くなり、見る者にさらなる雄大さを実感させてくれる。
 社用車が浜辺付近で止まると、香稟は勢いよく外へ飛び出した。
「わぁ!すっごくきれーい!」
 砂浜を走る彼女を目で追いながら、新羅も砂浜へと降り立つ。
「フフ、すっかりはしゃいじゃって...。」
「今日子さーん、30分だけですよぉ!それ以上遅れると、オレが怒られちゃいますからね。」
「うるさいな!わかってるわよ、もう。」
 押し寄せる波の音が、疲れ切ったアイドルの心を癒していく。
 辺り一面の潮の香りが、彼女の気持ちを落ち着かせる。
 香稟は、遠くを見つめるような瞳で、東京湾のさざ波を観賞していた。
「いいな、海。こうやって近くで見る海って、ホントにきれい。」
 浜辺に佇む彼女の側へやって来た新羅。
「来てよかったでしょ?この大きな海はね、悲しい時も辛い時も、いつも勇気をくれるのよ。」
「そうですね。何だか、すっごく気持ちいいです。」
「ここに来ると、いつもこういったきれいな景色をわたしたちに見せてくれるわ。」
 香稟はその時、新羅の「きれいな景色」という言葉に、胸の奥にしまっていたある記憶を思い出した。
「きれいな景色...。フフ、彼がこの海を見たらきっと、きれいな絵を描くんだろうな。」
「ん、何か言った、香稟?」
「あ、ううん。別に何でもないです。」
 彼女はその記憶を、また胸の奥へとしまい込んだ。
 あれから数日経った今日、彼女の記憶の中には、絵を描くことをこよなく愛する、あの唐草潤太の姿が映っていた。
「そろそろ行きませんか?」
「うん、そうね。」
 嫌なモヤモヤを吹き飛ばした二人は、勇気と希望を与えてくれる大海原を後にした。

* ◇ *
 ここは、唐草潤太の自宅である。
 彼はこの日、家に帰るなり宿題もせず、描き上げていた絵の色づけをしていた。これも、彼の日常茶飯事なライフスタイルなのである。
「潤太、ごはんの準備手伝ってちょうだーい!」
 色づけに没頭している潤太に、一階にいる彼の母親が大声で呼びかけた。
 彼は一段落付いたところで、二階の自分の部屋から出ていく。
 階段を降りて台所へ行くと、彼の母親が今日の夕食の支度を始めていた。
「もう、いつも遅いわね、あんたは。母さんが呼んだら、すぐに来なきゃダメじゃないのよ。母さんはね、あんたをそんな不良に育てた覚えはないわよ。」
「大げさに言うなよ。不良だったら、母親の料理の手伝いなんかしないでしょ?」
 彼にとって、夕食の手伝いも日課の一つとなっていた。
 彼は手を洗ってから、母親の指示を仰ぎながら、料理の手伝いを始める。
「母さん、今日は何作るんだい?」
「あんた、大根の皮むいててわかんないの?まさか、大根使ってビーフシチューでも作るとでも思ったの!?」
「そんなわけないでしょ!」
 ちょっと、軽いボケをかます彼の母親であった。
 彼のしつこい問いかけにより、今日の夕食はふろふき大根だとわかった。
「ねぇ母さん、たまにでいいからさ、リッチな夕食が食べたいよ、ボク。」
「リッチ!? サンドリッチかい?夕食にパンだと、母さんうれしくないわね。」
「それをいうならサンドイッチ。リッチっていうのは、高級って意味だよ。例えばさ、ウニイクラ丼とか、松坂牛しゃぶしゃぶ膳とかさぁ。あと北京ダックもいいよね。」
 高校生の分際で、やけにリッチな料理を知っている男である。
「あんたね、そういうことは父さんに言いなさい。それに何よ、そのペキンダックって?ディズニーみたいじゃないの。」
「それはドナルドダックでしょーが!」
 ここにいる親子は、いつもこういった会話の中で料理を続けるのであった。
 そんな和やかな親子の会話を遮るように、怒り狂うような叫び声で割り込んできたのは、帰宅したばかりの潤太の弟である唐草拳太だった。
「お〜い、兄貴ぃ〜!いたら返事してくれよぉ〜!」
 拳太は怒鳴りながら、廊下をドタドタと駆け抜けていた。
「おい、拳太。ボクならここにいるぞ。」
 潤太の声を聞きつけて、拳太は台所へと駆けつけた。
「はぁ、はぁ...!」
 拳太は中腰の姿勢で息を切らせている。
「おいおい、落ち着けよ。どうかしたのか!?」
「どうしたもこうしたもねぇよぉ!来週兄貴の学校に、あの香稟ちゃんが撮影に来るんだって!?」
 平然とした顔で答える潤太。
「そうみたいだな。でも、おまえよく知ってるな。」
「さっき兄貴の学校の人がさ、そんな話してんの偶然聞いちゃったんだよ!」
 拳太はまるでケンカを売るような仕草で、兄に向かって怒鳴りちらす。
「ちくしょー!いいよなぁ、兄貴んとこの学校はよぉ!何で、オレの中学に来ないで、あんな汚くて、あんな貧乏くさくて、おまけにろくな生徒がいない学校なんかに香稟ちゃんがぁ〜!」
「悔しがるのは構わないけどさ、おまえ、かなりキツイ悪口言ってるぞ。」
 拳太は、潤太の胸ぐらを掴んで、悔しがる顔を思いっきり近づけた。
「何言ってんだよ、この幸福やろぉ!オレにもその幸運を分けてくれぇ!」
「そんなこと言われてもなぁ...。こればっかりは、ボクにはどうしようもないよ。」
「ぐぞぉ〜!憶えてろよぉ、この薄情者ぉ...!!」
 拳太はそう吐き捨てると、涙目で二階へと駆け上っていった。
「ボクのどこが薄情者なんだよ、まったく...。」
 呆れた表情の潤太に、流し台にいる母親が叫び声を上げる。
「潤太、早く大根の皮むいちゃいなさい!」

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