8
洞窟の入口から、ひょっこりと頭が一つ突き出ている。手にしているのは見覚えのあるフラッシュライトだった。
その人──男だ──はゴム長靴を履いた足でゆっくりと砂を踏みしめ洞窟の中に入って来た。
「ちょうどこの辺を歩いていたら鼻先にこれが飛んで来てね。いやぁ、吃驚したよ。見るとこっちの岩の間がほんのりと明るいので……いいねえ、若い人は!洞窟でパーティかい?」
今度こそ終わりだ。クレイとサミュエルは観念した。女にとっては、文字通り頼もしい応援部隊だろう。
「返すよ、ほら、君達のだろう?」
夜釣りの帰りらしい、ゴム引きのパーカーを羽織った、痩せて背の高い初老の男は気さくな調子でフラッシュライトを差し出した。反対の手にはブリキのバケツを提げている。
(できすぎだ……!)
この新たな登場人物の風貌がいかにもこの島っぽくて、実際には泣きたかったにも拘らずもう少しでクレイは笑い出すところだった。本当の持ち主が地面に腰を落したまま動こうとしないので、前へ出てライトを受け取る。
「あ、ご親切に、どうも」
男の立っている位置からクソ忌々しいエルンストの死体はどういう風に見えているものやら。
(畜生、シャベルなんて突き立てるんじゃなかった……)
仄暗い洞窟の中でそれは墓標のように浮かび上がっている。男が死体に気づいて騒ぎ出すのは、もはや時間の問題だった。
「教授?アンブローズ・リンクィスト教授ではありませんか!」
突然、女が叫んで立ち上がったのでその場にいた男達は一様に驚いた。
「お会いできて光栄です!しかも──こんな所で……?」
クレイとサミュエルは口を開けて、同様に口を半開きにしている夜釣りの男と、男の腕に飛びついた女を見つめた。女ときたら余りに激しく握手の腕を上下させたせいで、残る手で胸のカメラを押さえねばならない始末。
「申し遅れました。私は衣通葵里子と言って写真家です。ああ、教授が憶えておられなくても当然ですわ!」
握った手を離さないまま女は男を洞窟の外へと引っ張って行く。
「何年か前にUCLAで教授の特別講義を受講する幸運に恵まれました。本当にあれは、今思い返しても素晴らしい体験でした……!」
「君……?」
「教授が見せて下さった貴重な資料の数々……エーゲ海で最も美しいミノア文明の忘れ形見……現在ではアテネ国立考古美術館でしか見ることのできない壁画群……」
「ああ、それか。それは──」
「私、今でも鮮明に記憶しています。魚を持つ〈漁師〉や波を蹴立てて進む〈舟行図〉のイルカ達。〈春〉の百合と燕……でも、何と言っても一番は〈拳闘をする少年達〉です。燃えるようなあの肌の色ったら……!」
浜辺でなお暫く熱心に話し込んでいる女と男の姿が、洞窟に置き去りにされたクレイとサミュエルからも見ることができた。空が明るくなってきたせいだ。
やがて、薔薇色の光に染まって女は一人で戻って来た。
「やるじゃないか」
皮肉たっぷりにサミュエルが迎える。「巧く丸め込んじゃって」
「丸め込んじゃいないわ」
キッと眉を上げて女は言う。
「彼は本物よ。アンブローズ・リンクィスト教授。高名な考古学者だわ。古代海洋民族史の権威で、有名なギリシャはサントリーニ島のアクロティリ古代都市遺跡発掘にも参加したんだから……!」
両頬に朝焼けの色がまだ残っている。それとも、これは彼女自身の血潮の色だろうか?
「感激だわ!まさかこんな所で会えるなんて。近くに別荘をお持ちなんですって。夏休みは釣り三昧だと笑ってらしたわ。フフフ」
しかし、クレイとサミュエルは、そんな話には全く興味がなかった。
二人はそれぞれ、今現在、最も関心のあることについて問い質した。
「そもそも、あんた、一体何者なんだ?」
「何故、あの教授とやらを追っ払ってくれたんだ?」
女は両方の問いに一度で答えた。
「あら、さっき聞こえなかった?私は写真家で衣通葵里子と言うの。何故、リンクィスト教授を追い払ったかって──だって、大切な話の途中だったでしょ、私達?」
改めて腕を組見直すと、
「さあ、これで、ちゃんと終いまで聞けるわね?」