小説『とくべつの夏 〈改稿版〉』
作者:sanpo()

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 夕刻、自室に使っている2階のメインゲストルームでサミュエルは念入りに出かける仕度をしていた。
 プレローズ屋敷に滞在して1週間。今でも時折、慌てて窓を閉めたい衝動に駆られる。海の水が窓枠から零れ落ちてくる気がして……
 そんな美しい妄想に囚われるほど父の邸は海に浸蝕されている。
 (浸蝕・・・…)
 その言葉にクレイを思い出した。何のスポーツやってるのか、今夜、絶対聞き出さなくっちゃな。細面で端整な容貌からはちょっと想像できないくらい彼の腕が太いこと、俺はもう知っている……
 いきなり入って来たのはエルンストだった。
 「めかし込んでるじゃないか。デートか?」
 「ノックぐらいしろよ」
 檸檬色のネクタイを結びながらサミュエルは心の中で罵った。
 (ほんと、最低のクソガキだぜ。)
 「お相手はさしずめ──昼間のあのお坊ちゃまか?」
 エルンストはベッドをグルッと廻ってサミュエルの横に来るとネクタイを引っ張った。
 「おまえ、あの手の正統派に弱いよなあ。金髪、碧眼、長身のハンサム。セレブの親を持つスノッブなワスプのボンボンってか?」
 サミュエルは頭を仰け反らせてネクタイを引き戻した。
 「ケッ、連れてる犬がゴールデンレトリバーとくりゃ嵌まり過ぎもいいとこだ」
 サミュエルは鏡の中の自分の襟元にだけ意識を集中させる。クレイはこの色好きだろうか?気に入ってくれるかな?
 「で?おまえのその?趣味?は──アマンダ譲りってわけね?」
 「いいかげんにしろっ!」
 流石に我慢できなくなってサミュエルは叫んだ。エルンストはベッドに腰を下ろして歪な笑みを浮かべている。
 「おまえのママが結婚した時、超玉の輿って、親族中沸き立ったらしいもんな?俺のお袋なんて今でも二言目には『アマンダは巧くやった』って愚痴ってるぜ。盛大な結婚式、夢のような新婚生活、嵐の離婚劇の果てに慰謝料、養育費ガッポリ分捕って……そして、今度は莫大な遺産と来た!」
 エルンストは猫撫で声で訊いてきた。
 「なあ?この邸も含めて、全ておまえのものになるってのは本当か?」
 「知らない」
 吐き捨てるようにサミュエル。「俺は未成年だし、その件ならママか管財人の顧問弁護士にでも聞いてくれ。どけよ」
 エルンストはわざと鏡と少年の間に立ち塞がった。
 「そう邪険にすんなって。羨ましがる権利くらいは俺にだってあるさ。俺はこんなに毎日毎日、金の工面に四苦八苦してるってのに、可愛い従兄弟のおまえときたらこの先一生涯、その種の苦労とは無縁だってんだから」
 結局ネクタイはエルンストが結んでくれた。でも、サミュエルはちっとも嬉しくなかった。
 「誰でも、おまえみたいな生活してたら金に困るってもんさ、、エルンスト。どんな遺産受け継ごうと同じだろ?」
 「何だと?」
 「俺が知らないと思ってんのか?薬とギャンブルの二重漬け。そんなじゃどれだけ財産があったって破産しちまうさ。ママだって心配してる。もう悪い仲間とは縁を切ってマトモな暮らしをするべきだ」
 エルンストは開きかけた口を閉じた。
 「・・・・・・わかったよ」
この態度にサミュエルは内心驚いた。従兄弟は怒り出すだろうと、絶対、怒鳴り返してくるものと予想していたから。今、エルンストはむっつりと押し黙ったまま、客用ドレッサーの鏡の中からこちらを凝視している。
 次に口を開いた時、エルンスト・オレンジの声の調子は先刻までとは全く違っていた。
 「話は変わるけど、サミー、今夜、ここへ友人呼んでパーティ開きたいんだが……かまわないよな?」
 「え?」
 「おっとっと、わかってるって!約束する。ハメは外さない。勿論、この家の物には一切手を触れないから、いいだろう?」
 サミュエルは迷った。だが最終的に、『どうせ、おまえはおまえで外でお楽しみなんだし』というエルンストの言葉に負けた。
 「OK、好きにしろよ」
 サミュエルが承諾したのと殆んど同時に外のドライブウェイの小石が軋む音がして、車が入って来た。サミュエルは思った。
 (チェッ、エルンストめ。どっちにしろ事後報告だったくせして)
 口に出してはこう言った。
 「おい、おまえのご友人とやらがお着きのようだぜ?」
 「みたいだな}
 エルンストはそそくさと部屋を出て行った。

 散々迷った末に決めた、シアサッカーのジャケットに腕を通しながらサミュエルが階段を降りて行った時、その友人達はまだ玄関ホールに屯していた。
 一見して──エルンスト同様──素行の良くない連中だった。
 (よくこんな格好で島内を歩けるもんだな?)
 サミュエルは心底呆れた。一人は袖を千切り取ったTシャツに皮のベスト。もう一人は鋲を打ったライダージャケットを腰に縛りつけ、裸の上半身にはざっと見ただけで五つも刺青がある。
 まるで古い映画から抜け出て来たみたいだ。母と一緒に見たその映画のタイトルを、この時どうしてもサミュエルは思い出せなかった。一体、従兄弟は何処でこんな連中と知り合うんだろうと考えながら階段の最後の数段を駆け下りる。
 エルンストも交えた3人は全く動く気配がなかった。ホールを横切るサミュエルをじぃっと見つめている。
 「へぇ、こいつが?」
 「ああ。俺の従兄弟のサミュエル・ケリーだ」
 「ふーん、おまえってイカレた法螺吹きだと思ってたけど。こりゃ謝らなくっちゃな。中々どうして……触れ込み以上だ」
 その男達は挨拶もしなかったし、サミュエルもそのつもりはなかった。脇を摺り抜けて、玄関の扉の取っ手に手を置いた際、一言だけ。
 「じゃ、ごゆっくり」
 「ああ、そのつもりさ。ごゆっくりと──」
 一人が扉を押さえたのでサミュエルは驚いてそれをやった男の顔を見た。
 「──楽しもうじゃないの?」
 「何の真似だよ?」
 サミュエルは従兄弟の方を振り返った。「エルンスト?」
 エルンストは肩を竦めて、「しかたねえだろ?」
 別の一人──扉を押さえてない方──がエルンストに代わって説明してくれた。
 「こいつは俺達に借りがあるのさ。それなのにどうしたってもう返済できないらしい」
 この段階でサミュエルはほぼ全てを悟った。一方、往生際の悪い従兄弟はこの期に及んで言い訳を始める始末。
 「おいおい、人聞きの悪いこと言うなよ。俺は殆んど清算した。ただ残りのちょっとばかりが、どうも・・・…」
 「何がちょっとばかしだ。よく言うぜ」
 扉を押さえている男が言う。
 「で、俺達は取引きをしたのさ。こいつ、可愛い従兄弟がいるって言うじゃないか。そういうことなら話は早いや。俺達は旅の途中で先を急いでいるし、男の子でも女の子でも要は上玉なら大歓迎さ!」
 再び扉を押さえていない方、
 「俺達ときたら、そりゃもう慈悲深い質なんだ!」
 「ふざけるなっ!」
サミュエルはエルンストに飛び掛った。胸座をつかんで寄木細工の美しい床に引き倒すとそのまま馬乗りになって殴りつける。
 「どうして先に言わなかった?金なら貸してやる!それを、こんな──」
 「本当かよ?」
 殴られているにも拘らずエルンストは微笑を洩らした。
 「さっき……俺が申し出てたら……貸してくれたか、おまえ?」
 「!」
 サミュエルは殴るのをやめた。数秒間それについて真剣に考える。その様子を見てエルンストは勝ち誇ったように叫んだ。
 「そうら見ろ!おまえが俺なんかに金を貸すものか!そんなことぐらい俺だってわかってるさ!」
 「エルンスト……」
 「それに、借りたら返さなけりゃならなくなる。サミー、俺は金輪際、おまえに借金などしたくないんだよ!」
 エルンストは床から頭を持ち上げて、乱れた黒髪が被さっている年下の従兄弟の耳元で囁いた。
 「これなら、なあ?返さなくって済む。単純明快で速いだろ?ケリをつけるには持って来いさ……!」
 「畜生!ぶっ殺してやるっ!」
 サミュエルは硬く握っていた拳を開くとエルンストの首に巻きつけた。本気だった。怒り狂っていて、頭の中が真っ白になり、指が千切れるくらい渾身の力を込めて絞めた。
 ここに至って漸く他の二人が動いた。後から少年を羽交い絞めにして赤毛から引き離す。
 「おいおい」
 やけに間延びした声。もう扉を押さえていないのでどっちがどっちだかサミュエルには区別がつかない。
 「従兄弟喧嘩はそのくらいにしておけって。ゲストを放っとくもんじゃないぜ?」
 「モメるんなら後で存分にやってくれ。尤も──おまえさんにそんな元気が残ってればの話だけどな?」
 後は、耳障りな笑い声と、咽喉を押さえて床を転げまわっているエルンストの激しい咳の音に掻き消されて、眼前の二人が何を喋ってるのかサミュエルには、もう、全然、聞き取れなくなった。

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